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Full text of "Hihyō"

UNIVERSITY OF ILLINOIS-URBANA 




3 0112 004419898 



主 筆 室 伏 高 信 

編 • 解題 飯 田泰三 

X 2 S 2 



復刻版 ^ 



第 

2 

卷 



审审审 审审第 审审审 审审审 

5n 5T3 5T3 5T3 >T3 5T3 5T3 5T3 5T3 5T3 5T3 

ニー o 九 八 七 六 五 四 三 ニー 



日日 日日 日日 日日 日日 

日 日 WWWWWWWWS^W 



本卷 収録 史料 

批 評 



大正 九 年 一 月 

〃 一 一月 

ひ 三月 

〃 四月 

ひ 五月 

ひ 六月 

ひ 七月 

ひ 八月 

ひ 九月 

〃 十月 

ひ 十一:! 

バ 十一 一 Hi 



、號 一十 第) 號 月 一 



木 正 八 年 一一 一月 ご 十 八日 ttMlllRlK 便 物 認可 

大正 九 年 一 月 1 日 印 抓納不 大正 九 年 1 月 一口 發行 



(本號 金 廿錢) 




ナ、 レ ヨナ^. ギ^ ヅ 

ク エッグより コ—^ へ 



社 評 批 




B 丁 二 町 張 尾 橋 京 京 3S 
番六六 四 〇 四 京— 41^ 抿 

店 書 永 福 




著新彥 豐川賀 



賀 



精神 運動と 社會 運動 "1 版 



^判 七 百 十九 頁 

B 定 價 金參圓 

, 送料 十八 錢 



豐 



貧民 心理の 研究 "-i 版- ; i?J 



著 





基督 傳論 爭 史 ,肖 2 



菊判 三百 五 4- a 

定 憤壹圓 五拾錢 

送料 十二. 錢 



町 參 



店 



六 者 □ □ $i 

^0 定送 

膽 I 憤 料 

二 三 壹 

*8 葉 圓、, - 3 

表 著 六 金 UK 

モ A 子 

ぽ錢錢 子 

is □ □ 序 

入 葉 



淚 がどうして 二等分 出來 るか、 世の 終が どうなる 

か、 自ら 火葬場に 葬った 時の 感じ を 貧民窟で 歌つ 

たもので あ.. = 'ます。 

晶子 女史 曰く 「私 は賀 川さん が 貧民 詩人、 勞働詩 

人で あると 共に 戀愛 詩人で あ. o、 それが 悉く 作者 

自身の 體驗に いて 居る こと を 有 雛く 思 ひます。 

若し 我國 にも 人生派 または 人道主義の 詩が あるか 

と 一一 目 ふなら、 私 は 第一 にこの 「淚の 二等分」 を擧げ 

P うと ©ひ ます」 Co 




甲賀室 
野 川 伏 
哲豊高 
ニ彥信 



□ 

圜ナシ ョナグ • ギダヅ へ. 

■ 非軍國 主義 論 

■1 ク エッゲ より コ,^ へ 

目 國英 國 勞働黨 の 主義:.: 

■I .W 主義の 硏究ー 

□ 



次 □ 

編 勞 働?^ 動と 勞働 E ^動 者.:: 

■ 新著 批評 

<3靈1 

厶社會 主義者の 肚會截 :: 

1勞 働 問題の 現在 及び 將來 



シ ド 二 1*ク エッゲ 

森 • 恪 

• 室 伏 高 信 

,室 伏 高 信 



Z 



生 



<1 大戰 Li 現 はれた る 吾 陸軍 首腦 部の 無能 一 

一 『批評』 ょリ 一 

I 編輯 室と 校正 室 



ナレ ョナゃ キル グへ 

(Towards National Guilds) 



社會主 « 運動の 全部 は 知的 やば 謬のう へ に BE かれて きた。 

卽 ちそれ が 生 產 を社會 化し 且つ 統制すべき 社會の 職務で 

あると 想像す る ことの 誤謬で ある。 社會の 職務 は 生, 產物を 

社 會 化し 且つ 統制す る ことで ある。 

D ノ, 

何人で も、 理論家の 間 にあって、 何もの か を最, 初に 成さ 

うと 企てた 人 は、 他の 人々 によって 異端者で あると 思 はれ 

てるる。 實行は 理論に 對 する 異端で あり、 あまりに 屡々、 

iw 行に は 馬鹿け てゐ る。 

Ml ト ビアに おいて は、 一 人の 男が、 一組の 電氣 ボタン 

を 押す と、 附近に 住む 十 萬 人の 人々 に 用 足る ほどの 钫績荷 

物 を 製造す る こと. かで きる ように、 紡績工 揚が 完全に 設計 

されて ゐる. - 鳴 呼、 彼等 は その 生産物 を 買 ひとる ことので 

きる 消費 力 を もたない の だ。 さう し. て 技師 自身 も、 紡績で 



生活す るに しても 彼れ の 産業の. 果實 を吸收 する, 】 と はでき 

ない。 ュ ー トビ ァは 遠い 國で はない- 量り えられる 時に、 

現在の 發 明の 程度で、 われ 等の 産業の 多く は 極く 少数の 人 

人に よって 運用す る ことができる であらう- 若し この 少數 

がそれ の 生産物の 價を 生産費で 定める とすれば、 他の 人々 

は 何もの をもう る ことかで きないで あらう。 何と なれ. ば わ 

れ 等の 勞 働に 對 して 分配され た 額 や 給料 や 配當は 僅少な 代 

價の 荷物 を 買 ふことの 力に おいての み 平等で あるに 過ぎな 

いから。 若し 消費 か 平等の 生產 でなければ ならない とすれ 

ば、 費用 以下で 寶る ことか 必要で ある。 他の 言葉 を もって 

い へば、 生產的 天才. かで きえられる だけの あらゆる 發 明の 

援助の もとに 生產を 進行せ しめよ、 しかし われ 等 をして 生 

產物 の 憤 を 公平な る .,< 一 配 に つ い て の 社會的 目的の ために 定 

めしめ よ, - 



何故に 生産者 はまた 分配者で ある だら うか?、 生産に お 

いての 熟練 は 必然的に 分配に おいての 熱 練 を 含む でゐ るの 

ではない。 さう して 生產 のために 完全に 組織され た シス テ 

ム は 分配の ために 完全に 組織され たる シ ス テム と 必然的に 

同じで はない。 レバ ァ ハル ム卿は 偉大な 組織的な 生産者、 

天與の 生産者で ある。 しかし 公平に 分配す る ことにつ いて 

の 彼れ の 才能 はバ ン ッ ー 族の 曾 長の それよりも 低い。 

n 

礦夫 はいふ r 俺 は 石炭 を もって ゐる。 俺 は それに 生産に 

非常な 努働を 費した。 俺 は 俺の 努力の 憤と つ それに 石炭 を 

掘^.£^フする誘引としての少量を加へて、 俺に 提供す る もの 

に は 誰に でも 讓 渡す る考 へで ゐる, • 若し, 俺の 勞 力の 分 だけ 

しか とれないなら 今夜 炭坑へ 下りて ゆく 氣に なれん じあな 

いか ナァぉ 爺! 俺 は 金で 拂 へと いふの. ち あない。 金 は、 

俺れ. か 欲しい もの、 さう だ 欲しい もの. か 凡て S 只へ るで なく 

ちゃ 俺れ に は 役に立たない。 俺れ に < あ を くれ、 しかし 金の 

憤 ig を くれ、 さう して 金に 何 かの 價 み-つけさせて やれ。 俺 

は 俺に 俺の 消費 勞カを 償 ふに 足りる < あと そのう へ の 附加的 

の ものと を くれる 人に は 誰れ にで も 石炭 を讓 るよ。 資際だ 

よ- しかしお 前 か 若し 金み-も つて ゐ なかったら それ よりい 

>. こと をして やる。 俺 は 小額の 內金 とさう してお 前が 俺の 



石炭で 造る 荷物 を 俺れ と 分ける とい ふ £ の證文 をと らう。 

若し 君が 望むなら もっとよ くして やらう。 俺 は、 若しお 前 

の證文 かそれ で 俺 か 金 を才覺 する ことかで きる よ、 フな もの 

であったら. 收入金を分配することの證^^を書からぅ。 そ 

れは何 か? お前 はや はりい, r 考を もって ゐる。 お前 は 正し 

い! 若しお 前 かお 前の 荷物 を 費用の 半分で 俺に 分けて くれ 

るなら 俺 も 消費 勞 力の 半分で 石炭 を 分けて やらう。 みない 

V-0 俺達 はお 互に 費用 を儻 ひまた お 互に 俺達の 貸 物 を 費用 

以下で 獲得す るので ある』 

生産者 銀行の 眞の 信用と 財産 所有者 銀行の 信用と を 比 絞 

せよ. - 生産者 銀行の 信用 は生產 によって 裏書され てゐ る。 

財産 所有者 銀行の 信用 は 財產權 によって 裏書され てゐ る。 

1 方 は 眞责の 信用で あり、 他方 は 法律上の 信用で ある。 

一し 

われ 等 は 新ら しい 種類の 信用 —— 勞働 信用 を實 現せし め 

る ことな 目的と する、 - 勞慟 信用 は、 货物を 生産し 且つ 配布 

すろ 力に 一? ¥ されて 速に 財產 のう へ にの み 立って ゐる 信用 

を 屈服 さ れる であら つ。 

匚 

生產者 銀行 は、 曠山 業で いふと 次の ょラな 結果 を もちき 



ふ たす であらう。 卽ち 石炭の 憤 を 終局の 消費者に 對 して 非常 

に 低く する。 坑夫 を その 産業に 投資した 凡ての 現存 資本に 

その 時の 配當 を支拂 ふ, 5 との 地位に 置く。 生産者. かやが て 

彼等の 勞働 信用のう へに 置かれた ろ 新 資本み-もち きたす 攛 

利 を 獲得す る ことによって 生產 者の 統制 を 保障す る. - 經濟 

卽ち勞 働 節約の 發 見の 後に 賃銀 を 引 上け (或は 物 1^ を 一 般 

に 引 F ゆ) る ことによって 生産の 能率 上に プ レ 、、、 ァ ム を つ 

ける、、 產 業を國 家の 援助 または 國 家の 統制の 必; なきに 至 

らしめ ろ。 數 ヶ月- s: に物攬 及び 條 件の 革命 を窟ら す。 資本 

主 翁から 國民 ギルド へ の 轉移を 容易に し、 急速に する" 生產 

• 者 銀行 は、 若し 公衆の 反對. か あろと すれば, ストライキ を 

しても 宜しい、 - しかし 反 對とは 何からで きる のか 公衆 は 

家庭 用の 石炭の 價を 急に 低下す る ことの 要求に 同情す るで 

あらう。 今日の 所有 主 は 彼等の 配當を 保障し 彼等の 所有 權 

を 尊重す る MJ を 維持す る 提議に 反 割す る こと はで きないつ 

坑夫 は、 彼等の 購賫 カを增 進し、 彼等の 條件を 改善し、 彼 

等 を その 産業 において 將來 社 長 にし 且つ 彼等 を國民 

の救濟 者と して 公衆の 好意 をう ける に 至らし め-なよ うに 考 

案され た 計 劃に 對 して 反 對 する こと はでき ない。 ? g らば 誰 

れ が反對 する のか? た 資本 を 供給す る 商人、 所有 主の 

信用の 取扱 者. さう して 社會 のために する 最後の 價格 決定 

者が 殘 される のみで ある。 しかし 彼等で さへ. も反對 すべき 

正當の 資格かない。 何と なれば われ 等 は 彼等の 今日の 獨占 

を沒收 し、 國有 にし 或は 如何なる 方法に おいても 侵害し 



ようと 提議す る もので はない から。 われ 等の 企て > -ゐる 凡 

ての、 J と は、 生產 への 勞働 能力のう へ に 立つ 新ら しい 信用 

New form of crc(h.t を 創造す る ことで ある。 さう して, て 

の 一は 用 を 生産に 使 川す-? ) とで あろつ 

n 

『何人 も 省 て 鳍 八 P- な社會 に 活し てこない oj 踺全 な社會 は 

货 物の 分配 か 貨物の 產と 公平に Hi- 並み を 揃へ る社會 であ 

る。 一 世紀毎に^^產能カは四倍に!^?加した。 しかし 現在の 

世紀に おいて 一 日の^ 働の 購 S 只 力 は 百年 前の それよりも 低 

い。 健全に して 進歩した 社會の 規範 は 諸君が 一 a または 一 

時間の 勞働 でうる ことので きる 货物 (凡ての 種類) の 量で 

ある。 われ 等の 今日の 社會 のように 一 日の 勞 働か 一 日の ADfs 

物 を も Cm し酬 ゐられ るよう な 進歩した 社會 は、 腐敗に 向つ 

て進步 して ゐ るので ある。 機械的の 資、 源と 近世 文明の 組織 

と は 数年間の 勞 働で 一 生涯 人生 を樂 し. ませる であらう! 

ベ— コン のい つたよう に T ベ ルを 鳴らせ. さう して 智 

Itw を 一 緒に 喚び 起せ J 。われ 等に 炭礦 夫 同盟の 指導者と、 坑 

口 所有者の 首領と、 及び 政府の 首惱 者と を與 へよ。 さう し 

て 吾等の 結合した 智慧 はより 以上の 騷ぎ なくして 永遠に 勞 

働對 資本家の 問題 を 解決す る 計 劃 を 完成す 6 事が できる。 

附記、 以上 は -ー ュ,. H - ゲの 十月 九日 (一九 一 九 年) 號. 3^ 譯 L 

たもので ある。 今後む 引 線いて 一一 ュ ー. H ,ヂの 論文 紹介す る 

考へ である。 (室 伏 生) 



『その 國 はぶく * その 土壤は 肥え * その は衞生 的で ある。 それに 商 梁の 材料 1-5- 備へ • 數多 のさう して 便利な 港 控え 內部的 交 

通の 便 は 各國に 勝る。 

『二十 三年 間 われ 等 は き 平和.^ 樂ん だ。 

『しかしこう した 國 民的繁 t-j- の 要素,^... - つてし 乂、 さう して、、 れ^.^ 利用 すべさ あらゆる 素質と 能力 > --^ もってし ズ、 われ 等に 公的 

及 私的の 困窮に 應 せられて ゐ るの. 5- 見た。 

『われ 等 は 租稅の 重みの もとに 身 かぐめ た。 それに. も か、 わら やわれ 等の 支配者の 耍求は 甚だしく 不足で ある C 商人 は 破 の疫に 

傑え つ V ある。 わが 勞働者 は 飢えつ > ある。 &本は 利潤,^! J たらす ことなく、 勞働は 報酬 もたらす: とがない。 工匠の 家庭 は 寂 

英 であ リ、 質 a- の^は 滿 ちて ゐる。 養育 院 は 群が リエ 場に. おしい- 

『われ 等 は 各方 面,^ 見て、 一 命に、、 うした 甚だしい また 永緣 した 苦る しみの 原因 か 見出そうと 拔し 求めた。 

『われ 等ば 自然のう ちに、 また 神のう ちに 何..^ の も 見出す: とばで きな い C 

『祌は 人民.^ 惠み 深く する。 しかし思鈍なるゎれ等の支配者は神の慈^^-.-^.^议來ぁらしめろに至らなぃ。 

『力強い 王國の 精力 は利已 的に して 無知なる 人々 の權カ 樹立す るた めに S されて きた。 さう、 して それの 资源は 彼等の^ 大 のために 

徒货 された。 J 

『《 汲の 幸福 は 民の 幸福の 樣牲に i で 進められた。 さう して 少數 者が 少数者の 利益の ために 支配した。 ぞの 間、 多数 者の 利益 は 閑 



6 



却され、 または 橫 柄に 且つ 專制 的に 路 みつけられた- 

『彼等の 苦痛の 大部分 —— 縱令 全部で ない に-しても、 に對 する 救劑が 一 八 三 二 年の 改革 條 令のう ちに 發見 される でもら うとに 人 

民の 輕々 しい 期待であった。 

『彼等 は、、 の條 令.^ 價値 ある 目的 へ の贊 明な 手段で あると 思 ふぶ うに 敎 へられた。 

『彼等 は 痛ましく 且つ 卑劣に 欺かれ^き た。 . 

rHLi 美しと 見えた 染 货は收 獲した 時には 塵と 灰と であった。 

『改革 倏令 は權カ ある^ 制徒黨 から 他の 遯制 徒黨 へと 移した。 さう して 人民 以前と 同じ 憐れな 狀 態-」 残した。 

『われ 等の 奴綠 制度 は 自由 へ の 丁稚奉公と 代っ^。 それが われ 等の 社 會的墮 落の 湛 ましい 思 ひ.^ 1 層 激しく した。 みが 遠ざかつ. 

とい ふ 苦しい 思 ひも 加 はって。 

『われ 等 は恭々 しく 貴院 にか、 る狀 態の 燈 綾すべからざる こと 1^〇〇 の 安全と 國內の 平和と 1^ 危機に 陷 らしむ る、、 となく して 永く 持 

欲する: とので きな い 、、と 告げ に きた。 

『われ 等 は 貴 院に吿 ぐ、 主人の 資本 は 最早 やその 正當の 報酬.^ 奪 はれて はならない- 物 高價 にし、 金 缺乏ぜ しめて 勞働. H 女價 

にす る 法律 は ^止せねば ならぬ。 課税は產業にではなしに財^^にか 、 ろょぅにしなくてはならぬ 」 多数の 幸福の み 唯 一 の 正 富な 目 

的で あるが ゆえに それが 政府の 唯一 の 研究でなくて はならない と。 

『 

『われ 等 は 一 般 的に 法律 支持し 且つ 法律に 服從 する こと. ^要求され て ゐるゅ ゑに、 自然と 理性と はわれ 等に 法律の 制定に おいて 一 

般 的の IT か だまって 搭 かれなくて はならない とい ふことの 攉利^ 與 へろ。 

『われ 等 は 自由 人の 義務 1^ 行 ふ。 われ 等 は 自由 人の 特權 v^-.^ たなく ズ はならぬ。 

<3 厶. 1厶<3 厶 ム厶<1厶ム<1 

『われ 等 は 普通 選舉 1.^ 耍求 する。 



『公衆の 安全と A ム 衆の 信用との ために 瑟々 選 舉.. ^行 ふ、、 とが 肝要で ある。 

a 厶厶 4厶<1ム*1 厶 A 厶厶 

『われ 等 は 年回 接會か 要求す る。 

『 ,•: …: ; 

『人民の 自治 は縱 令へ 彼等の 苦慘^ 除き さる ことができない にしても、 それ は少 くと も 彼等の 不平 1^ 餘く であらう- 



『# 通選舉 は、 よた それの み、 國 民に 眞赏 に. して 永緣的 平和 プ 4. 资ら すで あらう。 われ 等 はまた それが 繁榮 4*^ ら す、、 と,^ 確信す ろ。 

,『 それゆえに * 希く ば贵. おが: の 請願,^ 贵卞の 最も 重耍 な考 置のう ちに 置き、 さう して 立憲 的 手段 に よつ マ、 凡ての 法定 年齢の、 健 

全な 精神の、 有 宣告んで つけざる 男子に 國會 議員 の選舉 植,, ぉ與 へ ろ 法律,^. 通過 ゼ しめ、 凡ての 將來 の國會 具の 選舉, ^秘密 投 Ji,- 

によって 行 ひ、 國會の 任期 4* 一年,.?^ 超えざる ように 定め、 議 の 財産の 凡ての 賓格.^ 廢 止し * さう して 議負が 議會の 職務 Li 出席し 

て ゐる間 は 正赏の 報酬,.^ 與 へる、、, 。に 極力 盡粹 されん: と 一 か。 

以上 は 有名な r 國民 請願」 S, National petition. である 0『 國民 請願 J は 一 八 三 八 年 八月 六日 バ!、 ン ガムに 於け るチ 

ャ ー チ スト 示威 連動のう ちから 生れ 出で たもので ある。 それ は 英國勞 働 運動の 歴史の うちにお いて 『人民 特許 狀 j と 

ともに 最も 重要なる 文 富の 一 つでなくて はならない。 それ は 『人民の 特許 狀を 法律 J とする ために 議會へ 提出した 請 

願で ある。 この 請願. oT 人民 特許 狀』 との 成皇 のために 全 國的勞 働 者會議 として 組織され たもの が r 產業 階級 總會議 

General convention of tlie Industrious Classes である。 f 3 れも また、 パ— ミ ン ガ ム 示威運動から 生れ 出で たもので ある 

一 八 三 九 年 一 一月 四日に なって この 會議の 第一 回が いよ 口 ン ドンの コックス パァ街 『ブリ チッシ *コー フ ヰ— *ハ ゥ 

ス』 で 開かれた。 次の <fl 曰議 はフリ ー ト 街の ジョ ン ソ ン* タァパ ァ ン 博士の 會 堂で 開かれた 。集まった.? の は 五十 三人の 

代表 員で ある。 S この 會議の 結果、 『國民 請願』 は 五月 六日 (一 八 三 九 年) に 議會に 提出す る ことに 決した。 さう して 二 

月から 五月までの 間に 全國に 亙って こ 3 『國民 請願』 への 9^ 名 者 を 糾合す る U めの: ノ. デテ —シ ヨン. か 行 はれた。 この 

運動 は 時の 攻府の 神 經を惱 ましめ る こと 益々 甚だしくな つた。 攻府は 切りに 探偵 を 使用した 政府と チヤ ー チ スト 運 

動 一 I r 産業 階級 總會 議』 との 閱係は 益々 切迫して ゆく ばかりであった。 攻府 の壓迫 政策 は先づ フロスト S のうへ に 

加 へ られ た。 卽 ち國務 大臣と しての 口-人 ト气チ ヨン • ラッセル はフ ロス トを その 治安 判事の 職から 免ぜん とした- - さラ 

して フロストに 書簡 を 送って 彼れ が r 產業 階級 總き 議」 の 代表 員で あるか 否か、 ま. U. ネン ティブ I ル における 公會の 

席上に 出席した かど ラか、 さう して 以上の 點が 事實 であろ とすれば、 治安 判事の 職 を 免ん ぜら 、べき こと を 述べた〕 

フ 口 スト は 昂奮せ る 心 を もって ラッセ ル へ の 返書 を 認めた。 フ 口 ストの 返書 は その 時代の 精神 を 反影す る ものと して 

非常な 注意 を もって 迎えられた.^ 彼れ の 返書に は 次の ょラに 認められ てあつた. - 

『:::: 闋下は 如何なる 職權 によって 私の 公職と 無關 係な 行 爲に對 して 權カ, ^振 はう とする ので あるか? …私 は 公け の 問題に マ 



いて 私 自<^^ み 意見.^ もって はならない ので あるか? 私 は 口- ド.ゲ m ン * ー了ン セルに 不:^ な 意見の 發表 じられ なくてば ならな 

いので あるか • 卑しい 地位 もって ゐ ながら、 私 は 閣下 に も 閣下の 如何な ろ 命令に も 屈しないで あらう』 

フロスト の 返書. かチ ャ I チス ト 派の 喝釆を 博した、 J と は 勿 諭で ある。 ラッセル の 政策 は斷乎 たる こと はでき なか つ 

た、 しかし 所有 階級の 新聞紙に 激勵 されて 動搖 常な かりし 口— ド* チ ヨン? フッ セル の 態度 はいよ/、 チヤ ー チ ストに 

對 して 强壓を 加へ る こと. - なった。 政府と チヤ— チ ストとの 閒は 全く 敏對 の關 係と なった。 ステ フェンス は訴 へられ 

た T 產業 階級 總會 議』 は 不法の ものであると 宣告 せられた. - 五月に は ヴヰン セ ン ト もまた 政府の 手に よって 怖 えられ 

た。 しかし 政府の.^ 何なる 干渉 を もってしても 勞働 階級の 最初の 攻 治的大 運動と しての チヤ— チ スト 運動の 押え. かた 

き 勢 を 押えろ こと は出來 なかった。 

1 八 三 九 年 五月 六日に は T 國民 請願 J に 署名した 人の 數は百 一 一 十八 萬 三千 人に 達した ので ある . 

5; 『國民 請願』 はド グラスの 起草に か 、る。 下 ダラ ス (K.Kbouglg) は 『バ ー ミンが ム。 ゲャ, 'ナヤ』 の 主筆であった。 

g 五十 三人の 代表 農のう il 一人 は 判事、 六 人 は 新聞 主筆、 二人 は 僧正、 二人 は 馨師、 その他 は 商人 ゃ勞働 者であった。 

„3 フロスト (John F ーミ は 二 ュ. -ポ, トの 治安 判事で あり、 產業 階級 總會 議 への ゥ H , ヤスの 代表 負で あり, 一 八 三 九 年 三月 十一 

日の 會議に は會 長であった。 

(七) 

百 一 一十 八 萬 三千の 署名. か 最初に 持ち運ばれ たの はト ー マ ス* アトウッドの 邸宅へ であった。 しかし この 時、 アト ゥッ 

ドの愁 度に は 非常な 變 化か 見えて ゐ; r そのうへ に チヤ ー チ スト 派と 政府との 反目 は 益々 甚だしく なった。 そこで 「産 

業 階級 總會 議』 は その 會揚 をォ コ ン ノ ー ァの 動議に 從 つて バ ー ミ ン ガムに 移轉 すべき こと を诀 した。 彼等 はパ ー ミ ン 

ガムに おいて 異常なる 歡迎 をう はた。 五月 十三 日に 會議を 開いた ので ある。 さう して 次の 日に は 有名なる 『產業 階級 

總會議 宣言』 Manifesto of the General Convention of the Industrious Classes を 通過した。, J の宣ュ € は チヤ— チス ト 運動 

が勞 iS 階級の 運動で ある ことにつ いて 最も 重要なる 宣言で ある。 この 宣首 において チヤ.' チ. スト 運動 は 最早 や 一 切ブ 

ル. ジョァ との 闕 係から 雜れ たこと を 明らかにした。 卽ち勞 働 者の 特種なる 利益 か 第 一 義 的の 問題と して 揭 ひられた" 



r 英國 の玫府 は赛制 主義で あり、 また 英國 の數百 萬の 産業 階級 は奴隸 である』 と は 彼れ の 宣言した ところであった。 

彼れ はネ 4 ッグ紫 もも ト I リ I 黨を もと もに 敵で あると 宣言した。 さう して 英國の 『正義 J を もって 『階級 的 支配』 

Class do ョ ination に過ぎない もので あり、 『人民の 權 利と は 奴隸 の特權 なき 奴隸 制度』 Slavery without the slave-s pfi 

--iledge であると 罵し つた。 

『英國 の 男女 f*、 諸君 は 柔顺: の 屈辱に 服^す るか? 諸君 は 諸君の 毎日 十二時 間の 勞働 のうちから 九 時間の 收入 怠慢に して 接 

柄な 壓迫 者に 雜稅 並に 掠奪に よって 與へ るた めに 生れる から 死す ろまで 不斷不 休の 勞 苦に 服す るか? 

『產業 階級 總會議 宣言」 はかくの ごとくに 論じて ゐる。 f J の 宣言の 後に 所謂 Simaltaneous assemblies が 行 はれる こと 

となった。 政府と チヤ ー チ スト 一派との 反目 はいよ く 激しくな つた。 バ ー ミン ガム 市民の 熱烈なる チヤ —チ スト 的 

同情に 恐れ、 攻府は 地方 官憲の 要求に 應 じて ロンドンの 警官隊 を その 地へ と 送った。 この こと は チヤ ー チ ストの 集會 

を愤激 せしめた 。『人民の 議會」 (people*s Parliameii やか 線に 警官の 干涉 かれ 究れる ことので きたの はブ 口 ン テ ー ァと 

ォコン ノ ー ァの 時宜 を 得た る 警告の 結果であった。 

五月 十七 日 『產業 階級 總會 議』 はブ ン テ! ァの 決議案 を 通過した 後に 七月 一 日に その 會議を 延期す ると を 決した。 

同時 刻會合 Si ョ ultaneous meetings は 到ろ ところの 都市、 町、 村落に おいて 非常な 成功のう ちに 開かれた。 カァソ 

1 ル, ム ー ァ におけ ろ 示威 蓬 動 は 三十 萬 人の 行列であった とい はれて ゐる。 ウェス ト* ライ ディ ング では 一 一十 萬、 ダラ 

ス ゴ ゥ では 一 一十三 慕、 二 ユウ カツ スル • オン • タイン では 十 萬 人の 人々 が 集まった。 ォ コンノ ー ァゃ、 フロン テ ー ァゃ 

ハァネ ィゃフ 口 ス ト 等の 雄 窗の士 かそれ ぐ 得意の 快 辯 を 振った ので ある。 數 クの揚 所では 官憲と チヤ ー チ ストとの 

タイ ラント 

間に 激しい 爭 ひが 起された。 ゥェ スト ライ.、 テン 、っク の 示威運動に おいて ォ コ ン ノ — ァは 叫んで いふた 『若し 暴壓 者-力 

强カ によって 集會 を抑壓 しょう. と 企てるなら 人民 は攻擊 また 攻擎 によって 拒絕 しなくて はならぬ』 と。 

七月; 日バ I ミン ガムに 開かれた 『產業 階級 總會 議』 は 長時間の 討論の 後に その 會議を ロンドンに 移すべき ことな 

決議した。 その 月の 十日に 會議は ロンドンに 移された。 

(八) 



^ 人民と 官 との 間にお ける 最初の 重要な 衝突 は 一 八 三 九 年 七月 四日 バ ー ミ. シガ ふに 起された。 一 八 三 一 一 年の 改革 條 

令の. ァダテ ー シ ョ ン以來 人民 は 常に 鬪牛 場に 集合して 新聞紙の 朗? ぉを聽 きまた は 時 箏> ま i すろ ことの 習 慎 を 養って ゐ 

た。 同時 刻 會議は 中等 階級の 心 を 傷めた。 バ I ミ ン ガ ム 市長 は 人民の 公會 持に 鬪牛 場に 會 合する、 J と を 抑制し ようと 

企てた。 この 企て は勞働 階級 を 憤激せ しめなくて は 止まなかった。 しかし 戰は官 側から 仕向けられた。 市長と 判 

事の 指揮の もとに、 さう して 数隊の 騎兵に 支持され た 口 ン ド ン の 警官隊 は 闘牛場 へ と 押しよ せた。 そ、 ) に は、 パ 1- ミ ン 

ガムの 人民 か 丁度 新 間の 朗 讚を聽 取し つ > 'あった。 警官隊の 亂入 のために 人民の 集 會は混 亂に陷 り、 數 人の 負傷者 さ 

へ も 出した。 この 恐慌の 後に、 敗れた る 人民 は 再び 力 を 糾合して 螫官を 敗走す るの 餘儀 なきに 至らし めた" 敗走した 

接官 嫁 もまた その 力 を 倍加して、 界び 人民 を攻擊 した。 騎兵 隊は 縱潢に 活躍した、」 さう して 闘牛場への 通路に はみ な 

衞皮 兵が 配置され た。 闘 ひ は 九 時?^ ら十 時半まで 續 いた。 夜半, 四散した 群 民 は 再び 集合して チヤ. J チ ストの 歌を耿 

つた。 1 

r 仆せ、 〇〇o〇 を、 仆せ』 

チヤ ー チ ストの 耿を歌 ひながら 群衆 は ホロ I ゥヱ • へ ッドに 集って 攻擎 者に 復謦 をな すべき こと を 誓った。 群衆 は そ 

こから 更に ト. I ヤスの 敎會 へと 殺 倒し、 七十 本の 柵 を 破壊して 武器 を 造った。 

『恐怖と 復簪の 精神が 全市に 漲った』 

n ゥゼン ブラ ット はこの 時の 光景に ついて かく 3 ごとくに 述べて ゐる. - g 

朝の 六 時に ノテ I ラァ 博. H は 他の チヤ ー チ ス ト 派の 人々 とともに ゥ オア ゥック の 監獄に と 送られた。 人民の 憤激 

は 益.々 甚だし さ を 加へ た。 さう して 官憲 攻撃の 張 札. か 町の 辻々 に 張り出された。 その 張 札と ともに 印刷者が またく 

柿搏 された。 ログ エツ ト-と コ リンス S との 一 一人 も 怖 えられた。 

• 戒厳令が バ ー ミ, V カムの 町に 施 かれた。 人民の 憤激 は 極度に 達した。 腕力 論者 等の 激勵の もとに 巨大なる 群衆が 日 

B^p. ゥゥェ •> ツ. tf または 其 他の 場所に 集まった 。人民と 警官 または 軍隊と^ 衝突 を 繰 返さなくて は 止まな かつ. た。 

亂 雜な鬪 ひが 「運 間接いた 。さラ して その 爭ひは 七月 十五 日の 闘牛場の 暴動に おいて 極度に 達した。 衆 怨の府 となつ. 



11 



てるた 多數の 人々 の 家 は.^ にか. - つた。 怒れる 人, 民 は 商店に 閬 入して 货物を 闘牛場へ と 運ん た。 さう して 炎々 たる 火 

«5 と 化する に 至った。 簪官も 軍隊 も 怒れる 群衆の 前に はた 無力な 一 隊 であった。 しかし この 暴動 者 は 決して その 最初. 

の 目的 を 忘れ はしなかった。 ギヤ ム メ1^Kの記るしてゐるところにょればこれ等の人々は決して 一 品たり とも 貪慾の 

心 を もって 盜 みとるな うな ことはなかった。 貴重品 は、 た 足に 蹈 まれ, 或は 火に 投 せられる とい ふ有樣 であった ots 

この 爭 ひの 間に ト I マス • アトウッド は 『國民 請願」 を 議會に 紹介した。 紹介した の は 六月 十四日であった。 ァ トウ 

ッドは それ を 七月 十二 日に なって 議會. かこの 請願 を 委員 會に附 すべき、 一との 動議 を 提出した。 

アトウッドの 說明 演說は 決して チヤ I チス トの眞 實な 立場 を 明らかにした ものである とい ふこと はでき なかった" 

彼れ は勞働 階級の 立場から チヤ I チ スト 運動 を說 明す る,) と はでき なかった。 彼れ は 商人の 立場から. 製造業 者の 立 

場から、 農夫の立揚^-ら 『國 oiT 請願』 の採擇 すべき ものである こと を 主張した。 アトウッドの 演說の 不得要領 であつ 

た、 J と は、 チヤ ー チス ト 運動の 正面の 敵と しての 口— ド气チ ヨン • ラッセル の 反對演 說を說 伏 的な ものと なすに 至った。 

ラッセル はこの r 國民 請願』 の 署名 者. か 百 一 一十 萬 人に 過ぎない こと を 指摘して、 それが 『國 民』 の 請願で ある こと を 

絶した。 彼れ は 普通 選槊の 主義に 反對 した。 普通 選 舉は旣 に 米 國に行 はれて ゐる。 しかし 米 II においても 時に 繁榮 

が あり * 時に 不景氣 の ある こと は 免れない。 ラッセル はこう 述べて ゐる。 ラッセルの 演 說は單 なる 討論と して は遙に 

アトウッドの それに 優って ゐ たもので あろ。 しかし ダス レ リ ー. か 指摘した とほり、 ラッセル は 『バ ー ミ ンが 選出の 代 

議士に 答へ た。 しかし チヤ ー チ ストに 答へ はしなかった J デス レ リ; r は チヤ I チ スト 運動.. か 中等 階級に 對 する 敏意 

を 基礎と する の 事實に 着目した。 さう して この 立場から して 彼れ は チヤ— チ ストに 同情 を 寄せた ので ある。 -、 チス レリ 

1 の 後に 數 人の 討論が あってから 投票に 移った。 四十 八 票に 對 する 一 一 百 三十 七 票の 大多數 を もって アトウッドの 提案 

は 否決 せられた。 

^ K03Benblatt,.,rhe Char 一 ijjt \rven 一 eut, IM7G 

^ コ リン ス (Jolm Qollins) は バ ー ミンが A の 說敎師 であ リ、 また 『産業 港級璁 會議』 の議: al; でもった。 

^ Ga ョ sage, liislory of the Chariiat メ. IOV6sent. I*.K.^5 

^ ゲ ス レ "ー(1>8ー36】0はこの時の演^5-^ a capitals 一一 each であった といって ゐも。 



I (九) 

アトウッドの 提案の 敗亡 は, チヤ I チ人. -の議 會に對 する 失望と 化した。 彼等 は議會 によって は 何 ごと も 期待す る 

ことができな いと 感じて きた。 人民 は、 自由 は 自ら 取る まで はえられる もので ない こと を 一一 iq ん じてきた。 さう してき 

同盟 罷ェと Sacred month の 問題と が 再び 論ん せられる f ) と. - なった、 七月 十六 日に は 長い 討論の 茇- - 『人 OK ま 彼等の 

-勞働 を 保護す るた めに 議員に 對 する 選 舉の權 か 彼等に 保^される にあら ざれば 八月 十一 一 a: 以後 は勞 動し ない J とい ふ 

決議 か 通過した 位 ひであった。 この 決議 は その後に 提出され た ブロンテ I ァの诀 議案の ために 覆された C それが 八月 

六日に なって ブロンテ I ァの 動議に 基き、 さう してす コンノ ァの貲 成の もとに 『同時に 二. 三日間 勞働を 休止』 す 

る ことの 決議案が チヤ I チ ストの 總會議 を 通過した" しかし この チヤ— チ ス ト 運動の 危機に 當 つて 組織と 指導との 抉 

乏は 彼れ の 致命傷と ならざる をえなかった 。『國 民 休日 J は 全然 失敢に 終った T 人民の 議 き j i.\op5 は そ, 

の 在 在の 意義 を 失 ふに 至った、 九月 六日 ロン テ ー ァは 一 「人民の 議會』 の 解散 を 動議した。 これに は 激烈な 反 對がぁ 

つた。 十一 人對十 一 人の 對抗 となった さう して 遂に 解散す るの 丄む なきに 至った。 

この 解散と ともに チヤ I チ ス ト 連動に 對 する 政府の 壓 迫が いよく 露骨と なった。 D ヴェ ットは 彼れ の 堂々 たる 雄 

辯と 正々 の條理 とか 法廷 を壓 したに も か >- わらす 一 一十 ヶ月の 禁獄に 處 せられた。 ステ フェンス も 十八 ヶ月の 刑罰 を宣 

告 された J 四 人の チヤ ー チ スト は 死刑の 宣告 を さへ うけた。 ゥェ —ルス 炭坑 夫の 偶像と してのへ ンリ— • ヴヰン セン 

ト もまた 十一 一ヶ月の 禁獄の 宣告 をう けた。 政府の 壓迫 は勞働 階級の 復籍 心に 訴 へないで はるなかった。 就中 ゥェ ー ル 

スの チヤ I チ スト は 暴 "によって 彼等の 偶像へ ン リ ー • ヴヰン セ ン トを釋 放せし めなければ 止むまい と 決心した、 か 

くして 一 八 三 九 年 十 一 月 四日、 二 ュ ー ホ I 卜の 暴動 か 起された ので ある リ 二 ュ ー. ネ ー トの 暴動に 先って 十月 一 一十一 一日 

ダ ヨン • フロスト の有^^な公開狀-か發せられた。 

IT かくの. ことく:. i: の國 の勞簡 階級の 不滿な 起した 原因 如何。 ... 彼等の 勞渤に 法律の 手 sii によつ ズ 彼等から 奪 はれた 。それ は 怠 接 * 

して 放 1» ^な男 女に 與 へられて ゐる 生ませざる 人々 は 紫色 や 美しい リ ンネ 1 まと ひ、 勞働 者は窝 者の 卓子より 落ち 來る パン屑 



39 



,^*喰ってゐる0 务働 喈级は 正義-^ うろた めに 請 顔した J 彼等のf^!s願は輕蔑,^もって遇ぜられた。さぅして彼等の指導者は牢獄LL投 

. せられ 重 IS 犯人 f* リも 慘; S に 取扱 はれた。 彼等は減5^V^J^^ふた。 さう して 答へ は 地方お 1 宫 であった。 :: 暴攻は 止む、、 とがない。 

:: われ 等 は 急速に フラ ン ス第 一 草 命 前の 狀 態に 近づきつ 、ある』 S 

二 ュ I. ネ I ト 暴動の 計 劃 は 熱しつ、 あった。 第一 隊はフ ロストに よって 率 ゐられ る ことに 決した。 第一 一隊 は ゼファ 

二 ッ シ*ゥ ヰ リア ム ス. か 率る.、 第二 一 隊はゥ ヰ リア ム 气チ ヨン ス. S が 率る る こと 、なった リ , J の 三 隊は十 一 月 三日、 日曜 

の 夜半、 二 ュ I. ネ. I 卜から 數哩の 地 點に會 する こと、 なって るた。 そ, 】 から 二 ュ:. ネ I ト を壟擎 する 手 害で あつたの 

である。 さう して 橋 を 破壊し、 郵便 Hil 車と 交通と を, M め W を 占領す る 計 割であった。 また 郵便 馬車の 遲延を もって バ 

ァ i ン ガム 及び 全 北部 へ の合圖 としょ、 フ としたので あった。 . 

態5^.に先って、 日曜日に、 二 ュ ー ボ ー ト地方 3 凡ての 村 は 動員の 狀態 にあった。 大雨に も か. "わらす、 あらゆる 年 

輩の 人々、 親父 も 息子 も、 指. 定の 場所に 集まり、 各種の 武器 を 装うた、 總 指揮官と しての フロスト は ブラック ウッド 

にあって 全隊に 號 令した 。チヤ! チス ト 軍の 先頭 部隊 かフロ ストの 指^の もとに ゥェ ス トゲ |ト*ネ テルに 達した の は 

朝の 九 時であった。 民衆 軍 は 堅い 決心 を もって ゐた. - 

『親愛なる 父よ..: 私 は 今夜 自由の ための 戰 ひに. 服す るで あらう。 神が 私の 生べ sl^ 助けて くれるなら 私ば 直ぐに 父上 L1 お 目 Li か、 る 

であらう C しか. しもし さう でな い にし 乂も 私の ために 悲しみ 給 ふな。 私 は 貴き 目的の ために 仆れ るで あらう/ •:』 ゲ ョ. • デ- シ H か 

これ は チヤ I. チ スト?^ に 加 はった 十九^の 少年が その 父に 書き送った 手紙であった。 しかし 訓練され ざる 民衆 軍 は 

政 まの 緻 ではなかった。 戦 は チヤ I チ ストの 失敗に 終った。 フ ロス 卜 は そ 力 夜 怖 へられ、 、、チョン スは 一 週間の 後に 

さ. つして ゥヰ リア ムス は 十日の 後、 1^ えられた。 凡ての 指導者 はみ な國 事犯と して 訴 へられた。 さ 5 して 厳しい 刑罰 

をう け;. フ ロス トもゥ ヰ リア ム スも. チヨ ン スも みな 死刑の 宣告 を、 ン け.; r 

•::、each of you be there hanged by tjie seek until you be dead; and that afterwards the head of each of voii shall 

t> ひ severed from liis tsdy, and tlie Isdy of ひ ach divided illtc four quarters 

二れ が 宣告 文の 1 節であった リ 二月 二日. 日曜の 夜、 フロストと ゥヰ リア ムスと.、 チョン スとは チェ ブス トウから 汽 

船に 乘 せられた。 さう して この 三人の ゥェ 「 ルス 人 は 一 一 百 十 人の a 人と ともに 『ヴ アン 气テ ィメン の 地 J へと 運命 づけ 



られ た。 一 八 四 〇 年 四 十二 日 * 日曜 R1 に、 彼等の 墓 は 花と 月桂 榭を もって 蔽 はれた。 墓 は 次^よ 5 な 文字 を もって 

彩られた。 

May the rosrt of England nrtver flow, 

.The Qlyde of Scotland cease to flow, 

TThrt yarl> of Irland nrtv ひ r play. 

Until the chartists gain the day. 

. 、rhe English 〇harli8t circular, No. 27 

• (十) 

ラロ スト ゃヴ ヰン セン ト 等-たけではなかった。 ォ n ンノ —ァも ブロンテ! ァも、 チヤ ー チス ト 運動の 指導者 は 相 率 

ゐて 所有 階級の 政府の ために 重い 刑罰に 伏した。 刑罰 をう けた もの は、 一 八 三 九 年 一 月 一 日から 一 八 四 〇 年 六月 一 日、 

に 至る までの 間に イングランドで 四百 八十 人、 ゥェ ー ル スで 六十 三人、 併せて 五 百 四十 三人の 多き に 達した、」 集會も 

少く なった. - チヤ ー チ スト 派の 新聞紙 も だんぐ に 減じた,^ さしもの 大 運動 も? く崩壞 した かの ように 見えた。 しか 

しト I マス *カ ァ ライル は その 『チヤ— チズ ム J のうちで 次のように 述べ た。 

一. 打ち 鎮められた.^ のは^ 實 ではなく して チヤ ー チズ ムの 幻であった j と。 S 

山 T. Ca lyle, c.-artiss, ISO, P.2 ( つ >- く) 

謹 賀 東京 堂 北隆館 至誠 堂 

, 新 年 上田 屋 東海 堂 盛 春 堂 



國際的 無道 德 主義 

我等の 堪え 切れ無い ことが 一 つ あろ." それ は 國際的 無道 德 主義 又は 固 際 的道德 無視 主義で ある. - 個性の 間で は道德 

も 頗る 進步 した" 勿論 今日の 個性 道德を 建設す る爲 めに は 多くの 襟牲と 努力 か 入った ことで 有った が、 それでも 幸に 

して どうにか かう にか 曲り なりに も、 孔子 や, 釋迦 や、 キリストの 道德か 尊重され て 居る から、 全く 喑黑 でも 無い 

ので ある。 

然し 國 民が 一 種の 社會 心理 を 持って 興奮す ると、 道德も 理性 も 何にも かも 凡てが 破棄され て、 た V 興奮 狀 態から 起 

る 錯覺的 判斷と 感情と 意志 か 働く ので ある。 國 民の 隨 落す るの は 多く こ € 感情から である。 

それで T 群衆と 道德』 を 書いた 丁抹の クリテ ン セ ンは、 群衆の 道德は 今や 進化の 途中に あるので あって 個人 道德 から 

比 れば、 餘程 遲れて 居る と 云 ふて 居る か、 それ は兮 度の 大戰で 最もよ く證 明され た。 大戰 開始の 最後の 1 瞬間 ま 

で 民衆 は 萬 國社會 主義者. たけ はせ めて 世界的に 有って くれる であらう と 思 ふた か、 あの 通り 目茶苦茶 になって しまつ 

た。 敎會は 勿論の こと、 今 B の キリスト 敎 の敎會 など 云 ふ もの は 國際道 德には 全く 失敗 者で ある。 私 は あれで 『神の 

國』 を 繰 返す のがお かしくて 仕方が無い, 今日の 敎會が 世界 主穀 になれ ない 大の 理由 は、 それが 資本主義の 上に 礎 か 

れて 居る からで る、、 深く 硏究 すれば 研究す ろ 程 敎會の 今日 取って 居る 万 向 は眞違 つて 居る ので ある それ も 今日の 

敎會は 個性 道德を 中心に して 說 くもので 有って、 國 際道德 を 決して 說か, いからで ある 所が 社會 主義 は 唯 物的の 立 

から 出發 した もの GT 生の 本 により 近い 道德を 高調す る爲 めで あるか、 人間 卽 世界人 を說 くもの だから、 今日の 



敎會 より 遙 かに 進歩した 國際道 德的實 行が 出来る ので ある。 處 かその 社會 主義の 國際道 德と云 ふ もの も、 大戦 爭に出 

會 すと^ 民の 與;, C 狀態 によって 全く 消滅して しま ふので ある。 私 は それが 齒 痒くて 仕方が無 いが、 どうも 仕方. か 無い。 

た > 我等 は 努力して その 道 德 々理解す る 校になる まで 努める より 外に 道 は 無い." 

喜劇と して 見た る軍國 主義- 

サ ァヴン テスが 『ド ン *キ —テ』 を 害いた の は 封建時代の 最後の 慕に 當っ てお たが、 それ は 田舍の 百姓の 息子まで 

が 騎士 3* 似 をして、 武者修行に 出かける 心理 を 書いた ので 有った。 そして. 文藝 批評家 は 『ド ン* キホ ー テ』 の爲 めに 

封建的 騎士の 夢 か 早く 醒めた と 云 ふて 居る が、 今日の 軍國 主義 は、 第一 一の 國際的 封建で あるから 之を眞 正面から 擲り 

つける と 軍閥 かその 營業的 立場から 反對 する から、 我等 はどうしても 之 を 喜劇 扱に する より 外に 道 か 無い。 喜劇の 殺 

人力 は 悲劇の それよりか 遙 かに 大 である。 羅 馬の 最も 有力な 偶像 破壤者 は 喜劇 作家 ルシアンで 有った" 彼の 筆の 前に 

^馬の 諸の 偶像 か 倒れた。 希 腿の 第 一 の 偶像 破壤者 はソク ラ テ ス で 有った が、 彼 を 助けた もの は 喜劇 作者 ァ リスト *フ 

ァ ネスで 有った。 私 は それで, 思 ふ、 今 B の軍國 主義と 云 ふ もの も 喜劇 的に 取扱 はれて 來 なければ、 國際 道德の 誕生 

はま-た 實に 遠い ものであると。 - 

今. 日の 軍國 主義 は 全く 喜劇で ある. 人 は Eg も 平和 を 愛する 動物と して 作られ 乍ら、 平生 用事 もな にも 無い • 〇〇 

〇〇〇 を 引づり 廻ら さ 無くて はならない と 云 ふの は 想像 も出來 ない 喜劇で ある。 我等 は 大名行列 を 見て 笑 ふが, 今日 

の 列國の 〇〇 -11 米國も 濠洲 も 英國も 戰爭, かすんで 猶攛 張し つ. - ある その 〇〇 は 全く 神 經中樞 に 故障の 起った 發 狂者 

で 無ければ し 無い ことで ある。 國家 的た と 云 ふから、 皆默 つて 兒て 居る ものの、 讓內に は 無数の 貧民 か 食 ふ もの も 食 は 

すに 困って 居る に、 國外 では 人間 同志が 〇〇〇〇 をし なくて はならぬ と 云 ふこと は 私に は 全く 合點の 行かぬ ことで あ 

る。 一 人 一 人で あれば 愛が あるに、 一人一人の 菜 合に は 愛が 消 威す ると 云 ふの はどう 云 ふこと であらう か? 私 は そ 

こに 笑 を 禁ぜざる を 得ない ので ある。 , 

軍國 主義と しての 經濟 組織 



,てれで 私 は 今日の 軍國 主義の 根本的 誤鏐は その 根底に 橫 はる 群衆^ 意識の 誤謬 だと 考 へる" そして, 群衆の 意 

識の 誤謬 は, 群る こと を 可能なら しめる 各種の 政治的 設備に あると 思 ふ。 殊に 今日の 國家 組織 は經濟 組織の 上に 立つ 

て 居る 力ら、 今 曰の 軍國 主義 は經濟 的軍國 主義で ある〕 そして 經濟 的軍國 主義と 云 ふこと は 人間の 墮 落した 最後の 階 

梯 である。 41- と 市場の 爲 めに 11 それ も 資本家の おつき 合 ひ をして 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 無くて はならぬ と 云 ふの は 

*i に 馬鹿 氣た 話で ある。 然し 私に 首 論の 自由が 無い。 私が 人間の 根本的 誤謬に 指す 時に、 金と Q の權 力が 私 を 謎 迫す 

るので あろ。 

A 理 衝動と しての 戰爭 

人間の 戦爭 はた > , 經濟 的國家 組織から 起った もので は 無く、 全く 心理的 盲目 衝動から 起る の だと 云 ふ ものが ある。 

衝動 說で 解か 無ければ 少しも 說け 無い と 云 ふ。 紀元前 一 四 九 六 年から、 紀元後 一 八 六 一 年 迄、 合計 三千 三百 五十 七 年 

間に、 西洋 だけで 三千 百 三十 年 問と 云 ふ 永い 間戰爭 がつ •、 けて 有った。 そして 平和 は 十三 年 目に 一 度し か 無かった。 最 

近 三世 間に、 歐洲のみでもニ^^八十六の大戦が有った。 また 紀元前 千 五 百年より 紀元後 一 八 六 〇 年 迄に、 平和 條約 

は 八 千度 取 結ばれた。 然し 之 等 は 凡て 無用で 有った。 然し 之 等 を 凡て 虛妄な こと、 たと は 知って 居ても、 人間 は 猶戦爭 

をす る" それで 人 問 は 心理的に 戰鬪か 好きな の. たと 解す る 人が ある。 そして、 戰爭 のみが、 文明 を 產む樣 な こと を 云 

ふ ものが ある。 トライ チケ や、 ベル ンハ ルダ がさ を說 くのに 何の 不思議 も 無い が、 文化 批評家の 第一人者 である ジョ 

ン • ラス キ ン. か 之 を; s;^ くの だから 吃驚して しま ふので ある o(A:cl.o\vn of wi 三 olivc-4 照) 

それに 就て、 前 獨逸皇 ;!^ 陛下の 侍醫で 有って 有名な 心 朦學者 二 コ ライ 敎授 Prof G.K.Nicolai か 非軍國 主義の 爲 めに 

戦時中 投獄せられ、 獄中で 害いた 彼の 名著 r 戰爭の 生物 舉』 :Tlle Biology of the war: の 中に 云 ふて 居る。 『動物が 

衰 威に 近づく 時に その 動物 は必 す破墙 的に なり、 戦爭を 好む ものである』 とつ まり 戰爭を 讃美す る 本能 も 全く この 衰 

威 期に 於け る 一 種の 錯覺 と考 へろ ことか. 出^る ので ある。 それで あるから 私 は 戰爭を 本能 的 木質 ある ものと して 讃美 

する 人人に も贊成 出.^ ない ので ある。 . 



.00 いやた とひ、 それが 心理的 衝動で あると しで も、 私 等 は それが 誤れる 衝動で ある こと を 知った 以上、 修正す るの が 

當然 であらう と考 へる ものである。 

陶汰 としての 戰爭 

殊に 陶汰 として 戦爭を 叫び、 生. 1^ 競 爭を以 つて、 理想的の 人類 陶汰の 方法で あると 考 へる ヘッケル 一 流の 學 者に 私 

は反對 する ので ある。 米國に 於て 有名な 魚類 學者ジ ヨルダン 博士が 4. 数年 叫んで 居る 點 はこの 點 である。 同氏の W 

ar and Waste" 『戰爭 と 浪费』 は 全く この 點を カ說 して 居る ものである. か、 希 腿 か 亡び、 羅 馬が 亡び * バ ビロン、 アツ 

シ" ァの 亡びた の は 全く 好戦 國 民が 當然 受け 無ければ ならぬ 返 縮 現象で あると 云 ふの. かジ ョルダ ン 博士の 生物 舉的 決 

論で ある。 私 は 今更 クロ. ネト キンの 相互扶助 論 を 引 張り出して、 生存 競爭の 否定な どした く は 無い. - それ は あまめ に 

明白な 問題で ある。 たと ひ、 他の 動物の 凡てに 生存 競 爭.. か事實 であった にしても、 人間の 道德が 之 を 許さ 無いならば 

それ は 矢張り 惡 いので ある。 私 等 は 生^ 競爭 說の爲 めに —— それ も假說 の假定 .—— 人間 を 犠牲に したく は 無い。 私 は 

人間の. 爲 めに 生存 銃 爭說を 破棄す る。 殊に 今日の 經 濟戦爭 が少數 なる 資本家に • 國家か 奉公して 居る の だと 思へば 猶 

更 のこと である。 それで 私 は、 資本主義の 道具に 使 はれる 軍國 主義 を 御汰說 として 全々 信用した く 無い。 

軍備 撤廢の 運命 

ブロッホ Blcch は 機械 力の 發 達の 結果- 未来の 戰爭は 不可能た と豫 言した.: ノルマン • ェン セル は 經濟的 重荷の 爲 

めに 戰爭は 不可能た とした。 然し 戰爭 したい 墮 落した 人間 は 人道 を 口にして 殺し 合 ひ をした C それで 私 は 機械の 發達 

と、 經濟 iSili の 上から 戰爭 不可能 論 を唱 へる こと はもう せぬ. - 然し その外に 人間の 社會 組織の 進化の 上から 戰 爭减少 

論を說 くもの が ある。 之 は 信じても 善い と 思 ふ, - 昔 は 種族 S 中で 叉 封建時代の 殿樣の 中で 互に 戰 ふて 居た ものが、 

今日で は國 家の 戰爭 となり 同盟 國對 同盟 國の 戰爭 となり 今度の 國際 聯盟に よって、 岡 際 聯盟 # 1 國の戰 爭と云 ふこと 

になった。 この 戰爭の 進化 は する こと.. か出來 ない。 之 は 一面に 於て は 進化に よって、 小さき 戰爭が やまる と共に 



少しの 大きな 戦爭か 之から 起る と 云 ふこと になる ので ある。 然し 私 は 遂に 戰爭. か 無くなる 時代が 來 ると 云 ふこと を 信 

じて 居る C. 

軍備 撤廢 の實 行方 法 

. 私 は 軍備の 撤廢は 矢張り 經 濟 上に 基礎 を 持つ 知識 的道德 的で なければ ならぬ と 思 ふて 居る。 それで 軍備 撤麼の 根本 

問題 は、 世界に 於け る經濟 道德の 向上に 待つ 外 は 無い。 卽ち 物品より 人間 か 大事で あると 云 ふ 思想 か 徹底し 無ければ 

戰爭 が媳る もので は 無い。 卽ち 戦爭を 中止す る 權利を 持って 居る もの は、 全く 人格者で ある 生産者 そのもの である。 

ベ ルト ランド • ラセ ツル は "justtce atthe War time: の 中に 軍備 を 全部 撤廢 しても、 今日の 文明の 程度に 於て は、 

どんな ことが 有っても,、 英 國ゃ獨 逸の 樣な 一 等國か 滅亡す る こと は 無い と 詳しく 說 いて 居る。 それ はたと ひ獨 逸か英 

國の 軍備 撤 廢に乘 じて 侵 人した 處で、 その 目的 は 今日に 於て は 全く 經濟的 利 盆に あるの だが- その 經濟的 利益 は 人 を 

奴銶 にして 得られる もので は 無く、 英國人 を 怖へ て 凡て を 軍隊式に 勞働 軍隊の *1 轄の 下にお いた 所で、 全く 能率 は 上 

ら無 いし、 ストライキ とサ ボタ 1- ヂュが 打^いて、 決して 全部の 支配 は出來 ない のみなら す、 今日の 勞働 者. か產業 

自治 を 要求して 居る と 同じ様に、 この 生產 者から 與 へられる 嫌忌 は產業 自治の 外に 全く 救濟の 望みが 無い。 それで、 

之れ から 先の 軍國的 征服 は 全く 不可能で あると 云 ふこと を 論じて 居る、」 

私 も、 】 れ 以上 多く 云 ふ 必要 は あるまい と 思 ふ C 軍 固 主義 は 日本人の 頭に は あまりに 深く 這 入り 過ぎて 居る- それ は 

^俗に、 習惯 に、 敎 育に. 宗敎に 這 入って m- る。 それで この 風習から 救 はれる 爲 めに は 餘 程の 犧 牲を拂 はねば なら 

ぬ。 我等 はこの 迷妄 を 解く 爲 めに、 今日 力ら 根本的に この 方面の 研究 をつ まね はならぬ と 思 ふ。 

矗勞 傲 糾合 指針 (屮 目- W 義^) これ はコ I かの 勞働 組合 溉諭の 睿、 勞働 問題の 研究者が 必讀 すべき もの、 批評 社から も 

出す 喾 であった もの、 翁に 批。 ゆ 社に 註文され た 方 は 勿論 その他の 方 も、、 の 書に 就て 項きたい。 

タ 



20 



I-W*wa 主義の 研究 J 



(序論の 一 ) 

I«w. w. の 思想 及び 運動 はま だ 日. 木に 多く 紹介され る 一 

に 至って ゐ ない。 私の 承知して ゐる範 園で は 京都 大舉の 米 

田 庄太郞 君が 經濟 論叢 (第 八卷 第四號 —— ) で發 表した もの 

と早稻 田大舉 の北澤 新次郞 君が 『勞働 者 問題』 の附錄 として 

發 表した ものとの 二つで ある。 そのうち 米 田 君の 研究 は 北 

澤 君のに 比べて 多少 精細で あるが 私 は 米 田 君の 研究に 對し 

て も あまり 信用 を拂 ふことの できない こと を 遺憾と する: 

1 例を舉 ゆて い へ ば、 米 S 君 は 口 シァの 過激派 思想が 直接 

に は I* に 淵 .源 を發 して ゐる とい ふこと を 信ん じて 

ゐる らしい 。無論 米 田 君 は 信す ると はいって ゐな いが、 その 

說を Kn 定 しないと なして 消極的に 信じて ゐる こと は 明白で 

ある。 S さう して その 理由と して 米 田 君 は r 今日 露國 過激 

派 攻府の 牛耳 を. 執り つ. T ある トロッキ ~ を 初め 其 一 派の 人 



室 伏. • 高 智 

人の 中には 露國 革命の 成功した 時.. f6 で 米 國に遁 けて 居つ. た 

人人 は 少なくな く而 して 其 頃に は米國 にお::, て I*w*w* 

は 盛んに 活動して 居った >.0 から 考 へて 或は ありうべき, 一と 

とも 甲) ふ』 と 述べ てゐ る。 S 卽ちト 口 ツキ— 等が 米國 に^ 

在して 居った ことから Ti w*w* が 口 シァに 輸入され て齒 

激 主義と なった とい ふこと. か 『ありうべ きこと J だとな し 

てゐ るので ある。 , 】 の 點は米 田 君の 論文の 卷 頭に 述べ てゐ 

ると, J ろで ある。 私 は、 】 の 序言み- 讀んで 最初に 失望せ ざる 

をえなかった.^ 私の 知って ゐる範 園で は 口 シァ ルシェ ヴ 

ヰキの 思想 は 夙に 社會 民主 黨 のうちに 存在し 旣に I 九 〇 三 

年の 瑞 西の 會議 において 明 嘹 となって ゐる。 £ また 一 九 〇 

五 年に は 旣にボ ルシヱ ヴヰキ 革命. か 行れて ゐ るので あろ。 

これに 對し I*w^w, は 一 九 〇 三— 四 年 コ 口 ラ ドのス トラ 

ィキの 5 ちから 生れた とされて おり, それの 組織が 協議に 

上った の は 一 九 五 年の ことで ある, - それゆえに ボルシェ 



21 



グヰキ は 寧ろ Tiw*w* に 先って ゐ るので あって この 點に 

おいて I*w*w* の 思想から ボ ルシェ ヴヰキ の 生れる 理由 

が ありえない 01 一、 次に ト 口 ツキ— が 米國に 滞在した とい ふ 

の は 一九二 ハ II 七 年であって S ォ I スト リア を 追 はれ、 

フラン スを追 はれ スぺ イン を 追 はれた 後の ことで ある。 た 

から トロッキ I. か 米國に 滞在した ことが ボ ルシェ ヴヰキ 思 

想の、 源泉と 何の 闕係も ある. べき 害かない。 三、 トロッキ ー 

は 最初からの ボル シグヰ ストで はない。 一 九 三年の 著書 

はこ. G 事實を 明らかにして ゐろ。 S 彼れ は 寧ろ ボ ル シ ェ グ 

ヰ キとメ ン シ ヱ ゥヰキ の 調停者で あつたので ある。 それ ゆ 

え に ト ロッキ I を 云々 じて ボ ル シ ェ、 ヴヰキ の、 源泉 を說 明し 

ようとす る ことが 第一に 誤謬で ある。 四, それの みならす 

ボ ル シ H グ. * 'キ 主義と iww* の 主義と は 非常な 相違 か 

あり、 その 間に は 共通 點 よりも 差別 點が 著しい 。從 つて,. • 

W 象 かボ ルシェ ヴヰキ の,^ 源と なり 5 る 理由がない ので 

ある〕 こラ いふ わけで あるから 米 田 君の 折角の 研究 も inJ は 

大分に 見當が 外れて ゐる。 北澤 君の 論文 はまた あまりに 節 

單な ものであるから それ を 通じて .iw*w* の 思想と 運動 

と を 知る、 ) と は 六 かしい。 そ, 3 で 私 は 今後 十數 回に 互って 

Tiw-W* の 研究 を發 表したい と 思って ゐる 次第で ある。 

S 綾 済^ 叢 第 八 卷第四 JW 第 丁丄 一 頁參 g:: 



ゆ 同上 第一 頁 

g 拙著 『社會 主義 批判』 二 七八更 参 gi 

L?clll TnMzky, cur liL>vol=licll, 1*,2U 

5 TrotNky, The .Sec.md CCIWentloll cf 一 he liiitwiaii Hocial-lJ 

eiiiacratic Lab< ur Tarty. 

(序言の 二) 

Ti w* か 生れてから 十數 年になる が" それが 著る し 

ぃ發 達を遂 けたの は 近年の ことで ある、 ^ さう して 最近 數年 

に 於け る I*ww* の 發達は 實に顯 著で ある" 北澤 君の 計 

^に 從へぱ 7iw*w* の 會員は 七 萬で ある. - S 北澤君 はこ 

の 計算の 根據を 示して ゐ ないし また 何年に 七 萬 人であった 

か を 明らかにして ゐ ない。 の會員 は, 〕 れを 計算 

する 人に よって 一 樣 でない。 そ f J で、 ) > にはバ ァネッ . ^敎 

投 及ひセ ン ト气 チヨ ンの 計算 を舉 ける ことと する。 

ダョ ンの 計算 バァ ネットの 計算 

二三, ニー 九 



九 G 六 年 

九 〇 七 年 

九 〇 八 年 

九 〇 九 年 



五、 九 三 一 

五、 三 九 七 

三、 七 一 九 

四、 六 一 七 



四、 三 〇〇 

o、 四 〇〇 

六、 七 〇〇 

三、 1 一 〇〇 

〇、 七 〇〇 

九、 一〇〇 



22 



1 九 一一 年 四、 三 i 二 〇 一 三、 八 o〇 

一九二 一年 一 八、 三 八 七 一 八、 三 〇〇 

I 九 一 三年 一 四、 八 五 一 一四、 三 〇〇 

1 九 一 四 年 11 、三 六 五 1 1 1、〇〇〇 

1 九 一 五 年 一 五、 〇〇〇 :… 

以上の 數字 によって 明らかで ある ごとく I*w*w^ の <<|31 

員數 は, J れを計 紫す るに 頗る 困難で ある。 その 困難で あり、 

, J れを 計算す る 人に よって 非常な 相違の ある こと は フ ラ ン 

ス 努働總 同盟の 場合と 同 一 である。 しかし 何れにしても 一 

九 一 五 年まで は の 勢力の 微弱であった こと は 明 

らか である。 それが 急激なる 發 達の 機運に 向った の は 一 九 

1 六 年からで ある。 この 年に は ヘイウッドの 計算に 從 へば 

IS0 の會員 は 六 萬に 激% し、 更に 翌 一 九 一 七 年に は 

ウル マシの 計算に 從 へば 二十 萬 人に なって ゐる。 さう して 



これ 等の 會員は 織物業、 鋼 鐵業. 礦業、 製材業、 農業 等の 

產 業に 分配され てゐ る。 I*w* の 勢力の *> 大 とともに 

政府の、 ) れに對 する 取締 もまた 厳重と なり、 一 九 一 八 年に 

は、 I*w* の 首領 等 は 多く 刑罰 を 加 へられた。 しかし 

政府の 壓迫は 決して I*w*w* の 勃興す る 勢 を 如何と もす 

る こと はでき ない。 一九 一九 年末に おける 炭礦、 鋼鐵 等の 

大 同盟罷業 は 主として I*ww* の 指導と 宣傳の ものに 行 

はれた ものと されて るる。 共和 黨 上院議員-オイ ン, テク スタ 

1. か 十月 十五 日米 國 上院に おいて I*w*w* について 述べ 

たと f 3 ろ は, j の點を 明白に して ゐ るので ある。 

r, レ パイン は I ふ .w- の侖 8; が 一 九 一 三年 八月に 七 萬 人で あ 

ると なして ゐ るが プリ- ンセ ン テ ン敎授 は、、 れ,^ 誇張 Li 失し ズゐ 

ると なし ズゐ る。 



♦ 批評ぶ リ 



▲ 本社の 『社會 主義 批判』 も 發行後 廿日に. て 四千 部 寶リ盡 



し 印刷に 間に合ば W 盛況です。 從っズ 講 者 諸君に- if 廼リ兼 一 は赏 現す ると 思 ひます へ 



ねて ゐる點 は 幾 i にもお^ びし ます 



『批評』 は更に新らしぃ計割>^進めてゐます。 一月 中頃に 



クェ ッブ より コ 1 ル へ 



ヨ 

一 八 八 〇 年代 は 英國に 於け る社會 主義 復興の 時代で ある 

リカ アディ アン 暴ソ1 シャ リスト yo« ロバ アト • オウエン を 生 

ん, だ 英國も 一 八 四 八 年 チヤ ー チ スト 運動の 崩壊と 共に 社會 

主義 運動 は 其 終末 を告 けたので ある。 5: 時代の 勢力と 思想 

と は 個人主義 全盛の 時代であった。 然しす ベての ものの 崩 

壌が 其 全盛時代に 其 萌芽 を 生す る. S く 、新の ジ ヨン • スチュ 

ァ ー ト • ミル が 其 遠 著 『自叙 俥 J に 於て 社會 主義 への 改宗 

を 語って 居る の は 正に 此の 崩 芽でなくて はならぬ J S 

£ "力 アディ アン *ソ》- シャ リスト Kicarflian Socialists 

第 十九 世紀の 初めに 英 s!i 起った 社會 主義者であって デビ ク 

ト 力 4 ドの超 済 學. 礎と して 其社會 主義 學說, ^樹立し 

^ 一 である。 

EaUier I.owentllau-Th? Kicirdlan 8()01巴1*-|3の中-レはゥヰサ 

ァ A, ト Ay ン、 ジョン -グ レ.. 、トマス *ホ デス キン、 ジョン 



甲 野 哲 二 

フランシス *プ レ. 'の 四 名 揭げて 居る。 ゥヰ "アム * トム ソ 

ンはカ アヤ • マ かクス の先驟 者と して 有名で 其 著 「富の分配」 

( 一 八 二 四 年) は マ か タスに 依つ ズ大 成された 社 翕 主義 經濟學 

お 說 いた ものと して 有名で ある。 

§ せ, •• H ス:、、^-か社會主義者 (勿 誰 マ ルクス 以前の 意義 Li 

於け ろ) でめった 事 は 嘗て 河 上 博士が 「杜會 主義者と しての 

せ. •• H ス:、 か」 と 題して 京都の 「經濟 論叢」 本年 四月 號に書 • 

いて 居られる。 J-llill8 .wfst:-Johns*--lart will (Fab an Trac 

tNO.168) の 事,^ 記して:; WK?- 




そ は 個人主義から 集產 主義への 推移で ある。 すべての 社 

會 現象に 對 して 個人 を 基礎と する 自由放任の 思想から 社會 

を 本位と し 個人 を從 とする 思想への 變遷 である. - 單に 思想 

上 •$ 變化 のみで はない、 實際 上の 現象 を 見ても 個人 本位 か 

ら瓧會 本位への 推移 は 明かに 觀取 する ことか 出^る," シド 

二! *ゥェ ッブは 一 八 四 〇 年 時代から 一 九 一 四 年までの 英 



g 國社 會史な 研究して、 其 一 般的 傾向に 就いて 次の 樣に 語つ 

て 居る。 『過去 四 分の 三 世紀の 變遷 のみ を 見れば、 そは^ 濟 

的 並に 攻治的 個人主義から 肚會 の集產 主義 的組截 へ の發達 

である. - 其 運動 は 加速度 を 以て^ 界の 端から 端へ と 傅 はる 

であらう. KS.Webb : Towards Social Democracy? p,3) 

w くて この 傾向が 明かに 社會 主義 運動と なって 表 はれた 

の は ! 八 八 〇 年代に 入って からで ある - へ ン リ I きジョ ー. デ 

の 名著 r 進步と 貧困』 が 其 運動の 動 火 嫁 であった こと はジ 

ョ ー ヂも 意外の 思 ひ をした であらう。 其 書の 樂觀的 調子 や 

其サカ ルドの 地代の 法則の 適用な どに 依って 其 時代の 青年 

は へ ン リ i ジ ョ -.. >K を 敬慕した ので あろ か、 彼等 は 遂に ジ 

ョ I ヂの學 說の宣 傅の 爲に會 合 を 起し, 其 多く は社會 主義 

へ 進化した ので ある。 當 時の 英國は 社會 問題の 急を告 けて 

居った 時代 f+ あって * グラッドストンが 社會 問題に 就いて 

何等の 施設 を 行はなかった 事 は、 社會 主義 を 政治的 方面に 

先づ 赴かし めた 所以であった 『民主主義 si 盟』 は此結 

果 生れた もので ハインドマン、 ハ アバ ァ ト气フ 口 ウス、 ヘレ 

ン • テ イラ I 等の 盡 力に 依って 一 八 八 一 年 四月 設立せられ 

たので ある。 この 匯體は 初めから 社會 主義 を 奉す る もので 

あつたが j 八 八 三年 九月 更に 其 名稱を 會 民主主義 

同盟』 と 改め、 其社會 主義の 宣 傅に 努めた ので ある。 r 英國 



で社會 主義の 廣く 知らる るに 至った の はこの 圃 Sa の 初 胡の 

指導者の 勇敢な, てして 絕ぇ さる 努力に 負 ふこと 多き は 疑 ひ 

のない 事で ある」 と ウエッブ は 評して 居る, - (Webb: Socia 

lism in England pp.23—124:- この IT 會 民主主義 同盟 Jl は 

有識 中産階級の 人々 から 成立して 居る 圑體 であって、 賃銀 

勞働者 階級の 社會 主義 を 主張す る ものである" 攻治界 では 

ジ ョ ン • パ ァ アンス を 始め 諸 所に 其 候補者 を 出し、 機關紙 

として は 週刊の 『正義」 を發 行して 居る。 其 主義 は 經濟舉 

に 於て は 力 アル • マルクス に 依り、 政治 方面 は 最左 端の 民主 

主義に 貧す ると 共に 集產 主義 的 政策 を 主張し、 勞働 組合 領 

袖の 保守 主 を 攻撃し 資本家と 貴族 主義の 利益の 爲に する 

主戦 的 政策 を攻 繋す るので ある 其 主. R 會員は ハイン * トマ 

ン其 人で あるか. ァ ン 二 |*べ サ ン ト 夫人 ハ ァ バ アト ,ビ ゥ 

口 ウス も 亦 有力で ある。 

會 主義者 同盟 は 一 八 八 三年 ゥヰリ アム • モリスに 依つ 

て 設立され た社會 主義 圆體 である。 モリス は 元 社会 gtj 主 主 

義 同盟の 一 員であった. か 主として 個人的 理由から 同 同盟 を 

脫 退し、 新ら たに 社會 主義者 同盟 を 組織した ので あるが、 

其 敎義に 於て は 兩者は 同 一 であると 言 ふこと は 出来ない。 

社會 主義者 同盟 は 生産 手段の 管理に 闕 する 集 產 主義の 原則 

を譌 める か, 其 管理 は 自由な 自治 體に 依って 施行 さるべき 



である こと 主張す る。 この 點に 於て 彼等 は 無政府主義への 

傾向 を 有する ものである。 斯の樣 な集權 的な 行攻に 反對す 

ると に 依って 彼等 は 全ぐ 非實際 的の 傾向 を 有する に 至り、 

に敎 化.^, 目的と する に 至った ので 其社會 主義 は 空想的 性 

質 を帶 びた ので ある。 其 機關紙 週刊 『 一 般 幸福』 は 『正 穀』 

よりも 行 はれる こと. か 少ない が、 其 文學的 c^- 彩 は 其 特徴と 

する に 足る もの. か ある 。ゥヰ リア ム* モリス は 人 も 知る 如く 

詩人で 藝術 家で あるか、 ベ ルフォ |ト* バックス モも 有力な 

である。 

この 外、 基督 敎社會 主義者の 園 體を數 へる ことが 出來る 

が英 國社會 主義に 對 して 最も 有力な 刺戟 を與 へ たもの は、 

断の フェビアン 協會 である。 




フェビアン 協會の 思想 的 背!^ W は へ ンリ f • ジ ョ ー 一 ンとォ 

I ギュ スト • コ ム ト である。 けれども 其 直接 原因 はジ ョ I 

,チ にも コ ム ト にも あるので はない コ フエ ビア ン協會 の 創立 

者の 一 人で あな ェ トヮ ード气ヒ| ス. か 其 著 r フ ェ ビア ン協會 

史」 に 記す る 所に 依る と Si 會の 起り は 一 八 八 三年の 秋ト マ 

-ス • デビ ヅド ソン が 口 ン ド ン 訪問の 折 其 抱懐す る 精神主義 

«v に 就いての 小 集 を 催した ことか ある。 この 小 集に エト ヮ 1 



ド參ビ —スを 招いた もの は ブラ ン ク气 ネド マ ァで 彼等 は 其 精 

祌 上の 研究からへ ン リ —• ジョ ー.. チの說 に 入った ので ある。 

當時 デビ ッド ソン の 信者で パアン ヴァル • チュブ と 云ふ靑 

年が あ つ たか 彼等 は 合議の 上 色 々 な 問題 を 研究す る 目的の 

爲に 一 八 八 三年 十月 廿 四日から 隔週の 會 合をピ ー スの 宅に 

開く、 】 とに なった。 フエ ビア ン協會 の 始めは 實に, 一れ であ 

る。 其 趣旨と する 所 は 一 の 精神主義であって、 物質主義に 

反對 した ものである。 其社會 問題に 對 する 態度 は 同年 十 一 

月廿 三日の 決議に 就いて 之 を 知る ことが 出來 る。 

『協 會の會 員 は競爭 制度 は 多数 者の 苦痛 以 つ て 少数者の 幸福と 

享樂と 1„ ^確保す る ものなる vJ* 知る が 故に、 批會は 一 般の 安寧と 

幸福 ザ 確保す ベ さ樣 改造 せらる ベ き.^ 砒 信す る ものである。』 

然し フエ ビア ン 協會. か フェビアン 協會 として 生れた の は 

ェ トヮ— ド*ビ —スに 依れば 一 八 八 四 年 一 月 四日で あな 。フ 

ェ ビ ァ ン協會 の 目的が 競爭 制度 ふ 基礎と する 社會を 改造す 

るに あった けれども r 社會 主義 J なる 語が 同年 三月 廿 一 日 

の カロ リン • ハッド ン の 『一 一種の 社會 主義』 と 題して、 フ ヱ 

ビ ァ ン 社 食 主義と 社會 民主 主 ■ 同盟の 社會 主義と を 比較し 

た 講演に 至る まで 一 度 も 用 ひられなかった 事 は 注意すべき 

である" 

シ ドニ — • ウエッブ は 一 八 八 五 年 三月 廿日 協會で 一 場の 



»^ 講演 を 行 ひ、 同 月 一 日 其 同僚 シ ドニ ,•• オリバ ァ と共に 

_ 其會 員に 選ばれた ので ある。 是 より 先き 一 月 一 一 曰に はバ ァ 

チ アド • シ m ゥも會 員に 選ばれた。 斯くて フ ェ ビア ン協會 

は其活 傲に 一 層の 活氣を 加へ た。 シド -ー i ウエッブの 舉識 

は 逸 かに 他 を 凌ぐ ものであった。 彼 は 其 實際的 見地から 色 

色の 硏究 を發 表し、 フヱ ビアン 協會の 思想 は 彼に 依って 代 

表せられた 許りでなく、 英國 勞齡黨 の議會 主義の 漸く 失敢 

せんとし.; 二 九 一 〇 年頃までの 英 國社會 主義 は實に 彼に 依 

つて 代表され て 居た ので あろ。 英國は 力 アル • マ ルクスが 其 

資本論 執^の 當 時から 其 臨終 時に 至る まで 帶 在した 所で あ 

る. か 其 影鹱は 極めて 少数の 英國 人と 外國 の. L1 命 者 間に 限ら 

れ た有樣 であった。 マルクス主義 を舉 じた ハインド マ ン 一 

派の 社會 民主主義 も 其 勢力 を 1^ 大 する ことが 出來 す、 復古 

的 色彩 を帶 びた ゥキ リア ム • モリス の社會 主義者 同盟 は 其 

.大 なる 影響 を 他に 及 ほす- ) とが 出来なかった。 、 3 れ 實に英 

國 人の 實利 主義-」 依る もので あらう。 フエ ビア ン協會 の 主 

張 すら 所 は 漸進的 社會 主義で ある。 ハ ン 二 バルと 戦った フ 

.ェ ビア, スの樣 に 隠忍 自重 時の 到る の を 待つ 主義で ある。 私 

は 祈の 樣な 思想が 寳利 的の 英國人 を 動かし * フェビアン 協 

會が勞 像黨の 知識 的 港 泉であった 事 を當然 であると 思 ふ。 



(四 一 . 

『私 は將 來の歷 史家が 力 アヤ • マヤ クス の後繼 者と して 社會 主義 

思想の 指錄 者た るべ さもの はシド 一一, • ゥ H クプ である、、 と 

認める ので あらう I— 現に 彼等 は 認めん として 居る ——- と 信す 

る。 マヤ グスは 産業 は國 家の 事業で なけれ はなら ぬの 見た、 

けれども 彼 は其赏 現 方法,^ 予見す る、、 とが 出來 なかった ので あ 

る。 これ は. la; に英 國社會 主義の 事業であって、 英國に は 最早 久 

しく 行 はれべ ヤン シ H タイン に 依って 獨逸 Li 輸入 せられた 修正 

波の 名稱の 下に 大勢 力た らんと し * そ は 米 31 に 肚會黨 1^ 创設 し 

何れの 所 Li も 其 极據. ^築きつ 、あるので ある。 而 して: の 波の 

社會 主義 は 其 大部分 唯 一 人の 釗造ぜ し 所で ある。 其 唯 一 人と は 

ジト 一一,. ゥヱ クプ其 人で ある。』 

エト ヮ ード • ピ —ス はカァ カツ ブ S 著社會 主義 史の * "訂 

版 序文に この 樣に シド 二! *ゥェ ゃブ を淮稱 して 居る 。私 は 

力 アル • マ ルクス の後繼 者と して、 ゥ ェ ッブが 認められ るか 

否 か を 知らな い。 私 は 社 t 主義 思想に 於け る 發展か 科舉的 

5^ き 主義の 破產 であると 稱 した シ ム n ゥヰチ の 言 を 其 ま. - 

認容す るに 躊路 する ものであるが 兎に角 英 國社會 主義 思想 

が 其 一 八 八 〇 年代の 復興 期から 最近の ギ ル ド社會 主義の 勃 

輿に 至る まで はゥ ェ ッブの 思想が 一 大勢 力であった こと は 

否認 し 得ない と 信す る. - 

ウェッグば 一 八 五 九 年 ロンドンに 生れ 鑣て 長す るに 及ん 



で 彼 は 端 西 及び ® 逸に 學ん だ。 そして 七 八 年 英國に 歸來し 

^軍 省から 大藏 省, 殖民 省と 轔々 として 八 一 年 又 官界 を 返 

くこと になった。 其 後 ンド ン大舉 に 學び八 五 年 辯 護士と 

なり * 次いで a ン ド ン 大 舉經濟 擧敎授 となった, 其 頃から 

ウエッブ はせ、 ス ベ ンサ I 流の 個人主義 を 捨てて 社會 主義に 

接近す るに 至り 遂に フヱ ビ ァ ン協會 へ 加盟す る, 】 ととな つ 

たので ある 一 九 〇〇 年 以降、 改造 後の 口 ン ド ン 大 學經理 

舉の f 員と なり、 又 同大 舉 經濟舉 及び 政治 舉硏究 科の 科 長 

となった.^ 1 九 〇 二 年 ロンドン 府會 議員に 選ばれ、 同府廳 

に 於け る 專門敎 育 局長と なり 現に 其 職 を 維持して 居る" 私 

は 以上、 ウエッブに 至る までの 思想の 背景と 時代と を 簡略 

ながら 說き 終へ た。 さらば 彼の 抱懷 する 思想 は 如何、 私 は 

笳を 改めて、 論じて 見たい と 思 ふ. - 

(五) 

ゥ土 ッブと 言へば フエ ビ ァ ン協會 を 聯想す る。 , 】 の兩者 

は 全く 不可分と 言っても いいと 思 ふ。 私 はゥェ ッブの 思想 

の 要領 記と も 見る ベ きフヱ ビアン 協 會の宣 一 頁の 一 節 を譯出 

する のは讀 者の 為に 大變 便利で あろと 信す ろ。 

『フ H ビアン m 會は 社せ 主義者 LL 依って 成立す る。 故に 協 食ば 土 

7 地 並 に 產樂资 本,^ 個人的 並に 階敏的 所有 H リ 解放し、 之 yJ- 1 般 

f の 利益の ®li 肚會^ 所有と する こ あ- U 依つ ズ社會 ^改 迄す る 一、 



と 目的と マる。 新く の 如く に して 初めて、 一 國の 自然 的 並に 獲 

得した ろ 利 i«v ^全人 民に 均しく 分與オ る ことが 出来ろ ので あろ 

! r 故に 協會は 土地 私有 制^ 幷に之 u 依って 起る 地代の 形態に 依ろ 

土地 使用 又は 優良の 地味 又は 地 &LL 對 する 代價の 個人的 牧用 1^ 

廢止 ぜん,, とに 努力す ろつ 

『協會 は 更に 社會的 L1 便宜 LL 虚理 せらる ベ き產業 資本 の膂理 1^ 社 

會に 移さん こと LL 努力す る。 何と なれば 過去の 生產手 SIT 產業 

的發 明の 獨占、 並に 餘刹 所得の 資不 化に 依り 主として § 階級 

はき W み- 勞働者 は 今 も 其 生計 得る 爲 其の 階級に 諫镇 する が 

^き 有樣で わるからで ある。 

『此 等の 計畫 Li して 無 憤 に 行 はると すれに、 地代と 利子と は勞働 

の 報酬の 中に 加 へられ、 他人の 勞 働に 依って 生活す る 遊食 階級 

に 必然的に 消滅し. 赏際的 機會の 均等 は 現社會 制度の 下に 於け 

ろよ リ ー" 個人的 自由 _」 干涉 する-、 と 少なく して 經濟的 勢力の 自 

然的 行動 依って 維持 せらるべし ,_1 

(ゥ H- ソゲ著 「英 M Li 於け る社會 主義」 一 二- 11 三 頁) 

更に ゥ ヱ ッブの 言葉 を 借りて 社會 主義と は何ぞ やの 問 題 

に 答 へ て 見よう。 社會 主義と は ュ. I トビ ァ でも 又は 革命の 

特殊な 暴行 的 方法で もない。 社會 主義に 依って 表 はされ る 

思想 は經 濟學. 倫理 學 並に 攻治學 に 於け る 思想の 徐々 に變 

化 を 表 はす ものである。 社會 主義者と 個人主義者との 根本 

的 差異 は 社會組 嫁の 基本原理に 關 する ものである ^ 過去 一 

は 紀に於 けら 社 會舉の 貢献 は社會 研究の 出發點 として 個人 

よりも 社會を 重視す ろに 至った, 3 とで あろ。 



^ 社 會主麥 はこの 發^ と當 時に 於け る 産業 進化との 產 物に 

一 外なら ない, 社會 主義 は 經濟的 方面に 於て は 地代と 利子と 

を繁產 的に 管理し, 肉體 又は 精神的 勞 働に 對 する 賃銀の み 

個人的 管理に 任す る こと を 主張し * 攻治的 方面に 於て は 

の 生産の 主要 手段 を 旗產的 行玫に 5^ し、 倫理的 方面に 於て 

は, 同胞 主義 個人の 努 働に 對す 一 般的 義務、 一 般の 善に 對 

する 個人の 目的の 從属の * の 認識で ある。 ハ Webb Socialis ョ 

in England,pp.9-10) 之 を 他の 言葉で 言へば、 社會 主義の 

中心思想 は 產業的 事項に 於ても 亦 政治的 事項に 於ても 土地 

• と 産業資本との 私有が 癰らす 他人の 生活に 對 する 個人的 支 

配に 代 ふるに、 民主的 基礎の 上に 組截 せられた 全體 として 

の 社會の 集合的 自治 を以 つて 之に 代 へんと する にある。 社 

會 主義 運動 は 今や 文明 諸國に 於て 知識 的 並に 政治的 勢力で 

あるが、 第 十九 世紀 史の 賓證的 結果と して, 新の 主張 をな 

し、 過去 百年 間の 變遷の 潮流 は經濟 思想 及び 政治 學に 於け 

る 思想の 變 化と 同じく 土地 並に 資本 を 有する 個人的 勢力 を 

全體 として^ 國 民の 圑體的 決定に 換 ふるに ある。 社會 主義 

者 は 過去の 經 驗に徵 して 勞働 者の 生活の すべ ての 産業 的條 

件に 代表的 民主主義 を 連用す る こと を 要求して 居る ので あ 

る。 (Webb Towards social Democracy ?P36 尙ほ Webb:. 

iProbkms of modern Imdustry に收 めら れ たる socialisln. 



true aiicl False なる 論文 を參 照) , 

ゥヱ ッブの 主張す る 所 は集產 主義 を 基礎と する 所の 民主 

的國 家で ある。 其 經濟的 方面に 11 して ゥェ ップは 其 集產主 

義の 作用 を 其 大著 r 產業 民主. 主義』 の 中に 論して 之 を 三 

つに 分って 居る。 其 一 は、 何が 生產 さるべき かに 關 する 決 

定の 問題で ある。 卽ち 消費者に 供給 せらるべき 財 又は 勤勞 

の 種類に 觀 する 問 Ml である。 其 第二 は 生産の 方法、 材料の 

採用、 方法の 選 禪、 勞働 者の 選擇 卽ち是 である。 其 第三 は 

人 閒が勞 働すべき 條件卽 ち勞働 場所の 温度, 空氣, 衞生 設備 

並に 其 勞 働の 强 度と 繼績時 問 及 ひ 其 報酬と して 與 へ られる 

賃銀の 問題 卽ち是 である〕 

第 一 の 問題に 閼 して 決定 權をを 有する もの は 消費者で あ 

る。 何と なれば 社 會に對 して 最大の 満足 を 獲る 爲 めにば 消 

費 者の 必要と 欲望と. か 生産物 決定の 主要 原因で なければ な 

ら ぬからで ある。 これ 等の 消費者の 欲望が 資本主義 制度 か 

消費者の 任意 的圑 結に 依る 消費 組合 か、 又は 人民の 結合 卽 

ち 都市 又は 國 家の 企業との 何れに 依って 最もよ く 充足 せら 

るる かは大 問題で あるが、 兎に角 欲望の 最高 充足 を 目的と 

する 場合に 於て は 勞働者 は集產 主義に 於ても 資本主義 制の 

下に 於ても 共に 生產物 決定 權を 有して 居ない ことの 一 事 は 

確實 である。 勞働者 は 消費者の 欲求に 對 して 何等の 知識 も 



なく、 また、 進歩的 社會の 特色で ある 需要の 變 化に 對 して 

も 偏見 を 有する からで ある。 

第 1 一の 問題 卽ち 生産 材料、 生産 方法に 閼 して は 勞働者 は 

又 偏見 を 有して 居る。 勞働者 は 自己の 習得した 生産の 方法 

か最^^のも^と信じ其他のものに對しては反對するのでぁ 

る。 徇に 新しい 生産 機械の 發見は 常に 勞働 者の 地位 を 脅か 

すので ある。 勞働 組合 は 常に 新 機械の 採用に 對 して 反對し 

來 つた、 努働者 は 常に 新しい 機械と 生產 方法に 對 して 敵意 

を 示して 來た。 故に 勞働 者に 生產 方法の 選擇 權を與 ふるこ 

と は 牛; 產 技術の 不 進歩 を 語る もので なければ ならぬ。 故に 

何等 偏見に とらわれる ことのない 消費者 をして 生產 方法の 

決定に 頂から しめなければ ならぬ。 

然るに 第三の 問 题卽ち 勞働條 件の 問題に 至って は 自ら 前 

の 二 問題と 異ろ 所が ある。 勞働條 件 11 卽ち勞 働 時 ST ェ 

場の 衞生 設備 等に 開して 最も 深い 知識と^ 驗とを 有する も 

の は 勞働者 自身で ある。 この 點に 至って は 從來の 資本主義 

制度の 下に 於け る 企業家 も集產 主義 制度の 下に 於け る 役員 

も 共に 勞働者 を眞に 理解す る こと は出來 ないから である。 

彼等 は經 費の is 减と 能率の £a と考 へる。 また 消費者側 か 

ら言 つても 生産物の 低廉な こと は 最も 歡迎 すろ 所で ある. - 

彼等 はよ く 從業勞 働 者の 勞働條 件に 關 して 考察す る 所がな 

いので ある。 けれども 民主的 集產 主義 國家 にあって は國民 

リ の 生活 標準の 向上 は 最大の 問題で ある。 殊に 全人 民の 五分 

i の 四 を 占める 勞働者 踏 級の 生活 狀 能-に 關 して 無 湖心で は あ 



り 能 はぬ 害で ある。 であるから 勞働條 件の 決定 は 從棠勞 働 

者の 掌中に かねば ならす、 この 方面に 方て 集產 主義^ 家 

の實現 後に 於ても 勞働 組合 は 其 存在の 理由 を 有する もので 

ある。 而 して 其 任務と する 所 は 生産者 圍 結の 力 を 利用して 

輿! Si を 其 要求 に聽從 せしめ, 官僚主義 的. 抑壓 に對 して 各種 

の 手段に 依って 其 利益 を 防禦す るので ある ,リ 故に 勞働 組合 

は 資本主義 制度の 下に 於ての み必耍 な機關 ではなくて 永久 

に 其 任務 を 有する ものである。 (Industrial Democracy Iwt> 8 

18—.S2.V) 要する に 民主的 集產 主義 國家 にあつ て は 各人 は 

常に 他人の 爲に 其 勤勞を 奉仕す る の で あ る 。 其 肉體的 で あ 

ると 精神的で あると を 問 はす 彼 は其勞 働に 依って 常に 他人 

に 奉仕す るので ある。 けれども 彼 はまた 選礬 人と して 其 同 

胞と 同じく 其 個人的 利益 を 主張して 居る みので ある。 (Ibid 

然 らば 新く の 如き 集產 主義 は 個人的 自由と 一 致す る もの 

であるか。 ゥェ ッブ は先づ 自由と は何ぞ やと 問 ふて この 問 

ひに 答へ て 居る。 自由 か 各人 は 各々 其 主で あり 且つ 其 本能 

の 命す る ま に 行動す ると 云 ふこと であるならば デモ ク ラ 

シ I とも 他の 如何なる 攻治 とも 分業と も 文明 そ れ自體 とも 

兩 立し 様がない ので ある。 また 特殊の 個人 又は 階級が 契約 

の 自由. 結社の自由、 又は 企業の 自由と 稱 する もの は 其 有 

する に 至った 權カを 使用す る 機會の 自由で ある C 卽ち 他の 

權 力なき 階級 をして 、條件 を 承! ^1 する f 】 とを强 制する 自由 

である。 新の 種の 個人 約 自由 は 不平等の 單 位から 成立して 



^ 居る 社 會に存 する もので 强 制と 何等 異る 所がない ので ある 

一 斯の樣 な 自由 は^の 自 .5 ではない。 眞の 自由と は 自然 的 又 

は 本元 的の 權利 ではなくて、 實 際に 個人に 於け る 能力 を最 

大に發 M せしめる. S き社會 生存の 條件 である。 新く の.^ き 

意; 峩に 於け る 自由 は デモ クラ シ — と兩 立す るの みならす、 

• デモ クラシ..: 'こそ 最大 量の 自由 を 確保す る 唯一 の 道で ある 

生 產手投 の 所有と 產 業の 支配と が., 全然 資本家 階級 14 從屬 

する 所に あって は、 斯 くの.^ き 企業の 自由 は 企業家^ 能力 

の聶大 發银を 見る-とが 出來 る。 自由な 權 力の 行使 は 之 を 有 

する 者の 性格 を 影 i! する. t は 多い が、 自由 を 愛する 者の 見 

. 地より すれば 專制 主義、 貴族 主義 並に 舍權 主義 は 一 の 致命 

的 缺點を 4!? する。 之れ 等 は 多數の 人々 の內に 於け る 能力の 

發 腔に 對 する 機會に 一 の 制限 を 包含す る ものであるからで 

ある。 これ 等 S 諸 主義の 行 はる 所 は 多数 者 は 貧困で ある。 而 

して 人生が 個人的 利 S に對 する 鬪爭 である 間 は、 換言 すれ 

ば 人生が 貧困に 對 する 永い 鬪爭 である 間 は 友愛 的、 知的, 藝 

術 的 又は 宗敎 的の 能力 を 充分に 發!^ せし むる 時間 も 力 もな 

いので ある。 勞 働の 條 件が 充分な 食物と 敎 育と 閑暇と を與 

ふるとき にの み 大多數 の 人々 は 初めて 友情 や 家族に 對 する 

愛 を 感じ 、 知識 又は 美 々 對 する 本能 を 充足す る 、 一とが 出來 

るので ある。 而 して、 其 個人的 利害と 關係 とより 離れて. 其 

同胞の 必要と 欲求と を充 たす 樣に其 閑暇と 思想と を與 へ ら 

れ るの は 民主主義の 1^ 徵 である、 に 文明と 進歩との 世界 

に. あって は 何人も 自分の 主たる こと は 出.^ ない。 新く の 如 



く 個人が 其 生涯の 管理 を 失 ふ 所に 他方に 個人的に は 不可能 

とな こったと を圍體 的に 充足 せんとす るので ある。 ObidiP. 

p. 847—850) . 

斯 くの.^ くゥヱ ッブは 其集產 主義 的 國家を 主張して :115 る 

が、 そ は 近代 社會史 の立證 する 所で あり ノ 且つ 思想の 變遷 

の 結果で あると 見る. - 彼 は社會 を生產 者の 立場より 見す し 

て 消費者の 立場よ. -見 る。 英國社 會史は 斯の樣 に 彼に 敎へ 

たので ある。 ギ ル ド勒 度の. e き 生産者の 圓 結から 都市 社會 

主義と fS 費 組合;^ と 一 の 推移 は 明かに 社會 が生產 本位の 

社 曾 制度よ り 消費者 本位の 社會 制度 へ の 變遷を 語る もので 

ある。 この 社 會的倾 向は卽 ちゥェ ッグ の社會 主義で ある。 

故に ゥ ェ ッブ の社會 主.:: 我 は 消費者の 社會 主義で あると 一一 B 一 

ことか 出來 る。 

この 消費者 本位の 絮產 主義の 影響 は ケア *ハ アディの 『獨 

立勞働 mJ(Tit.,0 の 一 八 九 三年に 於け る 組織と なり、 

i 八 八 九 年に 於け る ドック ス トライ キ 後の 勞働 組合の 社會 

主穀 化と なり、 遂に 一 A 九九 年に 於け る勞働 組合 會議に 於 

ける 決議と なり I 立 一 九, 〇〇 年 英!. 勞働黨 の 組織と なつ.; r 

一 九 一 〇 年頃の 勞働 不安の 時代までの 集產 主義の 勢力 は 日 

々 に 盛で あ つ た、) け れ ども 勞働黨 の議會 主義 的靠產 主義 は 

遂に 勞働者 階級に 満足 を 翳ら す樣な 結果 を 得なかった の は 

讀 者の 知れる 通りで ある。 勞働者 は 新しい 指導 的 精 祌を求 

めて 止まなかった、 f ) の 要求に 應じ たもの はギ ル ド社看 主 

義の 思想で ある。 (つづく」 



31 



勞働 運動と 勞働 運動 者 



▲ 間識 ほど 不合理な 存在 はもるまい、 其 『不 

合理な 存在』 が 神^なる 勞働 運動に 盛に 活 

動して ゐ ると 聞いて は 驚か * さる,.^ 得な い、 

足 尾の 委 か 山から 出て 来たが 中 幹部 以下 

の 連中 だから 191^ 見ても 左り V ^見て-..^ 詳ら 

ない、 资文 社の 或 一 人が 一 ハダ 脫ぐ 猪リで 

委員と 舍 見し 打合せ, ^して 鎌った が 明る 日 

訪れても テン I. ァ 相手に しなかった、 如何う 

したので あらう とョク 聞いたら、 元 刑事 1^ 

して i5 た 『勞働 何とか』 云 ふ 新 ig とか 雜誌 

とかの 某が 來て 『彼れ の 如 さむのと 投議し 

て 運動な ど すれば 社 會の同 iss^ 失つ ズ しま 

う、 彼 は 勞働述 動. 喰 ひものに してろ』 と 

か 吹 込む だ爲 めだ さう である。 

▲ 間 諫の销 は 到る 處 Li はられて る、 交通 勞 

働 組合な どで は 理事の 秘密 會の 內容が 三ナ 

分 間內に 勢視. に 知れて 居る さう である、 

其の 迅速 Li して 巧妙なる は 驚く に 値すろ: 

先日 自由^ 會が 主^と な つ て 足 尾の 上京 委 

負と 菜 京 全市の 勞 働圑體 幹部と, c^v*! 合さし 

た 時の 事で ある、 其の 事が 決した のに 午後 



の 二 時顷、 六 時の 約束の 時間に なっても 足 

尾の 委晨は 一 人 も 額,^ 見せない。 皆な 古川 

本邸に 連れて行かれて しまったの である, 

幹 寧が 漸、 さがし 宛て & 談判の 結界 二人 丈 

け 出席す る 事に な つ た、 其の 银告に 曰く 一 「若 

し 足:^ の 上京 委具が 東京の 勞働 劇體と 提携 

するならば 古川 は 到る 迄戰 ふが、 諸君が 

今夜の 會 合に 出席し ないなら 耍 求の 九分 迄 

で 容 る ゝ : 一 と 

蟲純勞 優者で 斯うした 問牒. ^やって おる 者 

に まあ 許す として -、 許. r 可から ざる は 何 

何勞働 組合の S へ 事と か 幹事、 二 か 云って 勞 SE 

運動の 指導 的 地位 に 立って 居ろ ものである 

▲ 彼等 は クリ スト サ タ ン に寶る 者で ある 

彼等の 葬ら る ベ さ 13 に 近づ さつ、 あ る 彼等 

v5 ^葬り, 勞働 運動の 吸血鬼, を 葬る と 同時 Li 

探^と か問牒 とか 云 ふ 不合理なる £a 級の 存 

在, も社會 的に 否定し なく .Iz ならたい" 

そは^ 本 主義の 生む 特. M 物 なれ じで あろ" 

▲ 大杉榮 君 は 現 社 <w "運動 者の 中で 取 も赏際 

運動に 觸れて る、 信友會 のみなら す 各方 



面に 相 當な勞 働 運動 者 出して 居る やうた 

此 等の 人々 の 中に 於て さへ 知識 階 欲の 人と 

勞働 者と は 分離して ある 融合で きない ある 

ものが ある やうで あろと は大杉 君の 話。 

▲ 白き 手の 勞働者 はや は リ白き 手の 勞働者 

である、 露國 革命運動 Li 於ても 吾 國の勞 働 

運動に 於て J.^ 變リ はない、 露國に 於け るノ 

ン テリ ゲ ン チヤの 悲哀 はまた 吾 國の白 さ 手 

の勞働 者の 悲哀で なければ ならない、 お 互 

はお 互の 道 1-^ 步 めに 宜 いのた。 

▲ ■ 西の 勞働者 は 赏際的 だ、 關 の 勞働者 

は 精祌的 だ、 之 等の 相違 は勞働 運動に も あ 

ら はれて 來る、 關 西の 勞働 者に 賃銀 値上で 

あると か 時間 短縮で あろと か 勞働條 件の 改 

善で なけれ に ストライキ などし ない、 が關 

is- の勞働 者に 單 勞働條 件の 改善の みなら 

す 貧 銀 制度の 廢止 ゃ產業 自治の 爲め にも ス 

トライ, キ.^ し^る、 關西 は吾國 に 於て 最も 

完全なる 躐業別 組合の 存在し 關 5^ に 產業別 

組合の 發 達すろ 傾向 ある 所以で は あろ ま い 

か (Z 生) 



S2 



英國勞 働黨の 主義 

シド 二 —• ェ ン ド. ビアトリス .ゥ ェ ッブ 



勞働黨 は 勞働黨 の 基礎的 諸 主義 を 再考す ろの 必要に 會し 

た。 と 云 ふの はこ >- に 勞働黨 の 綱領 を 意味す るので もない 

し、 また 次回の 總選舉 に 於て 鬪ふ 特殊の 綱領 を 云 ふので も 

ない。 如何なる 黨 派の 綱領の 背後に も 知的の 主義と 道德的 

目的かなければ ならぬ。 そして 其圑體 の眞義 はこれ 等の 主 

義の 存在で ある。 而 して、 勞働黨 の 知的 根 據とは 何で ある 

か 

一 

I 瑰在 人口の 十分の 一 が 富の 十分の 九 を 所有す る 事 實に現 

はれた 富の 不平等に 對 して 我々 は反對 する。 卽ち 筋肉 勞働 

者 階級が 一 年の 勞 働の 生産物の 三分の 一 しか 享受 しないと 

云 ふ 拳實に 反對 する。 この 不平等 は 多数の 無産者に 對 して 

は 其 能力 を 傷け 其 欲望 を 仰 制する ことで あり、 更に 不必要 

な 疾病と 早 死と を 惹起し-、 獸 性と 身心の 不道德 化で ある。 



また この 不平等 は 4>數 の 富者に 對 して は 傲慢と 無情と であ 

り、 そのこと.. か 自ら 悟らざる に 於て 一 甚だしい、 そして 

其 最も 惡 化した 時には 極度の 放慢 となる の を 吾々 は 知って 

居る。 吾々 は 新樣な 貧民と 富者との 一 一階 級に 分離 さした 原 

因 を 富者の 潢 暴に 求む る もので もなければ 貧者の 才能な き 

にも 歸 する もので もない。 そして その 原因 を 資本 並に 土地 

の 私有に 基く 地代の 法則に 歸す るので ある。 土地と 資本 を 

單 に 社會の 代表者 11 生産者 又 は 消費者の 選 攀に依 る 11 

I に 引渡す 丈け では 社會 的の 平等 は窗 らし 得る もので ない 

國民 は尙ほ 毎年の 生產 物の 總 額の 分配 を 決定し なけた ばな 

らぬ。 社會は 新く して 細心に 平等 を 決定し なければ ならぬ 

而 して 新の 樣な 平等の 自發 的選擇 こそ 努働黨 の 根本的 主義 

の 一 である. - そして 其 生活の 爲に すべての 健康者 は 社會の 

勤務の 爲に手 又は 頭腦に 依って 勞働 する 義務 を 一 般 的に 認 

めなければ ならぬ。 



二 

我々 の 反 對者は 主張す る。 新く の. S ぎ 平等 化 は 生存 競爭 

を廢 減す る。 而 して 競 爭的組 俊に 於け る國民 中の 生 Eg 爭 

は諸國 民間に 於け る 戦爭に 於け ろ, か く 生物 的 要求で ある 

この 生存 競爭 なくして は 最適の 個人も^ 民族 も 生存す る こ 

とが 出來 ぬで あろうと。 社會 主義者 は 資本主義の 行 はる. - 

所に 於て 個人 間の 牛- 存競 爭の存 する を 見る。 けれども 最適 

者と 云 ふ 者が 最も 優秀な 個人と 社 會組截 と 言 ふ 意味なら ば 

其 生存 競爭に 依って 何等の 適者 をも殘 さなかつ たの を 知る 

ので ある。 之に 反して 吾々 は 生存 競爭は 民族の 性格 及び 知 

識に 事賁惡 影 i! を 及 ほした を 知る。 而し てこの 影 iK ど 免れ 

得る もの はた > , 〕 の 生存 競 爭に對 して 自. H の 地位に ある 富 

者並に其子^?;に外ならなぃのでぁる" 社會の 進化に 及 ほす 

g 爭の 影饗に 就いて 考へ るに は 一 方に 立派な 邸宅と 他方に 

貧民 富と を 見れば よい。 そ れ は 科 寧 藝術宗 敎の荒 § じ あ り 、 

文明よりの 退化で ある 

勞 働^の 政策 は 物質的 鬪爭 を轉換 して 更に 萵 尚な 目的に 

向 はしめ るに ある 『國民 『• 取 低 限』 の 政策に 侬 つて iq.s 々は 今 

日 各勞働 者に 健全な 生活 资料 を保證 する。 固 民 最低限 以上 

S の 餘剩の 財 を 公共 的に 使 ほし 全人 民の 知的、 藝術 的, 精种 



的 能力と 肉體的 健康 を 不斷の 改良し • 個人的 性格 を 發展さ 一 

す のみでな く、 富者 つ て は 未だ 夢想 だ もさ れ なかった 

國民的 文明 を 開 する ので ある. - 

三 一 

勞働 黨の斯 くの 如き 生存 競 爭を廢 する の 主義 は 全人 民の I 

- 同意と 積極的 行動と なくして は 遂行され ない ものである。 

然し 眞實の デモ クラシ I は 一 の 中央 集 權攻府 の 行政 を 意味 一 

する もので はない。 吾々 はすべ て 多數の 物の 消費者で あり 一 

特定の もの. • 生産者で あり、 または あらなければ ならぬ。 一 

そして 吾々 は 物質的 生產 よりも 憤 値 ある 藝, 術 的、 知的 並に! 

精神的 靈感を 有する" 吾々 は 甲 又は 乙 の 一 園と 共同の 趣味 一 

と 利益と を 有する ので ある C 勞働黨 の 目的と する 國家は 所 一 

謂總 意に 依って 少数者 を壓 迫す る畫 一 的の 官僚 的 デモ クラ 一 

シ I ではなく、 一 部 は 中央 的な 一 部 は 地方 的な 組織で あり •) 

或ろ 部分に 於て は 任意 的に して、 或る 部分で は 強制的で、 一 

或 部分 は 生産者 他の 部分 は 消費者^ 紙 織で ある。 それ は 地 一 

理 的圍體 及び 知的、 藝術的 又は 精神的 目的 を 有する 圜體に 一 

依ろ のであって、 すべて は デモ クラシ ー の 精神に 依る 組 If 

である。 新く の. S き 社會的 進化に 依っての み 個人 は 其 個性 

に對 する: f 取 太 自由 を亨受 し- 權 力と 同意と に對 する 一 般的ー 



お 



參與に 依る 自治 を 見出 じ 得ろ ので ある。 

四 

正しい 欲求 と 靈感と は 吾々 の 欲する 社會的 組織 を 建設す 

るに 必要な もので は あるが、 之れ のみ を以 つて 社會 組織 を 

創造す る こと は出來 ない。 勞働黨 は社會 生活の 觀 察と 經濟 

舉並に 政治 擧の 進步に 基く 組織的 社 會科舉 の 必要 を 主張す 

る。 科 畢に對 する 信仰 は 競 爭に代 ふるに 協同 を以 つてす る 

ことで あるひ 

吾々 の 祖先 は 個々 の 人々 が 何の 科舉 もな く、 た V 金の 爲 

に、 本能 的に 活動す るので あるが 努働黨 は 進歩せ ろ組疲 

ある 社會的 企業 を 目的と する ものである。 各種の 協 動 は 其 

從 業者 間の 考慮 ある 計畫を 要し、 一定 t.、 一 定 所に 於て 實 

行し 得る もので なければ ならぬ。 而し てこの 科舉は 常に 擴 

張し 社會 組織 は 時と 共に 進化. しなければ ならぬ。 社會 主義 



の 最大の 弊害 は 其 不變な 理想^ を 建設 せんとす る 求で あ 

る 

五 

勞働黨 は 國家內 の國民 各員の 間に 於け る 原理 はまた 國家 

間に 於ても 行 ほれ 得る とする。 戰爭は 生物 的 必要で 人類 を 

<癒 する ものな りとの 說に對 して 勞働黨 は 之 を 非科舉 的で あ 

り, 不道德 的で ありと すろ。 そして 彼等 は國家 間に 於て よ 

りよき 目的に 努力せ しめんと する。 勞働黨 は 一 國 民の 他國 

民に 對 する 掠奪 を 否認し、 後屬 民族に 對 して 政 權と發 言 

權 とを與 へる * 努働黨 は 各人 生活 を 送るべき 權利を 有する 

とする。 然し この こと は 人類 平等の 主義 か國際 聯盟 又は 他 

の權 力に 依って 認めら る ときに 於ての み實 現し 得らる. - 

からで ある。 何と なれば 國家 または 國 民間に 於ても 法律 は 

自由の 母で あるから である。 (森 恪譯) 



赢大戰 に 現 はれた 日本 陸軍 首腦 部の 無能 (橫山 雄偉 著) 、、の 書物 は 親 ュ く 講和 會議 1.^ 見聞した 横 山 君が 

その聲かな政治家的ォ能1^<1って蹇さ出した深刻な科學的且っ事赏に卽した批評でぁリ且っ軍備撤疲の理想..^暗示1 

れ もので ぁリ、 睦軍當局>^*狼©せ1めたのは赏然でぁる0 (定慣 十錢) 



, 



年中: 



r 



♦ 世 

曰 

本, 



^和 の 新^ 11; は.^ 4: に進傳 する か 

れっしゃ, ,づ| い ま Z < ( し t ん かい 

,其 活寫圖 は 今や. 刻々 本紙 に 展開 さ る 

あら ゆ る 機關の 整備 は 我, をし て 

常に S らしき 文化の 先 驅た らし ひ 



本 敏定價 

一ヶ月 金 七十 五錢 

三 ヶ月 金ニ圓 二十 錢 

六 ヶ月 金 R 圓 三十 i 

1 ヶ月 金 八十 五錢 

三 ヶ月 金 一 圓 五十?? < 

六 ヶ月 金 四圓. 十五 錢 



◊ 

本 一 




♦ 聞 

每號 

八 真 



の 

吿 

§1 一^ 

座 

行 i さ 信 

る 



書齋 にお 睾 所に 勤 先に 總 ての 人 



豐 かなる 趣味 2 知識 2 判斷 を與ふ 

た " 一 語 東京 朝 Iil」 それの み に て 

本紙の 全き 價 n は^ 人 に肯づ か る 



記 



海外 郵 8. 着 共) 

1 ヶ月 金 一圓 三 十五 錢 

ニー ヶ月 金 圓 ^ 

六 ヶ月 金 七圆 九十 五淺 

廣 ,w 

ま攀 十五 字 15,, 回) . i 

一 行金 八十 五錢 也 

揭镀 位置 指定 は 別に 指定 ; C 

お金 十錢を 1- 受く \ ◊ 



其 



S6 



曬 編輯 室と 校正 ま 

森森 森森 為 森森 4 

タ? 1 田 博士が 河 上 博士 に 立 や 演說, J^sa 

ん だとい ふ 話 は 野次馬 連から 異常の うれし 

さ V5> もって 迎 之ら れ た。 しかし 河 上 博士 は 

断然 拒絶した と い ふ . -と であろ。 

♦ なんでも 顧 田搏士 はい i く 論 境から 

も演壞 から も 引退した らしい。 .Iffi. 界の ため 

に は 却って い >- 、、とか も 知れない。 鬼. 角、 

B 田 博士が 論塽に 立った の は 短 い 間で あつ 

たが 却々 に 華々 しい ものであった。 しかし 

あまりに 華々 しい もの は 遂に 長い、、 と はで 

さない。 

♦ 福 田 博士に 對 する 反感 は 意外の 方面に 

まで 行 はれて ゐる" ァ >v, 一 51 田の 宣^が き 

さす >P たの か、 それと し W 士の校 味な 態-耽 

が、 時代の <!. ふ 潮と 合ばない ためで あらう か。 

♦ 時代 は ぐ、 人に 目ャ. めろ。 もう アン 

i,^ メン ケアつ 、プレン タ ノ なぞの 時代で 1 ひ 

あるまい。 吉野博.^-なぞ...-急速に歩かなく 

V- はなる まい。 

余 新人 會と い r ば吉野 博士の 門下で わる 

が、 藍よ リ 出で 費 二り 音 L で 『K 本 主義 』 

では 無翁滿 足されない 0_r デモ クラ; >.,J で 

も 滞 足されない。 今度 は 『先 とい ふ雜誌 



t-^ 發行 する さう だ 

♦ かくして 若き 人 は 時代の 錄 き,.^ 刻々 に 

刻む。 靑 年と 老年との 距離 はだん/, \ と 

くな つて ゆく。 吉野 博士と 新人 會 との 31 係 

L, 思想の 上から は、 もう 越える、、 とので 

さな いほ どの 距リ がつ くられた ので あらう 

♦ それに も か V はらす 吉野 博士 は 依然と 

して 新人 會の 人格 的中 心で ある。 思想 的中 

心と いふ I リは 人格 的中 心で あろ。 :乂に 

師弟の 美しい 情誼が 見られる とともに、 吉 

野 博士 のん 格 美が 見られる。 人と しての 吉 

野搏 士は贫 に.》: な もの だとい ふので もろ 

♦ 會 主義が 流行す るので 親分株の 堺利 

彥君 なぞ も jb; 入りが い % だ. らうと いふ 人 も 

あるが * その 货、 もらいに 行く 人が 比例 的 

に喊 えたので や つばり もと-, \だ とい ふ、、 

とだ。 

卞; お 畠 素 之 君が 『改造』 十二月 钺に 書いた 

のの 原文 は 非常に 面白い もの だとい ふ、、 

とで (高 皐君 自身 もさう いっても た) もつ 

たが 檢閱 でめち やくに されて しまって 

.<3 る。 検問 なぞと いふ 野 蟹 制度に 早く やめ 

なくて はなら so それが やめない 間ば 『日 

本 は 特殊 s』 だ。 

♦ われ/ \ のぶうな 貧乏人 は どうぜ 金 持 



ちに なろ 镢會 はない し、 役人に なって Ir^ 

任官より なれない。 粗衣粗食、 出づ るに 自 

動 車な く、 入ろ, に 待合な く • それで ゐ 弋人 

生 は 金 持と 髹 僅に 五十 だい 金持ちの 二 

年 か 三年 分 だ。 せめて は; 一 一 ia;Ji だけで も自. e 

にして もら ひたい もの だ。 所有 階 扱の 政治 

家 及び 役人 諸君 も つ て 如何と なす か。 

♦ 政治家と いへ^ 無學、 に 相場が きまった 

もう どこの 雜 誌で も氣 のきい た雜誌 は 政治 

家の 言 翁 なぞ は眞平 御免で ある。 政治家の 

名前 はこ、 一、 ニ年來 あらゆる 雜 S3 のうへ 

から 消えて しまった。 

♦ そこで 雜 ょリは 時代 後れの 新 H にで 

森 4 4 4 森 

も 投書す る ほか. はなくな つた, - 黑須 龍太郊 

君が 國民 新聞へ、 齊藤隆 夫君が 大吸朝 Jl.^ へ 

投書した のが 目についた。 齋藤 君が 『朝日 

新聞 iS< ^罵って 『見る かげ もない 新聞』 にな 

つたと いったの は 今年 の 一 一 《-( 議會) であ つ 

た。 その 『益る かげ もない 新聞』 へ 投書す S 

齊藤君 も 『見る かげ もない 齊藤君 j- ではな 

いか。 

♦ 川 島淸治 郎君の 軍國 主義 S 面白く 諷ん 



社友 民 § き 1 さ iSli 所行 發 



蘇 峰 德富猪 一 郞著 II 満天下の 歡迎を 感謝す 




鏟 |£ 全 三 冊 後篇 新刊 前篇 中篇 旣 



干. 



愈々 完成す I — 

上製 各册 圓五 拾錢 ¥g _ 並製 各册 5JS § 一 圓 六拾錢 ¥S§ 

cfl^D 江湖の 歡迎 熾^なる 蓍 * の 『近世 日本 國民 

.£:©>ジ ®>;^1 史』 は 今や 『^田 氏 時代』 JJ^Sf の 刊行な り 

#5 々 て 、技 lL 其の 第 一 S 巾の 初期れ る、 織 田 氏 s> 



代の 完 s.^ 告げ わ。 之 I^SS^J^a く 者 LL 菩へ 

んか、 『前 は 即.. '手 脚.^ 描き、 『中篇』 は 即ち K 背 描き、 『後 

糖』 は 則ち 頭 描き、 防:.、 點 じ;: るな リ 前、 中、 後の 三 »|,^ 莨 通 

して、 信 長の 全 a、 玆に 始めて:? if 現し、 其の 時代の 相、 玆に 始め 

て しれり と H ふべ し。 其の?§^|_<部1«前、 中二 iray^ 合して 十三 萬 

^部、 乂 に 四萬餘 部,. 資し、 3^ 田 氏 時代 完成と 共 _.:、 本 《1 

の霈 -^? ^"る^ 本社の^^?謝に堪へざろ所也。 

近世 H.i4 I 



改造 的 現代 

と 信 長 時代 



^田 時代 は、 日本 改^の 一大 時期な: 

き 此の時5^、そ現代世界^!-造の ー.^縮M 

と ふべ けれ。 - 乃ち 総 田 氏 時代 は、 現今の 

I I 世界, な ^LL 向って、 一大 i=f1^ 與 ふろ. t の 

に^ ずし ズ 何ぞ。 ?-た 現 時の 日本 は、 赏能 實 材屮 進め、 i,^^^ 

被リ、 社會の 1^ 氣, 新 快活なら しむろ に 於て、 宜く織 田 氏 時代 l: 

83 むべき な"。 本書は實-.1攻?13の活けろ敎^^ぉ1と云ふべし0 

画附 註、 年表、 索引、 $c«、 3^ 面、 戦園讕 

W 、中、 t2lu:l ん、 通じ V 、附 したる、 古文書.^ 用の 附注、 時代 年表、 入 

や 表、 索引、 並 Li 精巧なる 地 a 、戦? 1、$c$5 等 は、 興味と 有益と 1^ 

» -備 ふる 者 にして、 以て 本耆の 光彩, < ^添ふ ろに 足ろ 



3 豐臣氏 時代 甲篇 近刊 



同監同 同 取 取 

締 

査 締役 
社 

役 役 長 

皆 > ^鈴 田 矢 河 
m 木 村 野 崎 
# 久駒慶 助 
^ ポ 次次 太 太 
造藏郞 郞郞郞 東 

京 

監同同 同取巿 
査 締京 
役 役 橋 
'金 松 藤 松尾區 
原 島 井岡 崎 南 
與 善修敬 模 
吉肇助 造義町 



ぷ 1 新 著— 批 評 

生 田 長江 『資本論』 

この 前 LL 松 浦と いふ 人の? 4. 論挑譯 V ^貧 

めた とい ふこと で 河 上 1* 君から ひどく 皮肉 

られ たから 今度 は 容易に 提灯 はもたない こ 

と、 する 生 田 君の この 飜 本む まだ 焚った だ 

けで んで ゐられ ない。 しかし 譯 者が 譯者 

だけに 經濟學 者 なぞに は 氣に食 はない と: 

る も あら、 つが 先づ 見ないで い の、 よう 

に 思 はれる。 今 は取リ あえす これ だけ,^ 害 



いて e く- 尙ほ 堺利彥 の拔 文に 曰く 生 田 

君 は 『旣 に, 明白なる 一 個の 社會 主義者』 で 

あると o( 麻布 綠 社定惯 一 圓 九十 錢』 

山川 均 『社畲 主義者の 社 會觀』 

山川 君の、、 の 著述 は 山川 君の これまでの 

凡ての 著述のう ちで 私に は 一 番 面白く 讀ま 

れる。 第 1 章から 最後まで、 私に もし 一 日 

の ゆっくりした 心 持が 與 へられたなら 一 氣 

呵成 Li 讚み 了る で わらう。 私に ュ-だ 最初の 

一章と 最後の 一章, おんた. 》 けで あるが 今 

まや リ かけの 仕事,? -は うっても んで しま 



いたいよ うな 氣 がして ならない (定價 1W 

六十 錢牛込 神樂町 ニノ 十一 叢 文閣) 

堀江 歸 If 勞動 問題の 

現在 及 將來』 

、、の 甞 物に 堀江 博士の 勞働 問題 批評に 一 

新紀元 開く ものである。 無論 通俗 講演で 

は あるが これ に M つて 博士 が 今日 如何にな t ふ 

進 主義者で あるか > 分る學 者と して は實に 

思 ひきった 立派な ものである" (定慣 ニ圆五 

十 錢京橋 樋 町 大燈閣 )(K 生) 




} 



鑰秘 二の 决 解題 問働勞 



八一 六 三 H 京 東 振 朗 -JU 會株 町 桶 禱京京 束 

五 五一 七 二 阪大 替 I 招 ^SJL ノ V 社 式 南 橋 休 三 R 大 



特 J 

徵の書 



(刊 新 最) 




IS 田德三 博. h 長 序の 一 節 11 コ I ルの此 書 は 組合 中心の 社會 改造 論の 入門で、 讀者 諸君 は 一 切 

の 顧慮 を^て 、耽讀 せらる ベ く、 それに. 依って 受ける 利益 は 必す大 であらう • … 



堀江 歸 一 博士 序文の 一 節 11 職工 組合 研究の 新人 どして 世間に 著 聞せ る は本譯 書の 原著者 コ 

Ik なり 此飜 譯は勞 動^ 題に 關 する 公衆の 智 見開 發に 資する もの 少なから やとす ベ し 



專ヒ ffi r 1 奢. 四た 版總布 表装 三 五 o 頁 

法學 3W± 坊 属 ^ 定價 圓五 拾餞郵 十二 錢 




( 一 ) 譫文 にあら す飜 案に あらす、 日本 現在の 事實に S きたる 正確なる 斷案 さ將來 

の豫測 (一一) 官憲. 資本家、 勞働者 等に 顧慮せ ざる 忌惲 なき 意見の 發表 (三) 行文 極 

めて 卒 明、 何人に も會 得し 易し (四) 日本の 勞働 問題, 勞働 組合の 利害 • 同盟 罷ェ 

怠業、 仲裁、 ギルド 社 會キ: 義 等の 明快なる 解說等 



五十 四 圓武金 共役 邦 金 前 分月ケ 

社 聞 新 日日 京 東 

(番 〇〇 八 二 座ロ替 振) 內の丸 市 京 束 



見 



I 年 

中 

刊 



め 1 



世界 改 造 時 代 

マぉき《^を擧げて改^}化_:ぁ^の渦,^にぁ\ |^^ぉ^^^秋を郵*ふ 

争^ 救の 進展 は せ る 我 iii の 機 關を以 つて 一 目の 下に まる を 




新時代の 傾向 

^ ?んび *6 い こ, > レ,、 -、: k く ibj; ^ ^ W CPC じピゃ 9 fc ^ A ^ A0 r 

マ 軍備; s、 思想 學^ に 一 機 を 劃す る時忆 は來れ り、 新 文明の 

.光^は果して^^3ょり^?1れ來るか、 ^1^^ を.^ らん W せば 4r つ 

お^ を is まざるべからず。 




價 


定 


年 
分 


半 
年 
分 


一 1 毎 
1 月 

部 ― 

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八 1 發 
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頭 番號 番樓 番 



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堂堂 堂 



▲ 誌代 は 總ズ 前金 ▲ 郵券 代用 一 割增 

▲ 送金に 可成 振替 A 外國行 郵税 十錢 

大正 九 一 月 一 口 印刷 納本 

大正 九 年 一月 一日 發 行 

ま 京 市 京搐區 銀座 三 丁目 二十 七 番地 

^3 尾 崎士郞 

m 京 市 小石 川區久 堅 町 百 八 番地 

sst- S 博 文 館 印刷所 

束 京 市 京 椅區元 スキャ 町 三 ノー 成 勢 館 

S 行 S 批 評 社 

振兹 Is- 京 四 五三 四 六 

f 坻話京 一 五 四 八 



森搭事 




f」 町區丸 ノ內、 ^京 海 トビ , 、ディン グ五二 六 

S 电話 本局 三 六 五 三 番 

江 戶堀北 通 一 丁目 十三 番地 



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上 Eg I 

A 本鄉 




室 伏せ 问 著 廳蕭) 第五 版發賣 n 



定 價貳阒 四拾錢 





八 錢 



注文 



發送 



本書 は 室 伏 高 信 氏社會 主義 研究の ー 卷 である。 マ だクス 派瓧會 主義 は 勿論、 非 マ グクス 

派 社 舞 主義.^ 詳述し 社會 主義 各派の 理諭的 體系を 明らかにし、 さう して 新 社 曾 主義 を 提唱 

した 吾國 唯一の 社會 主義 評論で あ, r 、研究で あり、 講話で ある、: 

ギ , ド社會 主 is— 國 家社會 主義 —サ ン. デ 

力 リ ズ ム I 修正 派社會 主義— ボ ル シ ヱ. ゲ 井 

キ 社會 主義— 無政府主義— 勞働 組合主義 





次 




:號 二十 第) 號月ニ 



ギルド 社會主 



批 



.Kfe^fflteL 、ォレ ,ズホ ブソゾ F 

す IgtM^ m^Fr ( vi ク ユア、 ペン ティ) 評 

1rntpifr»1J3 室 伏 高 信、 甲野哲 二、 

クロポトキン 研究 




番八 ニー 〇 一京 itr 替振 ^ /f/^ :q 口 町 田 飯 區町趟 市 京 束 , 
番ソし 七 — 町 番話電 /in m 入 地番 二目 丁 一! 



刊 新 版 四 St 
錢拾五 圓壹錢 拾 七圓壹 
錢 五十 料 送 錢 五十 料 送 




中澤臨 



壹^ 六拾錢 

送料 十五 錢 




社會 改造の 基調!; で 

マ だ クス、 ラッセ 产の 諸說を 痛切に 批判し 正義 6 

.Q を 主張す。 




田 中 王 堂 氏 一 一大 名著 




H レ ン。 ケィ 原著 . 原田實 氏新譯 



正の 

歐德 を. 翁た に 樹立 せんとせ る、 ユレ ンケィ が 最大 代表作の 全譯 にして、 全篇 燦爛たる 天才 的 直覺と 詩-! 

の めきと を 以て 珠玉 を « ぬるが 如し。 社會 改造の 喚聲を 徹底的たら しめんと せば 實に 本蒈の 如きに 依 

て 改造 极 本の 方針 を 確立せ ざるべ からす。 



室 森 エペ ォホ甲 室 : 室 

伏 クン レブ 野 伏 : 伏 

高 ェテ 1 ソ哲 高 : 高 
信恪 アイデ ンニ信 : 信 




次 



固 ギルド • マンの 立場 

驪ク " .ホ トキ ン硏究 :::: 

■ ギルド 社會 主義 研究 

豳 nl ル の社會 主義. 

■ ギルド 社會 主義 原理 …… 

■ ギルド 經濟學 

國國 家の 職分 

■ ギルド 社會 主義と 產業 管理 

■ 米國 

I 曰! 

□ 

■ 河 上 博士 曰 く:: 

■ 杉 森 孝次郎 「人類の 1^! 生. 

■ 編輯 室と 校正 室. - 




ギルド • マンの 立場 

室 伏. 高 信 

われ 等 は、 われ 等の 計螯 する ような 偉大なる 改革に ついて、 人民^^懷疑的でぁることをょく知ることかできる。 し 

. かし 懐疑 は 心理的であって 精神の 綸 理的狀 態で はない。 また 善き ことか 決して 眞實 となる こと. かないと 同じく、 眞實 

となる ベ く あまりに 惡る いその 惡る いこと. か、 それに も か わらす 眞實 となる ことの 多くの 實 例を舉 ける ことかで き 

る" 例へば 一 日に 六片を 稼ぎな からもの 一 週間の 生活費 か六片 以上でなかった 十四 世紀の 英 -:i 勞働 者に 對 して、 その 

後 五 百年、 生産の 熱 練と 手段と が少 くと も 五 百 となった 時に、 この 時代の 勞働 者. かその 生活費 を 稼ぐ ために 全 週の 

努 f を 費さなくて はならない とい ふこと を告 けたと 想像せ よ、 彼れ は 懐疑 的でなかった であらう か? われ 等は不 

-幸 に むて それが 眞實 すぎる こと を 知って ゐる。 生 產カは 兎の ように 殖えた。 ヨハネの 福音が そのうへ にあった C しか 

し 一 B の勞 働の 購賣 價植は 着々 ll 頹し、 今 B に 至る まで それ は 五 百年 前にお ける 一 日の 勞 働の 價 値の 六 倍 以下に 價ひ 

する。 若しも 五 百年に おける 正しき 豫見 によって 起された 懷 疑が 實 際に 根 據を もって ゐ なかった とすれば、 今日 われ 

等の 造りつ. - ある 幸福の 正しき 豫見 について 諸君の 感じつ、 ある 懷疑 もまた 等しく 事實 において 根據を もたない であ 

G50 事物 はわれ 等の 信仰、 われ 等の 希望、 または われ 等の 恐怖に 從 つて 動く もので はない。 すれば 事物 はわれ 等 

の 感情に よって 影響され ない。 事物 は 活動に よって、 とられた 段楷 によって、 動因に なって, なされた 事實 によって- 



動く ので ある。 

權 力の 所有と その 行使と. か 必然的に 腐敗 的の ものである とい ふこと は 全然 誤謬で ある。 若し これが 眞實 であると す 

れば われ 等 は 人間の あらゆる 歴史 を 通じて 腐敗す る ことなくして 大權カ を 行使した 人の 一 例 をも發 見す ると はでき な 

いで あらう。 それに も か >- わらす、 か、 る實 例は澤 山に ある。 また 一 つ だけが 普遍的 命題 を非認 する に 充分で ある。 

この ことの as*; 理は 次の よ 5 である。 卽ち權 力 は それ を 行使す るに 不適 當な人 を 腐敗させる とい ふこと である。 權 力の 

行使 は 人の これ を 行使す る 能力の 試驗 である。 彼れ に 彼れ の 仕事に 對 する 充分の 能力 を與 へよ、 さう して それの 遂行 

に對 する 充分の 權カ (大權 力で あっても) を與 へよ 彼れ は 腐敗し ないで 依據 する ことかで きる。 しかし 彼れ に 彼れ の 

能力に. 對 して 過大な 權 力と、 彼れ の 能力 または 權 力に 對 して 過大な 仕事と を與 へよ、 然 らば 彼れ の 腐敗 はた,. - 不適 當 

の 表明で あるに 過ぎない。 

社會は 未だ 甞 つて 生産の ために 組織され てゐ ない。 生產 は、 科學の ごとくに、 社會の 反對に 逆行して 進められた。 

われ 等 は 生産力 を數 百倍に した。 それ は眞實 である。 さう して 奇石 的で ある 位 ひで ある。 しかし われ 等 は 同時に 生產 

カを數 千倍に する ことができた かもしれ ない。 それ だのに、 われ 等の 精力の 半ば 以上 は 自然 を 征服す る ことに 費され す 

して 人に よって 人 を 征服す る ことに 費され てきた。 さう して 主として 生產 ではなく して 生產 物の 分配 を 統制す る こと 

の 見解 ももって。 それに も か、 わらす、 また 同時に この 分配 は、 それに 捧 けられた 精力に も か. • わらす、 無懷 にも 不 

ぷ 一 平等で 不公平の ま > に殘 された。 生産 は ある^ 同の 方法 を 要求した。 しかし 分配 は 原始的 競爭 のま > 殘 されて きた。 



4 一 生產 は進步 したのに 分配 は 原始的 アナ— キ j の狀 態に あると いふ 自己 撞着の 結果 を もって。 だが、 この 分配の アナ ー 

キ ー が 秩序に 歸ら せなくて はならない こと は 明白で ある。 生產は それ 自ら を 管理す る ことができる。 分配 は社會 とし 

て 働 X 社會の 管理に 歸 せなくて はならぬ。 われ 等 は生產 を生產 者の 自由に 委 する こと を 提議す る。 しかし 生産物 は 平 

等 且つ 公平に、 社會 的に 定められた 價 格の 方法に よって 分配すべき ものである こと を 提議す る。 

われ 等 は 技術者の 戰爭を もった。 一 . 何故に 技術者の 平和 を も. U なかった か? 

文明の 本来の 目的 は 一 日の 勞 働の 購買力 を增 進す る ことで ある。 

人 は 彼れ が 彼れ の 發議權 のうへ に 働いて みる 時に 最もよ く 働く とい ふ 命題 は受 人れ る ことができよう。 實に勞 働の 

緊張 は 多くの 人々 にと つて は勞働 者が 志願者で ある 時に 最も 高い。 さう して 私的 または 官僚 的 資本主義 における がご 

とくに、 それ 等の 動機が 凡て 缺 如して ゐる 時に 勞働 緊張 は 最も 少ない と 想像され る。 

• 何故に、 念入りに 組織され てゐる 近世の 勞働 組合 は 仕事 を ストライキす るか、 卽ち 生產を 中止す るか? 何故に そ 

れ は自發 的に 『鎖 か 出し』 に 同意す ると 同樣に 工場 を自發 的に 棄 てなくて はならない ので あるか? か >t るス トラ 

ィキは 純粹に 消極的 同盟罷業 であり、 さう してた 抵抗の 德を もって ゐる だけで ある。 それ は 何 ご ともなさない こと 

よって 何 ごとか^ な, される こと を 目的と する。 しかし 何 ご とかのな された ことの 適當な 方法 は それ を なすこと であ 



る c さう して 積極的の ストライキ は 生産者の 意思に 從 つて 工場 內 において 仕事 を なすこと から 成立す るで あらう。 チ 

ャ ー レス フヱ ルグ ソンの いって ゐ るよう に、 若し 競爭 者の 勞働 者の 組織 か T われ 等は汝 のガバ ァ ン トを更 へなくて は 

働かない』 とい ひ 得ろ ならば、 彼等 はまた 『われ 等 は 働き また 同時に 支配す るで あらう j とい ふこと がで きる であら 

、つ。 われ 等の 計 劃 は努働 者の 側に おける この 精神 狀態を 推定す る。 それ は 積極的 ストライキに とって は單に 手段 的で 

ある。 

n ム モン ウェルス と は 何 か、 社會の 構成 一 員た る 地位、 民族の 一 員た る 地位 は 何^ 含む でゐ るか? 『永久 的冒險 

の 利益に おいての 共同の 分配』 (フ ヱル. ケ ソン) 

社會 主義者の 論爭 において は 資本.^ 勞 働との 間に 一 大戰鬪 が 必要でなくて はならない と 常に 臆斷 すれて ゐる。 毆り 

合 ひの 舞臺は 明らかに 尙ほ 通過 中で ある〕 しかし フロ シァ 主義の 敗 返の 後に 戰 ひか 必要で あるか? フ 口 シァ 主義の 

敗退 は 毆り合 ひ 時代 fisticufr eia の 終焉の 表徵 であった。 それ は ある 時代の 終焉 を 劃した。 その 時から 『戰 ひ』 につ 

いての あらゆる 話し は 厳格に 歴史 前の もの、 大 洪水 前の ものである。 r 戰ひ は、 何れの 側か 强ぃ かにつ いての 誤解の 發 

端 において 起る。」 それ は實に 相互の 誤解で ある。 われ 等 は 何れに 權 力-か 存在す ろか を 疑 はない。 さう して 戰は葷 なる 

. 性慾 狂的 sadistic or masochistic) である 11 それ は戰 ひで はなく して 精祌錯 亂の發 作で ある〕 しかし 今日は 權カは 

群衆と ともに 存 する。 さう して 社會 主義者 は、 た 〉 社會 主義. か戰 ひなし に 得られる 群衆の ための 幸福で あると 信ん ぜ 

しめる の ほか はない。 お 何に して 信服せ しめる か? 議論に よって > はなく、 货 を 交付す る ことによって のみで あ 

,.-1 る。 . rNCW Age- からの 抄譯) 




米 國の產 業會議 

森 恪 




1 、 はし 書き 

米 國の產 業會議 National Industrial Conference は獨り 

米國 だけの 注意 を惹 いたば かりで はなく 汎く 世界の 注意 を 

集めた。 其 成立 並に 經 過に ついては 新聞紙に よって 一 應の 

報 導され たにしても 未だ 秩序 的に その 成立と 經 過と を 紹介 

した もの はない から、 こ > 'に 米 國 から 近着の 諧新閒 及諸雜 

誌の 材料に 基いて これが 紹介と 批評と を 試みようと 思 ふ。 

二、 性質 

この 産業 會議は 大統領 ゥヰル ソンに よって 召集され、 十 

月 六日 ( 一 九 一九 年) ワシントン で 開かれた。 大統領 ゥヰ 

ル ソ. ン は 折 柄の 病 氣の爲 めに 出席す る、 】 と. か出来なかった 

が、 努働 卿ゥヰ ル ソン と內務 卿の レ —ン とが 出席した。 さ 

うして 委員と して 召集され たもの はゥヰ ル ソン 大統領の 考 

案に 從 つて 資本家 側と 勞働者 側と 公衆 側の 三方 面の 代表者 

が 列席した。 資本家 側に は 農業 者 も 加 はって ゐた。 先づ委 

員の 顔 g れを 見る に。 . 



▲ ヘム 衆 側、 バヤ ゥチ、 プヤ- ソキン ダス, Q ククフ H ラァ • ギア 

1, H9 ォ SS ト、 スバ穸 ゴゥ、 プラクト フユ ー ト、 プ.^ ゲス 

ギャロ ゥゥ H,、 チャドお ,ン、 H ンゲ ゴ ク トフ H — ス、 デ 

11 ソン、 ゲ H ,ムス * デ m ネス、 ランドン、 メレ デス、 マグ 

ナ アブ、 スゥ H タト、 タイタス、 ラクセ -^、 ヂゥ H;i、 

^ド、 パ アナ A 、;ァ y i (以上 二十 五 人) 

▲ 商業 會議所 側、 ホヰ, ラァ、 ト- 'ク JN、 パ アキ ンス、 ラス コ 

タゲ、 フ H 巾ダ ソン、 (以上 五 人) 

▲ 地主 側、 チ テク トモ, ァ、 アト ケクト ソン、 バ レ -ソト (以上 三 

人) 

i 銀行家 側、 マ アクトン、 7H > 'トン (以上 二人 ) - 

. ^勞働 圑體 側、 ゴ ムパ ァス、 モリソン、 ト, ビ ン、 バレン タイ 

ン、 マ ホン、 リク ケ-^ ト、 フク シャ ー、 ゥォ, -^、 ゴム; $, 

ィ、 ゲ ヨン スメ— ン、 シャ レン <^ ヒ、 ダン リン、 タイ H (以 

上米 國勞働 聯合) シ H- パ アド、 リ,、 ミ,、 サヰ ヤス (以上 

鐵道 從業晨 組合) フヰ、 ソ y 、ォ レア a,、 ハク チン ソン 、ダ 

9, ン、 n191 (以上 國民產 業 會議) (勞働 側委具 合計 (二 

十二 人) 

以上の 出席者に よって 知られる とほり I*w,w* の會員 



は 全然 除外され てゐ るが 公衆 側の うちに はダ ョ ン ,ス バ ル 

ゴゥ のよう な社會 主義者 も 人って ゐ る。 凡て 五十 七 人の 

委員で ある。 彼等 はヮ シ ン ト ン の 米國會 館に 集った。 委員 

の兩 側に は 百 人ば かりの 新閒 記者 ゃ數 人の 閣員 やその 他の 

人々 が 居 列んだ。 

三、 努傲 卿の 演說 

. この 會の開 會に當 つて 勞働 卿ゥ キル ソ ンの 試みた 演說は 

堂々 たる ものであった。 勞働者 側の ゴム パァス も 彼れ の演 

說 を稱讃 せす. に は ゐられ 無かった。 彼れ は 次のように 述べ 

, た。 

『::この理由にょって、吾人は悉く產業平和の維待1_^:^て利 

益な リ とする。 併しながら 蜜 業 的 正義の 基礎の 上-し 立た すば 

永久 的產業 平和 は 存在す る、、 と は 出来ない。 傻 に 人間の 聰明 

は 雇主と 被 雇人との 間の 閥 係 Li 適用す る 受認し 得られる 方法 

, ^計 劃す る ことが 出來 るに 相違 無い。 

諸君の 肩 上に 光輝 ある 資 任が 繁 つて 居る。 諸君の 面前に 機會 

の 鬥 戸が 開かれて もる。 諸君に して 若し 諸君の 結合した る 登 

かなる 智力と 經驗 と 1^ もって この種の 受認し 得られる 文書.^ 

.產 出す る、、 とが 出來 ると すれに, 諸君の 仕事の 結果 は 人々 の 

心のう ちに、 マ ダナ • 力.^ タゃ、 權利章 典 や、 獨立 宣言 や、 米 

• 國 憲法 や、 解放 宣言と 同樣の 地位 1^ 發見 する であらう 0J1 

四、 會議の 規約 

7 1 第 一 B は 勞働御 の浪說. かあつた だけで 終り、 第一 一日 十月 



七日) になって 議事の 規約が 討議に 上った。 其 诀議に 依る 

と ( 一 ) 三圑體 (公衆, 資本、 勞働) に屬 する 人々 は 何人も 

その 自己の 属する 圑體 の承諧 無くして は 議案 を 提出す る, 一 

とが 出来ない (一 一) 三 團體の 意見が 一 致しない 時 は 結果 は 無 

效 であろ (三) 各圑 體に屬 する 人々 は それの 三分の 一 に 達す 

ろ 時 は少數 報告 をす る, 】 とが 出来る。 (四) 凡て サゼ ッシ 

ン は先づ 十五 人の 委員 會を 通過す る ことが 必要と される。 

- J の 規約が 決定され てから 內 務卿レ I ン. か 議長に 選舉さ 

れた。 次に 十五 人 委員 會の 委員が 次のように 定められた。 

▲ 公衆则 チヤ- ソ ド^, ン、 ランドン * H ンゲづ クト、 ラク 

セ.^ 、ウタ ^ド、 

▲ 資本则 ハク チン ソン、 ォ, レア リ,、 ラス づクプ * パァ 

■ キン ス 、チ デモ. 'ァ、 

盍勞 働 側 ゴ A バァス 、モ. - ソン、 ゥ す.. --i 、マ ホン、 シ H 

パ アド、 

五、 諸 提案 

九日の 會議に は 多くの 提案が もち 出された。 公衆 側の ラ 

ン ドン (A.A.Lamlon) は 三 ヶ月 蔺の產 業 iKf を 提議した。 

努働 側の ゴ ム パァス (Samuel Go ョ pers) から は 鋼鐵ス 卜 ラ 

ィキ につ いて 行 はれて ゐ た 仲裁 を 中止す る ことの 案が もち 

出された。 ロック フェラ ァ つ hn D. Rockfeller) も マツ 

クナ. ッブ (Gayin Mcnab) から 夫々 の^ 案が あった。 こ^ 



CO 一 外に 勞働 S から は 更に 重要な 提案が あった。 それ は 十 j ケ 

. 條 から 成って 居る。 

二 貧 銀勞働 者の トレ ,ド *ュ 一一 オン 及び レ-ゲ * ァ オン 

f5> 組繳 する 權 利の 承 ©。 

二、 貧維 务働 者の コ レ クチ ゲ* バァゲ 二 ン グの堪 利の 承認。 

iir g 銀勞働 者が 本家との 各籩の 交渉に おいて 自ら 選舉 した 

る 代表者に 依って 代表され る ことの 權 利の 承 88。 

四、 首お、 集會、 出版の自由。 

五、 安本 家が 勞働 者に 對 して 共同 協約 1^ なすべき 協 SSS 接 扭 

繳する 接 利。 

六、 勞働畤 間 は j 日 八 時間 超えす、 日曜日,^ 休業と し、 土曜 

半日 制 1* 獎勵 する、、 と。 ォゥバ ァ- タイムの 止むな き 時 は 1 

倍 半 下らざる 賃銀 1^ 與 へる こと。 

七、 負 銀勞働 者に 生活 標準 1^ 維持す るに 足る 賃銀 權 與 へる、、 

八、 錄人は 同 一 の 仕事量に 就て は 同 一 額の 賃銀,^ うくる 事 

九、 十六 歳 以下の 少 の勞働 禁止。 

十、 努鋤者 は その 從事 する 産業 に おいて 關係 ある 凡ての 事件に 

就 さ發苜 協力の 大 なる 分 前,^ 獲得す る 事。 

此 目的の ために 各 産業に 於て は资 本家と 勞働 者の 同数の 委晟 

よ リ 成立す る國 民會議 設ける 事。 

十一、 移民 間 犀。 (つ > く) ^ ■ , 



廣吿 (批評 

室 伏 高 信 著 (srr? 拾繊) 



社會 主義 招 判 



「社 會 主義 批評』 は いよい よ 第 十 版を發 行す る - J 

と、 なりました。 本書の 價値讀 者界の 驚異的の 

歡迎が これ を證 明して くれます。 內容は 次の 七 

章から 成って ゐ ます。 = 第一 版發 行。 

厶 ギル ト社會 rh 義 <1 國 家社會 主義 

△ 修正 社會 主 義 <1 無政府主義 

△ ボルシェ ヴ井 キ社會 主義 

<1 サン ヂカ リズム ;<-勞 働 組合主義 

室 伏 高 信 著 (riil 纖) 



民本主義 につ;^ て 



この 書物 は 個人主義から コ レ クチ グヰズ ム へ の 

新 傾向 を 書 いた もので す == 第五 版 



批評 社發行 



『批評』 は 昨年の 五月 欲に おいて ペルト ランド. ラ-ソ セャの 『肚會 主義の 陷萍』 載ゼ ました。 また 九月 號には 『ギヤ ド社會 主義 

の 批判』 f ^鼓 表しました。 さう して ギ^ド 派の 立場から ラ、 ンセ^ ゃコ ー かの 紹介 始めと して、、 の 方面の 紹介と 批評の ために 

は 多少の 貢默 したと 信じて ゐ ます。 、、の 意味に おいて 『批評』 は 微力ながら 存在の 意義の あった、、 とと 信じます。 今年に 入 

つてから は 一 一 ^ギヤ ド肚會 主義の 研究 Li 專念 する 考 へで 旣 Li 1 月號 に は 『ナ ショ ナヤ. ギヤ ド< 』 ^表しました。 さう して 本號 

から は、、 の 方面 に もっと 力,^ 盡す考 で、/. -に 『ギか ド肚會 主義 研究』 の稱 特設し ました。 以後 引接 t て、、 の 研究 行って ゆ 

さます (室 伏 生) 

ノ ギ ル ド社會 主義 原 锂 

(ホブソンの 解説の 紹介と 批評) 



、、、に 書き け r* うと す る は ホプソ ン 二つの 書物 (cuild 

Prlnciplesin War ami Pence,, National Guilds ン からの 引 

用 または その 解說, ^通じての 彼れ の ギヤ ト肚會 主義 體 系の 說 

明で ある。 先づ 『ナシ S ナヤ • ギ^ドの 創 生』 から 着手す る、、 

ととした。 ホプ ソンと はいふまで もな く H ス. ディ • ホブソン 

Hcbson) の、、 とで ある。 

第一章 國家 ギルドの 創 生- 



室 伏 高 信 

世界 大戰は 各 國の勞 働 運動に 一 轉機を 劃す るで あらう。 

しかし この 世界 大戰 前に 旣に 偉大なる 將來の 産業 不安の 前 

兆. か 現れて ゐた。 一 九 一 三年 及び 一 九 一 四 年の ストライキ 

は 11 坑夫、 鐵道 及び 運輸 業勞働 者の —— 旣に 新ら しいさ 

うして 複雜な 局面 を 現出して ゐ たので ある。 それ はた に 

政治的 メソッドからの レバ ァシ ョ ン を特徵 したば かりで は 

なしに- 大きな 結合 力と 統 一 組織の 最後の 目的に ついての 



o 廣大な 見解と を 示して るた 3 また これ 等の ストライキから 

三角 同盟が 續 いて 生れた こと は 無意義な ことで はない。 戰 

爭 のために もちきた された 國家的 感情の ために 產業 上の 事 

件 は Itt はれて ゐ るの ほかはなかった。 しかし それ は 矢張り 

消えて しまったので はなかった。 この 事實を 閑却しての 改 

造 計 晝は幻 威の 運命 を もって ゐ たのであった。 

1 九 一 四 年に おける 地位 を 評論す るた めに は その 以前に 

遡って 考 へる 必要が ある。 

一 八 八 〇 年代 及び 一 八 九 〇 年代に おいて は、 勞働 組合 會 

.議 は殆ん ど絕對 的に 熟練 勞働 者から 成立した 弗 常に 保守的 

な圑體 であった。 それ は それ 自身と 展 主との 間に 現狀 維持 

を 保つ ことに 満足して おった。 代議士の ブロ ー ドハ ァ スト 

や ピツカ ー ドが 最も 有力で も あり、 また 代表的な 指導者で 

あった? その 指導者 達 は 彼等の 小さい 王國 のうちで 景氣も 

よく、 潢足 もし、 また 他からの 煩 をう けまい として 心を勞 

して ゐた。 しかし 三つの 出来事が 彼等の 靜寂を 破. つた。 ド 

ック • ストライキ、 それ は 不熱練 勞働大 軍 を 攻治的 及び 產 

業 的に 覺醒 せしめた。 タ ク フ气ゥ ヱ ー ル 判決 は勞. 働 組合 組 

嫁の 基礎 を轉 覆せし め; -。 獨立勞 働 黨の侵 人、 それ はョ ー 

クシ ヤイアと ラン 力 シャイ ャとを 通じて 急速に 蔓延し、 さ 

うして また 急速に 熟練 勞働 組合主義 者の 思想と 目的と を 變 



更 した。 ドック • ストライキ は勞 働 組合 會議 をして その 翼 

力 もとに, 】 の ストライキ の產 物と して 生れた 不熟練 勞働者 

の 組合 を も つ , 3 とを餘 儀な くした,。 

これ は 自治 的 機 關の經 濟的發 達の 頂點に ほかなら なかつ 

た。 それ は 不熟練 勞働 者の 群れに、 彼等が 產業 上に 容易く 

熟練 勞働 者と 區 別され ない 足場 を與 へた。 SS に 機械 職工 等 

はボ ー リオン 鐵 工場 爭議 の、 慘儋 たる、 さう して ェキ ダウ 

ス ティン. グな 敎訓を 知って ゐ たので あろ。 しかし 實 際の 混 

亂は タツ フ* ベ ー ル 判決と 社會 主義 宣 俥との 結合 的の 效果 

から 生れた。 社會 主義者、 就中 獨立 勞働黨 は、 幾度と なく 

ス トライ キが 無用な 武器で ある こと を 熱 論した。 卽ち 組織 

的 勞働者 は その 目的 を 達する ために 政治的 權カを 使用す ベ 

きこと を 熱 論した ので ある T ス ト ライ キで なくして 投票で 

ある!』 かくして 勞働 者は玫 治へ と 侵 人して ゐ つた。 スト 

ライ キは诀 して 無くなった のではなかった にしても, 勞働 

者の 興奮せ る 精力 は攻洽 のうへ に 費され た。 議きは 賃銀 勞 

働 者に、 彼等が 組合の 交渉 または ストライキに よって 得ら 

れ なかった もの を與へ るで あらう とい ふこと は眞 面目に 信 

じられ てゐ たので ある。 

1 九 〇 六 年に, 四十 人の 勞働 議員の 一 圑 が T ォ ル ソドッ 

クス』 の 政 黨院內 總務の 形に おいて.' はない にしても、 獨 



立の 形に おいて 現れた こと は、 多くの 古る き 議員 等に 不安 

の 思 を させす にはゐ なかった。 第 一 回 及び 第一 一回の 會朋 

に は、 この 新 攻黨は 非常に 多く その 要求 を 通過 させた。 ィ 

ンダ ランド 及び ス コット ランドの あらゆる 工業 地の 選舉區 

において は, その 議席の 安全 を 第一 に考 へる 玫治家 によつ 

て輕々 に觀 過す る ことので きない 前兆 的な 騒援 があった。 

それ は 宛 かも 新ら し い 時代が われ 等の 攻治 史のラ ちに 到達 

したよう に 見えた。 しかし、 J の 新 攻黨の 指導が 宜しき を 得 

ないで、 天才の 政治的 指導者 または 普通の 能力の 攻治 家で 

さへ も 存在し なかった ことの 事實と 離れて、 産業 的 發展は 

た > 經 濟的權 力が 不可避 的に 政治的 權カを 形づくって ゆく 

こと を 急速に 證據 立てる ばかりであった。 

勞働黨 は 攻治的 聰明 を缺 いて ゐた。 攻 治の 最大の 要件と 

しての 勇 氣を缺 いて ゐた。 彼れ が 議席 を 占めて ゐる 間に、 

利潤 は 益々 髙ま り、 さう して 賃銀の 購買力 は 盆々 低くな つ 

た 1 九 一 三年に 發 行され た 賃銀に ついての 商務 院の 報告 

は 政治的 勞働黨 の 衰亡 を表徵 する ものと いふ ことができよ 

50 この 報告 は 一 九 〇 六 I 一 〇 年の 繁榮 時代の 正確な 降下 

の 方向 を 示した。 これ 等の 時代に おいて 賃銀 は 名義 上六パ 

アセント だけ 上った。 しかし 實 際の 賃銀 は十パ アセント だ 

け 下がった 。勞 働黨の 選舉區 において は 地代と 小賫物 憤と 



を 合せて バラ ゥゃ、 ダンディ ゃゲ ラス ゴゥ においての、 十 

パァ セン 卜から ブ ラッパ アン や、. * ホルトン や、 ストック ボ 

1 トの 十六 パ ァ セン 卜にまで 騰貴した。 かくして 賃銀 勞働 

者の 立場から して は、 攻治的 行動の 失败 である こと は 明ら 

かとあった。 

(本章つ く) 

河 上 博士 曰く 

言 ふ 迄 もな く、 擧 問と は 眞理を 討究す る 二と である。 故 

に 舉者は 絕對に 正直なる べき こと を 理想と する、 眞理 とい 

ふこと >. 不正直と いふ こと > 'は、 絕對 に相容 れぬ槪 念で あ 

る. e 何なる 眞理 も、 不正直の 顔 を 見れば、 直に 其 姿 を隱す 

それが 真理の 本質であって、 不正直なる 眞理と 云 ふこと 

は、 燃 ゆる 水、 漁れる 火と 云 ふが 如き ものである。 

旣に擧 者 は 絕對に 正直で なければ ならぬ。 故に 學者 は絕 

封に 研究の 自由 を 有する こと を 理想と する。 自ら 眞 なりと 

認 みたる こと は、 如何なる、 】 となりと も飽 まで も 之 を眞な 

りと して 遊む の 自由 を 有たなければ、 眞理に 到達す るの 道 

がない ので ある。 此 種の 自由 を擧 者より 奪 ふこと は、 眞理 

の 扉 を 開く に 是非とも 必要なる 鍵の 一 を。 彼等より 奪 ふこ 

とで ある。 それ は舉 者を擧 者と して 殺す ことで ある。 




家の 職分 i 



人 々 の 惡德は それの 恐怖に よって 抑 へられるべき もの 

であり、 善い 人々 は惡ぃ 人々 の 間に 安全に 生活し 得、 ま 

た惡ぃ 人々 は 法律に よって 罰せら るべ く、 更に 刑罰の 恐 

怖に よって 害惡を なすこと を 止むべき である 11 これが 

法律が 作られた と, J ろの 理由で ある。 

(西暦 六 百 四十 年、 スペイン、 ゴ| ドの王 チン ダス グイ 

ン トウに よって 作られた、 ゴ ー ド 及び 口 I マ 系の 法律 

集、 フ ユウ 口、, チヱ ッゾ より、 マド リット、 スペイン 

國民阖 書 館に おいて。) 

同 主義 思索の 時代が、 今日 人々 が將來 の社會 における 

國 iiSi の 特質 を考 へる 時に、 それの 第 一 の 職分 は 組織の それ 

であると いふ 假說 から 始める ところの 社 會論を それの 中に 

含んだ の は、 混亂の 典型的の ものである。 サン * チカ リスト 

は、 現簧の 彼のより 確乎たる 把持 力 を 以て、 國家は 極端に 

惡 ぃさラ して 無能な 組截者 だと 思って、 〇〇〇〇〇〇〇〇 

〇〇0〇〇〇〇〇〇〇〇〇 よい 辯 護 を 見出し 得ないならば 



ァ— サ ヂィ. • 。へ ン チイ 

それ は 邪魔物で あると い ふ斷 案に 到達す る 11 それ は 組 

織 を國 家の 第一の 職分 だと 考へ る ことに 對 して 私が それ 

からな にら の 逃け 道 を も 見出し 得ない と, 〕 ろの 斷案 であ 

る 

ナショナル、 ギルド マ ンは、 國家 をよ く 整 へられた 瓧會 

にと つて 本質的の ものと して 承認 はする が、 必 すし もこの, 

矛盾から 逃れ 得なかった。 ネブ ソン 氏 は 組織の 思想が 國家 

の 第 一 の 職分で ある こと を 斥ける が、 それ を精祌 的の もの 

だと 考 へる、 教育、 卽ち、 對外 政策 や、 公衆 衞 生や、 地方 

自治 等の 例外 を 以て、 彼の 論 點を辯 護す るた めに、 彼が 與 

へて ゐる例 は、 私に は 精神的よりも、 より 世俗的に 見える 

の だか、 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇o〇〇〇c〇〇〇〇 それ はキ 

ルド 會議が 取り扱 ふに 適しない 活動の 存在 を喑 示す る、 し 

かし それ は 我々 に 指導た ろべき なにらの 明確な 原理 をも提 

供し ない。 ネブ ソン 氏の 「精神的」 の 理解 は 私のと 異なつ 



18 



て rO る。 さラ して 若し 國 家が 組織 者と して, てれ 自ら を 論證 

し 得ないならば、 それ は 確に 51? 祌的影 iJ の 如き こと をな し 

得ない と 私 はいふで あらう。 それが 今日 あろ 精神的 影響 を 

行 はない のみなら す、 國 家が 過去に おいて それ をな した か 

どラか 疑 はしい。 かへ つて 國家 は、 それ. かそれ の 保護の 下 

に 企てたい かなる 精神的 活動に も 有害な 影 il を 行った やう 

に 思 はれろ。 大抵の 國民 は、 英國々 敎々 會に對 すろ 國 家の 

影雜が 最も 壓制 的の ものであった ことに 同意す るで あらう 

しかし 今日 存在して ゐる ところの この 敎會 i 高敎會 1 1 

の あ る 派に おい て國立 制度 麼 止の 主張者 か 見出さ ろ ベ きで 

あるの は 意味 ある ことで は あるが。 我々 の 國民敎 育 制度 を 

辯 護すべき、 或は 敎育 事業に おけろ 國 家の 41 與は 兎に角 そ 

れの 助長 者の 期待 を充 たした- J と を 主張す ベ き 何人も か 見 

出されない であらう. - また、 更に、 國 家-によれる 藝 術の 保 

護が 洞察と 理解との なんらかの 程度 を 示す, J と を 何人 か 主 

張し 得よう か? これ. かさう でなければ ならな いのは 物事 

の 性質に おいてで あると 私 は 信す る、 なぜなら 國家は 現世 

の 現世 的な ものであるから。 それの 注意 を 誘 ふところの 現 

世の 力の 問題 は 精神的の 物事の 成長と 發展 とに 有利な 雰園 

氣を 創造すべき 傾向がない。 

. 若し, 然 らば, 國家が 組 II 者と して 論證 さるべき でな く 



また それ は 精神的 作用 を 行 ひ 得ないならば、 いかなる 立脚 

地に おいて それ は 論?; i さるべき であら 5 か? 歴史の 經驗 

は 答を與 へ る。 國 家の 作用 は 社 會に對 して 保護 を 11 第 一 

に 軍國的 保護 を、 次に 公民 的 保護 を、 最後に 經濟的 保護 を 

11 與 へる ことで ある" 私 をして 先 づ經濟 的 保護 を 論證せ 

しめよ。 なぜなら 若し 私が 全く 理解 さるべき であるならば 

私が 現代の 玫 策と 甚だ 異なった ある ものに 說き及 ほす、 J と 

を 明かに する ことか 必要で あるから。 保護 は 一 一枚の P- の劍 

である、 さう して 丁度 祝福の. S く 容易に 呢咀 であるか も 知 

れ ない。 海 を 越えた 經濟 的の 敏に對 する 保護 は ある 安定な 

經濟 組織の 必要な 必至 的 締結で ある。 し.^ し國內 における 

經濟 的の 敏に對 する 保護 は 第一義 的 必然で ある、 なぜなら 

それ は 利己的 使用に 對 する 勞働 者の 保護 を 意味す るから。 

それ は ギルドの 復興 を 4a む。 これら を 免許す る ことによ つ 

て 國家は 社 會に對 して 經濟的 保護 を與 へ る。 

, 3 の 種類の 經濟的 保護と 軍 固 及び 公民 的 保護との 間の 闕 

係 は 一 見して 明暸 でない かも 知れない。 しかし 僅かば かり 

の 思想が 多分 彼 は 相互に 賴 つて ゐる こと を 示す であらう。 

總 ての これらの 保護の 形式 はこの 共通した 一 つの こと を 持 

つて ゐる 11 卽ち 彼等 は 掠奪 者の 劫 奪に 對 して 社會を 守護 

する こと を 求める。 經濟的 保護、 卽ち、 特權 は、 掠奪 者 をし 



て 詐欺の 手段に よって 彼の 目的 を 確保 させない やうに する 

ために, ギルドに 對 して 要求 せられる。 公民 的 保護 は、 同 

樣の 型の 人 をして 個人的 暴行に よって 彼の 目的 を 確保 させ 

ないやう にす るた めに、 要求 せられる。 軍國, 的 保護 は、 二 

の 型の 人々 になれ る 隣接した 國 民の 支配の 止む を 得ない 結 

果 であると こる の外國 からの 攻 擎に對 して 社會を 安全に す 

るた めに、 要求 せられる。 この 見地から 諸國 民の 一 致しな 

い 心理が 說 明され なければ ならない。 國際 法擧者 は、 群集 

と考 へられて、 人々 は 全世界 を 通じて 甚だ 類似して ゐるこ 

と を斷言 する ことにお いて 正しい かも 知れない。 けれども 

實際 的の 事柄に おいて 相違 をな すと ころの こと は 文明 を 支 

配す ると ころの 人の 型で ある、 なぜなら 支配的の 型 は社會 

に對 して 調子 を與 へ、 また それ は玫治 上に 算入し なければ 

ならない と f>tQ の ものであるから。 

. 國 家の 作用に ついて この 見解の 明嘹な 眞理は 二つの 事柄 

によって 妨害せられ た。 卽ち、 第 一 に、 今日に おいて 國家 

は 甚だ 多く 掠奪 者の 自 ft になって ゐる、 また 第二に • ルソ 

ゥの 「人類の 自然 的 完成」 の 敎義を 改革者 達が 承認した こ 

とに よってで ある。 第 一 は 現存の 國 家に 無 條 件の 捥 護を與 

へる ことに 對 する 理由で あるか も 知れす、 またで ないか も 

知れない • なぜなら 法律 は 最早 「善い 人々 をして 惡ぃ 人々 



の 間に 生活し 得せ しむべく」 制定され ないで、 「富んだ 人々 

をして 貧しい 人々 の 間に 生活し 得せ しむべく」 制定され る 

から。 第一 一はより 切實な 事柄で ある、 なぜなら それ は、 最 

後に 彼 を逐ひ 出す を 得る ところの 唯 一 つの こと 11 眞實の 

社 會哲攀 ! の 邪魔 を なすこと によって、 掠奪 者は國 家の 

所有の 中に 確立す る 傾向 を 持って ゐ るから、 なぜ ルソゥ の 

敎義 か社會 主義 達の 間に 承認 を 見出し たかは 常に 私に とつ 

て 不思議であった" 若し 資本家に よれる 近代 世界の 支配が 

國家は ギルド を壓 迫す る ことによって それの 市民から 保護 

を 撤去す る 時に、 資本家 は、 自然 陶汰の 過程に よって、 社 

會 のより 遠慮深い 人々 の 生活 を 支配す る やうに なろ とい ふ 

假說 から 說明 されるべき でないならば、 それ はいかに して 

說明さ る ベ きで あらう か? 「制度」 を 非難す る, J とに よつ 

て 資本家に 個人的 責任 を究 除す る こと は 純粹に 無意味で あ 

る * なぜなら それ は 個人の 意志から. 殊に それの 支配的の 

型 であると ころの 資本家から 離れた 社會組 截を豫 想せ しめ 

るから、 广り 以上に 資本主義 を 資本家 制度と いふ こと は そ 

れ 自ら 讃稱 である、 なぜなら それ はな にら 意味に おいて 制 

度で ないから。 それに 反して 資本主義 は i たる さう して 

秩序の ない 生長で ある、 また それへ 秩序 を もたらす べきで 

あらゆる 努力 は 行き渡って ゐる混 亂を增 すべく 反動す る。 



彼等 は 之の 嫌悪 11 原罪 11 に對 する 唯 一 つの 合理的 論證 

を 否定す る ことにお いて 誤 まって ゐ る。 私 はこの 事 實の正 

直な 承認 を, 主張す る、 なぜなら 私 は それ を 離れて ギルド は 

いかにして 復興 さるべき か を 見出され ないから。 恰も 近代 

議會 制度. か 人類の 自然 的 完成 ^ 敎義の 攻治的 表現で あ る と 

同樣 に、 中 世紀に おける ギルド 制度 は 原罪の 敎義の 攻治的 

表現であった。 この ことに 關 して なんらの 二つの 見解 も 可 

能で ない。 中世 主義者に、 惡漢は 作られる と 同樣に 生れる 

また近代世界を壓^?^^る^き惡漢崇拜の 生長を防止すべ き 

唯一 つの 方法 は 人々 における 惡 傾向の 存在 を 正直に 承認し 

且つ 從 つて 法律 を 制定す る ことで あるの を 悟った。 彼等が 

それの 先 占め や、 買占め や、 ^造の、 種々 な 形式に おいて 

利 盆 を 得る こと を壓 制すべく 求めた の はこの 理由から であ 

つた。 なぜなら 彼等 は、 惡漢等 は 危險な 人々 であり、 また 

彼等 を 支配すべき 唯 一 つの 方法 は、 仕事 を 初める と 二つの 

總 ての 人々 は 彼等の 仕事の 虐理ゃ 日常生活 において 嚴 格な 

道德 法に 從 はなければ ならない こと を 主張す る ことによ つ 

て、 首途に 彼等 を應 制する ことで あるの を 悟った から。 人 

類の 自然 的 完成に おける 信仰 を 持った 自由主義者 は 反對の 

假說 11 卽ち、 若し 人々 が 彼等 自らの 欲望に 從 つて 行 ふべ 

S く 自由に 置かれるならば、 最上の もの は 頂上に 來ろ であら 



うとい ふ假說 11 に 基 かれた。 彼等 は勞働 者に とっての 經 

濟的 保護 を 拒む ことにな つて 產業 的ミレ 二 ユウ ムの 開始 式 

を 行 ふこと を 求めた。 また 同時に 彼等 は 軍國的 保護が 最早 

必要で ないで あらう ところの 時代 を 夢想した。 これらの 幻 

想 は兩方 共戰爭 によって 閉 ぢられ た。 しかし それの 上に 彼 

等が 建てられた ところの 敎義 —— 卽ち、 人類の 自然 的 完成 

11 は 我々 の 混亂を 永存 さすべく 殘 つて ゐる。 それ も、 亦 

閉ぢ られる 時に、 我々 は國 家の 理論 を 取り返す であらう。 

(木 蘇生 譯) 

河 上 博士 曰く (一 D 

勿論 總 ての 人々 が 種々 の 社會的 理由に よ リ樣々 の 束縛に 甘んじ 

つ 、ある 現 他の 社せ に 於て、 獨リ學 者の みが 有らゆる 方面 に 於て 

絕對の 自由 1^ 耍 求す る攉利 はない。 それは當然す>^、た當然のこと 

でぁる0只學者は學者なるが故に、學者としての本質と絡^^に離 る 

ベから ざる 研究 上の 絕對 自由.^ 耍求 する 權 利と 義務と 1^ 有す る C 

國 家が 大學 1^ 設けた る 目的の 一 に學 問の 研究と いふ、、 とが. r; い 

のなら ば、 固より 問題 はない。 併し 苟 くも 學 問の 研究 其 目的の 

一 となすならば、 眞理 vjy 離れて 學問 なく、 研究の 自由な くして 眞 

の 閱明は 在り 得ざる が 故に、 大學 は學問 研究の 上に 絕對の 自由 1<5* 

有すべき であり。 假令斬 かる 自由 は 法令に 規定し あらす とも、 否 

な C- 取 初よ リ 特別なる 法令の 规定, ^俟 たす L て は大學 そのもの」 本 

書で ぁリ 耍素 である。 然る LL 其大學 LL 職 ど 奉す る 敎授の 一 人が, 

研究の 結果 偶然 他人の 見ズ 以て 『安寧秩序』 に危 險ぁリ とする 決 

lf,iに到達したリとて•其故f^:^て、 ! 私 は 其 故 以てで ある と 解 

釋 して 居る —— 大學 によ リ大學 i リ追 放せら る、 と 云 ふこと は、 

死刑執行 人が 官命に よりて 人な 死に したる 時、 彼 自身が 殺人犯 

, ^以 V ^死刑に 處 せらる 、が 如き もの である。 (大阪 毎日よ リ) 



コ ー 产 の社會 主義 



ゥ ェ ッブ より コ— ル へ (一一) 



甲 野哲. 二 



(六) 一 

「過去 1 一三 年の 間 吾々 は 1 一重の 努働 不安の 中に あった。 其 一 

第 一 にして 最も 著しい もの は 勞働者 圑體の 平 勞働者 間に 鬪ー 

爭的 精神 を 鼓吹した 新しい 新 組合主義 である、 然し 之れ と 一 

同時に 其-原因 として 又 結果と して 努働 運動の 哲舉の 要求と 

も稱 すべき 智識 的 不安が あつたので ある。」 (wor d of Lab- 

our .PI) こう n I ルは其 名著の 內で 1 九 一 〇 年代の 勞 働不: 

安 時代からの 勞働 運動の 狀態を 叙述して 居る。 其 所謂 勞働ー 

運動の 哲舉の 要求と は 卽ち勞 働黨の 議會攻 策、 卽ち 「スト 一 

ライ キ より 投票 へ 」 の攻 策の 失敗 を 物語る ものである 。再び」 

コ ー ル の 言葉 を, 借りて 言 へ ば 「近時の 智識 的 不安の 歴史 は _ 

其 大部分 「努 働」 が 初期の フエ. ゼァ ン 主義者の インス ビレ ー i 

シ ヨン を 消 翁して パ ンチ がシド 二 1.*ゥ ヱ ッブ 主義 "Sidn-i 



cywefficalis ョ - と稱 した ものから 漠然と サ ン ディ 力 リズ ム 

と 云 はる ものに 其 光明 を 求めた ことで ある OJ (cole.op.cit. 

P. 3) 當時 における 物價 騰貴に 依る 努傲 不安と この 際にお 

ける トム • マン やべ ン • チレ • ッ ト の サンディカリズム の宣 

傳は勞 働 者 をして 勞働黨 から 分離の 傾向 を 表 はさ しめたの 

である。 フ- ビアン 社會 主義の 子と して 生れた 英國勞 働黨の 

失敗 はまた その 親で ある フ- ビアン 社會 主義の 失敗で なく 

其 はなら い。 そして フ, - ビアン 社會 主義 はジ ドー 一 —• ゥヱプ 

ブの 人に 依って 指導せられ たもので ある。 だから 當 時に 於 

ける 勞働 者の 勞働 黨に對 する 失望 はま た シ ド 二 i ゥ ヱ ッ 

ブに對 する 失望で ある。 

この 勞働 不安と サ ンデ イカ. リズ ム とから 生れた もの はキ 

ルド 社會 主義であって ノォレ —- 、チ. の 提唱した 所で ある。 ォ 

レ ー, チを 中心として 雜誌 「二 ュ— • HI. チ」 を圍撓 する 論客 



は 英國で 「サンディカリズムの 波」 が 引き去った 後 努働黨 

の卽ち ウエッブの 集產 主義と サ ン ディ 力 リズムと に對 して 

批判的 度を以 つて 之に 臨んだ ので ある。 そして 努働 運動 

に對 して 理論的 根铼を 提供 せんとし たので ある。 だから 其 

方向 は先づ ウエッブの 集產 主義に 對 しての 批評から 始まる 

ので ある. - 其 中 樞問超 は 實に產 業 管理 權の 問題であった。 

ゥ ヱ ッ ブの國 家社會 主義が 産業 管理の 內容を 一 、 何 を 生 

産すべき か、 二 如何にして 生產 すべき か、 三 雇傭 條件を 如 

何に すべき かの 三つに 分析して、 この 三つと も國 家の 手に 

よって 決定 せらるべき であると して 居る の は 前號旣 に. 詳論 

した 所で ある。 サン ディ 力 リズム は 努働者 —— 生 產者專 制 

を 主張して この 三 個の 產業 管理なる もの は 共に 生産者の 手 

によりて 卽ちサ ンデ イカの 手に よりて 決定すべき もので あ 

ると 主張す る。 故に サ ン ディ 力 リズ ムは n レク チビ ズムと 

共に マルクス を 其 祖師と する ものであるが, 】 の點は 正反對 

の 立場に 立つ ものである。 そして、 nl ル 一 . ギルド 社會 

主義の 理論家と しての コ I ルはサ ンデ イカ リズ ムに對 して 

「サ ン ディ 力 リズ ム は 他の 生々 した 舉說と 同じく、 其 主張す 

る 所に 正しく 其 否定す る 所. において 誤って 居る,, 一 (前揭 書 

三 七 六 頁) との 批評 をして、 其 産業 II? 理權の 問題に ついて 

1 サン ディ 力 リズ ム の立餳 を 認容して 《i5 る。 



集產 主義の 産業 管理 卽ち國 家の 産業 管理の 炔點は 何で あ 

るか。 其 は ラッセルの 言葉 を 借りて 言へば 次の 通りで ある 

「建設の 本能に よって 靈感 せられた 仕事 は 之れ が 面倒で あ 

り、 困難で あっても 满足 である、 何と なれば 其 努力 は 恰度 

野 鬼 を 追 ふ 犬の 努力の 樣に 自然 だからで ある。 現在の 資本 

主義 制度の 重要な 缺點は 賃銀の 爲に する 仕事 は 創造的 衝動 

に 付け 口 を 提供す る ことが 少ない 點 にある。 賃銀の 爲に働 

く 人 は 其 作るべき ものに 關 して、 撰擇 をな し 得ないで 全 過 

程の 創造 は、 其爲 さるべき 仕事 を 命令す る 雇主に のみ 集中 

する ので ある。 …… 然し これ は國 家社會 主義に よっても 避 

ける こと は 出 * ぬで あら ラ。 社會 主義の 社會 にあって は、 

國家は 雇主であって、 各個の 勞働者 は 其 仕事に 對 して 現在 

における 樣に JjD 理 する こと. か 少ない ので ある。 彼のな し 得 

る 8« 理は 政治 機關を 通じての 間接な もので あり、 相 應の满 

足を與 へる に は あまりに 輕少 であり、 遠 廻りで ある。 或は 

恐る 其 時には 自治の 代りに 相互の 干 涉を增 加し ないだら ラ 

かと。」 (室 伏 高 信 譯社會 改造の 原理 一 三 九 I 1 四 〇 頁) 

この ラッセル の攻擊 はまた コ ー ル の攻擊 である。 そして、 J 

の 批判的 態度 を分柝 して 見る とその 一 っは國 家社會 主義 を 

以て 官僚主義 であり、 其 二つ は國 家社會 主義 を 以て 國家資 

本 主義で あり、 其 三つ は國 家社會 主義が 消費者 本位で ある 



CO と 言の 三 K である ひ 

S 

「ギ ルド 社會 主義者の 任務 は國 有に 反對 し、 または 之 を 主 

張す る ことに あるので はない。 ギルド 社會 主義者 は 努働者 

の 心に 其 根據を 得つ.' ある 產業 統制の 思想 を單 なる 思想と 

して 止めて 置いて はならない ことで ある。」 (cole :-self-GO- 

vernment in Industry, p. 224) とコ ー ルが 言って 居る 如く 

ギルド 瓧會 主義 は國 家社會 主義に 對 する 批評 を以 つて 能事 

とする もので はない。 けれども ゥ ヱ ッブ より コ| ル へ の 道 

は ど, rs しても ギ ル ド社會 主義の, 踏 家社會 主義に 對 する 批評 

を 通過し なければ ならない。 そして それ は 主として 前に も 

言 ふ 通り 産業 管理の 問題で ある, - 

第一の 問題 は 何が、 何時, 何 慮で、 :^: れ 丈け 生産 せらろ る 

かの 問 超で ある。 何 か生產 せらるべき かの 問題 は實 際生產 

する 生産者に もまた 社 會に對 しても 一 の 問題であって、 そ 

れは 生産の 問 超 は 生 立 生者が 生産者と しての み 決定すべき 

問 超で はない。 サンディカリズム は 生産者 専制 を 主張して 

, J の SI 超 も 亦 生産者 自身の 勞働 組合 會議 と勞働 取引所の 決 

定 すべき ものである となして おる. か、 それ は 徹底した 意見 

ではない。 何と なれば 勞働 組合 會議 も勞働 取引所 も 單に變 



装した國家でぁり、都市でぁり、彼等は不完全な涫費者の《^ 

截 であって、 氣の 生産者の 圑體 たる こと を 得ない からで あ 

る" 斯 くの 如く ギルド 社會 主義者 はこの 部分の 生產 管理に 

ついては 之 を 生産者に 其 全權を 渡す こと を 欲しない ので あ 

る。 彼等 は 明かに 貨物 か 其 用に 應 じて 生産 せらる る 人、 卽 

ち 消費者に よって 何 か 生産せられ、 何時, 何れ 丈け 生産せ 

ら るべき かか 決定せられ るので、 貸 物の 依って 生產 せらる 

る 人々 によって 诀定 せらろ べき もので はない と 主張す る。 

然し これ は生產 者が 個人的 消費者と 國家 とに 對 して 無 貴 

任で ある こと を 前提と する。 現 時の 資本家 は 現 論 上 恰度 こ 

んな 地位 を 占める ものである。 た > 公衆 は 其 購買力に よつ 

ての み 其 を 統制す る ことか 出來 るか、 將來 の勞働 組合 かか 

かる 地位に 置かれたならば 消費者 はこれ を 統制す る ことが 

出来る であらう か。 勞働 組合 か トラストの 樣に 利潤 を 目的 

として 生產 するとき に、 消費者の 勢力 はた 其 ポッケ ットに 

する のみで ある。 然し か. -る 地位に 置かれた にしろ、 勞働 

組合 は トラストと 同樣に 市場の 需要 を 考察した 上で 其生產 

を 遂行す るに 至る であらう。 然るに 勞働 組合が 利潤 を 目的 

とする 圑體 でな くして 其 組合員 は 其生產 物の 販賫價 格の 如 

何に 拘らす 支 拂を受 くると き は、 消費者に は 他の 統制 方法 

が ある。 か る 場合に 勞働 組合 は 消費者の 圑體と 商議 を 行 



はなければ ならない。 彼等 は國 家と 商議 を 行 ひ 組織的 消費 

者の 意志と しての 國 家に 依って 導かれなければ ならない。 

また 次の 樣な 場合 も考へ 得る。 卽ち國 家 か勞働 組合に 命令 

を 下し、 其 生産物 を全體 として 支 拂ふ、 J とで ある。、 J の 方法 

に 依っても 國家は 產業を 統制す る ことが 出來 なが、 ギルド 

社會 主義者 は 第一 一の 楊 合 卽ちギ 、ルドと 國 家との 商議す る 制 

度 を 取る ので ある。 この 點 において 彼等 は サン ディ 力 リズ 

ムの 生産者 専制より 逃れ、 國 家社會 主義の 官僚主義 的 傾向 

から 免れん とする ものである。 

5 

第一 一の 問題 は 生産 過程の 問 超卽ち 如何に 生産 せらろ べき 

かの 問 超で ある。 そして 最も 問題と なる の はこの 第三の 問 

超で ある。 この 生產 過程の 問題に 關 して 勞働 組合が 保守的 

悠度を 揉った ことに 就いては ウエッブの 說 いて をる 通りで 

ある. - 彼等 は 機械の 使用に 反對 し、 時代 遲れ の生產 方法 を 

固執す る こと もあった。 斯様な 度 は 勿論 賃銀の 低落と 失 

業の 豫想 とからで ある。 然し、 資本家 階級の 無慈悲の 前に 

立って 勞働者 階級が 外の 態度 を 採り 得た であらう か。 勞働 

者 は 機械の 使用に 依って 其 終局に おいて 生産物の 增加 によ 

つて 利益 を 見た も 知れない、 然し 乍ら、 機械 使用の 當 初に 

1_ おいて は それ は 賃銀の 低落と 熟練工の 失業と を 意味した も 



ので ある。 だから 彼等の 機械に 反對 した こと は 特殊の 狀態 

からで ある。 機械の 使用が 資本家 を 利益す るの みで、 何等 

勞働者 を 助けない 場合に おい C 彼等 は 之 を歡迎 しなかった 

ので ある。 けれども 勞働 者が 其勞 働を輕 減し 得る ときには 

之 を歡迎 したので ある。 故に. もしも 掠奪の 危險の 除かれた 

時に おいても 勞働 組合が 新 機械の 使用に 反對 するとす るの 

は單 に憶斷 に過ぎない 所論で ある。 けれども、 將來 の勞働 

組合が か > -る產 業の 過程た 干與 する こと を 得る にしても、 

現在の 園體 取引と 相互 保 險とを 主と する 戰鬪 的な または 共 

濟 的な 勞働 組合の 組織が 將來 その ま. -に 之に 當り 得る とか 

如 何 はまた 別問題で ある。 

, J の 過程の 勞働 者に よる 決定に ついて こ. - に 論じな けれ 

ばなら ない こと は產業 民主主義の 意義で ある。 攻治 上に お 

いて 民主主義の 絕叫 せらる るの 久しい のに 反して、 産業 上 

における 民主主義の 發達は 比較的 僅少なる かの 感が ある。 

, J の 民主 主 錢の精 祌を產 業 上に 摘要 するならば 勞働者 は 其 

產業 過程に 闢 しての 11 生産の 時期、 所 及び 其 分量に 關し 

てで はない -—— 行政 者 を 選擧む 且つ 之 を 統制し なければ な 

らな い 。「然し この場合、 消費者が , J の 過程に 干與す る 理由 

はない ので ある。 消費者 は 其 欲する 所 を 得なければ ならな 

い、 けれども 消費者 は 其の もの を 獲れば それが 如何にして 



^ 作られ たかは 問 超で はない。 然るに 生產者 はこの 過程に お 

いて 多大な 關係を 有して をる。 生産に おけろ 安全 快 樂其變 

化 は 主として 生產 者の 關 する 所で あり、 努 働に おけろ 苦痛 

も 悦樂も 彼のみ の關 する 所で ある、 だから 彼 は 最大 可能の 

程度に おいての 統制 を與 へ られ なければ ならない。 

然し 乍ら、 消費者 も 亦 生 _產 過程に ついて 間接の 利害 を 持 

つてお る こと は事寘 である。 其 採用 せらる る 過程の 如何に 

從 つて 消費者の 支拂 ふべき 價格は 影響 を 受ける ので ある。 

だから 消費者 は 其 全 過程 を 生産者の みの 統制に 任して しま 

. う譯に は 行かない。 何と なれば 生産者 は 其 費用の.^ 何に 抅 

らす 常により 愉快な、 より 安全な 方法 を 採る からで ある。 

であるから この場合 努働 組合 または ギ ル ドが 消費者の 商業 

的關 係で なく、 組合員が 常に 一 定の 支給 を 受けて ゐる とき 

に は、 ギルド は 其 生産 過程に ついて 國家ど 商議 をし なけれ 

ばなら ない ので ある。 卽ち 組合 ェは ギルドが 生産の 主體と 

なり、 その 生産 過程に おいて 國 家の 干 與を 許す ときに のみ 

生産者と 消費者の 利益と を 調和す る ことが 出來 るので ある 

何と なれば 國 家の 干與に よっての み社會 を圑體 としての 生 

產 者の 掠奪から 防ぐ ことか 出來 るからで ある。 

S 



第三の 口 題 は 勞働條 件の 問題で ある 其 中には 勞働 時間 

並に 賃銀の 規定 を 含んで 居る。 將來 の勞働 組合 を 現在の 資 

本家との 交渉の 如く 國有產 業に おける 國 家との 商議 をす る 

純獨 立の 圑體と 見る 者 は, ) の 範圍を 以て 生産者に よる 産業 

管理の 主要 範園 とする。 彼等 は生產 者の 理權を 圑體 取引 

トレ- rf ド 

に 見限らん とすろ ものである。 彼等 は 商 務 院の擴 張を以 

つて この 要求に 當 らんと する ものである。 けれども 新の 樣 

な 方法 を以 って赁 銀 並に 勞働 時間 を 決定し 樣 とする の は 著 

しく t!i 妄 でなければ ならない。 何と なれば、 商務 院の勞 働 

條件 決定 法 は 消費者の 道 德 的 標準に よって 消費者 をして 賃 

銀と 勞働 時間と を 決定す る ことで あるから である。 斯樣な 

方法 は 口に 生産者の 管理 權を 主張して、 其 實を與 へない も 

ので 官僚 的 惡弊を 著しく 表明せ る, ものに 過ぎない。 勞働委 

員會 制度の 擄張を 亦 同じ 種類の 虚妄た るに 過ぎない。 勞働 

委員 會は 優秀な 價値を 有する もので 將來の 產業は 大いに 之 

を 利用す る ことがある であら, フ。 けれども 單 にこの 委員 會 

のみ を以 つて 生産者の 權利を 確保せ しめる ものと 考へ るの 

は、 あまりに 產 業界に おける サン デ" 力 リズムの 傾向 を 無 

視 する もので なければ ならない。 國 家社會 主義の 下に あつ 

て は、 他に 之と 競爭 する 産業がなければ、 賃銀 は 其 法規へ 

の 反影と しての 消費者の 好意に 依っての み 決定せられ るの 



である 特殊 問 超に 關 して は、 攻府當 局に 對 して、 ス トライ キ 

を 行 ふこと. か 出來る • 然しながら 賃銀と 努働 時間と に對す 

るス トライ キは 社會の 道德的 標準に 對 する ストライキに 外 

ならない。 そして 社會の 見地から 見れば 其の 道德的 標準の 

低き ことに 對 する 非難 は 決して 之 を 容赦 しないの である。 

而 して 現在の 勞働 組合 は其簧 銀と 勞働 時間と を 管理す る 

ことが 必要で ある。 何と なれば 其 組合員 は あまりに 過勞に 

して, 賃銀が 少ない からで ある。 けれども 産業 管理 權の要 

求 は 高き 賃銀と 短き 努働時 問と に對 する 要求と 其 本質 を異 

にす る ものである。 それ は 其 本質に おいて 產業狀 態と 過程 

との 150 理に對 する 要求で ある。 而 して 其 要求 はこの 範圍に 

おいての み 充足され なければ ならない。 蕖產 主義の 下にお 

ける 勞働 委員 會 制度と 獨 立なる 勞働 組合に 侬 つて この 目的 

を 達し 樣 とする の は 無意義の ことで ある o(world of Labc- 

斯くコ I ルは ウエッブ の集產 主義の 產業 管理 問題 を 批評 

し來 つて、 其 集 産 主義に 對 して 次の 樣な 斷案を 與 へ てお 

る 

「集產 主義 は 其途を 開拓して、 其 地歩 を 占めた. - そして 社 

會 主義 は 今や 不幸に も 其 大多数の 反對 者の 心に おいても ま 

2 た その 主張者の 心に おいても 純然たる 築產 主義と 同 一 視せ 



られ てお る。 そして * 集產 主義 は 益々 事務的と な ひ * 其 咸^ 

激 すべき 理想 を も 失 ふに 至って、 社會 主義 は 煩悶して おる 

社會 主義 は 之が サ ン ディ 力 リズ ム にある 長所 を 採取して 集 

產 主義の 長所と 之 を 調和せ しめる ことにお いての み、 生氣 

ある 教義と なること. か出來 る。」 と。 (world of Labour. 

368-369) 

斯くて は 彼 は 其 主張た るナシ ョナル • ギル ヅ 若し くはギ 

ル ド 社會 主義 を 提出した の である。 

(十) 

然 らば 新 樣な 集產 主義の 產業 管理 榴 問題の 批評から 出發 

した ギルド 社會 主義の 根本 精神 は 何で あるか。 彼等 は 「自 

由の 要求」 が これで あると 答へ る, - 國 家社會 主義者の 要求 

した 所 は 物質的の 安寧であった。 彼等 は 物質の 安寧の み、 

言葉 を換 へ て fla へ ば 貧困 を根絕 する ことにお いての み 人間 

の 幸福 を- A= 進し? i ると 考 へたので ある。 であるから 彼等の 

目的 は 「貧困の 豫防 であり 社會の 各員に 對 して 文明 生活の 

最少 限度 を 確保す る ことで ある。 故に 人々 は 住居と 食物と 

衣服と を與 へられなければ ならない。」 斯くて 彼等 は單 なる 

物質主義者と 化し、 社會 改良主義に 墮 して 行った ので ある 

何 となれば 社會 改良主義 は實に 物質主義の 子で あるからで 



22 



あろ。 

「努働 者の 物質的 束縛 は 其 精神的 束縛の 結果で ある。 彼等 

は 貧困で ある。 何と なれば 彼等 は奴隸 であり、 そして 貧困 

ではなく、 奴隸か 資本主義の 據る 基礎 だからで ある。」 故に 

國 家社會 主義者の 樣に其 根本に 遡らす して、 其末棄 にの み 

着眼す るの は 根本的 誤謬で ある。 然 らば 其勞働 者の 奴隸的 

狀 態と. は 何で あるか。 現代 資本主義 制度の 下にお ける 11 

そして また 國家 社會 主義 制度の 下にお いても 存在すべき I 

I 賃銀 制度が これで ある パ Cole Mellor!-Mcaning of Imlu 

stl^ial 1-reedom.) 

賃銀 制度 は實に 資本主義 經濟 組織の 前提で ある。 其勞働 

者に 對 する 剩餘價 値の ヱクス ブイ ティ シ 3 ン もこの 制度な 

くして は 成立せ す、 賃銀 制度 其 ものの 撒廢は 未だ 資本主義 

經濟 組織の 撤廢を 實:. 味す る ものである。 其 賃銀 制度の 特徵 

として n 1 ル は 次の 四つ を揭 ゆて ゐる。 

1 、 賃銀 制度 は勞働 者から 勞働を 抽象し、 從 つて 何人も 

勞働者 を 考量に 入れす して 努働 を寶 買す る こと. か出來 

る 

二、 其 結果 賃銀 は 資本家が 勞働者 を 雇傭して 利 盆め ると 

きに おいての み 賃銀 勞働 者に 支拂 はれる。 

1 二、 賃銀 努激 者 は 其 賃銀の 爲に、 生産の 組織に 關す るす 



ベての IJ« 理權を 放棄す る。 

四、 賃銀 勞働者 は 其 賃銀の 爲 に、 其勞 働の 生 產に對 する 一 

要求 權を 放棄す る。 一 

而 して、 新く の 如き 勞働 者に 惡 影響 を 與 ふる 樣な 作用 は 

賃銀 制度の 撤廢 と共に 除去せられ るが、 ギルド 社會 主義 制 

度の 下にお いて は 次の 四 項 を勞働 者に. 確保す るので ある。 

1 . 人間 と^められ、 且つ 支給 を受 くる こと。 -,; 

1 一- 故に、 其 支給 は 就職時と 失職 時と、 健康 時と 不健康; 

時と を 問 はす 行 はれる こと。 

三、 其 同僚 勞働 者との 協同に 行 はるる 生產 組織の 管理 權 q 一 

四、 其 同僚 勞働 者との:^ 同に 行 はるる 勞 働の 生産物に 對ー 

する 要求 權。 

この 四 個の 要求 は 生産者と しての 人々 の 自由 を 確保す る 

爲に必 す 遂行せられ なければ ならない。 (Self-Govrnl ョ ent* 

in 1-ldllstry. PPI53-I55) 何と なれば 「賃銀 奴隸は 人の 主た 一 

る 人 または 制度の 存在す る 限り 存在し、 ,て は勞働 者が 享樂 

の 以前に 自由 を 得る こと を學 ぶこと により 消减 する からで 

ある。 lunfjustfi al l-reedi. p 4) 

「すべ ての 0〇〇 の 希望 は專 制の 困難に して、 鬪爭の 機會ー 

少なく、 事實の 決定が すべての もの 利 盆と なる 樣な 社會の 

建設に ある。」 oiustrial Freedom, p. 32) だから ギルド 社 1 



會 主義者 は 生産者 側の み を 重視す るサ ン デ" 力 リズ ム と異 

つて、 之 は 消費者の 利益 を も 考量に 人れ るので ある。 消費者 

の 代表と しての 國 家の 認容 は卽ち これで ある。 ギルド 社會 

主義の 制度の 制度の 下にお いて はコレ クチ ビス ム の 制度の 

下にお ける が. g く 國家は 萬 能で はない。 國家 は單に 消費者 

の 代表と して、 直接 生產 過程に は干與 する こと. かない。 國 

家 は 生産 以外の 事項 卽ち生 產物價 格の 決定、 需要の 綜合、 

敎育、 對外關 係 を 司り、 地理 的區 域の 消費者 を 代表す るの 

である。 だから ギルド 制度に あって は 消費者と 生産者との 

調和、 全體 としての 人 閒を其 目標と する ので ある。 コー ル 

と メロ ァ ー の 言葉 を 借りて 言へば ギ ルド 社會 主義の 精神 は 

下の. S くで ある。 

「生産 または 消費の 就れ か の 一 に 立脚した 擧說は 甚だ 一 

方 的であって、 不充分で ある。 吾人の 要求す る 所 は、 兩者 

を 考量に 人れ て、 各 相反した 要求 を 調和すべき 見解で ある 

新く の 如き 舉說 が卽ち ギルド 社會 主義であって • 産業 管理 

において、 生産者と 國家 との:^ 同の 觀 念に 其 基礎 を 置く も 

ので ある。 ギルド 社會 主義 は 國家は 必要なる ものと 認め 且 

つ * 純化せられ たる 議會を 必要と する。 ギルド 社會 主義 は 

社會 主義の 諸 目的 中の 一 として 餘剩價 値の 社 會化を 認め、 

^ この 目的の 爲に消 费者は 産業: S 事項に 干與 する 權利そ 有す 



る こと を 認める 3 同時に, ギ ル ド社會 主義 は 社 <l&n 主義 第 一 の 一 

要求が 勞働 者の 手中に 產業的 權カを 置く ことで あり、 新く 

の.^ き 產業的 自由の 存 する にあら すん ば 社會組 機の すべ て 

の 變革も 要するに 官僚 的 盛妄に 過ぎす とする。 …… 而 して 

其の 實 現の 手段と して は勞働 組合に よる ものと し、 其 手段 

は 實に勞 働 組合主義に 對 する 革命的 手段で ある。 この 革命 一 

的 手段 は卽ち 生産者の 産業 管理 權の 要求で ある。」 (Imf tr- 

ial Freedom. PI). 7-8) つ 

英國勞 働 運動の 推移 を 見る もの は、 何人も この ギルド 社 一 

會 主義 的 傾向 を 見ぬ もの はないで あらう。 勞働 組合に おけ ; 

る 大勞働 組合への 運動、 産業 管理 權の要 においての 國有 

の 要求、 , J れ等は 英國勞 働 運動に おける ギ ル ド社會 主義 化 : 

の 傾向 を 表 はす ものでなくて はならない 。世 はシド 二 |*ゥ ,一 

ェ ッブ から 新人 デ ー參デー參 エッチ • nl ル へ と 進む。 ゥェ 

ッブ より nl ル への 一 篇は 最早 時期 尙 早と 言 ふ を 得ないで 

あら 50(一 九 一力 • 1 一 i 一七) , 一 



孤立 者の 通信 I 中 里 介 山 君の 主宰す る 興味深い 月刊 

(定價 拾錢、 极津 八重垣 三十 六番〉 



s 消費に 對 して 生産の 餘剩が 常に 存在す るに 相 遠ない 

何と なれば 賃銀、 s> 配 當舍の 購買力に よって 代表され 

る 消費 は 憤 格に 計量され る 生産よりも 常に 少ない から。 

g その 餘剩 は增大 しつ >T ある 餘剩 である。 それ は 「勞 

/ £ ククス * ォブ * レ I お オア 

働の 經濟 J とともに 大 する。 何と なれば 勞 働の 經濟 

は 賃銀 及び 俸給の 支拂額 を减少 するとと もに 生産物 を增大 

する ことから 成立す るから。 かくして 賃銀、 俸給 及び 配當 

金 は その 産業が 益々 經濟 的に 組織され るに 正比例して その 

産業の 生産物 を 購買す る 力が 盆々 减少 する ので ある。 

g この 賃銀、 俸給 及び 配當 金で 吸收 する ことので きな 

ぃ餘剩 は、 それに も か わらす、 如何に かして、 また 何處 

かで、 虚 分され るに 相違ない。 それ は內で 消費す る ことが 

できない 以上 は 11 生産に ついて 分配され た 購買力 は それ 

を 買 ふのに 不充分で ある. かゆ ゑに それ は 輸出され るか 

または 浪費 卽ち破 填され るに 相違ない。 若し 輸出され たと 

すれば それ は それの 持主 をして 外國 を债務 者と する こと を 



得せし める。 11 卽 ちそれ は 外國に 貸付 けられ、 利子が 輪 

出資 本家に 歸す るので ある。 それに 反して それの 破壊 は浪 

費の 方法 及び その他の 贅澤 または サ ボタ 1* チ ュ の 形式に よ 

つて ある。 

S しかし われ 等 自身の r 餘剩 J と 他の 製造 國の 『餘 剩』 

との T 外國 市場』 における 競 爭は遲 かれ 早 かれ 戰爭 へと 導 

く。 實は 戰爭は 不斷に 減少し つ、 ある 市場に 對 する 不斷に 

增大 しつ >- ある 『餘 剩』 の競爭 から 生れる。 

g 賃銀、 俸給 及び 配當 金に 分配され た 額と 生産物に 課 

せられた 價 格との 間にお ける 『相違』 が 『餘 剩』 の眞實 の 

起原で ある 以上 は、 . ^何に して その 價 格が 決定され てゐる 

か、 何故に それが かように 價格 付けられ てるる 貨物の 生産 

に 分配され てゐる 賃銀 其の 他の 購買力に 勝る か、 また この 

相違 を救濟 する ために 何 ごと かな さるべき かを考 へる こと 

が 必要で ある。 、 . • 

g 如何にして 及び 何故に は 一 つで あり 且つ 同じ もので 



ある 惯格は 生產费 プラス 利潤に よって 決定され る。 

S しかし 生産費のう ちに は實 際に 賃銀、 俸給 または 配 

當 金に 分配され ない 費用 —— 卽さ a cost of overhead ch- 

arges が ある。 overhead charges は 如何なる 形に おいても 

購買力と して 分配され てゐ ない 費用 を 代表す る。 それ は 憤 

格のう ちに 含まれて るる。 しかし それ は生產 において 分配 

された 額のう ちに 含まれて はゐ ない。 それ は 生産の 數 字の 

うちに 代表され てゐる 帳簿 上の 僙務 であるが 現 實には 何も 

のに も支拂 はれて はゐ ない。 

g それ ゆ ゑに この 項目 を 含んで ゐる 消費 體系は 現實に 

支拂 のために 支出す る 額の 能力 を 超えた 價 格を來 さざる を 

えない。 . 

^ それ ゆ ゑに 賃銀、 俸給 及び 配當金 をして 餘剩 を殘す 

、 J となく して 彼等の 勞 働の 生産物 を 買 ふこと を 得せし めろ 

ために は, ^ > に 決 てゐる ごとき 費用から、 J の 項目 を 除 

外しなくて はならない。 他の 言葉 を もっていへば 價格は 今 

ま 計算され てゐる ごとき 費用より 以下に 诀定 しなくて はな 

ら ない 

g 正 當な價 格 は 生産者 をして 彼等の 生産物の 全體 また 

は それに 等しき もの を 買 ふこと を 得せし める 價格 でなくて 

2 はならない 11 全社 會を 生産者と 看 傚して。 



S これ は:? 今日 計算され てゐる ごとき 費用 以下で 資る 

ことによって または S 簿記の 要素 を 除外す るよう に 消費 體 

系 を 變更 すろ ことによって 到達す る ことかで きる。 

^ これ 等 は 一 一つと もに 終局に は 同じ こと を仕遂 ける。 

卽ち overhead charges を 消費 及び 生産の 當坐 勘定から 區 

別され た 貸方 計算に 變更 する ことで ある。 

SS この overhead charges が 貸方 計算のう へに あると 

假定 せよ。 蓋し それ 等 は 生産 能力の 評 價に關 係す る もので 

なくて はならない. かゆ ゑに。 それ ゆ ゑに それ 等 は 貸方 商 行 

爲を 代表す る。 さう して それ 等 は 別々 に淸算 する ことので 

きる 性質の ものである。 一 産業 を 一 營業 として 觀 察して、 

それの overhead charges は 次の 形式で それの 貸方 勘定に 

對 せしめる、 J とがで きる。 

To credit-all the ccnclny invclcl iii Ihe services rendered; 

to Gtbt-all the charges entailed by the same. 

この 形式が それで ある。 産業の 單 なる 貧 方の 貸借 對照表 

は 取引の 當坐 勘定から 區 別され る。 これ 等の 手段に よって 

『ォバ ァ へ ッド • チヤ I, チ』 の * 用 は 最後の 生産費から 除外 

され、 價格は 純粹の 費用まで 引下け る ことができる。 卽ち 

賃銀、 俸給、 及び 配當 によって 代表され る 費用にまで 引下 

ける ことかで きる。 



26 



^ これ 等の 事情の もとに、 かく 産業 的に 組截 された 國 

家に おいて は 一 一組の 帳簿が 必要で ある。 一 つ は その 貸方 (卽 

ちそれ の 生産 能力) を 代表し、 他 は それの 現實の 消費と 生 

產とを 代表す る ものである。 

s- 生產の 目的 は 消費の ために 生產 する にある。 しかし 

消費の 目的の ために 分配され た 額が 生産 を吸收 する のに 不 

充分で あろと すれば 生産の 目的 は 失敗して ゐる。 われ 等 を 

して われ 等が 生產 する もの を 消費す る こと を 得せし める 方 

法 は 生産の 過程に おいて 現實に 消された 額に 應 じて 價格を 

決定す る ことで ある。 それ ゆ ゑに 價格 はわれ 等の 生産 能力 

に對 する われ 等の 消費の 比例に よって 決定され なくて はな 

ら ない。 正しき 價格は 消費 をして 生産に 等しから しめる 價 

格で ある。 

g 消費が 生産に 對 して ゐ るが ゆ ゑに 價格は 費用に 對し 

なくて はならない 若し 消費と 生産と. か 等しい とすれば 價格 

と 費用と は 等しくな るので あらう。 若し 消費 か 生産よりも 

少ない とすれば 價格は 費用より 少ないで あら、 >o 價格 はか 

くして 消費の 生産に 對 する 比例の 增 大に從 つて 增大 する で 

あらう。 しかし それ は 消費が 關係 的に 生産に 對 して 减少す 

るに 從 つて 低くなる であらう。 

^ それ 等の 事情の もとに 生 產の增 加 は 直に 價 格の 低下 



に 反影し、 それ. か 消費 を *= 大す るの 結果 を もたらす ので あ 

る e 同樣 に、 消費の 减返は 直ちに 價 格の 低下に 反影す るで 

あらう。 

g 價 格の 目的 かわれ 等 をして われ 等の 全 生産物 を 消費 

する にある 以上 (他の 言棄を もってい へば 消費と 生 產と均 

衡を 保つ ことに ある 以上) 價格 は、 消費 か 生産に 追 ひ 付つ 

ベく 脅かす に從 つて 騰貴し、 さう して 生產か 消費に 優越す 

ベ く 脅かす に從 つて 低下す る。 

§ 費用 體 系が 一 つの 體系 であり、 價格體 系が 他の 一 つ 

である、 われ 等 はこの 二つ を 別々 にして 置かなくて はなら 

ない。 費用 體系は 生 產に關 係し、 價格體 系 は 分配 または 消 

費に 閼係 する。 

適當な 生產的 社會の 目的 は 3 エネ ルギ —の 消耗と W 

原料 及 機械の 消 粍に おいての 生産費 を 全社 會 のう へ に 公平 

に 分配す る ことで ある。 生產の 計算 はこれ 等の 二 要素 だけ 

に關 係す る。 

g 適當な 消費 社會の 目的 は 全社 會 のう へに 生產 した 商 

品の 額 を 公平に 分配す るに ある。 さう して これ は價 格に よ 

つて 動かされる こと.. かで きる。 

(この 一文 はす レ, ゲがド ダラスの 論文 に? 化いて 『一一 ュ 1*H, 

デ』 で 分析した もの、 抄譯 である。 



ギルド 社會 主義と 產業管 狸 



政治家の 意 阖を確 實に豫 見す ろ こと は 容易の、 J とで はな 

い。 攻治家 は 一 定せ すまた 變 化し 易い からで ある。 選舉に 

際して は 彼等 は 疑 ひもな くそう である。 何と なれば 熟練な 

選舉 運動 者 は 瞹昧と 空漠と を 立派な 戦術と して 用 ふるから 

である。 

然し 乍ら 本論 を 草す ろ 際に は. 聯盟 派 も 亦 自由 黨も 玫府 

の 産業 理の撤 麼に閼 して ある 誓言 を與 へて おる。 そして 

彼等の 計 劃 は 眞に强 固な もので あらう。 選舉 時に おける 急 

務 はこれ に 多少の 變更を 加へ るか も 知れない。 けれども 選 

舉の攻 綱 は 一 片 g 紙片の 如き もので はなく、 そうして 舊ぃ 

諸 攻黨の 政策 を 統制し、 決定す る 最後の 努力 は 製造業 者と 

商人の 充分なる 自由の 復活 を 主張す ベ き は 疑問の 餘地 のな 

いこと である。 彼等の 「改造」 の觀念は寳に資本主義の^5^ 

活 である。 そうして この 資本主義の 復活の 爲に すべての 國 

家 的 管理の 撤廢は 明かに 必要 炔く 可から ざろ ものである。 

g 資本主義の 復活 は軟 前の 狀 態に 歸る こと を 意味す る こと 



ダ ゲル ュ I* ェヌ • H ウェア 

ではない。 資本家 は 戰爭に 依って 幾多の 事 を 修得した。 資 

本家 は社會 の必? 1- の 爲に强 制に よって 其 利潤に 多くの 變化 

の 起った 事 を 知った。 其〕 • 取 も 重要な こと は 資本家が 集中の 

利益 を實 現した ことで ある。 企業合同 は 過去 四 年間に 政府 

の 管理の 影 饗 の 下に 異常の 進步 をな した。 産業 は 管理の 目 

的の 爲に 多く 一 箪位 として 取扱 はれた。 資本家 圑體 または 

代表 委員 會は其 行政 的 事務 を 取扱つ; r そうして 一 工場と 

1 工場との 障壁 は 取り去られ、 産業の トラスト 化に 對 して 

其 道 を 開いた ので ある。 

そうして この 運動 は攻府 によって 注意 深く 涵養せられ、 

獎勵 せられた。 改造 委員 はすべ ての 鐵道會 社に 對 して 合併 

を獎 すめ、 一大 電氣會 社 を 成立せ しめたの である。 新しい 

石油 工業 は 官許の 獨占 主義の 原理の 上に 組 熾せられ、 法律 

的獨占 主義の 一 種で ある ァ ー ネスト • ベ ン 氏の 產業 的信條 

は 大いに 歡迎 せられた ので ある。 そうして ネ イツ トレ I 

委員 會の計 劃は產 業の 民主化より は 寧ろ 産業の トラスト 化 



00 を 助長す る爲に 案出され たもので ある。 ネ-' トレ I の 提案 

は大產 業の 園 結の 形成 を努働 者の 同意と 该 動と を 得る 爲に 

案出され たもので ある。 

すべて これ 等の こと は國家 管理の 繼續 または 不繼績 の 問 

超に 閼係 ある ものである。 何と なれば 繼續の 反 對者は 官僚 

主義の 呪 咀に其 墓 礎 を 置く ものであるから^ ある。 それ は 

當時 非常に 人氣 ある 議論であった、 何と なれば 戦時中 街頭 

の 人 は 社會的 また 經濟的 作用の すべ ての 官僚 的 干 涉に對 し 

て 憤激の 情 を 示した からで ある。 ドラ は 不人氣 の 女で ある 

そうして 破 女に 對 する 偏見 は 容易に すべての 形態の 政府の 

千 渉に 封して 擴 張せられ るので あろ。 政府 當 局と 管理者の 

失錯と 愚鈍と は 一 般の物 笑 ひの 種であった。 然るに 彼等の 

失敗した 仕事 は 統制な き 資本主義が 旣に 全然 失敗に 終れる 

ものである。 私達 はと も すれば この 事 を 忘れ勝ち である。 

利潤 を 作る 爲 めの 其 機 闕は旣 に 社會的 必要 を 充足す るに 不 

適當 なること を 示した。 其 動機 は 個人的 利益で あり、 他の 

動機 を以 つてして は 全然 行 はれない ものである 

私達 は 官僚主義者に 對 しても 公平で なければ ならない、 

そうして 私達 をして 資本主義の 失敗と 罪 惡とを 忘れし めな 

いのは、 官僚主義者の 失錯で ある。 私 かこ. -に 論じ 樣 とす 

る點は 私達の 採るべき 道 は 官僚主義と 個人主義との 間の 選 



擇 ではない ことで ある。 個人の 好む かま > 'に 其 業 を 行 ふと 

云 ふこと は 吾々 の 時代に は 行 はれない。 個人的 賃 本家 は 善 

にも 惡く にも 其賫 買に おいて 自由なる 人格で はない。 彼 は 

何等かの 形式に おいて これらの こと. か 規定 せられる 産業 組 

織の 一員で ある。 彼の 價格は 決定せられ、 彼の 供給 は 限定 

せられ、 彼の 市榻は 一 定 されて をる。 資本家 は ある 種の 官 

僚 主義の 管理の 下に ある ものである。 た > 問題 は 各產 業に 

おける 官僚主義の 管理者 か國家 または 資本家に 貴 任 を 負 ふ 

かどう かで ある。 

こ. -で ギル ド瓧會 主義に 關係 ある 微妙な 題に 觸れ る。 

正しい 計 劃、 民主的の 計 劃、 常識的の 計 劃 は IE かに 産業 自治 

の 計 劃で あ 一る" これ は 確かに 國家 管理の 集產 主義 制度 者に 

反對 した ギルドの 方法で ある。 けれども 私達 は產業 その 者 

に 責任の ある: 各 産業に 對 する 集中 的 支配 團體と 役員 を 持 

たなければ ならない その 組織 は 民主的で はないで あらう。 

然し そこに ギルドの 萠芽 を發 見し 得る ので ある。 ホ. 'トレ I 

委員 會の 提案に よれば * 勞働者 は 産業 管理に ついて ある 種 

の 發言權 を 持って をる。 けれども この 制度で は勞働 者は發 

言 權を 持たない ので ある。 然し 管& 一に 對 する 發達 はもつ と 

後期に 屬 する 者で ある。 私達 は先づ 外部 からの 役員 を 除 

き、 產業 それ 自體 の爲に 自治 を 確立し なければ ならない。 



そうして 自治の 確實な 形懇は 後に 之 を 決定す る 事. か出来る 

ので ある。 それ は 内部的の 問 超で ある。 私達 は 先 づ獨立 を 

得て * それから 私達の 組織 を 決定 すれば よいので ある。 

然し それ は 一 一つの 重要な 事實を 考察して ゐな いので ある 

其 第 一 は 非常に 重要な もので ギ ル ド社會 主義 は社會 主義で 

あるから、 ギルド 社會 主義の 資本主義との 鬪爭 は集產 主義 

との 闘爭 よりも 深别な ものであると 云 ふこと、 其 第一 一は 私 

達が 考 へ 、 之が 爲に 活動す るギ ル ド組 IS は 一 定の國 家產業 

管理 を 包含す る ものであると 言 ふこと である。 現今の 國家 

は 多くの ギ ル に 主義 か 其 心から 僧惡 する 所で ある。 然し 私 

達の それ を悟恶 する のは國 家が 資本主義の 武器で さラ して 

手段で あるから である。 そして 私達 は 萬 能で はない が、 ま 

だ 家の 勢力の ある^ 家に よって 支配 せらる 官吏よりも 

直接 資本家に よって 支配 せらる >• 役員 を 無批判に 好む の 憑 

を す もので はない。 

「自律 的 産業」 の 資本家 官僚主義と 「統^的 產棠」 の 國家宫 

僚 主義との に は 根本的の 差別が ある。 卽ち 前者の a 的 は 

利潤 を 得る ことで あろ 後者の 目的 は 社會的 必要 を 充足す る 

ことで あろ。 然し 私 は藥產 主義の:^ 用 を 満足の ものである 

と 想像す る こと は出來 ない。 平時に おける 國 家の 產 業膂理 

は 戦時に おける か 如く 資本家に 對 して あまりに 寬大に 過ぎ 

ひ る 傾向. か あるで あらう 然し 多少 は善恶 に またお 动に 適當な 

る 供給と 一 定の 利潤の 制限 を爲し 遂げる ことが 出來 るで あ 



らう。 然るに 自律 的產 業の 役員 は產 業に おいて 利潤の 獲得 

を 主要 目的と する 人に よって 任命せられ、 また この 人に 對 

して 責任 を 有する から 其產 業に おける 利潤 を 最大なら しめ 

んと 努力す るので ある 卽ち 前者 は國 家の 使用人と して、 消 

費 者の 利益 を 擁護す るに 反し、 他 は 資本家の 利益 を 擁護し 

樣 とする。 これらの 二つに 對 する ギルド 社 會王義 の 選擇は 

そんなに 困難な ことで はない。 

ギ ル ド社會 主義者 は 其 窮極に おいて ギ ル ドの 内部 經濟に 

自治 を 求める ものであるが、 彼は產 業に 對 する 國 家の 管理 

の 擴張を 恐れて 其 意氣を 沮喪す る 必要 はない。 何と なれば 

現 時の 國家 罾理の 重要 範 圍 はギ ル ト組 熾の 社會 における 攻 

府 制度の 干與 すべき 方面. たからで ある。 それ は 主として 生 

產 過程に おいてで はなく、 費 買に 關し て$ 管理で ある。 國 

家が 生產の 1^ 格 を 決定し なければ ならぬ とする の は 立派な 

ギルドの 原理で ある。 資本家の 獨占 主義 的圑 體に價 格の 決 

定を 一 任す ベ しと はギ ル ド 主義で もなければ 常識に 合する 

もので もない。 市場に 對 する 國家 管理の 維持 は 利潤の 獲? 忡 

に對 して 大打 搫を與 ふるもの である。 何となければ 現今 財 

產の 獲得 は實際 七の 生產 者の 利潤に おいてよりも 寧ろ 市 51^ 

の寶賈 における 掛 引きに おいてで あかるら である。 この 作 

用を廢 して、 利潤み」 費用に 對 する 正當な 報酬と すれば、 公 

共收 用に 必要な; y 事 を 容易に する であらう。 もしも 國 家の 

管理 を廢 して 新しい 資本家 合.^ をして 自由に 活動せ しめれ 

ば、 未だ 嘗て 周かざる 暴利の 獲得 を 容易に する であらう。 



(I) 

私 は、 J > で森戶 君の 論文の 舉問 的價値 を判斷 せんとす る 

もので はない ^ それ は森戶 君の 論 叉と いふより は クロ. ネト 

キ ン の 論文で ある。 クロポトキン の 論文 を 綜合して 發 表し 

たもので あろに 過ぎない。 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇。 特に 今日 

の 日本の ごとく 言险の 不自由、 著作 出版の 不自由なる 官僚 

國 において は價値 ある 著作 は 日本人の 手に よって 發 表され 

る ことができない ともに 外國 から もこれ を 受取る ことが で 

きない。 共產黨宣言6^ごときでさ へ 、力 ゥ ツキ ~ の 『社會 革 

命」 の ごときで さ へ 、甚だしき に 至って は 力 ゥ ツキ— の 階級 

闕爭 I— エルフルト 綱領』 でさへ 輪 入 を 禁止され て ゐるほ 

どの 痛ましい 劣等の 文化 政治に おいて は. 無攻府 主義に 關 

する 著述の ごとき は殆ん どこれ を 手に する こと はでき ない 



森戶 君に しても その 材料 を 某 君 (名前 を秘 する 必要 か ある 

かない か は 知なら いが) に 借りた とい ふこと であるから、 

恐らく 日本の 最高 學府 にも ク ロボ ト キン の 著述. か殆 んど存 

在して ゐ ないで あらう。 存在して ゐな いとすれば 日本の 最 

高舉府 もまた 怪しい ものである。 クロ. ネト キンの 著述 すら 

なくて、 民間の 有志 家に その 材料 を 得なくて はならない と 

い ふ , J と は、 わが 帝 國大學 の 最高 學府 とい ふ, t が. S 何に 空 

威張りで あり、 また この 大學 の敎授 等が 如何に 擧 問に 不熱 

心で あつたか を立證 する ものである。 かくの ごとくに 日本 

において は 最高 擧府 と稱 する 帝 國大學 において さ へ クロ. ネ 

ト キンの 著述 を牧 めて るない 位 ひで あるから • 一般の 人々 

が これ を 手に する >.o の 困難 は 勿論で ある。 從 つて 日本の 讀 

窨界. かク ロボ ト キンに ついての 知識に 唱 して ゐる こと は 見 

易き S 道理で ある。 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 



0〇〇0〇00〇0〇0〇〇〇0〇〇〇〇〇〇0〇00〇 

〇〇〇〇0〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇。 これより 先き 旣に十 年 

或は それ 以上 も 前に 幾多の 先覺の 士かク 口. ネト キン 紹介 を 

試み、 大杉榮 君の ごきと はこの 方面の 〇〇〇〇〇〇 である 

大杉 君の 飜譯 になる ク I- ボト キンの 「相互 夫 助 論」 の ごと 

きはク 口. ネト キン の 思想の 最も 根底 的の もので あろ。 、 J の 

書物 は 日本の 読書界に よっても つと 大に讀 まるべき もの 

であると 思 ふ。 また 中 澤臨川 君の ごとき も 最近に は 率先し 

て クロ. ネト キン 研究の 必 I 女 を 提唱して るる ものである。 ま 

た 私自身 も 旣に咋 年 五月の 『批評」 において スチル ネル や 

パク I -I ン の 無政府主義 とともに クロ. ネト キン の 無政府 共 

產 主義の 大 體 を 紹介した。 (拙著 「社會 主義 批判」 第 七 章に 輯 

錄) 森戶 君の 論文の 數 頁に 亙る 部分が 私の 紹介した 部分で 

あり、 ク B. ネト キンの 無政府 共産主義の 精髓 である。 こう 

いふ わけで クロ. ネト キン 紹介 は 決して 淼戶 君に 始まった の 

ではない。 特に 中 澤臨川 君の クロ. ネト キン 紹介 は是も 多く 

咀嚼され つ 批判され たものと して 私の 敬服 を 禁んぜ ざる 

ものである 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 

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クロ. ネト キン の 思想に われ 等の 傾聽 すべ き 重要な ものの 

存 する こと はいふまで もない。 マルクスの 與へ 得さり しも 

のをク 口. ネト キンが 與 へて ゐる こと は 明らかで ある。 マ A 

タスの 擧說 は、 將來の 社會の 建設に ついては 多くの 具體的 

の もの を與 へ てゐ なや ことか 明らかで ある 。『勞 働 階級 は實 

現すべき 理想 を もたない』 といった マルクスに 比して、 ク 

口. ネト キン は勞働 階級 か實 現す.. へ き 理想 を敎 へて ゐる。 こ 

の 意味から い へば クロ. ネト キン の 無政府 4j ハ產 主義 はより 多 

く 建設的で あると いふ ことができる。 無政府 共産主義 はべ 

ルト ランド • ラッセ ルが 明快に 分哳 して ゐる とほり、 一 、 

凡ての 共同 商品が 凡ての 請求 者に 對 して 平等に 分配され る 

こと 二、 仕事の 義務 を 課せ ざろ こと または 仕事に 對 する 經 

濟的 報酬 を與 へない こと、 この 二つが 無政府 共産主義の 建 

設的 方面の 根本 をな す ものである。 しかし 仕事の 義務が 課 

せられる ことなくして 仕事が 行 はれる とい ふこと は ある 程 

度まで はい ひ 得られる であらう。 クロ. ネト キンの いって ゐ 

ると ほり * 仕事 は 人々 の 性理的 必要で あるで あらう。 しか 

しその 仕事が 果して 社會に 有用な 仕事と なりうる かどう か 



お 藝術 家と なり 評論家と なり。 演說 家と なり、, 玫治 家と なる 

ような 仕事 は、 義務 を 課せられる ことなくして 行れる こと 

であらう。 しかし 近代 機械工業の 組織の もとにお いて、 多 

くの 苦痛な 力 働、 多くの 不快な 仕事の 存在す る こと は 何人 

. も 認める と、 J ろで あらう。 それ 等の 仕事が、 報酬の 誘因な く 

または 社會的 義務の 課せられる ことなくして 行 はれる かど 

うか は大 なる 疑問で あり、 無政府 共產 主義 はこの 點 におい 

て忘惰 者の ェ クスブ ロイテ I シ ヨン の 行 はれる ことと はな 

ら ない. であら、 フ か。 また 平等の 分配 を 目的と する にしても 

何人が この 平等の 分配 を 保障す るか。 一 切の 灌 力が 否認 さ 

れて 何もの. かこの 平等の 分配 を 保障す ろか。 私 は 無 玫府主 

義に 多くの よき もの を 認める。 就中、 クロポトキンの 思想 

に 多くの よき もの を 認める。 しかし 私 は 無政府 主 碧の 信奉 

者と なること はでき ない。 私 は 無政^主義の 合理性 を 否認. 

> る ものである。 私 はこ に はた これ だけの こと を申述 

ベる に. ^4 める。 クロポトキンの 思想の 詳ら かな 批評 はこれ 

を 他の 機會に 譲る ことと する。 この 理由から して 私 は クロ 

ボト キン の社會 思想 を 無 批評に 受 入れよう とする 態度 を稱 

讃 する こと 仏で きない。 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 

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専制政治の 行 はれて ゐる國 家に はセ ンチメ ン タルな 思想 

が 深く 人心 を 動かす ものである 私 は ロシアに おいてと 同 

じく、 日本の ごとき 久しく 專制 政治の 行 はれて ゐる國 家に 

おいて はセ ンチメ ン タルな 思想が 多くの 進歩的な 太々 の 心 

を 怖へ てゐ るの を 見ろ。 無玫府 共産主義 は 恐らく 日本に お 

ける 舉問 あり、 且つ 進歩的な 思想 を もって ゐ る 若き 人々 の 

間に 可成り に 多くの 信奉者 を もって ゐ るよう に 思 はれる。 

これ は 專制攻 治の もち 來 した 結果で あると 思 はれる。 しか 

し センチメンタル な 思想の 弊害 は それが 無 批評に 受 入れら 

れる點 である。 吉野 博士 に從 へば クロ. ネト キン の 思想 は 今 

後大 に硏究 さるべき であると のこと である。 私 もさう 信す 

る 。旣に マルクス 全集が 出る とすれば ク 口, ネト キン 全集 も 

出版され てい、 かの ように も 思 ふ。 しかし われ 等の 要求す 

ると ころ は 無 批評に ク 口. ネト キン の社會 思想 を受 入れる こ 

とで はない。 批評 的に クロポトキンの 思想 を 研究す る こと 

である。 その 批評 的 研究の 結果 は 恐らく 將來の 新社會 建設 

のうへ に 量るべからざる ほどの よき 效果を もたらす であら 

うと 思 はれる。 吉野 博士に 從 へばべ ルト ラン ド* ラッセルの 



社會 思想 もク ロボ トキ ン から 生れて ゐ るとの ことで ある。 

ラッセルの 社會 思想 はク 口. ネ トキ ン から 生れて ゐる とはい 

へない にしても、 ク 0. ネト キンから 多くの 影 HI をう けて ゐ 

る こと は 彼れ の r 自由への 道』 が 明らかに 證, 明して ゐ ると 

思 ふ (私 はこの 書物 を飜譯 して 某 書肆から 出版す る 箸で あ 

つたが この 書物 は あまり 價値 ある 書物で はない と 信じて 中 

止した) しかし ラッセ ルはク 0. ネト キンの 思想 を 無 批評に 

受 入れる ほどに 單 純な 思想の 持主で はない。 彼れ は 無政府 

共産主義の ある 部分 を摄 取して るるに 止まって ゐる。 彼れ 

は 無政府 共産主義から トルストイに 行こうと する もので は 

なくして 無政府 共産主義と マ ル クス 派社會 主義との 摄 取に 

おいて、 ギルド 社會 主義へ 行かん とする ものである。 

(四) 

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(五) 

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(六) 

擧 問の 獨立は あくまで これ を 獲得し なくて はならぬ。 擧 

問の 立な くして は眞實 の 意味に おいての 大學 なる もの は 

存在す る もので はない ので ある。 しかし 擧 問の 獨 立が 單に 

大舉 にの み 許される ものである とする こと は大 なる 誤りで 

ある。 擧 問の 獨立は 一 切の ものに 許されなくて はならない 

今日に おいて は 最高 舉 問の 府は 狭して 獨め 大舉に 限られて 



4 ゐる もので はない。 今日の ごとくに 著述の 自由に 行 はれる 

世界に おいて は (法律上 不自由 を 別にして) 學 問の 研究 は 

必す しも 大舉を 煩 はすの 必要の ない ことが 澤山 にある。 例 

へば 今日の 思想界に ついて 見ても、 それに 生命と 肉と を與 

へた もの は 決して 大學敎 育の 結果で もな く、 また 大舉 教授 

によって 導かれの たで はない。 これ 等の もの は 却ってより 

多く 民間の 人々 の 自由なる 研究と 發 表と 論議と によって 得 

られ たもので ある。 それ ゆ ゑに 舉 問の 獨 立の 必要で ある こ 

とは獨 り大畢 だけに 限られて るるので はない。 舉 問の 獨立 

. を大畢 にの み專擅 せんとす る ことか 旣に學 問の 自由 を 阻害 

する ものである。 學 問の 獨 と 自由と は 一 切の 人々 に與へ 

られ なくて はならぬ。 

(七) 

大 舉敎授 のみが 研究の 自由 を 享有すべき 理由 は 少しも 存 

在し ない。 われ 等はフ ロシア 的 傳統に 誤られろ 必要 は 少し 

もない。 學 問の 獨 立と 自由と は 一 切の 人々 に與 へられな く 

て はならぬ。 われ 等 は 今日 世間の 一 部の 人々 が 主張す る ご 

とくに 若し 舉 問の 獨 立なる, ものが 單 に大學 にの み 限られる 

ものであると するならば、 か. - る大學 の特權 に反對 する も 

ので ある。 われ 等 は 特権と して > はなしに 一 切の 人々 に與 



にられる 自由と して 畢 問の BS 立 を 主張す る ものである。 攀 

問の 獨立を 許容し ない 國家は 真理に 反對 する 國家 であると 

いはなくて はならない。 私 はこの 意味に おいて * クロ. ネト 

キ ン 問題 を 機會 として 一 切の ものに 舉 問の 獨 立と 自由と. か 

保障 せらるべき ものである こと を 主張す る。 國家. か 若し 舉 

問の 獨立を 保障 しないと すれば、 その 國家 こそ 却って 無攻 

府 主義に 口 實を與 へる 國家 である。 私 は 信す る、 國 家の 任 

務は舉 問の 獨立、 研究の 自由、 更に 發 表の 自由 を壓 迫す る 

ための 機關 ではなく して それの 自由 を 保障す る 任務 を もつ 

てるる ものである。 この 意味に おいて 私は國 家の 存在 をる 

認 する 舉說の 賛成者と なること はでき ない. X 大正 九 年 一 

十八 日 病床に て) 

▽ 附記、 クロポトキン 研究 は遣憾 ながら 狡 正の 際 六 貢 削除 

し.;^ れめ變 な ものに なりました。 



♦ 人類の 再生 (杉 森 孝次郎 著) 東京 麴町平 河 町 東方 時論 肚 

(定 慣ニ圆 八十 錢) 



室 伏 高 信 

. (十一) 

チヤ I チ スト 運動が 高潮に 達した の は、 一 八 三 九 年の フロストの 暴動 を 最初と する。 次ぎ は 一八 四 二 年で あり、 最 

後 は 一 八 四 八 年で ある。 一 八 三 九 年の 運動が 多くの 犠牲者 を 生じて 失敗に 終って から 後の 一 一年間 は 民衆的に 沈滞した 

1 一年間であった。 攻 治的權 利の 要求に よって 民衆 を 興奮せ しむる こと は殆ん どなかった ので ある。 しかし 一 八 四 一 年 

の 冬が 近づく や 集 會は全 英國に 行 はれ T 人民 憲章』 の 六 ケ條と 愛蘭との 立法 的 結合 を廢 止す る を 要求す ろ 新ら しい 

r 國民 請願 J への 署名 を 求む るの 運動が 猛烈な 勢で. 起された。 一八 四 二 年の チヤ ー チ スト 運動 は チヤ I チ スト 運動の 

全 歴史 を 通じての 最高^ 記錄 であった。 

1 八 四 一 一年の 國民 請願に 署名した もの は 三百 三十 一 萬 五 千 七 百 五十一 一人に 達した。 それが 一 八 四 一 一年 五月 一 一日、 ト 

1 マス • ダンカン ブ によって 英國 下院に 提出せられ たので ある。 

この 請願の 分布の 研究 は 普通 選舉の 研究者に とって は 看過す る ことので きない 點 である。 それの 特質 は、 請願の 署 

名 者が 主として 都會に 集中され てゐ たこと である。 ロンドンで はこの 署名 者-か 二十 一 萬に 達した。 マン チェス タ— で 

は 九 萬 九 千 六 百 八十 人、 二 ユカ ッス ル. では その 郊外と 合せて 九 萬 一 一千 人に 達した。 グラス ゴゥと ラン カシ ヤイアで は 

,5 七 萬 八 千 〇 六十 1 1 人に 達し 44。 この 事黧は チヤ. ー チ スト 運動が 從っ てまた 世界の 普通 選 暴の 歴 皮のう ちに おいて 是も 



§1 偉大なる I* &か、 主として^ 會人 によって 行 はれて rO たこと を立證 した。 就中 工業 地に お i て it はれた ものである こ 

と を立證 した。 卽 ちそれ が 賃銀 勞働 者の 多い 地方、 從 つて それが 主として 賃銀 勞働 者に よって 行 はれた ものである こ 

と を 明らかにした。 他の 言葉 を もってい ふと チヤ ー チ スト 運動に 現 はれた 普通 選皋 運動 はた > 知識階級の 空想家の 運 

動であった ので はなしに 立派な 勞働 運動であった 勞働者 によっての 政治 運動であった。 勞働 者に よっての 政治 運動が 

チヤ ー チス ト 運動と して 現 はれた のであった。 普通 選舉 運動 は 天賦 人權 論の 空想のう ちから 考 へ 出された にしても、 

それが 組織的の 運動と して 歴史上の 記錄 となった の は社會 民主主義の 發 生に 伴って ゐ た 。ソ ー シャル ?ァモ クラ シ ー な 

る 言葉の 發 見者. か チヤ I チ ス ト 運動の チヤ ム ビ オンの 一 人と しての ブ 口 ン テ I ァ であった ごとく、 世界に おける 最初 

のソ I シャル • デモ クラシ I の 運動 は チヤ ー チ スト 運動のう ちに これ を 見 ろ ことができる。 それ は 決し て 完全な 形^ 

においての ソ ー シャル • デモ クラシ ー である こと はで きないに しても、 その ラ ちに ソ ー シャル 气テ モク ラシ...' の 創 生 を 

見る ことので きる こと は 私の 特に 指摘す る 必要 を 怒 じて ゐる ところで ある。 




チヤ— チ スト 運動 は 最初 選舉 法改正に 對 する 勞働 階級の 不満と して 現 はれた。 しかし それに 勞働 階級 を 結合した こ 

との 主要な 原因の 一 つと して 『新 貧困 法』 を 切り離して 考 へる ことので きない こと は旣に 述べて きた。 それ は 富者 對 

貧者の 問題と して 最初から 最後 迄 一 貫され た。 一 八 四 一 一年の チヤ— チ スト 運動の 最高潮 はこの 事 實に對 して 一 I の 裏 

書を與 へたので ある。 

一 八 四 二 年の チヤ I チ スト 運動が 最高潮に 達した 時 は 未だ 英國 において 貧民が 著しく 增 加した 時であった。 貧困 法 

委員が 工場 規 によって 救貧 者 を 出来るだけ 少く する ことに 直 力した にか、 わらす、 救貧 をヌ くる 人々 は 年 一 年と 4= 



加す るの ほかはなかった ひ 一 八 三 六 I 七 年に は 一 人 當り五 志五片 であった もの. か 一八 四 一 上 一年に は 六 志 一 片 四分ノ 

三と なり、 一 八 四 一 II 三年に は 六 志五片 四分ノ 一 とあった。 ィ ン グランド 及 ひゥェ —ルスで 貧民 法に よる 救助 をう け 

たもの- -釗合 は 一 八 四 二 I 三年に は 全人 口の 九、 五パ アセント にまでに 達した。 S 一 八 四 一 年 十二月 ボルトン *レ, ム 

I ァス における 一 〇〇 三の 家族に ついての 調査に よると 食物と 衣類と 並に 家賃 を 除いての 凡ての 費用に 當 てられる 費 

1 週間に 一志 1 1 片 半に しか 達しなかった。 この 一 事 を もってしても 彼等の 貧困 狀 態が 如何に 甚だし かつ たかを 知る こ 

用 はとが できよう。 ぺ ー ズレ ー では 一 萬 五 人の 人々 が 救貧 法に よる 救濟 をう けた ほどであった。 また ゥ ヰルト シャイ 

ァ では 獨立勞 働 者 i4 して 工場 貧民と 同樣の 最低 救貧 をう けた もの は 三分の 一 一に 達した ほどであった" の . 

ス ロッソン 敎授の 記ら して ゐる ところに よれば 移民と 結婚に ついての 統計 もまた この 時代に おける 貧困の 狀態を 明 

かにして ゐる ものであった C 卽 ら英國 からの 移民 者 は I 八 三 八 年に 三 萬 三千 i 1 百 1 一士 一人 あった ものが 一 八 四 一 年 

に は 十 一 萬 八 千 五 百 九十 一 一人に、 一 八 四 1 一年に は 十一 一 萬 八 千 三百 四十 四 人に 增 加した。 結婚の 數は ごれ に反して 一 八 

三 九 年に おいて 人口 十 萬 人に つき 一 、 五八 九 人であった ものが 一 八 四 一 一 年に は 一 • 四 七三 人に 減少した。 

英國勞 働 階級の 貧困 は 盆 々加 は つて ゆく ばかりで あ つ た。 

(1) Nicholls, History of the English ? 0«. l、aw. Vol. II. P. 390 

(2) Slosson, The Decline of the Chartist Movement, p. (ぶ 




1 八 四 一 一年の 夏 は、 英國に 於け る 貧民の 不满を 暴動の 形に おいて 現 はした。 七月 十五 日、 ブラック パアンに 近い ェ 

^一. ン フヰ ー ルド *ムー ァで 開かれた 集 會には 多くの 人々 がその 手に ビ ス トル を もってる た。 八月の 同盟罷業 は 最初 は賃 



お 



銀 引下け 問 Is から 起された。 卽ちゥ ルバ ァ ハ ムブ トン 附近の 鎩釘ェ は 賃銀 を十パ ァセ ン ト だけ 引下 けられた。 炭坑に 

おいても 同じ やうな 事件が 起った。 タインの 附近で は 船大工が その 一 週間の 賃銀 二十 一 志に 引下 けられた。 その 結果 

はみ な ストライキ. へと 行かざる をえなかった C 八月の 四、 五の 兩 日に、 紡績 及び 熾 物ェの 間に 大罷 H がァシ トンで 起 

された。 その 次の 週間に は 武装した 暴徒が マ ン チヱ スタ I その他の 大工 場 町に 侵 人した。 彼等 は 到る 所に おいて スト 

ライ キを强 制し、 蒸 汽の機 關の火 を 打消し, 官權を 脅かした 。ストック ボ— ト とおいて、 ブレス トンに おいて、 並に 

ス タフ ォ I ド シャイ ァ において 重大な 暴動が 起された。 しかし ストライキ は その 範 園の 大きかった 割合に 秩序の 整然 

たる ものであった。 

この ストライキ は單 なる 經濟 運動で ある こと はでき なかった。 それ は 直に 攻治 的の 大 示威運動と 化した。 八月の 七 

日、 モットラム • ム一ァ における 群衆の 集會 において は、 彼等 は チヤ ー チ スト 運動. か 勝利 を 占める に 至る まで は スト 

ラ キを終 燻しない こと を诀議 したので あった。 ラン 力 シャイ ァゃョ I クシ ャ ゥェ トライ. ディ ングな ぞの 工場 

地からの 百 五十八 人の 努働 代表者 は、 二十日に マン チェス タァ において 集會 し- その、? ち 三百 二十 人の 大多數 によつ 

て チヤ— チ スト 運動ぶ 勝利 を 得る まで は 同盟 罷ェ を繼績 すべき こと を 決議した。 さう して 更に 全國を 通じて 同盟罷業 

を 行 ふべき こと さへ も 決議され るに 至った。 「ナショナル • チヤ ー チ スト 協會 j はこの 機會 において 一 大 飛躍 を 試みる 

こと を 忘れ はしなかった。 しかし 暴動に 訴 へる こと は 彼等の 堅く 戒 しめたと ころであった。 フヒ ァ ガス *ォ コ ン ノ ー 

ァ はこの 點 において チヤ ー チ ストの 立場 を 明らかにした。 彼れ は 公開 狀 のうちに おいて 次の やうに 述べた。 !— 

『われ 等 1^ して 血 1^ 流さし むる こと 勿れ。:: われ 等 して 神の 御名に おいて 道徳の 力が 如何に 效果 あるかに ついて 世界に 

範,^ 垂れし めよ』 S 

この 攻治的 n 镉盟 業.^ 著 通 選舉史 上^史 lim? して 興味 ある ことで ある^み でな く、 ま. U 英 観に おけろ 努働組 合と 政 



治との 歸 保の 問 超と しても 興味 多い 事寳 であった。 しかし それ は 極めて 短い 間に 覆: S する に 至った 3 九月の 終りに は 

『ストック. ネ |ト* クロ ニクル」 の 報じた ところに よると 全 ストライキが 旣に 仕事に 歸 つたとの、 J とで ある。 チヤ I チ 

スト 幹部の 四 人 は棉縳 された。 マク ドゥル E: は フランスに 逃れた" ォ n ンノ ー ァ もまた 捕縛され た 領袖の 一 人で あつ 

た。 ス タフ ォ I ドシ ヤイアに おける 特別委 員會 審問の 結果、 五十 四 人の 人々 は 流刑に 處 せられた。 百 五十 四 人の 人々 

は 牢獄に 投 せられた。 政府 は 各所の 工業 地に 軍と 大砲と を 送った ので ある。 た ニ能ェ 者が 生命 を 財 座と を破壤 しない 

かぎり、 軍 と 地方 官權 も, ストライキ を傍觀 する に 止めて ゐた。 

(I) .Times, aug. p 1842 (t:ilcsson, op. cir p. ひ 50 

(2) マク ドウ か (MCDOUall) は ストライキ 勞働者 への チヤ. 'チ スト. マ-一 フ H ス トウの 起草 者であった。 

(十四) 

一八 四 二 年に は、 チヤ I チ スト 運動に とって 他の 注目すべき 一事 件が 起った。 それ は チヤ ー チ スト 派と 中等 階級 急 

進 論者との 提携であった。 卽 ちその 年の 四月に チヤ ー チス トと 『コム ブリ— ト* サフ レ ーヂ*ァ ヅソシ ェ ー シ ヨン J と 

の 間に 會 合が 催された。 チヤ— チ ストの 则 から は。 ヴ エツ ト、 n リンス、 ヴヰン セント、 オブライエン なぞが 出席し 

た その 日 は 丁度 一 八 四 一 一年 四月 五日であった。 最初の 一 日 は、 チヤ —チ ストの 側に おいて 疑惑 を さる こと はでき な 

かった。 彼等 は 中等 階級の 誠意 を 疑 はざる をえなかった。 しかし 『コ ム プリ— ト *,サ フレ ー.、チ* ァヅ ソシェ ー シ ョ ン』 

の 側に おいて 披櫪 した 至誠の ために、 チヤ ー チ ストの 側 も その 疑惑 を 解かす に は ゐられ なかった。 オブライエン は 次 

の やうに 述べた。 11 

『私 は 如何なる 國體: i おいて-.. -、 純粹 LL 勞働 者からの み 成立して ゐ る国體 であっても、 かくの. ことく Li 完全に 發展 した 民主 

. 主義 的 精 祌.^ 見た ことがない o』s 

これ は オプラ イエ ンが T コ ムブリ ート*サ フ レ—. 、チ 協會 J を 批評した 言葉であった。 それ はョ セフ *ス チュルグ S の 

率ゐた 一 圑 であった。 この ス チェ ル. グの 一 派と チヤ ー チス トの 一 派との 交涉 は、 たや 名稱 についての 意見の 相違の 外 

は、 S 完全な ろ 一 致にまで 到達す ろ ことができた。 スチュ ルダは チヤ ー チス トの六 ケ條を 承認した。 目的に おいても 

お 一 攻策 において もこの 一 一つの 園體の 間に 意見の 一 致 を 見る に 至った ので ある。 



上 ■ 編輯 室と 校正 室 

令苜 腧の應 迫 は is 本 主義の 政治の 最も 古 

るい 手 だ。 それ は 差 向 さ 新聞 雜 誌の 保證金 

vHS くす る に 限る。 

♦ 內務 省の 案で は 新聞の 保 證金は 一 萬圓 

雜 誌の 保 證金は 五千圓 にす る: とに なって 

ゐる さう だ。 カウなる と 新聞 雜誌は 資本家 

の專有 物、 從 つて 言論 もさうな る。 资 本家 

のために は 々歳と いふべ しだ。 

♦ しかし かう して 貧乏人が I 切の 言論 

奪れ た 時に その 貧乏人 は 如何にして 彼れ の 

意思.^ 表示すべき か。 かう いふ 風に 考 へて 

見る と 政府の 新聞紙 法改正 案 は 費 本家 の擁 

護 案で あると ともに また 階級 戰爭 促進 案と 

なること はない か。 

♦ 老枵の 政治家の 智慧 は どうぜ 『俠客 利 

用』 位 ひのと こる だからし かたがな いにし 

て- 1 若い 役人 達 迄が こんな、、 と,^ 考 へても 

る やうで は 情けない ではない か。 如何に 金 

持內閣 だからと い つ て あまりに やり方が 露 

骨で はない か。 

令言 翁の 抑 腫 ほど 僧むべき もの はない。 

また それほど 卑怯で ぁリ、 野蠻 である もの 

はない。 彼等 は 官權の 力での 應 迫に 锒ら f- 



L て 金 接に よって 應迫 ぜんとす るので ある 

しかし 『新 貧困 法』 に對 して チヤ, チ スト 

運動の あつたが ごとくに 保證金 引上げ 案に 

對 して 日本の 民衆 もまた 言論 自由の ための 

大蓮 動.^ 起さなくて は 止まない であらう。 

♦ 帝大の 新人と して 知られて ゐた森 戸 辰 

男 君の 『クロポトキンの; ^ 會 思想』 に危險 

なと ころが もる にしても 大學の 中から 森戶 

君 排斥の 運動が 起る と は 流石に 帝大は 『化 

物 屋敷』 ほどぁると っく-^ 感心される0 

♦ 何んでも この 『化物 屋敷』 の 中に 巢 1^ 

くって ゐ る與國 同志 會 とか いって t ンデン 

プ^グ 3t 一 15 拜、 フ ロシア 主義 宣淳、 獨逸的 世 

界帝國 設,^ 目的 どす る 人達の 圑體が ある 

さう だ。 何れ 頭の よくない 學生 等の 會 合で 

あらう が 何に しる 馬鹿々々 しい こと だ。 

♦ 例の 上 杉 愼吉 君が 會長 ださう だ。 上 杉 

君と い へば 先頃 土 浦の 料理店で 斬リ合 ひま 

で やった とか。 こ V らが 『國體 精華の 發揚』 

1^ し- ので も あるの か、 それとも これが 『暴 

a 來』 なのか。 

♦ 上 杉 君 も 大學で 若い 純良な 人 建,^ 瞞着 

する なぞ はやめて 『大日 本國 粹會』 へで も 

入って はどう か。 それに は乘 馬のお 稽古な 

ぞょリ も 先づ 刺靑, ^刻み、 長 脇差,^ 帶び、 



00, 柔道、 賭博のお 稽古で もな されて は 

どうか 

♦ 田 中 純 君が 五來 素 川 君の 論文,^ 『人間』 

1 月號で 批評して ゐ るので 初めて 五來 君の 

論文なる もの 1^ 見た。 實は 五來 君の 論文 

批評す る なぞ は 少し 暇が 多す ざるよう Li も 

思 ふが 鬼に 角 頭の 惡 ろい 人 は 幾度 フランス 

へ 行っても 駄目 だと 見える。 

♦『 赤』 とい ふ雜 誌の 『新刊 批評』 は 素敵 

に 面白い もの だ。 一 月號 見る と 田 中 王 堂 

夫妻 共著 『晚婚 早產の 哲理』 だと か、 奧野 

他見 男 著 『金が 欲しけ リゃ 駄文 1^ お書き』 な 

ぞは 傑作であった。 

♦ 尤も あの 外-」 缣田 榮吉著 『特種 國の眞 

髓』 が 慶應義塾 出版部から、 武藤山 治 著 『鎌 

田 榮吉が 熟 長た る 間 は 慶應義塾に 寄附,^ な 

さ > る、, との 理論的 根 接』 が 『勞资 協調 會』 

から 树本某 著 『専務取締役 卽勞働 者 論』 が 

鈴 木 商店から 出 K される ことと なったら 面 

白いで あらう。 西 園 寺 侯の 『雪月花 旅行記』 

なぞ も洛 陽の 紙慣 高く する かも 知れ 5!。 

令吉野 博士 曰く 『クロお トキ ンは 尊皇 愛國 

の 志士 也』 (東京 朝日 揭載) と 。『パク, 二 ノ 

は ザ ァの臣 僕、 マ か クスは カイ せ^の 忠臣 

也』 と附 加へ たい もの だ。 



價 


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の號 別特 ^に但 
く受 巾に jsjimiK 代 



捌賣大 



靑蕪上 北大 朿^ 



至 K ま 
誠 海 京 

堂堂 堂 



▲ 誌代 は總て 前金 ▲ 郵券 代 川 一割せ 

▲ 送金 は 可成 振替 ▲ 外闽 行郵投 十^ 



大正 九 年 二 月 一 n 印刷 納本 

大正 九 年 二月 一日 發 行 

京 市京樯 區元ス キヤ 町三ノ 一 番地 

^1 尾 崎士郞 

^^京市小石川區久堅町百八^地 

所 憐文館 印刷所 

京 市 京 橋區元 スキャ 町 三 ノー 成 勢 館 

發行 £ 批 評 社 

振替 京 四 五三 四 六 





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恪 事 





京 



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飽町區 丸 ノ內、 ^京 海 h ビ V ディン グ五ニ 六 

電話 本局 三 六 五 三 番 

西區江 m 堀 北 通 一 丁目 十三 番地 

is? 話 土 佐 S 三 六 〇 番 



^ 交 民 桂 樂 第 大 

電話 東 局 七 五 九 



江西路 ュヅラ 

電話 中央 四 四, 



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大和 町 三番 地 公利 號內 



▲ 神 田 

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上 E 屋 11 

北隆 ffi 11 

▲ 本鄕 






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g ih }^ 京, 京 橋 區元ス キヤ 町三ノ 一 成 勢 館 4 P i 

f vr* 振替 凍 京 四 五三 四六番 & 

大正 八 年 三月 二十 八 口 第三種郵便物 認, H- M H 

大正 九 年 二月 一日 印刷 納本 同年 二月 I 口 t 行 # Sss 二月 號 (定價 廿五 8 



信 著 



四 六 版 

S 百 頁 



定 價贰阆 四拾錢 

送!: 八 



本 寄 は 室 伏 高 信 氏 社 W 主義 研究の^ ー卷 である。 マレ ノクス 派 社.!? 王 *g は 勿 fl、 非 マ, クス 

派 社^主義 を 詳述し 社會 主義 各派の 理論的 體系を 明らかにし、 さう して 新 社 $E 主義 を 提唱 

した 吾國 唯一 の社會 主義 詐 論で あ."、 研究で あ. o、 講話で ある、 



巨 



次 



ギ ル ド社會 主義— 國 家社會 主義— サ ン デ 

力 リズム —修正 派社會 主義— ボ ル シ H ゲ 井 

キ社會 主義— 無政府主義— 勞働 組合主義 



(號 s 十 第) 號月三 



(定價 本號 卅錢) 



ギルド. マ ン の社會 

(モォ リス レ キット) 

中 世紀 主義 へ の復歸 

(ァ I サ I ペン ティ) 

中世 都市の ギルド 

(クロ ポ トキ ン) 



社評批 




5 

1 



室森賀 
伏 川 
高 豊 
信恪彥 



□ 

■ ギルド • マンの 社會 モォ リス *レ キット 

■ ギ产ド 經濟學 ォ レ I デ 

目 

■ 中世 都市の ギルド ク fi ボト キン 

■ 中 世紀 主義への 復歸 ァ ー サ ー肇ぺ ン チイ 

國 スコット • ニアリング 

*J ■ 米 國の產 業會議 (二)、 

: ■ 普通 選擧 史論 (四).: 

■ 小 泉 信 三 翁 哲 二 

■ 編輯 室と 校正 室 



ギルド マンの 社會 

nMMN モォ リス *レ キットの 解說 



ギ ^ ド社會 主義に 就 い ての 研究が 本誌 始め、 1 1 三種 見える 

樣 であるが、 それ 等 は 皆 主として、 ギ少 ト肚會 主義 學說 の梗 

概 でもつ C 肚會 改造の 根本 問題の 一 つで ある 社 會組纔 l: つい 

て 精細な 研究の ない の,. とする。 其遣憾 1 ^取り去る 爲 LL 

紹介され たのが:、 に褐る 「ギヤ ヅ. メンの 社 會」 である。 、、 

れは Mawrioe B. Keckilt nnd C. K Bechhofer の 共著 T<-e 

m さ ning of =ali§al Guil の 中の 第八聿 Naliona 一 Giiilda 

in Bein? の解說 である。 



私 は ナショナル • ギル ヅの 組織 を 叙述す る 以前に、 ナ ショナ 

ル • ギル ヅ の 根本 精神に ついて、 數言を 費したい と 思 ふ。 

その 第 一 は ナショナル • ギルヅ なる 言葉が 中世の ギルドと 

混合され る 虞れ か あると 云 ふこと に 封す る 辯 明で ある。 勿 

論、 論者の 云 ふ 通り、 中世の ギルド は獨占 的な もので あつ 

た。 けれども この 獨占 的なる こと は 何も 吾々 の 主張し 樣と 

する ギルドの 精 祌と異 る こと はない ので ある。 中世の 都市 



における ギルド は其產 業に ついて 獨占 的であった。 然し こ 

れ と共に、 其 中世の 產 業なる もの も 亦 都市に 限定 せられて 

一 居た と 云 ふ 事實を 忘却して はならない。 交易の 發 達の 爲に 

產業は 最早 都市の 城壁の 中に 閉ぢ 込められて 居ない ので あ 

る。 これ は 最早 國民的 基礎の 上に 經營 せられて をる。 だか 

ら將 來のギ ル ドも 都市の みに 限定され ないで 國民的 範圍に 

擄 張され なければ ならない。 然し * この 基礎の 上に あって 

も 最も 多くの さう して 最も 重 耍な點 において ナシ 3 ナル *ギ 

ルド は ギルドの 精神 を糙 承して をる ので ある リ さう して ギ 

ルド は、 其 必然の 結果と して, 色々 な 職權を 有して をる。 

それ は 公衆が その 圑體を 認める ことで あり、 特殊の 職業の 

獨占 がその 中に 任意され る、 :> と であり、 ギ ル ドの會 員 は そ 

れ に閼聯 する 卒等 にして、 自由な 權利を 持つ ことで あり、 

仕事に おける ギルド 的 精神の 復活す る ことで ある。 さう し 

てこれ 等の 特權の 第 一 步は 相互主義 である。 卽ち國 家はギ 

ルドの 機能 を 認める、 何と なれば、 ギルドが 國 家の 機能 を 



認める からで ある。 この場合 において 國家も 亦 ギルド も 共 

に 社會的 事項に ついて 絕對的 主權を 有する もので はない。 

兩 者の 獨立は 相互 依 屠の 必要 あるときに おいての み 限定せ 

ら るるので あろ。 

第 一 i の ギルドの 特徵は ぞの獨 占で ある。 ごの 獨 占なる 言 

葉 は 極めて 私達の 耳に は惡ぃ 感じ.^ へ るか、 然し それ は、 

利潤 を 目的と する、 卽 ち自; U 以外の 社會 の犧牲 において 獨 

占 を 行 ふ 場合で ある。 ナショナル • ギル ド か其產 業の 統制 f:^ 

練 並に 他よりの 干涉を 斥ける 爲に 一 特殊 職業の 完全なる 獨 

占 を 主張す るの は當然 でなくて はならない C 然し この 獨占 

は 何等 その 個人 組合員の 活動 を 阻害す る もので はない。 組 

合 員 は 彼等の 問 において 規定した ギルドの 規約に 從 ふから 

である。 だから、 JL の 意味に おける ギルドの 獨占は 寧ろ 自治 

であろ。 さう して 其の 最も 重要な 內容 はナシ 3 ナル • ギルド 

の 自治 權 である。 

第三の 點は あまりに 周知の 事柄で ある。 それ はすべ ての 

ギルドの 會員は 同一な 權利を 持つ と 云 ふこと である。 ギル 

ド 組織の 社會 にあっても、 其 個人の 地位と 特權と は 其 人の 

才能に 應 じて 與 へらる るで あらう。 けれども 資本主義 制度 

における 賃銀 勞働 者の. g き 奴隸的 階級 は 存在し ない。 換言 

S すれば 勞働は 商品に あらす とする 原則 卽ち勞 働 人格主義 か 



樹立され る • の である。 彼等 は 最早 他人の 利潤の 爲に勞 働 を 

する のでな く、 社會 全般の 利益の 爲に勞 働に 從 事す るので 

ある。 こ. -に 彼^が 資本主義 制度に おいて は發 見す る こと 

を 5^ ない 勞 働の 喜 悅を 見出す こと. か出来る ので ある。 

ナショナル • ギルド は 一 定の產 業に 從事 する すべての 勞骶 

者から 成立す る 民主的な、 自治 團體 であって、 國 家と 協 

同して 其の 產業 を經營 する ものである。 各々 の ギルド は國 

民 的 基礎の 上に 組織せられ、 其 最高の 權カ はすべ ての ギ ル 

ドを 代表す るギ ル ド會議 である。 然し ギ ル ドの 作業の 多く 

は その 國民的 組織の 上 に おいて 行 はれる ので はなく。 ギル 

ドは其 工場から 出發 して ギルド 會議に 終る と 云 ふ,^ く、 其 

出 發點は 中央 集權 的の もので はなく 寧ろ 地方 分權 的の もの 

である. - だから 工場に 出發 する ギルド は 其 最終の 機關 であ 

るギ ル ド會議 に 至る までに、 口 ー 力 ル*ギ ル ド會議 と デ,^ ス 

トリ クト • ギル ド會議 とが ある。、 れ 等の 會議 において 數多 

のギ ル ドの 代表者の 會見を 見、 その 地方 的 産業の 密接な 閼 

係から 之れ はギ ル ドの 生活と 自治との 中心と なる もので あ 

る。 



私 は旣に 一 通り ナシ. -ナル • ギルド を 其の 外部から 觀 察し 

たゥ 次に 私 は その 內 部から 之 を 見たい と 思 ふ。 其 第 一 の 問 

頃 は その 組合員の 加入と 除名の 問 超と である。 數年前 ギル 

• ト赴會 主義者の 一 圑 がその 宣傅^ 爲に ギルド 組 熾の 「梗 槪」 

を 書いた ことがある。 この 「梗 漑」 は 出版され たもので は 

ない が ギルドの 組織、 其 相互 閼係 並に 其の 社會 との 閼係を 

取扱った 極めて 便利な ものであるから 之 を 引用す る ことと 

しょう 

「產 業ギ ル ド へ の 加 人に は 何等の 試 驗をも 課す, 」 と はな 

い。 各 ぶ 自由に 其 加入すべき ギルド を選擇 する ことが 

出來 る。 さう して 其の 賨際的 加入の 問題 は勞 働の 需要に 

よるので ある。 」 

「技術的 智 緻 を 必要と する 職業に は その 加入に 一 一つの 制 

度が ある。 その 一 は、 その 職業 を 修得す る 專門學 校へ 人 

舉 して、 其 試驗に 通過す る 制度で ある。 その 一 一は 資格 試 

驗 である。 」 

組合員 除名の 問題に 關 すろ 權利は 勿論 ギルドの 有すべき 

ものである。 けれども 其 速 用に ついては 深甚の 注意 を 必要 

とする。 その 第 一 は 除名 權か ギルドの 役員に あって はなら 



ない ことで ある。 か、 る 官僚主義 は ギルドの 精神に 反する 

からで ある。 其組<^0員.か適任でぁるか否かを诀定するのに 

最もよ い 地位に 居ろ もの は 彼と 共に 作業す る 人々 である、 

さラ して これ 等の 人々 のみ 其 除名 を正當 とする ことが 出来 

る 。また ギ ル ド* マ ン としてで はない 理由の 下に か る 要求 

の 起った 時には 他の 地方の 同職 ギ ルドに 彼 を 移す 機關 によ 

つて 處分 しなければ ならない。 

次に ギルド • マンの 報酬の こと を考 へて 見よう。 ギルド • 

マ ンの 報酬 は 其 成し 遂 ゆた 仕事の 分量に よるの か、 其 必要 

とする 所に する のか、 または 其 ギルドに おける 地位に よる 

ので あるか or 結果に よる 支拂」 は 現在の 資本主義 制度の 下 

において 見る 所で ある。 賃銀 制度の 下にお いて はすべ ての 

仕事 は 其 結果に よって 支拂 はれる。 其の 結果 仕事 は 粗惡に 

なり、 努働者 は 其 良心の 痲 S: を 意と しない。 この 樣な狀 態 

を 改革すべく ギルドの 思想 は 生れた ので ある。 だから 私達 

はこの 第一 の 命題 は 極力 を 之 を 斥けなければ ならない。 そ 

の 第一 一の 命題 は 最も 合理で あろ 漾に思 はれる。 けれども、 

其 必要と する 所が 何で あるかの 決定に は 幾多の 困難の 伴 ふ 

こと は究れ 得ない。 人 は 各々 其 欲望 を 異にする * 或る人 は 



簡易の 生活 を 欲し、 或る人 は 複» ^文明 的 生活 を 望む ので 

ある。 世の 官僚主義者が なす. g く勞働 者の 生活、 快樂、 苦 

痛 を 標準化す る こと は 疑 ひもな く 奴 隸國を 建設す る ことで 

ある。 この 點に 就い は 深い 注意 を 必要と する。 

ギルドの 全員が 均等の 報酬 を受 くべき か、 または 其 他 位 

に從 つて 受 くべき であるか は 一 の 問題た る を 失 はない。 資 

本家 的 精神の 所用 者の 考 へから 見れば、 人 は 皆 利己的の も 

ので あるから、 仕事に 順應 した 報酬がなければ * 人 は 働か 

ない と 云 ふだら う。 けれども それ は あまりに 偏した 考 へで 

ある。 努 働の 稟悦、 藝 術の 喜び を 知らざる 者の 言葉で ある。 

ギ ル ド における よき 勞働者 は 其 報酬の 如何に か はらす、 

仕事の 優秀なる を 努める であらう。 然しながら もし 特殊の 

責任が あろと 假定 するならば、 其 特殊の 責任に 對 して 特殊 

の 報酬 または 少く とも 特殊の 權 利を與 ふること は 許さる ベ 

きで ある。 

現在に おいて 個々 の 組合に 對 する 支給に ついて 斷 的に 

ある 規定 を 定める の は 殆んど 不可能で ある。 けれども、 私 

はこの ことに 關 する ギルド 主義の 主耍な 點を揭 けて 置きた 

いと 思 ふ。 其 第一 は * 組合員の 報酬の 爲に 各個の ギルドに 

配分 せらるべき 額 は 其 組合員の 數と 厳密に j 致しなければ 

5 ならぬ ことで ある。 こギ ル ド よりも 一 一倍の 祖合を 有すろ 甲 



ギルドに 對 する 配分 額 はこの 一 一倍で なければ ならぬ ことで 

ある。 而 して 其の 一 一は、 組合員の 間に 分配す る 方法に つい 

て は 民主的に して 自治 的な 團體 としての 各ナ シ" -ナル • ギル 

ドの 決定に よらなければ ならぬ。 であるから 其 配分 方法 は 

各 組合員 平等で もまた は 組合員の 別 に從 つ て 其 支給に 差別 

を 付けても 差 支 はない ので ある。 

要するに 其 根本原理 はナ シ 3 ナル • ギルヅ の會 員が 其勞働 

の 結果で も、 または、 其 必要なる べしと 想像され るからで 

も、 または、 國 家に 對 する 其 勤 勞の價 値からで もな く、 た 

だ 彼が ギルドの 一員で あると 云 ふ事實 によって のみ、 其 配 

分 を 受ける ことで ある。 

會 員の 問題に 次いで 起る 問題 は ギルドの 行政の 問題で あ 

る。 ギ ル ドの會 員 は其ギ ル ドの 行政に 對 して 1 疆の 發言權 

を 有して をる" 其 第一 の 發言權 は 彼の 事實勞 働に 從 事して 

をる 工場に おいてと、 「其 一 部分 を 構成す る 仕事と において 

. である。」 其 第一 一の もの は、 彼の 職業 組織 を 通じてで ある。 

行 攻に關 する ギ ル ドの 基本原理 はギ ル ドの樞 要なる 地位 

における 役員 は 一 般選舉 によって のみで はなく、 其 地位に 

對 して 必要で ある 能力 を 最もよ く 判定し 得る 人々 によって 



ふ 選舉 されなければ ならない。 さう して その 選舉は 之に よつ 

て 影響 を受 くべき 努働 者に よって 是認され なければ ならな 

い。 ナショナル • ギルドに おける 組織の 第二の 形態 は 職業 代 

表で ある。 ナショナル • ギルドに おける 役員 制度に 加 ふるに 

職業に よる 代表 制でなくて はならない。 ナショナル • ギルド 

における 同 一 職業に 從事 する もの は 役員の 直接 選 舉權の 外 

に 職業 代表 を選舉 すべき 權利を 有する ものである。 この 職 

業 代表の 形態 はギ ル ド を橫斷 する ものであって 個々 のギ ル 

ド* マ ンが 其勞働 生活 を 指導すべき 他の 方法で ある。 職業 代 

表 者 は、 ギ ル ド* マ ンが產 業 的勞働 者と して 選舉 した 代表者 

と共に ギルドの 行 攻に携 はるから である。 

前項に おいて は 個人の 立場から ナ シ 3 ナル • ギルド の行攻 

について 槪 略の 觀念を 論じた から、 本 項で は、 ギ ルツの 構 

成に ついて 論じよう。 乍然 私達 はこの 問題に ついて 個々 の 

末葉に 關 して 居ないで 其 大體を 語れば 濟 むこと である。 何 

となれ ぱナ ショナ ル參ギ ル ドは產 業 を 固化す る こと を 目的と 

して 居ない からで ある 。產 業の 固化 を 避ける 爲 にはナ ショナ 

ル* ギルドの 制度 は 仕事の、 また 地方の、 または 國民 的の 個 

性を沒 却して はならない ので ある。 自由 は 充分の 範圍 にお 



いて 許容され なけれ はならぬ ので ある。 この ことにつ いて 

も 前に 揭 ゆた 「便 漑」 を 引用す るの が 甚だ 便利で ある。 

r ナ シ 3 ナル • ギル ド の 制度 は 中央 集權 的な 一 般に 渉る 權 

力の 存在 を 包含し ない もので あろ。 さう して、 この こと 

は生產 方法の 停滞と 極度の 生産物の 標準化 を 避ける につ 

いて 必要 缺く ベから ざる ものである。 故に 各々 の ギルド. 

の 地方 支部 は 任意に 新 發明を 採用し、 一 定の 生産物 を特 

殊 化し、 その 意思と 地方 的の 要求に 其生產 を適應 させる 

ことが 出來 るので ある。 然し、 二の 自由 は ナショナル 參ギ 

ルドの 權 利を以 つて 制定した 規約 並に 勞働 時間 工場 衞生 

等の 一 般的條 件の 國民的 規定 を邀 奉す る 範圍內 に 限られ 

るので ある。 

ギルドに お け る 地方 的 自治の 限界 は產 業の 種に よ つて 

異 るので ある 例へば 鐵道 並に 運輸に おける 制度 は 其 地 

方の 需要の 爲 に生產 する 建築業の. いきものよりも 一 暦 中 

央集權 的で ある。 —1 

この 點に ついて コ ー ルは 次の 樣に 云って をる。 

f 國民的 管理の 下に Sid かれなければ ならな いのは 産業で 

あって、 生產 ではない。 :… 各々 の 努働は 其 生産に 閼係 

する 限りに おいて 第 一 に 自治 的で なければ ならない。 然 

し 乍ら 交換の 組織 は 地方 當 との 馕同 による 國民 的權威 



によって 行 はれなければ ならない? …… 勞働 者の 高い S5 

準 を 維持す る こと は 國民的 並に 地方 的當 局の 事業で なけ 

れ ばなら ない。 けれども 其の 勞働は 自治 的で なければ な 

ら ない。 さう して 外國 よりの 干 涉は诗 々の 批評と して 窗 

ら され、 または その 時の 不平に 對 する 解答と して は窗ら 

される ので ある。」 (産業 自治: Si 、二 七 二丄ニ 頁) 

ナシ 3 ナル • ギル ヅは國 民 的 産業の 基礎の 上に 建設され る 

ので ある。 だから ナシ 3 ナル • ギルドの 數は, ギルド 組織 を 

形成し 得る 主要の 産業の 數 丈け ある 笞 であろ。 さう して そ 

の 形態 は その 作用の 如何によ つて 異 るので ある。 ナシ 3 ナ 

ル* ギル ヅの數 は 現今の 所薩定 的に これ を 定める こと は 出 

来ない。 それ は ギルドの 形成され ろ 方法に よる ことか 多い 

からで ある。 




本 項で は ナシ- ナル • ギルドの 相互 關係、 全體 としての 社 

會に對 する その 關係、 並に ギルド 內部 における 個人に 對す 

る ギルドの 關係 を說述 する ことと する。 現在に おける 產業 

は 非常に 複雜 であるので 1 一種の 産業の 限界 を 明確に 決定し 

難い こと も 度々 ある ことで ある。 例へば 或る 種の 人々 は 鐵 

7 道ギ ル ドに もまた 機械工 ギ ル ド にも 1» する 接になる ので あ 



る。 この 限界 は 甚だ 困難な ものであるから、 この 二種の ギ 

ルドが あろ 一 定の條 件の 下に この種の 人々 を 一 一つの ギルド 

に屬 するとす るの. か 最も 適當 である 樣に思 はれる。 この種 

の 關係は ギルドの 內部關 係で あるか、 其 外部 關係は 卽ちギ 

ルド 相互の 主たる 產業關 係 は、 其の 各々 の 生産物の 供給と 

消費との 閼係 において 起る ので ある C 

ギルドの 相互作用 は其產 業の 相互 依 屬の範 園に よって 诀 

定 せられる ので ある。 だから 其當該 事項の 性質に 從 つて * 

地方 的 並に 國民 的の 機關. かなければ ならない ので ある. - ギ 

ルドの 個性 を發揚 せしめ、 其 地方 的 利 盆 を 進す る爲に は、 

ギルドの 相 led 關係は 地方 並に 一 行政 區の ギルド 會議を 中心 

として 行 はれなければ ならない。 國民 的會議 の相當 する 事 

項 は 國民的 重要の 事項の みに 限らなければ ならない。 卽ち 

すべての ギ ル ドに關 する f J と は 地方 分權 的の もので なけれ 

ばなら ない ので ある 

物質の 交換に ついて は 注意 を 要する 事項が 一 つ 存在す 

る。 それ は、 一つの ギルドから 他の ギルドに 供給す る 物資 

が 其 ギルドの 產 業の 爲に用 ひられる のか、 また 其 所 屬勞働 

者が 其 生活に おいて 消費す るかで ある。 例へば 鑛山 ギルド 

, ^ら鐵 道ギ ル ドに して 供給す る も 炭が 汽車の 運 轉の爲 に 

消费 される か、 其所霸 組合員の 私人 的 浪費で あるかで ある。 



5 



言葉 を換 へ て 言 へ ば、 その 供給 は生產 的©费2» であろ か, 

または 享樂的 消費の 爲 であろ かの 點 である。 今 は その 問 超 

は產 業の 爲の 消費で あると 限定して 置く のか 便利で ある。 

鐵道ギ ル ドが 其運鹎 用の 石炭 を 糠山ギ ル ド から 供給され る 

と 始めて この 一 一つの ギ ル ドは闢 係 を 結ぶ ことになる。 この 

^係に よって 起る 幾多の 問題 を處理 する 爲に其 仕事の 性質 

に應 じて、 一 時 的の 若しくは 永久 的の 聯合 委員 會が 設立 さ 

れ るので ある。 この 委員 會には 各々 の ギルドの 代表者. か關 

與し、 さう して 多くの 5i 合に は 職業的 代表者 も その 中に 加 

入す る ことになるの である。 その 節 圍か擴 大して 行く と、 

多少す ベての ギ ル ミト の闢 係す る 事項 か 起って 來 るので あ 

る。 もし その 事項が 地方 的の ものである ならば、 其 事項 は 

地方 ギルド また、 地方 ギルドに よって 任命され た 委員 會に 

.5.6 つて 決定され るので ある。 もし、 そのこと.. か 全 行政 區劃 

に閼 する ことならば 行政 區ギ ル ド會議 かその 诀 定に與 るの 

である。 さう しても つと 重要な 產業 上の 事項 は 各々 のギ ル 

ド から そ の 代表者 を 送 つてお る 國民ギ ル ド 會議の 決定 を俟 

つので ある。 私 は 次に この ギルド 會議の 性質 を 研究して 見 

よう 



ギルド 會議の 取扱 ふべき 特殊の 事項 は數 多く ある。 その 

多くの 事項 を處理 する 爲に 永久 的の 委員 を 設置し なければ 

ならない。 &; にす ベての ナシ 3 ナ. ル* ギル ヅ全體 としての 問 

題 は 明かに ギ ル ド會議 によって 裁決 さる ベ き 事項で ある。 

けれども 其 決定 後に おける 其 作用に ついては 多く 個々 のギ 

ルドの 閼 する 所で ある。 多くの ェ鴣法 及び 同 樣な產 業に 關 

する 規定の 設定 は ギルド 會 議の範 園で ある。 また ギルド 間 

における 紛爭も 最後に はギ ル ド會議 の 裁诀を 受ける 必要が 

あるで あらう。 ギ ル ド會議 の 主要の 義務 はギ ル ド關 係に 對 

する 裁決に 關 する 最高 權威 である 外に、 ギルドの 收 入と 租 

税とを 司る ことで ある。 

こ、 において、 私達 は ギルド 組織 以外の 社會の ある 方面 

に接觸 する に 至った。 ギルド 會 議と國 家との 關係は ギルド 

社會 主義者の 間にお いても 議論の ある 所で ある。 甲 派の も 

の は 國 家 は 其 終局に おいて ギル ドの 上に 其 權威を 有する も 

^であると 主張す る。 けれども こ 派 はこの 主張 を以 つて 國 

家に 其權 威を强 制すべき 勢力がない ので あるから:: れは空 

論に 過ぎな. いと 批評す るので ある。 さう して 國 家と ギルド 

との 主權は 平等に して 對立 的の もので なければ ならない と 

主張す るので ある。 この 問 題 を哲學 的に. 論議す るなら は 多 

くの 興味 を 見出す こと. か出来 るで あらう。 けれども 私達の 



立場から 言へば、 本質的に 重要な こと は生產 における 創意 

がギ ル ド を 通じ て 生産者に ある べしと 云 ふこと である. - さ 

うして すべての ギルド 社會 主義者 はこの 點 について 論爭す 

る もの はない ので ある。 だから 現在の 所 私達 はこの 樣な 一 

般的 規約 を 設けて 充分 満足し なければ ならぬ ので ある。 ギ 

ルド は その ギルド 會議を 通じて、 純 產業的 事項に おいて は 

其 最後の 權威 でなければ ならない. さう して • 國家は その 

議會を 通じて 純 政治的 事項に 對 して は その 最後の 權威 でな 

ければ ならぬ ので ある。 政治的 並に 産業 的に 共に 重要な 事 

項に ついては ギルド 會議と 議會と の 聯合 委員 會の快 定に俟 

たなければ ならない。 

この 規則 は 外國貿 並に 對外關 係に 適用す る ことが 出來 

るので ある" この 兩 事項の 關 係は頗 ぶる 密接なる ものが あ 

るので 議 會もギ ル ド會議 も 共に 其の 協同な くして は 所理し 

得ない ので ある。 この 規則 はまた 新 事業に 對 して 資本 を 供 

給す るが. g き 政治的 並に 經濟的 利害の 密接なる 場合に 適用 

し 得る ので ある。 卽ち ギルド 社會 における 收 入と 租税との 

關係 において 之 を 見る ことが 出來 るので ある。 ギルド 會議 

はすべ ての ギ ル ドの 生産物の 赍上 金の 保管 者で 各ギ ルドの 

代表者との 協議に よって 其 年々 資本 墳補 並に 其發 達に 要す 

る 金額 を 決定し 置く ので ある。 國 ii^ はまた その 社會的 Hi 要 



の爲に 一 定の ギルドより 受取るべき 豫箕を 算定す るので あ 

る" この ギルドの 豫 算と國 家の 豫算と は ギルド 會議 と議會 

との 聯合 委員 會 によって 審査され 是認され るので ある。 さ 

うして その 差 引金 額 か ギルド 會議 によって 各 ギルドに 配分 

される ので ある。 斯 くして, ギルドの 營 利み-防止 する こと 

が出來 るし、 其 生産物の 價格は 其 生産費 を 基礎と して、 ギ 

ルド 消費者との 合同に よって、 定められ るので ある プ 

ギ ル ド社會 組織の 中で 尙ほ 重要な 問鼯は 分配の 問題で あ 

る C 分配 問題 は 多くの ギルド 社會 主義者に よって 論議 さ れ 

たが 其 要 を 得て をる の はやつ ばり 「梗 g」 である。 次に こ 

れを 引用しょう。 

「小 1 買 商業 は 一 部生產 ギルドの 手で 行 はれ、 一 部 は 分配 

ギルドの 手で 行 はれる ことになるで あらう。 そのものの 

生 產者か 生産物の 性質から 衣服の 場合の 樣に 自然に 其 小 

赍を 司る 楊 合 も ある。 この場合 は生產 ギルド か 自ら 分配 

を祖 織す るので ある。 けれども 小寶が 自然 的に 其 生産者 

の 分離され る樣な 所では 各地 方に 其 支部 を 有する 分配 ギ 

ルドに よって 行 はれる ので ある。 

「分配 ギ ル ドは其 生産物 を 之が 生産者 ギ ル ド または 外國 



ひ の 生産者から 購 人した 價格 において 販寶 する ので ある。 

…… だから、 一の 社き にあって は小賫 値段と 販賫 値段との 

二つの 値段 はない ので ある。 さう して この 分配 ギルド は 

他の 非 牛; 產的 ギルドと 同じく、 その 從業員 數に應 じて 一 

定の 金額 を 受ける ので ある。 …… 

「個々 の 消費者 は 其 需要 を 有効なら しめる 5;^ .1 分配 ギ ル 

ドの 地方 支部に 闢 連して 消費者 組合 を 起す、 や」 か出来る 

ので ある o」 

生産者に して 生産者 ギ ル ドに 加入し ない ものに 對 して は 

どんな 方法 を以 つて 之 を 遇する か。 また ギルド や 組織し 得 

ない 人々 に對 して は 何う か。 それ は 相應に 重大な 問題で あ 

り、 實 際に 起り 得る 問題で ある。 後者に 對 して は ギルド は 

何等の 干涉 もしない ので ある。 それ は 彼等が ギルドに 千涉 

しないと 云 ふ 前 5 ^の もとにお いてで ある けれども ナシ 3 ナ 

ル* ギルドに 依って 行 はるる 產 業に 從 事して、 然も ギルドに 

加入し ない 者に 對 して、 ギルドが ある 權カを 持ち 得る の は 

當然 である。 けれども, 未来の 社會 にあって, ギルドの 保 

護み 受ける の を 欲しない 人々 は 少なから うと 思 はれる が、 

然し.、 もし, そんな 人の あった 場合に は ギルド は ギルドに 



加 人し ない 許 制度 を 或る 期間 を 限って 設定す ろで あら 

50 さう して この 期 問の 終了と 共に 全 產業は ギルドの 制度 

に 人る であらう。 . 

私達 は 大體ナ ショナ ル* ギル ドの社 會を觀 察し たつこの 社 

會には f ^ れ 等の もの 以外に 尙ほ 多くの 事柄に ついて 考 へな 

ければ ならぬ ことがある だら う。 けれども その 主要な 產業 

的 部門に おいて は ナショナル • ギルドの 制度が. S 何な もの 

か、 また. S 何に して それが 運用され るか は 一 通り 說き 得た 

積り である.^ (おはり、 一 九 1 一 〇*1 一 • 八) 



11 



産業 制度 を社會 的、 經濟的 不正の 基礎の 上に 建設して、 

資本家 は 經濟的 安定 を 得べき 空しい 努力の 中に、 j つの 絕 

望 的 方策から 今一 つの ものへ と逐 はれて るる。 けれども こ 

れらの 努力 はなに もの を 利せ ないで あらう、 なぜなら 前に 

潢 はろ 危機 は、 その 第 一 の 利害が 資本家 制度 を 維持す る こ 

とに あると ころの 人々 にと つて、 満たされ 得ない から。 故 

に 彼等の 板 挾みが あろ。 

それ は、 産業 主義が 結局 需 要と 供給との 間の 平均が 覆へ 

された ところの 社會的 不正に 基礎 を 持って ゐる からで あ 

る。 なぜなら この 現象 は、 宗敎 改^の 時に、 ギルドの 破壤 

に 伴った と, J ろの 國家 における 勢 破壊の 經濟 における 反 

射 作用に 過 ざない から。 さう して その 時に 國民は 直接に 彼 

等の 生活に 影 饗 する 物事の 支配 を 失った ので ある。 ギルド 

によって 支配され ないで、 產業は 3!;^ 早 人間的 必要に 關聯さ 

れ 得ない。 それ は、 圑體 的に しろ、 個人的に しろ、 全然 人 

憫 の 動作 力に よって 支配す る ことの 不可能な 群集 連 ii^ にと 



ァ ー サ! ジィ ふ ン チイ 

つての 題目と なった、 さう して それ以来 常に 間違って 進ん 

で 来た、 また 同時に 國 家に おいての 總 ての カを强 奪す る や 

うにな つた 攻府 はつ > いて これらの 見えない 世界 潮流の 園 

內 へと 追 ひ 遣られた。 

或る 意味に おいて、 現在の 事情 は 文明が 流れた 狀態を 示 

し、 また なんらの 政策 も、 なんらの 用意 も、 なんらの 計晝を 

もたない 結果で あると いふ,. は眞實 である。 しかも 今 一 つ 

の 意味に おいて これ は眞寳 でない。 近代 國家 は、 それが 最 

近 四百 年間 支配階級の 人々 が宗敎 改革に よって 固められた 

不正 を 永存 さす f ) と を 求めた か であると, 3 ろの ものと な 

つた。 それ は、 支配階級の 人々 が、 彼等が 過 古に おいて 力 

トリック を 汚し、 な 问利を 許し、 ギルド を 誤 表し、 ま た^は 

りの 攻治 經濟の 理論に 加勢すべく 導かれた ところの 寺院と 

ギルドとの 掠 lit によって 生活した からであった。 彼等 はこ 

れ をな したので ある。 彼等 は國 民に ギルド 11 それ は それ 

. ^通じて 阈 民が 支配 を 行って ゐた ところの 唯 一 つの 制度で 



i2 



あろ 11 働き を 通じて 彼等 自らの 事務 を 1^ 理 すべ き樓利 

を 招んだ ので、 彼等 は 自ら 經濟的 事情 を 支配し 得ない こと 

を 見出した。 彼等が、 彼等の 干 涉は唯 事柄 をより 惡く する 

に 過き ない こと を 見出した 時に、 彼等 は 押し流される やう 

になった、 卽ち、 事 iss 力が 終りまで 持ち 來 したと ころの、 

しかし 彼等 を 哀れな 板 挾みに 過き 去り にした と、 J ろの 無 

干渉の 政策 を 採用す る やうに なった。 そわ は、 事情が 何事 

かがな されなければ ならない 如き 經 過に 到達した にも 拘ら 

す, 彼等 は、 彼等が 改造の 事業に おいて 彼等 を 導くべきな 

んらの 合理的な 社會 理論 を も 持たない のみなら す、 徭り を 

いって ゐる 歴史家に よって 過 古に おいて 創造せられ たと こ 

ろの 中 世紀に 對 する 僻見が 彼等 を 邪魔して ゐる こと を 見出 

すからで ある、 なぜなら それ は 彼等 をして 總 ての 正則の 社 

會 整頓に 疑念 を 以て 眺めさせ たから、 ギルド を 排斥す る こ 

とに おいて、 政治 哲舉者 は ある 正 氣な攻 治 理論の 主要な 基 

礎 を 否定し、 また 從 つて 彼等の 曲解され た 先見 を 持った 心 

にと つて 解く を 得ない ところの 問題に 對 する 解決 を 見出す 

ベく、 空しい 努力の 中に、 誤謬から 誤 護へ、 妥協から i 

へと 願ら れた。 

中 世紀 的の 社會 整頓へ 我々 は歸 らう、 とい ふの は 我,々 は 

決して 再興され た ギルドの 働きに よる こと を 除いて、 社會 



における 經濟 力の 完全な 支配 を 得る ことか 出來 ない ばかり 

でな く、 より 箪 純な. 社 會狀態 へ 歸る こと は 必然で あるから。 

現在の 方向に 沿うての より 以上の 發展は 〇〇〇〇〇〇〇 導 

くば かりで ある、 なぜなら 〇〇〇〇〇 は 錯綜の 產物 である 

から。 それ はかくの. S くにして 起る。 錯綜の 發達は 混亂へ 

導く、 なぜなら 社會が 或る 點を 越えて 發展 する 時に、 人心 

は それの 適當な 整理に とって 必要な 總 ての 細目の 把持 力 を 

得る ことが 出來 ないから。 混亂は 誤解と 疑念へ と 導く。 さ 

うして これらの ことが 〇 ひ 〇〇〇〇 を產 む。 何人も かくの 

如き 精神が 今日 盛で ある こと を 否定し ないで あらう。 さ. フ 

して それ は 近代の 〇〇〇〇〇 し つ >• あると, J ろの 徵候 であ 

ると いふ 結論 を 避ける, ) と は 困難で ある。 我々 は 確かに 曲 

角 を 廻り 初めつ、 ある、 さう して 一度 それが 回轉 されるな 

らば、 我々 が 中 ffi 紀的 基礎へ 歸 ろまで、 なんらの 塡充物 も 

ないで あらう。 我々 は 勿論 階梯に よって 旅び をす るで あら 

う。 けれども 我々 は 結局 其處に 達する であらう、 なぜなら 

我々 は、 我々 が 我々 の 目的に 到達す るまで、 なん-^ の 休息 

を も • なんらの 安定 を も 見出さない であらう から。 ある 途 

中の 家に は なんらの 塡充物 もないで あらう" それだけ は 確 

かで ある。 

改めて 玆に いかに 中 世紀の 經濟 原理が, 事情の 力の 結果 



13 



として、 近代の 實 行に 彼等 自ら を喑 示しつ.' あるか を *1 す 

の は、 興味 ある ことで ある。 我々 は 未だ 「正 當な價 格」 の 

中 世紀 的の 觀 念にまで 達しなかった。 しかし 收益 者の 沈滞 

にと つての 境界 を 設ける ことの 必要 は、 それの 中 世紀 的の 

必然的 歸結 一 - 定められた 價格 1— を 復興した。 我々 の崇 

拜物 として 機械 を 持って ゐる實 際 的の 國 民の 故 を 以て • 我 

我 は 機械が 支配され ょラ こと は社會 のた めで あると いふ 思 

想 を 憤然として 否認す る。 尙 それでも 機械 は 今日 ラ ン 力 シ 

エアと ヨウ クシェ ァと において 支配され つ >f ある —— それ 

は 綿と 毛 熾との 不足に よって 生す る 戦時 的 緊急の 手段で あ 

ると いふの は眞實 では あるが、 そのために 意味のより 少な 

いのに ものと もなら ない、 なぜなら 若し 戦爭 が互大 な 偶然 

の 事件で あろと 思 はれないで、 それに 對 して 全體の 近代的 

制度が 必然的に 傾いた ところの ある ものであると 思 はれる 

とするならば、 今日 支配 をして 必然的な ものたら しめる と 

ころの、 励き つ. - ある 力が 將來 において それ をして 必耍的 

たらしめ るで あらう こと を、 我々 は 確信し 得よう から。 綿 

の 不足 は 終結 を吿 ゆる かも 知れない。 しかし ラ ンカ シェア 

は、 莨 際 それが 兢 爭の發 達に よって 他の 市場 を 失 ひつ. "あ 

る. S く、 逆の 稅贫 によって それの 印. ぜ 市場 を 失 ひつ. - ある 

1. さ 5 して 事情 それ は逦內 において- 我々 に、 產業 主義 



ほそれの 擄 張の 極限に 到達した と, 】 ろの 事 實を告 ゆる。 思 

慮 は數年 前に 綿の 調節の 有望 を嗜 示し 得た であらう に。 な 

ぜ なら 紡錘の 常に 增 加し つ 、 ある 数の 使用が 餘儀 なくした 

ところの 需要と 供給との 間の 平均 を 整理す るた めに、 質の 

標準 を 永久により 低く しつ ある ことよりも、 かくの 如き 

調節 を 導くべき であった ことが、 確かにより よくあつ たで 

あらう からで ある。 全世界の 廣さを 持った ところの 戰爭に 

及ばない のに もの もが その 狀 態に 面すべく、 ラン 力 シェア 

を 導き 得なかった こと は 奇妙で なから うか? 私 は 戦爭が 

將來 において 不可能と なる であらう こと を 信じない。 けれ 

ども 彼等 を 別と して 單 純な 事 實に 面すべ き 人類の 不本意 や 

無能力 は 多くの 希望 を與 へ ない。 私が 中 世紀 的の 方向に 從 

ふべき 近代の 經濟的 行爲の 傾向に ついて 與 へたと ころの 例 

は 興味深い ものである。 しかし 中 世紀 主義への 復歸 は社會 

の 保存に とって 缺く ベから ざる ものであると いふ 假定 を擁 

護す る總 てのものの 最も 强ぃ 證據は トレ イド、 ユニオン 

(職工 組合) を ギルドに 變 形す & こと を 提議す ると ころの ナ 

ショ ナル、 ギルド (國民 同業組合) 運動に おいて 見出されな 

ければ ならない" なぜなら 彼等が 彼等 自ら を干與 さすと、 】 

ろの 發現か ギルドの 廢 止の 結果と して 起った ための みなら 

す、 彼等が 彼等の 祖 IS の 中に 相應 する 生長の 原理の 生長 を 



4 承認す るた めに、 トレ イド、 ユニオンが 中 世紀 的 ギルド 

の正當 の後繼 者で あろ 限りに おいて、 その 思想の 中に 歴史 

的 繼績が あるから である。 彼等の^ 密な 胡截を 持った 今日 

のュ 二 オン は 以前 ギ ル ド によって 行 はれた ところの 多くの 

機能 11 それ は 病人 や 不幸な 者に 時機に 適った 救助 を與へ 

ると、 J ろのより 社會 的な 義務 及び 其の 他 賃銀 ゃ勞働 時間の 

調節の 如き ものである 11 を 活用す る。 ギルドの. S く、 ま 

た、 彼等 は 政治的 創造で なく、 自發 的に より カ强ぃ 人々 の 

壓. f レに對 して、 社會 のより 力弱い 人々 を 保護すべく 起った 

ところの 自意的 組織で ある。 唯產 業と 相應 する 時 權とを 持 

たない から、 彼等 はなされた 仕事に 對 して 責任 を 受け、 ま 

た, 價格を 調節し 得ない とい ふ範 園にまで、 彼等 は ギルドと 

異 つて ゐる。 從 つて 彼等に 産業の 獨占 權を與 へる ことによ 

つて、 トレ イド、 ュ 一一 オン を ギルドに 變形 する こと を提 

案す るナシ ョナル 、ギル ド は、、 J れ まで 全く 本能 的であった 

と、 〕 ろの 運動に 對 して 意識的の 方向 を與 ふべ き 努力で ある 

如く 見られる —— それ はチ エスタ ァ トン 氏の 言葉 を 用ゐる 

ならば、 「彼の 意識 を 失った 或る人の 稍 意識的な 行動の. g ぐ 

過去 を 知らない 人々 によっての 過去への 復歸 である。 さう 

して その ブ tJ パ ガ ン タ は 明白な 好い 結果 を 受けた 11 私に 

はいふべき 或る 道理の あると ころの 好い 結果 は、 それに 含 



めら れた 仕事の 量に 對 して は * ^は それの 主張者の 注意と 

なる 財、 源に 對 して は、 全然 釣り <3n はない ものであった、 さ 

うして また 從 つて 結局、 それ は 意識され た 必要 を 物語り、 

更に 社會 における 均勢 は、 人々 が ギルドの 思想 を、 平衝を 

回復す る 手段と して 本能 的に 擁護す る ほどに も、 覆へ され 

て 來てゐ ろと いふ 假設 において のみ 說 明され 得る もので あ 

る 

ギルドの ブ 口 パガン ダは、 或る 外的の 偶然の 機會 なくし 

て は、 それが 持った 好い 結果 を 以て 伴 はれなかった であら 

うとい ふの が 安全で ある。 第一 に 議會と 〇〇〇〇〇〇〇 と 

に對 する 增 して 來っ >r ある 不信が ある. - 第 一 一に 個人的 不安 

と 大きい 組 熾 の發 達に 伴な つたと ころの 個人的 獨 立の 損害 

との 大きくな りつ 4 ある 意識が ある。 それから, 國 內に實 

際 生命 的な 問題に 應 する ための かくの 如き 方法の 全く 不適 

當 であった, ) と を 多くの 國 民に 告 ゆた ところの、 また 集產 

主義と 官僚政治の 巨大な 發 達との 經驗 を勞働 者に 與 へ たと 

ころの 戰爭と 軍需品 令と が ある。 故に 殆んど あらゆる 人々 

は 或る 〇〇〇〇〇〇 がな されなければ ならない、 さラ して 

前方への 道 は 通り 得ないで、 後灵り をす る 以外に 採るべき 

道がない とい ふこと を感 する やうに なって 來た。 私 は、 勿 

論、 ナ ショナ ル* ギルド マ ン はかくの 如き 程に ならない であ 



らう こと を 知って ゐる o 彼等の 目的と すると ころ は、 彼等 

が 前進す る ものと 立證し 得る と、 J ろの ユニオン をギ ルドに 

變形 する 問 超に ついて である。 けれども それ は 甚だ 根本的 

な 秩序に とっての 後戾 りの 歩みで ある、 なぜなら 最近 四百 

年間の 賁 行と 判 斷とを 裏返すべき 提案に 過ぎない から。 私 

は 〇っと 判 斷とを 選ぶ、 しかし 私 は 〇〇 を 最初に 匮く • な 

ぜ なら 私 は、 現狀 は、 少しな りと も、 それの 存在 を 論議 さ 

れた判 斷に負 ふ ものと 切 實に考 へない からで ある。 それ は 

第 一 に 〇〇 によって 建てられ、 さう して 試みられた 立證は 

後から なされた。 それが 總 ての 近代 思想の 歴史で ある。 

我々 は、 第 一 步は勞 働 者に とって 産業の 支配 迄 を 讓り受 

ける ことで あり、 1 たかくす るた めに、 彼等 は 差し 當り產 

業 を 現在の 儘で 受けなければ ならない こと をナシ ョナル • 

ギルド マ ン に 同意しても よい. - けれども 若し 彼等 か 近代 世 

界を 威嚇す ると ころの 破 威の 中に 陷 るべき でないならば、 

彼等 はいかな ろ 方向に 我々 が 進みつ あるか を 知るべく、 

彼等 自らに 對 して 充分に 正直で なければ ならない。 とい ふ 

の は、 讓 渡しが 實 際に 生す る 時に、 きまれた ところの 發現 

を 適當に 論議すべき なんらの 時間 もないで あらう からで あ 

る。 一 つの 根本的 發 現- 1 甚だしく 中央 集權 化された 組 截 

1 に 封す る 民主主義 的 支配の 矛盾 —— は實 現されつ ある、 



故に その 方向に 恐るべき なにもの もない。 なんらの 困難 も 

地方自治の 發^ の 前途に 潢 はって ゐ ないやう である。 困難 

は 確かに、 袖 はなければ ならない 不足に も拘ら す、 軍隊 を 

復員し、 また 軍 lg 品の 工場 を 閉鎖した ことに 伴 ふで あらう 

とこ、 の 無職 業 問題 を 襲 ふらしい。 ナショナル • ギルド マ ン 

は、 その 中に 彼等 かいかなる 方向 を 社會が 進みつ > 'あるか 

において 決心す るに あらざる 限り、 この 問題に 面すべく 資 

本家の. i く 無力で あるで あろ ふ。 社會 主義者 も ¥4 家 的の 

思考 方法から 全く 彼等 自ら を 解放し なかった、 殆んど 例外 

なしに, 彼等 は 商業 的 關 係に おける 財攻 について 考 へる、 

ギルド マ ンは必 すし も 第一 に 物事の 關係 において 考 へろ こ 

と を學ん たので ない が。 更に ギルドの 財玫 は、 ギルドの 組 

織 か 商業 的 組 鋭と 異なって ゐる 如くに、 根本ね 商業 的財攻 

と 異なって ゐる。 かい 摘んで いへば、 ギルドの 財政-は 我々 

がそれ を 理解す る. g き 財政の 廢止を 意味す る" なぜなら 今 

日の 財攻 は、 4" 加の 目的の ために 通貨 を 使用す る 方法と 手 

段と み-見出 すより 以上の なにもの でもな く、 また 明かに ギ 

ルド は 全く かくの 如き 動機に 閼 係し 得ない から、 それに 次 

いで 定 憤の 原理から 適用され 得る に從 つて、 交換の 操縱に 

よって 富 を 作る 機會は 無くなる やうに 傾き、 また 一 方で は 

勞働者 か 産業 を 所有す る やうに なろ に從 つて • 投資に 封す 



5 る 機會は 同樣に 終ら、 フ ことと なる であら 、フ。 簿記 は あるで- 

あらう。 しかし 簿記 は 我々 が 財政に よって 理解す ると ころ 一 

の もので ない。 この ml- 解から、 ギルドの 第 一 の 目的 は、 交; 

換の 媒介物と しての それの 正當な 使用に 對 する 制限 的 通 化 具 一 

によって、 整頓され ない 通貨の 害 惡に對 して 社會を 保護す 一 

る ことで ある。 一 

產 業の 管理に その やうに 根本的な 變化を 手引きす る こと 一 

は、 討議す る ことが 必要で あらう ところの 多くの 問題 を 生; 

むで あらう。 なぜなら變化と:^^ハに多くの職業は自働的に終ー 

. はり、 また 若し 社 會が速 かに 再び 〇〇〇〇〇 へ陷 るべき で 一 

ないならば、 その 事情が 堅く 豫想 されなければ ならない こ! 

とが 必要で あるから。 彼等 自ら を 無職 業で あると 思 ふと こ 一 

ろの 總 ての 人々 は、 彼等 は 新ら しい 社會組 11 の 中に 吸 ひ 込 一 

まれて 來る ことの 出來る 如き 時が 到來す るまで、 自由な 關! 

係に 置かれなければ ならない。. 〇〇 を 防ぐ 他の なんらの 方 1 

法 もない。 當分過 剩の勞 働 者 は. H 地に 置かれなければ なら 一 

ない、 なぜなら この 方策 は その 事情 を 直に 救 ふ 功德. か ある】 

であらう ばかめ でな く、 農業の 復興 は 社會を それの 基礎に 一 

おいて 强 固に すると ころの 永久の 利 < ぬを與 へ、 また 一 方で 一 

は それ は產 業に おける 正則の 狀態を 回復す ベ く 反動す るで 一 

あらう からで ある。 勿論 ある 差 引 は 示さるべき 必要が ある; 



であら、 フ、 彼等 自ら を 新ら しい 狀 態に 適應 する ことの 出来 

ない、 また 恩給 を與 へて 免職され なければ ならない ところ 

の舊國 民の 場合に おける 如くに。 * 

農業の 復輿は 無職 業 問 蹬を救 ふに も 拘らす • それ は 決し 

て それ を解诀 しないで あらう" これ は 大きい 問題で ある、 

さう してた > に 我々 の生產 方法に 〇〇 を豫 想させる のみな 

らす、 我々 の 思考 方法 や、 生活 習慣 や 個人消費に 革命 を豫 

想せ しめる。 私 は 私の 「新世界に 對 する 舊 世界」 において 

稍 精し く, この 問題と それの 混 亂とを 論議した から、 私が そ 

, J で用ゐ たと, 〕 ろの 議論 を 繰り返 へ す, 〕 と は 私に とって 必 

要で ないで あらう。 玆 では 唯、 具 體的閼 係に おける かくの 

如 き變化 は、 機械の 使用の 一 定の 限定と 共に 手藝の 復興 を 

意味する、 ) と をい へば 足りる.' 手藝の 復興 は 無職 業 問題に 

打ち勝つべき 我々 の 努力に おいて 我々 を 助ける であらう こ 

と は、 手藝の 復與を 以て、 我々 が、 最早、 整頓され ない 機 

械 生産に 直ぐ 引き 續 いて 伴った と, > ろの 過剩 物資の 問題に 

よって 惱 まされないで あらう f ) と を 語る 時に 明かと なる。 

兎に角、 若し 人々. か 無職 業であるなら ば、 波 等 は 支給され 

るか、 さもな けれ は 餓死し なければ ならない こと は 明白で 

ある。 彼等 をして、 或る 無用な さう して 不必要な 仕事 は 使 

はれつ >- ある 間 施しに よって 生活すべく 强 ひらる よりも. 



17 



手工 者と して 彼等 は 使用す る ことが より 贤く はないで あら 

うか? この 發現 は^せられなければ ならない。 それ は最 

早 避けられ 得ない、 なぜなら 利用すべく 殘 して 置かれた な 

んらの 新ら しい 市場 もない ところの 現今に おいて、 我々 の 

過剰の 生 產物を 外國市 に拋り 出す ことによって 惡ぃ日 を 

脫 する こと は 不可 5> おであらう から。 

.^曰:§| の 正氣の 人々 にと つて、 かくの.^ き 議論 は 確定 的の 

もので あろ。 不幸に して、 しかし、 かくの 如き 事柄に おけ 

る 決定 は 今日 彼等に ならないで、 我 社會の 「政治的に 敎育 

された」 人々 により I— 卽 ちそれ の 自然 的 本能が 資本家の 

假想 利害と, ル. 狀と においての 虚^の 發 現にお ける 被 等の 心 

の 訓練に よって 惡 化された ところの 人々 による。 社會 主義 

者と 勞働 者と. か 一 般に 支配階級の 人々 の. S き 我々 の虚 係の 

大義 的 傳統の 多くの 機牲 者の. S く 正しい とい ふこと は、 危 

險 を减少 せしめないで 增大 する、 なぜならば 努働 階級から 

彼等の 自然 的 指 S: 者 を 奪 ふこと によって、 それ は 確かに 烏 

合の 衆の 法則 を 生ぜし める から。 それ は 悲劇で ある。 しか 

し 更に それに も拘ら す、 一 般に、 人. か 今日より 高く 敎育さ 

るれば され も ほど、 より 惡く彼 はなる らしい とい ふの は 

實 である。 これが 我々 の 支配階級の 無能の 秘密で ある 如く、 

ノ ウス クリス 新閗 のまた ビ リ ン ダ評薛 の 勢力の 秘密で あ 



る。 指揮者に 反抗す る 感情 は、 若し 正しく 解釋 されるなら 

ば、 實 際に それの 本能の 健全で あると ころの 指揮者 を 得よ 

うとす る 要求で ある。 善い 人々 は惡 いこと を 信す る。 それ 

が 今日の 我々 の 根本の 困難で ある。 (KK) 



「正誤」 

「前 號,, 十 1 1 頁 上段 (十 行よ リ)、 「協同 主義 思索の 時代が : : 混亂 

の 典型的の ものである」 か 「今日 人々 が 將來の 社會 における 國家 

の黡 性, 考 へる 時に、 それの 第 一 の 職分 は 組! i の そ れ であろ とい 

ふ 假設に 始める の は、 協同 主義 思索の 時代が 社會理論><^„^亂の中 

に 含んだ ところの 混亂の 典型的の ものである」 と 訂正す ろ。 

同 頁、 下段、 (九 行) 「卽 ち、 對外 政策 や、 公衆衛生 や、 地方自治 

等、」 次 行) 「彼の 諭點」 の 次へ 入るべき 誤に 付き、 訂正す る。 



(座 口金 貯替 振、^ ガ ^ w 樂祌區 込 牛 京 東 
、番九 八 八 二 四 京 東ノ! X 地番一 十目 丁 二 



刊 新 




頁 六 二 五 判 菊 
入 葉 ニ簡手 者お 原 



ジ ド 一一 -i ウエッブ 化へ 穿 

ビア 卜 リス *ゥェ ップ .Azl 



山川 均 • 荒 畑 勝 三共譯 



画 謹 



震 



匿 



定 

總價送 

布參料 

製圓十 

箱 六ん 

人十錢 

其う ちに は悲壯 

錯誤が あり、 失 

原著者 ゥ エップ 



英國 は努働 連動の 故 鄉と云 はれる 國 であって、 其勞働 組合 は 過去 一 百年 間の 貴き 經驗の 成果で ある。 

な 鬪爭が あり、 光輝 ある 成功が あると 共に、 資本家 側に 於ても 勞働者 側に 於ても、 幾多の 過 fT^i か あり、 

敗が ある。 そして 英國 組合 運動の 歴史が, 後進 者に 取って 特に 敎訓に 富んで 居る 所以 も 亦 こ、 に 在る。 

氏 は, 舉者 として、 また 真肇 なる 社會 改良 論者と して、 _ 央國に 重き を爲 すと 同時に、 勞働 運動 史の、 權威を 以て 許さる、 

の 人で ある。 本甞は 氏の 二 大名 著の 一 つと して、 組合 運動 史の 研究に * 不朽の 貢 獻か殘 した 貴重な 文書であって、 苟も 

勞 運動 を 語り • 勞働 組合 を 論す る もの は, 氏の 組合 運動 史を參 照せ ざる 者な しと 云 ふ も 過 首で ない。 戦前に 親しく 獨 

逸の 組合 運動 を 調査し、 ス テフ ェ*\*サ> ダァス 氏 は、 獨 逸の.^ 何なる 勞働 組合の 一 小 地方 支部に 往 つて 見ても、 曾て 本 

書の 獨逸譯 を所藏 せぬ 所 はない と 云って 居る 一 事に 依ても、 勞働 運動 並びに 組合 連動の 實驗 家から も、 研究家から も、 

本書が 如何に 一 :1 き 評 價を拂 はれて 居る かが 靦 はれる。 先進 者の 經驗 に學ん で、 有 ゆる 精力の 空費と 行程の 迂 廻と を 避け、 

最小の 犠牲に よって ぬ 大の效 果を皋 ける 事 は, 後進 者の 特權 であると 共に、 義務で ある。 譯 者が 微力 を 顧みす して 此大 

著の 反譯を 企てた 所以 は、 恰 かも 勞働 組合 運動の 黎 明朗に ある 我國 の現狀 か、 最も切實に本書の公^:を必要としてゐ-リ 

と 信じた からで ある、 - 譯 者 



19 



ギ 



ト 



經濟學 (再び) 

z: 生産と 消費との 關係, 



于ァ ー 亇才 レ ー ヂ 



今 f,?S 者と 共に 消費 力に 就いて 研究す るなら, は、 直ちに 費 

用と 價 格との 本來の 關 係に ついての 問^ を 考察し なければ 

ならない。 讚 者 も旣に 知ろ 如く 私達の 主張す る 所 は 公正な 

價格は 費用の 一 部分より 成立す る ことで ある。 11 私達の 

全 消費の 全 生 產に對 する 比例 を以 つて 表 はされ る 所の 部分 

である- 之を數 式! 表 はせば f^; (ヌ * であり、 これによ つて 

、一に、 t 

表 はされ る少數 か卽ち 公正なる 價格 である。 私達 は 旣に私 

達の 消費 を满 足した 後に 殘存 する 生産の 性質 を 研究した こ 

とが ある。 然し 消費 以上に 超過す る 生産の 剩餘か 常に 消費 

財で あると 考 へ るの は 誤謬で ある。 



洵に年 消費に 超過す る 年生 產の 剩餘の 一 部 は 消費財の 一 

部で あるの は事寶 である。 私達 はこの 消費財の 額で ない と 

主-張す るので はない。 何と なれば、 其 額は少 くと も 一 年の 

消費財の 輪 出額に 等しい からで ある。 けれども そは單 なる 

一 部で ある、 年 消費に 封す る 年生 產の 剩餘 のより 多量 は 消 

費 財の 形態で はなしに、 機械 器具 並に 原料の 形態 を 採る の 

一 である,^ 國民の生產能カが常に_^?加しっ、ぁりとの假定の 

下に 立て は、 機械に ffi- ひられた 勞働は 二通に 使用され るの 

は 明かで ある. - 卽ち其 一 は 直接の 使用 並に 直接の 消費の 爲 

めの 貨物 を生產 する ものである、 其の 二 は 生産 を^ 進す る 

爲の 手段 を fs^ 良し または 生產 する 爲 めに 用 ひられる もので 

ある" これ 等の 二つと も 生産の 形態の 內に屬 し、 二つと も 

國民的 生産の 年額の 中に 加算す る ことが 出來 るので ある。 

この 二つの 內の 第一の もの は 直接 使用 換言すれば 消費の 爲 



s の 貨物から 成立ち、 その 第一 一の もの は 新樣な 貨物で はなく、 

ま 

生産 を 進すべき 手段、 簡單に 云 へ ば 資本から 成 +=5 する も. 

ので ある. * 

扨て 私達が 年生 產は年 消費に 超過す ると 云 ふの は、 毎年 一 

生産され る 消費財の みで はなく、 また、 資本に 加へ. られた 一 

改良 — それに は 原料 も 含んで おる 11 を も 加 へ て 云 ふの 一 

である。 單に 消費財の みに 就いて 見ても 生產は 消費に 超過: 

する ことが 多い ので ある。 この 消費財の 超過に 加 ふるに、 一 

同じ 期間 內に 生産され た 資本 改良 を 加 へ たなら は 年生 產のー 

年 消費に 對 する 超過 は 巨大なる ものが ある だら う P " 

もう 一度 前 論に 立ち 歸 らう。 さう して 消費 力 は 何から 成 一 

立って をる か を硏究 しょう。 消費 力 は 生產 能力の 評 値の 上 一 

に 立脚して おる。 だから ある 一 年に おいて、 生產 能力が 增ー 

加した とすれば、 之に 附隨 する 消費 力 は その 割合に 應 じて 一 

加す る ことになるの である。 消費 13 の 實際的 生産が 起つ, 

たか どうか は、 今の所、 比較的 重要な ことで はない ので あ 一 

る。 斯樣な 生產は 機械の 改良と 共に 自然に 起る こと も ある 

し、 また 起らない こと も あるので ある。 然しながら ある 1 - 

年に おいて 機械の 攻良^ 爲に、 其 機械の 所有者が 其 年の 終 



りに おいて、 其 改良の 分量に よって、 彼の 消費 力 をせ 加し 

たと するならば 彼 は 成績の よい 年 を 送った ことになるので 

ある。 

画 

, J > に 次の 例 を 示す、 J とが 出來る 

果樹園の 所有者が 一 定量の 勞働を 雇った とする。 彼 はこ 

の勞 働の 一 部分 を 果實の 成 執 r 收穫、 荷 造、 發送云 ひ換れ 

ば 直接の 生産 過程 卽ち 直接 消費の 爲の 生産に 使用し、 他の 

一部 を 新樹の 栽培、 注意深い 手 人れ、 橫木 配置の 改良、 一 

言で 云へば 果樹 裁 培 法の 改良に 用 ひたので ある。 その 年の 

終りに なると 彼 は 貸方の 1 一つの 項目 を發 a- する ので ある。 

その 一 は果實 の販寶 によって 得た 現金、 その 1 一は その 果樹 

圚 の生產 力の 增加 を窗ら すべ き 資本 改良の 內に 包含され た 

「消費 力」 である。 故に 波 は 其の 生産した 杲實 の販賣 によつ 

て 利益 を 得た 許りでなく 11 その 利潤 は 販賫に 際して 現金 

となって 現 はれた ものである -11 彼 はまた その 消費 カの增 

加 11 卽ち 未だ 現金と して 實現 されない. か實 現の 可能で あ 

る 消費 力に おいて 利益 を 受けた ので ある。 事 實は彼 は 一 年 

の勞 働の 結 として 二つの 方面で 利^ を 受けた。 其の 生産 

した 杲實 の販賣 によって 得た 現 4^ と、 其 生産力の 增加^ 爲 



に 得 ベ き 將來 の 貨幣と において。 

私達の 觀 察した 果樹園の 主人が 一 年の 全勞 働の 費用 11 

始めての 資本 出資の 後に おいて は 通常 見る 所で ある II を 

其 年の 收 獲の 菜 實に賦 してし まう と假定 せよ。 彼 はこの 費 

用と 憒 格との 一 致を以 つて 一 收支相 償 はせ る.」 と 云 ふので 

ある。 さ、 rs して 彼の 目的 は 其 年に 支出した 現 堂に 對 して、 

其 所得た る 現金 を以 つて 相殺 せんとす るので ある。 この?^ 

合に 彼が 彼の 林檎の 消費者に 賦 した 價格は その 生產 費の み 

ではなく, 生産 機 il としての 果樹園に 加 へられた 改良の 費 

用 を も 包含して をる ので ある。 實 際に は 彼の 在產は 二つの 

項目から 成立つ ので ある。 Ml は 林檎の 收獲 であり、 その 

二 は 果樹^の 財產 における 資本の 改良で ある。 然し 實 際に 

おいて は 彼 は 林檎の 價 格の 內 にこの 生産の 一 一つの 項目に 對 

する 費用 を 含めて しまう ので ある。 この こと は、 その 結果 

から 見て、 彼の 林檎の 消費者 か 林檎の 生産費の みで はなく、 

その 果樹園 改良の 費用 を も負擔 して をろ こと を 意味す るの 

である。 消費者 は その 某 實に對 しての みで はなく、 その 資 

本に 對 しても 支拂 をして をる ので あろ。 かくて、 消費者 は 

お 一 自分の 金で 果樹 圚 の 資本 的價 爐を增 進して 行く ので ある 




この こと を 繰り返して 云 ふなら ば 次の 通りで ある。 

生産 は 二つの 形態 を 採る。 それ は 消費財と 資本の 改良と 

なって 現 はれる" その 前者 は販賣 による 現金と なって 現 は 

れ、 後者 はた > 消費 力の 增加 となって 表 はれる のみで ある。 

然しな. からこの 「クレディ ト」 は將來 において 受取るべき 

現金に 外なら ないから、 消費 力の 增 加の 基礎 を 形成す る資 

本の? 良 は 機械 所有者の 富に 對す る增 加で ある。 さう して、 

この 生產 能力の 增 加から 成立す る その 富に 對 する 加 こそ 

資本主義の 全 目的で あり、 その 全 意義で A る。 

黄金の 卵 を 牛-む K 鳥 は經濟 生活の 說 明に 時々 使 ひられ 

る) 私達 は 今 その 祌 -.i 的の 鵞鳥 をして, 同じ 役目 を 勤めさ 

せよう. - 諸君 は、 その 鵞鳥. かまた は 其 卵. か 何れ を 採ら ラと 

する ので あるか" 諸君 は 答 をす る 前に 考 へなければ ならな 

い。 もし K 鳥と 諸君が 答 ふるならば 諸君 は 正しい ので ある。 

何と なれば 卵は實 際の 消費財で あり、 鵞鳥 は生產 能力の あ 

る 生産者で あるから。 g 鳥 を 所有 すれば 諸君 は 常に 卵 を 得 

る ことが 出來 る- もし 卵 を 取ろ ならば、 それ は 消費財で あ 



15 るから、 やがて は その 富 は 消費され る ことになるの である。 

扨て, 私達 はこの 想像の 動物が その 生產 力に おいて 增 加す 

る ことが 出來 ると して 見よう。 私達 はこの 鳥. か 一 年間、 百 

の 代りに 十二の 卵 を 生む 樣に 操縱 し、 さヲ して 特殊の 4 良 物 

i4 よって 飼養す る ことによって、 その 將來 における 卵の 生 

產カを 右の 最 一::^ 限から 一 一 百の 最高 限まで. % 加 する ことが 出 

來 ると 假定 する。 さう すると 私達 は、 その 當 時に おいて、 

百と 十一 一との 差額に 相當 する 丈け のへ * 額 を 損失す ろ ことに 

なる ので ある。 然し、 この 穰牲 に對 する 報償と して 驚 鳥 は 

その 年の 終りに は 以前の 惯 値の 一 一倍 を 生産し 得る 能力 を 供 

へ る ことになるで あらう。 だから 私達の 現金 取引 は 百から 

十一 一に 低落しても、 鵞鳥との 取引に おいて は 多くの 利益 を 

得た ので ある。 何と なれば、 私達 は 現 < おで 十二の 卵 分 を 得、 

それに 加へ て、 私達の 消費 力 を 二倍と する ことが 出來 たか 

ら である。 さう して、 私達が 十二の 卵の IM 格の 巾に 驚 鳥の 

特殊の 食物 等の 費用 を 加へ たなら ば、 吾々 は 消費者 をして 

管 鳥の 價直增 加に 對 しても 支拂 をな さしめ た, ) とになる の 

である 。(二 ュ liHl* チ から) 



▲ マルクスの 逸話 (村 上 正 雄) -、sl 

として sr-- ブグネ t トの 著書から とった ものである。 マルクス 

の 人物 .Y^ 知る ために は 是非 一 讀の耍 が ある。 (慣 一 關半 芝區三 

« 書房 發行) 



□ 次 號豫告 

ギル ト社會 主義 

角-^ - 

室 伏 高 信 

室 伏 氏 病 氣の ため 本 號には 書け なかった が 次號に はこの 

豫告の ごとき 一 大長篇 を 草す る 害、 中 澤臨川 氏 

も 多分 次號 あたりに は 何 か 書いて 下さ る こと と 思 ひま 

す。 . 



著名る せ 明究を 明文 代 現國我 



法 If 科講 I f お.^ 太 &貧生 序 四六判 二百 十 頁 定 價壹圓 五拾錢 

魏%學 一 泸就圓 谷 弘 先生 著 總ク! 上製 送料 A 錢 




米 田 庄太邵 先生 序文の 一 節に 曰く 『日々 現代化し つ 、ある 我國 今日 

の社會 及び 文化 を 深く 理解す るに は、 我國に 於け る 資本主義の 起源 及 

び 發達を 詳しく 研究せ ねばならぬ 上 者 者 圓谷弘 君 此の 點に 着眼して 多 

年の 硏究を 積み 今 本書 を 公に せんとす る は、 我國學 界の爲 めに 慶賀す 

ベ さ こ と、 甲 5 ふ。』 

現今 社 曾 問題 を 口にする 者 皆、 指、 洋の 彼方 を さし, 足、 日本の 地 を 

離る、 著者 之れ を^し、 社 會學的 批判に 立脚して 現代文明の 表徵 たる 

資本主義の 善 通性に 即し、 我國に 於け る 其 特種 相 を 究明して 本書 を 成 

せり。 本 街 は實に 現代の 支配階級 たる 資本主義の 日本に 於け る 特質 を 

明に せる ものにして、 我國 近世 文明の 運命 を 知る の 秘鍵な り。 



東 I 一 ー扳 

京 替 

市 m 東 

芝 ^ 京 

區 四 

三に 一 

S 曰 f 

丁 〇 

目 旁 番 



si 小 泉 信 三論 

十二月の 社會 政策 學會大 會は勞 働 組合.^ 

其 討議 問題と した。 報告者 は早稻 田の 北渾 

新 次郎 氏と、 慶應の 小. 乂信三 氏と であつ 

兩氏は 早 招 田 * 1^ 應-」 おけろ 新. = ^有 $3 の敎 

授 中の 代表的の 人々 である 丈け に、 其 報告 

振リは 興味の 中心であった。 北 澤氏は 其 著 

「勞働 者 問題」 上卷が あ. *<リ に 内容に とぼし 

いので 少々 失 した 人 もあった 樣だが 早稻 

田の 人と して 人氣 はやつ ばリ 充分に あった 

. 赏 日 北 澤氏は 事故 の^に 原稿 まとまらす 

とあって 炔 席した と傳 へられる。 從 つて 古 

い 時代の 勞働 組合に 關 マる 報告はなかった 

小 泉 氏む 亦 出席し なかった。 同氏^ 年來の 

宿 病 未だ 意. <i ^安ん する ことが 出來 なかった 

^である。 然し 同氏ば 原稿 送って 高 野 博 

士が之 1^ 代讃 したので ある。 氏の 原稿 は最 

新の 勞働 運動 卽ち英 國勞働 運動 殊 Li キ レ-ド 

肚會 主義 に 關し たもので あった 相で ある。 

北 澤氏は 多少 實 運動に たづ さはって 居 

る 點は强 味で あるが • 其 學問は どんな もの 

だか 今の所 判らない。 そこで 北, 潔 氏と 小 泉 

氏と^ 並べて 見れば、 そ: に慶 應の 理財 科 

と早稻 田の 政治. 済 科との 學術 的^ 容 かほ 



ぼ 5; る a である。 

4 泉 氏が 「解放」 や 「中央 公論」 へ 書いた 所 

見る と、 氏 は ギ^ド 社 食 主義に 赴いて 居 

る樣 である。 「解放」 にあった 「二種の H I 

ト ヒア 」 では モアの ュ, ト ヒア 、モリスとの 

ェ一ト ァ,^ 比較して、 モアの ュ, ト ヒア 

が蹇 一 的 事務的で あるのに 對 して モリスの 

ュ, ト ヒアが 創作の 喜悅 vJ- 其 出發點 とし、 

從 つて、 其 生活に 活氣が あろの 指摘して 

, ^る。 「屮央 公論」 Li あった 「勞 働の 苦痛」 で 

は勞 働の 喜悅 以 つて 社 會 改造の 第 一 義と 

して, - ザる 樣 である。 

十二月の 「新 八ム 論」 が 諸 名家!. - 「食 下 は 

社會主^^:^に賛成ぜらるるゃ」 との 問1 ^鼓し 

て るが、 小 泉 氏の 答に 耍す るに 次の 様な 

、、と, 2 一一" つて る。 社 令 主義の 問題 は 重大 

問題であって 容易に 決定し 得ない" けれ 

ども 現代 無^者^ 級が 社 主義 的 傾 €1^ 著 

,」 く 有して なろ が 故に、 必然的 Li 社會 主義 

に 2 ふ ものと;^ ノ へな けれに ならない。 だか 

ら その 際 重要な こと は 其 磨 擦 1^ 最少 タ りし 

めなければ ならぬ ことで あろと。 これで 見 

ると 氏 は社會 主義の 必然, 信す るが 如くで 

ある。 . ^一し 此答は 少し ぼんやり L て fi- る 所 

が ある- k 利彥 氏の 樣 に 人.^ 社會 主義 (マ 



;- キシズ ム) と 4* 社會 主義と 首 ふ 樣-レ 分て 

に 文句の 言 ひ 所 も あらう が、 私達 はそんな 

類 は 出来ない。 だから、 小 泉 氏の 首 ふ 程 

度に おいて 私達 は 氏の 傾向,^ 知る、、 とが 出 

來 るの e あ VQO 私 は 氏が ギルド 社 奮 主義で 

もらう と 言った 樣 に、 マルクスに 對 して は 

批判的 態" i^l^ 採って ろ。 今度 「解放」 へ 

:::::: A 

書いた 「マ ルクスの 信 値 論と 價格 論」 は 力 

ァ. ティ々 の 紹介で あろが、 氏もマ^-ク 

森 ▲▲▲▲ 

ス に 對 する^ HI ム. バウ H 夕クの 批評の 

1 部分 1^ 承認され て る樣 である。 マ 少ク 

ス Li 對 マる 批判的 態度: の點は 多くの 進步 

的學 者の 一 致ォろ 所で、 日本で 純然たる マ 

レ, キ スト は 河 上 博士と 堺利彥 氏 位の もので 

あらう。 だから 氏,^ マヤ キ ストと 言 はす、 

ギ 巾 ト社會 主義者と 言 ん -;^ 方が ょリ近 い で 

あらう e S 一 月 號に慶 應の加 田 君が 書い 

て る 所に. -5 ると 氏け 「生產 者と しての 人 

£1,^ 重視して 社會 組織の 改造,^ 企てな けれ 

ばなら ぬと 主張す る 樣に思 はれる」 と。 

兎に角 氏 は慶應 における 花形で ある。 塾 

一 s: でも 塾 外で も 氏 は 11: となく 評判が い い。 

^生む 尊敬して るし、 學界 においても、 

1 方の 陣頭に 立って 1^ る。 年 正 Li 三十 二三 

新進の ブ 口 フ H サ ー として 其 前途 LL 多大の 

^待 持れ れて るの は 氏で ある。 (哲 二) 



北米 合衆國 賃銀 分布 表 (男子) 



-mm マサ チ: 




カン 


セク ト 


ジ ヤシ- 


- サス 


收入 細 


1909 


1909 


5 弗 以下 1 


4 




5 弗 一 6 卯 1 




1 






2 


6 弗 一 S 弗 7 


G 


3 


8 弗 一 9 


S 


4 


9 弗一 100 14 


15 


14 


10 弗一 12 弗 17 




20 


12 弗一 15 弗 20 




24 


15 弗一 20 弗 20 


17 


21 


20 布 以上 8 


9 


9 


100 


100 


100 


贫数 350.11 S 


2''4.782 


20.720 



ス コ クト 丄 ァ リングに 就て 



スコット • 二 ァ リンク Scott Nearing とい ふ 男 を 是非 私 

は 日本に 紹介した いと 思 ふ。 此頃、 森戶 君が 大學 から 追 ひ 

出され、 河上肇 先生 も * どうやら 怪しい と 聞く と、 . すぐ 思 

ひ 出す の は、 ス コット • 二 ァ リングで ある。 彼 は 勇敢な ソシ 

.ァ リストで ある、 經濟學 者で ある。 一九 一 五 年で あつたと 

思 ふ米國 ペン シルヴ ヱ ニァ州 立大學 敎授で 有った 彼 は、 あ 

まりに 富豪 攻擊の 手 を ゆるめ 無い と 云 ふ 理由に よって、 あ 

の 自由の 空 氣の充 ちて 居る * フヰ ラデル フ ヒア 大擧 から 追 

はれた ので 有った。 その 時に 私 は、 米國 にも 學 問の 自由と 

云 ふ もの は 無い と 思 ふた か、 今度 彼 は、 米國の 過激 甲; I 想 取 

締の 方針の 犧牲 となって、 裁判 を 受けて 居る。 

彼 は その後、 ト レ ド I 大畢 の總長 を. P て 居た と 思った. か、 

糾? E などへ 出て 來て よく 講演 をして 居た。 米國 では 餘 程の 

評判 6«.r; である けれども、 日本で は、 ス パル ゴ ォ などの 方. か 

J よく 聞こえて 居る が、 實 際の 經濟的 智識で はス コット • ニァ 



賀 川豊彥 

U ン.. クの 方が、 遙 かに 上で あらう と 私 は 思 ふ。 彼の 著作に 

は Social Adjuslmellt", --scluticn of the child labour t>rc 

ble ョ". -wages in the Uuited Jr^tates- 一 Income 、一 Poverty 

and pidles- と 云 ふ樣な ものが ある。 皆實際 的の 問題 を 根 

氣 よく * 研究して 居る ので、 その 中で も、 私 は 「收人 論」 

Income に は 特別に 感心した。 よく 統計的に 北米 合 衆國の 

賃銀 生活 者の 收 人と、 資產者 階級の 收入を 直して ゐる。 



26 



北米 合衆國 賃銀 分布 表 (女子) 



一週間 


マサ チュ 


= エー. 


力 ン 


ゥ イス 


ゥ イス 




セク ト 


シャシ 一 


サス 


づン シン 


づン シン 


收入 


190S 


1909 


1909 


1906-7 


1906-7 


5 弗 以下 


S 




25 


38 


3 


5—6 


10 


19 


17 


13 




6—7 


1(> 


19 


19 


28 




6—8 




13 


12 







8—9 


15 


Q 


9 


3 




1 

o 






6 







o 


13 


6 


8 




23 


12—15 


fy 


4 


2 


3 


30 


15—20 


2 


) 




X 


9 


20 弗 以上 


X 


X 


X 


X 


2 




100 


100 


100 


100 


100 


實收 


144.93-3 


68.368 


CO 


21.937 


128.334 



之に よっても よく わかる 通りに、 今から 十 年 前に は米國 

の 日給 取り は 一 ヶ月 八十 鬼 を 取る もの は 比 ia^ 的 善き 方で あ 

つて、 黄金の 國と云 はれる 米國に 於ても、 勞働者 は 矢張り 

貧苦に 難んで 居た ので ある。 それで 彼 は 以上の 統計から こ 

んな 結論に 達して 居る。 北米 合 衆國の 賃銀 生活 者の 收人は 

一 年 千 弗 以上の 收入 ある もの :••: 全數の 一 釗 (熟練工) 

一 年 六 百 弗 乃至 千 弗の 收人 ある 者全數 の四釗 (半熟練工) 

1 年 六 百 菊 以上の 收入 ある もの… 全數 の五釗 (不 熟練工) 

そして 米 國の努 働 者は當 千 五 百 萬 以上 も 有った であらう 



が • この 大多数の 努働 者が 僅かに 一 年に 千^たら すの 收入 

を 受けて 居る にか わらす、 三百 か 四百の 富豪が、 この 多數 

の勞働 者の 收 入の 一 一倍の 收益を あけて 居る と 云 ふこと を 知 

つて、 彼 は 奮起せ ざる を 得なかった ので ある。 

卽ち彼 は、 筆に 口に 資本主義 を 罵った ので ある." そして 

彼の 有名な ラ ン ド*ス ク— ル 事件なる ものが 起って、 社會主 

義大 學と考 へ られて 居る、 紐 育の ラ ンド • スク ー ル の 校長 初 

め 議員. か 過激 思想 流布の 主謀者と して 拘引せられ たが、 ス 

コット • 二 アリン グも、 同類の 巨頭と して その 網 を脫る , J 

と は 出来なかった。 

米國は 進んで 居る と 云 ふ。 然し 資本主義の 米 國には 資本 

主義 本位の 傳 統と壓 制と が ある 。そして、 我等が 米 國も救 ひ, 

難しと 考 へられる 程、 色々 な 困難な 問題が あるので ある。 

資本主義 文化 はそんな に 深く 人間の 頭に 喰 ひ 込んで 居る。 

そして、 米 國の樣 に たけで 固める とまた 一 寸と. 新しき 

文化に 移る こと は 困難で ある。 あの 自由な 米國で 二 アリン 

グが 困る の も 尤もで ある。 私 はた *i) の 文章で は 彼 を 新し 

き 文化の 先驅 者と して 紹介す るに 上め て 置かう。 彼の 專門 

が、 た > 經濟 問題 を 基礎と する 社會 上の 實際 問題た けに 止 

るので、 理, 主義 的 立場から 紹介す るに 餘程 困難で は ある 

が、 ァ メ リカ 人の 中の ァメ リカ 人で ある 二 ァ リングが、 社 

會 主義 的 理想の 下に 孤軍奮闘 をして 居る の は、 大きな 劇 曲 

中の 劇 曲 だと 云 はねば なろ まい。 私 は 彼の 男らしい 態度に 

少なから す 感心して 居る 一 人で ある。 (一 一月 九日) 



27 



米 國の產 業會議 (三 



六、 ヱリ ヲット 博士の 警告 

旣に此 時から 該會議 の圓満 なる 終了 は豫期 出来なかった、 

前ハ ー バ I ト 大擧^ 長 ヱ リヲッ ト馎士 は 次の. S き 警告 的演 

說を 試みた。 

「私し は 吾々 が旣に 次の やうな 事,^ 了解して 居る と 思 ふ、 卽此 

の 會議の 方策が 大小 圑體 に依リ 遂行され 且つ 其の 意見が 記錄 

されない 限リ 此の 會議は 美 はしき 結末 1^ 斑す もので ない と 云 

ふ 事,^。 ゴム パ, ス 氏の 演說 は勞働 者则は 其の 權 利と 稱 する 

もの!. i 就て 爭ふ爲 め此處 LL 出席せ る 事 fj- 示して 居る。 また 此 

虔 Li 出席して 居ろ 資本 側 は勞働 側より 今朝 提起 さ リと聞 

く 提案,. ^否決せ むとして 居る が 如き 銜 突の 徵候は 非公式の 舍 

合に 於て V あるが 旣 Li 存在して 居る。 

若しも 此の 產業會 

議が资 本家と 勞働 者の 間 に 一 生面,^ 開き 何等かの .K 際 的效果 

, ^资ら す ものに あると ォ るなら ば、 吾々 は 新ら しき 立脚 點に 

立たなければ なら 30 私しに ダか. 'プ、 メソク ド 倍 じない。 

何故ならば 夫れ は 明かに 新葡狀 態に 對し 尠くとも 端 滋く 

マる ものであるから。 例へば^^働側に依る投案の 一 つ は 現在 



森 恪 

進展し つ.. ある 產業 爭議 に關 係して 居る。 

斯 くの 如き 問題.^ 論す る 事, か 此の 會議 Li 充 >^ 望む 事が 出來 や 

うが。 吾等 は资 本家と 勞働 者との 間に 新ら しく 且つより 善き 

關 係の 生ぜむ 事 f5 ^明かに 希望し 且つ 責任 y;^ 負 はなければ なら 

ない、 吾等は此の席上に新^^3の同盟罷菜の 一 つ,.^ 論議すべき 

もので あらう か OJ 

此の 演說 に對し 資本 側の ネ ィ ラ ー 氏勞働 側の シッパ I ド氏 

の歐論 かあつた。 

七、 資本 側 提案 

資本 側と 勞働 側との 乾 櫟の端 は 十月 十日の 會 議に發 した。 

資本 側 は 一 片の 陳述書と 共に 「操業 關始」 と 「外界の 人と 

關係 なく 雇人と 交渉す る權 利」 と を 主張せ る 提案 をした。 

此 等の" 案 は 資本 側 委員 會に 提出した もので あり 且つ 次の 

十一 ーケ條 から 成立つ 基礎的 原則の 一 部分であった。 

一、 ^^業の開發は资本.}^と勞働者との連帶貴任なる事。 

二 - 全體 としての. リは 寧る 一 生^^單位としての^ スタ 

プリ- ンシュ メント なる 事。 



三、 勢働條 件の 安全と 確保。 

四、 需要供給、 勞働功 程、 <5» 社 存在 地方 に 於て ir る 標準 赁銀、 

健廒と 福利と に 相 一 致ぜる最大娛樂、最高生活^«、仕事の惯格 

と 時間の 長さ 等に 依る 貧 銀の 調整。 赏與 制度、 利益 分配 制度、 

株式 所有 制度 は 研究せられ 且つ 出來 得る 限 リ!: a 仃 する 事。 等 

しき 勞働條 件の 下に 働く 男女の 同 一 :tJ 事 量に 對 する 差 引の 搲 

胺。 

五、 健康と 餘 暇の 爲め 一 週間 1^11 準勞働 期間と 定 むみ 事、 チ 

1 バ ー タイム 勞働 は何虔 にても 出来 得る 限リ 回避す ベ く 休息 

の 1 日 は 七日よ リ餘 外す る 事。 

六、 各會肚 に 於け ろ 爭議の 決定に 裁 新と 指示の 支配的 勢力な 

さ 論議に 依リ 決定す る 事。 

七、 集合的 行動に 對 する 自由 結社の 權利 但し 斯 くの 如き 結社 

外 に 展 する 者の 強制に 依らざる 事。 

八、 雇主と 被 雇人と 問 はす 斯 くの 如き 組合の 責任 は 公の 秩 

序と 法令と に 準據 する 事。 

九、 雇主 又は 被 雇人と しての 自由 契約の 權利。 

十、 搡紫 開始 は 自由た る 事、 此の 點:. :關 する 强制は 許され ざ 

る 事、 雇主 は 彼れ の 使用人 又は 使用人に 依リ 選出され たる 者 

に 非 ざろ 人々 又は 圑體の 交 涉に應 する 能 はざる 事。 

十 一 、 產業 區 分し A 、私的 1 產業 B 、公共 的赏 益圑體 産業 

C 、政府 自治 體直屬 の >^ 業 の 三と し 後 二者の 同盟罷業 權 又は 

工場 閉鎖 權も 認めざる 事。 

私的 產 業に 付きて は 同盟 薛業 又は 工場 閉銀權 は あらゆる 調^ 

方法の 盡さ たる 後の 最後の 方法と して 遣 S 乍ら 認 むる 事、 同 

EKa ェ、 工場 閉鎮、 黑 表ぶ ィコ, ントは 弗 難 さるべ さものと す 



公共 的お i お 園體、 政府 直 屬の產 業 は 他の 組合 ょリ£ ^立して 常 

Li 繼 せられ ざろ 可から す、 不平の 艾 除に 關 して は 州 又は 政 

府の 施設に 俟 つべき のとす。 

十二、 職工の 訓練、 職業的 敎育、 年期奉公 等の 爲 めの 產業及 

其の 關係 事業に .赏 施 すべさ 赏際的 計畫。 

八、 産業 會議行 詰 

產業 會議の 形勢 はゴ ムパ —ス 氏 提案の 鋼鐵 ストライキ 仲裁 

の 爲め行 詰まった. - 

資本 側は產 業會議 は鋼鐵 ストライキの.^ き實際 問^ を 取扱 

ふ ベ きもので なく 勞働 問題 を 解決す ベ き 原則 を 研究す る も 

のであって 其の 性質 は 相談 會 に過ぎない。 若し ゴム パ ー ス 

案の 如く 鋼鐵 ストライキ に容橡 する に 於て は 現今 頻發し つ 

つ あろ あらゆる S 能 業に 關 保せ ざるべ からざる に 至る であら 

うと 云 ふに あった。 

之れ に 對し勞 働 側 は產業 會議は 平和 會議 であろ。 鋼鐵 スト 

ライ キ は產業 平和 を破壞 する 事大 なれば 之れ を 解決す るに 

非 ざれば 產業 平和 は 到底 望み 得べき もので ない 3 資本 側に 

して ゴ ムパ ー スの 主張せ し 如く 勞働 代表との 協議 も 拒み 又 

は 仲裁に 應ぜ ざるに 於て は假令 原則 を定 むる としても 何等 

實盆 なきもの ではない か。 鐧鐵 ストライキが 解決 せら るれ 

ば 自然 總 ての ス ト ライ キは 解決 せらる 、 であらう と 云 ふの 

であろ。 



£0 



九、 鋼鐵 罷業 仲裁 論戰 

•n ムバ I ス 提案の 鋼鐵 罷業 仲裁 案 は 十月 十四日の 會議 に附 

せられた、 會議は 非常に 緊張した、 マック ヮッブ (Gavin 1M 

cwah) の 統帥した る 一 派は數 日間の 延期 を 主張した、 然し 

乍ら 勞働 側の シ ヱ ツバ ー ド (W. K. sheppard) は反對 した、 

そして 米 國勞働 組合 同盟の ゴ ムパ— ス とジ ヨンソン (W ョ 

ia ョ H. Johnson) が 決議案の 說 明演說 をした • 資本 側 は 連 

帶 して 反 封の 投票 をした。 

公衆 側の ヱリ ヲット 博士 は鐧鐵 問題 も 該會議 に 附議す ベ き 

ものに 非す と 再 論した、 そして 大統領が 該會議 に 要求した 

る もの は 現 資本 勞働 問題 を 取扱うべき ものに は 非す して 新 

關係を 取扱 ふべき ものな りと 要求した る點 より 考 ふる も 此 

問題 を該會 議に附 すろ は 適切な ろ ものに 非す と 主張した。 

公衆 側はゴ ム パ I ス 決議案の 否決 さるべき 事の 明かなる を 

見越して 何等 推 摩する 事な く該 決議案 を 推薦した。 

ヘム 衆 側の チャド ボルン (chadbournc) は 修正案 を 提出し 

た、 該 修正案 は 鋼鐵ス トラ. 1 キ のみなら す^ 在 進行 中の: S. 

頭 人足、 印刷 職工 其 他の ストライキ も 含まろ、 事になる、 

該 修正案 は 投票に 附 せらる に 及む で 他の 三 派より KG 決せ 

られ た。 

十、 ゴム パ ー ス 氏演說 



其の 會議に 於て ゴ ム バ ー ス は銅鐵 罷業の 仲裁 をカ說 した、 

其の 一 節に 曰く 

「諸君 は 諸君の 意志の 儘 Li 勿論 投票す る 事が 出來 ろが 然し 勞 

働 側の 提出せ る 決議案 否決す る 事.;^ 簿^す るで あらう と 私 

し は 信す る。 吾等が 资 本家と 勞働 者との 問に 最善の 關 係,^ 維 

持せ むが 爲め に盡す 事業 責任 及び 努力の 性質 了解して 居な 

いか... > 知れない。 

然し if? 君 は 次の 如き 事 信じて 賞 ひ 度い。 

今や 世界に 異常の 狀 態!, i あろ。 吾等,^ 衿 持 さした ろ 戰爭の 結 

果米國 の 男女 は 再び 戰 前の 狀 態に 復舊せ ざら む 事 及び 香 等の 

國家 及產業 生活-, i 個々 の關 係に 於て 新 了解 作られ^ ならむ 

と云ふ事*^決心して居ろ。 

吾等 は 吾等の 勞働寧 件.^ 决定 する に 際し 吾等 は 吾等の 生活 

優美なら しめ 生き甲斐 あらさし むろ か 否かの^ 件,. J- 決定す る 

L! 際し 吾等 勞働 者は單 _レ 恩惠 として はなく (a 然の權 利と し 

C 發言 權ん」 要求す るので ある、 吾等 は且で 財 產權拉 び に 管理 

權.^ 攻 華した 事 もな けれに 攻撃す るな とぐ は 尠くも 考 へて 居 

ない。 

吾等が 非常 Li 宽大に 提出した る 如くに 鋼鐵 同盟罷業 調停 1< ^諸 

君が,^ 認 するなら に 諸 ば 同盟罷業に 勝利.^ 得る 事が 出來 る 

然し 若し 諸君が 否決す るが 如き 事と ならば 同盟 罷菜 は!! 镜ぜ 

ら れ;. ^ヶ月に して 勝利 1^ 得べ きも 彼等の IT 驗 る 暴虐 及び 耐 

へ 得べ から ざろ 條件、 不公平の事赏.^^?處に宜傳すべく然る 

時 は 何事が 起る とも 其の 結果 は當然 負はなくて はならない も 

ので あろ。」 

ズ ム パ ー ス 決議案 は 投票に 附す るに 際し 再度 延期され た 一 

の理. ra はゴ ムパ— スの病 氣に依 ものであった けれども、 他 

の 理由 は 該會議 に 列した る 三 派 を 満足 さすべき 修正案が 提 

出さ. る >- ならむ と 云 ふ 希望. かあつた からで ある。 (つ > く) 



30 



編輯 室と 校正 室 

♦ 山 田 わか子さん とい ふ 3^ 人 評論家 はた 

だ 頭の 古る いたけ だと 思って ゐ. i いら 書く、、 

とも^ 分 粗末 だ。 二月の 雄 辯 LL 出た ものな 

ぞ はギ少 ド社會 主義と ナシ ョナ少 • ギ〃 ド 

と,^ 別々 LL する ほど に 滑稽 以上た。 イクラ 

女 だからといって、 も 少し 注意した 方が よ 

くにない か。 

♦ 一 一月 號の 諸雜" おの 譫文 のうちで 一 番 に 

興味 感じた の は 高 橋 誠 一 郎君 (慶大 敎授) 

が 三 田 學會雜 誌で 書いて ゐる ことで ある。 

氏は麋 大新逛 の敎授 として 知られて ゐ るが 

その 先進 敎授で 世間から も 學校內 でも 敏は 

れてゐ る 田中萃 一 郎君 * ^手厳しく や つつけ 

てゐ る。 それが 同じ 三 田の 學會雜 誌 だから 

1 暦 面白い。 

♦ 高樯 君の 述べて ゐ ると: る はかう だ" 

に 吾人 は マヤ グス 全盛の 社會 において、 此 

忌 IW なさ 罵 制 彼の 社會 主義に 加へ たる 

博士 (田 中萃) の 意 氣,^ 壯 とするとと-. 。に.、 

此 種の 首 以て 獨斷 にして 放縱 なろ 感情的 

毒 語と して 之 1^ 排斥す る 11 篇躇 せざる もの 

なリ』 と。 氣持 のい、 ほど 手 asl. しい。 田 中 



君 果して 辯 解の 辭が あみ か。 後聲 からかう 

手び どく 叱リ つけられて 默 つて ゐるゎ けに 

>t ゆ. くまいし、 さりと て 辯 解の 言葉 も あろ 

まい V あない か。 

♦ 幸 ひに 『與國 12 志會』 が勳搖 して ゐる 

さう だから 此虛 Li 乗じて、、 れ 乘取 ろか、 

それとも 『三 田興國 同志 會』 でも組織して 

^:^橋敎授,.^休職にでもする運動.^してはど 

うか。 『特殊 國』 の勞働 大使 鎌 田榮吉 君の 外 

にも 一 人 か 二人 位の 賛成者 はも るたら う 

ぶ。 そして 三 三大學 は 『三 田 特種 穴學』 に 

でも 改稱 し^ら 武藤山 治 君 あたりから ゥ ン 

ト 寄附が ある、 、 とだら う。 

令 支那の 『星 期 評論』 とい ふ 新 思想 5^ の 

雜誌は 中々 面白い 雜誌 だ。 支那 字で はサぉ 

タ, ヂは 『薩波 建 拳』 と書くがそのサ4^タ 

1 ゲュ に つ いて 二三 ヶ月 前の ir 經濟 論叢』 

LL 出た 河 上、 河 s、 祌戸三 士の說 批評 

しで ゐる。 それ に 曰く、 河 上 博士 は 左黨、 

神戶 博士 は 右黨、 河 田 博士 は 校昧 中間 黨, 

吾れ 河 上 博士の 說に赞 成す ると。 

♦ 、、の 左 黨の河 上 博士 やつ > 'ける との 

評判が あつたが、 どうな つたの たらう。 然 

し 河 上 博士 1.^ やつ V けたら 大抵の 人 はやつ 



つけられ なけれ にならぬ だら う。 さう なれ 

ば 喜ぶ 人に 唯 だ 二人。 上 杉愼吉 君と が中萃 

1 郎君 だら う。 

♦ この 二人 はま ぁ學 者の 部類 Li 屬す るの 

ださう だが、 近顷 この 二人の 學界 におけ ろ 

地位 俗界で 代表す る もの は ドラ- ンク 商會 

の 有 田 音松サ ン と大繁 道の 田 中 某と 云 ふ 人 

だ。 蓋し 近來の ニ幅對 だ。 

令 クロポトキンに 關す る 箪禍で 有名に な 

つた 森戶 助敎授 の譯プ レン タ, ノの 『勞働 

者 問題』 が 賣れる さう だ。 クロポトキンの 

爲にァ レ ンタ. 'ノ が賈れ るなん かに 頗 ぶる 

日本式 だ。 

4 クロポトキンと プ レ ンタ、 ノ と は 月と 

ス クポン だ。 福 田 博士と ソ, 'シャ リズム 以 

上の 差 だ。 福 田 博士に あさた たぬ もの は 其 

恩師の プ レン タ ,ノ にも あきたら 5: 箬 だ。 

ある 筋もク ロボ ト キン の! ©LI プ レン タ一ノ 

が讀 まれ リゃ 本望 だら ぅテ。 . . 

♦ii が 解散に は 大分 驚かされ^。 政 友會は 

仲々 商賈 上手 だ。 一 層 ^=1 憲政 友會 1^ 株式 會 

社に で したら 脫稅 がで きぶうよ。 



普 通 選擧史 論 (S 

室 伏 高 信 



(十五) 

その 夏, チヤ I チ スト 派はス チュルグの 一 派を馁 けて 選 

舉場輕 に 立った。 ス チュルグ は ノッチ ン ガム 市部 選 摩區か 

ら 候補者と して 名乗り を 接け た。 ォ n ンノ— ァもヴ ヰ ンヒ 

ン トも 彼れ のために 應援 演說を 試みた。 しかし ス チュルグ 

は 少数の 差 を もって 落選した。 各所に おいて チヤ —チ スト 

派の 勢力 は 選 搫權を もって ゐ ない 人々 の 間にお 在して ゐる 

もので あろ ことの 事實を 明らかにした。 

九月に なって スチ ュ ルグは 再び チヤ ー チス ト 派との 會商 

を 提議した。 この 二つの 圍體の 間に は 目的に おいても 戰術 

においても 一 致の 不可能な 理由かなかった やうに:: えた。 

しかし 「チヤ. I チ スト」 とい ふ 言葉. かこの 二つの 園 體の結 

合を妨 ける 喑礁 として 現 はれた。 それ は 勿論 現れで ある。 

0U 眞 實の喑 礁は單 なる 名稱の 問題ではなかった。 へ I ゥォ ー 



ス は、 〕 の點に ついて 次の やうに 述べ て ゐる。 「事實 は 何人が 

指導者と なる かにつ いての 爭 ひであった」 と J ス ロッソン 

敎授 もまた チヤ ー チス ト 研究のう ちで 次の やうに 述べ てゐ 

るべ. ス チ ュ ルグ派 か、 ォ n ン ノ -I ァ 並に ォ n ン ノ I ァの門 

下によ つて 率 ゐられ る圍體 Li 加 はろ ことができなかった こ 

とか、 分裂の 眞の 原因であった」 と- ス チュル,. ク派は チヤ 

1 チ ストの 名 を 嫌. つた。 チヤ I チ ストの 暴 勤の 傅統を さう 

して それの 階級 的 反感の 傳統と を 排斥した" 彼れ は 立憲 的 

の 方法に よって、 穀物 法 反對者 等と ともに 友誼 的 保 を 保 

ちつ 進んで ゆく こと を 求めて をった。 しかし チヤ I チス 

ト派 は勞働 階級の 手に 指導 權を 掌握す る こと を 求めた。 彼 

れは 働 階級に よって 指導せられ る攻黨 の 組獄を 欲した。 

さう して 政治的 權 利の 醒得を 通して * 最後の 社會的 及び 經 

濟的 目的に ^達すろ 、 とが 彼等の 窮極の 欲望で あ つた。 S 

彼等 は I 時 その 運. S の 中道に おいて 中等 階 殺と 提携す る こ 



82 



とを辭 しなかった にしても、 彼等 は 如何なる 讓步を なすこ i 

と み. 欲し なかった。 かくして 中等 階級 急進 論者と チ ャ ー チー 

スト 派との 提携 は 一 切斷絕 された。 この 斷絕 は、 チヤ I- チ; 

ス ト 運動の 現實 の效果 に.^ 何よう の影饗 があった にしても, 

それ は チヤ ー チ スト 運動が 純然 U る 勞働階 錢の蓮 動で あつ; 

たことの 歴史的 意義 を 明確に する に 充分であった。 チヤ 

チ ス ト蓮動 は どこまでも ソ ー シ ャル • デモ クラシ I の 創 生" 

史を 彩るべき 運命 を 離れる こと はでき なかった ので ある。 一 

この 分裂の 結果、 ヘン リ 1* ヴヰン セ ン トは チヤ I チス トー 

派から 去った。 スチ ュ ルグ は引續 いて 成年 選舉論 を 主張し 一 

續 けたが、 勞働 階級との 提携 を 失って から 彼れ の 運動 は單ー 

なる ブ 口 パガ, ンダに 過ぎなかった。 

S slGil. op. cir I*. 72 一 

^ ヨセフ .ス チュャ ダ (Jo ま ph stllrge) は ノ-ソ チンが ムの 

選舉 Li おいて 八十 四 票 の 差で 落選した。 

g スチ H か ダはォ コシノ ,ァの 暴動 譟にも 強く 反 封した。 

^ slsson, op. ciK, P. 

(つ さ) : 



◊ 賣れた 書物 



1 

6 

7 

9 

1 

1 

V 八 

2 

6 



大正 八 年 七月 1 日から 同 十二月 末日までに 出版され た 新刊書 

一 千 部のう ちで 最も 多く 资 れた 書物 中の 重 もなる ものの 順位 左 

の 如し (東京 堂發 表) 



き」 



5 

7 

7 



平和 倏約 並に 議定 甞 

資本 經濟 ff 話 (福 田德三 著) 

三部 曲 (有 .3:5 武郞 著) 

社會 主義 批判 (室 伏 高 信 著) 

勞働者 問題 (ぉ戶 辰 男譯) - 

現代 生活と 録人 (山川 菊榮 著) 

唯 物 史觀の 立場から (堺 利彥 著) 

資本 論 (松 浦耍 著) 

黎明 錄 (福 田德三 著) 

社會 改造の 原理 (高 橋 五郎 譯) 

社會問 © 十二 fl (生 田、 本 間 共著) 

资本 論 (生 E 長江 譯」 

織 E 氏 時 、(德 富 蘇 峰 著) 

戰 後の 縫 濟 問題 (平^ 淑郞 著〕 

资 本論 大, 1( 山川 均 著) 

女の 立 から (山川 菊榮 著) 

晶子^ 話 (與謝 野 晶子 著) 

社會 主義者の 社會觀 (山川 均 著) 

日本の 勞働 題 (5S 木 文治 著) 

民約論 0;^ 田 浪人 著) 

呪 はれ;: 戯曲 (谷 崎 潤 一郎 著) 

我 鬼 (菊 池寬 著) 

激動の 中.^ 行く (與謝 野 晶子 著) 

成金と デモ クラシ ー( 米 田 庄太郎 著) 

新生 (.1- 崎 藤 村 著) 

遣傳論 (近 淺次郞 著) 

八 ンリ、 四 世 (评內 迫 遙譯) 

1 人の 女 (新 渡 戶稻造 著) . 



中世 都市の ギ ル ド 



1 

野蠻 人の 自由の 最後の 痕跡が 將に消 威しょう とする 時、 

さう して 歐洲, か 幾千の 小權カ 者の 支配の 下に 置かれ、 前期 

の 文明の 野蠻 時代に 行 はれた 樣 な祌權 政治と 專制國 家、 も 

しく は 今日 猶ほ アフリカに 見る が. S き 野蠻な 王政 を 建設せ 

ん としつつ あった 時、 歐 35 の 民衆 生活 は それと 異なる 新た 

な 方向 を 取った ので ある。 それ は 嘗て 古代 ギリシアの 都市 

が 取った のと 同一 方向に 進んだ のであった。 都市の 集團が 

最小の 市邑に 至ろ 迄 不思議な 程に 一 致して 現世 的 並に 宗敎 

的な 支配者の 軛を振 ひ 落さう とした。 保壘 によって 固めら 

れた 村落 は 領主の 城に 反抗して 起った。 最初 は 領主の 城 を 

輕 侮し、 やがて は それ を攻擎 し、 最後に それ を 破 壌して し 

まった。 此の 運動 は此處 から 彼處 へ と擴か つて ョォロ ツバ 

_ 全體の あら ゆろ 都市に 移って 行った。 さ、 フ して 百年なら す 

お 一 して、 全ョォ クバに 所謂 自由 都市. か 現 はれた ので ある。 



ピ イタ ァ. ク ロポト キン 

到る 處卩、 性質 を 同じく し、 經過を 同じく し、 さ、 rs して 結 

果を 同じく した 同じ 反逆が 起った。 彼等 は 其の 都市の 墻壁 

の 背後に 何等かの 保護 を 見出し、 または 見出し 得ろ 樣な所 

では、 一 の 共同 觀 念の 下に 結合され た 「同盟 會 」 「友愛 會 」 

「交友 會」 を 組織した。 さう して 相互 支持と 自由との 新生 

活に 向って 進んだ ので ある。 かくして 彼等 は 三百 年 もしく 

は 四百 年に して、 全 歐洲を 一 變す るまでに 成功した のでな 

る。 彼等 は 嘗て 其 比を見ない 自由 人の 組織なる 自由 結合の 

精神 を 表示す る壯麗 華美の 建築物 を以 つて 全 歐を覆 ふたの 

である。 もし 吾々 が 此の 偉大な! S 果を 生ぜし めた 諸 勢力の 

何で あるか を 求めれば、 吾々 は それ を 個人的 英雄の 天才 や 

巨大な 國 家の 組織 や、 其 支配者の 政治的 才能に 發見 しない 

で、 村落 共産 體の裡 に 働いて ゐ たのと 全く 同 一 な 相互扶助 

と 相互 支持との 潮流の 中に それ を發 見す るので ある。 その 

潮流 は 村落 共産 體 時代と 同 一 精神の ものである がた V ギ ル 

ドと云 ふ 新しい 型の 上に 形成 せられて 中世に 復活され たの 



であ も 

麼 史上の. a 何なる 時期 も、 第 十 世紀 及び 第 十 一 世紀 以上- 

に、 民衆の 建設 力 をより 善く 例證し 得た も^はない。 此の i 

南 世紀に 至って 「封建の 森の 中の オアシス」 の 如き 多くの; 

要塞 村落と 市場と. か、 其の 領主の 轭 から 自ら を 解放し 始め 一 

さう して 徐々 として 其 將來の 都市 組 熾 を 築き 上け たので あ 一 

つた。 都市の 民會は 其の 墻 壁の 保護の 下に、 全く 獨 立に、 一 

若しくは 主なる 貴族 又は 商人の 家族に 導かれて、 軍事上の. 

捥護 者と 其の 都市の 最上 裁判人と を 選 難す る權 利、 或は 少 

くと も 此の 地位 を 要望す る 人々 の 間から 選擇 する 權利を 獲 

得し、 その 權利を 維持した ので ある。 西部 及び 南方 ョ ー ロー 

ツバで は 都市の 選畢 した 佾正を 擁護 者と する ことか 一 般の 

傾向と なって 多數. の 佾正等 か 都市の 特權を 擁護し、 其の 自ー 

f 防禦した のであった。 かくして 都市 は 俗人 または 僧侶 一 

の 新たな ろ捥護 者の 下に、 その 民 會の獨 立 裁判 描と、 自治, 

行政 權とを 完全に 略取した ので ある。 

斯 くして 解放の 全 行程 は 民衆の 中から 出て 歴史に は 其の 

名の 保存され てゐ ない、 幾多の 無名 英雄の 共同の 大義に 對ー 

する 目に 見えない 默身的 行動の 連績 によって 進 *t たのて U 

ある。 實際 十一 一世紀の 文藝 復興 及び 十 1 一世紀の 合理主義 は 一 

多くの 都市が まだ 墙 壁に 圍 まれた 小 村落 共産 體の單 純な 集 一 



围に^ ぎなかった 此の 時 胡に 始まった ものである。 しかし 

此 等の 自由と 敎 化との 發育 生長して ゆく 幾多の 中心に、 や 

がて 第 十一 一世紀 及び 第 十三 世紀に おけろ 其の 力と なった 思 

想と 行爲 との 一 致と 發 意力と を 典へ ろ爲に は、 村落 共産の 

原則の 外に、 なほ 他の 一 要素 か 必要であった。 職業と 手工 

と 技術との 益々 分化して 行く につれ、 遠隔な 地方との 商業 

が 益々 發 達し 行く につれ、 何ら かの 結合の 新 樣式か 必要に 

なった。 この 必耍 を充 たした ものが ギルドで ある。 

漁夫、 獵師、 行商人、 建築 者 もしくは 定住した 工匠 等と 

にかく 共通の 目的 を以 つて 集まって ゐる處 に は、 必す ギル 

ドが 生れた。 其の 共同の 目的の 成功の 爲に は、 富者 も 貧者 

も 皆な 助け合 はなければ ならない。 其の 相互の 闢係 におい 

て 平等で ある こと、 お 互にた > の 人間で ある こと、 さう し 

て もし 其の 間に 何等かの 爭が 起れば 皆な で 選ました 裁判官 

の 前で これ を诀定 する ことに 同意した ので ある。 彼等 は 皆 

な攻治 組織 を備 へた 一 都市に 屬し、 且つ 其の 各々 の 職業の 

^合に 屬 して ある ものである。 

中世 都市 の ギルドの 社會的 性質に ついては どの ギルドの 

規定 を 見ても 直ぐに 分かる ので ある。 例へば 古代 デン マ ル 



クの キル ド. S 規則 を兒 ると 第 1 に は ギル ドの內 部 を 支配す 

ベぎ 一 般の 同胞 的 感情に ついての 言 載が あり、 次ぎに は 1 1 

人の 組合 31 もしくは 一 組合員と 組合 外の 他の 人との 間に 起 

る 紛爭の 場合に おける 獨立 裁判に 閼 する 規定が あり、 最後 

組合員 間 の 社交的 義務 か列舉 されて ゐる。 もし 一 組合員が 

その 家屋 を燒 失し、 もしくは その 船舶 を 失 ひ、 又は その 廼 

國 旅行の 間に 災難に遭 へ ば總 ての 組合員 は それ を 助けな け 

れ ばなら ない。 もし 一 組合員 か病氣 危篤に 陷れ ば、 1 一人の 

組合員 は その 危險 のす ぎろ まで、 枕頭に 看護し なければ な 

ら ない。 

此の 二つの 主なる 特質 は、 どんな 目的の 爲に組 熾された 

組合に も 現 はれて をる ので ある。 何なる 場合に でも 其の 

iS 合 員 はお 互に 兄弟 または 姉妹と して 取扱 ひ 又お 互に 兄弟 

姉妹と よび、 さ、 フ して、 ギルドの 前に は總て 平等であった。 

彼等 はま U ある 有限 不勳產 を 共同に 所有して ゐた" 組合員 

は 皆な 一 切の 舊ぃ 確執 を棄 てる 誓 ひ をした。 さう してお 互 

に 何なる 紛爭 にも、 いつまでも 確執し ない こと や、 また 

は 組合員 自身の 裁 制 所以 外の 法廷に 持ち出す やうな 訴訟 事 

件に 墮落 させない と 云 ふこと に 同意した。 もし、 一人の 組 

合 員が 其の 組合 外の 人と 紛爭 するとき に は、 其 組合員 はこ 

お 一 との 善惡 に拘ら す、 その 組合員 を 挑 護す る ことに 园 意した 



ので ある。 

以上 は 中世 生活の 全體を W 次に 斑 ふた ギ ル ドの 主なる 思 

想であった。 實 際すべ ての 職業の 間に は 農奴の ギルド、 自 

由 人の ギ ル ド 農奴と 自由 人との ギ ル ドと云 ふ樣に 必すギ ル 

ド. かあつた。 さう して 一 定の 工業 または 商業に は數 世紀の 

間、 繼績 する ギルドが あった。 生活が 益々 複雜な 目的 や 職 

業 をと るに つれて ギルドの 種類 も 段々 4? 加して 行った ので 

ある。 

商人 や 工匠 や 獵師ゃ 農夫な どの ギルドば かりで はなく、 

佾侶、 晝家、 小擧 校の 敎師、 大擧の 敎師の ギルド、 或る 技 

術 または 手工 上の 秘傳 を發 達させる 爲 めの ギルド、 特殊の 

娯樂 休養の 爲 めの ギルド、 乞食の ギルド、 死刑執行 者の ギ 

ルド、 淫賫婦 の ギルド もあった。 さう して、 其の 何れも 皆 

な獨立 裁判権と 相互 支持との 同 一 原則の 上に 組 添され てゐ 

たので あろ。 

あろ 研究家 は 古代 サ クソン の晚 餐ギ ル ドと 所謂 社 會的も 

しく は 宗敎的 ギルドとの 間に あろ 區別を 設けて をる。 しか 

し 一 切の ギルド はまた 悉く 晚餐 であった ので ある。 また 特 

殊の 徒の 保^の 下に ある 村落 共産 鰻 もしくは 群 市が 社會 



5 的で あり、 宗敎 的で あると 云ふ點 から 云 へ ば あらゆる ギ ル 

ドは 悉く 宗敎 的であった ので ある。 さ 5 して、 此の ギルド 

制度 か アジア、 アフリカ、 3 ォ& ツバと に! 旦 つて 擴 まり、 

幾千 年の 間 その 存在 か 必要と する 事情 か 起った 時には 幾度 

も 幾度 も 出現した の は、 それ か覃 なろ 晚餐 の會ゃ 一 定の日 

に 敎會へ 行く 會 や.、 葬式 クラブな どよりも、 遙 かに 重要の 

ものであった からで ある。 ギルド は實に 人生の 胸底に 深く 

根ざした 要求に 應じ たもので あつたの である。 後せ の國家 

がその 官僚 攻 治と 警察との 爲に 有した、 一 切の 職分 を具體 

化した もので あつたの であろ。 あらゆる 事情の 下にお ける 

あらゆる 生活 上の 出^事に ついての 實行 とや 5 言と による 相 

互 支持の 圑 體 であり、 正義る 維持す る爲 めの 圑體 であり、 

これと 國 家との 差 は、 國 家の 干涉の 根本的 特質と して 何時. 

も 形式的 要素 を 持ち込む のに 反して、 ギルドに は 一 切の 機 

會に 人道的 並に 友愛 的 要素の あった ことで ある。 

かくの 如く 個人の 發意的 行動 を妨 けないで 然も 圍 結の 要 

求 を 充分に 满 たす 制度 か發 達し、 傳播 し、 强大 となる の 外 

なかった こと は勿綸 である。 只 だ 一 つの 困難 は 村落 共產體 

の 結合 を妨 けす に、 ギルドの 聯合 を 作成し、 同時に それ 等 

の 村落 共 產體の 總てを 聯合して 一 個 S 調和した 全體 とする 

ことの 出來ろ やうな 樣 式を發 見す る ことで あつ .u。 しかし 



1 度 此の 結合の 樣 式が 發兒 せられ、 幾多の 有利な 事情が 都 

市の 獨立を 確定させる と共に • 吾々 の 感嘆 措く 能 はない、 

その 思想の 一 致に よって 此の 新圑 結が 實 現され たので あ 

る。 かくして 小 村落 共産 體とギ ル ド との 聯合と して 都市. か 

組織され たので ある。 

封建的 權 力からの 都市の 自由 解放 を 記した 幾 百の 特權狀 

は 今 尙ほ殘 つて をる。 さう して 此 等の 特權狀 を 一 貫して 同 

1 の 根本的 思想が 流れて おろ。 

1 1 八 八 年 フラン ダァの 伯爵 フィ y、 、、ブ が エイル 市民に 

與 へ た 特權狀 に は 次の 樣な 記載 か ある。 

「總て 本 市の 講社に 屬 する もの は、 信仰と 宣誓と によつ 

て 左の 條々 を 約束し、 且つ 確認す る. - 有益な さう して 正 

直な 一 切の 事に は 互に 兄弟と して 相 助ける こと。 もし 他 

人に 對じ 言語 または 行爲 によりて 損害 を 加 へ たもの の あ 

る 時には、 其の 被害者た る 本人 もしくは 其の 家族 は復響 

をし ないで 訴へ 出る こと、 さう して 加害者 は 裁定 者た る 

十二 名の 選卑 された 裁判官の 宣告に 從 つて、 損害 を 償 ふ 

こと。 さう して 加害者 または 被害者.. か 三度び 警告 を 受け 

て猶 裁定 者の 決定に 從 はない 時 は 無頼漢 または 係 誓 者と 



S7 



して 該社を 除名す る、 >.^o」 

尙 ほソァ ソン、 コム ビエ ンタ * セン リイ I その他 多くの 

特權狀 の 中に も、 それと 同 一 の 規約が ある。 

かくて 同じ 解放が 第 十- 一世紀に は 富裕な 都市に も 貧乏な 

都市に も 起って、 それ は 實に全 ョォロ ツバに 及んだ ので あ 

る。 さ 5 して、 概して 伊太利の 都市が 先づ其 解放 を 得た と 

云 ふこと が出來 るので ある. か、 其 運動の 中心地 か何處 であ 

つ たかを 指示す る こと は 困難で ある。 然し 厘々 中央 ョォ 口 

ツバの 小 都市. か 其 地方の 主動 者と なり、 大都市が 反って 小 

都市の 特權狀 を 舉んだ 所 も あるので ある。 例へば ロォ リイ 

と 云 ふ 小 都市の 特權狀 は 西南 フランスの 八十 三の 町に よつ 

て 採用され、 ボォモ ンの 特權狀 はべ ルギィ と フラン ス との 

五 百 以上の 町に よって 用され たので ある。 當時各 都市 は 

其 近隣の 都市に 特使 を 派遣して、 その 特權狀 を 富し^、 此 

の 手本に 基いて 其の 組^ を 作った ので ある。 しかし 各 都市 

は 互に 摸倣し 合った ので はな. く、 各々 其の 領主から 得た 譲 

歩に if じて、 その 特權狀 を 作った ので ある。 さう して その 

結果 は ある 歴史家の 言った 様に、 中世 自治 體仍特 横 狀はそ 

の敎會 堂と 大寺院と の ゴシック 建築に 現 はれて ゐろ 差違 と 

同じ 差異 をした ので ある。 



獨立 裁判 權は その 主要な 點 である、」 さう して 此の 獨立栽 

判權は 同時に 獨立 行政 權を 意味して ゐ たので ある。 コム ミ 

ユン は國 家の 自治 的な 一 部分ではなかった。 コム ミ ユン そ 

れ 自身. か」 の國 家であった ので ある。 コム ミ ユン は 和戰の 

權 利と 近隣の コ ムミュ ン との 聯合 同盟の 權利を 持って をつ 

た。 それ 自らの 事件に ついては 主權 者であって、 何等 外部 

的權 力の 侵入 を 許さなかった ので ある。 政治 上の 大權は 全 

然 民主的 議會に 授けられる 事に なっても たので ある。 例へ 

ばブシ コ フの 民會は K 使 を 交換し、 條約. ^締結し、 公 主 を. 

迎へ、 または これ を 放棄し、 十數 年の 間 公 主な しに 過ごし 

こと も あろ。 また イタ リイと 中央 ョォロ ツバとの 幾 百の 都 

市に おける が. g く、 商人 もしくは 貴族の 寡 頭 圍體に 大権が 

授けられ、 または 奪され た 事 もあった ので ある。 しかし、 

その 原則 は 同 一 で、 都市 は 一 の國 家であった.^ さう して、 

都市の 權 力が 商人 もしくは 貴族の 募頭攻 治に よって 行 はれ 

たと きで も、 その 都市の 內 部に おける.、: 的 生命と s 常 生活 

とに おける 民主主義と は 失 はれなかった ので ある。 

新く の.^ き變刖 <S 行 はれた る は實に 中世 都市 か 中央 集權 

的國 家でなかった からで ある。 都市. か 始めて 出錢 した 一 世 



タ 紀間は 其の 內部 組織から 云 へ ば國 家と 名 づける ♦ 〕 とが 出来 

なかった ので.^ る。 何と なれば 中世に は 今日の.^ き 領土の 

集中な く、 また 今日の 如き 機能の 集中 もな く、 各 圑體は 主 

權を 分割して ゐ たので ある。 當 時の 都市 は 普通 中心から 放 

射^;、 なした 四區、 もしくは 五區 から 七區 までに 分、 R れて 

ゐて、 各區は 各々 その 中に 主として 行 はれて ゐる 商工業と 

略 ほ 一 致して ゐ た。 さう して 此の 各區は 全く 獨 立の 一 集圑 

を 形成して ゐ た。 例へば ヴェ 二 ス では、 各々 の 島 は 一 個の 

獨 立した 政治 上の 自治 體 であった。 各々 の 島 は それ 自身の 

組歡 された 工業と 鞭の 商業と、 その 裁判 權と 行政 權と 民會 

と を 持って ゐた。 さう して 都市の 大統領が 任命され る 時に 

も、 其の 各單 位の 内部の 獨 立に 何等の 變化 をも與 へな かつ 

たので ある。 ュ P ン では その 住民が 同業 胡 合と 隣人 組合と 

の 二つに 分かれて ゐた。 何れも 其の 裁判官と 選舉 による 十 

1 一名の 陪審員と、 奉行と 地方 的 民 軍の 指揮者と を 持って ゐ 

たので ある。 

斯くの 如く 中世の 都市 は 一 一 重の 聯合 體 として 現 はれた。 

卽ち 街と か、 敎區、 市區 とか 云 ふ 領土 的 圑結を 組 II したす 

ベての 戶 主の 聯合で あると 同時に また 各々 の その 職業に よ 

つて ギルド を 結んだ 各個 人の 聯合で ある。 さう して 前者 は 

都市の 村落 共 產體的 起 漉 め 産物で あり、 後者 は 新たなる 境 



遇に よって 生れた その後の 發達 である。 

自由と 獨立 裁判 權とを 平和と 1^ 保持す る こと は 中世 都市 

の 主た ろ 目的であった。 さう して 其 主要な 基礎 は 實に勞 働 

にあった ので ある。 しかし、 中世の 經濟畢 者の 全 注意 を惹 

いた もの は單 に生氣 のみではなかった。 彼等 は 生產を 成功 

させる 爲には 消費 もまた 重要で あるの を、 知って ゐ たので 

ある。 されば 貧者に も 富者に も 等しく 必須の 食物と 住居と 

を 供給す る こと は 各 都市の 根本的 原則であった。 從 つて 盒 

料 品 や 石炭 焚 木 等の 第一 必要品の 市場に 到着す る 以前に 買 

入れる こと、 及び 其 等の 物品 を獨占 的な 特に 有利な 條 件で 

買 人れ る こと は 全く 禁. i=| されて ゐ たので ある。 一切の 物品 

は 市場に. 連 ばれて、 擬鈴 によって 市場の 閉鎖され るまでに、 

各人の 購買に 附 せられなければ ならなかった。 然る 後に 小 

寶 商人 は. その 殘餘を 買 ふこと が 出来た ので あるか、 それに 

ついても その 〔叫 潤 は、 罩に 正直な 利潤で なければ ならな か 

つたので ある。 しかし 小 賫人は 正直な 利潤 を 得る こと は 出 

來 たので あるが 不正直な 利潤 は 厳禁され てゐ た。 これ は 口 

ン ドンで も その他の 所で も 同じ ことで あつたの である。 市 

場 閉鎖 後に パン 嬈 商が 穀物 を 卸 買 ひに した 5^ 合に は、 それ 



が 最後の 取; 一;- か 終る 前で あれば、 市民 は 自家用と して 各々 

若干の 穀物 を その 中から 卸赍 値段で 賈ふ權 利かあった ので 

ある。 之に 反して、 市民 か 轉寶の 目的で 穀物 を 買った 場合 

にはパ ン燒商 はまた 自分の 方から 同 一 の 要求 をす る ことが 

出來 たので ある。 市民. か 自家 闭 として 買 人れ た 穀物 は その 

町の 製粉所へ 運ばれて 一 定の 13 格で 順番に 製粉され、 さ. > 

して、 その バン は 共同 燒寵 で燒 くこと. か出來 たので ある。 

要するに その 都市に 穀物が 拂底 すれば 皆な は 多少 其の 不 

便 を 忍ばなければ ならなかった。 しかし 不時の 災難の 場合 

を 除けば、 自由 都市の 存花 する 限 は 何人も 今日で は 不幸に 

も 屡く 起る 樣に、 都市の 真中で 餓死す る樣な こと はな かつ 

たので ある リ 




しかし、 新樣な 規則 は 皆な、 都市の 歴史の 後代に 屬 する 

もので、 その 初期に は 都市 自ら 市民の 使用す る 食料品 を 買 

ひ 人れ るの を 常と したので ある。 近頃.. クロッス によって 公 

刊 された 文書 は此 點を證 明し、 且つ 次ぎの 如き 結論 を 十分 

に證據 立てる ものである。 卽ち 食料品の 積 荷 は 其の 町の 名 

義で、 町の 一 定の 吏員に よって 購買され て、 更に 商人た る 

がー 市民 間に 分配され た。 港に 陸上け された 貸 物 は 町の 當局者 



からの 購買 を 拒んだ 場合の 外 は 何人も それ を 買 ふこと が 3a 

來 なかった ので ある。 第 十六 世紀に おいて すら 口 ン ドンの 

市長が 一 五六 五 年に 書いて ゐる 如く 穀物の 共同 購入 は 口 ン 

ド ン 市と 口 シ ド ン 市會 及び 其の 一 切の 市民と 住民との あら 

ゆる 事物の 便宜と 利益の 爲 めに 行 はれた。 ヴェ 二 ス では 穀 

物の 商業 は 全部 都市の 手に あって、 さ、 フ して 區は 輸入 事務 

&扱ひ 委員 局から 穀物 を 受取って、 それ を 各市 民の 家に 其 

の 分配 額に 應 じて 配達した ので ある。 

市民の 使用の 爲に する 共同 購買 や、 その 方法に ついての 

1 切の 問題 は、 此 時代の 歴史の 研究者から 多くの 注意 を受 

けない 樣 である。 しかし この 問題に 新しい 光明 を投 すべき 

與味 ある 事實は あちこちに 散ら. はって ゐる。 例へば.. クロ ッ 

ス の記錄 中に 一 三 六 七 年の キ ルケ ンニ ィの 布告 を發 見す る 

ことが 出來 る. か、 それによ つて 各々 は當時 如何にして 貨物 

の 市價. か 定められ たかを 知る ことか 出来る。 グ 口 ッ スは云 

つて ゐる。 商人と 水夫と は、 その 貨物の 買 人 値段と 輪 送 費 

と を 宣誓して Mi 述 する。 かくて、 その 都市の 市長と 二人の 

聰明な 人と.. か 其の 販賫 市價を 指定す るピ さう して 此の 價格 

指定の 方法 は 中世に 一 般に行 はれて ゐた 商業の 觀 念と 最も 

善く 副 ふ もので、 必す 一般的に 行 はれて ゐ たに 違 ひない の 

である。 かく 第三者に よって 價格を 定める こと は 極く 古く 



。 から 行 はれて ゐた習 恨であった。 さう して 都市の 內部 では 

1 切の交易には惯^2の決定を聰明な人々卽ち第三者に 一 任 

して、 赍手 もしくは 買手 自ら 憒格 を诀定 しないと 云 ふこと 

は 確かに 廒く行 はれて ゐた習 恨であった ので ある。 

吾々 はまた 中央 及び 西部 ョォ 口 ッ パ における すべ ての 中 

世 都市で は 手工 者の ギ ル ドが 常に 一 S 體 として 一 切の 必要 

な 材料 を 買 入れ、 又 その 役員 を經 て、 彼等の 手工になる 生產 

• 品を赍 却した こと を 知って おる。 從 つて これと 同 樣の 事實 

か對外 貿易に. 行 はれて ゐ なかった と 云 ふこと は殆ん ど考へ 

得られな いこと である。 殊に 等 十三 世紀に-金 るまで、 或る 

1 都市の すべての 商人 は その 中の 何人の 契約した 债務 にも 

連帶 責任 を 負 ふべき 一 圑體 として 外部から 見られて ゐた許 

りで なく 全都 市 もまた、 その 商人 各自の 務に對 して 責任 

を帶 びて ゐ たので ある だから 貿易が 共同 的に 經營 されて 

ゐ なかった と 云 ふこと は 盆々 考 へられなくなる ので ある。 

第 十一 一世紀、 第 十三 世紀と なって 初めて ライン 河畔の 都市 

が 此の 共同責任 を麼 止す る 特別の 規約 を 締結した" かくて 

商人の ギ ル ドは 普通の 私人の ギ ル ド としてよりも 寧ろ 市の 

受託 者の 一 園體 としで 我 はれ 來 るので ある。 



要するに 中世 都市 を 明かに する に從 つて、 吾々 は 益々 そ 

れが箪 なる ある 種の 攻治的 自由の 保護 を 目的と する 一 攻^|5 

組織に 止まらなかった こと を 5- るので ある。 それ は 村落 共 

產體 におけるよりも 更に 大 なる 規模の 上に、 相互扶助と 相 

互 支持との 爲 めの、 消費と 生産との 爲 めの、 さう して また 

全社 會 生活の 爲 めの 緊密な 團結を 組織し、 同時に、 人々 の 

上に 國 家の 桎梏 を 課する ことな じに、 藝術、 手工、 科擧、 

商業な どに おける 個人の 各圍 體と攻 治圑體 との 創造的 天稟 

に 十分な 表現の 自由 を與 へようと する 企てで あつたの を 知 

るので ある。 さう して 此の 企てが 果して どの 程度まで 成功 

し たかは 以 F 中世 都市に おける 勞 働の 組織と、 都市と 近隣 

村民との 關 係と を分柝 するとき に 明白になる であら ラ。 

(ミュ I 'チュ アル *ェ イドから) 

▲ 參政權 のために (模山 雄偉 著) 

最近 Li 現 はれた^ 通選擧 論と して この 位ゐ繮 つた 著述 1^ 他に 見 

ない。 

目 次 

階 紋鬪爭 11 ^通 選舉の 誕生 11 壓 迫と 自覺 11 解放と 改造 i 

社^ 黨 11 ス クライ キ乎 投票 乎 11 ソ ゲイ H クト 憲法 ——. 女性 解 

放 へ 11 英國と 日本 ! 投票の 支持 1! 大勢 ! 少數專 制 11 智 

能 標準 -.! 社會 問題 11 資本家の 代議政治 11 暴風の 豫想 -1 愛 

國的 立場 11 民主主義 11 生の 哲學! ソリダ "ティ 11 決定的 

0^ —— 普通 選舉案 OS- 京 京糈元 数寄屋 ^三 ノー 橫山 出版部 定 

USI 讲錢) 



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大正 九 年 三 お J n 印刷 納本 

大正 九 年 三 月 一 ロ發 ;仃 

^京 市京椅 區元ス キヤ 町三ノ 一番 地 

^3 尾 崎士郞 

^£^乐市小石川區久堅町百八4赏地 

« « ^ S 博 文 館 印刷所 

束 京 市 京 椅區元 ス キヤ 町 三 ノー 番地 

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至誡堂 A 本 It ^1 



室 伏 高 信 著 ( 



四 六 版 

麵 百 頁 




W 四拾錢 

料八錢 




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本書 は 室 伏 高 信 氏 社 # 主義 研究の 第 一 卷 である。 マ ダクス 派社會 主義 は 勿論、 非 マレ ノクス 

派社會 主義 を 詳述し 社會 主義 各派の 理論的 體系を 明らかにし、 さう して 新社會 主義 を 提唱 

した 吾國 唯一 の社會 主義 評論で あり、 硏究 であり、 講話で ある、 

ギ ルド 社會 主義— 國 家社會 主義— サ ン デ 

力 リズム —修正 派社會 主義— ボ ルシ ヱゲ井 

キ 社會 主義— 無 政 麻 主義— 勞働 組合 主: 



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大正 九 年 111 月 一 日印 as 



日 第 三 種 《s 便 © 認 

本 同年 111 月 1 口 ほ 行 



批 



評 



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(定 « 三十 錢) 



(號 四十 第) 號月四 



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著 造作 野吉 士博學 法 II 



八 一 

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六 三 三 京 東 fe HH -It- 會株 町 *^ 區橋京 >^柬 

一七 二 阪大 替 I 各 j ZK 社 式 橋^^^三區南阪大 







□ 

■r キ〃 ド社會 主義の 創 生 (長 篇) 室 犬 高 言 

目 國勞働 組合主義の 理想 甲 野哲ニ 

■ 藝 術と 社會 主義 デ *デ* エッチ *コ ,レノ 

■ 勞働 階級の 獨裁 政治 力 カク ツキ, 

次 ■ 米 國の產 業會議 (三 完) 森 恪 

麵 編輯 室と 校正 室 

■『 大正 日日の』 講演 t 



ギルド 社會 主義の 創 生 

室 伏 高 信 

Thrt need is ev ひ rywtlerrt for th ひ r ひ capture of th ひ SfWrit that mov ひ d 

Tradrt unionism in the clays of ownll.lN. o. r. 

( 一 ) 

ギルド 社會 主義が 最初に 提唱され たの は 一九 〇 六 年の ことで ある。 この 年に ァ I サ |气 チェ • ペンテ ィは 、一に 一。 

oration of the Guild syslsl, 11 を 著して 中 世紀 主義への 復 歸を說 いた。 しかしべ ン ティの 立揚 はた V 中 世紀 主義 

への 復歸 を說 くに 止まって ゐた。 彼れ の 立場 は 地方 的 手工業 組織の 復興 を 主張す るに あった。 ナショナル • ギルドの 

思想が 資本主義の 救濟 として 提唱され たの は ヱ • ァ— ル* ォレ ー. デ によって 5, である。 ォレ ー, チは 一 九 〇 六 年 卽ちぺ ン 

ティと 同じ年に 雜誌 Contemporary Review において ギルド 組 n を 提唱した ので ある。 S そして 一 九 〇 六 年から 一 

九 ニー 年に 至る 間に その 主宰す る 週間 雜誌 The New Age S において ナショナル • ギルド 思想の 建設と 宣傳 とに 努め 

た。 しかし この 時代に おいて は ギルド 社會 主義 は * 多くの 新 甲 想 G- 提唱の 場合と 同じく、 汎く 一 般の 注意 を惹 くこと 

なくして た > 1 雜 誌のう へに 先驅 者と しての 艱難な 道 を 歩んで ゆく の 外はなかった ので ある。 一九 一四 年に なって、 

ォレ 1.、 チの 名に よって 一 卷の 著書 Guild Socialism が 出版され た。 この 書物 は 一 九 二 一年から 一 九 一 ニー 年の 間に 雜誌 

New Age において 發 表された もの >r 編寨 であった がそれ の 出版 前後から ギルド 社會 主義 は 漸次に 一 般の 注意 を 喚 tel 



する よ、 フ になった。 >^*デ*ェ ツチ *コ| ルは 一 九 一 三年に その 名著 、nlc Woria cf rll>:l-r を 著して 大 組合主義 ore 

ater ullicllis ョ を 主張し、 そして この 大 組合主義の 論理的 結果 か 一 「二 ュ —• ヱ—. デ J 一 派の ギルド 社會 主義に 一 致す 

る こと を 述べて ゐ. る。 S そして nl ル. かこの 時代に おいての ギルド 社會 主義の 勢力が 限 局され r 不幸に して、 主と し 

て 中等 階級に 訴 へる」 運動で あるに 過ぎなかった こと を 指 描しながら も、 また 二 ュ 1*ヱー.. チ 一 派の 提唱の 缺點を 指 

摘しながら も • S 尙 ほこの 當時 において 微力なる 社會 思想が 産業 問題 を 解決し うべき 唯 一 の 解決と なるべき ことに 着 

目す る こと を 忘れなかった。 彼れ は 次のように 述べて ゐる。 

『それ (「二 ュ |*ェ|.. チ』) の國 家と 組合との 根本的 協同の 政策 — それ. かナシ ョナル *ギ ルドと 稱 する 11 のうちに、 

それ は 唯 一 の 產業問 超の 解決 を もって ゐる。 國 家と 組合との 共同 ^營の 提唱 は 疑 ひもな く 未 來の社 會に對 する 先見 

である-に S 

ギ ル ド社會 主義 は その 建設者. として 且つ 宣傳 者と しての 若き 才能の 人.. チ *デ* エッチ • コ ー ル を 見出す, J とがで き . た 

ので ある。 彼れ は 初め フ ェ I ビ ァ ン協會 にあった。 一 九 一 四 年に は そ S 行政 委員に 舉 けられた 。そして フエ ー ビ ァ ン協 

會內 において 新 改革 運動 を 開始す るに 至った 3 彼れ は フエ I ビ ァ ン 協會か 勞働黨 から 脫會 すべ き, 】 と を 提議した こと 

があった。 また 一九 一 四 年の 夏に は クリフ ォ |ド,ァ レ ン との 諒解の もとに フエ I ビアン 綱領の 改革の 運動 を 起した。 

『フ ヱ I ビアン 協會 は社會 主義者に よって 組織せられ、 そして 社會を 資本主義 組織から 解放す る ことの 國民的 及び 

國際的 運動の 一 部 を 形成す ろ J 

これが 彼れ 及び 彼れ の 一 派の 新 綱領 案であった" この 綱領から 出發 して * 彼れ はこの 綱領と 兩立 する ことので きない 

他の 圑體に 賜す ろ 人々 を、 協へ S から 除外すべき, } とや;; 劃し.; 一ので ある,^ しかし 彼れ の フエ— ビア ン 協會內 における 

-ー 改革 蓬 動は釆 ぬく 失敗に 終った。 そこで 一 九 一 五 年 五月、 彼れ の 違. S か 大多数の 反對 のために 敗れ. た-時に、 彼れ は フエ 



- I ビアン:^ 會 から 去って 自ら ギルド 社會 主義 宣傳 のた めの:^ 會を 組織す るに 至った ので ある og 同じ年に エア ネスト • 

パァ カァは その 著述の、 フち において 英國 の社會 主義が フヱ I ビアン 社會 主義の 時代から 新ら しい 他の もの を 要求し つ 

. ある こ i 指摘した。 そして この 新ら しい もの . 、るに 彼れ はギ ル ド I 主義の 成立 を 計 へ た。 S かくして ギ ル ド . 

社會 主義 は 一 雜誌 New Age の 論壇から 出で A 新ら しい 社會 改造 理論と して 汎く 世間の 注意 を 惹起す るの 題材と なつ 

た ノ アナ アド? ン ヨウ は I 九 一 六 年、 ビ ー ズ の 『フエ i ビア ン協 會史」 のうちで ギ ル ド社會 主義に 對 する 批評 を公サ 

にした 彼れ は ギルド 社會 主義 を もって r それ 自身 毫も 社會 主義 を 包 40 しない もので あり、 J それ は社會 主義で なくし 

てな ギルドで あるに 過ぎない と 論じて ゐる。 % 獨立 勞働 黨 のマク ドウ ナ ルド 急の 著 sociaF a? the War の 

うちで ギルド 社會 主義に 對 する 批評 を 試みた。 彼れ は 勿論 ギルド 社會 主義の 反對 者で ある。 ギルド 社會 主義の 『大な 

る 危險』 は 政府の 3 ちに 政府 を組截 し、 一 部分の 利己的 集中 を來 して、 全 體の利 盆 を 閑却す る ことに ある 旨 を 述べて 

るる。 ゆ しかし 彼れ もまた ギルド 社會 主義が 世界 大戰以 來英國 における 社會 主義 及び 勞働 組合 運動の 特質で ある こと 

を 承認し ないで は ゐられ なかった。 g かくの ごとくに ギルド 社會 主義 は英國 における 社會 主義 及び 勞働 組合 運動の 新 

特質と して 何人も これ を 閑却す る こと はで きないまで となった。 g ノルマ ン, ヱ ンゼル は 英國勞 働 黨の新 綱領め がそ 

の 背後に おける 勢力と しての 産業組合 主義 及び ギ ル ド社會 主義の 寄與に 負:, てるる ものである ことの 事 實を指 虚して 

ゐる。 g ベ ルト ランド • ラッセル は ギルド 社會 主義 を もって 最も 實行 的な システム であると 論じた。 彼れ は 次の よう 

に 述べて るる。 

『私の 考へ では 最良の 實行的 方法 は ギルド 社 會主 義の それで ある』 さ, ぼ If IP 一。 ョー, ヨーコ (一、 一ぶ 

that 01 Guild Socialism. (BertralKl Kussell. Proposed Roads to Frclom, p. x】) 

英國 における ギルド 社會 主義の 發達は 極めて 急速の ものが ある。 コ ー ルが I 九 一 三年 その 『勞 働の 世界』 を 著した 時 



に は, 彼れ は旣に ギルド 社會 主義の 立場 をと りなから も、 尙 ほこの 運動が 中等 階級の 一. 部に 訴へ るに 過ぎない もので 

ある こと を 指摘せ すに は ゐられ なかった。 それの みならす、 彼れ は 『一一 ュ |*ェ|., チ J の ギル ド社會 主義 か. r 新 イエ 

ルサ レム」 を 建設す る ことにつ いて 殆ん ど敎 えろ ところの ない こと を 指摘し ないで は ゐられ なかった。 g しかし 一 九 

j 五 年に なって は旣に ギルド 社會 主義 宣傳の 中央 機關 としての 『ナショナル • ギルド 鲁リ|.. ク」 National Guilds League 

が 口 ン ドンに 建設され て, § ナショナル • ギルドの 期す ると ころ を 明らかにした。 それに は 次のように 述べられて ゐ 

る。 ナショナル • ギルド 同盟 は 『賃銀 制度の 撩廢 及び 民主的 國 家と 協同して 働く ナショナル • ギルドの 民主的 制度 を 通 

して 産業 上の 自治 を 樹立す る』 こと を 主張す るた めに 組 熾された ものであると。 g この 目的の ために 各種の 出版物が 

この 協會 から 出版せられ、 また, チ *デ* エッチ 肩 コー ル、 マ ー ガレット *コー ル、 ベ ー トン、 ォレ I, チ、 メラ ァ、 ァ ー ノ 

ット, レ キット、 ベッチ フ オフ ァ、 ネプ ソン、 ブレ スフ ォ 1 ルド、 ラッセル、 ラッセ ルス、 ヤング、 アン ダァソ 

ン、 ム ー ァ、 トムソン 等に よって その 主義の 建設と 宣俥 とが 盛んに 行 はれる に 至って ゐる。 g 

ベ ルト ランド • ラッセル は ギルド 社會 主義 を 批評して 英國 特有の 妥協 的 精 紳の產 物で あると なし た: g しかし ギル 

ド社會 主義 は 今や 獨 り英國 C における 運動で あるので はなく して 大陸に 入りて 獨逸 における ギルド 社會 主義の 運動と 

なり、 伊太利に おける ナショナル • ギルドの 運動と なり、 更に 太 西洋 を 越えて 米國 における プラム • プランの 運動と な 

るに 至った。 先づ獨 逸に おける ギルド 社會 主義に ついて 見る にメ I リック *ブ —スは その 小册 子のう ちで 次の よ うに 

述べ てゐ ろ. - 

『 特に 去る 一 、 1 一年の において、 獨 逸の 社會 改革者のう ちに おける 最も ー嗜 しい 傾向の 一 つ は 各種の ギルド 社會主 

義の發 達であった」 § 

5 猫 逸に おいて ギルド 胆截を 提唱して ゐる ものと して はラテ ノウ、 ディ デリ ッ ヒス、 クリック、 ヘル ショウ フェン 等の 



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6 諸氏で ある。 伊太利に おいて は國 家が 據同 組合 運動 を 援助す る ことによって ギルに 社會 主義が 實 現されつ. - ある。 g 

米國 における ブラ ム* ブラン nilb Plan は努働 者と 管理者と 國 家との 共同 經營を 主張す る ものであって ある 點 にお 一 

いて ギ ル ド社會 主義の 計 劃 を受 入れて ゐる こと は 明らかで ある。 g- ゥヱ V ゥ はこれ を もって 英國に 於る ギルド 社會 主, 

義 及び ス ト レ ー 力 ー によって 炭鑛 委員 會に 提案され たものに 類似して るる f J と を 指摘して ゐ るので ある。 g また. チ*_ 

デ肇 エッチ • n — ルに從 へば フランス の 勞働經 濟會議 Co ミ eil Econo ョ ique de Travail ^ もまた ギ ル ド社會 主義 運動の : 

一種で あると されて ゐ るので ある。 g 一 

(1) ゼ, ズは ギ^ド 社會 主義が 最初に 一一 ュ ,.H ,ヂ において 主張され たと なして ゐ るし、 また 多くの 人々 がビ ぃズと 同じ 一 

說 持して ゐ るよう であるが ホプ ソン の 記る して ゐ ると ほり、、 の 通說は 誤リ である。 ノ 

(2) New Age の 讀者は 一 部分の 人々 に 限られて ゐ るが 其 讀者は 精選され た讀 者で あり、 マヤ クス に對 する 『新 ライン 新聞』 

または マ ルクス 派 社 會 主義に 對 する Die Neiie Zeit 以上 LL ギヤ ド社會 主義 Li 對 して 深い 關係 もっても る。 何と なれば それ 一 

はギ少 社會. fii 義の 最も 有力なる 釗說 者、 建設者 且つ 宣傳 者で あるから でもろ。 すレ, ゲ (A. ズ. oragc) . ^主筆と ヒホ プソ 

ン、 < ン ティ 等 1^ 寄稿 家と し、 旣 Li 1 九 二 〇 年 一 月 一 日に 第一 千 四 kml 十五 號,^ 發 行した" 

) (ole, worle of rbollr, p. 386 」 

) ibid., p. 51 

^ Edward R. prtas ひ, Tye History of tlie Fabian ^oci ひ ty. pf}. 230—1 二 

(7) rtrnest P.arlcer, P*olitical IMiouglit from さ lenccr to To-day. p. に 23 

(Co) Pease, op. cir I>p- 2 へ 一一 il7 一 

(9」 Kassay Mac Donald, Socialism after tli ひ War, づ. 22 、 

(^ ) ibid.. 20 ♦ s 

(u) アシフ レ -ン ド.. マ ー シャシ もまた 一 九 一 九 年 その 著書のう ちで ギ か ド社會 主義 Li 論及して 其缺點 指摘し ゐる (alfrett 

Marshall. InduMry and 、rrade, pp K4tl.4) しかし 私 は 其 批評が 何等 價値 なき 批評で あると いふ ズ 置く に 止める 。『一一 ュ ! 

ステ ,クマ ン』 は マ-; ソャ かの 此 書物,^ 批評して ゐる 通り 資本主義の 經濟學 であるで ある (New Statesman, vol. XIII, N i 



o. 336) 

(Eo この 新 辆 額と は 一 九 一 七 年に 起草され た英國 勞働黨 の社會 改造 案 (New Social onler) .5^ 指す。 

G w Ncnnlul Allien, l-ht- 一; ritisli Rt-V こ l-tion ami tlK- A 三 crira 一 i 一) clmK.racy. づ. 71 

(H) 0>le, CP. cir p. 52 

cs) ナ ショナ • ギかド 同盟 は 口 ン V -ンに 中央 機關, ^もって ゐる 目下 十圑體 から 成立し、 メラ ァ (w. Mellor) , ^セク レタ 

" 1 とし、 ヤン グ (Miss Nannie Ycung) コ レス;! i ン I. アンス • セクレ タリ ー とし、 タウン シ エンド 夫人 (Mrs. lv-wshed)*5* 

會計 係と しズゐ ろ。 

03) l^aliour Year Book, 191 ひ, pp. I87IIM 

s ギ^-ド社會主義にっ ぃての主耍なる著書は左のごとくでぁる。 

National 〇uilds League p-amplllets, 

(No. I.) National Guilds. 

(No. IL) .The Guild Idea 

へ No. Ill) Towards a National I^ailway Guilds. 

(No. Iv) O び srtrvations on thrt Whitley Report 

(No. V) Notes for Trade Unionists on the whitlcy Report. 

(No. VI) A Catechism of National Guilds 

(No. VII) A Short Statement of the principles and Objects of the Natiol-al r-llihls rapll-e 

(No. VIII) The Industrial Chaos. 

p pffi. Cole, The World of Labour 

1 Self-G0vernm21t in Industry 

——lyalxsr in ttie Commoiuwealtli 

—National Guilds and nap- cosm-sslon 

—— >3 Introduction to Trade unlomsm 

Iwork ひ飞 s control in Industry 

——Til ひ paynslu of wages. 

Cole や nd Arnot, Trade unionism op the Railways, 



广 ole tuid MelicvTlle meaning cf Imksttial Freea§i 

A. Iz. 〇rag:e. Alphabet of l£co 一 Ic ョ ics 

o. G. Hobson, National Guilds 

IGClld Principls in War and Peace 

IIMational Guilds and th ひ state 

A. J. Penty, The l^estoration of the Guild System. 

low World for New. 

IGUnd and Social Crisis. 

M. B. »eckitt and C. E, Bechliofer, .The Meaning cf Nali 一… al Guilds. 

p N. Brailsford, parliatits or Soviets. 

R. pawrt Ariiot. Tradrt Unionism. 一 

—Further Facts from the ccal ccmmissioll. 

c. R. S, .Taylor, .The Guild State. 

wertand Russell, I-roposed Roads to Freedc ョ. 

Ipolitical Ideals 

ギ 肚會 主義に ついての 主要な 論文 は大體 次の ごとくで ある。 

A. R. Orage, Towards National Cuilds (New Age. 1910) 

F-enty, guilds ョ an、s intcrpretalio 一 i of History (New Age, 1919) 

一 V. N. Jiwer, Nationol Guilds control ever i-lchlslly (The Limits of State Industrial control) 

t-entiy. Guilds and tlsstate (iljid.) 

N. B. Reckitt, .The Guild cc 三 lo 一 ever Capilalis ョ (ibi 二-) 

Cole, Natio£ Gl-ilds (Labour Year Boole, Jolt}) 

teernard Shaw, On Guild sccialism. (The History cf Fabian society) 

A. Marsha 一一, L-uild bocialism. (h-tbtry a ョ I Trade) 

JV 一. Hcolh, (一一 lild scclals ョ. (sccial pieccllstrollcliill in Genua 一 ly) 



9 



c. per, l\)wards Nalioiial 「ユー ii ニニ s 1= haly (New Age, Nc. l4-5> 

ギ^ド 社會 主義の 機關雜 S?i は 左の-ことく である。 

The New Age (edited by crage) 

TTlie Guildsman (edited by cole) 

(2s) to. f^ussell. protsstd ズ oad" tc t-recdolll, el. 115 

(w) Meyrick Booth, Social Jieco=structic= in Gcinntny, p. し 5 

(M) New Awe, No. 『415, pp. 4 に c 

£w ブ, ム. ブランに ついて コ, か は ギルド マン の 立場から 見て 甚だ 不滿 足な ものである-、 と 述べて ゐる。 

(The Guildsman, No. 38, P. «) 

(g^) New Statesman, No. 335, pp. 558—9 

勞働 經濟會 議はジ ユウ ォゥ によって 計畫 された もので ぁリ、 大戰 中に おける フランス 勞働 運動の 新 現象で あると いふ、、 

とがで きる。 

(お) The GuilcUniiui Np 38, P. 



かくの ごとくに して ギルド 社會 主義 は 世界に おける 勞働 組合 運動 及び 社會 主義 運動の 新 特質と なって きた。 特に 英 

國 において その 急速の 發達を 見ろ ので あろ。 S 何故に ギ. ルド 社會 主義 は 生れた か、 それ は 何故に かくの ごとき 發達を 

たい、 世 Bi: よ ロバ ァ |ト*ォー ゥェ ンに歸 りつ >- あると は ギルド • マ ンの 一 人. か 述べた ところであった OS ォ ー ゥェ 

ン へ の 復歸と は 果して 何 を 意味す るか。 われ 等 をして ギルド 社會 主義の 創 生に ついて 詳ら かに 語る ところ あらしめ よ。 

(1) 最近に マ ンチ H スタァーの^^^^{勞働者の間に建築ギシドーーョー〔ニーー- ^一-一 ョカ が 組^され、 一 九 二 〇 年 二月 十六 日 ギン ダス 

ゥ ホ- かで 集會が 催され、 H ス* ゲイ • ホプソ ン が演說 ^試みた。 この 建築 ギルド はナシ ョ ナヤ. ギ 同盟の 保護の もと 

にお 繳 された ものであって ギルド 社會 主義の, 赏現 yj* 目的と マ る, もの.、 先 づ差當 リマ ンチ H スタァ 市 <w "のために 二 千 軒の 家屋 1^ 



^^»-する、、とになっな この 組合の 3S 立 は 各方 面から 非常な 注意 喚起した ようで ある。 コ.' おは デ l*-! へ ラか ド^:ト-で 

、 . の 建築 ギ か r の 成立が ナ シ m ナヤ. ギヤ ド の先薛 者で ぁリ * 勞働 者が 產業 の眞货 なる 統制, なす -、 との 自覺ぜ ろ 欲求で ある 

のみなら す、 且つ 直接的 W 業 提案 > -しズ 深き 意義 ある: とで あると なしても る。 (Daily Hrra ヨ, ja 三 i ヒ y 28 i ミ 0ン『 - ーュ i. 

ス テ ー クマ ン』 もまた、、 の 建設 ギ か ぶ 1 八 11I-0 年^の ォ I ゥ H ン 派の _迎 動と 比 校して ゐる。 (Nf-W statlmanjall.31,rgj<0 

(2) ro-rt and Mellor, T-lle meaning of Industrial b>eedom, p 1 一 




ギルド 社會 主義に ついて 語る ために は、 われ 等 は 先 づ英國 における 社會 主義 及 ひ勞働 組合 蓬 動の 發達 について 語ら 

なくて はならない。 英國 における 社會 主義 及び 勞働 組合 運動の 苐 一 明 を 劃した もの はォ ー ゥ ヱ ン の 運動であった とい 

ふこと がで きる。 ロパ アト *ォー ゥェン 力 01KM.t CW21 は 十八 世紀の 後半に 英國に 生れた。 3 彼れ の 生れた 時 は英國 

における 産業革命の 韫釀 されつ、 ある 時であった。 ハァ ダレ." ヴスが 多 軸 紡績 機を發 明した^ 年、 ァ ー クラ イトが ォ 

1 タ ー フレ —ム を、 NK ェ ー ムス • ワットが 蒸汽機 關を發 明した 翌々 年に 彼れ は 北 ゥェ! ルスなる 二 ュ ー トン の 町に 生 

れ たのであった。 彼れ の 同時代の 多くの 人々 が 産業革命 とその 革命の 效果 とに ついて 無自覺 であった 時に 、ロバ アト • 

ォ ー ゥェ ンは殆 んど敎 育 をう ける こ ともなく、 また 實業 上の 重き 責任 を擔 ひつ >- 、 よく 困難なる 社會 問題の 解決に つ 

いての 方法 を 洞見し、 そして C の 解決 を實 現せし める ことに 異常なる 才能 を發 揮した ので ある。 S 彼れ はもと より 人 

間の 肉體的 または 精神的 能力の 平等 を 創造しょう としたの ではない つ £ しかし 彼れ はぺ ン タムと 同じく 人間の 努力の 

目的が 幸福 を 求む るに ある こと を 信じて ゐ たので ある" その 求む る 幸福 は 極めて 稀れ に 存在す るの みであった。 この 

狀態は 人間の 意思に よって 惹起され る ことので きない ものである: 何と なれば 決意 voliti21 は 人間の 行動の 主要な 

る 動 S ではない からで ある。 多くの 合理主義者 とともに ォ I ゥェ ンは 環境が 人間 生活 を 支配す る ものである こと を 信 



じた。 一般に は、 人々 は 自ら その 人格 を 建設す る もので あろと 信じられて ゐ たのに 對し、 ォ ー ゥヱン は それと は反對 

に、 人間の 人格 は、 その 人の 生れ、 住み、 且つ 働く ところの 狀憨 によって 作られる ものであると 信じた。 卽ち 劣等な 

る 狀態は 劣等なる 人間 を 作り、 善き 狀態は 善き 人格 を 作る と はォ— ゥヱ ンの 確く 信じた ところであった。 彼れ は その 

f 社 會新論 J S のラ ちで 次のように 述べて ゐ る。 

『凡ての 一 般的 人格 は、 E. お 良の ものから 最悪の ものに 至る まで、 最も 無智な ろ ものから 最も 開化した ものに 至る ま 

で、 適當な 手段 を 用ゐる ことによって、 , ^何なる 社會 にも、 否 な 全^界に も賦與 する ことができる』 S 

) の r 社會新 論』 はォ —ゥヱ ン の社會 改革 論の 基礎であった。 然 らばす I ゥヱ ンの 眼に 映 じたる 惡 しき 境遇と は 何 かつ 

『一 八 一 七 年に 至る まて、 惡 しき 境遇に ついての ォ —ゥェ ンの 定義 は Sweating, igira 一 ice and enmity の 以上に 出て 

ゐ なかった J-S ,てこで ォ— ゥヱ ン は先づ 人々 の 無智 一?or:ic を救濟 する ことの 必要に 着目した. - 彼れ の 時代の 英 

國 において は、 钕育は 主として 有產 者の ための 制度であった。 ゥヰ リア ム*ァ レ ン の 計算して ゐ ると, 一ろ によると 當 

時 ロンド ン において 全く 敎育 をう けない 兒童か 十 萬 人の 多き に 達して ゐ たとの, 】 とで あるつ ォ —ゥェ ン は 先づ、 5 の 社 

會 制度の 缺陷に 顧みて 敎 育の 必要 を 痛感した。 そして ラン カス タァ やべ ル 博士 等の 低 費 平民 敎育 cheap li ョ lar 31 一一 r 

ation に馁 助を與 へたの みならす * 二 ュ i ラナ ルク において は 學校を 建て、 效 育に 力 を 用ゐ、 就中、 喑誦敎 お a: の 弊 を 

排 して 敎師の 人格に 重き を 置いた 3 彼れ はまた-^ 麻に 向って 國民敎 育の 事業 を 遂行すべき こと を も 要求した。 ^し效 

宵に よって 善良な ろ 人 5£ を 構成す ろた めの 善良なる 境遇 を 創造す る ことに 必 1^ 女なる 無, 昔 を 除去 せんとした からで あ 

る。 ォ ー ゥ ェ ン は 更に 工場 法の 必要に 着目した。 一 八 一 五 ー 一 八 年の 問に 彼れ は 工場 立法の 宣傳と 失業 救: is とのた め 

に 多くの 時間と 費用と を拋 つた。 S 彼れ の 努力 は 正 當に酬 ゐられ なかった にしても 1 工場 立法に ついての 彼れ の 創見 

^ は尙ほ 今日の ェ 51^ 立法の 基!!^ をな してる るので あろつ Z しかし ヌバ ァ ト f ォ! ゥェ • ン の社會 改革. は 更に 一 歩 を 進めす 



、ひ 一 に はみ なかった 

1 八 一 六 年の 終りに、 生活難 は英國 の勞働 階級 を 鑒ふ た" その 原因 は 饑饉の ためで はなく して 生 產過剩 のた めで あ 

つた。 供給 は遙に 需要のう へに 出で た。 失業者の 數は 恐るべき 勢 を もって 增 加した。 下院 は 貧困 法 委員 會を 任命し な 

くて はならなかった 3 ロバ ァ ト*ォー ゥ ェンは 一八 一 七 年 三月 議會の 貧困 法 委員 會 のために 報告書 を 起草した。 g 1 八 

1 八 年に は ヱ I クス ?フ* シャぺ ルの 聯合 國會 a:i 社會 改革の 建議 書 を 提出した。 § 1 八 一 九 年に は 彼れ の 友人の 一 人 

(多分 ョ I^K•ムl.. チイ) をして 同 一 問題に ついて リカ—. ドに數 多の 公開 狀を發 せしめた 2 、 , 一 れ 等の 小册 子に 書かれ 

てるる ことの 要點は 次の ごとくで ある。 機械の 使用の 結果 は、 世界が 富に 飽充 する ほどに 生産 を 助長す るに 至った。 

手工が 富の 主要な 、源泉であった 時には 需要と 供給と は 均衡 を 保って おった," 生產 とん 口と は 一 對 一 の關 係であった、」 

それが 一 七 九 一 一年から 一 八. 一 七 年の 間に 著しい 變 化を來 した, - 生産と 人口 は 十一 ー對 一の 關係 となった 「- 機械 は 手工よ 

り も 安價に 働く ために 手工の 價値は 下落 せざるをえない こと >, なった" 英國 における 全體の 賃銀 額は减 少した。 從っ, 

て勞働 者の 購買 能力が 减 返し、 生産物 は 納屋 または 倉庫のう ちに 空しく 蓄積され るの ほかはなかった。 最初に 機械が 

發 明され た 時には それ は 社會に 偉大なる 祝福 を與 へたが、 今や この 機械の ために 英國 における 多数の 人々 は 貧困に 苦 

しむに 至った。 この 狀態 は、 個人的 利得が 經濟 生活 を 支配して 社會的 幸福が これ を 支配す る ことので きない 間 は 救 ふ, 

ことので きない 事實 である ^ 今日の 事態の ごとくなる において は 生產は < 化 々消費に 超過し、 輸出 貿易 は 次第に 减 返し、 - 

國際 市餳は 縮小し、 そして 勞働 階級が 憤怒と 失望のう ちに 驅ら れ、 われ 等の 高尙 にして 利 盆 ある 制度 を轉 覆して それ 

を 破滅に 終らし むる に 至る まで は、 失業と 生活の 不安と は 止む ことがない であら 5。 『われ 等 は 深淵に 園繞 される 狭い 

堤 道に 立つ 人 に似てる る。」 われ 等に 不幸 を竄 らした もの は飽充 である! 大多数の 生産者 は あまりに 多く 富 を 生産し 

たために 貧困 法の 救濟 をう けなくて はなちない! . ^何に それが 逆說 的に 見える であらう! 救 濟の道 如何。 ある も 



の は 貧困 法の 改革と 答へ る。 また ある もの は 移民の 必要 を說 くで あらう。 しかし 眞實の 救濟は 消費 を擴 大して それ を 

生産と 平行せ しめる ことでなくて はならない。 か、 る 設備 は 結合した る勞 働と 浪費のう へに、 卽ち 共産主義のう へに 

約束され る ものである。 ォ ー ゥェ ン はかくの ごとくに 考 へたので ある。 g しがし この 救濟は 漸次に 行 はるべき もので 

あると なした 。ォ ー ゥェ ンは 先づ第 一 に 失業 問題の 解決に 着目した。 彼れ に從 へば 失業 は 無智と 忘 慢の惡 習 を 導き、 そ 

の 結果 は累を 子孫にまで 及 ほす ものである。 そして この 失業から 來 る害惡 を救濟 する の 道 は、 苐一 に敎 育で あり, 第 

1 一に は 環境の 改造で ある。 f 】 の 目的 を 達する ために は統 一 した 且つ 協同 的な 村落 11 各: icr とも 五 4n 人 乃至 一 午 五 百 人 

の 付 民と 一 千 乃至 一 千 五 百 ヱ ー 力 ー の 農業 及 工業用 地を備 へ たもの 11 を 建設し なくて はならない。 か る 村落の 建 

設には 九 萬 六 千碟の 資本 支出 を 必要と する?】 の 小額の 費用 を もって 失業 勞働者 は その 生活 を 支持し、 その 小兒 を敎育 

し、 資本 を 拂ー厌 して ゆく ことができる, - ォ— ゥェ ン はこう 主張した。 彼れ の 協同 村の スクェ ァは 公共 建物に よって 

平行 四 逢 形に 分釗 される ように 設計され てるた ために、 ォ —ゥェ ン のこの 計 劃 はォ— ゥェ ンの r 平行 四邊 形』 Parall 

elognuns として 嘲笑され た- 彼れ は 殆んど 時代の arv の 人々 から 反對 され.; 飞 ロンドンの 勞働 者で さ へ も 彼れ の 計 

割に 反對 したので ある。 この 時代の 勞働者 は 議會の 急進的 改造 を もって 萬能粲 であると 信じて ゐ たので ある o g しか 

しォ ー ゥェ ンは 彼れ の 失敗 を もって 敎會 及び 經濟舉 者の 陰謀の 罪に 歸 すべき ものである となした。 そして 凡ての 宗敎 

を攻擎 して 人類 をして 幸福の 何もので あるか を 知らし めざる もの は宗敎 家の 罪で あると なした。 また 經濟學 者 は マ ル 

サスも リカ— ドもヒ ュ トム もブレ I スも、 彼等 は^ ^ の 原理に ついての 偉大なる 說述 者で あると なした。 『私 は 國民敎 

育 及び 給 職の み獨り 永久 的な、 合理的な、 理智 的な、 富 〔; £ な、 優秀な 人民 を 創造す る ことができる こと、 また これ 等 

の 結果 は 適當に 構成され た統 一 的 且つ 協同 的 村落に 結合され た 人民の 科學的 配置に よっての み 到達す ろ ことので きる 

5 一 ものである、 一と を 彼等 をして 納得せ しめる こと を 最も iSt 望す る 11 と。 ^ かくの ごとくに して ォ ー ゥ ェ ン は社會 主義へ 



u_ の 道 を 急いだ。 

1 / 一九 <T 彼れ は r 勞働 者への 陳述』. (Address to the workers) を發 表した。 彼れ は勞働 者に 對 する 深い 同情の 

心 を もって 彼等 を 不幸と 無智と から 救 は, フ とした。 しかし ォ —ゥヱ ン思 へらく、 勞働 者に して 彼等のに 格 を 改善し、 

富者に 對 する 彼等の 階級 戰爭を 消し さるに あら ざれば 造 富の,. g 密と 共産主義の 原理 を 啓示す ると も 社會に 何の 效益も 

ない ことで あると。 この 立場から 彼れ は勞働 者に 向って 彼れ の 心理 學 說を說 明し、 そして 彼等に 告け ていふた rA) 

富、 者と 貧者, 支配者と 被 支配者 は 實に同 一 の 利害 を もった (B) 上級 階級 は 最早 ゃ勞働 者を墮 落させ または 從展關 係 

を 雉 持す る こと を 欲しない (C) 努働群 は 今や 彼等 自身 及び その子 孫 を 經濟的 不幸から 解放すべき 手段 を もって ゐる。 

しかし これ 等の. 手段の 知識 は、 彼等. か 貧富 か 等しく 境遇の 創造物で あり、 從 つて 凡ての 個人的 僧惡は 無意味で ある こ 

と を 充分に 理解す るに 至る まで は 彼等から 差 控えられなくて はならない (D) 過去の 時代 は 人間 不合理の 歷史: し 

てゐ た。 そして 今や 理性の 曙が 始まりつ、 あると。 ォ— ゥヱン は 階級 II 爭の 主張者ではなかった ので ある。 

ォ ー ゥェ ンカ その 有名なる Report to the country of Lanark を 書いた の は 一 八 一 一 〇 年であった。 この 書簡のう ち 

で 彼れ の 共産主義 について 詳しい 說 明を發 表した。 そして 彼れ の 通貨 論 を も附け 加へ た。 彼れ は アトウッド 5 や ベラ 

ァス § 等の 刺激の もとに 通貨 問題 並に 價値 論に 注意 を拂 つたので ある。 ベラ ァスが 『貸 幣 ではなく して、 勞働 をして 

價値 標準たら しめる であらう』 といった こと はまた ォ I ゥェ ンの 所論であった。 彼れ は 『自 然的憒 値 標準 は 原則と し 

て 人間の 勞働 である』 と は 彼れ の 信じた ところで あつ.; r 『一 、 體カ勞 働 は 適當に 指導され ると 凡ての 富 及び 國民 的繁 

榮の 泉で あり 一 一、 適當に 指導され ると 勞働は 勞働者 をして 餘 程の 愉快な 生活 をな さしめ るに 必要なる 費用よりも 社 

會に對 して 遙 により 多くの 價値を もって rO る OJ 彼れ はこう 主張した。 g 彼れ はこの 立場から ssg 標準の 變更を 要求し 

た。 卽ち贪 と 銀と は價値 標準と して 使用 せられて ゐる. か、 この 金銀の 使用の 結果ば 凡ての 事物の 固有の 憤 直 intrinsic 



values を變 化し、 山師 的 商業と 投機と を增 進し、 社會の 一般的 改革 を 物質的に 阻害した こと を 主張して この 價値標 

準の 變化を 要求した ので ある。 そこで ォ ー ゥェ ン の社會 革 論の 基礎 は 次の 1 1 點に 要約す る ことかで きる。 一 , 社會 

的 不幸 は 人格の 形成に 閼 する 誤謬と、 需要に 對 する 生產の 過剩と 並に 不適 正な 分配から 生す る 二、 社會的 不幸 は 人工 

的 通貨、 不完全なる 流通から 生じ または これによ つて 激增 する, この 一 一つの 原則 かこれ である。 g そこで ォ I ゥェ ン 

は 前者の 救濟 のために 共産主義 を 提唱した つ 後者の 救濟 のために 流通 媒介と して 勞働券 Labc-r note の 使用 を 提唱 

した。 

I 八 二 〇 年から 一 八 三 Q 年に 至ろ 間 は、 ォ I ゥヱン の 主義 は、 リカ— ドの價 値 說に煖 けられて、 汎 く英國 における 

勞働 階級の 指導 的精祌 となり、 そして 社會 主義の 方法と 結合した。 ,、チヨ INK 四 世の 時代 は 自由主義の 勃興 を 印し. つけ 

たと ともに また 政治的 並に 社 會的勞 働 蓮 動の 發 生の 時代であった。 § ォ I ゥヱ ンは 支配階級に 訴 へて 失敗した 後は專 

ら勞働 階級への 宣傳に その 努力 を 集中した。 ム I, チイ (George Mudie) や コムべ (Abram 8mbe) や トムソン (wil 

lia ョ Tcml ぶ CIO や モルガン (Jchn Miiitcr McrKalo や ブレ. ー 0:1 ョ 一- -a 一一 cis llray) 等 は ォ,! ヮェ ン 主義の 熱心なる 

使徒であった。 彼等の 建設 せんとした 社會は 一 言に してい へば 協同 的社會 c<.>cl>sltivc Cum ョ umly でめった とい ふ 

ことができる。 ュ ュ ゥ* ラナ ルクゃ 二 ユウ • ハァモ -1 ィ の失敢 は. ォ ー ゥ ヱ ン をして 彼れ の社會 造 運動 を勞働 組合 運動 

に轉ぜ しめたが • 彼れ 及び 彼れ の 一 派の 勞働 組合 違 動は單 なる 勞働條 件の? 善の 問題で はなく して 協同 的 社 會の實 現 

を 目的と する 偉大なる 精神に よって 一 貫され てゐ た. - 彼等 は勞働 組合 を 協同 的 社會主 f: 我の 社會に 導く ことに 努め、 ま 

た努働 組合が 『無益なる ストライキ」 に その 基へ 4- を 費す ことなくして それ を もって 社會 主義 的 生 產に投 すべき、 】 とや 

要求した ので ある。 こ > 'にォ ー ゥェ ン 主義の 精 髓 か 存在 するとい, で 一とが できる、 - この 精 祌か最 もよ く 代表され たも 

|3ー の は 一 八 1 一四 年に 設立され. U r 倫敦 協同 協會』 Londsl cocpcralivc Society であった。 この 協會は 『 社會の 構成 を 相 



互 的 協同に 置き 勞 働の 全 生 產を勞 働 者に 回復す る, I こと を 目的と して 立った ので ある。 ォ— ゥヱシ の 勞働組 4 口につ、, 

ての 考へは 一 八 三 三年 十月 六日 • 彼れ-か ロンドンの ォ —ゥ ェ ン協會 で: みた 演說 によって 最もよ く 明らかにされて ゐ 

る。 彼れ は 次のように 述べた 『予は 諸君に、 夜盗の. S く 突如と して 社會に 出現すべき * 目下 計晝 中の 大變 化に ついて 

簡單な 輪廓 を與 へや 5 と 思 ふ。 …… 全國的 組織 は * すべての 勞働 階級 を 一 大圑體 に 包含し、 そして 各部 門 は、 他の 部 

門 內に行 はれて ゐる 事柄 を 熟知し、 一切の 個人的 競 爭は廢 せられ、 一切の 製造 は、 全國的 組合に 依て、 行 はれる こと 

を 目的と する ものである。 …… 一 切の 職業 は、 先づ、 其 事業の 經營に 1^ 利な 數 より 成る 支部の 聯合 を 作らなければ な 

ら ぬ。 …… 同 一 種の 職業に 從 へる 個人 は、 悉く その 會員 とならなければ ならぬ:, ヨ ォ ー ゥェ ン のこの 思ゅ3 の產勿 i 『全 

國大 聯合 勞倒 組合』 (Grand National Consolidated Trade union) である。 『全 國大 聯合 勞働 組合』 は英國 の勞動 組合 

運動の 5 へに 偉大なる 時期 を 割して ゐ るの みならす、 米國 にも 獨 逸に 輸入され た。 この 組合の 成立 は 一 八 三 四 年 一月 

であった がその 發達は 英國努 働 組合 誌上に おいて 類例 を 見ざる ほどの 勢 ひで あり • 數 週間のう ちに、 數 萬の 農場 勞働 

者と 及び 婦人 努働 者と を 加へ て 五十 萬 人の 會 員が 加 人した ので ある。 この 組合の 成立に よって 英國 における 勞働 組合 

熱 は實に 頂點に 達し、 所有 階級と その 政治的 代表者 をして 狼狽せ しめたの である。 

私 はこ、 でォ I ゥェ ン 主義 働 運動の 特質 を 語る ことの 必要に 會 した。 ォ ー ゥ ェ-ン 主義 勞働 運動の 特質の 第一 は 前 

にも 述べた とほり 協同 的 社會の 出現 を 期す る ことに ある。 卽ち 資本主義 的な 競爭 の社會 ではなく して 協同 勞 働の 社會 

の 出現 を 目的と する ものであって 單 なる 勞働條 件の 改善 を 目的と する もので はない。 その 第一 一の 特質 は 勞働者 を もつ 

て 生産者で あると 觀 念し、 勞働 組合 を 生産者の 組合 produce ス U 一 lion と觀 念す る ことで あるつ 卽ち ギルドの 思 で 

ある。 彼等が 勞勸 者に 訴 へたの は、 勞働者 を 賃銀 勞働 者と して はなく して 國 民の 富の 生產者 producers of the wea 

ith of the nation としてで ある。 g 從 つて ォ I ゥェ ン 主義に おいての 協同 的社會 co.operruive i ョ iop と は 消費 組な a の 



意味で はなく して 生產的 協同 productive co-operation をい ふので ある。 その 第三 は 熱 練の 如何 を 問 ふこと なく 凡て 

の 勞働者 を 組合に 結合した ことで ある。 卽ち 職業 別 組合の ごとくに 一部の 勞働 者の 組合、 —— 勞働 貴族 主義で なくし 

て 一般的 組合 general ョ licm または 大 組合主義 greater unionis ョ であった ことで ある。 その 第 四 は 非攻治 的であった 

ことで ある。 卽ち この 時代の 勞働 運動のう へに 著しかった 現象の 一 つ は チヤ I チ ストの 運動で ある。 チヤ ー チ スト 運 

動 は玫治 運動で あり、 攻治蓮 動に より、 議會攻 治よ つて 努働 階級の 立場 を 改善 せんとす る 攻治的 デモ クラシ ー の 運動 

(同時に 社會 的. テモ クラシ I の 運動) であった が、 ォ I ゥヱン 主義 はこれ と は 反對に 經濟を もって 社會 力の 基礎で あ 

ると なし、 攻治を もって その上 部 構 造で あるに 過ぎない となした。 g 卽ち 經濟の 優越 權を 主張した ので ある。 そ 

して 非議 會 主義 を 主張した。 彼等に 從 へば 勞働 組合の 目的 は 生産 協同の 方法に よって 資本主義 を社會 主義に 轉ぜ しめ 

る ことで あつたの である g 

しかし 以上の 點 だけ を もって ォ I ゥェ ン 主義の 說明は 充分で あると いふ こと はでき ない。 ォ —ゥェ ン 主義 を 完全に 

說く ために は 更に それと サン, チカ リズムとの 閼係を 知らなくて はならない。 サン ダカ リズム は、 勞働 組合主義 や、 ス 

トライ キゃ、 總 同盟 罷ェ や、 又社會 民主主義が 存在して ゐた ごとくに、 g 旣 にこの 時代に 存在 をした ので ある。 サン 

* チカ リズムの 使徒 はォ ー ゥェン の 門徒と しての モリソンと ス ミスであった。 モリソン jics, Morrison の 生涯に つい 

て は 多く 記る される ところがな いが 彼れ はサ ン ダカ リズ ムの 創造者で あると せられる。 § 彼れ の友ス £ ス (James E. 

Smith, I80I-I857) も 最初 はォ ー ゥェ ン 主義者で あり、 一 八 三 三年 及び 四 年に は その 博大なる 哲舉 上の 知識と 天来の 雄 

辯との ため ォ— ゥ ェ ン主殺 運動の 星であった 。しかし モリソンとの 交遊と ともに 彼れ もまた サ ン^^カ リ ストと なった。 

ス ミス は 後に サン? ン モン 及び フ— リエ ー の 門徒と なった C モリソンと ス ミスと は 次第に 正統派 ォ— ゥ ェ ン 主義から 

ひ 一 左傾して サン.、 チカ リズム を 提唱して 勞働 階級に 訴 へる: と、 なつ. たので あるつ 彼等 は總 同? 皿罷 ェ>宣 偉し、 g また^ 



ム 級 M 爭を 高調した ので ある。 g そして ス ミス は勞働 組ん ロ內 における ォ ー クェ ンの 勢力が 努働 組合の ために 有害で ある 

と 論じ、 モリソン もまた ォ I ゥ ェ ンに對 して 何等の 尊敬 をも拂 はざる に 至った とい ふ 。ゆ かくの ごとくに して サ .V 、チカ 

リズム はォ I ゥヱ ン 主義と 分裂した。 この 分裂のう ちに サ ンヂカ リズムと ォ ー ゥヱ ン 主義との 區別を 見る ことができ 

る。 ォ ー ゥェン は 階級 鬪爭の 主張者で はなく して 凡ての 改革 を 協同と 各階 級の ソリ ダリ ティの 立場から 觀 察し、 階級 

鬪爭を もって 有害で あると なした。 § また 從 つて ォ ー ゥ ェ ン は總 同盟 罷ェ にも 反對 したので ある。 g われ 等 はこ >r に、 

ォ —ゥ ヱ ン の 平和的 社會 主義と モリソン 、ス i ス の戰 鬪的サ ン, チカ リズ ム との 間に 重要な 區別を 見る ことができ ると 

ともに ォ ー ゥェ ン 主義の 時代が ォ— ゥェ ン から 出で 益々 革命的 左傾 をな した ことの 事實を 見る。 ゥヱ ッヴは その 

『努働 組合主義の 歴史」 において この 時代 を 革命 主義の 時代と なした。 

(1) ォ, 'ゥ H V は 一 七 七 一 年 五月 十? I 日北タ ヱ,.^スなろ11ュータゥン Li 生れた。 彼れ の 父 ロバ アト • す. 'ゥ H ンは 馬具 屋 

てあつた。 母 はゥヰ 'ァ ムスと いって 11 ュ ! トンの 附近に おける 尊敬すべき 家族の 家に 生れた。 彼れ の 兄 は 郵便局 長,^ 兼れ 且 

っ敎區 事務の 處理に 任じて 1 ^つた。 ォ-ゥ H ンは 父す. 'ゥ H ンの第 i ハ子 であった。 彼れ の 少年 時代 は濫讀 家であった。 そして 

彼れ の 父の 友人 等の 貸す: とので きる だけの 書物 は讀み 翕した。 "Robinson Crusoe," * 石 hilip Quarlc," : The pilgrims- 

progress,- -paradise U>st" や" チヤ ー ド ソンの 小說 なぞが これであった。 彼れ は 七 歳の 時に 旣 Li シ -ソク ネセス 氏の 學校 

における 助敎師 てあつた ので ある。 十 歳の 時に 口 ン ドンなる 兄の 監督の もとに 丁稚奉公 Li 出た。 兄に 主人の 嬉と 結婚して その 

主人の 事業 1-^ 受け 繼ぃ だので ある。 十五 歲の 時に 他に 轉 じて 助手の 位置 えて 一 年サ 五磅の 俸給 うけた。 それから 後 マ ンチ 

H スタ ァに轉 じて 一年 四十 磅の 報酬 うける 身と なった Q 十八 歲の 時に 彼れ は その 兄から 百磅 借 リズ ヂョ シスと とも Li 1 ェ 

場 經營 する: ととな つた。 その後 彼れ は ドリンク ゥォ, 'タァ の 工場 支配人と なって 一 年 三百 港の 報酬 1^ うけた。 彼れ は マ ン 

チ H スタァ 時代に マン チ H スタァ 大學の 敎授等 LI 多くの 友人 v?^ もつ: ととな つた。 そして 宗敎、 道德 等の 諸問題 に ついて 意見 

, ^交換す るの 機 會,, ^もった" 、、の 時代が 彼れ の 精神 上 L1 おける 發 達の 時代であった ので もる。 彼れ は マ ンチ H スタァ の 文學哲 

»f 協會 の會晨 に舉 げられ、 やかて: の 協會で 講演 する の機會 迄も與 へられた。 ドづ ン クウ ォ.' タァの 工場 1.^ 去って からの ォ 

-ゥ H ンは 燃絲會 社の 支配人と なリ, 次で グラス ゴ ゥ に おにる 豪商の 娘 デ.' 々嬢と 結婚す る 、、ととな つた。 デ.. '少 は- 1 H ! 

一 7 ナ^ク. 工場の 所有者であった。 ォ-ゥ H ンは 後に: の 一 一 ュ .•• ラナ か グ 工場の 持主の 一 人と なった。 11 ュ1. ラナ^クに おい 



て 彼れ の^ 同村の 理想 1^ 赏 現し うと 試みた。 その後 f 八 二 五 年に 彼れば 三 萬 H I 力-の ニュ ,•• ハァモ 二,,.?^ 貸 入れて : V 

LL も 彼れ の 協同 村の 理想 現しようと した。 アメリカから 録 つて 後の す, ゥ H ンはロ ン ドンに 居, <^ 構えて 社會 主義 宣傳と 計 

剴. -に 力,^ 用ゐ た。 一八 三 二 年に 勞働 紹介 所 1^ 設け、 一八 三 五 年に 社會 主義 Socialism なる 文字が 初めて 彼れ のブ ロバが ン 

ダ のうちに 用 ゐられ た (Bliss. T:he New Encyclopedia of Social Reform, I). 8bo) それが 社會 主義なる 文學の 世界: i おけ 

ろ 最初の 使用で あろ。 彼れ は 最後 Li は 財 產の權 利 否認し、 そして 熱烈なる 精神 主^者と なった。 その 逝け る は、 一 八 五八 年 十 

1 月 十九 日で ある。 彼れ の 著書 に は,? の數 種が ある。 

I. Boole of the N«w Moral world. 

2. RevQluticn hi the Mind and l:-ractice of llic iiiimaii Kdct-. 

(2) Kcbert Oweii (Fabiall 、rract No. 166), p. 」 

(3) 仁 fc of Kobert cwell (by ilimselt), p. Ul 

(4 ソ す 、や H ンの 『せ會 新 論』 (New View of び ociely.) は 四つの; 文 (Kssays cll the l/cnlKal:ll cf character) 力 

ら 成り、 一 八 一 三年から 同 1 五 年までの 間 に 發表 された もので ぁリ、 : に 「c of c 浸 1 のうち Li 再錄 されて ゐ ろ。 

(5) ow^in, 一つ irst Ksnay on ihc l-ormalloll cf character. 

(6) A1. Beer, A History of Hritisli Socialis ヨ, vol. 1, p. lof) 

(7) ォ ー ゥ H ンは 政" 肘に 對 して 一 、 機械工 場!.: おける 勞働時 問 1 日 十二時 間 (食事時 間 一 時間 乃至 三十 分.^ 加へ て) に 制 

限し、 二、 十 歳 以下の 小 兒の使 川,^ 禁じ、 三- 十二 歳 以下の 小兒は 一 日 六 時間 以下 U 制限す る こと 1^ 主張した C 彼れ の 主張の 

結果 は 一 八 一九 年の 工場 法と なった。 

(00) Kobert Owen, p. 2 

oy) Ufe of Owen, pp. 

(s) ibid., pp. 212122 

(n) M. liccr, op. cit., pp. 108|】ケ;0 

Q ) ibitr pp. 17。 丄 . 

(^) IVIr. ()wtm-s rrol5scd arl.angcnlcnts, rsly, p. 4 (一, 5 つ 2. ->1)- 。一 r p- 17-) 

(u) r-rw cf cwen, I., p. 121」 

cs) アト タタ sr (Altwood) は 有名な チ十, チ ストの 1 人で ある? 



20 



. ペラ ァス (John Beliefs) は College of Industry (1696) の 著者で ある。 

9 ) Beer. op. cit., p. 175 

(s) ibid., p. 178 

ibid., p. 182 

(^) 『勞働 組合主義の 歴史』 (山川 均、 荒 畑 膝 三譯) 一 五八— 九 頁 

weer. op. cit., p. 183 • . 

(gD ibid., p. 185 

s) ibid., p. 326 

(2) ひ ocial Democrats, Strike, general ^^^f bourgeosie. Proletariat, anti-politics, class-warfare. Solidarity of.. 

classes とい ふような 首 葉は旣 にこの 時代に 存在した (Beer, op. cit., p. 334) 

(^) weer, op. cit, p. 328 

(^) 1 八三三年十月五日i5^ラス ゴ ゥに おいて 總 同盟罷業が 行 はれた。 

(お) Poor man-s guardian (aug. 30, 1834) に は 資本と 勞 働との 戰 ひが 鐵 砲と 劍と に よって 行 はれす して 『人民の 新聞 》r』 

が 階级爭 li の主耍 なる 武器で ある こと.^ 述べて ゐる。 

S ) weer, op. cit., p. 335 

s ) ibid., p. 343 

£) ibid., p. 335 

(四) 

ロバ アト *ォ| ゥヱン の 協同 村の 計 劃 はみ な 失敗に 終った。 ォ ー ゥ ヱ ン 主義の 組合 蓮 動 も 一八 四十 年代の 商工業 繁 

時代に 地を拂 つた。 彼れ の 計 劃と 運動と 努力と は 一場の 夢の ごとくに 蹉 躓し、 中絕 し、 土 崩 瓦解に 歸 した。 彼れ の 肉 

體は 一 八 五八 年 その 故國 において 一 片の 煙と 化した。 マルクス • エンゲルス は その 共產黨 宣言に おいて、 ォ ー ゥェン 

の社會 主義 は、 サン? ン モン、 フ I リエ I の それともに 『鈍粹 に 空想的 性質 J の もので あり、 r 空中に 樓閣を 築かん」 と , 



する もので あり T 反動的 保守的 社會 主義の 種類』 に 膳す る 『淺簿 なる 信仰』 であると 罵し つた" ^ しかし ゥェク グ. 力 そ 

の 勞働 組合の 歴史』 の 5 ちで 述べて ゐ ると ほり ォ ー ゥヱ ンの なした こと は 未だ 何もの も 彼れ の 骨と とも 葬られて は 

ゐ ない。 世©^-ま 『ォ I ゥェ ンの 思想に 歸 りつ、 ある』 め 11 ォ— ゥェ ン 逝いて から 六十 年、 若き ギルド 社會 主義の 主 

張 者 達 は、 マ ルクス 主義に 嫌ら すして ロバ— ト*ォ —ゥヱ ンの理^^^主義に懂憬しっ.-ぁる。 

われ 等 をして 更に 進んで この 若き ギルド 社會 主義の 創 生に ついて 語らし めよ。 



(1) ccmmullist Manifest (Icerr cclltlcn), pp. 5510 

r2 ) Col ひ and Mdlor, The Meaning cf Industrial Frt<;dclll, i リ. 1,4 



(づづ く) 



次 號豫告 



フエ一ビアン 社き 主義… 室 伏 高 信 



勞働 組合主義の 狸 想 

= ギ ル ド- マ ン の 立 募から = 



勞勦 組合主義 は资本 主義の 中に 賃銀 制度 破续 すべく 「自由」 

によって 生まれた 卵子で ある ァ— 少. す レ.' ゲ,^ 

勞働 組合主義の 運動 は勞働 者の みの 問題で はない。 之れ は赏 

に 國民的 利害の 問題で ある。 勞働 組合 1^ 外にして は 自由 社會 

1^ 建設す る 事 は出來 ない。 だから 勞働 組合主義の 問題,^ 理解 

し • 其 使命み 評價 するめ は 最も 重耍 のこと である。 

-モ す リス • レ キク ト 8 

(一) 

ロパ アト ,ォ| ゥェ ン から ロバ アト *ス マ イリ— までの 英 

國勞働 組合 運動 史を讀 む 者 は 例 へ その が 運動 者 自身に よ 

つて 意識され てゐ なかった にしても、 組合 運動の 目的 は そ 

の 社 會の產 業の 管理に おいて 責任 ある 地位に 登る と 云 ふこ 

とであった。 勿論 シド 一一 i ウエッブ. かその 「英國 勞働組 



甲 野哲ニ 

合 主義 史論」 において 勞働 組合と は 賃銀 勞働 者が その 雇傭 一 

條件を 維持し、 之 を 改善 せんとす る 目的 を 有す 銀 勞働ー 

者の 繼續 的圍體 であると 定義した 樣に、 それ は單 なる 雇 t 一 

條 件の 維持 改善、 卽ち 賃銀の 增 加と 勞働 時間の 短縮 を 目的 

とした 圑體 であった かも 知れない。 けれども その 主張の 根, 

柢に 流る 思潮 は レ キット の 指摘して ゐる樣 に產業 管理に 一 

對 する 責任 ある 地位の 獲得で ある。 一 

ロパ アト • ォ ー ゥェン の 運動から チヤ ー テ ス トの 運動の 

後に 勞働 運動に おける 社會 主義 的 要素が 脫し 去った 十九 世 一 

紀の 中葉に 當 つて、 II 力 働 組合 運動に 關 する 一 群の 理論家. か . 

現 はれた。 彼等 は勞働 組合主義の 作用に 關 して 極めて 狹ぃ , 

觀念を 有して ゐた。 フ レツ デリ" ク攀 ハリス ン その他の 1. 莨 證ー 

主義者の 一 圑はト ー マス • ヒュ ー スゃ 基督 敎社會 主義者 は 一 



23 



未だ 勞働 者の 圑 結が 罪惡 蜆され てゐだ 其の 當 時の 法制から 

勞働 組合主義 を 解放す る^め に奮鬪 したので ある. - これら 

の 人々 は 千 八 百 六十 七 年から 千 八 百 七十 六 年までの 勞働組 

合 組織の 自由の 爲 めの 戦に おける 偉大なる 戦士であった。 

けれども 千 八 百 八十 年 以後に おいて は 彼等の 影響 は 漸次 衰 

退に 向って 行った ので ある。 それ は 彼等の 思想の 根柢で あ 

る 個人主義が 產業 における 干渉の 勞 働からの 要求と 調和す 

る ことが 出來 なかった からで ある。 淘に勞 働 者 運動が その 

注意 を攻 治に 轉 じてから この 要求 は 一 勝の 速度で 其 强烈さ 

を 加へ て 行った。 ァレキ サン ダァ • マック ドナ ルドに よって 

指導され た 石炭 坑夫と 綿 絲繰業 勞働者 はこの 新 運動に 對す 

る先瞌 者の 地位に あった ものであった。 然しな, から 彼等の 

運動の 背後に は勞働 組合 界の 多くの ものが その 後援に 立つ 

てゐ た。 實 Li ハリス ン 並に 其 僚友が その 勢力の 港 頂に 立つ 

てゐた 時で さへ、 勞働 組合の 指導者 は 臨機 應變 主義者で あ 

つて、 何等 勞働 組合主義の 舉說を 樹立す る ことなく 画家 的 

または 産業 的 行動に 反對 しまた は 之 を 支持し、 その 勞働組 

合 運動に 對 する 態度 は 極めて 保守的であった。 




千 八 百 八十 九 年の ドウ ク * ストライキ 當 時から 勞働 組合 は 



社會 主義に よって 影響され 指導され る樣 になった。 さう し 

て勞働 組合 會議 における 諸々 の 決議 は 明かに フ- ビアン 社 

會 主義と 獨 ^=1 勞働黨 との 敎義の 反映に 過ぎない もので あつ 

た。 さう して この 獨立 勞働黨 の社會 主義 に よる 勞働 組合の 

影響 は 千 九 百 十 一 年代に 始まる 產業 不安の 時代まで 何等の 

支障な く繼績 して ゐ たので ある。 

然るに 產業 不安と 共に 社會 組織に 關 する 新 舉說と 經濟的 

行動に 對 する 議論と が 漸く^の 注意 を惹 くに 至った ので あ 

る。 千 九 百 十 一 年 並に 千 九 百 十一 一年に おいて 吾々 の 耳に 達 

した もの はサ ン ディ 力 リズ ム の聲 である。 さう し て それ は 

フランスの サ レディ 力 リズムに 基いた もので、 トム • マンの 

熱烈な 宣傳 によって 英 國全體 に傳播 したので あった。 けれ 

ども サ ン ディ 力 リズ ムの波 は 間もなく 去って、 さう して、 英 

國の 土地に 生命 を與 ふべき もの は 二つの 學說 となった ので 

ある。 その 第一 の もの は マルクス 派 產業勞 働 組合主義 であ 

り、 その 第一 一の もの は ギルド 社會 主義 または ナシ ョナル • 

ギルドの 主張で ある。 




マルクス 派 產業勞 働 組合主義 はま だ サ ン ディ 力 リズムの 

波が 英國へ 押し寄せなかった 時旣 にこの 國に 渡った もので 



4 あるが, 其 運動に 社會的 事情が 熟さなかった ので まだ この 一 

勢力 を 伸ばす こと は出來 なかった。 然し 乍ら サ ンデ イカ リー 

ズ ム の 波が この 國 から 引き去った 時に お いても マルクス 派 一 

產業勞 働 組合主義が 同じく この 國土を 去る ことかなかった 一 

ので ある。 

、 J の勞働 組合 界に お け る 新しい 情勢 は 產業勞 働 組合主義 

者に 對 して 非常に 有利な ものであった。 多くの もの はこの 一 

型に ならって 組合 を 組織し、 この 新 組合 形態の 宣傳は その- 

多くの もの、 注意 を 惹く樣 になった ので ある。 この 初期に 一 

. おける 產業勞 働 組合主義 者は舊 組合 は 全然 無用の もので あ 一 

り、 全然 解體 すべき もので あり、 さう して 組織 は勞働 階敏ー 

全體の 下に 樹立され なければ ならない と 主張し たので あ 一 

ワン * ビヅク ニォ, ノ ■ 一 

る。 彼等 は 一 大勞働 組合 を 要求し、 さう して 之 を 地方 別に 一 

し、 また 各々 の 産業の 部門に 從 つて 之 を區 別し • 更に それ: 

等の もの を 世界的 運動の 一 部と する ので ある。 卽ち 

W の 運動. か 之れ である。 然るに サンディカリズム の敎義 は: 

舊 組合 を解體 せす して、 之が 聯合 を 作る ので ある。 この 聯ー 

盟は產 業 別と して 更に 全勞働 階級に 對 する 一 大 階級 的 機關, 

を 構成す ろの を以 つて 最終の 目的と する ので ある。 この 產 

業 的勞働 組合 is!! 動 は サン ディ 力 リズ ム の 運動の 終媳 した 後、 

に殘 つて 其 理想と する 産業 組織への 第 一 步 として 現存の 勞ー 



働 組合 の 併 <5a を 策し たので ある- 

マ ル クス派 產業勞 働 組合主義の 理論の 大要 は 次の. g く:^ 

括す る ことが 出来る。 マルクス 派 產業勞 働 組合主義 者 は あ 

ら ゆる 形態の 國 家を以 つて 資本主義の 表現で あり、 財産の 

保護の 爲に 存在す る ものである とする が 故に、 彼等 は その 

完全なる 解體を 欲する ので ある。 さう して 彼等 は その 產業 

組 織 による 勞働 者の 社會的 支配 を 要求す る 點 において, 現 

在の ロシ ャ の 過激派 かすべ ての 權カ は勞兵 會に屬 すると 主 

張す るのと 一 致して ゐる。 彼等 は 純 産業 線の 上に 勞働者 階 

級 組織の ために 產 業の 完全なる 統制 を 要求す るが 故に、 彼 

等 は.^ 何に それ か 民主的で あっても 國家 と共に その 產業を 

管理す る こと を 欲し 摩い ものである。 彼等の 考 へて ゐる社 

會狀 態への 推移に 對 する 手段の 問題 は 彼等の 間に あっても 

異なって るるので ある。 洵に 彼等 は その 産業 組織と 産業 的 

行動と が 主要な 問題で あると 云ふ點 におい て 一致して ゐ 

る。 けれども 彼等の ある もの は 資本主義 的國 家の 覆 威の 爲 

に は 勞働者 階級に よる 政治的 行動 を 必要と する ので ある。 

然るに また 彼等の ある もの は 攻治的 行動 を 全然 否認し 去 

り、 產業的 行動 を以 つて 勞働者 階級の 唯 一 の 戰鬪的 手段な 

りと 信す る ものである e これ 等の 兩 派の マ ルクス 派 產業勞 

働 組合主義 は实に 其の 理論的 基礎 を マ ル クス經 濟擧と 唯 物 



史觀 とに 置いて ゐる。 彼等の 數は比 1^ 的少 さい ものである 

が、 尙ほ 彼等の 間接の 影 ii は 近年に おいて 偉大なる もので 

あろ。 特に 國民的 鏃道從 業 員 同盟 內 部の シ ョッブ • スチュ 

ァ I ト 運動と、 南ゥェ ルス 坑夫の 間にお いて 絕大 である。 

(四) 

. サ ンデ, ^力 リズムの 波. か英 國の國 土から 引き去った 後に、 

マ ル クス派 產業勞 働 組合主義 と共に 英國勞 働 運動の 理論の 

指 的 地位に 立った もの はギ ル ド社會 主義の 理論で ある。 

ギ ル ド社會 主義 は マ ル クス派 產業勞 働 組合主義 がその 基礎 

を マル クス經 濟舉と 其の 唯 物史觀 とに いて ゐ るのと 異っ 

てゐ る。 卽ちギ ル ド社會 主義者 は マルクス の 唯 物 史觀を 信 

じない ものである。 泡に 彼等 は社會 生活 もしくは 社會 現象 

の 經濟的 要素の 甚だ 大 なる 勢力の ある こと を 承認す る" 彼 

等 は 現代 國 家の 攻治 組織が ブ ル ジ ョ ァの^ 濟的權 力の 反映 

であると 認める 點 において マ ル クスの 唯 物史觀 とも 見る ベ 

きもの を 見る; けれども 彼等の 根本的 史觀は マ ル ク ス 唯 物 

史觀と 全然 一 致す る もので はない。 卽ち 經濟的 原因 か 人間 

の 攻治的 並に 社會的 生活 を 決定す る ものであると 云 ふ マ ル 

クス 唯物史 觀に賛 する もので はな vio て、 彼等 は 反って そ 

お の史觀 において 一の 精神主義 を 採用す る ものである。 マル 



クス 派社會 主義 は國 家の 死 威 または 廢止を 主張す る もので 

ある、 從 つて マ ルクス 派 產業勞 働 組合主義 もまた その 說を 

認容す る ものである。 然るに ギ ル ド社會 主義者 は 決して 國 

家 を 否定す る もので はない。 かう 云 ふ 意味 は 現在の 國家そ 

の もの を 認める と 云 ふ 意味で はない、 彼等 は 現在の 國家か 

資本主義の 國家 であり、 從 つて 勞働 階級に. 對 して 利害の 常 

に 一 致せざる 資本家 階級 を 代表す る もので あるの を 信す 

る。 さう して 彼等の 主張す る 明日の 國家は 其干與 事項の 大 

半 は 產業的 事項に あらす して、 非 產業的 事項で ある。 コ I 

ル はこの 點 において 國家 至上 權說に 贊意を 表する ヱ ス,デ 

i ネブ ソ ン と 其の ま 張 を 異にする ものであるが、 更に コ I 

ルの 「產業 自治 論」 の 最近 版は國 家の 產業的 行動に 對 して 

1 ^ 範 圍 を狹く 解す るに 至った ので ある。 そ はこ. -に 詳論 

する 要はない が、 ギルド 社會 主義 かその 學說 において 一 特 

色と 認 むべき もの は 確かに この 國家觀 である。 使用者, 亨 

樂者、 消費者の 代表と して 國家を 認め、 且つ その 國 家の 産 

業 的 行動に 多くの 制限 を 設けた. &にギ ル ド社會 主義 擧說の 

存在の 一 理由 を發 見す る ことが 出來 るので ある。 

, 】 の 様な 特徵を 有する ギルド 社會 主義の 主要な 目的 は 何で 

あるか それ は勞働 者の、 卽 ち生產 者と しての 人の 自由 を 尊 

重す. る ことで ある。 集產 主義の 社 會は洵 に 人の 生活 を 安全 



e にし、 且つ!^ を保證 する であらう o けれども 彼等の 生活す 

る 國はヒ レ ァ* ベ ロックの 所謂 「奴 隸國」 である。 彼等 は國 

家な ろ 偉大な ろ 資本家の 爲 めに 奉仕す る 一 個の 奴隸に 過ぎ 

ない。 新く の.^ き 物質的な、 さう して 本質に 觸 れてゐ ない 

生活の 安全 保證は 吾々 が 人と して 生活す るのに 何の 役に立 

つの か。 ギルド 社會 主義 は その サン 力 リズム 的の 立場 か 

ら かう 集產 主義に 對 して 懐疑 的の 能 ハ: 度に 出た ので あるが、 

彼等 は 之 を 解して 自由 拿 重の 希望 を 見た ので ある。 彼等 は 

洵 に ベルト ラ ン ド?フ ッ セル と共に 「自由 は攻 治の 最高 善な 

る」 を 知った ので ある。 自由, さう して 勞 働の 喜 悅。 これ 

が 彼等の 要求で ある。 彼等 は藝術 家に して 社會 主義者で あ 

るゥヰ リア ム* モリス を以 つて その 先驅 者の 一 人で あ ると 

認める。 モリスの 要求した 所 は 創作の 喜悅 である。 ギルド 

社會 主義者 はこの 點 におい て ゥヰ リア ム* モリスと 其 見解 

を 均しく した ものである。 

(五) 

この 勞 働の 喜悅と 經濟的 自由 換言すれば 生産者と しての 

人の 自由 を體 現せん とする 組織 は 何で あるか。 

現代 資本主義の 社會は 如何な る 意義に お いても 勞 働に 從 

事す る 人の 爲 めに 有利な 世界で はない。 そこに は 何等の 勞 



働の 自由 もな く、 さう して 勞 働の 喜 悅 もない。 その 日の パ 

ン のために資本家階級に對する勞働者の隸屬とさぅして^^ 

れ 等の 人々 の 貧困の 奥 積の 外に 何等の 意義の ない 經濟 制度 

である。 洵に 或る 者 は 絕大の 自由 を 有する、 けれども 彼等 

の 有する 自由 は 遊食の 自由で ある-' 勞 働の 喜悅 ではなく、 

創作的 生活で もない、 た > 漫然と して 生存の 保證 された 低 

級の 自由に 過ぎない。 

この 樣な 世界から 勞働者 階級 を 解放し、 彼等 をして 真の 

勞 働の 自由と 喜 悅とを 味 はせ る爲に 彼等 は 極力 資本主義と 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇。 その 戰鬪の 手段と して、 さう して 

生產 者の 自由の、 ! の喜悅 の保證 さるべき 社會 における 

生產 者の 機關、 その 意志と、 その 意志の 組織 を體 すべき も 

の は勞勳 組合で なければ ならない ので ある。 ギルド 社會主 

義者 はこ、 において この 勞働 組合 論 を 提出し 來た ので あ 

る 

そ の勞働 組合 論 の 最も 重要な も の は勞働 組合 の 構造 で あ 

る C 

勞働 組合の 構造に 關 して は、 從來ー 一個の 學說が ある。 そ 

の 第一 は 熟練 勞働 者と 不熟練 勞働 者と は 各々 別の 組合に 組 

織 さるべき こと を 主張し、 . 勞勳 組合 を 主として 展 主に 對し 

ての みで はなく, その 階級 以下の 不熟練 勞働 者に 對 しても 



また その 生活の 標準 を 保護 せんとす ろ 熱 練勞働 者の 見地 か 

ら 眺める ものである。、 J の 見地 は卽ち 技工 組合主義 である。 

不思議の 事で も あり、 また 且つ 當然 の, 〕 と でも あるが、 この 

技工 組合 主载 なる ものが 不熟練 勞働 者に よっても 認容され 

る ことの ある ことで ある。 彼等 は 技工 組合 を 組 熾す る こと 

によって、 彼等の 不熟練 勞働 者と しての 地位 を 雇主 並に 熱 

練勞働 者に 對 して 維持す る ことか 出來、 さう して、 熟練 勞 

働^^!?:と合同することにょって彼等の利^^は熱練勞働者の爲 

- に蹂蹒 される とする ので ある。 

然るに 第一 一の 舉說は 執-練 勞動者 もまた 不熟練 勞齲 者と 共 

に 同 一 の 組合 を 組織す る こと を 要すと なし、 組合 を 主 

として 階級 鬪 爭の 見地から 眺める ものである。 t )G 見解に 

立 つて 見る と 努黝者 階級 間に おける 差別 的 組織 は 努働者 階 

級の、 さう して 社 會全體 の 進歩の 障害で あり、 新く の 如き 

差別 は 階級 的 基礎の 下にお ける 一 の 共同 組織の 内部に おい 

て 調和す る ことが 出來 ると 主張す るので ある。 この 立揚を 

代表す る ものが 卽ち產 業勞働 組合主義 者で ある。 

これらの 一 一つの 學說 は勞働 組合 組織に 闕 する 二つの 形 

である。 技工 組合 は 一 組織の 内に、 同 一 種類の 仕事に 從事 

し、 もしくは 同 j 過程の 仕事に 從 事す るすべ ての 勞働者 を 

^ 包含す るので ある。 然るに 產業勞 働 組合 は 一 の 組 饞に同 一 



種の 生産物 を 生産す るに 51 力す るすべ ての 勞働 者, 卽ち鑛 

山、 鐵道、 造船所に おける すべての 勞働者 を 包含す るので 

ある。 この 記述 は 極めて 荒け づり である。 けれども 勞働組 

合 主義に 關 する 一 一つの 潮流 は. K 體 この 記述で 明かに なった 

, 一とと する。 



ギ ル ド社會 主義 は 現在の 資本主義 濟 組織 を 認容せ ざる 

が 故に、 この I, 力 働 組合主義に 對 する 態度 は 勿へ i 第一 一の 產業 

勞働 組合主義 である. - 技工 組合 は、 ゥニ ッブが 勞働 組合に 

つ い て 下し.; ! 古典的 定载 で あ る 一〔. 悟傭條 件 を 維持 し, もしく 

は 改善 せ ん とする 勞勳者 の I 炮績 的團體 である. -從 つて 之 は 

勞働界 における 現狀 維持 主義 もしくは、 漸進 主 幾で あり、 

著しく 貴族的 色彩の 濃厚なる ものである. - 從 つてす ベての 

勞慟 者の 經濟的 並びに 社會 的, 解放 を 主張す るギ ル ド社會 主 

義 者が この 技工 組合主義 に對し て贊意 を 表さ ない の は 寧ろ 

その 所で ある. - 

產業勞 働 組合 主 凝に 贊す るの は 次の 如き 一 一個の 理由から 

である, - 卽 ちその 第一 の 理由 は 產業勞 働 組合.. か 資本家に 對 

して 絕大 なる 偉力 や 有する ことで あろ. - 產業勞 働 合 主義 

の 主張者 は 資本主義の 大 組織に 對 して 努 働の 大組 の 必要 



をカ說 する。 さう して 技工 組合 は 資本の 大 合同に 對 して、 

爭鬪 する 力 を 有すろ もので なく、 反って 勞働者 1 の 分割 

となり、 從 つて 資本主義の 勢力 を增大 する 結果と なる ので 

ある。 さ、? J てこれ 等の 議論 は 階級 爭鬪を 基礎と した 階級 

的 運動と して 見る ときに おいて 極めて 價値 ある もので あ 

る。 もし その 議論 を 資本家と 勞働 者との 階級 爭鬪の 上に 置 

かないならば、 熟練 勞働 者が 不熟練 勞働 者に 對 して 同盟す 

るの を 恐れる の は正當 である.' もし 階級 戰爭の 事實を 否定 

し 去る ものと すれば 熟練 勞働 者が 不熟練 勞働 者の 地位 を 彼 

等と 同等の ものたら しめざる ことにな り、 その 勞 働の 獨占 

を 保持す る ことによって その 地位の 安全 を 確保す るの は自 

然 である。 けれども かう 云 ふ 意味 はた > 何等の 階級 爭鬪な 

いと 云 ふ 前提の ものに おいてで あるの は 明かで ある。 

それ故に 〇〇〇〇〇〇〇〇 なる 現代 資本主義 制の 下にお 

いて は勞働 組合 組織の 基礎 は 〇〇〇〇 の 下に 置かなければ 

ならない。 さう して この こと は勞働 組合の 運動が 常に 産業 

勞働 組合主義の 方向に 進行し なければ ならない こと を 示す 

もので はない か" 產業勞 働 組合 を 是認す る 理由 はこれ であ 

る。 さう して その 理論の 唯 一 の もの は 階級 爭鬪 であり、 そ 

れ のみ 民主主義と 博愛との 原理に 適 ふ ものである。 

第二の 埋由 はまた 均しく 根本的で ある。 さう して これ は 



また 一 の 假說の 上に 立脚しても るので ある。 もし 努働 組合 

主義の 目的が 軍に 防禦 的で、 賃銀 制度の 範圍 において 勞働 

者の 雇傭 條件を 維持 もしくは 改善 せんとす るに あるならば 

勞働 組合 組 織 の 形態 は その 時の 便宜に 從 つて 定めろ ことが 

出來 るので ある。 けれども 勞働 組合主義の 目的が 箪 なる 組 

合 貧の 物質的 利害の 擁護に ある も のでな く, それ以上の 

崇高なる もの、 大 なる もので あり、 また 勞働 組合主義 者が 

f J の 組合に よ つ て 獲ら るべ き 積極的 目的 卽ち產 業 自治 獲得 

の 目的 を 樹立す る ことをこの 理想と するならば 勞働 組合の 

構造 に關 して 多く の議 it を 要す る 必要が な いので ある。 技 

ェ 組合 は その 構造 を ,産の 過程に 置き、 その 生産物に 置か 

ざるが 故に 産業 管理 權を 獲得す るに 極めて 不適 當 である。 

た > その 產業 における 全人 員 を 包含すべき 產業勞 働 組合の 

み. かその 產業を 管理し 得る ので ある。 

勿: 51 過去に おける 勞働 組合が 現在の 制度に 代る ベ き 組織 

を 持って ゐ なかった こと は事實 である。 けれども 今日の 進 

步せ る勞働 運動に おいて は その 破壞的 方面と 共に 建設的 方 

面 を も 有する ので ある。 ある 一 派の 理論家 は 現在の 制度 を 

破壞 する に忙 はしく、 その 未來 の社會 組織に 閼 して 何等の 

定見 も 持たない もの も ある。 彼等 は 現在に おける 破 壤の重 

要 性の 一面の み を 見て、 その 將來 における 新社會 建設の 理 



29 



想の ある こと を 忘れた ので ある。 然し 乍ら この 爭鬪的 方面 

のみ を 見て、 破壤 方面の みに その 努力 を 集中す るの は 明か 

に 短見で ある。 ナショナル *ギ ル ヅ の 主張者 は 幸に し て 、 W 

の 心理 を 忘れなかった。 彼等 は ナショナル 气ギ ル ッの 中心 

思想 を 建設す る ことによって 彼等 は 人間の 理想的 方面の あ 

るの を 忘れなかった。 彼等 は 資本主義との 爭鬪 を勞勳 者に 

敎 へた 許りでなく、 また 勞働 者が その 將來 において 建設す 

ベ き 新 社會の 理想 を も勞働 者の 前に 提供した ので ある。 

一 ギルド • マン は サン ディ カリ ストと 共に 勞働 組合 を以 つて 

新社會 において 産業 を 1^ 理 すべき 圑體 であるの を 認めた。 

さう して ギ ル ド社會 主義者 は その 努力の 成就 を將來 におけ 

る勞働 組合 組織の 發達 にある ものと 認めた。 彼等が 產業組 

合 主義 をカ說 する 所以 は、 その 階級 爭鬪 における 能率的 見 

地からの みで はなく、 經濟的 改造の 見地よりから である。 

かくて ギルド • マンと しての 立揚 から 努働 組合 を觀 察す る 

ときに 彼等 は 生産者と しての 人の 自由 を 獲得すべき 構造 を 

要求した。 さう して 彼等の 所謂 產業勞 働 組合主義 である。 

その 理想 は 現在の 〇〇 と 將來の 建設で ある。 

、 J の 外勞働 組合の 問題と して その 內部 組織と 行政との 問 

題が 存す るので あるが、 こ >- に は 「努働 組合が 資本家 的 組 

截とは 全然 異れる 方向、 都ち、 勞働 組合が その 將來^ 社會 



の產 業に 對 する その 民主的 國 家と の 協同に よ つ ての 全營理 

を勞働 者の 手中に 移さん とする 方向に 向 ひつ. "あるので あ 

る」 と コ| ルが 云った その 勞働 組合の 最近の 傾向 は 何で あ 

るか、 その 理論的 基礎 は 何で あるか を 示す のか 本篇 の主耍 

の 目的で ある。 だから こ、 に は 他の 詳細なる 研究 を 記述す 

るの 必要な く、 た > 最近に おける 英國勞 働 運動が 漸次 その 

將來に 建設すべき 所の 社會 についての 〇〇 機關 と、 その 建 

設 要素と に對 する 理論的 根據を 示し 得たり とすれば 本論 は 

その 目的 を 達した ので ある。 

本論 Ya^ 草す る-」 當リ 左記の 書籍 Li 負 ふ 所 最も 多し。 

Cole: 一 nln-l 一 ichioii TnKlti -Inlonlsm, .Ditto: Hell- 

U--V2.ll ミ eut .B In 二 n.slrv. liet 二 utt- lipchhofe-.: iiieaiiiug; 

of N;luol3 一 Ginldg, 



鬱 正義と 自由 (中 澤臨川 著) 、、の 書物 は 中 SI 

川 氏の 近 菜.^ 集めた t ので ある。 今日の 日本の 評論 壤が 全く 大學 • 

の 先生 達の レ クチ ユアと なって 論文ら しい 論文の 現 はれ^い 今日 

哲學 にも 文藝 にも 社會 問題に も 理解 ある 臨 川 氏 獨特の 思想:. i 接す 

る ことので きたの はわれ 等の 最も 儉 快,」 惑す ると: ろで ある。 ( 1 

圓 五十 錢巍町 天祐 社) 



30 



勞働 階級の 獨裁 政治 

= 力.' ル • カウ ツキ ー の 著 嶽£ を 讀む= 



何年 か 前、 ラム セィ • マル ドナ ルド は、 力 1ル, マルクス 

が 空想 社會 主義者の 最後の ものであると 述べて、 マルクス 

を 科 a. 的社會 主義者の 最初の もので あろと 常に 思って るた 

社會 主義者の 問に 大 問題 を 起した ことかあった。 

, 私 は讀者 諸君が、 力— ル • カウ ツキ— が ロシア 革命 を も 

つて 第 一 の社會 主義者の 革命で なくして 最後の 中等 階級の 

革命で あると 觀 じて るる こと を 知った 時には. より 以上の 

喧囂が 起る であら、 フと思 ふ。 

ザ I の 專制攻 治に 對 する われ 等の 嫌惡は それの 轉復 を歓 

迎 せしめる ほどに 强 いものであった。 この、 〕 とが 社會 主義 

者に よって 成しと けられた こと は、 われ 等 をして、 ロシア 

において なされた 凡ての こと を 好意の 眼 を もって 觀 察せし 

めろ。 

しかし この ソヴヰ エツ ト 共和 國か 一 つの 試驗 であり、 そ 

して その 人民の 社會的 及び^ 濟 的 狀態か 西歐の それと は 著 

しく 相違した 國家 における 特種に して 例外的なる 事情の も. 



とに 行 はれた 試驗 である こと を 忘れて はならない。 

カウ ツキ I が 指摘し てゐる ごとく 口 シ ァ におい て は社會 

黨か權 力 を 掌 S3 し てゐ るつ しかし それ は 他の 社會黨 と戰ふ 

f 】 と によって 得た もので あり、 そして, -の 他の 社會黨 を攻 

府 から 除外して ゐ るので ある-" f - の, rj は 革命 を 救 ふため 

に は 必要であった であらう- - しかし それ はわれ 等が 盲目的 

に眞 似べき モデルで はない。 それ は 一 黨派か 權カを 掌握し 

且つ 行使して ゐる 以上 中等 階級 または 官僚 的で ある。 

カウ ツキ— は 要求す る、 社會 主義と デモ クラシ 1» C はと 

もに 同 一 目的 を 意味す る ものであると。 われ 等 は 一 階級に 

對 すると、 ー黨 派、 一 つの 性、 または 一つの 人種に 向けら 

れてゐ ると み-問 はす、 凡ての 絞 取 を 止める こと を 欲する。 

それゆえ にこ そわれ 等 は 階級 鬪爭 にお いての 無産階級 を 支 

持す る。 何と なれば それ は 凡ての 絞 取を廢 止す る ことによ 

つての み それ 自身 を 自由にす る ことかで きる から そして 

產業 的燕產 階級 はこの K 爭を 遂行す る强 さに おいて、 戰鬪 



的 能力と 傾向と において 發 達しつ. - あるから である。 

, 若しも 人類の 解放 か 他の 方法で 成就せられ うろと したな 

らば われ 等 は社會 主義 生産の 思想 を 放棄す るで あらう。 デ 

モク ラシ —なくして、 自治な くして、 人民の 諒解な くして 

の • 無産階級の 解放の 手段と、 しての 社會 主義 は考 へる こと 

がで きない. - 

; g 會 革命 は ある 國 において は 11 マルクス も考へ たと ほ 

り —— 平和的 手段に よって 到達す ろ ことかで きる。 それ は 

無産階級の 思想と 智力の 熟成に か > 'つてる る。 

社會 主義に 到達す るた めに はわれ 等 は それ を 樹立す る 意 

思 を もた な くて はならない。 それ は 々 無產 階級 を擴大 せ 

しめる 大產 業に よって、 並に そわに 從 ふ社會 的生產 の擴大 

に從 つて 創造せられ る。 

カウ ツキ ー は 主張す る、 これ は社會 主義の 製造に とって 

は 原料 品で ある、 更に 一 一つの 他の もの か 必要で あると" 卽 

ち社會 主義 を 要求す る 人 々はこ れを 要求せ ざる 人々 よりも 

强大 とならなくて はならない。 そして また 社會 主義者 は 彼 

等が 統制す ろ 事物 を 保持し 且つ そ の、 源泉 を 利 fflv る の 能力 

を もたなくて はならない。 

ュ I ト ビア ンは 新ら しい 救世主に たよる。 實 際の 出 來ご 

S と はこの 思湘 ^ の IS 謬で ある ことみ- 證據 立てる。 無産階級 は 



實 行と 經驗 とに よって 自治の 能力 をえなくて はならない 

勞働 組合 は大 なる 要素で ある。 

『今日, 決定的な 要素 は 最早 や 物質的で はなく して 人 

物的で ある.. - 無産階級 は 社會の 規律 を 掌握す るに 至る 

だけに 强く且 賢明で あるか —— 卽 ちそれ は デモ クラ シ 

—を 政治から 經濟へ 移す 力と 才能と を もって ゐ るか? 

これ は カウ ツキ ー の假定 した 疑問で ある。 ゥヰン スト ン* 

チヤ ー チルは 『否』 と 答 へ るで あら- TSC ジ ェ • ェ ツチ *トー 

マス は 『然り J と 答 へ るで あらう。 

カウ ツキ I、 舉者、 攻治 家、 行政 家、 經濟家 及び 理論家 

は 『これ は確實 に豫 言す る こと はでき ない』 と 答へ る。 

デモ ク ラ シ I は 自己 敎 育の 長い 道を橫 ぎらなくて はなら 

ない。 しかし それの 勝利 は 最後で ある C 

IT 人民 か デモ クラ シ— の もとにお いて 働く ように 目 醒め 

た 時に、 專制 主義の もとにお ける より は殆ん ど危險 がな 

い。』 

若しも IC 力 働 階級の 獨裁攻 治なる ものが 下級 階級の 獨裁攻 

治 を 怠 f. する ものである とすれば、 それ は 劎の獨 裁 政治に 

道 を 開く もので あり、 そして 革命 はク ロム ェ ル または ナ. ネ 

レ ォ ンの 支配に おいて 終結す るで あらう: デモ クラシ I に、 

ついて 偏見 を もってる る社會 主義者でなくて は受 入れろ こ 



2 と はで きないの である o 

カウ ツキ ー は ロシア 革命の 事實 とそして 社會 主義者、 ソ 

グヰ エツ ト 共和 國を導 くに 至った 社會 主義者の 問に おける 

相違に ついて 論じて ゐる。 

彼れ は 次に その 結果 を 分析し, そして ロシアに おける ェ 

業 及び 農業の 狀態を 討究して ゐる。 彼れ は P シァ 革命に 好 

意 を も つて ゐ るが * の 進歩が ソヴヰ ヱット に 組織され た る 

頭腦 及び 體カ勞 働 者に よ つての 獨裁 政治の もとに お い て實 

現される と考 へて はゐ ない。 彼れ は それが ロシアに おいて 

は 了解し えられる ことで ある こと を 知って ゐる。 しかし 次 

のように 結論す る。 

『獨裁 政治 は 人民の 多數 に反對 して 獲得した 主權に それ 

自身 を 安全に する ための 社會黨 の、 源泉と して それ 自身 を 

示現す る もので はない。 た > その 力の 及ばざる 仕事に 努 

力し * そして それの 解決 は それの 力 を消盡 し 且つ 疲麼せ 

しめる。 かくする ことによって それ はた > あまりにた. や 

すく 社會 主義 それ 自身の 思想 を 妥協し、 それの 進步 を、 

援け るより は 寧ろ 阻碍す る J 

デモ クラシ ー なくして は、 社會 主義 は 不可能で ある。 

广 上 は I*ol)oar I*ea(ler, Tliursday. January に 9, 19:20. 

において.、 チョン • スカァ が 力 |ル* カウ ツキ— の 新著 



IX 力 働 階級の 獨裁 政治』 について 紹介した ものの 翻 譯 

である。 . 



◊ 大正 日日 購演會 

私 は 近頃 演說會 や 講演 會と いふ ものに は 袷ん ど 出た ことが なか 

つた。 大正 日日 新聞と 私と 關係も 妙な ものであった 。入って ゐた 

の やら 居ない の やら 分らない 程度の ものであった。 しかし 私 は:, 

の 若 は 新聞が 若い 精神の 特 主として 大阪 に 不拔 の极據 有する 二 

大老 新聞 相手と して 生れ 出で た 雄々 しい そして 希望に 輝いた 誕 

生に 對 して 好感 感じない わけに は ゆかなかった。 同 新聞の 企て 

に應 じて 數ケ 所の 講演 會に 出席した。 名古屋 一ヶ所 1^ 除く と 皆な 

非常な 盛會 であった。 一 般の 人々 が此 若い 新聞に 對 して 私と 同じ 

期待,^ もって ゐた: と 知って 私 は 自分 Ll 與 へられた 祝福の ごと 

くに 喜んだ ノょ き綞營 者と よき 努力と が與 へられるならば 恐らく 

關 西に 一 三大 新聞」 の 出現す るの は 遠くない ことで あらう。 私は此 

希望 に 滞ち た將來 祝福し つ. - この 新聞との 一 切の 關係 1 ^絡ち、 

そして 「批評」 の 一 記者と して 専心 努力す る 事に なつ ^0( 室 伏) 



藝 術と 社會 主義 

. HhMM コ— ル の觀た るゥ ヰリ アム. モリス. 



(一) 

前世紀の 前半に 疑 もな く 最善の 目的 を以 つて 其 生命と し 

た 一 つの 圑體 が活 働して 居た。 其 圍體の 名 を 「知識 普及 協. 

會」 と 云って、 其 背後に は 資本家、 攻治家 及び 大學 敎授の 

有力な 後援 かあつた ので ある。 さう して 其 目的と する 所 は 

勞働者 階級に 對し て 機械の 使用 と 産業 制度の 發達 とから 勞 

働 者 階級の 受ける 利益 を說 明す るので あつたの である。 そ 

の 廣く讀 まれた パ ン フレットの 中で は、 機械に よって 可能 

となった 貸 物の 供 袷の 偉大な 加と、 其 結果と しての 全社 

會の繁 榮とを 指: した。 さう して 其パ ンフレ ット はまた 產 

業 組織 における 資本と 勞 働との 一 定の 機能と、. 其 相互の 地 

位 を 決定すべき 經濟舉 上の 法 刖を勞 働 者に 說 明して おろ。 

この 任務 をな して 協 會は满 足し、 さう して 社 會の現 狀を神 

S に M したので ある。 




クヰリ アム • モリスが 民主的 論客 中の 第 一 人 者と なった 

の は、 この 商業 的喜悅 の破壞 者と してで ある。 詩人 並に 美 

術 家と して モリス は その 自己 表現の 衝動が 商業主義 によつ 

て妨 けられる のを發 見した。 彼 は 眼 を 開いて、 其 周 園の 

業 主義の 產物を 見た、 さう して それ 等が 善で ない の を 知つ 

たので ある。 彼 はこの 商業 的の 社會 にあって 商業 的で ない 

美しい もの を 造らう と 若 心 をした、 彼 は 美しい もの を 作つ 

て * 商業 的 成功 を II らす ことが 出來 たけれ ども、 彼 は 満足 

しなかった。 彼 は 民 隶の爲 に 美しい もの を 造ら 5 と 思った、 

しかし 彼 は 民衆が 彼の 生産物 を 買 ふへ 1- も、 それ を 評 憤す る 

だけの 趣味 もな いの を 知った。 彼 か、 ) の 生 產物を 少數の 富 

^H: に寶れ ば資る 程、 彼 は 益々 商業主義の!.' において. は 多數 

者に 對 して 美 もなければ * 美の 賞 もない, 一と を 自愛した 



ので ある。 

かくて 藝 術から 社會 主義へ と 移った の. か ゥヰリ アム • モ 

リスで ある。 何と なれば 彼 は 資本主義の 下にお いて は大多 

數の 人々 に對 して、 藝術も 幸福 もない の を 知った からで あ 

る。 藝術 家と しての ぎが その 社會 主義の 基礎 を藝 術の 上に 

置いた の は 恰も 社會 主義者で ある 吾々 がその 最もよ く 知り 

且つ 最も 尊重す る 生活の 上に それ を 置かなければ ならない 

のと 同じで ある。 何と なれば 商業主義 こそ 文化 生活の 美し 

い 花 を 殺して しまう 害蟲 だからで ある。 

(三) • 

モリスの 藝術觀 は 偉大に して 廣汎 である。 藝術は 彼に 取 

つて は 犀なる 作られた 外的 装飾ではなかった、 それ はすべ 

ての 眞の 製作 を靈感 せし むる 生命の 原理であった。 彼は藝 

術 を 絵畫、 彫刻、 詩歌、 音樂 または 美術 を 意味した ので は 

なく、 彼 は善惡 に拘ら す、 美醜 を 論ぜす すべての ものの 製 

作 を 意味した ので ある。 すべての 眞實の 藝術は 民衆の 生活 

から 起り、 民衆の 生活が よい 處 では 藝術も 自然に 榮ぇ、 其 

生活の 悪い 所では 藝術は 決して 繁茂 しないと 考 へたので あ 

る" 彼 は 人々 が 産業 制度に 隸屬 して をる 間 はよ ぃ藝術 も、 

よい 生活 も 多數の 民衆に 取って は 存在す る ことが 出來 ない 



と考 へたので あるひ 

彼 は 之より 脫 する 道 を 明確に 知って は, 居なかった 樣 であ 

る。 それ は 彼の 主要な 任務ではなかった ので ある。 彼の 爲 

した 所 は、 產業 主義の 劣等と 其 罪惡 と、 さ- フ して、 其 物質 

的 富の 增 加に も拘ら すその 文明に 及 ほす 惡 影響と を 社會の 

前に £ 白 にす る ことであった。 さう して その f J と は 一 人の 

爲す. ベ きこと として は 充分な ことで あり、 モリス は そのこ 

と をよ く 徹底的に 仕遂 けたので ある。 

(四) 

モリス は その 手と 頭との 勞 働に 喜悅を 持った 美術家で あ 

つた C さう して、 彼に 取って は 生活の 中の 最大の もので あ 

る勞 働の 喜悅 が少數 者に 許され、 多數 者に 許されない 社會 

に 満足す る ことか 出來 なかった。 彼 は 生れな からにして 物 

の 製作者であった、 しかし 彼の 生活した 時代 は 彼 をして、 

その 多くの 精力 を 苦腦を 多くす る ことに 費す のを餘 儀な. < 

したので ある。 多くの 人 は モリスの 中に ィ ー ッ. か 「最も 幸 

福な 詩人」 と 呼んだ 一 面と、 さ- フ して 戰鬪的 社會 主義の 宣 

傳者 としての 一 面と を發 見して 驚く ので ある。 彼等 は 最初 

彼の 詩の 靜 かな 美、 彼の 著書の ロマンス、 その 装飾と 何物 

にも 反抗す る 思想と を 調和す る こと を 得ないで あら. ラ。 然 



し • これ 等の もの を: ItT せしめた 素質が また モリス をして 社 

會 主義者たら しめたの である。 彼 は 人の 製作す る ものが 製 

作に 値する もので あり、 其 製作者に 對 しても、 その 使用者 

に對 しても 喜悅 でなければ ならぬ こと を 熱心に 求めた ので 

ある。 

(五) 

多くの 人々 殊に 勞働 運動に 從事 する 人々 がた > News 

from Nowhere の 著者と しての モ リ ス のみ を 知 る のは不 

幸で ある。 吾々 は 其 講演 を 著書と した Hopes apd I-grs 

for Art から 彼の 人生 觀の 明快な 觀念を 得る ことが 出來る 

ので ある。 彼 はこの 書に おいて 社會 組織と 藝 術の 關 係に 關 

する その 思想 を 明白に 說 いて ある。 吾々 は そこに 他 國を輕 

蔑し または 憎惡 する ことなくして 自國を 愛する 愛國 者、 モ 

の 民族の 地位で はなく • 國 そのものの 爲に國 を 愛する 愛國 

者を發 見す る ことが 出來 るで あらう。 吾々 は 民衆 藝術 のみ 

ではなく、 自由 的國 民の 自由 生活から 直接に 起ろ 藝 術の 信 

奉 者を發 見す るで あらう。 また cva ヨ of John liri 二 の 中 

. では 自由な 英國の 使命の 明かに 語られて あるの を 見る であ 

らう。 その 中で は 彼等の 生活に 慣 値が あり、 彼等.. か 資本家 

組織の 「手」 としてで はなしに、 友と して 遇せられ るので 

5 幸福で ある ことが 書かれて ある。 吾々 は 次に 末完 では ある 



が 近代 叙事詩 中の 最大の ものの 一 である The Pilgrims of 

Hope を 見よう。 吾々 は そこに 舊 世界の 麼墟の 上に 民衆の 

工夫と 意思と を以 つて 建設 せらるべき 幸福な 世界の 希望 を 

見る であらう。 これ 等の こと を 吾々. か 知る と き は News 

fro ョ Ncwhcrc をより よく 理解す る こ とが 出来、 それが 

人間の 幸福の 窮極の 價 値に 對 する モリス の 堅い 信仰の 表現 

であって、 單 なる 末來の 不可能の ュ ー ト ビアの 幻で ない の 

を 知る であらう。 

(六) 

私が 新く ゥヰリ アム *モ リ ス の社會 主義 を 論じた の は、 他 

の 革命の 豫言 者に も 4-1 して、 彼が ナ シ ョ. ル*ギ ルヅ *メ ン 

と 同じ 血 を 持って をる からで ある。 自己 表現の 自由、 勞働 

にも 閑暇に も 自由、 奉仕に も亨樂 にも 自由 —— これが 彼の 

事業と 生涯の 指導 的 原理で ある。 さう して これ はまた ナシ 

ョナル • ギル ヅの 指導 的 原理で ある。 私達 は勞働 者の 手に 

その 生活と 勞 動との 管理 を與 へる ことにより、 彼の 製作に 

自由 を與 へる、 ) とに より、 彼等が 奴錄 または 自由 民の 仕事 

をな すの 選 擇を與 ふる、 > と によって のみ 機械の 專制を 打破 

する こ とか .11 勿論 そ れは 機械 そのものの 破 壤とは 異るも 

ので ある —— 出來 るので ある: (G. 】). =• Cole: Self-Gove 

rhmcnt iii Industry Fourth edition. I}!}, ム 2 11 -46- 甲 野哲ー ー譯) 




米 國の產 業會議 




十 一 、 圑體的 交涉權 

十七 日の 會識に 十五 人 委員 會 より 圑體 交渉 權に關 する 決 

議案が 呈出され た、 夫れ は勞働 者の 選出した る 代表者に 依 

り 雇主と 雇傭 條件を 取 極む るに あった、 此の 結果と して 產 

業 會議は 一 つの 危機に 面した、 資本 側 は 他の 側よりの 熱心 

なる 說明 あるに 拘 はらす 反對を 固持した、 勞働 側は該 決議 

案が 再び 委員 附託になる が. a き 事が あれば 勞働 代表 は 産業 

會議 より 脫退 すると 宣言した、 討論 三時 間の 後に 投票に 附 

せす 延期され た。 

と は 云 へ 十八 日の 會議に 資本 側 は 1* の 會議に 呈出した る 案 

に對し 一 つの 對案を 作成して 和解の 氣運を 作った、 兩 決議 

案 は 十五 人 委員 會に 附託せられ 會議は 十月 1 1 十日 月曜日 迄 

で 延期され た、 資本 側 呈出の 對案は 次の to きものであった。 

「個人的 職工の 勞働及 職工 組合、 其 他 之れ に 類似の 組合 yj^ 組 

織 すべさ 權利 (但し 政府 雇 職工に 此の 限りに 非す)、 圑體的 交 

涉の權 利、 賃銀、 勞働 時間、 就職の 闢係 等に 關し 雇主と 協議 



森 恪 



打合せ する に 際し 勞働 者よ リ 選出せ ろ 代表者,^ 出す の權利 

承認す、 

一お 主 は 自己の 工場に 屬ぜ ざる 職工 又は 其の 中より 選出され た 

る 代表者との 交涉, 拒 絡す る 事,^ 得べ し、 

雇主 及 其の 雇 職工 は 協議の 上惰 意に 此 等の 代表 形式 定 むる 

事.^ 得-へし」 

斩 くの. S き 案 を勞働 側が 承認す る 事が 出來な いのは 勿論で 

ある、 何故ならば 政府の 逼 職工の 組合 を 禁ぜら る >- ならば 

現存せ る 一 部 組合 は 解散し なければ ならない し、 且つ 還 主 

が 他 の 圑體 代表者と 協商 する 事 を 拒絕し 得る に 於て は米國 

勞働 組合 中 職工 組合 や 或は 勞働 聯盟 は 消滅す ベ き 運命 を 有 

する 事になる から。 

二十日の 會議は 開かれた, 公衆 側の ゲ ー リ— 氏 o-dgeo 

ary) はゴ ム パ ー ス氏 提案の 鋼鐵 罷業 仲裁 決議案に 絕對に 

反對 した、 簡單 では あるが 形式的に 彼れ は. 公開 工場 (註) 

(openshcp) の 支持と 組合 外勞働 者の 保護の 原則に 付き 說 

明した 



S7 



Vi ムパ— ス氏は 甚だしく 失望した そして 其の 頑迷なる 保守 

主義と 鐧鐵 合同 會社 代表者の 屈け ざる 態度 を攻擊 した。 

註、 公開 工場と は 工場 總 ての 勞働 者. に 公開す ろ ものにして 

組合-. i 賜す ろ勞働 者の みならす 組合に 屬ぜ ざる 勞働者 1-5- も對 

人的 交渉に 依 リ雇慷 契約.^ 結び 得る v5MH ひ、 非公開 工場と は 

國 « 的 交渉に 依り 組合に 餍 する 勞攝 者の みに 開放され たる.. 

云 ふ。 

十一 一、 勞働側 提案 否決 

圑體的 交渉 權拉 にゴ ム ペ —ス 氏の 計晝 なる 鋼鐵 罷業 仲裁に 

針す る 諸 提案 は 十月 二十 一 日の 決選投票に 依り 否诀 され 

た。 投票 五 回の 中 圑體. ;父涉 權の爲 めに 四回爲 された、 そし 

て 各回と も 1 一封 一 の 割合で 否決され たので あろ" 

此 の 結果 は產業 會議を 無期延期 たらし むる ものであった、 

乍然 此の 危機 を 憂慮し 居りし 大統領 ゥ イルソン 氏 は 病床よ 

り產業 會議々 長なる 内務 S レ ー ン 氏に 六 百 語より なる 書簡 

を^した、 該 書簡 は 一 部 代表者 脫 退の 脅威 を咸 ^ じたる 際に 

朗讃 さるべき ものであった、 大統領 書簡の 報 導は俾 ゑら れ 

た、 そして §點 を 見出す 爲 め光榮 ある 努力 か爲 された、 

然し 效果は 得られなかった、 書簡 は 十月 1 一十一 一日の 會議で 

朗讀 せられた。 

其の 一 is に 曰く 

「 卿 等に して 協定 に 到逮 すべく 各種の 手段, 忍耐、 



努力. „^盡 したる、、 と 1^ 國 民-.: 確認せ しめす して 散會 する が 如 

き 事 あらむ か、 最早 國民 して 安む じて 產 業の 經詧 yj* 持績せ 

しむる の 方法な さ こと 余 は 告白せ ざるべ からす、 平和的な 

るべ さ產 業の 經營 L1 戰爭的 手段 採用す るが 如き は 民主的 生 

八 g の發展 LL 對し 疑惑と 且つ 厭 ふべき 勢力 1^ 構成す る もの Li し 

ズ斯 くの 如き は赏 に 認容し 難き 所なる べし、 余 は 卿 等が 現在 

ょリも 正確に して 眞擎 なる 產業諸 分子の 協同に 依 リ生產 的 能 

力 更に! 進すべき 網領 協定 ゼ む、、 と 期待す」 

各 代表者が 大統領に 感謝の 起立 投票 をした る 後社會 主義者 

なる ジ ヨン *ス パル., n 1 氏 (John spargo) は 一 ① 決議案 を 

呈出した、 夫れ は閉會 する 迄 百方 直 力して 何等かの 實行案 

を 得る 事 を 誓言す る 事に あった。 

ゴム パ— ス氏は 起立した、 そして 「大統領の 病氣 回復 を 祈 

ると 共に 深甚の 同情 を 表白せ る」 處のス パ ルゴ ー 氏の 動機 

に 彼れ 拉に 彼れ の 同僚の 贊成を 表白せ る 後 彼 は 彼れ の 同僚 

と 協議す る 事な く 動議に 含まれた る 「保 證」 に對し 投票の 

責任 を受 くる 事が 出来な いと 云った。 

議長 レ— ン 氏の 提議で 勞働 側は該 協議より 脫 退した。 

十三、 勞働 側脫退 

午後に 會議か 開かれた 時ゴ ム パ ー ス氏は 更に 全勞働 側に 依 

り 承認され たる 決議案 を 呈出した、 其の 本旨 は 

「fi 銀 勞働者 は 無差別に 組合,^ 組織し 圑體 的に 交涉 爲 すの 

權利 及び IKil 勞働 時間 拉 _し 雇 储の關 係と 狀 態とに 關し 雇主と 



00 協議 協定 1-^ 爲す に付き 其の 任意の 代表者に 依りて 代表 せらる 

ベ さ權利 有す る 事,.^ 產業 會議は 承認す」 

と 云 ふに あった、 此の 動機の 決議案 は 十五 人 委員 會に附 せ 

られす 直ちに 採決に 附 せられた ので ある。 

資本 側の フ イシ ュ 氏 は勞働 側に 依り 呈出せられ たる. 決議案: 

は旣に 資本 側に て 否 決した る 圑體交 涉權の 原則に 何等 異る 

處 無しと 反對 した。 

討論 は 熱烈 を 極めた、 表決せられ たる 處バ- ソファ 口— の ラー 

ン ドン。 JsSS 港の ルイス • タイタス。 ヱドヮ 1 ド ?フク セル C 一 

. ヱリ ヲット 博士" 二 >>Kn クトの 公衆 側の 總て は贊 成の 投票 一 

を爲し 資本 側の パ ー キン ス。 01 リ ヲ— レア リの總 て 一 

は反對 投票 をした * 此の 時ヂ ヨン きス パル ゴゥ 氏はゴ ム パー 

1 ス 氏に 質問 を發し 「該 決議案が 採用せられ たる 曉に は圔ー 

體交涉 の 原則 は 産業 會議に 依り 理論的に 且つ 慎重に 作成せ 一 

らる > 'も 可な りとの 意味 を 勞働側 は 含めり や 否」 を 問うた 一 

ゴ ムパ— ス氏は 可なる 旨 を 答へ た、 公衆 側 は 熟議の 後 決議 

案 を 是認した、 バ I ナ ー ド バル ゥチ氏 Oiernard M 15arrh) 

は棄權 した、 勞働側 は 賛成した、 資本 側 は反對 した。 一 

十四、 ゴム パ,. -ス氏 告別 演說 

ゴム パ I ス氏は 起立した、 そして 演說 して 曰く ゾ 

「 安本 家 屈 «. の 行動 は. 此會 議ょリ 吾等 fi* 竊遂ぜ リ、 一 



吾等 は 最早 提議 ォ べき 何物 もな し、 而 して 吾等 は 吾等が 永く 

此會議に止る事能はざろ,.^甚だ遺憾なリとゃ、 

吾等 は 数百 萬の 勞働 者に 對し 責任. ^おす、 吾等ば 此 等の 義務 

y;- 果たさ > ろ ベから ず、 吾等の 憾む處 は 苟.. P 勞働者 側より 提 

議^る 公平なる 提案が 否決 せらる、 が 如き 事の 起 ろ 事に あ 

リ、 然れ ど- -萬事 休す、 骸子は 旣に投 ぜられ たリ、 我等 は 今 

病床に ある 大統領 ウイ かソ ン 氏の 要求-」 應, ゼ むが 爲め 吾等の 

力の 及ぶ 限り 凡ての 手段,^ つくして 努力し;.: リ * 

議長 紳士 諸君:: 吾等に 對する 諸君の 禮讓は 深く 感謝す 

る 虎な リと雖 も 如何にせ む 吾等 は此上 諸君と 此處卩 席.,^ 同: J 

うする 能 はざる^ に 

此の 告別 演說. か 終る や 直ちに.. コ ム パ— ス氏は 米 國勞働 組合 

聯合の フランク • モリソン (一つ rank Morrison) ミカ エル • ェ 

フき タイ ヱ (Mirhael F. TiRllc) 其 他の 組合 代表者 と 共 に 

退席した、 續 いて 鐵道從 業 員 組合の 代表者 も 返 席した。 

一 資本 側の 各員 は?;^ 働側脫 返に 對 する 責任 を 否認した、 ジョ 

ン *ス パル ゴゥ氏 は 産業 會議繼 績に對 す 決議案 を 呈出した、 

そして 勞 働側歸 還の 勸說の 計 鼓 をした。 

次の 1 一十三 日-^ 一 衆 竝に資 木 側は產 業會議 再開の 爲め 議席に 

一 就た、 內務 卿レ— ン氏 は勞働 側か 脫 返せる を 以て 今後 資本 

側の 出席 は 不要なる べしと 云 ふ ウィル ソ ン 大統領の 希望 を 

表白した、 かくて 公衆 側の みの 會議 となった。 次の 日 公衆 

側 は 仕事 を繼續 する 計螯 を爲 した、 然し ウィル ソ ン 大統領 



に 新 産業 會議 開催の 献策の 害 を 寄せた る 後 直ちに 會議を 中 

止し 期日 を 定めす 延期して しまった。 

十五、 公衆 側よりの 大統領 報告書 

其の 公衆 側の 代表者 等が 大統領に 發 したる 甞 中に 於て 甚 た 

興味 あろ 事 は勞働 側の 呈出した ろ圑體 交渉 權の 原則 を無條 

件に 支持した と 云 ふ 事で ある、 そして 猶ほ 興味 ある 事 は 公 

衆 側に 含まれた る 資本家の 數は 資本 側よりも 多數 であり, 

其の 使用す る勞働 者の 數も遙 かに 多數 であると 云 ふ 事實で 

ある、 公衆 側か 大統領に 呈出した る 報告書 中 圍體交 涉權に 

關 する 一 節 は 次の 如き ものである。 

「勞 働者自 から 選出した ろ 代表者に 依り 彼等の 雇主と 團體的 

交涉の 目的 て 組合 扭綠 する 勞倒 者の 權利 は、 否定 も攻 

^もす ろ 事 も 能 は ざろ ものな りと 吾等 は 信す。 公衆 代表者と 

して 吾等 は 赁级勞 働 者 は 此の 目的の 爲め 如何なる 組合 1^ 選ぷ 

も自由でぁると云ふ意味に於てのみ此の權利^^解釋ャ る もの 

である、 新く の 如く 組^され、 彼等 自 から 選出した る 代表者 

Lir. リ 代表せ vi- るべ さ勞働 者の 椹 利, -5^ 認容す る 事に 依リ 幾多 

の困難は時と共に^!^起するならむ、 然れ ども 吾等 は關 係: S 體 

LL 對 して 仲裁々 判 以て 正義と 公平 依リ斯 くの 如き 困難 

解決し 得ろ ものなら むと 信 f -」 

十六、 結 綸 

該產業 會議が II らした る效杲 に關し 資本 側 は 三 窟條の 綱目 

5 を舉 けたる 陳述 害 を發 した。 



1 、 豫備 機關と 包括的に して 且つ 秩序 立ちた る豫定 案な か 

りし 爲め產 業 會議の 失敗 は當然 なりし 事 

二、 園體交 涉權の 問題 は 此の 國 により 重大なる 問題と して 

1^ らし 而 して 此れが 爲 め圓満 なる 解決 案 を 得さし むる 點に 

於て 無數の 製造業 者に 好剌 激を與 えたる 事 

三、 園體交 涉權の 問題 は 確定せ ざる 可から ざる ものなる 事 

等で ある. - 

又 公衆 側の バ ー ナ |ド* ヱ ムたパ ルゥチ 氏 も產業 會議の 齎ら 

したる 效果 を槪ー 百した る 次の 陳述書 を發 した。 

「創設され たる ものと しての 產業 會議は 解散す るに 至る 迄で 

に 表面上 LL 顯 はれた るぶ リ^ か LL 多くの 事, ^遂行した。 

1、 產 業會議 は全國 民に 熟知せ る 問題,^ 裔 らした 

二、 產業 會議は 解決の 非常に 困難なる 事, さ 1^ した 

三、 ii- 業 食議の il 爭は 全國民 して 考慮せ しめた、 而 して 此 

の 考慮より 解決策が 生す ろで あらう と 信す る 

四、 il^ 業 的 利益と 工業 的 問題の 間に 存 する 密接な ろ關係 總 

ての 會議 iiVg 者-」 知らし めた 

五 • 此の 會議 Li 於て 唯 だ 明瞭と ならなかった 事 は 資本と 勞働 

が 社會に 負う 虡 多き 事であった、 卽ち资 本と 勞 働と 適當 l: 

保 謹し 乍ら 最抵 生產费 に 於て 生產 する 事の 義務 叨 かにし な 

かった;^ でもろ、 更に 換言 すれに 勞働 者の 文化的 生活 1^ 保證 

L 乍ら 正當 なる 價格 に 於て 生產 マる の 義務 yj- 明かに しな か つ 

た 事で あろ. - 

かくて 米 慟 運動 史上 特筆すべき 產業 會議は 終り を告 け 

たのであった。 (終 リ) 



40 



令 編輯 室と 校正 室 

余賀 川喪彥 君の 上京,^ 機會 に 「思想家 文 

藝家懇 跌會」 とい ふやうな ものが パゥ. -' ス 

タの樓 上で 開かれた。 「改造 社」 の 山 本 君 や 

横關 君の 幹 旋も與 つ て 非常な 盛會 でも つ た 

、、と は 若き 天才 的勞働 運動 者の 前途の ため 

に 喜 しい、、 とで ぁク た。 

♦ ロシ ァ帽の 大杉荣 の 額 も 見えた。 眞 1^ 

娘の 父と しての 堺 枯川 も 見えた。 ある 人が 

い 0- に-ソン として ゐ ると 評した 厨 川 白 村 も 

見えた。 その 側に は Si 顔の 有 島 長老が 美し 

い 大橋房 子鍍と 肩,^ 並べて ゐた。 日本の ク 

n ポト キン —— 森 戶辰男 君 も 見えた。 早稻 

田の 北澤木 村の 兩敎授 も 見えた。 國 家社會 

主義の 高 畠 素 之 も 見えた。 江 ロ澳、 宮地嘉 

六 等の 諸君 も 見えた。 

令 整 親 庭の 危險 人物 臺 帳に ると 大杉堺 

の 兩君は 甲、 森 戶君も 甲に 上進した であら 

う。 安部磯雄、 高 畠 素 之 君 等が 乙、 北澤、 

木 村の 諸君 等が 丙の 危險 人物 ださう だ。 そ 

こで 『この 宴會 場に 爆彈 fj^ 投す ると、 危險 

人物 は 上 は 甲から 下 は 丙まで 1 彈の もと LL 

やっつける、、 とがで きる!』 と 智漦の ある 

こと いった 人 もあった。 



♦ 原 敬 君 あたり, 4 國 家の 基 接』. 5i 憂慮 il 

するなら かう した 危險 人物の 會合に 一 擎,. ^ 

與 へたら、 さぞ 『國 家の 基礎』 は 萬 々歳で 

あらう。 .11 尤も それで は われ/ \ 人民 

i 『安全 人民の 基礎』 が 危うく はなる が。 

♦ 憲政會 とい ふ政黨 は英國 のァス ク イス 

黨み たやうな 地位 に なった。 普選の 看板 は 

かけながら も その 赏は 資本家 黨で、 そのう 

へ內 部はゴ チヤく やって ゐる e こんな 瞹 

味な 政 « は 早く 解散したら どうか。 そして 

1 部 は 勞働黨 へ 一部 は 政 友會へ 走ったら よ 

からう。 

♦ それまでの 英斷 がで きなかったら せめ 

て は 加 藤總裁 11 日本 一 の 富豪の 女^ 11 

だけ は 普選の 旗印から いっても 除名したら 

よから う。 日本 一 の大 富豪の 持物で ある 間 

は 民主々 義の 方で 御免 1^ 蒙らう ではない か 

A A A ▲ A A 4麁: 

令べ 夕ト ランド. ラクセ かの 流行 も 日本 

では 下火と なった やう だが 當の ラクセ^ は 

中々 の大 活動、 最近に は 『ギ かドと 自由 J1 

と い ふ大 講演.^ や つ た喾 だ。 尤,. - 彼れ は 今 

度 もとの ケ ン プリ クゲ、 トリ 一一 チイ、 力 レ ク 

ゲ へ歸 つた さう だ。 

♦ ラ-ン セ^ の 復歸と 聞 い て 森戶君 放逐 

した 帝 國大學 はどうす るか 見 もの だ —— と 



いふ ほどに 帝大, ^買 被って はゐ ない が • 

命し かし 森戶 君の 放逐に 對 して、 教々. 

して わめいた 日本. の 諸 新聞社 御自身に どう 

か。 その 新聞社に 第二の 森戶 君が 出たら ど 

うする か。 ^ i かう 良心に 尋れ ると 大きな 

口 はきけ ま いで はな いか。 

♦『 批評』 は 主幹 者の 病氣 その他で 大分 不 

勉强 1^ して 讀者 諸君 に 申 わけはなかった。 

次の 號 から は 面目 1 新す る考 へで ある。 

そして 發行 日む 運れ ないやう に する 考 です 

♦ 頁 も 少し は し、 內容も 紹介ば かりで 

なしに 自由 批評 もどし やる つもりです 

但し 立場 は 自由、 —— 自由と いふ こと r* リ 

外に は 何にもない。 

♦ss 者 諸君の 方で も 是非 も 少し 新讀者 1^ 

加す る やうに 盡 力して 頂きたい ものです 



の號別 特^ K 但 
く受 申に 別 は 慎 代 



靑蕪上 北大 柬^ 



捌賨大 



^ 事 



京 



. 京 





飽町: Eil 丸 ノ內、 ^京 海と ビ グ, ティ ング五 二 六 

電話 丸の 內ー 二八 六番 

_ ゅ區江 堀 北 通 一 丁目 十三 番地 

電話 土 佐 堀 三 六 〇 番 



来 交 民 巷 桂 樂第大 

電話 東 局 七 五 九 

江西路 H ヅ ラ 路 三 

電話 中央 四 四 八 三 



洋 



碼 



樓 

番 



番 

頭 



大和 町 三番 地 公利 號內 



A 神 田 束 京 堂 上田 屋 11 

▲ 京 橋 朿海堂 ぉ隆節 11 

▲ 日本 橋 至誠 堂 A 本鄕 盛 春 堂 



▲ ti 代は總 て 前金 ▲ 郵券 代 ffl 1 割 5? 

▲ 送金 は 可成 掇替 ▲ 外 國行郅 稅十錢 I 

大正 九 年 四 月 1 B 印刷 納本 

大正 九 年 四月 一日 發 行 

東京 市京樯 區元ス キヤ 町三ノ 一番 地 

^3 尾 崎士郞 

東京 市 小石 川 區久堅 町 百 八 番地 

« « « £2 博 文 館 印刷所 

朿京 市京樯 區元ス キヤ 町三ノ 一 番地 

お 行 S 批評 社 

振替 朿京四 五三 四 六 

電話 銀座 一 三 七四番 



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價 



毎月 SI 日 發行郵 税 



一部 I 卅 錢 

小 分 一 一岡 七十 錢 



五 厘 



校 共 



1 年分 一 三 圆卅錢 投 共 



室 伏 高 信 著 



四 六 版 

四百 頁 



定價貳 M 四拾錢 

送料 八錢 



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注文 



第丄 





づ 



發送 



本書 は 室 伏 高 信 氏社會 主義 硏究の 第 1 卷 である。 マ ルクス 派社會 主義 は 勿論、 非 マレ ノクス 

派社會 主義 を 詳述し 社會 主義 各派の 理論的 體系を 明らかにし、 さう して 新社會 主義 を 提唱 

した 吾國 唯一 の社會 主義 評論で あり、 硏究 であ, -、 講話で ある、 

ギ \ ド社會 主義, I 國 家社會 主義— サ ン デ 



百 

次 



力 リズム —修正 派社會 主義— ボ ルシ H ゲ井 

社會 主義 I 無政府主義— 勞働 組合主義 



發行所 



東京 市 京 橋 區元ス キヤ 町三ノ 1 成 勢 館 

振替 東京 四 五三 四六番 



批評 社 




(號 五十 第) 號月五 



(定價 本號 卅錢) 

モリスの 藝術 

的肚會 主義 

l.w.w. 主義の 研究 



社評批 



錢 十四 圓ニ價 
餞 八 料 送 



室 伏 高 信 著 建 十六 版. 




臺 



^-京京橋區元スキャ町三ノ 一 

振 # お 京 il 五三 四六番 



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4- 



【主要 目次】 國 家き 主義 顏ぼ t13f ほ :11 疆. gl,ip.. 

.^<1--!:^.}^:生^—-势働者と國家— 『國 家ば. 死滅す ろ』. にフ レ, ジ ョァ の國家 1H ンゲか ス國 家觀の 意義 I 『共^宣言 J- と國 家— ベ I ぺ ^ の 提議 ゴ I ダ會 

談— 力 ゥ ッ キ !め. T き— マインツ の <ぱ議 —^立 努. 働黨 の:^ 議, ー ゲ 1 ド 5M の 態度. —ギ ; ド 赴- 會 主義— 園 家社會 主義と デ や クラ シ ー— ソ ー シャシ ニァ 

ぶク-トぜゝ土.^. £&へぺ か ンシ ユタ イン— 『マ か グス 主義の 危機』 I マ か グス ぉ義っ 原則— 唯 物觀. I 唯物主義と 唯物史観— マ か クスと 非經 

ゲ, 千. ま 8f ま 濟的耍 素 I マ ルグス 主義者の 態度— 餘剃價 直說— マル グス價 値 論, IH ン ゲル スの 解說! ,働惯 値一マ か クス 抽象論 

II マ か クス 慣値說 と 餘剎^ 働— 资本集 績說— 資本主義と, 富, の .,-.5=5 配, r 恐!!!;? IB 階银. 闘 ^ ^說. f 革命 說丄 「共-帝 《*2 一 15』 の^ SIH^ ま. 治 的 民主主義— デ 乇ノ 

ケ ラシ lirss 主義と, 丰耗— 勞働 者と 航國— 普通 氣舉 1 『共 「ま m4kT 修正 ぼき 主 一,, か ン 中 に舉 ま,. ン ト に 還れ』 の 意義」 

ク \ F ウノで t (サ ンヂ圹 リズムの 起原 I サン ゲが" ズムみ 特質し .31 際 勞歐黨 土ゲ I?. 浓. T,? ル ス 勞働述 動の 狀況 

ラ ン チフリ フ ム ,—勞働組合の公認—『勞働.ix刀所撒合JT『勞働irl^i£?!c.リ<• み.,货..カ1總1|1!-1.コ;.;^-ケギ*1.ぉ4,-及びポィでソト|ぺ 

^ ゥチ H.1 と势 働^ 合と サ シヂカ リズ ム— 政治的 社會生 羲の不 ilsffl— サ 力.^ -ズ ム と無炊^主"-^^1:|靆際的指導者ト卜现-諭^指導者 —ソ, レ ^- — 

マ ^ グ ス— ケ ^ 1 ドシ— ^接 行動 1 サ ンヂ カリ. ス ムと 無政府主義 I. サ ンゲカ リズム と國 家— バ ク.' 二 ン 組!^ 的 無 政 主義 I. 社會 主義の 目的 11^ 

J€ 的 聯立 ホ; ゃ牧 —サ ンデカ リズ ムと勞 働 組合主義 —I . .W -w .—.siil 業^ 勞働 組合 及 職 築 別 勞働糾 <1 "力, づ レ ク tv チズ ム -サシ ヂカ リズ ム I 牛 產者專 

レ S i ゃヒ ひせ 、ギレ, ド社會 主義の tei 原— 英國勞 働 組合の 應 *1— 『新 糾合 主義』 ト勞働 の.;! £— 斧 働 霧. 卜- f マ ン— 『サ V チカ 

j キ ノ Isf m;t^ U ズムの 波 一一 I 中央 勞働 大舉— ザ. かド 社會- 主義の 誕尘— 「ギ, ルド 社會 主義と 國 家社會 ま義 接經 舞! 國. :£$ 主義— 消 

货者— 遗業 民主主義— サ ン ゲカサ ズム とギ, ド社 會キ ぶ戟+ 生ま 者に r つて^ 狡 取 —ギ ぶド! i 會 主義、. の- -nn 的 ト貧:銀 制 捷微魔 氺社會 主義と 賃銀 

别" 欧 1 突 本お 義 ゆ 精髄一貧乏 -奴隸 制度 II ま 雄, H: 治 論 1...^ >? お リズムの 立場 者め.: a 山 及 消 费% の. &B.,,il 鎖 統制め:. 直 味 I ギ. - ド社會 主 

乂? と SS — 勞働 組合と 國家ノ づ」 へ勞働 5^" の 起原 I ブ レン タノと ゥェ ゲン !芈 ^ ドの性 貧, !}M 業 革命 -と- 勞働 合— 各 國の赏 例— 契 

--- ギルド:^^ も義の 特質 V- 突 §t<l 口、 ョ&1, 約の も 由— 社ん I: 主義と 勞働糾 八" 主義— ォ.. 'ゥ H ン 主義 I チヤ ー チ スト— 『ナイク .ォ ゲ.. ヴ オア』 勞 

劍組合ホ義と社會.^.;義との^^.;離— 一 八 五 二 年の 職樂刖 組合主義 —勞働 組合主義の 定義! 國家 社. ^"主義 的勞働 組合主義— 職樂別 組合主義の 性質 I 

一 八ん 九: 小 新 組合. if; 義の 性質 —H 現代の 新 組 <1 口 主ン VI レ ノ 午.^ ぼへ ロシア 社會 5^ 動史— ^ヤシ ゲヰキ S 起原,! ブ レフ ァ. - フとレ ー 二 

義 1$ 架^ 糾合 主, 義の 勃興-. —その 性質. —その 現勢 j ノシュ ゥ 冲キォ U.— 三:: 叩と 九月 本命— 『人民』 口-ノスの 書物— 妥協 的 態度. I お 

^ シ ェ ゲヰキ の 本 K— 勞兵會 憲法— ト n - ンキ, の 5j かシ H ゲヰキ 論 1 レ.' 一一 ンの所論—勞働喈敏と執政權—『共產黨宜せ",^ とおか シ H ゲヰキ i 手 

段と も 質— マ i グス 主ヤ おと ャ" や シ H ゲヰキ 1^ ^ シ H ゲヰキ と 無政ノ ゆ, 乂 f £4^«へ無政.;^主義の起原—議會主義と無政府主義|暴動派と1^ 和淤 

^sl^^ ^ H. ゲヰキ とサ ンゲカ リズム— ふか シ H ゥヰキ と 國.. 豕、. ^"ま,.^, ョ. ス卜 ー マルクスと パク.'. 一一 ン— クロ; 5 ト キン の 定義— 個 

人^ 義的無 政 狩 主義— it^ 麼的無 攻^ 主義の 性質— 阁體主 と權カ I グ n ポト キン の 無 政」 肘 主義 論— 相互扶助と 共康 主義 —自由な ろ 共産主義, I 政 

所有— 共^主義と 無政府 生義— スチ ネルの 無 政: 肘 主義— 個人主義と 無 政: む 主義 




巨 



次 



□ 

画ゥヰ リア 厶* モリスの 藝術 的社會 主義 (長 篇) 室 伏 高 信 

騸メ| デ I ギルド • マン 

■I ソ レレ t fV レ. ヘサン. チカ リストの 見ン . . 匚 -r f 

■» I Ji i*v-> ,た る マヤ クス 主義 、 H ス 一丁 ィ 

■ 勞働組 A 。主義の 哲學 • .:: 森 恪 

騸剽竊 博士 田 中 萃ー郞 △ A △ 生 

■ 中世 ギ ルドと 勞働 制度 ピ イタ ァ *ク0 ポト キン 

■I •WW 主義の 研究 二) 甲 野哲ニ 

■ 編輯 室と 校正 室 園 堀江 博士 「勞傲 組合 論」 

國河上 博士 「近世 經濟 思想 史論」 ■ 勞働祖 合 運動 史 



= ギ ル ド社會 主義の 創 生に= 

室 伏 高 信 

^1 ゥェ ンと モリスと は ギルド 社會 主義の アダムと イヴと であ る。 彼れ はォ I ゥヱ ン への 復歸 を說 くと ともに ま 

た。 r 彼れ 自身のう ちに モリス を もちきた す』 こと を 求める。 S ォ ー ゥェ ン によって 敎 えられた 產業 統制の 思想と、 

モリスに よって 歌 はれた 美の 世界と は Guildism の 創 生で あり t 理想で あり、 そして 若き ギルド • マンの 感激の 二 

つの 泉で ある。 この 一 一人に ついて 知る ことなくして は ギルド 社會 主義に ついては 何 ごと も 解す ろ こと はでき ないで あ 

らう。 私 は 旣にォ ー ゥェ ン について 述べ た。 モリスの 藝術 的社會 主義に つ い て、 少しく 語る ところがなくて はなら 

ない。 

fl) Tlie Guild Kvstem will briner Aiorris intc his own. G. t>. H. cole,sell-(llcvt-nl5ent in Industry- p. に 80 

ゥヰリ アム • モォ リス Willian Aiorris の 生れた 年 は ロバ アト • ォ— ゥェ ンが 『新道 德 世界』 の 建設の ために 彼れ 

の 『內 外產業 人道 及 知識 聯合 博會』 writish and Foreign Consolidated Association of Industry. Humanity and Icnow 

ledge の 旗揚ゅ をした 年で あり、 S 英國 におけ ろ 勞働蓮 動が 正に 革命的 精祌ゅ 高調に 達して ゐた 時であった。 しかし 

彼れ が社會 主義に 目 ざめ たの は その 四十 餘 歳の 時であった。 一 八 七 七 年に 至る まで は 彼れ は 彼れ の 謂 ふところの the 



idk siliger cf ail ipy day であった ので ある。 ォ ー ゥェ ンの 少年 時代に 比べる と モリスの 少年 時代 は 幸福で あ 

つた。 ォ I ゥェン の 父が 馬具 屋 であつ. ^に對 し、 モリスの 父は繁 冒せる 株式 仲買 店の 組合員であった。 そして 早く 

から 學校敎 育 をラけ • 又 オック スフ ォ. I ド の Exeter college に學ん だ。 ォ. -ゥェ ンが 九つの 時に 丁稚奉公に 出た のに 

對し、 モリス は 二十 二 歳の 時に 建 師ス トリ I 卜の もとに 弟子 奉公に 赴いた。 丁稚奉公に その 生涯 を 初めた ォ I ゥェ 

ン はやが て 工場の 支配人と なり、 經營 者と なり、 そして 遂に 社 會主穀 の 思想に 到着した。 學校敎 育 を 了へ て 建築 師の 

門弟と なった モリス は圆. 案に. 家具の 製造に、 壁紙 ゃステ I ンド • グラス や、 其 他の 装飾品の 製造に 身を投じた。 

ォ I ゥェ ン. か-一 ュ I* ラナ ルクに または 一一 ュ 1* ハァモ ニイに 彼れ の 理想 村 を 建設した と 同じく モリス は メルトン • 

アベ ィの 附近に 彼れ の 理想の 工場 を 造った。 そして ォ ー ゥヱン が 最初に 彼れ の 謂 ふところの 三 大害惡 としての "weat 

;ng, ignorance and cn ョ ity. の 救 治の ための 宣 傅に 働いた のに 對し、 モリス は眞實 なる 藝術 のために /s:ellnscctt P1. 

dss を發 行し, また 「オック スフ ォ I ド 及び ケンブ リツ.、 チ雜 誌」 への 寄稿 を 初めと して 藝術 のために 彼れ の 生涯 中に 

おける 一 一十 年間の 生活 を捧 けたので ある。 かくして 彼れ の 前半生 は 純 粹藝術 家と しての 生涯であった。 

creamer of dreams, born cut cf ョ y due time, wily shcl 一 Id I strive t_J st-t the Crooked straight? 

モリス は 自ら 『ドリ I マァ』 であると 考 へて ゐた T 私の 仕事 は 夢の 示現で ある』 と は 彼れ の 自らい つて ゐる ところ 

である。 繰返して いへば 彼れ の 前半生 は藝 術の ために 捧 ゆられた 半生であった。 

前に も 述べた とほり 彼れ は 初め スト リ I トの 門に 修業した。 ス トリ I トは ゴシック 派の 建築 師 であった。 彼れ もま 

た その 師に 習って 建築 師 となった。 彼れ はもと より ゴ シ ックの 生れた 時代と 周 園の 諸事 情 を 異にした 彼れ の 時代に お 

いて. ゴ シックの 摸 傲に のみ 耽って ゐろ ことに 満足して ゐる こと はでき なかった。 そして その後 間もなく 彼れ は 口 セ ッ 

チを 知ろ こと >. なった。 ロセ ツチ は 『非常に 偉大なる 人物で あり 且つ 機 威 を もって 話す』 晝家 であり 詩人であった。 

その B セ ツチ は モリスに 畫 家と なること をす めた。 そして 畫家 となる の 才能の ある こと を附け 加へ た。 モリス は 

ロセ ツチの 言葉に 從 つて 檢螯の 試みに と 入 つ た。 彼れ の 筆になる CI 一 ecli () き K-V5. は 凡ての ラフ ァ ェ ル前 派の 綠 

晝 のうちで 最も 美し ものであると 稱 せられた。 しかし 彼れ は 建築 術に おいての ごとくに 繪畫 において 深い 興味 を 見出 



1. す、 J と はでき なかった。 「私 は 建築 術を捨 つる こ となく して 線盡を 試みよう とし つ あろ』 11 モ リ ス は その 書簡の 

、フ ちでから 書いた ことがある。 彼れ はロセ ツチの 言葉の ために 建築 術に 對 する 憧儇を 捨てる こと はでき なか つた。 

建築 術 は 彼れ にと つて は 常に 最も 偉大なる 藝 術であった ので ある。 『ゥヰ リア ム* モリス』 の 著者 はいふ 『われ 等 

が 装飾 術と 呼ぶ もの は 彼れ にと つて は 装飾 以上の ものであった』 と S 彼れ はァ I キ テクチ ュ ー ァ のうちに 常に 偉大な 

る藝 術を發 見して ゐ たからで ある。 彼れ はゴ シック を 愛した。 ゴ シックの 藝術 において 建築 術に 對 する 『高尙 なる 服 

從』 を發 見した からで ある" しかし ルネサ ン スの藝 術に おいて は 彼れ はゴ シックに おいての ごとき 愛着 を感 する こと 

はでき なかった。 そ は 建築 術と 獨 立す るに 至った からで ある。 e 彼れ にと つて は 室内に おける 一 つの 家具と 雖も藝 術 

の體 現で なければ ならなかった。 彼れ にと つて は 凡ての 家具 は 詩の 表現で なければ ならなかった。 『彼れ は 金持ちに よ 

つてより は 貧困 者の 狀態 によって 國 家の 繁榮 を斷々 したが ごとくに 偉大なる 繪螯 によ づ てより は 小 星 や n ッブ ゃ臺服 

. やによ つて 時代の 藝術 を判斷 した』 野の 装飾 は 粗野な 精神の 體 現であった。 粗野な 家具 は 粗野の 振舞と 同じく 彼 

れの 忍ぶ 能 はざる ところであった。 、グリム ソ ー プ卿は 彼れ を 指して マ- Kfv Upholstcrc 「であると いった ことか ある。 

グリム ソ ー プ卿は 家具に 對 する モ リ スの 態度 を 嘲笑す るた めに かく 批評した ので あつたが モリ ス は 却って この 言葉. 

を 愛して そして 正しい 批評で ある と 信じた.^ ゲ リム ソゥプ 卿と モ リ ス との 間に は かくの ごとき 相違. かあつた ので あ 

る 獨り グリム ソゥブ 卿 だけで はなしに、 この 時代に おける 商業主義に 囚 はれた 人々 は 何れも 藝 術の 價値を 解す る 

こと はでき なかった 凡ての 藝術品 は それ 等の 人々 にと つて はた > 『廣 告』 であるに 過ぎなかった ので ある, - し 

かし モリスに とって は 藝術は 最高の 寶 であった。 l)oelic Upholstcrc は 商業主義の もとに 製造され つ. - あった 凡ての 

装飾品に 對 して 人格の 粗野 Valgarity を 感んぜ ざる をえなかった。 こ 6. 心はフ ヰリ. ップ • ウェッグに よって 彼れ の 

ために てられた 家屋のう ちに 第一 の 實現を 見た。 その 家 は 赤 煉瓦と 赤 N とに よって 造られた。 林檎の 木と 櫻と は 家 

を圍繞 して 植えられた。 八月の 夜、 B した 林檎 は 窓へ と 落ちた。 薔薇の 四ッ目 棚ば 家の 兩 側に 四 邊形を 作った。 ll 

モリス は 自らの手で 室內 家具の 準備に とり か つた。 しかし 彼れ の 計 劃 は 材料 をうる、 】 との 困難の ために 進行 を妨 

ゆ ちれ ざろ ふ-えなかった。 それが^ 周 となって 彼れ は 遂に 眞實に Poetic Upho 一 stcrcr となるべき 機會に 遭遇した。 



1 八 六 一 年に おける r モリス 商會』 の 創立. かこれ である" - 口 セ ツチと バ— ン* 、、チヨ I ン ス とゥェ ッグと * そして ま ii 家 

の マドックス ,ブラウン と 並に ブ ラウ ン の友ビ イタ ァ參ホ オル • マ ー シャル と、 モリス の 友フォ I ク ナ ァ と はこの 商 

會の 組合員であった。 この 商會の 事業 は 壁の 装飾 や、 ステ— ドン • グラス や、 彫刻 や、 金 層 細工 や, 家具の 製作で あ 

つた。 そして この 商會 における モリスの 主要な 仕事 はこれ 等の 製作に ついての 設計と その 實 行の 疎隔と を 調和す る 

ことであった。 彼れ は、 彼れ の 設計が その 思 ふま、 に 遂行され なければ ならない と考 へた。 彼れ は 材料に ついての 知 

識 なくして 抽象的に 設計す る 技術 家 は 決して その 趣味 を 表現す る こと はでき ない ものであると 考 へた。 何と なれば 設 

計に おいて 眞實の 發明を 刺激す る もの は 材料に ついての 知識で あるから である。 普通の 装飾 星の 仕事に おって 考 へ ら 

れてゐ る 嗜好 は 何人の 嗜好で もない。 それ はた > ある 装飾 星が 一 般 人の 嗜好で あると 考 へ てゐる ものであるに 過ぎな 

いと。 そこで 彼れ は 彼れ 自身の 嗜好 を 考察すべき ものである となした。 そして かくする ことによって のみ 藝術家 は 初 

めて 藝術 上の 製作 を 産み出す こと. かで きる となした リ ブ 口 ックの 記る して ゐる ところに よると この 商會 における 設計 

の 大部分 は モリスの 手に よって 行 はれ、 凡ての 生產 はまた 彼れ によって 組織され 且つ 指導され た。 S しかし 「赤い 

家』 における モリスの 幸福 は永續 する こと はでき なかった 、し 彼れ はリ ュ マチスに か、 つたから である。 そして 一 八 六 

五 年に 『赤い 家』 を賫 つて ブル. I ム ス ベ リ I に 家族と 事業と を 移した。 そこでよ き 支配人 (George warrillgtsl Ta 

glor) に 援助され た モリス は 事業 上の 多忙から 彼れ を 救 ふこと.. かで きた -ピ 二) SSC Df (ulcllcvcrc: の 作者と しての モ 

リス はこ、 に 再び 詩作に と復 つた。 一 八 六 七 年に は r チヨ —ソ ンの 生と 死 J を 出版した。 そ は 『地上の バラ ダイス』 

の 一 部であった。 『地上の パラダイス』 は 一 八 七 〇 年に 完成され た。 一 八 七 一 一年に は :r」vo is c-lcl€ 一- を 書いた。 詩 

人と しての 生涯が 暫 らくつ > けられた。 モリス 商會の 解散した の は 一 八 七 四 年であった。 

(1) モリス は 一 八 三 四 年 • ロンドン に 近 ゥヮル サム ス トウに 生れ 一 八 九 六 年 十月 三日に 死んだ。 彼れ の 著書 中 主要な ろは大 

體次 の. ことくで ある。 

】. Nows frcpn Nc さ 一一 ひ rc. 

2. HCPCJS ail 《一 l-cars of ン rt. 

f 3. A L>rciuii cf Jclln.Ball. 



G 



^ Art and socialism. 

^. Signs of cllanTOe* 

ひ. Useful Work versus Useless Toil. 

7. Arcllil^cture, Indllstl^ all(l wealth. 

8. ゾ oc 一 alisnijts Growth and outcome, 

{2.)cllltton Hroclc, WilHani ヒ orri 力, p. ム 9 

u,)it>i<l, p. 51 

(5.)ibid., pp- ま- 7. 

モリス は 初めは 政治 や 社會前 題に 興味 を もつ ことが できなかった。 S そして 彼れ の 前半生 は 詩 や 建築 術 や 鎗畫の 

ために 捧 けられた ので ある。 しかし 彼れ は 決し CP セ ツチの ごとくに 藝 術の 孤 獨的實 在 を 信ん じて ゐ たので はな かつ 

た。 P セ ツチに おいて は藝 術と は藝術 家の 特種の 感情の 表現であった。 彼れ において は 辖鲞の ごとき 孤 獨な藝 術に お 

いて 最も 深く 且つ 最も 完全な ものが 發 見せられる ものであると 信じて ゐた。 モリス は ロセ ツチから 大 なる 影響 をラ 

けた。 しかし 彼れ は セ ツチに 满 足して ゐる こと はでき なかった。 『私 は それ を 越えた。 私 は できるだけ ガブリエル 

を眞 似たい と 思って ゐる j —— モリス は その 友の バ ーン* . 、チヨ ー ン ス にこう 告げた ことがある. - 彼れ は藝 術の 社會的 

孤立 性 を 信じなかった。 彼れ は藝 術と 社會, が 深い 關係を もって ro. る ものである ことに 注意 を拂 つた。 镩 全なる 社會 

において こそ 藝 術の 發 達の 存在す る ものであると は 彼れ の 確信す ると ころであった。 彼れ にと つて は藝術 もまた 社會 

的 事業の 一 つであった ので ある 。『ゥ ヰ リア ム* モリス』 の 著者 はこの 點 について 次のように 述べて ゐる。 

r 哲舉者 は 各 時代の 藝術を 語って ゐる。 しかし 彼等 は それ を 他の 活動から 孤立せ しめた。 ラスキンと モリスと は 寧ろ 

藝 術と 他の 活動との 關係を 期待した。 そして 藝術を 生んだ 社 會の全 精神との 關係を 期待した J S 

モリス は ラスキンから 糞き もの を舉ん だ。 ラスキンが、 藝 術の 製作の 批評から 社會の 批評に と鸫 じた ごとくに、 モ 



リ ス は 術の 製作から 社 會の再 造に と轉 じた。 マ ッ ケ ー ルの いって ゐる とほり 彼れ は その 驚く ベ き 才能 を 傾けて 人類 

文明 生活の 再 造に と捧 ゆるに 至った ので ある。 j モリスの 謂 ふところの idle singer はかくして 社會 主義の 生涯へ 

と 入った 

广 1) telock, op. cir p. 

广 2) it-id, p ひ 2 

ん 

モリス が 初めて 公衆の 前に 立つ 、 〕 と 、 なった の は 彼れ が 藝術を 愛護す るの 動機 かちであった。 一 八 七 六 年に リ ッ 

チ フヰ I ルドの 伽籃 とそして ケ ル ムスコ ットに 近い 美しい 村バ ァ フォ— ド の敎會 との 一 修復 は藝 術の 愛護 者と しての 

モリスの 心 を 刺激し ないで はゐ なかった。 一八 七 七 年に なって また、 チュウ ケスべ リイ 寺院が 修復の 脅威 をラ けつ 

、ある ことが 傳 へられた。 モリス はこれ を 聞いて Athcna2 一ョ への 書簡 を 書いた。 そして 凡ての 修復に 反對 して 古 

るき 紀念物 を 支持す るた めに 集會が 催されなくて はならない こと を說 いた。 彼れ にと つて 古る き 建築 は 『敎 會の玩 

具 J ではなく して 『國 民の 成長と 希望との 神聖なる 紀 念嗒』 であった からで ある。 この 書簡が 發 表されてから 一 ヶ月 

ばかり 後に 「古代 建築物 保護 協 會』. か組截 された。 モリス 自ら その セク レタ リイと なった。 この 事業の ために モリ 

スの 後半生 は少 からぬ 割愛 を餘 儀な くされた J かくして モリス は i<lle si 一一 Kc「 の 境から 越えた。 また これと ともに 

彼れ をして 公衆と 接觸 せし むる に 至った 他の 一 つの 動機が あ つ た。 土 其 古の ブルガリア 人 虐殺 問題が これで ある。 

英國の 保守 黨 内閣 は ロシアに 反對 して 土 其 古の 暴虐に 組した。 自由 を 愛する 人々 は、 攻府 のこの 態度に 憤 痛の 心 を 起 

さない わけに は ゆかなかった。 モリス もまた その 一人であった。 そして r 東方 問題 協會』 が 組織され た 時に モリス は 

その 會計官 となった。 一 八 七 七 年に ロシアが いよく 土 其 古に 宣戦 を 布告した 時に モリス は英國 の勞働 者に 告ゅ てい 

ふた。 

r われ 等 を 戰爭に 導きつ. - ある もの は 何人で あるか? 株式取引所 における 貪慾の 睹馎者 • 陸海 軍の 慢な 士官 (憐 



8 



れな 奴等!)、 俱樂 部の 疲廢 せる 嘲弄 者、 戰爭 によって 何もの も 失 ふことの なく 朝 < ^の 愉快な 卓子の ために 戰爭の 報 

導 を 刺激す る 失望 的な 御用商人、 そして 最後に、 ト ー リ ー の 國會』 

モリスに とって は、 東方 問題 は單 なる 外交 上の 一 問題ではなかった。 彼れ はもつ と 深いと ころに 社會の 疾患 を 見た。 

富者の 階級が 自由と 進歩と に對 して 痛ましい 憎惡 者で ある こと は モリスの 夙に 觀 取して ゐた ところであった。 また 從 

つて 彼れ にと つて は 東方 問題 はこの 社會的 疾患の 症徵 であった。 彼れ は 中等 階級に 生れた。 したし B. 等 階級の 希望 も 

恐怖 も繁榮 の考へ も、 その 價値斷 も、 モリスの 心の ラ ちに 殘 されて はゐ なかった。 彼れ は勞働 者であった。 勞働 者で 

ある こと は 彼れ にと つて は大 擧敎授 である ことよりも 樂し いこと であった。 

1 八 八 一 年に 至る まで は モリス は 自由 黨員 であった。 彼れ は 『國民 自由 同盟』 の 會計官 であ つ た。 しかし モリス 

は、 自由主義者 とともに ゆく ことので きない 約束の もとに 置かれて ゐた。 自由 黨か 政權 をえ た 時に この 自由の 標榜 者 

は, 自由の 憎惡 者で ある こと を證據 立てた。 愛蘭 强制 法の 通過が これで ある。 『國民 自由 同盟』 は 消 威した。 モリス は 

最早 や 彼れ 等の 攻 治に 耐 へ る こと はでき なくなった T 私 は 寧ろ 失望の 心持ち だ』 —— 失望の モリス は その 失望の 5 ち 

に、 彼れ の 謂 ふところの r 憎むべき ものと 愛する もの』 と を 知った。 そして それが 『偶然 的の 事件』 でない こと を 知 

つた。 , 3 の 愛と 僧惡 と、 J そ モリス の 將來を 貫いた 信仰の 基礎であった- sr 私 は 寧ろ 失望の 心持ち だ』 といった モリス 

はやが て 次のように 彼れ の 心の 傾向 を 語った 『私の 心 は 偉大なる 變 化に 満たされて ゐる J と。 『偉大なる 變化』 は 遂に 

彼れ を 怖え た。 社會 問題 は 彼れ に 面する 最大の 問題と なった, そして 『彼 わ 自身み 喜ばす ほか 何等の 目的に も 奉仕す 

る ことのない 仕事』 は、 詩 も藝術 も、 彼れ にと つて は 『盗める 快樂』 となった。 

社會 問題に ついて 考へ 初めた モリス は先づ 急進主義と 社會 主義との 區別を 明確 に畫 いた。 彼れ は 最早 ゃ單 なる 急 

進 主義者と して 満足す る ことかで き なくなった。 彼れ 忍へ らく 急進主義と はた T 政治の 機械で あると。 かくして 彼れ 

は 急進主義 l<adicalisl-l から 革命的 社會 主義 Kovoluticnary sccialisnl へと 移った。 彼れ は經 濟的變 化の 必要に 氣 付い 

た。 そして ブル ジ ョ ァ によっての 經濟的 權カを 打破す るので なくして は眞の 自由 は 存在し えない もので あ ると 考へ 

た。 .一 八 八 三年に 彼れ は t 民主主義 聯合』 JJiccratic R-dtTaticll の會 員と なった o 『民主主義 聯合」 は 一 八 八 四 年に 



r 社會 民主主義 聯合』 Social cemocratie Fedcl.alicll に變 じた。 ハインド マ ン はこの 同盟の 創立者で あり、 また 最も 

有力な 指導者であった。 ハインド マ ン は英國 におけ ろ 代表的の マ ルキ ストで ある。 彼れ は 一 八 八 三年に 彼. れの 『社會 

ぉ義の 歴史的 基礎 J を 書いた。 彼れ の 期す ると ころ は 民主主義 聯合 !- そして 社會 民主主義 聯合 を マルクス主義の 圑 

體 とする ことであった。 モリス もまた マ ルクス 舉の 研究に 入た。 しかし マ ルクスの 經濟學 は 彼れ にと つて は 『頭腦 の 

混亂』 の 苦しみ を與 へたに 過ぎなかった。 彼れ は 決して マ ルクス 主義者で はない C マ ルキ シアン • オル ソ ドック スは 

モリスの 藝術的 精 紳の耐 ゆると ころではなかった ので ある。 彼れ はかくして ハイ ンド マ ンの 代表的 敵對 者と なった。 

.J^ れは. 一 八 八 四 年 八月に 次のように 書いた。 『實 際に それ は 彼れ (ハンド マ ン;) と 私との 爭 ひとな つた』 と。 

ハインドマン は社會 民主主義 聯合 を もって マ ル クス 主義の 圑體 たらしめ ようとした とともに また これ を もって 政治 

的圍體 としょう とした。 モリス は單 なる プ 口 パ ガ ン ダ の圑體 として 以上に 出つ る こと を 欲しなかった。 かくして この 

園體は ハインド マ ン黨と モリス, M との 一 一つに 分裂すべき 運命の もとに 飜 弄されて ゐ たので ある。 一 八 八 四 年 十一 一 月 四 

時間 半の 對 論の 後に モリス 及び 彼れ の 一 派 11 多数派で あつ 4! 11 は 遂に 社會 民主主義 聯合 を 去って 新ら たに 「社 會 

主義者 同盟』 Socialist League: を 組 織 する ことと な つ た。 一 「コ ン モ ンゥ ヰ— ル J S は その 機 11 であった。 モォ リス は 

『コ ム モ ンゥヰ ー ル』 の 主 笨と爲 り また 『社會 主義者 同盟』 の會計 係であった。 しかし 『社 會 主義者 同盟』 もまた そ 

の內 部の 不一致に おいて 『社會 民主主義 聯合』 と異 ると ころはなかった: そ は 各種の 異分子の 集合 體 であった。 急進 

勞働 者俱樂 部の 會員も あり、 國際社 會黨の 會員も あり、 ォ I ゥヱ ン派ゃ チヤ I チ スト 派の 殘黨 さへ も 加 はって ゐ た。 

ミス • メイ • モリス の 記る して ゐる ところに よれば 外國の 間牒さ へ も 加 はって ゐ たので ある。 

社會 主義者 同盟のう ちに おける 爭 ひの 中心 點 は議會 主義と =i ^議會 主義と であった。 そして そ はまた コ レ クチ ヴヰス 

卜と アナ ー キ ストと. の爭 ひであった。 モリス は その 何れの 《:ri 派に も Ilf して はゐ なかった。 彼れ は兩 派の 調停に 力 を 致 

した。 『そこに は實 際に 無 攻麻主 薪 者で なくして 無政府 主 殺 者の 側に 加 はる 多くの 人達 かあつた。 …… そして 私 は 一 1 一 

の獨 逸人 等 を 除く 時 はわれ 等のう ちに 一 人の 無攻府 主義者 もない かと 甲; -ふ oj 11 こ 5 咨 いて ゐる モリス はまた コ レク 

タ チ. ゥヰ ストに 對 しても 何等の 同感つ ももって はゐ なかった。 そ は. モ リ ス にと つて は社會 主義の 原理に ついて 深き 理鮮 



: がー に缺 けた 『銜舉 的 部分』 であるに 過ぎなかった ので ある。 一 八 八 八 年 モリスが ブル ウス • ダレ ー シェルに 宛て 書簡 は 

よく 彼れ の 立場 を 明らかにして ゐる 

「第 一 に 如何なる 事愦 においても 私 は 積極的の 宣傳を 捨てないで あらう。 第 1 1 に 私 はこの 同盟 を 一 致せし める ことに 

あらゆる 努力 を 費す であらう。 第三に われ 等 は 議會を 敵の 代表者と して 取扱 ふで あら 5。 第 四に われ 等 は ある 一 定 

の 目的の ために 議會に 叛逆 者と して 會員を 送る こと を餘 儀な くされる かも 知れない。 第五に 如何なる 事情の もとに 

おいても 彼等の 政治の 遂行 を 援助し ない。 第 六に われ 等 は 議會を 通しての 姑息の 手段 を 進めないで あらう。 …… 

しかし 議會 派と 無政府主義者との 爭ひは 極點に 達した。 議會派 は 遂に この 同盟 を脫 退した。 そして モリス は 一 人 無 

攻府 主義者の 間に 殘 された。 『われ 等の 間にお ける 無政府主義者 は 事物 を最 極に 驅 り, そして われ 等が 無攻府 主義の 宣 

告を存 すに あら ざれば われ 等 を 分裂させる こと を 決心した よ 5 に 見え る J I モリス は, J う 書いて ゐ る。 

1 八 九 〇 年、 モリス は 『コム モ ンゥ ヰ— ル』 の 主幹の 地位から 逐 はれ、 そして また 無政府主義者 のために 『社會 主 

義者 同盟』 から 除名 せられた。 しかし モリスの 社會 主義 宣俥は 彼れ の 死の 五 年 前まで 續 けられた。 社會 主義者 同盟 か 

ら追 はれた モリス は その 同志と ともに 『ハム マァス ミス 社會 主義者 協會』 Ha ョ mcrsiiiith socialist Society を 組織 

した。 そして 每 日曜に ケルム コット 家の、 甞 つて 庭であった 講 室で、 社會 主義の 講演 をつ > けた。 デョ ン *バ1 ンス 

&-、 バ アナ アド • ショウ や ハル デ I ン唧 や、 シド ニイ • ゥェヴ や、 ゥォ ー タ アクレ— ン なぞ は その 講演者であった。 

マ * フェス fci- 

1 八 九 三年、 に社會 民主主義 聯合と、 フヱ —ブァ ン協會 と、 ハム マァス ミス 社會 主義者 同盟との 間に 宣言 を發 する 

ための 聯合 委員が 組織され た。 モリス は その 草案の 筆者であった。 しかし モリスの 社會 主義 は ハインドマン 及び ショ 

ゥの それと 一 致す る こと はでき なかった。 社會 主義者と しての モリスの 活動 はこの 聯合の 失敗と ともに 重き 病の ため 

に 終り を告 ゆた 

(1) Brock, op. cit., づ. H3 

(2) 、rhe Qormho ョ veal のうちで モォ リス は 多くの 優れた 詩 發 表した。 

MesHage of the march wi 一 id 



Pilp;r 一 i of Hojpo 

なぞ は それで ある o 

また News fromJPNOWhere 最初 『モム モン タヰ ー か』 に 現 はれた ものである。 「づ > く」 



次 號豫告 



フヱ— ビアン 社會 主義 

モリスの 藝術 的社會 主義 3, 



室 伏 高 信 



米國新 組合主義の 成立 甲 野哲ニ 



リイ ブク ネヒ トの思 出 

命メ ,ディが さた。 若き 日本の 勞働 運動 

もまた、/ の 日,^ 紀念 する であ-らう。 彼等の 

う へ に 祝福 あれ 11 われ 等 はかく 祈らざる 

ふえない であらう 

令メ ,ディ、、 そわれ 等 勞働者 感激 させ 

る 1 年のう ちの 唯 一 の 1 日で ある。 私 はこ 

ぅ考 へ る 度 一 IL" - プ クネヒトの、 、と 思 ひ 

浮べない わけに は ゆかない ので ある。 

♦ 世界 大戰は 一 人の 偉大なる 社會 主義者 

の 血 祭 LL よつ \^ 初められた。 そして 二人の 

勇敢なる 社會 主義者の 横死 Li つ て終リ 

告げた。 國際 社會黨 はかくして 世界 大戰に 

i つて 三人の 社會 主義 1^ 失った ので ある。 

r ゲ ヨウ レス、 》 ,プ クネヒト、 口.' ザ. 

^クゼ ンプ夕 t の 横死が、/ れ である。 I 

その後 ハ, せ も 逝いた。 

♦ 1 九 1 六 年の メ ー デイに おいて > あった 

堕落した 獨 逸の 社會 主義が カイせ か 政府の 

支持者と なって しまつ, ^ 中に、 そして 大戰 



の慘 たる 進行のう ち-し、 獨 逸の 不幸な ろ勞 

慟者 は、 一人の 勇氣 ある 社會 主義の 指 尊者 

y ^見出した。 力! . リ-ァ クネヒトが こ 

れ であった。 

♦ 『貧困と 不幸、 缺乏と 飢餓 は、 獨逸、 ^ 

,ランド、 白 耳義、 及び セ巾 ビア, ^支配し 

つ 、ある。 —— その 國の 血.?^、 軍國 主義の 

吸血. がす、 リっ 、ある。 そして その 國は 

廣大な 共同墓地に 似た 國 で-ある』 .11 VI 

プグネ t トは その 勞働 日の 宣言の 冒頭で、、 

う 述べて ゐ るので ある。 

♦ 『:: 戰爭 の資任 者.^ 仆ぜ! われ 等の 

敵 は英國 民で も 佛蘭西 人民で も 口 シ ァ 人 R 

でもない、 獨 逸の 大地 主で ある、 獨 逸の 资 

本家で ある、 そして 彼せ t の 行政 \i ^ス员 <1" であ 

る』 マ -ーフ H スト ゥは檨 いて、、、 つ 書か 

れてゐ る。 

♦ "I プグネ t トは、 、の 口 また 群衆の 間 

に 立って 有名な 『勞働 日の 演說』 1^ 試みた。 

彼れ の演 說は大 なる 暍釆 もって 迎えられ 

たこと は 勿論で あろ。 "—プグネ匕,^萬歳 

の聲は 演說の 一句 毎に 聞え てきた。 

♦ ";プ クネヒトの 立って ゐた周 園 は、 男 

と 女と、 人波で 蔽 はれて ゐた。 演說の 終つ 

た 時 は、 海 嘯の ごとく _」、 人波が 周圜: JL 1 



火 動 搖.^ 抱き起した。 リ,プグネヒトは實 

に 戰爭 Li 疲廢乜 る 獨逸勞 働 者の 救世主と し 

て 迎えられた のであった。 

奢 その 夜であった。 ",プ クネヒト は 捕 

へられた。 そして 何度 目 かの 冷たい 牢 猿 の 

生活 Li と 入った ので ある。 

♦ 思へば リ. -プ クネヒトの 公生涯 は 血に 

始まって 血 LL 終った。 彼れ が 始めて 獨逸靑 

年に 與 へ た軍國 主義に つ いての 講演 は 彼れ 

Li 二 年の 懲役 1^ もって 削いた。 メ, '一. アイの 

演說 もまた 彼れ Li 懲役 1^ もって 酬ゐ た。 そ 

して I お 後 に? プ グネ t トは 彼れ の 古る さ 

友と しての シャイ デ マ ン 政府の ために 横死 

♦ 痛ましい 樣牲 者で ある。 彼れ は 逝いた 

そして、 彼れ のス パ 々タキ ズム が殘 つた。 

しかし ス パ か タキ ズム は 亡びても リ 1 プグ 

ネ t トは 歴史に 忘れろ、、 とので きない 一人 

となろ であらう。 われ 等はス パ^タ キズム 

の 讃美 者で はない。 た 5- 犠牲的 精神 こそ 凡 

C の 信仰の 人が 讃美 L1 價 ひする。 

♦ 自己 橇牲、 、そ 最大の 藝術 である! 

(ギルド. マン) 



剽竊 博士 田中萃 一 郧 



□ 

慶應義塾 敎 投法學 博士 田中萃 一郎と いふ 

大 先生に 普通選^- 讨早 論で 大分 名聲. ^博し 

おが その 田 中 君が 大阪每 日 新 間で 發 表した 

『民主的 產^ 制』 とい ふ 一文 LL 至 つて は更 

に大 Li 同お の 名聲^ 高める 値打ちの あろ も 

の だ。 、、の 『民主的 產業 制』 とい ふ 論文 は 

無 翁 E 中お の 署名で そのうへ 法學 博士と 銘 

打って ぁリ、 大阪 毎日の 四月 十二 日號 ら 

述 載され たもの だ。 

僕.^ 誤解し ち あ 困る、 僕 は 田 中 君の、、 の 

論文 攻 マる 考へ はない よ" なぜって? 

君 は マ 口- ソク とい ふ 人の The Limits of 

Pure Democracy, by W. H. Mallock 

と いふ 本 ん だ、、 とが あるか、 いや 例の 

マ 口 クタ か、 あの 事なら 「批評し の 第二 號 

1 の 新著 批 i ^欄に あつたよ うに 思 ふが II 君 



厶 

は それだけ しか 思 ひ 浮べない か、 いや 待つ 

て くれた まへ、 そうく 北哈吉 君の 『杜會 

主義 檢討』 の 種本が マ n クタと い ふ 先生 の 

じあな か つれ かね、 それく、 詳しい、、 

と は 河 上 iSff と 山川 均が 知って ゐる害 だ、 ナ 

ァ 一 1 あの 本なら 五十 錢で 買へ るから 丸 善へ 

行きた まへ、 序に 少し 値段に 高い が 『ヒ ュ 

1 ァ. リミ クト』 の 方 も 3风 つて 兑 たまへ、 そ 

して lioolc II. D2nocrlcy an 二 1 eclhcal 

で rodnction とい ふ 所, ^讚んで 見た まへ。 

あんな 下らぬ 男の 本 Li 金 出す の はい や 

だよ、 もの 男 はなんでも 】 ムニ lc「 of Soci 

alis ョ とかい はれて 大分 馬鹿 Li された 男、 

日本 だと 誰れ かな あ、 11 分って ゐる じあ 

ないか、 虔應 義塾 敎校 田中萃 一 郎と いふ、 

『普通選^の 殺戮 者』 がそれ だよ、 

.^ij:- してや- Q-r 大阪 # 日も^ してやる、 

^こ るんで 豆で も 食べな がら^んで 見た ま 



<- △ 生 

へ、 但し 大阪每 H の 方 は 珍品 だから 直ぐ 返 

して くれ 何んで. 森戶 君の 例の クロ > - 

ト キンの 載って ゐる 「1^ 濟學 研究」 は 1 册 

五圓位 ひする そうだ • 大阪锊 日 も 田 中 君の 

名論で 一 枚 一 圓位 はする i うになら うよ、 

だから あれ は 僕に は 大切な 私有 財產 だよ、 

ナー 1、 私有 財產 がどう だって、 僕 か、 僕 は 

私有 財產 Li は 反對, J ない よ —— 『國 家の 基 

礎』 . ^尊重す るから 

コ 

これ だけ 話し ズも まだ 分らない か 11 つ 

まリ話 は、 、うたよ、 あれ,^ 讀んで 見る とだ 

笫 一 マ 口- ンク の說が 分る i、 そうだ • 本の 

方は橫 文字で 面倒 だから 『毎日 j| の 方, <^fss 

みたまへ、 これ だけ 話したら 君の ような 頭 

の惡 いやつ LL も つたら う、 まだ 分らな 

い?、 困った な も、 僕 は 人の 惡 ロは娥 ひだ 

から、 —— だって 親友;! > あない か、 说友 だ 



つてい かんがれ しかたが ないから 君の 勉强 

になる ぶう に 筋;,: け 話そう か、 そうすると 

だれ、 第二の 福音が あるよ ノノ マ リ 博士と い 

ふ- 1 のが どんな もんかと いふ ことが た わ、 

君にぁとてt第三の福音ま;^^ぁ分るまぃ、 

I 博士で さ へ この 通り だから 普通 選舉は 

^早に 違 ひない とい ふこと さ、 そこで たれ 

あの 翁 文 は 『普通 選舉尙 早』 の 紫 物敎育 

する. ためだよ- 分つ" i4 か? 

狐に つままれた ぶう だな あ、 勿體 ぶら な 

ら ないで 早く 話して くれよ、 君 も 友達甲斐 

がな いれ、 さう あせるな よ。 

い. -か、 マロ- ンクは 第 一 章 『產 業の 定義』 

の 冒頭で こう 書いて ゐる よ、 

、Jtl ひ idea of extending tllrt apl)licat.lon 

of the Democratic principle bevcnd 

Uic scct>c ct sucli govrtrllment as is 

cclnlllonly called political is itself no 

ncvelty —— 分った か 分ったら、 今度 は 田 

中 君の 方 1^ 請め よ •『 產集的 民主 制』 第 一 章 

『產粱 と は 何ん ぞゃ』 でこう 書いて ゐ るよ 

11 『民主主義 1^ 政治の 範園 以外に 適用し 

ようとい ふ 思想 そめもの は敢 新奇の 事で 

はない』 —— 君 それ は飆譯 かれ、 いや 遠 ふ 



it 法學 博士 田中萃 一郎』 と 書いて.^ ろと 

、/ろが 見えない かね、 ゥム 成程、 よく 似て 

ゐる れ、 その._!^^,^見乜てくれなぃか、 直ぐ 

その 次^ か、 今度 は 田 中 君の 方から 讀んで 

見よう、 い、 か I . 『旣に 希 腿の ァ" スト 

ファネ スの 戯曲の 中 ll も 今日の 社會 主義者 

の 大道 演說 その ま、 の演 說が载 せて あろ』 

そこで マ 口- ンクの 方が、 The Spcacli 

es which Anslphanes iii 一一 is i 匕 ay, 

women iii l}arllanu-nt, puts imc the 

30c^~^ ot his agitalcrs ョ ale and fc ョ 

ale correspond almost wcrcl for wclcl 

wliicli counUess actual spec cli ひ s whic 

h arc made CP socialist platforms and 

street ccrners Ic-day マロ クク とい 

ふやつ は、 日本語が 讀め ると 見え るれ どう 

t<? 田 中のに そつく リ じあない か 君 は 

甘い こと,^ いふね、 それ じあ 今度 は、 マロ 

タクの 方から 先き に饋 もうか、 Til is ide 

a, howrtvrtr in the forms with vvliich 

the world is now familiar is (listinctiv 

ely mcd^rn in rcs-ect oi its theoretic 

al details, aud also of , the exttiit to 

whiqh it lias beccnle l- tvalent 1. 1 そ 

こで-田 中 君の も讃 まなく ちな らんが、 H 、 



と, 『併し 目下 世上に 主張 せらる V 民主 主 

我の 攄 張ば その 理論 Li 於て 將又た その 範圉 

に 於て 全 然近, 代 的で あ つて 卽ち產 業 上の 民 

主 主義 若しくは 社會 上の 民主主義が 唱導 さ 

れてゐ るからで あろ』 11 少し 建 ふ. ゼ * 

梁 的 民主主義 とか 社會的 民主主義と かいふ 

ところが マ 口 ククに はない じあない か、 め 

、さう く、 いやあった 直ぐ その 次:. -P 

にある r<、 Democracy to-day, iii the 

PKtenclcd sense of the world, is as 

we liave seen already, ccnlmollly clesc 

nbed as Industrial Democracv, or so 

cial. 成程 ネ、 マロ クタの 方が くどい 

れ、 文章が 二つ LL 切れて ゐ るれ、 田 中 君 は 

そいつ ^ 1 つに したね、 ク マ リ 綜合 だ、 し 

ズ見 ると 田 中 君の 方が 學者 的と いふ もの;.: 

らう、 ゥム、 君 はうまい こと 1^ いふな あ、 そ 

の. l^i_r 、が These t\v こ cplthc-ts a 一- c cucll 

used iiitercliaiigcably が マ n- ンク だ、 『而 

して 産業 的と 云 ふ 形容詞と 社會 的と 云 ふ 形 

容詞と は 数々 混用され てゐ る』 これが 田 中 

君 だ 11 成る 程、 博士 なんても の はえら い 

もん だれ、 言 ふこと がみん な 似て ゐる、 や 

つば リ 偉い人 は 誰れ も 同じ、、 と 考 へて ゐ 

ると 見え るれ、 -ソ マ, 僕 も 『拜 啓の ぶれば J, 



と 書く • 君 も 『拜 啓の ぶ G;T』 と 書く ぶう 

な もんかれ、 

もう 君 面倒 だから 人間の 名前 だけで も 見 

弋 ゆかう か、 マロック はゥ H クゲ のこと *^ 

いって ゐ ろれ, それから 直ぐ ミ^と いふ 名 

が あるれ、 また ゥ H クゲ あろ、 ミヤが 二つ 

ある、 田 中 君 はどう か、 ゥム、 同じ だぶ、 

數 まで、 そいつ は 面白 いれ、 みんな 讀んで 

見 ようか、 や あく、 全文 同じ だよ、 『英雄 

英堆の 心 知る』 か 

今度 は 第二 皐 _レ 移らう、 B 中 *q の 方 は * 

『マヤ クスの 主張』 マ ロクグ は 『純正 民主 

的產 業』 だ、 @は 違 ふじ あない か、 しかし 

マロ クク の 書き出し は what, acct>rdi=!? 

to current concepiions . と あるよ E 

中 君の 方 は 『昨今 流行の 學說 で::』 11 ゥ 

ム、 矢張り 同じ だな、 だが 待って くれぶ、 

マロ- ソグの 本 は 二 年 前 L1 出た よ、 田 中の 方 

はこの 四月 だよ 、『昨今』 ? おかし いれ、 

1 1 年 前の 英國で 流行した ことが 今年 日本で 

『流行』 すろ かれ、 日本 は 後れて ゐ るれ、 

しかし 二 年し か 後れて ゐな いとすれば 安心 

I だと はい へ r* うじ あない か、 また ゥ H- ソゲ 



の 事が あろれ、 どっちに も、 そいつ あ 面. 闩 

い 、みんな 讀 もうぶ, マロ クタの は 長い 長 

い、 田 中の はどう だ? 一番 終リ のと、、 ろ 

1 ^見た まえ、 違 ふ? 變 だな 英雄 どうして 

も 違 ふと- 、るが あるから え 分った 分 

つた 田 中の は 二 章に なって ゐる r*、 博士 だ 

から 分析 もや るんだ、 『マ か クス是 弗』 とい 

ふの が 三 章 L1 なって ゐる i、 そいつの 終リ 

が マ 口 - ソグ のと 同じ;,:、 そうか、 それ じあ 勇 

氣 1^ 出して みんな 讀 むかな、 しと ェ 、ゥ 

クゲが 出て きたな、 マルクスが 出て きた 

なゥム く、 みんな 同じた。 、、いつみ 流石 

の 僕 も 驚いた!。. 

「一 

今 "おは 笫三章 (田 中お の 方ば 笫四 章) の 

番だ、 マ 口 クグは 、rlK- sn ニニ -」 f ヨ odern 

progress とい ふ 題 だ • H 中 君 は 『近代 棄 

業の 眞因 ,11 で 一 「マル グス は 近代 產 業の 偉大 

な 生産力 は 第一 :••』 とい ふせ a き 出し だ、 

堂々 たろ もんだ、 マロ- ングは ど、 つ 書き出し 

て ゐるカ 之? 】、et us sllmllKlrlsL- ーヒ 1<. つ 

aTCai 二 the ひ xljlasation which Nhux y:i 

vejs oi th ひ vast productive lK)\vers nf 

industry in themoderii world と ある i 

それから firally と ある、 四 行 飛んで、 



ま snjly とぁリ 、また 四 行 飛んで、 thirdly 

ともろ、 田 中 か、 矢張り 第一、 第二、 第三 

だれ、 ハ ー バ. 'ト • ス ベン サァ のこと から 

何から 遂 一 同じ だね。 

もう 君.. < そう.. 4、 どっち か 一 方 だけ 讀も 

う... 4、 どうぜ みんな 同じ;^ あない か、 マロ 

クグの 本ば 君に 返す よ、 僕 は 日本語で 讀ん 

だ 方が 樂 だから 

僕 もよ そう、 米の 高い のに、 それ L1 陽氣 

- 暖かに なって さたから 裏 着 はやめ/ \、 

だが 君 何 か 感想 はない か、 君の ような 議論 

家 L: 何 か 名 諭が 出ない!^ ばな からう、 え? 

ない、 駄目 だな あ、 僕 は 西洋 Ji 霄 はやめる 

考 へだ。 なビ つて? 日本の 學者 だって 西 

洋の學 者と 同じ、、 と^い つて ゐ るから さ、 

河 上 筆なん ていふ 人 は 馬鹿 だれ、 西洋人、 

— マ 4 グス II の 一?^ の 紹介に かりして、 

少し 田 中 君の 眞 で,. - したら い ち あない 

か、 僕に、、 う 思 ふよ * そうか、 俊 は 何ん に 

も說 はない、 鳴 呼々々、 僕の 弟 は 慶應へ 入 

つて ゐ るが, う 僕 は 止め させろ -<、 『英 

雄』 にで-,. - なられろ と 恐ろしい から。 



編輯 室と 校正 室 

♦ 言論の 不自由で は 界で 日本が 第 一 、 

それで 見ても 日本の 政治家が 馬鹿々々 しい 

ほど 時^ 後れで わる か i ^分る。 

♦ 彼等 は 一 寸し たこと いふと 『國 家の 

墓 礎』 がどうの: うのと • いふ: と は K 抵 

相場が さまって ゐ るが 言論,.^ 自由にして 漬 

れた國 は 世界の どこに もない. I して 見る 

と 日^の 『國 家の 基礎』 は 世界で 一 番 薄弱 

だとい ふ: とになる わけ だ、 敢て問 ふが ほ 

ん とうに 思って ゐ なさる か、 老朽の 政治家 

諸君 逮。 

♦ 森戶 1};- の 『クロポトキンの 社會 思想の 

研究』 程度の ものが 國 家の 墓 礎.^ 危うくす 

るんだ からた まった もの じあない、 支那々 

々といって 馬鹿にする ほど 自分の 國のク マ 

ラ ナサの 分らない、 先生 建 11 こうした、 

cha- 一 viliiBt が 所謂 愛國 者で 『國 家の 基礎』 

ばか リ 心配して.^ る 御 連中 だが 11 もちと 

支 郡の 雜誌 でも 該;^ ら よから う。 

♦ 西洋の、、 と 1^ いふと 西洋 かぶれ だと か 

何とい はなくて は 自分の 無智の 手前 氣のひ 

ける 餌國 愛の 先生方 はマァ その の 支那の 

雜;! S? でもお 讀 みに なつ おら どうか。 韓退之 



の 泣 男 だけが 支 郡 人で も あるまい じあない 

か 

♦ 森戶 君の 『クロポトキンの 社會 思想の 

研究』 にしても 支那の 『逮 設』 LL は 千樹德 

とい ふ 人 Li 全文が 飜譯 されて ゐ るが^に 懲 

役に も やられて はゐ ないよう だ クロ ポト 

キンの 『國家 論』 なぞ も 『星 期 評論』 に は 

全文が 出て ゐ るが 譯者 はや はり 建 者で ある 

♦ もうこう なって 來 ると 支 郡の 方が 餘程 

先進 國 だ。 日本からどし-^.\.留學生1せ出し 

たらよ からう. 頭の 古る い 政治 {. ^さん 

逢 は どうぜ 西洋の 方 は 分ろ まいから 支那 あ 

たりへ 洋行したら 如何 か、 漢文 だけ は 分ら 

うから、 尤も 時文に 分り-..^ しまいが 

♦ 總選舉 なぞ は どっちが 勝って)^ い い f* 

岩 崎の 婿が 勝って 古川の 番頭が 勝っても わ 

れ くと 何ん にも 交涉 はない じあな い か。 

♦ 『耳學 問』 と い ふ 言葉 1^ ちょいく 聞く 

あの 男 か, - あれ は 『耳學 問』 だ i とい ふよ 

うな,, と.^ 11 誰れ のこと かと 思ったら 何 

ん でも 相當に 名前の 知れた 雜文 家の、 - とだ 

どうした わけ かと 聞く と、 何んでも この 先 

生 は 講演 會 へ 始終 出かけて いって ノ ,ト に 

とっても それ Ic^ 直ぐに 原稿に して 寶リ つけ 



るの だそう だ • 名前 は クマラ ナイから 預か 

つて 置く よ、 その 先生 は 他人の、、 とと. r 、た 

ら惡 口に かり 書く 人 だが * そして 面と 向 ふ 

とお 世辭 ばかりい つて ゐ るの だが、 

♦ 左 へ! 左へ! 左 へ 急ぐ 人 はたん..^ ふ 

えたが、 その 急 >r」 方が 堅赏 でも ぁリ、 そし 

て 勇氣と 確信と に滿 ちて ゐる ものと して は 

第一 に 堀江 録 一 博士 1^ 舉 ぐべき である。 慶 

鹿で は 進 汲の 總大 將、 お蔭で 若い 先生 達 

は みんな 喜んで ゐ ろよう だ。 、、の 人が あつ 

て大に 正義の ために 氯 1^ 吐く ので 三 田 大學 

まん. さら 资 本家 豫備門 だと もい へまい、 

い y 、、の 頃で は早稻 田が 老毛碌 して 慶應が 

若 やいで さた。 それが.. <た 古る い 博士 連の 

氣 LL 入らないで 小 泉 信 三、 高 橋 誠 一 郞 とい 

ふような 新進の 諸君が 先日の 博士 會で はま 

ん まと 一; £ 第した わけ だ、 しかし 學 位なん ぞ 

はどうで もい、 じあない か、 煮て たべられ 

る わけで はなし • いま に 氣の きいた 雜 誌な 

ぞ では 『何々 博士 某』 といった ような 小 供 

だまし は 害 かなくなる だら うよ、 、、の 頃 は 

山 高帽, < ^かぶって 歩る く 人が 六 七 割へ つた 

そうだ。 シ^ク ハ- ントに 至って は 政治家が 

クマラ ヌ赏業 家 位の もの だ。 博士 だって^ 

高 や シンク ハク トの類 だ。 



サ ンデ イカリ ス トの 見た る マルク ス 主義 



I 

階級 闘 爭の 存在と 其 必然性 を 認める の は 革命的 サ ン ディ 

力 リズムの 根本的 特質で ある。 サン. デイ カリス トは少 くと 

^其 理論 の 上に おいて は 階級 鬪爭 か 回避し 得さ ろ の み な ら 

す、 そ は 寧ろ 歡迎 すべき もの、 この 世 を 墮ー洛 の 淵より 救 ふ 

進歩の 一 要素で あると して ゐる。 もしも サ ン デ "力 リズム 

の 理論的 先驅 者. か ありと すれば、 そ は マルクスと ブル ドン 

である。 ブ ル ド ン から サ ン デ " 力 リズ ム は 其國 家に 對 すろ 

態度 を繼 承し、 マルクス から は 階級 爭 闘の 必然と 其 望し き 

ことの.^ 念 を 得た。 而 して 彼等に とりて は 階級 爭鬪 の舉說 

は マ ルクスの „1 豚隨 であろ。 けれども サ ン ディ カリス ト. かこ 

の 偉大なる 社會 主義者の 學徒 なりと 云 ふこと は、 多くの マ 

ル キス ト によりて 表現され てるろ マルクス の 獨斷を 無批判 

に 受け 容れる ことで はない。 道德 的、 智的 さう して 物質的 

專制 主義の 反對 者に して、 サ ン デ イカ リズム の 指導者た る 



ベ ル ー チ H や ソレル は 「資本論」 に對 して 聖書の 絕對無 誤 

謬 的 性質 を與 ふる 人々 ではなかった。 また 彼等 は マルクス 

の學 說に對 する ェヅ- ァ |ド* ベル ンシュ タインの 攻擊か 

ら 始まった マ ル クス 主義の 崩 壌の 部分 を躊 躍な く贊 成せる 

ものであった。 ベル ンシュ タイン は マ ルクスの 記述と 其豫 

言と 經濟 舉說 との 多くが 厳密なる 研究と 統計的 批判と に會 

ふとき に必す ゃ絕大 なる 損傷 を 員 ふべき こと を 立證し • 從 

つて 社 會主装 は, } の 打破され たる マルクス の觀^r-に謬着す 

ろ ことによ りて 得る 所 は 損害の みなる こと を立證 して マ ル 

クス 主義者の 中に 動搖を 起させた。 サン デ.. ■ カリ スト はべ 

ルン シュ タイン の 修正主義に 對 して は 之と 1 致す る こと は 

出来なかった が、 其權 威の 桎梏より 逃れん とする 努力に は 

同意す る こと. か出来た。 ソレ、 ルは其 「マ ルクス 主義の 崩壊」 

の 中に おいて 資本主義の 崩壊に 闕 する マルクス の豫 言が 頗 

る 事實と 遠ざかり、 資本主義 は 其生產 における 地位と 其 as" 

理とを 放棄すべき 何等の 印 を も 示さす となせ しべ ルン シュ 



お 一 タイン に 同意した のみなら す、 共產黨 宣言の 執筆され し 一 

一 八 四 八 年に おける 程 容易に 資本主義 かその 生産力 を 施行し 

能 はすと 想像す る もの あらば、 そ は 驚嘆に 值す となした。 

今日に おいて は 一 八 五 〇 年に おける よりも 以前より もより 

征服すべき 勢力 は 一 暦 強大に、 恐慌 はより 稀に、 其 弱點は 

少 くな つた。 だから マルクスの 經濟學 說に對 して 多大の 尊 

敬を拂 ふこと は出來 ない。 ソレル は 資本論 を以 つて 歴史的 

材料に よって 經濟學 上の 學說 を說 明せ る ものなる かの.^ く 

考 ふる を大 なる 誤謬な りと 見た。 資本論 は實に 歴史 哲學に 

關 する 一 の 論文で あり、 もし この 中に 剩餘價 値說の 如く 經 

濟舉說 の 展開され たる もの ありと せんか、 そ は マルクスが 

其 歴史的 進化の 思想 を說明 せんと 欲した からで あろ。 さう 

して ソレ ル によれば 資本論の 最も 不満足なる 部分た る 抽象 

的 經濟學 が 不可思議な さう して 不幸なる 誤 によって 多く 

の マル キ スト は 其 師の舉 說の祌 隨と考 て、 此獨斷 を 防禦し、 

更らに 其 誤れる 觀念を 更らに 誤らした ので ある。 もしも 此 

猫 斷 にして 打破され ないならば 社會 主義 學說の 更新 もまた 

. 社會 主義の 實 際と 理論との 調和の 如き も 全然 失敗に 終る ベ 

しと ソレル は考へ た。 資本論 を 基督 敎 徒が S モ甞を 見る が 如 

き 尊敬 を以 つて 見、 其 神? g 的な 辯證 法と 其 粗笨なる 經濟學 

と を 受け 容れる 正統派 マルクス 主義の 勝利 は眞の マルクス 



主義から 其す ベ ての 科學的 興味 を 奪 ひ 去ろ ものである。 

二 

正統派 マ ルクス 主義の 外に、 眞のマ ルクス 主義が 存在す 

る J それ はプ レルが 「マルクスの マル クス 主義」 と 呼ん-た 

もので 修正主義 者, か 其 偶像 打破の 精神の 爲に マルクスより 

贈られた る この 28- なる もの を 保存す るの を 忘った もので 

ある。 さう して この 社會 主義の 理論 並に 人間の 知識に 對す 

る 高貴なる 貢 默は其 階級 爭鬪の 學說卽 ち 資本と 勞 働との 間 

における 絕對 的なる 救 治し 得 ざ る 敏 意に 關 する 舉說 であ 

る。 例へ 彼の 憤; g 說に 誤謬 ありと も、 例へ 掠奪 者の 掠奪せ 

ら るべき 日の 豫首 に 失敗した とも、 彼の 階級 爭鬪の 理論 は 

無上の 感激で ある、 そ は 共 產黨宣 1 一-一 11 の異の 要旨で あり、 資 

本論 は 階級 爭鬪の 存在と 其 必然と を芷證 せんとす る 理由 書 

である- マル タスの!;?,? 者 は 彼の 古典的 舉說に 親んで るるで 

あらう。 產 業の 進化と 共に 機械 は發 明せられ、 これと 共に 

新ら しき 產業 組織 卽ち 資本主義の 發生 となった。 さう して 

其 中に おける 最も 顯 著なる 現象 は, 資本 並に 勞 働の 一 一階 級 

の 存在で ある d この 二階 級の 利害 は 全く 相反し、 一 方の 利 

は 他の 害で あり、 この 制度の 存績 する 限り、 そこに は 何等 

の 調和 ある 世界 も 現出し 得ない。 けれども そ は 何等の 不正 

義 でもない。 さう して この 狀 態に 關 して は 何等の 倫理的 批 



1: を 摘 用す る こと は 出来ない。 そ は 史的 發展の 一 階段で あ 

り、 其 制お か 過ぎ去りて * 新しき 階段の 來 るまで はすべ て 

の 産業 狀您は 其 表面上の 施設に 拘ら す, 實 際に は 現今の 通 

りで ある。 人 は 進化の 過程 を 促進す る こと は出來 るに して 

も. 進化と 爭 ふこと は 出来ない。 然し 乍ら 幸に して 資本 主 

義は それ 自ら 其 崩壊 を 進めて ゐる。 ブル ジ 3 アジ ー の 勢力 

と 其 富と はブ 口 レタ リア I トの i 鈦々 貧困に 陷る に反して 

大して 行く。 さう して プロレタリア ~ トは其 自己 防禦の 爲 

めの 圑體が 必然と なる ので ある。 プロレタリア I トは 資本 

主義の 發達 と共に 其勞 働の 組 熾を發 達さして 行く。 遂に 兩 

階級の 利害 は 根本的に 相反す るの 結果、 現在の 秩序 は其存 

在が 不能と なり, 其 外皮 は 打破せられ、 プロレタリア I ト 

は 生産 過程 を 其の 掌中に 收 める ことが 出來 るので ある。 新 

くて 社會 〇〇 は完 成せられ、 新しき 産業 的 時代 は 階級 爭鬪 

によって 8^ ら せれる ので ある。 

ミ 

以上の 如き 學說が 其 主張者の 中に 定命論 的 態度に 向 はし 

める 危險の ある こと は 明かで あろ. - もしも 資本主義. かそれ 

自ら 破壞を 促進して ゐ ろなら ば、 何故に 圑體を 組織し、 煽 

動 をす るので あるか。 何故の 社會 主義の 宣傳 であるか、 何 

故の 努力で あるか。 何物 も勞働 者の 貧困 を 救 ふ 術な く、 彼 

等 は 厳酷なる 法則の 下に 支配せられ、 時の 經過 と共に 其存 

在 を 失って しまう。 進化 をして 其 道 をた どらし めよ。 然し 

乍ら マ ルクス 並に サン ギ "カリ スト 中の 彼の 舉徒は 注意 深 



く 新く の 如き 定命 主義 を 斥けた。 もしも、 斯 くの 如き 抵抗 

すべ からざる 力. か 現在の 秩序の 〇〇 に對 して 作用して ゐる 

ならば、 活動的の 努力 は 其 完成 を 促進す る もので なければ 

ならない 。「力 は 進 步の產 婆で ある」 と マルクス は 言った。 

さう して サ ン デ イカ リス トに對 して は f 〕れ が 3 具の マルクス 

の 表現で あり、 共產黨 宣言の マルクス であり、 一 八 四 八 年 

の マルクスであった。 新 社會は 生るべき である。 さう して 

プロレタリア I ト は 其活潑 なる 〇o 的 行動に よ つ て 其 生み 

の 苦しみ を 短縮す る ことが 出來 る。 この 進化の 觀 念に 加 ふ 

るに マルクス は 革命の 科學的 理論、 社會 進化に おける 一 要 

素と しての 組織的 〇〇 の 理論 を 展開した。 然しながら 〇〇 

的 行動と は 漠然たる 言葉で ある。 マルクス は 一 七 八 九 年の 

き 攻治的 革命 を 意味した ので あるか。 さう ではない。 マ 

ルクス 自身 明かに 攻治的 革命に 反對 して ゐる。 また マルク 

スは 一 八 七 一年の バリ • コン ミュ ー ン に反對 した。 一八 四 

八 年に おいても、 また 千 八 百 七十 一 年に おいても 產業狀 態 

の 幼稚であった 爲 めに 適當な 回答 を發 見し 得なかった ので 

ある。 けれども 二十世紀 にあって は 其 解決 は 我等の 眼前に 

擴 かって ゐる。 サ ンデ イカ リズムの 急激なる 發達は 何の 爲 

めで あるか、 また 總 同盟 罷ェの 學說の 急激な 進歩 は 何 を 表 

はす もので あるか。 各 國の勞 働 組合の 中には 新 産業 制度 を 

生み出す ベ き 〇〇 の 勢力が 潜んで ゐ るので ある。 

(J.A. wstey 二へ cvohlticmlry sy-dicalis ョづ P. 51—55 に據 る) 



Iw*w. 主義の 研究 I 

甲 野. 哲 1 

第 I 章 I-W.W. の 先驅者 



は 千 九 百 五 年以. ^米 阈合衆 國に現 はれた 一 の 一 

努働 組合主義の 運動で ある。 I*ww*s は 詳しく は The 一 

Industrial Workers of the World と 云って 從來の 技工 勞: 

働 組合主義 Craft unionis ョに對 し 産業組合 主義 Industrial 一 

Ihlio-is ョ を 主張し、 勞働者 階級の ソリ ダリ テ によって 資ー 

本家 階級に 對抗 し、 以 つて 其の 理想と する 新 社會を 建設せ 一 

ん とすろ 運動で あろ。 而 して I*ww* の 運動 は 普通 佛國! 

における サ ンデ. ^力 リズ ムの 運動の 影 is によ つ て 米 國に發 

達せし が. g く 思 はれて ゐ るが、 事實の 研究 は iww* が栄 

國 において 獨 立に 發 達した こと を 示して ゐ るので ある。 S 一 

Tiww* 主義① の 運動 はサ ン ディ 力 リズ ム と共に 現代 資ー 

本 主義 制度に. 對 する 大 なる 挑戦で あら。 彼等 は 賃銀 制度に" 



その 基礎 を 置く 經濟 組織 を 信任せ す、 勞働者 階級 自身の 手 

によって 生産者 を 中心とした 社會 組織 を 構成し ようと 云 ふ 

ので ある。 それ は その 主張者に 從 へば 新 社會 組織の 提唱で 

あると 共に 共同の 利害 を 有する 勞働者 階級 を 組織す るのに 

技工 勞働 組合 を 不可と し、 勞働者 階級の ソ リタ リテを 助長 

すべ き 產業勞 働 組合の 組織 を 主張す るので ある。 

孰れに しても I*ww* の 運動 は 勞働者 階級が 資本家 階 

級との 多くの 鬪爭 においての 失敗の 經驗に 基いて、 更に 有 

效な 階級 鬪爭を 遂行し、 生產 者た る 勞働者 階級の 幸福 を 

進 せんとす る 新 運;^ である。 故に 其? 主張 に おいて、 また 

その 敎義 にづ いて、 または 其實 際的玫 策に ついて 非難 を受 

くべき 多くの 點を 持って ゐる かも 知れない。 それと 同時に 

この 新しい 蓮 動が 攻治 的社會 主義に 失望し、 有産階級の 代 

表 者で あると ころの 多くの 政治家、 政 黨に絕 望して ゐる人 



に 針して 何等かの 喑 示を與 へ、 る こど は 否み 難い 事實 であ 

る。 であるから、 それ. か 例へ 革命的 性質 を 有する もので あ 

つても、 私達 は、 研究の 價植の ある ものであると 信す る。 

と 同時に 私達 は 新 運動の 狀態 を詳く 研究す る ことによ つ 

て、 その 新 連動が 國 家の 狀 能丁卽 ちその 攻治的 並に 經濟的 

狀 態の 如何によ つて 構成 せらる る こと を 知る ので ある。 さ 

うして 米國に 起った iw*w* の 運動 も 亦 米 國の社 會的並 

に經 濟的狀 態の 產物 であると 云 ふこと を 私達 は 知る ので あ 

る 。この 點 におい て 私 は勞働 運動 の 卓越し た 研究家 • 、チ i • 

ェづチ • n r- ル の說に 賛成す る ものである。 

nl ルは 次の 樣に 云って ゐ る。 

「米國 の 運動が 本質的 Li 米國 的で あろの. は、 英國の 5^ 動が ^4" 

質的に 英國 的で あるのと 同じで ある。 さう して 制度 は 生まる 

る ものであって 作らる、 もので ない と 云 ふこと は 記憶し なけ 

れ ばなら ない 理 である。 アメカ リン *サ ンデ イカ リズム はァ 

メリ 力の も ので ぁリ、 フランスの サンディカリズム は佛國 の 

ものである。 私逹が眞面目に外國の努働遝動.^研究すろ、、と 

にょって得る最大の利益は少くとも之にょって世a^^主義者と 

なること ¥5- 免れ 得る、、 とで ある, -JS 

斯樣な 見地から 私 は 以下 数回に 涉っ てこの iww* 主 

義を 研究して 見たい と 思 ふ。 私の 態度 は何處 まで も 第三者 

r の立锡 である。 私 は Tiww* 主義に ついて 宣傳 して ゐる 



ので もなければ、 また、 その 眞理 なること を 主張す るので 

もない、 た > 私 は 眼前に 展開され た 新 運動 を 第三者の 立場 

から 眺める のみで ある。 

V I .W • W . は 本文に 書いた 樣に "ニー e .「ll」llstrial Worers 

of tho World であるが、 この Iw.w- なる 三 字 は從來 その 

反對者から嘲笑の意味*^以って種々に用ひられた。 その 主な 

もの は 次の 通リ である - i さ cn-t wir: i Waut Whisk 

ev.: * に nteriialional won-ler メ vol- 一ん els.-- -srres-onalble whol 

esale wrec 一 <er8.*- :Isper;al Wlhel ョビ \vturior% (wrissen I 

e-l. 一. WAV. P.57) 

.w'w. の參考 書と して は シカゴ 並に デト 口 イトの I .w • 

W • 本部から 出した 宣傳 用の 多くの 小册 子が あるが、 私達の 手 

Li は入リ 様がない、 さう して また II 立の 著書 も少 いが、 次の 

二 書 は:^ めて 價 値が あ リ、 殊に プ y ク セン デ ンの方 は 歴史的 

に 詳細な 研究.^ 發 表して ゐろ。 プル I グスの 方 は 心理的な 叙 

述に んでゐ る。 本文 はこの 二 書 _」 負 ふ 所が 極めて 多い。 そ 

の 外勞働 運動に 關 マる 最近の 著述に 多少 について 

の記^^」がぁる。 

Paul Fnnleiick Ikias 丄 1-121: The I.\v,.\v. A Slinly of Ameri 

call Syiiilicalis ョ 1919 (CJOhlmbia uuiveisuly st-ldieM ヨ 

Hist-ry, Kcoi ョ is et つ. Vol. LXXXIII) 

.Eohn Gra 一- a 一 a wrooks: American sy-ldicaliaB The I.w.w. 

1913. 

65- Brisaenden:op. cit. づ. ひ3. 

HrockfKOP. cir づ. 7 ひ. 

g 原文で は I.w.w.-i£u と 書,./。 



^ Cole::The orld Wd ヒ acGnr. 1917. p. 165. 

社會 現象に おいて 私達 は其發 生の 突發 的で ある もの を SI? 

ろ。 然し 乍ら 其發生 原因に ついて 詳細な 硏究を 行 ふとき に 

私達 は 其社會 現象が 社會 生活 園の 內部 において 多少の 時日 

を鏺 薛の狀 態で 過して 來 たの を 見る ので ある。 私 はこの 點 

において 社會 革命の 原因が 當 時の 社會狀 態の 中に 存在す る 

とした 力 アル • マルクス の 社會變 動の 舉說 の眞理 なる を 思 

ふ ものである。 S 

社會 現象が 突發 的で あるに せよ、 其 原因 を 其 現象 生起 以 

前にお ける 社會 生活 體の 中に 求め 得らる 如く、 米國 にあ 

ける I*w*w, も 千 九 百 五 年に 至って 表面に 表 はれた ので 

あるが. 其 發達を それ 以前に 求める ことが 出來 るので ある。 

英國 における 勞働 運動 は各國 における 勞動 運動の 範を示 

した ものである。 斯の ロバ アト • ォ ー ゥェ ンが千 八 百 三十 

四 年に 設立した 「全 國大 聯合 勞働 組合」 Grand National 

Consolidated Trades ullioll によって 構成せ るべき 新社會 

はンド tlli ゥェ ッブに 依れば 次の 如き ものであるお 

「ォゥ H ン に よって 提案され た 組織の 下に 於いて は、 生產機 

おは 全社 會: .is する もので なく、 ^i- 其 1^ 使用すべき 特殊の 



勞働 者の 囿體の 所有と なるべき ものであった。 さう して 勞働 

組合 はすべ ての is 業.^ 遂行すべき 「國 民的會 社」 national 

CO 一 panics* に變 化される ので あろ。 農業 勞働 組合 は 土地 yj- 

所有し、 坑夫 組合 は鑌 山,^、 織物 働 組合 は 工場,.^ 所有す るの 

であった。 さう して 各 職業 は 一 の 「本部」 Unmd L,K】ge に 

集中され た る 、 それぞれの 職業 組合に よって 經詧 せらる ベ き 

ものであった。」 S 

この ォ ー ゥェ ン の 千 八 百 三十 四 年に おける 提案 は 現代に 

おける サ ンデ イカ リズ ムの 傾向の 最も 早い 顯 はれ でみ ると 

せられて ゐる。 S 然しながら この ォゥェ ンの 大勞動 組合 主 

義はサ ンデ イカ リズ ムの 傾向が 勞働 運動に 顯 著なる べき 土 

臺に 過ぎなかった。 、 

その サ ンデ" 力 リズ ム的 傾向の 最も 著し いのは、 この ォ ー 

ゥェ ンの 土臺の 上に 築かれた チヤ— チ ストの 運動 Chartist 

movement 殊に その 千 八 百 四十 一 一年に おける チヤ. ー チス ト 

の 蓬 動であった。 洵に ブル ー クスの 指摘して ゐる 通り、 I* 

w^w. と チヤ- チ スト 蓮 動との 間に は 多くの 類似 點を 有し 

てゐ る。 S 政治 並に 攻治 家に 對 して 非難し、 またす ベての 

條 件と 種類との 勞働 者に 對 して 熱烈な 階級 的 意識 を 求める 

Tiww の 主張 はまた 當 時の チ" ー チ ス ト 運動の 信條 であ 

つた- さう して チヤ ー チス トは I* W* W. と 词 じく 特に 經 

濟的 要素 を 強調した^ である。 




チヤ I チ スト 運動 は 普通 政治的 運動と 解され てゐる OS そ 

の 要求 は洵に 政治的の ものであった。 けれども その 政治的 

要求 は當 時の 政治 並に 政治家に 對し て の絕 望の 聲で あ つ 

た。 彼等の 狀態 は、 新の Disraeli の小說 Sybil の 中に 描か 

れてゐ る。 事 は 千 八 百 四十 一 一年に おける チヤ ー チ ス ト 運動 

殊に、 鑛山 暴動の 狀 態を寫 した ものである。 Sybil は 千 八 

百 四十 五 年に 書かれ、 當 時の サ ンデ イカ リズ ム的 運動 を 表現 

した ものである。 

「英國 の 北部 全體と 中部の 大部分と は 不平の 狀態 にあった。 

全國は 困難 して ゐた。 勞働者階級は希望1<^失ひ、 彼等 は、 

現存の 制度の 將來 LiSi して 何等の 信 親. 5- も 持つ 乂 ゐ なかつ 

た。 彼等の 組織 は チヤ- チ ストの 政治 制 外にしても、 完全 

な ものであった。 各職樂 は その 組合 持ち、 さう して、 各 組 

合 はすべ ての 都市 LL 本部 有し、 各地 方 毎に 中央 委員 1^ 有し 

てゐ た。:: し g 

斩 くて チヤ I チス トは勞 働 者 階級の ソ リ ダリ テの 下に 資 

本家 階級に 對 して 其 戰 n を 始 したので ある。 之 は 洵にサ 

ン ディ カリス テふク または I*w,w* 的 であると 云 ふこと は 

出来る 。けれども この D バ アト *ォ| ゥヱン の 大勞働 組合 主 

義と チヤ一 チス ト 運動の サ ンデ. ^力 リズ ム的 傾向と を以 つて 

古き 一例で あると する のは當 つて ゐる けれども、 之 を以っ 

5 て 直ちに サ ン デ.^ 力 リズ ム または I* W0 主義の 直接 



源で あると する の は あまりに 社會的 環境の 支配 を 無視した 

ものと 赏 はなくて はならぬ。 £ 

V warl Marx: COIUriblltic- t- 11ー3 Crilique of r-olitical 

Economy. Authors PVefac な 

fi- Sidney aud weatrico WeU>: History of TVale ulliollisl? 

pp 14415. 邦譯、 勞働 組合 運動 史 一八 二 頁 

^ J. H. Harle.^synlicaliHm. p に 0. 

句 BrookB:- づ. cit. c-la 一-. VI. 

g チヤ ,チ スト 運動の 政治的 方面に ついては 「批評し 十二月 

號 以下、 室 伏 高 信 氏 「普通 選舉 史論」 參照 

〔ふ: Ilarle.v:-;, つ it. 「23. Li 引用 マる 所、 llark-y の 著書の 第 

ニ^^51-はサ ン ディ 力 リズムと チヤ. 'チ ストと 題して; 兩 者の 翻 係 

ふ 可な リ に 詳論して ゐる。 , 

一 I -w -w . または、 サンディカリズムの 顯 はれと 見るべき 

もの: 六十 年 おける 二 utmifitiol a て が ある。 、、の 圑體 

の 綱領 は 勞働者 階级の 解放 は それ 自らの 階 敬の 仕事で なけれ 

ばなら す、 その 解放の 性質 は經濟 的の もので なく はならぬ と 

云 ふので ある。 さう して 彼等の モク ト ー は 「勞働 者 階級の ソ 

リダ リテ」 であった。 フランス * サン f アイ 力 リズムの 釗設者 

であろ R-lio 三 i<-r, I ク -li 一 ll>u-<>t は その サン ディ 力》 ズ厶に 

ついて、 -X- ンタ, 'ナショナ^ から 敎 へらろ 所があった、、 と ¥5*. 

言明して ゐる。 Cwr5 二 {8: op. cit. PP63I64. Hrisssna den:op. 

cit. 10 



^ I*w»w. は 米國に 育った 運動で ある。 私達 は 其 直接の 

先 躍 者 を他國 においてよりも、 より 多く 米 國努働 運動 史の 

中に 見出す 二と が出來 るので ある。 S 

I,w*w*0IDS も顯 著な 先 願 者 は The tCnights of Labor 

である。 e それ は 箪に勞 働 運動の 研究者が 言 ふの みなら. 

ブル— クスに 從へは iww* の 指導者の 一 人が iw*w 

の 運動の 歴史に ついて 質問. S けた 時、 「ナ イツ • ォブ • レ ー 

バァを 研究 乙 給へ、 I*ww* の 大部分の こと は その 中に 

見出す ことが 出來 るの だ」 と 答へ たと 云 ふこと だが 之に よ 

つても Kiiights of Labor が Tiw^w* の 先 願 者と して. S 

何に 重要視すべき であるか を 知る ことが 出來 る。 S 

千 八 百 三十 年代の 初めから 米 國の勞 働 組合 は 其 孤立 的狀 

態の 無力で あるの を 悟った。 その 結果と して 勞働 組合の 一 

または 全國を 通じての 聯盟 を 作らん とする の 希望 か 起つ 

たので ある。 この 希望 は 資本との 鬪爭 において 敗北の 薆目 

にあった 時に おいて 最も 著しく 感ぜられ たのであった。 さ 

うして、 J の 勞働側 の 悲惨な 敗北 は 衣服 裁縫 業に おける より 

甚 しきはなかった。 かくて この 慘膽 たる 敗戦の 失望と さラ 

して 甞て米 國勞働 運動の 生んだ 最大の 頭腦 である ユウ • ェ 

スき ス テフ 广 ノス U. S. Stephe 一 IS の 偉大なる 思想から 

Knights cf Labor は 生れた ので ある。 S ス テフ * ンスの 



組合 は 衣服 裁縫 業で あつたが、 その 組合 は 失敗に 終った 悲 

慘な 歴史 を 持 つて ゐ た。 ス テフ ユン ス は數 年間 廣く 各地 を 

旅行 をした、 さう して 東部 太平洋 海岸に 永い 間の 時 を 費し 

たので ある。 その 銳敏 な觀察 はすべ ての 經驗を 善用した。 

彼 は勞働 者の 圑體が 個々 の 孤 主的狀 態に 勞働 組合が 存立す 

るなら ば、 勞資 間の 鬪爭 において、 勞働 側の 勝算な きを 見 

た 第 一 人 者であった。 彼の このが に關 する 觀察は 恰度 現在 

の iYW* 主義者が 現在の 勞働 組合に 對 する 攻撃 を澎沸 

たらしめ る ものが あった。 さう して 彼 は 数百 萬の 勞働者 を 

抱 含す る 一 大 聯盟 を 作り、 眞の圑 結の 力 を勞働 者に 與 へん 

と 夢見た ので ある。 

この 偉大な 夢はフ イラ デル フ" ァの 彼の 家に おいて 實 現せ 

られ た。 時 は 千 八 百 六十 八 年晚秋 初冬の 候であった。 その 

圑體は 、rllc noble and Holy crder of the JKiiights cf 

lUbor と 云 ふ 名 稱か附 せられた が * その後 The Order of 

the Knights of Labor と 改められた。 ス テフ" ンスは フ— 

リヱ や マル クスが 企業に おける 大規模の 組截の 到來を 明か 

に 見た 如く. 奴隸 解放 戰爭 以後に おける 新 資本 的 勢力の 急 

速な 勃興 を 見た ので ある。 さ 5 して、 その 資本に おける 偉 

大な 勢力 を 打破す るか, または 資本の 勢力に 屈服す るかで 

あるの を 知った。 



この 點. か 彼の 問題であった 。ノス テフ- ン ス がその 會 員に 

與 へた 訓令 は實に 次の 如き ものであった。 

「勞傲 は 高 食で ぁリ、 神聖で あろ。 その 堕落. 防止し、 無智 

と贫 慾と に よって、 加へ- らる ベき 身心に 對 する 害惡, ^防ぎ、 

自利 心の 支配から 勞働者 ys' 救助す るの は 我、/ 勞齒 者の 最も 崇 

高な、 最善な 惯値 ある 仕事で あろ。 :: 吾等 は 正赏な 企業と 

岡 ふので はない。 必要な 資本に 對 して 反對す るので はない。 

然し 乍ら、 人 は 其 性急と 貧 慾、 または 自利 心の 爲 LL 盲目に な 

る ことに i つて 他の 利益. 觀 過し、 他の 榴利 yj- 侵害す る こと 

が ある。 吾々 は勞 働の 威厳, 4^ 高め、 その 額 L: 汗して バ ン 得 

るすべ ての 人々 の 崇高な、 一と 1-^ 確證 ぜんと 欲すろ ので ある。 

吾々 は 唯 一 の惯 値の 釗造 者た る勞働 についての 與論 健全た 

らし めんと 欲する ので ある。 さう して、 その 釗造 した 惯依ま 

たは 资 本の 充分に して 正當 なる 分 前 y^- 受 くる 正義 確立 ぜん 

する ので あろ。. J S 

この 記述 は 現在に おける I*w*w* の敎義 と相異 する も 

のが ある。 「吾等 は 正當な 企業と 鬪 ふと 云 ふので はない。 必 

要な 資本に 對 して 反對す るので はない。」 と 云 ふ 本文 中の 率 

句 は 現在の I*w*w* 主教 者が 直ちに 挑戦 せんとす る 所で 

ある。 けれども ス テフ- ン スの考 へに おい て は社會 その も 

のの 所有す る もの 以外に 「 必要な 資本」 はない ので ある。 

斯 くの 如くに して、 ス テフ- ンスの 表現 上の I*w*w* との 

^ 相違 は その 根抵 においての 一 致と なる ので ある。 



ナイ ッ* ォブ *レ —バ ァの囀 質的の 標語 は 「一 人に 對 する 

損害 はすべ ての 閼 する 所で ある」 と 云 ふので ある。 S さう 

して 其 標語 はまた 今日の I^w^w* の 標語で ある。 其 第 一 

の 主張 はすべ ての 產業的 部門に おいて 掘 人的 並に 國民的 功 

業の 標準と なる もの は 富 そのものではなくて, 產業的 並に 

道德 的價值 である ことで ある。 さう して その 第二 は 勞働者 

の 創造した 富の 適當な 部分 を勞働 者に 分與 する ことで あり 

其 第三 は 同盟 罷ェに 代 ふるに 仲裁 制度 を以 つてす る ことで 

あり、 其 第 四 は勞働 時間 を 一 日 八 時間までに 短縮す る こと 

である。 さう して * 彼等 は 電信、 電話、 鐵 道の 國有を 主張 

ネグロ ゥ 

し、 協働の. ぬ理 を强 調し、 婦人 並に 黑 奴の 人會を 許し • 勞 

働 組合に よる^ 働 者 階級の 攻治的 行動 を 信じ、 勞働者 階級 

における 勞働 組合の 勢力 を 認めた。 之 を ナイ ッ* ォブ *レー 

パァの バウ ダァリ I pcicrly の 言葉 を 借りて 言へ は、 「そ 

の 組織の 基礎た る 根本原理 は 協同で ある, - …… すべての 職 

業の 障壁 は,, ぼかれ なければ ならない。 そ 5 して * 勞働者 は 

其勞 働の.^ 何にも 拘らす • :^勞働の正當な果實をず受し、 

之 を亨樂 すべきで ある ピと云 ふこと になる ので ある。 S 

ナ イツ * ォブ • レ —バ ァは其 初め 秘密 圍體 であった、 け 

れ ども 新 様な 性質 は 後に 到って なくなつ たので ある。 さ 

うして 地方.^:! 議 LCH.al assfml-lk-s の 規約 中には 次の 如き 



會員 に關 する 規定が ある。 卽ち 「法律家、 銀行家、 常習的 

啫博 者、 または 株式 仲買人 は 入 會を禁 す」 と。 さラ して 千 

八 百 八十 一 年 以前まで は醫 帥の 人會も 禁じられて ゐ た。 ナ 

イツ • ォブ *レ| バ ァは 地方 會議、 一 般會議 General assembly 

並に 會長 Grand ョ aster .workman とから 成立して ゐた 。こ 

の 三者 は 集中 的 制度に よって 相互に 密, おに 連絡して るた。 

其 行政 的權 威の 集 權化は „ ^常に 重 視 せられ, 熟練 並に 不 

熱練勞 働を圑 結せ しむる に 必要 缺く ベから ざる ものである 

と考 へられた ので ある。 然し 乍ら 彼等 ど 現今の I*w*w* 

との 相違 は 前者が 多少 共 政治的 行動に 信頼した ことで ある 

この 相違 は あるに しても. iw*w* と 同じく 彼等 は 同情 的 

同盟 罷ェゃ ボイコット を 信じ、 すべての 勞働 者の 間にお ける 

ソ リダ リテの 必要 を强 調し てゐ る。 

斯 くの.^ き ナイ. ッ* ォブ *レー バァは 一 種 S 保守的 要素と 

急進的 要素との 結合で あつたが、 其の 組 IS は瓧會 主義 的 I 

寧ろ 國 家社會 主義 的であった。 彼等の主義の中には仆^^條 

項 を 有して ゐ たに も拘ら す、 彼等 は逼 おと 被 雇 者との 利害 

の 一 致 を 信じなかった。 彼等 は實に 賃銀 制度の 廢止を も 口 

にした ので ある。 パ ウダ ァリ ー は 「賃^ 制度 を 全然 破壊す 

べき 方法 を 指摘す るの は 余に 取 つ て 愉快で ある」 と 云つ 

て ゐる。 



而 して ナイ ッ* ォブ • レ,' バァは 八十 年代の 後期に おいて 

は 百 萬 以上の 會員を 有して るた。 けれども そ は 間もなく 调 

落の 悲運に 會 せざる を 得なかった。 カロル • ディ • ライト 

Carroll D. Wright の 考に從 へば ナイ ッ • ォグ • レ l バァは 

千 八 百 八十 七 年に おいて 百 萬 以上の 會員を 得た 時に おいて 

其 最高潮に 達した。 千 八 百 九十 八 年に は會員 數十萬 を數へ 

る 許りであった。 さう して 斯 くの 如き 急激な 會 員の 减少は 

組合の 社會 主義 的 傾向 殊に そのす ベ ての 勞働 者の 賃銀 を 同 

じ 標準に しょうと する 試みの 爲 めであった 。斯くて ナイ ッ* 

ォブ • レ ー バ ァ. は哀 蓮に 向 ひ 勝利 を 得て 之に 代った のが 米 

國勞働 聯盟 American Federation of である。 

s プル, クスは 1 .w .w • 運動の 先驅 者と して 米 國勞働 運動 

の 方が 外國の ものより も 重要で ある: と,^ 指摘して ゐる。 

广 Brcol£:o で • cit. 1-6^) 

g The Order of wi -ghia of L-hor はまた その 先驟者 持つ 

てゐ る。 千 八 百 六十 四 年に おいて 米 W 合衆國 における 勞働組 

合の^ 盟 1^ 組織す る 試みが 起った ので あるが 失敗に! ^つても 

ろ。 二 年後 バ ルチ モアに おい て 全 國勞働 會議が 開催せられ 

Nad nal Labor Uni -n と稱 する 保守的な 政治 圑體, ^組織し 

たが これが ナイク • ォプ • レー バァの 先 顧 者で ある。 ィ.' -の 

記す る 所に よると この 圑體は 約 三年の 命脈 1^ 保った のみで 政 

治の 爲 に 亡びた と 云 はれて ゐる 。然し その 主耍な 原因 は 一 般 

の 同 淸 のなかった、、 とと 財政 上の 弱點 があった 爲め であ. < ?。 



(wiendeip. cit. pao) 

l^r(loksoJ>. cit. で. 64. 

$ Uriah Smith Stephens は 千 八 百 二十 一 年 New Jersey の 

Cape Mny 附近に 生れた。 彼の 祖先 はグ H 1 力, 宗徒で わつ 

た。 彼 は 初め パブ チ スト 敎の 僧侶た ろべ く敎 育され たが、 後 

職 梁 1^ 習得すべく 餘雠 なくせられ、 裁^ 職と なった。 彼は學 

校の 敎師 とな リ、 また 廣く 旅行した。 彼 は 本文 Li 記した 通リ 

ナイ, ソ プ. レ-バ ァの 創設者であった。 彼 は 初め Master 

worksall of Assembly であった が、 千 八 百 七十 八 年 最初の 

Grand Mgter work ョ an に 選ばれ やので ある。 千 八 百 八十 二 

年 は 彼の 死んだ 年で ある。 (William BRs:The Kllc.ioplia 

of social Reforms, p. 1290) 

2 wroou: op. o.-r p. G5 Li 引く 所 

原文 は -*A11 injiirv lo one is tl-c con (に-. ii <>f a-1.: 

percl】3 Vi 一 icont l)<mderly は 千 八 百 四十 九 年 一月 二十 四 

日に o-rbonlale に 生る。 ナイ- ソ • ォプ. シ ,バァ の 指導者と 

し 最も 顯 はれて ゐる。 -lies: Kiicyclopedio. p. 1079. 參照 

ナイ ッ* ォブ *レー バ ァの 勃興と 同時に 歐州 において 千 八 

百 六十 年代の 終りに 設亢 された、 國隊勞 働 者協會 the Inte 

rnatio-al Working ョ cn ノ association は 千 八 百 七十 一 年に 至 

つて 合 衆 國に其 支部 を 設ける に 至った" この. 合 衆 國の國 際 

I 勞働者 協會の 支部 は 努働者 階級の 解放 は、 勞働者 階 殺 それ 



自らの 力に よって 達せら るべき もの であ る こ と を 宣言し 

た。 けれども この 圑體は 久しく その 生命 を 維持す る ことが 

出来なかった。 さう して 十 年の 後の 千 八 百 八十 一年に は 同 

名の 協會. か 設立 せられた。 この 圑體は 「議會 政策 を 斥け、 

社 倉 革命 を潇ら すべき 最良の 手段と して 敎 育と ブ 口 パガ ン 

ダとを 用 ふべき を 主張した 勞働者 並に 農夫から 成立して ゐ 

IT」S 千 八 百 八十 七 年に は 約 六 千の 會員を 有して るた, か、 

彼等 は社會 主義 勞働 Socialist Labor Party と 合併 せん 

とし その 交渉の 不調に 終る やその 圑體 は解體 する に 至った 

斯く する 間に 無攻府 主義の 活働は 合衆國 において 盛んに 

なって 來た。 米 國勞働 聯盟 S の 誕生の 年で ある 千 八 百 八十 

1 年に は 議會攻 策 を 主張す る ものと, 無攻府 主義者との 間 

に 確然た る區 別が 設けら る.' 樣 になり、 無政府主義者 は、 

革命的 社 會黨を 設立した。 けれども 千 八 百 八十 三年に 至つ 

て 兩者は 合同の き議を 開催し、 其 結果 International Wor 

king で cople-s association の 設立と なった ので ある。 この 

會議に 参加した 委員 は 有名な ビ" ツバ ァフ 宣言 を蕈 した。 そ 

の 宣言 は 現在の 制度の 破壞を 主張し、 -其 後に、 生產 的圑體 

における 等價 値の 自由 交換に 基き、 商人と 利潤との 存在な 

き 社會を 設立す るに あった。 1 一年の 間に この 圑體は 七 Vf の 

へ 3 員 を 得た. か 千 八 百 八十 六 年に お ける ヘイ マ ー ケ" トの慘 



00 斜 と共に 其 存在 を 失った ので あろ c この 無政府主義 運動に 

おいて 顯 著なる 活働 をした もの はョ ハン 參モ スト Johann 

Most であった。 S 

千 八 百. VI 十四 年に は The Sovereigns of Industry が ョ a 

ssachusetts の sprillgf-dd で 設立され た。 この 圍體は 男女 

井、 に 入會を 許した。 この 綱領と する 所 は 人種、 皮 1^ の 色、 

國鑭 または 職業の,^ 何 を 問 は ざろ 產業勞 働 者 階級の 圑 結で 

あった。 さう して それ は 他の 階 殺卽ち 資本家 階級に 對 して 

戰鬪 する 爲 めの 圑 結で はなく、 た > 自 U 改善と 自己 防衞と 

• に對 する 相互扶助の 爲 めの i である. - 然し 乍ら 其 窮極の 

目的 は 賃銀 制度の 廢止 にあった ので ある。 

同じ年に アメリカ 聯合 勞働者 M 會 The assc-ciaticn -Jf 

United wcrkers of America と稱 する 社會 主義 圑體が 現 は 

れ た。 この 圑體は 他の 多くの 圍體 と共に 千 八 百 七十 六 年に 

おける 勞働 驚 Working ョ en、s Party の 出現と なつた も の 

であるが、 この 園 體は其 翌年 其名稱 を社會 主義 勞働黨 So 

cialist Labor Party と變更 した。 また 千 八 百 七十 四 年 は 

Industrial brotherhood の 誕生した 年で ある。 この 圑體は 

ナイ ッ攀 ォブ レ ー バァと 其 性質 を 同じく した もので あろが 

七十 年代 中に 其 存在が 失 はれて しまったの である。 



ff、 AIIleriGm Tvaeraticn of Lai: 一- は 其 创立富 時 は Tlie t< 一 ed 

eralion of 01.g:arlR5.l ,rl.ad-s aiicl Labor Un-5t5 of Uie Uni 

ten Staka a-ld c--nada. と 呼ば" た。 

^ J h; 一 nn Jo8 -ph M-.st は 千 八 百 四十 六 年ァゥ グス! J- か クーし 

生れ、 不偸 快な 幼年時代,^ 過 ざて、 六十四年獨乙,^^離れ、 六 

十八 年 ウイ. -ンに 居,^ 定めた。 二 年後に 彼 は 革命的 宣 傳の爲 

めに 五 年の 禁錮.^ 宣告され^ が 七十 一年に 許され、 其 放免 後 

間もなく ォ— スト リア.^ 追 はれ、 獨乙 に 入り- 七十 1 年 六月 

に はへ ムニ ククで 新聞の 編輯に 從 事した" その 時 マ か タス 波 

であろ, アイ-せ ナク ハ黨の 最も 急進的 部分に 屬 して ゐた。 七十 

一一 一年 に は 八 ヶ月.^ 獄中に 送り、 其 自由,^ 得る や、 帝 國議會 へ 

選出され た。 七十 七 年 並に 七十 八 年に また 逮捕せられ たが、 

七十 八 年の は * 'か ヘかム 第一 世の 喑殺 に關 してであった 其 許 

さろ、 ゃ獨逸 追放 ぜら れ、 七十 八 年 十二月 ロンドンに 着い 

て 週刊 機關紙 Freiheit, (自由) . ^發行 した。 彼の 意見 は 非常 

に 極端な ので リ ー プリ ネ t トは 社會 民主 黨の爲 に 「フ ライハ 

イト」 ん、 攻 摩した。 モスト は 同年 無政府主義に 改宗した。 八 

十 一 年 三月 ロシアの ァ レキサ ンダ- 二世 は 暗殺され たが、 そ 

の 行爲, ^彼が 稱賛 した 爲 めに 再び 捕 へられ、 十六 ヶ月の 虔刑 

1_^】且告された。 八十 二 年 十月 許され、 同 十二月 十二 日に 11 ュ 

. ;ョ ー ク に 來た。 さう して 再び 「ラ ライハ イト」 刊行し 米國 

無政府 共. 度 主義 の 指導者と な つたので ある。 

((.0. ミ n:ns:-Hislory of Labour in the United States, pp に 9 

r) 



十 年は經 過した。 さう して 千 八 百 八十 四 年に おいて 合 衆 

國 聯合 醸造業 努働者 同盟 The National Union of theUnit 

ed wrewery Workmen of the united States が 組織され. uo 

この 組合 は 所謂 產業勞 働 組合であって、 醣造 業に 關す るす 

ベての 勞働者 を 抱 含 乙た ものであった。 千 八 百 九十 六 年 ま 

では この 圑體は ナイ ッき ォブ *レー バ ァの 一 部分であった が 

その 時より 米 國勞働 聯盟と 密接な 關 係 を 有して ゐる。 さう 

して 其 組織の 產業線 Industrial Line に從 つて ゐる こと は 

常に 米 國勞働 聯盟に おいて 爭 論の 中心と なる 所で ある。 

千 八 百 九十 年に は 聯合 坑夫 組合 the united mine Work 

ers- Union of America が 組織され た。 この 圑體は 全く 產 

業勞働 組合であった、 米國 第一 の 資力 を 持って ゐる。 I* 

w*w* 主義者が 何時も 其 組織に 稱贊の 聲を絕 たない 所の も 

ので ある。 

シカゴに おける へ ィ マ ァケッ 卜の 騷授 によって、 米國 にお 

けろ 社會 主義 的 運動に 一 頓挫 を來 してから 五 年 千 八 S 九十 

三年に 鐵道從 業 員の 產業勞 働 組合が シカゴに おいて、 デブ 

ブス Eugene V. Debs によって 組簸 され、 翌年の ブル マン • 

ストライキ Pull ヨ an Strike 當 に はナ五 萬の會 OH を 有し 

てゐ たので あるが, 其 ストライキの 失敗 は その 圑體 を解體 

2 せし,^ て 乙 まつ た。 千 八 百 九十 七 年の ことで ある。 



千 八 百 九十 三年 は I*ww* の 主要な 先蹈 者で ある 西部 

坑夫 聯盟、 western Federation of miners の 成立した 年で 

ある。 さう して 西部 坑夫 聯盟 は その 初め 米 國勞働 聯盟と 密 

接な 關係を 持って ゐ たので あるが、 九十 七 年 米 國勞働 聯盟 

から 分離し、 暫 らく 獨 立の 存在 を 維持して ゐ たが、 九十 八 

年 西部 勞働 組合 Western Labor union と 結び、 更に 千 九 

百 五 年に は I*ww* に 加 人し、 十 一 年 再び 米 國勞働 聯盟 

に 加入した ので ある。 

I*w»w. の 誕生 以前 十二 年間の 西部 坑夫の 聯盟 は寳に 

米 國勞働 運動 史上にお ける 最も 激烈な、 劇的な 同盟罷業の 

戰 であった。 その 同盟 罷ェは 常に 暴動と 援亂 とに 陷り 勝ち 

であった。 さう して これ 等の 激烈ぶ 勞資 間にお けろ 爭鬪は 

疑 ひもな く、 次に 起るべき 戰鬪 的な I*ww* の發 生の 印 

であった。 Tiw*w* の 幹部で あるへ ィ. C> づト Wm. C. Ha 

ywood ビ ン セ ン ト* ジョン vincst St. Icllll と-か 其 指導者 

であ -。 彼等 は 攻治的 行動に 満足し なかった ので ある。 

さう して、 其 決議に おいて は 何等の 躊路 なく 社會 主義 を s$ 

用す ベ きこと. か可诀 され、 更に 其 資本家との 爭鬪 において 

全力 を したの みならす、 彼等 は勞働 者に よろ 產 業の 管理 

を 主張した ので ある。 彼等の 根本 思 や 5 は 階級 爭 11 による 剩 

餘憤爐 の 掠;:^ t を I ぬめ、 この 剩餘價 値の 掠奪の 停止 せらる る 



o ことによ りての み 者 階級 は その 解放 を 完成す る ものと 

なし- 其 完成の 手段と して 產業勞 働 組合 を V 張す るに 至つ = 

たので ある。 

西部 勞働 組合 は 千 八 百 九十 八 年に 生れた ものである, か、 

其 誕生 は 西部 坑夫 聯盟の 活働 による ものである" だから 西 一 

部勞働 組合 は 西部 坑夫 聯盟と 其 牲質を 同じく した もので あ.; 

る。 西部 勞働 組合 は 千 九 百 一 一年 其 本部 を シカゴに 移し、 其 一 

名稱も アメリカ 勞働 組合と 改稱 し、 更に 西部 坑夫 聯盟 を 併 一 

合し、 千 九 百 五 年に は I*w*w* に 加入した。 だから カサ ツー 

Katz は 「アメリカ 勞働 組合 は 實際は 西部 坑夫 聯盟の 別名 一 

である。 さ、 フ して、 坑夫 聯盟に 國民的 性質 を與 ふる 爲 めに 一 

生れた ものである」 と 批評して ゐる。 さう して この アノリ j 

力 努働 組合の 本質 は 產業勞 働 組合主義 であ つて f • W • W •! 

などよりも 政治的の 色彩 を 有して ゐて、 この 圑體が 政, お 的, 

社會 主義の 型に おける 產業勞 働 組合主義の 最高潮 を 示して; 

ゐる樣 である。 ; 

以上 は 主として 合 衆國の 西部に 其 勢力 を 有する I*w* 一 

W. の先驅 者に ついての 記述で あるが、 尙ほ Tiw*w* の; 

先 驅 者と して 東部に 勢力の ある ものに ついて 記述 を 省略す 1 

る こと は出來 ない。 それ は 社會黨 Socialist Party とその】 

智識 的 産物で ある 社會 主義 勞働 同盟 Socialist Trade and 一 



Lab ミ Alliance との 一 ー園體 であら。 

社會 主義 勞働黨 は 千 八 百 七十 七 年に 組簸 された、」 それ は 

國民勞 働 組合 國際勞 働 者協會 北米 聯盟 並 に 社會 民主的 勞働 

黨の 聯合であった。 さう して, • それ は 聂 初の 合 衆國勞 勸黨 

workmelvs で arty of the united States として 知ら, w 

獨 逸駄會 主義 的勞働 組合の 分子が 優勢であった。 社會 主義 

勞働黨 は 常に 著しく マ ル クス 主義 的で あり、 其 指導者 は マ 

ルクス 社會 主義の 解釋 において 著しく 理論的で あろ、 其實 

際 上の 政策に おいて は 否 妥協 的であった" 千 九 百 一 年に お 

ける 社 會黨の 組織 以来, ) の 二つの 社會 主義 を 奉ぜる 玫黨は 

互に 相反 對し 4.^。 それ は 前者. か 否 妥協 的で あるのに、 後者 

が 臨機 應變 主義 を 取って * 他の 保守的 分子との 妥協 を 斥け 

なかった からで ある。 かくて 妥協 的で ある 社 會黨は 其 勢力 

を. 增大 し、 否 妥協 的で ある 社會 主義 勞働 黨は衰 返し、 今日 

こおいて 一 め g 派と 名づ くるに は あまりに 小規模の ものと な 

つたので ある。 

社會 主義 勞働 同盟 は 千 八 百 九十 五 年に お いて 組徵 された 

ものである? 同年の 十一 一月 六日 ナイ ッ* ォブ *レー バ ァの四 

十九の 地方 會議の 委員 は-一 ュ |*ョー ク 市中 央勞働 聯盟と 共 

同に 會 合し 社 會 主義 勞働 同盟 を 組織した。 - 〕 の 圑體の 思想 

は 其反對 者. か 「社會 主義 勞働 同盟の 法王」 と 呼んだ デ レオ 



ン Daniel 13e Leon に 始まれる が. S くで ある。 彼 は 米國に 

おける マルクス 社會 主義, の 指導 的學 徒で あつたつ 彼 は 其 一 

派の ある 者が 言った 樣に 階級 的に 自覺 した 勞働 者を產 業界 

において 革命的 圄體に 組織す る ことなくして は社會 主義. か 

1 時の 熱情に 過ぎない こと を 信じて ゐ たので ある。 

社會 主義 勞働 同盟の 組織 後の 第 一 回 社會. モ義勞 働 黨の大 

會 はこの 社會 主義 勞働 同盟 を 是認した ので ある。 社會 主義 

努働 同盟 は 其 形態 を ナイ ッ, ォブ *レ| バァ と 最も 均し く し 

て ゐた。 だから ト ラウト マ ン は 之 を 呼んで 「ナイ ッ*ォブ# 

レ I バァの 四 六 版」 と 呼んだ ので ある。 其 主義と する 所 は 

其 王義の 宣言に よって 明かなる 如く 勞働 者の 資本家に 對す 

る圑結 を必耍 とし、 勞働 者が 資本家 階級の 束縛 を脫れ 得る 

の は 唯 だ、 經濟的 並に 攻治 的に 一 階級と して 圍 結した 勞働 

者 階級の 直接行動 にあり とし、 其悲慘 なる^ 級 鬪爭を 最も 

急速に 階級の 廢止 によって 達し、 其麼! の 後に は惊同 主義 

による 社會 主義 的國 家の $ ^設を 其 目的と したので ある。 彼 

等 はこの 目的の 爲 めに 努働 者の 革命的 團 結み-主張した。 而 

して デ レオ ン は 革命的 勞働 組合の 政治的で ある こと を 必要 

とし、 總て において 社會 民主主義の 攻治 運動に よって 化 力 脚 

組合が 征服され てゐろ 如く、 攻治 運動 か 1* 働 組合の 中に 優 

# 勢で なければ ならない こと を 信じた。 さ、 フ して 後に 至って 



彼 は 革命的 勞働 組合主義が 政治 運動 の 中に 優勢で なければ 

ならない し、 また その 革命的 勞働 組合. か社會 主義 運動に お 

いて 重大な 使命 を 有する こと を 信す るに 至った ので あ 0。 

然し 乍ら 千 九 百 五 年に おける I*ww* の 誕生 時代に お 

ける 社會 主義 力 働 同盟 は 見る 影 もな く 衰微して 行った ので 

ある。 この, J と は 西部 坑夫 聯 2,^ 以外の すべての 西部 S 圑體 

についても 云 ふこと か出來 ろので ある" か. -る 形勢の 下に 

I«w*w. は 千 九 百 五 年に おいて 其 誕生の 聲を 上け る こと 

となった ので ある。 (つ > く) 



® 近世 經濟 思想 史論 (河 上肇 著) 

本書 は アダム • ス ミスから マヤ ナス 及び "力お ドの 個人主義 經 

濟學の 成立 發展 から カァ か • マお クス の社會 主義 經濟學 まで 产ど論 

じた もので あろ: 元來 六日 問の! IS 演 であるから 其 詳細 は盡 して 居 

ない:,: しても 手顷の レ グチュ ァ でもる。 相反す る: の 二 つの 學說 

明確に 眼前に 展開して 吳 れる點 は:^ 石 Li と肯 かせる。 た マ^ 

クス の 部分, に 於て —— これ は 1^ 者 も 止む 得ない と 云って るが — 

社 食 主 ャ戏が 非常に 節 単 LL 取扱 はれ ズゐ ろら と、 マ ^ ク 以後の 發展 

とが 書かれて ゐ ない、 t である。 ( 一 五十 5^、 神 E 、岩波) (甲 野生) 



著 造作 野吉 士博學 法 



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頁 〇 三. 二 版 菊 

圓三 金價定 

錢 二十 稅郵 



八 一穴 三 三京褽 te HM ^會株 町 fiilif; 橘 r/ 京 東 

五 五一 七-' 阪六替 I 织 >v 社 式 稳 三區 阪大 



勞働 組合主義の 哲學 

:= ゴ 厶パ— スの立 場 =:r 



勞働 組合,^ 大 fi 二種に 分類す る: とが 出來 る、 一は 產業別 組 

合 主義で あ リ他は 職業 別 組合主義 であろ、 前者,^ 新派と 稱し 

得べ くむば 後者 は舊 派で あり 各 國勞働 組合主義に 於て 相對立 

せる 二 大潮 流で あろ。 吾等 は 米國に 於て 兩 者の ティヒ イカ-^ 

な もの.^ 見ろ 事が 出来る。 卽ち豪 業 別 組合主義の i.w ふ 之 

れ であり、 職業別組合主義の米國勞働組合同盟之れでぁる。 

現今吾國に於て勞働者間に組合^^1^けしむろ目的.^:^て立案 

せられつ、 あろ 二 個の 法案が ある。 一 は 內務哲 の 勞働委 負會 

法案でぁリ他は^5I-商務省の職i^別組合法案でぁる、 前者 は內 

務當 局の 所謂 縱斷 式勞働 組合であって 一 工場 單位 とし 舉に 

事業主の 代表者と 勞働 者の 代表者と.^ 辆 接する 一 稀の 卓讒會 

である、 後者 は 一 行政 區械 單位 として 同 一 又は 類似の 職業 

に從 事す る 勞働者 間に 勞働 組合, ^組織せ しむる,^ 以て 目的と 

してる 

之 等 二 個の 法案の 示す が 如く 吾 國努働 組合主義 は 甚だ, 活沌た 

る ものである、 旣存 の勞敏 圑體に 就. V> 之れ.^ 見る も 二三の 組 

合, 除きて は 明確な ろ 組合の イズム, 見出す ことが 出來な い 

或る 祖合は 職業 別 組合の, 形式,^ 有して 然し其の主^^する 



森 恪 

虔は サン ヂカ リズムの 夫れ である、 又反對 に 產業刖 組合の 形 

式 1^ 有し 然 かも 其の 主張す る虑は 勞働倏 件の 改善に 過ぶ、 ない 

の も ある。 吾 國に於 はる 最大の 勞 働團體 である 友愛 會に 於て 

すら 明確なる イズム.^ 見出す 事が 出来ない。 新く の 如き は 吾 

國の勞 働 組合主義 運動が 未だ 創 生 期 出で な い からで ある。 

このと きに 當て 此處に 職業 別 組合主義の,, ;ィヒ イカ かな 米國 

勞働 組合 同盟の 「勞働 組合主義の 哲學」 . ^紹介す るの も 興味 

ある である。 それ はかの モす リス • レ キク トの云 へろ 如く 

勞働 組合主義の 運動 は勞働 者の みの 問題で はなく、 赏に國 民 

的 利害の 問題で あるから である。 

1 、 努働 組合の 自由 

現經濟 組織の 下に 於て は勞働 契約 は 自由に 放任 せられて 

居る、 勞働. か勞働 者より 抽象され 商品と しての 性質 を 有さ 

しめられて ゐ ろの は 言 を俟た ない * 從っ て勞働 者が 獨 立の 

圑體を 組織して 居な ぃ虚で は 逼主は 多大 の 實カを 其の 掌中 

に 收め勞 働 契約の 條件を 一 方 約に 決定して 居ろ、 其^ 結果 



4 努 働の 惯格も * 勞働 者の 人格の 上に I 仃ふ 支配 權の 程度. -資 

本家の 思 ふ 儘に 诀定 する、 勞 働の 惜 格の 決定が 斯樣に 小利 

である 結果 勞働者 は 自己の 勞働を 提供し • 其の 對惯 として 

生活の 必要 を充 たす に 足らぬ 賃鈕で 満足せ しめらる 場合 

も ある . 恐慌 商業 沈滞の 時代に は 殊に 甚だし い, 而 かも 勞働 

者に とり 苦痛の 尙ほ 甚だし いのは 資本家が 勞働 者の 人格の 

上に 行 ふ 不當な 支配 權の爲 めに 勞働 者の 所得 は箪に 僅少と 

なる に 止まらす、 其の 使用方法. か展 主に 依り 诀 せらる の 

で 勞働者 は 思 ひ 通り 欲望 を充 たす 事が 出來 ない、 夫れ のみ 

か 健康 身體 生命 は危 險に螺 され 道德 的、 精神的 發展は 阻止 

せられ、 その 社會的 政治的 生活 は 獨立を 失う に 至る ので あ 

る、 斯 くの 如き 弊害 を 除去し 眞に勞 働 者拉に 彼等の 家族の 

奉 福 を 圆る爲 めに は、 勞働 者は圑 體 の 力に 依り 資本家に 對 

抗 しなければ ならない。 此處 に勞働 組合が 發生 すろ、 米 國勞 

働 組合 同盟 もまた さう である、 彼等 は資 銀の 增加勞 働 時間 

の 短縮 工場 設備の 改善 を 主張し 彼等 を 奴隸狀 態に 隋せ しむ 

暴虐、 劣 惡な狀 態 其 他より 解 故 させし めむ と r る * そして 

失業 問題 等に 際して は 其の 原 ©^需 要の 不足に 依る とも 2^ 

Si 罷ェに 依る と. --又 工場 閉鎖 等に 侬る もので あらう とも 何 

れに關 係な く 組合員に 給 與を與 へ 彼等に 共通なる 職業的 利 

ts を 保護せ むと する ものである C 



二, ナイ ッ • オズ • レヱヴ オア の批 1^ 

ナ イツ. ォブ、 レエ ヴ オア (Kni"hts of 广 abor) は 賃銀 

勞働者 S 組合で あるが 法律家と 銀行家と を 除き 他の 者の 加 

人 を 許した、 そして 其 ブラ ッッホ I ムを 認容した る總て 

の 人々 の 組 4n であって. g 何なる 職業に 從事 する も 間 はす 圍 

體に包 L 谷した、 夫. れ は各產 業の ライン を全减 なさし め 且つ 

全勞働 階級 を 包含 寸る 一 の大 なる 組合 を 組織す るに あつ 

た、 斯 くの,^ き 理論 は 守る 事が 出來 ない のみなら す、 不. K: 

然 であ つ て勞働 者の 利益の 爲 めに 事も爲 すに 當り 非實行 的 

な ものである、 恰 かも 軍圔に 於け る 各 兵種に 適用す るなら 

ば 騎兵 砲兵 歩兵 化; (他の 兵種 等が 總て雜 然とす る やうな もの 

である、 進む 爲 めに 何等かの 命令. か與 ゑら れ たなら ば 直ち 

に 混亂と 狼^に 支配され てし まう であらう、 斯 くの 如く 組 

IS された る 軍 圍に對 し 最も 安全な 事は靜 止す る 事で ある. 

進軍 S 命令 は自 威で ある、 

コー、 トラス トと努 働 組合 

努働 組合 は トラスト ではない、 然し トラストと 同じ 如く 

不可避な 論理の 發展 的所產 である、 勞働 組合 は トラ スト を 

生む, た 同一 の 經濟條 件の 下に 大 なる 發 達を遂 けた、 卽ち機 

械の應 用 産業の 細別 其れが 組!! の廣大 にして 錯綜せ る 事 等 

は努働 者の 個性 を减 却した、 而 して 此 等の 事 は 彼れ の 同僚 



と 組合 を 作らせ • 圑體 的に、 賃銀 勞働 者と しての 市民と し 

ての 彼等の 權利を 保護な さしめ、 全勞働 階級の 利 盆 を si 

さした ので ある、 然し 其れ は トラスト ではない、 勞働 組合 

は 其の 本質より トラストたり 得ざる ものである、 時には ト 

ラストで あると 嘲笑 的に 云 ふ 人々 が あるが、 夫れ は斯 くの 

如き 狀 態になる に 致ら した 經濟の 第 一 原則 を も 知らない 事 

を 暴露した 虛の 人々 であろ。 

勞働組合は全社會の福祉の爲めに多數の^1<?が自由意思に 

依り 結合した ものである、 トラスト は 少数の 者が 自由 意思 

に 依り 彼等 自身の 利 tlA の爲 めに 結合した ものである、 勞働 

組合 は 其の 組合員の 資格に 熟練と 品性との 點を 除きて は 何 

等 制限 を 設けて ない、 あら ゆろ 賃銀 勞働者 は歡迎 せらる. - 

事實に 於ても 其の 力と、 影響 は 勞働者 をして 一 般 的に 採用 

なさし め、 彼等 は 彼等の 要求す る處を 表白した 永久 的な 可 

能 的な 組 熾と してる。 

トラスト は勞 働の 生産物 を 支配せ むが 爲 めに 組總 せられ 

たもので ある。 勞働 者は寶 るべき 生産物 を 有して ない、 彼 

等 は 彼等の 勞働カ 卽ち物 を 生産すべき 力 を 有し てるのみ で 

ある 何物 も 生産し ない 處に トラスト はない と 云 ふ 事 は確實 

だ、 夫れ 故 もし 此の 事に 對し 他に 有力な 理由の ない 限り は 

5 努働 者の 組合 を トラストと 稱 する 事. か不 魔實 であると 同じ 



如くに 經濟上 不健全な ものである。 

四、 競爭と 組合 

人類 間に 於け ろ 競爭は 種類に 有益で あるか, 又は 有害で 

あるかに 依って 獎勵 さる、 か 否認せられ なければ ならない 

有益なる か 有害なる かに 依り 合理と も 不合理と もなる、 或 

る圑體 間に 目的 を 達する 爲め 機會の 均等と 同 一 條 件の 下に 

競爭が 遂行され た揚 合に は 夫れ は、 合理的で ある。 生存と 

自己 開發と 過去の 勞 働の 集積に 對し 公平な 機 會を剝 奪 せら 

れて 居る 社會の 現經濟 組總の 下に 於て 競爭は 不合理で ある 

何故ならば 人々 は、 生活の 必要品 を 得る 爲め、 他の 同 一 狀 

態の 下に あろ 人々 と 彼等の 勞働カ を 強制的に 賣 らしめ 競爭 

を餘 儀な くさせ しめられて 居る からで ある • ヱリヲ ット博 

士は 家族 や、、 舉校 や、 大舉に 見る が.^ き 有益な 競 爭の說 明 

を 不公平に 引用す るか も 知れない、 そして 競 爭に對 する 彼 

れの 議論の 各 場合に 充當 せむ とする かも 知れない 而し 彼れ 

は 經濟的 爭鬪の 說明は 避けなければ ならない、 此の 國に於 

て 賃銀 勞働者 間の 無拘 東の 競爭は 工場 狀 態と 賃銀 を 低下 さ 

せる、 そして 其の 程度 は 社會的 正義の 意志に 依り 行動す る 

多くの 人 を嫌惡 させる 程で ある • 

五、 理想主義と 組合 

1 般に勞 動 組合 は 目旳を 宣言した プ ラッ ツネ 1—1 を 有し 



S6 



てない、 .Nl 等 相 f の 飛躍 は蔺單 では あるが 屢々 熱情 的に 神 

經 的に 且つ又 セ ンチ メンタルに 訴 ふるもの である。 勞働組 

合 は 賃銀 努働 者の ビデ ネスに 心 を 用 ふる、 賃銀 勞働 者の 事 

務的祖 合で ある、 そして 解決すべき 幾多の 重要なる 問題る 

有して る、 彼等 は 現今 虐 けられた る 者の 権利 を 主張し 虐ゅ 

られ たる 者の 害と 爭 はなければ ならない、 挑戦され たる 場 

合に 決闘に 應 じなければ ならない、 吾等の 若き 無智な 子供 

の 生命 を 救うた め 熱烈なる 戰に從 はなければ ならない。 そ 

して 吾等の 愛する 者に 敎育を 受けし め、 獨 占に 依る 利潤 取 

得 者より 吾等 を 解放し、 失業者 を救濟 すると 共に 選 舉權を 

獲得して 國 政に 閼與す るの みならす 工場 、商店、 鑛山、 田畑 

等に 吾等の 自由の 餘地を 見出さなければ ならない、 此 等の 

事 は勞働 組合 か 日々 對立 しなければ ならない 問題の 一 部で 

ある。 戦に 勝利 を 得る、 而 して 其 處此處 に讓步 せし むる、 

時には 戰に 失敗す ろ、 其の 時で さへ 決定的の 勝利 を 得る 迄 

は 戦 を繼績 さして 行かなければ ならぬ、 勞働 組合 は 抽象的 

綱領に 對し、 注意 を拂 はない し、 殆ど 注意 を 拂ふ餘 裕も無 

いと 云 ふ 事 は 無理ない ので ある、 意味の 宜ぃ美 はしい 言葉 

は、 希望 か 仲 々満たす 事 か出來 なかったり 破壊され た揚合 

に は勞働 者の 土 氣を頹 し 失望 させし め、 實 際に 於て 屡々 疲 

等の 心 を 悲しまし む ものである、 從て努 働 組合 運動 は 日々 



改善す る點に 於て 定 りたる グロ.. クラム を 要しない * il^ し ダ 

口 グ ラ ム より 出發 するならば 夫れ で 満足し なけ れ ばなら 

む、 吾等 は 何も 特別な 標準 を 定めない、 た >勞 働 者に とり 

直ちに 獲得 さるべき 可及的 最善の 條 件に 對し 働く 丈け であ 

る。 そして 其 等の 目的が 達したならば 次に より 善き 事に 對 

し 働く ばかりで あろ、 一 日に 三 弗の 賃銀 をと り衞生 的な ェ 

場で 八 時間 働く 事が 一 日に 1 1 雜 半の 賃銀 をと り 危險な 工場 

で 十一 一時間 働く よりより 望ましき 事で あると 云 ふ 事 を 知る 

爲 めに 何も 卓越せ る 社曾哲 擧ゃ大 なる 截智を 要しない ので 

ある、 勞働 組合が 絕 ゑす 繰 返す 爭鬪は 言葉より 行爲 に、 約 

束より 仕事の 成就に、 理論より 實際的 效果を 負 ふ處大 いは、 

言 ふ 迄 もない (終) 

令勞 働 組合 運 動 史 (I か I 荒 フ畑. S 歸) 

英國勞 働 運動 史 につ いて ゥ H ク ブが權 威で ある こと は 何人も 

疑 はない とこる でもる。 さう して、 本書が 同じ 著者の 「產業 

民主主義」 と共に 勞働 組合に 關 する 最良の 書で ある こと は勞 

働?^ 動 研究者の 均しく 認める 所で ある。 今 この 方面に 深い 造 

詣 有する 譯 者に i つて 邦譯. ^得た の は、 ; 1^ 建の 最も 幸と す 

る 所で ある。 (定 價、 三、 六 〇 牛 込 叢 文閣) 



中世 ギルドと 勞働 制度 



I 

中世 都市 は豫め 考案され た 計 劃に より、 外部からの 立法 

者の 意志に 從 つて 組織され たので はない。 中世 都市 は柯れ 

も眞の 自然 的 産物で ある。 諸種の 力が 相 闘って、 其の 各々 

の 精力の 度に 從ひ、 其 衝突の 機會の 多少、 其 周 園の ものの 

援助の 大小に 從 つて、 互に 種々 に 調整され て 行った、 種々 

の 結果の 產物 である" だから 二つの 都. 市の 其の 內部 組織と 

運命と を 全く 同じう したと 云 ふ 事 はない。 さう して 何れの 

都市 も 別々 に 離して 見れば、 時代 每に變 化して ゐる。 然る 

にョ ォロッ パの 全都 市 を總體 的に 見て 見る と 其 何れも 他と 

異 つた 狀 態の 下に 獨 立して 發 達した ものである けれども、 

その 地方 的 または 國民的 差異が なくなり、 何れの 都市の 間 

にも 不可思議な 程の 類似の ある こと を發 見す るので ある。 

諸 都市の 主要な 組織と, 其の 諸 都市の 根本的 精神と は、 恰 

5 も 一 家族の 間にお ける 樣 によく 似て ゐ るので ある。 また 到 



ピ イタ ァ • クロポトキン 

る處小 村落 や 小 ギルドの 間の 連盟が あり、 一 つの 母 市の 周 

園に は 同じ やうな 幼 市が ある。 同じ やうな 民會、 同じ やう 

な 旗印. か あるので ある。 都市の 守護 者 は 都市に よって 名 も 

異ひ、 印も異 ふるので あるが 何れも 同じ 權 威と 同じ 利害 

と を 代表して るる。 食物の 供給と 勞 働と 産業と は、 何れの 

都市に 於いても 同じ 方法に よって 組織され、 都市の 内外に 

おける 爭鬪 は何處 でも 同じ 樣な 野心 を以 つて 起され、 其爭 

鬪に用 ひらる. -諸 方式 も 同じで ある。 何れの 建築 的 記念物 

も、 其の 樣式 はゴ シック 虱、 口 ー マ 風、 若しくは ビザ ン テ 

ィ ン 風で あっても、 すべて、 同 一 の 憧憬と 同 一 の 理想 を 表 

はし、 同じ やうに 工夫され、 同じ や. フに 建てられて るるの 

- である。 斯くて、 各 都市 間に 多少の 致異 はあって も 其 差異 

は 多く 時代の 差異に 過ぎない ものである。 

各 都市の 主要 方針の 一 致と 起、 源の 一 致と が氣 候、 地理 的 

位置、 富、 言語 または 宗敎 などの 差異 を 償って ゐ るので あ 

る。 さう して 此 等の 都市の 地方 的 差異 や 各々 の 郡 市の 差異 



00 を 明確に すろ 硏究も 甚だ 面白い ものであるが * 同時に 吾々 

は その 何れの 都市に も 共通す る 主要の 發達 經路を 研究す る 

の も 面白い ので ある。 

初期の 野蠻 時代 以來 特に 市場 を 保護して 來 たこと が 中世 

都市 を 解放す る 上に 其 唯 一 ではない が 重大な 役目 を f た 

の は 疑 ひの 餘地 のない 所で ある。 初期の 野 蠻人は 其 村落 共 

產體の 中で は赍 買と 云 ふこと を 知らなかった。 彼等 は 只 だ 

• ある 一 定の 日に、 一 定の 場所で 他村の ものと 交易 をした。 

さう して 此の 他村の ものが 市場 へ來る 途中で 仇 同志の 種族 

の ものと 衝突して 殺された りする ことのない 樣に • その 市 

場 はすべ ての 種族の 共同の 特殊の 保護の 下に 置かれた ので 

ある。 此の 市場 は ある 墼 場の 蔭で 開かれる ので あるが、 こ 

の龜 場と 同じく 祌聖 不可侵の 場所と された ので ある。 

多くの 者が 交易 をし に 集まって 來る 土地と その 四方の 幾 

里以內 では 血の 復譬 をす ろ ことが 出來 なかった。 寶 手と 買 

手との 騷々 しい 群の 間に 何等かの 爭 ひが 起これば、 其爭は 

市場の 保護者 卽 ちその 村落の 裁判所、 または 佾正, 領主、 

の 下で 審 かれなければ ならなかった. - さう して 交易 をし に 

來 た 他村の 人 は 賓客で、 その 人は從 つて 賓客と 云 ふ 名の 下 



に 行動した ので ある。 

此の 特殊の 市場の 司法 權が 市場の 意志の. g 何に 拘ら す、 

遂に 都市 其 ものに 讓與 されて、 其處 から 都市の 自治 的 司法 

權が發 達した と 云 ふこと は 容易に 理解され るので あろ。 さ 

うして 都市の 自由が 此處 に その 起 源 を發 して ゐ ると 云 ふこ 

と は 極めて 多くの場合に 之 を 見る こと. か出来 ると 同時に ま 

た 都市の その後の 發 達に 對 して、 この ことがある 色彩 を帶 

ばし めて ゐ るので ある。 卽ち 都市の 商業 的 部分が 優勢 あ 占 

める やうに なった。 最初 その 都市に 一 家 星 を 持って ゐて、 

その 都市の 土地の 共同 所有者であった 市民 等 は 多く は 商人 

同業組合 を 作って、 その 都市の 商業 權を その 掌中に 握って 

ゐた。 さう して 最初 は 金 持 も 貧乏人 も 兎に角 市民 は 商人 同 

業 組合に 加入す る ことが 出來、 商業 は 都市 全 體の爲 めに そ 

の 委員に よって 行 はれて ゐ たやう であった. か、 漸次に 此の 

商人 ギルドが 特權 圑體の やうな ものに なって しまった。 さ 

うして その 都市の 商業 的 利益 は、 解放 當 時に 市民であった 

少数者の 家族に よって 壟斷 したので ある" かくして 商人の 

募 頭 攻治か 組織され ると 云 ふ 危險が 明かに なった ので あ 

る。 しかし 旣に 十^ 紀に はまた その 次の 一 一世紀の 間 は 均し 

くギ ル ドを組 熾して rQ る 主なる 工匠. か、 商人の 寡 頭 攻治的 

傾向 を礙 ける のに 充分 有力であった。 



39 



I 一一 

當 時の ギルド は その 生產 物の 共同 販责 者で あり、 また 原 

料の 共同 講買 者で もあった。 さ 5 して その 組合員 は 商人で 

あると 共に、 同時に 手工 者で もあった" だから 自由 都市 生 

活の 初から 手工 者の 舊 組合 か 優勢で あつたので 手工 勞働は 

その後に おいても 都市で は 高地 位 を 占める ことにな つた。 

實際 中^ 都市に おいて は 手工 勞働は 劣等の ものと 看做され 

てはゐ なかった ので ある。 のみなら すそれ は 村落 共產體 時 

代に おいて 拂 はれて ゐた 一: :1 い t!^ 敬の 痕跡 を殘 して ゐた。 秘 

俥の 手工 勞働 は、 全市民に 對 すろ 敬虔な 一 義務と 看做され 

他の あらゆる 公職と 同じく 名譽 あろ 一 公職と されて ゐ たの 

であろ。 

當 時の 生產と 交易と に は 共同 圑體 たる 都市に 封す る 正義 

と 生産者と 消費者との 何れもに^ すろ 權利 の觀 念と, か 浸み- 

こんで ゐた。 當 時の 文書に 據 るに 鞣皮ェ の 仕事 も、 桶 星の 

仕事 も、 又 靴 星の 仕事 も. 公正な 正直な もので なければ な 

ら なかった ので ある。 また 工匠の 使 ふ 木 や、 皮 や、; t は 正 

しい もので なければ ならな く、 バ ンは 公正に 燒 かなければ 

ならなかった ので ある。 其、 他の 仕事 もす ベて 同じ 二と であ 

る 



中^の 工匠 は 何者と も 知れない 買手に 寳る爲 め に* もし 

く は何處 とも 知れない 市場へ 送る 爲 めに、 其の 生産物 を 造 

る もので はない。 先づ その ギルドの 爲 に 生產 する。 ギルド 

は 仲間同士の 集 會 であろ。 さう して 彼等 は 互 ひに よく 知り 

合 ひ、 その 職の 技術 も 皆よ く 知って ゐる。 さう して、 此の 

仲間同士 は、 各々 の生產 物に 値段 をつ けて、 それに 現 はれ 

てゐ る、 腕前と, それ を 造り 上 ゆるのに 費した 勞 働の 量 を 

評 憤す る。 次に ギ ル ド 自身. か 此の 生産物 を 共同 圑體 たる 村 

なり 都市な り へ 提出す る" さう して 最後に - J の 共同 圍體. か 

同盟 園體 たる 仲間の 他の 村な り、 都市な りへ、 その 商品の 

善悪に ついての 責任 を 持って 賫る。 こん^ 組織で あつたの 

で、 劣惡な 商品 を 持ち出さな いと 云 ふこと が 各 ェ|^ ギルド 

の 野心と なり、 また 技術 上の 缺點の ある 品 や 不正 品 を 出す 

と 云 ふ か 共同 團體 全體の 問題であった。 

新く の. S く、 生產は アミ タス 全體 の監! l|a の 下に ある 社會 

的籍務 であった ので、 從 つて 手工 棼働 も、 自由 都市の 活躍 

してる た Si は、 今日の 如き 下賤な 狀 窓に 陷る ことが なかつ 

たので あろ。 親方と 徒弟との 區 別. 若しくは 親方と 職人と 

の區別 は 中^ 都^の れ 初から あった。 しかし、 これ も、 た 

だ 年お とか 技 一 f とかの 差这 であって, 富また は權 力の 差異 

でよ なかつ.; に ;^^?:は七年問の徒弟舉公を濟まして、 ある 



り 技術に ついて その 知識と 卞 能との 證明 をして 貰 へ ば 自分が 

. 親方になる ことが 出來 たのであった。 單 に親讓 りで 或は 金 

のお 蔭で 親方と なること が出來 るよう になった の は 王權. か 

都市 や. ギルドな ど を破壞 してし まった 十六 世紀 頃からの こ 

とで ある。 さラ して その 頃 は 最早 中世の 工業 ゃ藝 術の 一 般 

的墮 落の 時代で あつたので ある。 

中世 都市の 最初の 繁榮 時代に は 賃銀 勞働 などと 云 ふ もの 

の餘地 は殆ん どなかった ので ある。 孤立した 賃銀 勞働 者な 

どと 云 ふ もの は 猶ほ更 のこと なかった ので ある。 織工の 仕 

事 も、 弓術 師の 仕事 も、 鍛冶 星の 仕事 も、 パン屋の 仕事 も 

其 他の 何れの 仕事 も總て 組合の 爲め 都市の 爲に行 はれた も 

ので ある。 ある 建築 工事の 爲に 幾人 かの 職人 を 厘へば、 彼 

等 は 一 時 的 組合 を 作って 働き • その 賃銀 も 一 纏めに して 支 

拂 はれる。 1 人の 親方の 爲 めに 勞 働す るな どと 云 ふの は餘 

程 後に なつてから 出来た 事で ある。 しかし その 揚合 にも、 

職人の 賃銀 は 今日 最も 報酬の 多い 職に 支拂 はれて ゐる もの 

よりも 多く 十九 世紀の 前半に 一般に ョォ 口 ツバ で支拂 はれ 

てゐ たもの よりも 餘程 多かった ので ある。 

十五 世紀 頃で も, 左官 や 大工 ゃ錯 冶工 は アミ ァ ン 市で は 



1 日 四 ソルつ > 貰って ゐ た。 四 ソル は當時 パン 四十 八 片* 

もしくは。 フッ ヴァ ルと云 ふ 小さな 牛の 十八 分の 一 に當 つた 

ものである。 又 サキソ 一一 ァ では 建築 工事の 職人の 賃銀が フ 

ァ ル ケの言 葉 を 借りて 云 ふと 其の 六日 分の 賃銀で 三 疋の羊 

と 一 足の 靴と を 買 へ る 程であった。 

また 此 等の 職人が 敎會 へ 寄進す も 金高 を 見ても 其の 比较 

的 裕福であった 事の 一 つの 證據 になる ので ある。 ある 敎會 

の 中の 祭壇と 仕切りとの 建築の 爲 めに 積立金の 十一 一圓と 臨 

時 醵金の 七十 五 圓とを 寄進した。 この 金額 は 極く 精確な 計 

算を すると 今日の 金の 十倍に 當 つて ゐる。 要するに 中世 都 

市に おける 事物 をよ く 知れば 知る 程、 此の 自由 都市の 繁榮 

時代 程に 勞 働が 盛んで さう して 尊敬 を拂 はれて ゐ たこと は 

古今 未會有 である ことか 判る ので ある。 (つ > く) 

令勞働 組合 論 (堀江 歸 一 著) 、、の 書は 近來 加速 

度 的 に 左 行し つ..' ある 堀江 博士の 近業であって、 勞働 組合に 關す 

る 手 顷のレ クチ ユアで ある。 殊に 勞働 組合の 協濟的 職分 强 調し 

一 ようと 云 ふ樣な 愚劣な 議讁の 多い ときに、 博士の 如く 組合の 爭鬪 

的 職分 1^ 其 最高 の 手段と 論斷 せる は 最も 適當 にして、 在来の 愚講 

1 掃す る 丈け の 力が ある、 兎に角、 勞働 問題に 關 する 書の 亂出 

する 間 Li あって 信用して 讀 むこと 1^ 得る 良書で ある。 (二 圓、 芝 三 

田、 國文 堂) 




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電話 丸の 內ー 二八 六番 

E 區 江 戶 ^ 北 一 丁::: 十三 番地 

電 話 土 佐 堀 三 六 〇 番 



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▲ 誌代 は總て 前金 ▲ ^券 代 W 1 割^ 

▲ 送金 は 可成 振替 ▲ 外國行 郵^ 十錢 

大正 九 年 五 月 一 n 印 制納卞 

大正 九 年 五月 一日 發 行 

ぉ京市京^^!區元スキャ町三ノ 一 番地 

3^ 尾 崎士郞 

^京 市 小石 川 區久堅 町 百 八?^ 地 

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東京 市 京搭區 元. ス キヤ 町三ノ 一 ^地 

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室 伏 高 信 著 ま 丽) 拾纖 

第 

マルクス 派社會 主義 は 理想 を畫く カを缺 いたた め 

に 最早 や 感激の 力 を 失った。 新 社會の 建設と その 

哲學 とはギ ルド • マン の 創造的 才能に 殘 されて ゐ 

る —— 本書 はこうい ふ 立場から 書かれた。 




(號 六十 第) 號月六 




■ モ リスの 藝術 

的社會 主義 g 

□ nl ル との 會兄記 

□ ^ 承 逢 論 

♦!w.w, 研究 S 

ロ| 『六 時 間 勞 働』 

□ 午 ルド, V 失業 1^ 題 

画 レー 一 ン國家 論 



編 共 均 川 山 *彥 利^ 



^1 



番八 一六 三 三 京 東 振 沫 五- 1 町 ffi 橋 京 京 東 
番五 五一 七 二 阪大 眷 >i:^:/kl 各 フ乂社 式 詰 休三區 f お 阪大 



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書 



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ド 原著, 四 六判レ y 

.. カゲァ 



定 ニ圓 五十 錢 

郵说 十二 鏝 



新 第 

新 三 

H- 篇 




^働 者の 一 時的閣 結から^ 設的 IS 結へ 進化 組織 形式 運動 方法^ 結の 意義と 

理想. を 組 的に 說き勞 働 者の 道標た..' 鎖鑰 た,.^ 指針た らんと 期せり。 

六 判 定 價ニ圓 二十 錢 

ク r カゲァ 郵说 十二 接 




本 ai に腦制 階級の 手に 依って 築. ュ- 1 された 世界の 歷史 =:::=: 帝;,; の 歷史、 政 

治 家の 歴史 z= を. 平民の 目に て觀 察し 硏究 した 結 杲を大 膽に资 表した もの 

でんる。 

堺 利 彥, 山川 均 共編 

第 i マ ルクス 傳 fry 

堺 利 S s^: 述 



きゲ き册囍 IKJi 千 § 

第二 食: 唯物史 觀解說 き册 g 嚣十 一一 一八. 翻 



以下 陸 a 刊行すべし 



□ 

■ モリスの 藝術 的社會 主義 (一一 宪) 室 伏 高 信 

驪レ ニンの 國家論 ギ ル ド* マ ン 

■ ギルド • マンの 失業 問題 觀 

画 新人 nl ル との 會見 K. M. 

■ 最近の ベル ンシ ユタ イン 

■ i^ 利彥論 S. S. S. 

■ Tiww* 主義の 硏究 (二) 甲 野哲ニ 

讕 レバ ァ < ル厶 卿の 六 時間 勞働論 森 格 



- 編輯 室と 校正 室 口 秋 田 講演 旅行 ロウ H ツゲ 『勞働 組合主義の 歷史』 の 新版 

□ 



= ギルド 社會 主義の 創 生 g.:,! . 

九 

モリス は社會 主義の 宣傳 のために その後 半生 を捧 けた。 しかし モ リ ス の it 會 主義 宣 傳は宣 傅と いふより は IS 造で あ 

つた。 彼れ は 新社會 主義の 創造者であった。 Sgas a-d water socialism は モリスの 謂 ふところの 社會 主義で なかつ 

た。 彼れ は 無政府主義 者でなかった とともに また コレ クチ ヴヰ ストで もなかった。 彼れ の社會 主義 は藝術 的社會 主義 

である. - 彼れ の社會 主義 は社會 主義で あると ともに また 藝術 である。 藝 術と 社會 主義との 關係 において 彼れ の 社會主 

義 I— 藝術 的社會 主義が 生れた ので ある。 

£ ビ》 H ^ スはモ "ス .5^ 英國 における 最大の 社會 主義者で ぁリ、 そして そ は 彼れ の 創造的 精神の 賜で あると 述べても る。 

(villierB, SQClaltBt Movement in Engel §d, p. 108) 

藝術を もって 『針會 的 事業」 の 一 つで あると 信じて るた ゥヰリ アム • モリス は、 綠螯ゃ 彫 剥の やうな 孤獨 的な 藝 術に 

おいて 最高の 藝術を 見出さう と玄る ものではなかった。 あらゆる 勞 働の 歡 喜の 表現 こそ 彼れ にと つて は藝術 そのもの 

であった。 勞働 者が、 その物 質的の 必要の ために 强 制された 仕事よりも よりょく なされた 勞慟 者の あら ゆろ 勞働は 彼 

れの IS ふところの 藝 術であった。 だから 彼れ にと つて は藝 術の 最も 卑しい 勞働 こそ 崇高の しるしであった。 他の 人々 

が 高尙な 仕事に よって 動かされ たと 同じ や、 フに 彼れ は 卑しき 仕事のう ちに 感激 を 見出した。 の 彼れ において は藝 術と 

は 決して 社 會的孤 獨性を 固有して ゐる もので ない のみなら す、 『彼れ 自身の み を 喜ばす ほか 何等の E 的に も 奉仕す る こ 



s 



とのない 仕事」 は、 彼れ にと つて は、 詩 も藝術 も、 ただ 『盗めろ 快樂 j であるに 過ぎなかった T われ 等の 愁求 する も 

の は社會 としてで ある』 —— モリスの 藝 術と は ルネサ ン スの藝 術で はなく して 社會 としての 願望で ある。 ルネサ ン ス 

とともに、 天才の 人達が、 藝術 においての 凱歌 を 高く 唱 へたで あらう。 そして ルネサンス とともに、 社會は 優越な 個 

人を產 出す るた めに 存在す る ものと 考 へられた であらう。 彼等の 眼に は、 藝 術と は 貴族的 性質 を 固有して ゐる もので 

あり、 或は 凡ての ものの 間にあって 藝術 こそ 最も 多く 貴族的の ものであった であらう。 しかし モリスに とって は藝術 

の 優越な 個人的 天才と はた-た 社會の 征服者であった。 ルネサンスの 優越 者の 相 續者は アメリカ の 百 萬 弗 長者で あつ 

た。 それ は 丁度 ドミ シアンが シ ー ザ I の相績 者で あるのと 同じであった。 モリス はかくの ごとき 藝術 的專制 主義の 主 

張 者ではなかった。 個人の 間にお ける 競爭の 心、 優越に 對 する 慾 望 は、 彼れ にと つて は 幸福な もので もな く、 賢明な 

もので もな く、 ただ 熱狂 的な、 盲目的な、 そし、 て 不幸な ものであった。 社會の 願望 は、 永い、 そして 忍耐すべき 願望 

である。 個人 は、 その 個人の 力 を もって、 そして 彼れ 自身の 時代に おいて 成就す る こと を 期待して はならない。 人々 

はた だ 『少量の 成就』 において 幸福 を 感じなくて はならない。 S 11 モリスに とって は藝 術と は 『人々 の勞 働の 自然 

の 慰藉』 natural solace of nlcn-s labour であった ので ある。 

(I) Brock, op. dr p. 219 

(2) 2〕. に 371240 

n. コ IvtolTi-, Arcliitectiire, 1 一 IduBt-ry ; …二 wo; 二 t 一一. 

(十一) 

モリス は 彼れ 自身 工匠 crafts-uul であった。 政治に 對 する 彼れ の 批評, 社 會に對 する 彼れ の 批評、 そして 新社會 

に對 する 彼れ の 建設 は、 みなこの crafts ミ a- としての 立場から 流れ出で てゐ ると いへ るで あら. フ。 crattsHK ョ とし 

ての 彼れ が 工匠の 社會 としての 中世の 社會 の、 フち によき もの を 見出した こと はもと より 當然 のこと である。 モリス は 

今日の ギルド • マ ン とともに、 中世の 社會 のうちに、 多くの よき もの を 見出さざる をえなかった。 そ は 中世 クラフツ マ 

ンの藝 術 的 生活であった。 中世の 藝術 は、 モリスに 從 へば.^ 何なる 一 人の 天才の 凱歌 を も 意味す る もので はなく して 



多くの 工匠の ネ 能と 勞 働との 賜で あろ。 この 多くの 職 匠の 才能と 勞働 こそ 偉大なる 伽藍 を 建設した もので あり、 そ は 

決して 一 人の 天才 的藝術 家の 陚與 ではない。 中 世紀に おける 藝術は 何故に 繁ぇ たか、 そ は 工匠が 『よき: tt 事』 をな す 

こと を 目的と して ゐた からで ある。 彼れ の 製作し つ >. ある もの は單 なる 商品ではなかった ノ 工匠 は 『よき 仕事』 に 志 

した T よき 仕事 J のうちに 一 n?s が 生れた。 そこに 藝 術. か 生れた" そして 勞動は 苦痛で はなく して 享樂 であった。 —— 

この 中 世紀 工匠の 社會を 破壊した もの は 商業主義であった。 

(十二) 

モリス は 彼れ 自身 工匠と なった。 彼れ の 期す ると ころ は 『自由なる 工匠』 となる ことであった。 しかし 彼れ は 資本 

家と なること なくして は 自由 は 存在し えられない ものであると 考 へた。 工匠と しての 自由 を 享有す る もの は、 彼れ に 

從 へば、 現代に おいて はた だ畫 家と 彫刻家と. か あるの みで あると。 中世の 工匠の 間にお いての 自由 は、 何故に われ 等 

の 時代に 與 へられて, ゐ ないで あら ラか、 モリス は, ての News fro ョ Nowllcn- のうちで 次の やうに 述べて ゐる。 , 

『われ 等の 聞き 且つ 讀 むだ 凡ての: とから して、 前代の (资本 主義) の 文明に おい ズは、 货^ の 生産の 事件-」 おいて、 人々 が惡德 

. の 仲間入り して ゐた: と は 明白で ある。 彼等 は 不思議な ほどの 生產の 便宜-しと? HI しズゐ た。 そし ズ その 便宜, 最大に する ため 

に 彼等 は 次第に 世界 市場と 稱 せられる 資 買の 最も 摘 巧な 方法, や 創造した。 (或は 寧ろ 成長, ^許し; 00 世界 市場 は 一 度 始まる と、 彼 

等が それ 必耍 とすると 否と Li か、 はらす、 彼等.^ して 益々 货 物の 製造 行 はしめ る こと 1^ 强别 した。 そ、、 で 彼等が 寅 際の 必要 

品 1^ 製造す るの 勞 苦から 彼等 自身 解放す る: とので きなかった うちに、 前述の &界 市場の 鐵 則の もとに、 彼れ 等に とって 生活 

支持す る, K 際の 必耍と 同等の 重要 さとな つ ^無限 LL 連續 する 佯リ または 人工的の 必耍 造った。 かくして 彼等 は單に 彼等の 憐 

れな 制度. ^運行せ しめる、、 とのた めに 互 大量の 仕事.^ ill らに負 はぜた』 S 

News from Nowhere の 主人公 ハ モ ン ドは 更に 話 をつ づけた。 . 

『彼等が この 不必要 生産の 恐ろしい 重荷の もとによ るめ く、、 と > ^餘 儀な くされた. U 上 は 彼等に とって は勞 働と その 結果と.^ 1 つ 

の 立場 11 卽ち 貨物の 製造に 最小限の 勞 働,^ 費し > そして 同時にで きる だけ 多くの 货物 yj* 製造す る-、 との 不斷の 努力 —— ょリ以 

外の 立場から 觀察 する、、 と は 不可能と なった。 、、の 生產の 低廉 化の ために に あらゆる ものが 犠牲に された。 勞働 者が その 勞 働に 

おいての 幸福、 杏な 彼れ の 最も 极本 的な 慰藉 健康と 食物と 衣服と 住居と 閑暇と 娱 樂と敎 育と l 要するに 彼れ の. in 活 — は その 



5 



大都分が全く生產するに惯ひしなぃ、、の事物の低廉生產の^^慘な必耍に對する權衡にぉぃて砂の 一 粒む 直くなる: と はでき ない 

••••13; に 全 瓧會は 世界 市場に よって そのうへ、 に强 制されて ゐ る、、 の 掠奪 的な 怪物、 『低 藤 生產』 の 顎のう ち-. 1投\3 られ た』 ゆ 

モリス は 『世界 市場』 とそして その 結果と しての 低廉 生産と に 着目した. - 彼れ はこの 點に 商業主義の 眞 髓を發 見し 

た。 そして その 商業主義 のために、 人々 の 勞働も 快樂も 健康 も、 一 切の 生活が 樣牲に 供され つ、 ある ことの 事實を 見 

た。 然 らば 機械に ついては どう 考へ たか。 機械 は 勞働を 節約す るの 目的に 奉仕した であらう か。 近代 工業 制度の もと 

における 機械の 影 饗 についての モリスの 觀察 はまた 大に聽 くべき ものが ある。 ハ モ ンドは 次の やうに 語りつ づける。 

『:: 勞働 節約の 機械? 然リ、 それ は 他の 仕事、 恐らく 無用なる 他の 仕事に 消費す る —— 私 は浪费 とい ふで あらう —— ;: めにあ 

ろ 仕事 に おいて 勞働 (-t つと ありていに い へば 人間の 生命) 節約す る 目的で 造られた。 友よ、 勞働 低廉 化せし めようと すろ 

彼^の 凡ての 計 劃 はた 勞 働の 負^ 重く する、、 との 結果と なった。 价界 市場の 食欲 ^ は それの 寄食す る ものと ともに 成長した。 

『文 叨』 (卽ち 組 織的不 幸) の圈內 にある 諸國は 市場の 喷形 もつ 滿 たされ^。 そして 强 力と 偽 脇と が, 、、の柵外に諸國^5^^^: 

; is- なく ir 開 拓』 する た めに用 もられた。 この 開拓の 綞路 はこの 時代の 人々 の 公言す ると、、 る 讀んで そして 彼等の K 行 vi- 了解し 

てゐ ない 人に とって は 不思議な、、 とで ある。 そして それば 恐らく その C 奴 惡の狀 態に おいて 十九 世紀の 大害惡 ノ獰惡 の 責任 免れ 

ろた めの 偽善と 偽 ijilj 子 的 口吻,.^ 使 ffl する: と,^ 示す であらう。 文明の 世界 市場が 未だ その 手に 摑 まれて ゐ ない 國 渴 望した 時に 

めろE^んす いた ロ^が 發 見され^ 11 商業の それと は異 つた そして それほど 残酷で ない 奴款 制度の 廢 止が これで あろ C .: 次に 

ある 勇敢な • 不法な、 無智な 冒險 者が 發 見され た o( 鼓爭の 時代に は 困難な 仕事で はない) そして 彼れ は その 悲運の 圏に おいての 

あらゆる 傳統的 社 <5av^ 破 接すろ、、 とに よって、 また めら ゆろ S 暇と 快樂と 1^ 破续 する、、 と によって. 市場 開く ために 買收 さ^ 

たの もる" 彼れ は 土民に 彼等の 欲乜 ざる iK^I 屮强 い、 そして 彼等の 自然の 生產物 盜 奪の 別名と しての 『交換』 において 取得 

し、 そして それによ つて 新ら しい 需要 開拓し- 』 



『:: それ ゆ ゑに 十九 世紀の 偉大なる 功業 は發 明と 5^ 一 練と 忍耐の^ 異 であり、 そして 無價 値な 間 Li 合ぜの 限りなき 分量の 生產の 

ため に 使用され た 機械の 製造であった。 .13; に、 槠械の 所有者 等 は 貨物と して 彼等の 製造す る 何.,.' のにつ いても、 單に 彼等 自身 

畳 かにす る ことの 手段と して 以外に は考へ はしなかった。』 5 

モリス は 商業主義 において chattel-Slavery においての 奴 制度よりも 更に 殘 酷な 奴 1$ 制度の 成立して ゐ るの を 見 

た。 そして 努働 is 約の ために 發 明され た 機械 か 無 憤 値な 間に合せ 物 を 製造す るた めに、 そして この 機械の 使用者 を 富 



.6 ましめ る ことの 目的 以外に 役立たなかった こと を考 へたので ある。 

(ト」 William Morris, ^News flcE Nowhere, Longmans, P. 108 

(2) ibid., PP. ii 

(3) ihitl., PP. 110112 

(十三) 

モリス はかくして 商業主義の うちに 十九 世紀の 『一 大 害惡』 を發 見して ゐ たのみなら す、 機械の 效 果に對 しても そ 

れ が奴隸 制度 を 導きつ、 ある ことの 事實を 見た。 この 事 實は屡 々彼れ の 批評家 をして モリスが 機械 そのもの を 憎惡し 

または 排斥した ものの ごとくに 考 へさせる に 至って ゐ る。 しかし モリス 自身 はブ 口 ックの 指摘して ゐろ とほり 機械の 

盲目的の 僧惡 者ではなかった。 S 彼れ か 機械の 效果 について 深い 反感 を もって ゐ たこと はた だ 機械が 正しく 使用され 

てるない ためで ある。 機械が 正しく 使用され る 時には、 人々 はこれ によって 多くの 閑暇と、 そして その 結果と しての 

快樂と をうる ことができる ものであると は 彼れ の 堅く 信じて るた ところであった。 從 つて 彼れ の 建設 せんとす る 新 社 

會 においても 機械の 使用 は 期待され てゐ たと ころで ある。 卽ち 手に よってす る f ) との 退屈な 仕事 はこれ を 機械に よつ 

て 運行され べき ものである となして ゐ るので ある。 S 

(2) wrock. op. cit., p. 227 

f 3) IvrorriM, Mews from Nowl-pre, p. 1 IH 

(十四) 

モリス の 求む ると、 ) ろ は 賃銀 增 加の 問題で もな く 貧乏の 救濟の 問題で もな くまた 富の分配の 問 でもな か つた。 彼 

れの 求む ると ころ は 自由で ある。 自由の 社會 である。 ブ ロウ ハム *ビ リヱ ルス は モリス の 建設 せんとす る 社會を 次の 

や、 ゥ に解說 した。 

『モリスの 肚會 主義に ついての 考へは 地球 並 Li そ S 'うちに 存 V., る 凡ズの もの 使用す る 萬 人の 平等の 權 利のう へに 立てられた 自 



由 社會の それでもる。 また 從 つて 生活の 手段の ための 凡ての 鼓 爭の錢 止で もる J1 S 

卽ち モリスの 建設 せんとす る 新 社 會とは 自由にして 生存の ための 競爭の 存在し ない 共產 の社會 であると いふので あ 

る。 彼れ に從 へば この 新社會 において は 『理性と そして 享樂の 感じが 支配す る』 の社會 である。 S そ は 『組織的. 小 幸』 

Organized misery. としての 文明で はなく して 萬 人の ための 幸福の 保有 せらる 、 社會 である。 しかし 自由と は 放 の 意 

味で はなく. 享樂と は無勞 のこと ではない。 モリスの 謂 ふところの 自由と は 創造の 自由で あり、 その 謂 ふところの 享 

榮 とは勞 働に おいての 享樂 である。 彼れ 自身の 言葉に 從 へば 『勞働 それ 自身に おいての 享樂』 conscious Ser 一 sllis 

pleasure ",1 the work ilself である。 S 彼れ は 建設すべき 新社會 について 次の やうに 述べた 『今 曰の 文明 世界の 第 一 

の 義務 は 勞働を 萬 人の ために 幸福に する ことで ある」 と j 

n〕 wrougl-a ョ VilUers, The sooiallBt Movement in Engl さ d, p. 1§ 

3 William Alorrls and ISelf >rt Bax, Socialis ョ: Its Growth an(l Oiitco ョ e, p. 234 

(3) News from Nowheie, p. 107 

(十五) 

こ、 に 一 一つの 問 IT か 起される であら-"。 その 一 つ はか 、 る 共産の 社會 において 人々 は 勞働を 厭 ふこと はなき かとい 

ふこと である。 この 問題 は歷々 社會 主義の 反對 者に よって 提起され てきた ところで ある。 彼等 は大體 において 所有 愁 

と 生存の ための 競爭 とに よっての み勞 働の 刺戟 か 存在す る ものと なして ゐ るので ある。 しかし モリ ス にと つて は, レの 

問題 は 極めて 簡單 に 解決 せられて ゐる。 

『勞 働の 報酬の 存在 しないと: るに お いて 如何にして 賁下は 人々 1„ ^働かせろ か? 特に 彼等 V^L て 熱心に 鱗 かぜる か?』 

『二 ュ ース*フ 口 ム參ノ| ネェ— ァ』 の 主人公の 一 人. かか、 フ 尋ねた。 ハ モ ンドは 厳 そかに 答へ ていふた 『t5: 力 働の 報酬 

は 生活で ある』 5 と。 The reward of labour, is life. —— よき 仕事に は, 報酬 は 益々 豐か である、 『創造の 快樂』 が こ 

れ である。 モリス は 創造の 快 樂を說 いて ゐ るので ある" 

し.^ し モリスに おいて は勞 働の 報酬の 問 超 は、 ^るべき新社會の構造の問題と切り離して考へらるべきことで^4な 



ぶ に。 ぞ して そ は. S 何に して 働 を享樂 化する かの 問 匿でなくて はならない。 

(1) NewB froB Ncwhere,、p. 100 

(十六) 

何に して 勞働 は享樂 化せし める ことができる であらう か。 モリス は 第一 に 商業主義の 破壤 I— r 利益の ための 生 

產』 を廢 止す る こと を 主張す る。 彼れ は その 建設 せんとす る 新 社會の 生産 組織に ついて 次の やうに 述べて ゐる。 

『われ 等の 製造す る 貨物 は必耍 とされて ゐ るた めに 製造され る。 人々 は 彼等の 知る こと もな く、 また その 支配す る、、 ともなき 漠 

然 たる 市場の ためにで はなく して、 彼 がその 自身の ために 製造し つ 、あると 同じく 彼等の 隣人の K めに 製造 マる。 そ、、 に は賈 

買がない が ゆるに 需耍 された 場合に a:- 物,. 製造 マる とい ふこと は單 なる 狂 氣 である。 何と なれば そこ LL は 最早 やそれ 等の 貨物,^ 

買 ふこと 强 制される ことので きる ものがない からで ある。 それ ゆ ゑに 製造され る もの はみ な 善く、 そして 完全に それの 目的に 

適して ゐる。 純粹の 使用の ほかに は 何もの も 製造され る こと はでき ない。 それ ゆ ゑに 劣等な 貨物 は 製造され ない 特に 前 L1 もい 

つたと ほリ われ 等 は 今や われ 等の 愁望 する もの.^ 知った。 . それ ゆ ゑに われ 等が 耍求 する 以上の もの 製造し ない 

利 盆の ための 生 產か廢 止せられ る こと は 彼れ の 謂 ふところの 無用の もの 生產、 世界 市場の ための 生産の 廢. ij せられ 

ろ ことで ある。 その 結果 は勞 働の 節約と ならなくて はならない。 

『われ 等 は 無用なる ものの 多量,^ 製造 マる: とに!! られる ことなき がた め に, われ 等 は 物の 製造に おいて 快樂 思 ふだけ の 充分 

の 時間と 資源と もつ』 S 

モリスに 從へ ば 不愉快な 仕事 は 機械に よつ て 行 は れる であらう. 手に よ つて 行 ふ 、 J とに 享樂 の存 する 仕事 は 機械 を 用 

ゐる ことなくして 行 はれる であらう。 そして 各人の 心の 變 化に 對 して 適 當 する 仕事 を 見出す こと は 困難で ないで あら 

5 從 つて 『何人も 他人の 欲望の 犧牲 となる 人 はない』 であらう。 モリス は 次の やうに 述べる" 

11- 侍て、 贵下 はか、 る狀 態の もとにお いて はわれ 等の なす 凡ての 仕事 はしかす る、、 とが 大 なれ 小 なれ 愉快なる * 精神 及び 肉體の 

使用で ある。 それゅゑに人々は仕事,.5*避ける、、との代:=^にそれ1<^求める』 S 

モリス は 他の 書物に おいても 次の ゃラに 述べ てゐ る。 

『勞 働への 獎勵の 固有の 原因が 必要で ある こと は眞實 である。 し 5- し感覺 ある 世界中で これ は 精力の, 見事なる 使用に おける 享樂 

にぶって 伴 はれても る。 例へば 馬 は その 自然の 狀態 において は 走ろ、、 と 喜ぶ。 そして 犬 は 藪る、、 と 1^* 喜ぶ』 S 



9 



モリス は 人間の 歴史の ラ ちに おいても * 遠い 原始時代から 古昔の 歴史的 野蠻 時代 へ 進ん た 時に 勞働 においての 享樂が 

新鮮な 刺戟であった こと を 指摘して ゐる。 そして 藝 術の 生れた の はこの 必要な 仕事 を娛樂 に轉ぜ しめた ことから であ 

ると 

C) Ne>s 11.211 nowhere, pp. 】KI】a s 一 ョニ. i 1, s -E. (4) Mcll.ia §(1 Bax, s:>,iaus=l, I-. 227 

(十七) 

モリスに 從 へば 勞 働の 享樂 は、 人々 の 生活の 自然の 狀態 において 期待せられ ると ころで ある。 多くの 勞働は それ 自 

身に おいて 享樂 である。 また 仕事 それ 自身が 享樂 でない 揚 合であって も 他の 刺戟に よって 享樂 化せし める ことができ 

る。 更に n 早 梨 的の 習 恨」 となる ことので きる ので ある。 S 11 モリスの 期待す る 新社會 とは實 にかくの ごとき 社會 

であろ。 彼れ に從 へば 勞働 者から その 勞働 においての 享樂か 分離され るに 至った の は 極めて 近世の ことで ある。 そし 

て 近代 社會の 根本的 病弊 はこの 勞 働に おいての 享樂の 喪失と いふ-と である。 卽ち勞 働に おいての 享樂の 回復で ある。 

モリスに 從 へば 藝 術と は勞 働の 享樂 である。 6 また 彼れ に從 へば 莩樂 なくして は藝術 はありえない。 S モリスの 期待 

すると ころ は勞 働に おいての 亭樂 である。 努 働の 享樂 とは勞 働の 强 制された 狀態 ではなく して 勞 働の 自由な 狀態 であ 

る。 自由な 働 は 人々 の 思想と 人格との 體現 である。 そこに 創造の 世界 か 生れる であらう。 そこに 勞 働の 藝術 化が 行 

はれる であらう。 11 モリスの 期待す ると ころ は藝 術と 社會 主義との 一 致で ある。 然り藝 術 的社會 主義で あろ,^ そ は 

行玫 約社會 主義で もな く T 瓦斯と 水との 社會 主義』 でもな く、 一 切の 非 生命 的な 社會の 建築で はなく して 創造と 生命 

との 社會の 創造で ある。 ベルト ランド • ラッセル は モリスに ついて 次の やうに 述べ た i- ゥヰ リア ム • モリ は社會 主義 

者であった」 そして 彼れ が藝術 家であった かために 非常に 多く 瓧會 主義者であった』 と、) ^ ラッセル のこの 言葉 は藝 

術と 社會 主義との 闕 係を說 明す ろた めに 用 ゐられ たもので ある") しかし そ は 同時に ゥヰリ アム • モリス 針, 主義 

特質 を說 明し て ゐ る雜 辯な 言葉で あろ。 . 

5 Ne-a from Ncwherd, 1, 107 s l?lTis, Al.dlit し。 t-,, l-.llu-y I Wc 二 tli, 00 ン rail a-l-l F ol, clr I, ,B 

r さ weltrand llustjcll, IVOPOBed KoelH to Freslil, p. 175 

(室 伏 高 信) 



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『國 家ば 死减 すろ 了- プ ジョァ の 國., 秋— H ンゲか ス國. ><觀 ^マ: 一義— 『共^- W 一言. r 國家— ぺ , かの 提議 ゴ, ダ會 

議 I 力 ゥ ツキ, の卞 マインツ の會議 (. 獨立勞 働黨の 決議—" , 'ド p^. ^態度— ギ ク ド rt- 侖". £義 —圜ひ 秋: ^^主義と デ 乇グ ラシ! -ソ, -シャ ご デ. 

乇 " ラノ J&LESKtAS-tJt 、ぺ か ンシュ タイン I- 『マ か グ ス 主義の 危機. 11— マ ..^ グ スも義 つ 1^ 則 —唯 物 觀,! 唯物主義と 准:^ 电觀— -マ かクス と * 經 

シ, .1 修正 > ^お 逸 曰 tH 義 1^ 濟: J^tji— マ グ スも義 者の 態」 お— 餘釗 W 直^— マ グス慣 痕<11-ェ ンゲか スみ t^J^l 勞働 値— マ か グス 抽象論 

—マ ^ グス慣直^^^-と餘剃勞駒—fJ5<.^?:gfJ^-is4屯義と窝のへ.:-53—sg^;^l^—l^i5fw、>^^^—革<^;^^丄^共奄ま客ー;^i^の批評—政治的:li-主主義l_.ァ モン 

ケラ シ!肚^主義と自由主^—勞働者と1^國..^:1通選舉---『共^^恚宣ー百 r^£:tt き 主, 還と 理想主義— 『カント _」 還 i:- ,丁 『カントに れ』 の 意義 >^ 

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サン チカし ス S l^势働組八aの公認.l『勞働リt?介听^な^jIf勞働總同盟T C.G ヽ L や ま 同 明. S ェ —サ タ, デュ 及ア ぉィコ ット, I ぺ 

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マ f ク ス —プ 1 ド ン— 直 俊 行動 —サ ンゲカ リズムと 無政府主義— サ ノゲカ リズムと!? バ グ, 一一 ン組镟 的 無政府主義 I 會 主義の 目的 ^ ま 

齊 :5 聯立 主 や! « —-サ シヂカ リズムと 勞働姐 主義— - つ.^ V •— 產^ 勞働祖 口 tl^ 錄^ 勞勁沮 人口:— コ ン クチ ゲヰズ 厶とサ ンヂカ リズム, I 生 產者專 

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キル ト社 金曰主*« (リズム ゆ 波,^ 中央 势 勤た, リギ" * ト: az^ia の 誕生 ー. ギかド 主義と 國家 査 國 sg. 主義 

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義と 國^— 勞勵 IS 合 t- 國: 水ノ 《?:OBly-IT.Et へ勞働 机き の tej 原— ブ 



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國., 社^主義と 賃銀 

及^ のき. 5 業!^^ の 味 I* やか ド杜 < ^主 

*ss 且 /nfcjsr も 倒 t 口 yiisi フ ノン タノと ゥェ ゲソた t ドの性 貧!,^ ま 革.^ と勞, 5 口 I, 各 pi め赏例 

レド :^< ^主義の 持 貧 } 518懂雜<|ロま義1,.5:乃き由—出>^主;1_«と勞励^き主ゃ;^51-ォーゥ H ノ4£11^.!チ 4^ 1 チ ス ト—『ナィッ ,ォヴ .ゲ ォァ』勞 

®沮き主;sとt^き主義と乃,^離— 一 ん五ニ 年の fi 襄 M 組な n 主義 1 勞働诅 <<n 主義 定義. ー 国.,. き 主義 的勞渤 組合主義— 職 m 刖組合 主義の 性赏 !. 

T 八ん 九 年^ m 合 主義。 性質 -丄 現代の 新 組 <^-もノ ぉレ. \u、:7t-t.£ 妻 、a シァ社t.s勁*^lャードシレゥ ヰキ の起原Hけ^フ^,ぐ;;";^レーは 

^i—虔槳^l2a主,凝の^sgr—そQ性質i-その現势) TT ルシェ ゥ 4 キ 主義 フ丄ニ お < ^と 九:! ciss— 『人民, コロッ スの書 杓— 妥協 的 態度 

^シ4?^だ;?の5^に勞^ハへ|法けト?ソキ^が^ シ =ゲキキ^-レ, 一一 ンの2.?.势渤皆.及と^2權—『出ハ.,§』ほ|;.^^ぉか^^ば斗".^^ 

^と: kt 質 1 マ お ク ス主 あ" おか ン H ゲヰキ !■ お ^ シ H ゲキキ と 無 政ノ旺 ".ffsuti へ 無 政 軒 主義の 起原 I 講會 主義と 無政府主義— 暴動^と Jt 和 紐 

^i!^ シ vr ゥキキ と サン ゲカ リズム -154 シ W ゥキキ と國ク 巴&: お tf=:.3s\ —モ スト, • マヤ クス, パブ 丄ーン i ク n お トキ )、 カ^ Jgl-g 

^ 主義 旳無政 "付 主義 |集 產的 無义府 主義の 性 貧— 園揸 主義と 楚ゎ— グ 口 .ホ トキノ 乃 無政府主義 謐-— 相互扶助と 共産主義 ! 自由なる 共 產主芽 -—W 

あと 所有 I 共亲 主義と 無政府主義 1 スチ M^^bJTtMi 義 I ほ 人 主義. ^無政府主義, I 



11 



最近の 

ベル ンシ夕 イン 

• きき 鲁 き 

BH デュク一 ド. ぺ かンシ タイン は W 界 

大戰 中に 多数 波社會 {=s-y^ 脫 して ハ-せ や 力 

ゥ ツキ, 等と ともに 獨立社 會蔬に 入つ;^ C 

しかし 彼れ の 思想" 矢 張リ多 數 派と ぶり 

多く I & すると ころがなくて はなら なかつ 

たで あらう 彼れ は その後 獨 立派,.^ 腚 して 

多数 波 Li 舞 ひ \K つた。 

騸べ ヤン シ タイ ソ. は 今年の 二月 二十四日 

付け-^-もって 『新 政治家』 1,1 1 論文 1^ 投じ 

てゐ ろ.' そ は 彼れ の 立場,.^ 最もよ く 示して 

ゐる。 

□ 

B 、、の 論文に よると 彼れ は 徹底的.: 多数 

波の 辯誣 者と なって ゐる。 彼れ に從 へば 今 

日の 獨 逸の 鋰濟狀 において は、 純 梓に 社 

食 主義 的社會 として の fitllf^^ 釗 造す る: と 

は 不_.? 能で ある。 強いて 直 LL 社會 主義の 社 

會に到 建し よ、 とする 企 は 内 亂_ ^尊き- 流 

血と 無政^と、 そしてぉ^£^に反動,<5-導き出 

す ものであると- 

編 又 曰く • |g 逸に は有權 者が 三千^ 人 あ 



つたが そのうち 社會 11 多数 汲と 资 立 « 

の 双方 合^て 11 の 廐ち えた 投 1§ ポは 半數 

に滿 たない。 卽ち 一千 三百 五十ず Z 票 えた. 

に 過お、 ない コ ^つて 有産階級の 政黨と 提携 

聯合す る: と は 止む^ えない ことで ある。 

おって 今日の liffi においてば 社會 主義 的改 

良 政策, < ^もって マ る: 主 的 共和 國.^ 建設す 

るの ほか はない io 

B 、、の 立場から ベ.^ ンシ タイ ンは 多数派 

の 妥協 的, 一:^{動的政策1^辯護する。 彼れ Li 

從 へ 多数派の 努力-」 よ つ て 成立した 新勞 

働 法 は勞働 者に 對し、 工場に おいて、 仕事 

揚 において、 事務所-.. 1 おいて、 店舗 LL おい 

て、 法定の 接 利,^ 與 へる ものであって、 世 

界の 何れの 國 Li おいて J.' 見る: とので きな 

い —— ソゲヰ H ット • ロシア において さへ 

.1 進步 した 法律で あろと ベ. -ンシ タイ 

ンはぃふ;^:から多^^?^社會主義は 『建設的 

社會 主義』 である。 

の 法律に 對 して ts 立 社. 及び 共 

^^{無から非常な反對がもリ、 そして 大示成 

^^動が行はれヾ称官との大銜突"かぁリ、 逮 

_レ 軍隊の 出; § となった。 ベル ンシ タイン は 

多数5^の、、の態度もまカ止む-^んなぃもの 



であると なして ゐる。 但しべ かンシ タイン 

に從 へば、、 の 示威運動 それ 自身 は 少しも 政 

狩に よって 干涉 されて ゐ ないし、 凡ての 演 

1^ も 無 干渉で 行 はれた と。 

B ベ.^ ンシ タイン は^. 5- シ H ゲヰキ の 熱 

心なる 反對 者で ある C 彼れ は 第二 醞 際 

マ 少クス の相續 者で あろと 主張して ゐ ると 

、こもに 第三 國際黨 もって マ か グスの 衣 

緩へ る マ かクス 以前の 社會 革命の 主張者で 

あると なし \^ゐ るつ 

B 彼れ 曰く 『おか シ H ゲヰキ の 理論 は 無 

制限の 强 制的擢 力の 主張で ある』 と。 又 曰 

く マ かクス もまた 權 力.^ 產 科 醫 であると 

いつ ことがある。 しか- f. 產科 は 自然に 

よつ ズ 下された 倏 件と 定められた 時に つ い 

乂の 用意がなくて は生兒 產 ませる、 -とは 

できな いと r 

黼 ベル ンシ タイン 

は その ビス マ ー ク のために 追放 せられて か 

らの國 事犯 人と して 在外 生活.^ > 記錄 する た 

めの 一 書 著した- 、ご- S t J: 一 hre 一 1 Me: 一 I 

; Kxils が、 -れ である. - 



ェ 令 編輯 室と 校正 室 

♦ 電車 ストライキ 一件から 地金 暴 1^ し 

た... > の は 正札 付, < 、の资 本家ば かりで はな か 

つた- 平常 は勞働 者の 味方の やうな 額付き 

, ^して & たもので 资 本家と チ- ノト- はな 

い 心 持 暴露した もの はァ ツチ コ クチに 大 

分 多かった, - 

♦ 先 づ束京 市 內の大 新聞なる ものが みな 

それであった。 日 曰で も 朝日で も 萬 朝で も 

時事で もみな それで あつ;,:。 かうな つてく 

ろと 日本で もテ ヘラ^ドの やうな 

I- のが 一 つ 位 ひ ほしい。 

♦ .EE わかと かいふ 御先 生 はなんでも 亭 

主 LL 書いて もらった もの^ 自分の 名前で 麗 

々しく 出す の だとい ふ 人が ある。 まさか さ 

うで も あろまい が、 あの 先生が 宽車ス トラ 

ィキの 時に 萬 朝に 投書して ゐ たこと は 滑 接 

で 腹 も 立てない 位 ひであっ^。 

♦ と いふの は、 わか子 御先 生 曰く, スト 

ライ キ,^ した 宽車從 業 i は 『市民の 敵』 だ 

から 眾隊な 使って 澳應 すべさ だ、 軍隊 は 外 

敵ュ ばかり 使用 すべさ もので はない と。 ェ 

ライ こと 御 承知な 御先 生 だ。 プリ アンめ 

展 ぬで もしぶ うと いふの か。 



♦ 車掌 連が 市民の 敵なら、 御先 生 は 『勞 

働 者の 敵 J1 で 御座らう 。そんな 御先 生が 『社 

金 問題の 系統的 硏究 』も 聞いて アキ レシ、 そ 

の 論文 に 何が 番 ぃズ わろ かと 思 へに 社會問 

題と は 世の中で 一番 大きい 問題の: と い 

ふんだ つて、 大 膽な大 先生 もあった ものた 

—— 誰れ かヾ 山田バ カ子た つてい つたが, 

ィャ どうして" カ子 ど: ろ 力 C 

令 早稻田 大學现 工科の 學 生さん 達のう ち 

Li も 御 明な 方が 多 い と 見えて 電車 ス トラ 

ィキの 際 LL 車掌 運轉 手-し 代って 市民の ため 

LL 罨車 運轉の 義勇兵に なると い ひ 出した と 

か、 一層の こと、、 んな 頭の 程度なら 車掌に 

なリ つきり の 方が 身分 相應 だら う. -*o 序に 

田 わか 嬢で も 親む で 『社會 問題の 系統的 

研究』 でも 解釋 してむ らう かな。 

♦ クロポトキンの 著誊は 原著-,. - みな 輸入 

禁止 Li なつ V- ゐ るが たぐ 一 つ 禁止-し ならな 

い ものが もる。 大英ほ 科 全書 新版が 、 、れ だ。 

これ 卩はク n V" トキ ンの 無政府主義 論が 載 

せられて ゐる。 『綞 濟學 研究」. が發賣 禁止に 

なるなら 『大英 百科 全 1^1』 も 正 LL 發寳 禁止 

なるべき ではない か。 ?ぉ局 者 以て 如何と 

なす i-o 

プン • • • • 

♦ 近^の 米 誌で 見る と ハラ、 ケィ が過窗 



主義に つ いての 日本の 態度 米國の 記者に 

語って ゐ るが、 それ _IL -4 ろと 何んでも 過激 

主義 は,. ハ イカ ル から 東 へ は 入らせない と い 

つ ズゐろ やう だつ ハラ、 ケィば 浦 整 透 日 

本の 領分と 思って ぐ ももる のか、 それと む 

4 鲁參 參赡き 9 鲁 > 

戸水. パ ィ カル 博士 Li で かぶれた のか。 

令大 迫大將 とい へに もう 十 年む 前に 他界 

した かと 思って ゐ たら, 、、の 13^ 何 1^ 發 心し 

て か國體 擁護の ために 發愤 して 立った とか 

い >- 年,.^ して i ぜ ばい 、ではない か、 ど、、 

にだって 國體 破壤し うとす る 人 はない 

年甲斐の ない 人た。 また 英國の 退役 

將校 連の やって ゐる 過激 主義 排斥の 『自由 

同盟』 の 方が 氣が さい ゐる だら う。 

令^-ゥクキィに 『勞働 階級の 獨裁 政治』 

(Dinocratie Oder Dictalur) の 新著の ある 

、、と は 前々 號で 紹介した が、 いよ, 次號 

から その 全文,^ 連載す る (高木 法學 士譯) 

♦ 室 伏 氏 『ギ ク ド社會 主義』 の 第 一 卷は 

いよ/ \ 六月 五日に 出來 るで あらう。 右 は 

全部 四卷 から 成る ので ある。 

令尙 ほ 『フ H ビア ン 派社會 主義』 の 一 

f. 「批評」 Li 揭 載す るつ もりで もった が 

右ギ か ド社會 主義 第 一 卷 中の 一 節と して 揭 

載す る: ととな つたた め 本誌に は 出ない、、 

とに なリ ました 



13 




レ 二 ンの國 家 

(I) 

一一 コ ライ *レ 一一 ン の 著 r 國家と 革命』 . は社會 主義 理論に と 

つて 最も 重要な 書物の 一 つで ある。 そ は 創造的で あると い 

ふこと はで きないに しても、 マ ルクス *ェ ン ゲル スの 主張 を 

今日の^ 界に 適用した 明嘹な 論述と して 貴重で ある。 この 

書物 を 謂む もの は 何人も ボルシェ ヴヰキ の 態度に ついて 不 

明瞭な 感じ を 抱く、 〕 と はないで あらう J そして 國 家と 革命 

とに ついての ボ ルシェ ヴヰキ の 態度 を明嘹 にす る, ) とがで 

きろで あらう T ギ ルヅメ ン』 において フッサ. ー ン はかう 述 

ベて ゐる o(The 二 iiihlsnien, ョ arch. If5) 

レ 二 ン の、 J の 書物 は 一 九 一 七 年 九月 革命の 前に 書かれた. 一 

ものである。 だから.,、 ぅ數年 前の 著述で ある 「- しかし それ 

が 世界的に なって きたの は 極めて 最近の ことで ある。 そし 

てこの 書物 は獨り ボル シヴ ヰキの 立榻を 知る ことのた めに 

よき 書物で あるの みならす、 第一 一 國際社 會黨と 第三 國際社 

會黨 との 爭 ひに その 一 方 を 代表す る もの はレ -ー ン であり、 

,てして レ -1 ン のま 2 物^う ちに あって この 「顧 家と 革命』 は最 




も 重要な 位置 を 占めて ゐる ものでなくて はならない 

三) 

第一 一 國際社 會黨の 立場 を 代表す るの 理論と して は 力 ー 

ル • カウ ッ キ I を舉 けなくて はな もないで あらう 。力 ゥ ツキ 

I の社會 民主主義 は 政治的 民主主義と 經濟 的圑體 主義との 

結合で ある。 彼れ は 純然たる デモクラット である。 目的に 

おいても、 手段に おいても、 カウ ツキ ー の 立場 は デモ クラ 

ット の立揚 である。 大リ ー ブ クネヒトの 立場 もまた これで 

あった。 そ は 謂 ふところの 正統派 社き 主義で あつ. た、 第二 

國際社 會黨 はみ な , W の 立場 をと つてる る。 そして そ は議會 

主 や: 我に お いて 社會 主義の 實 を 明す る ものである。 だから 

勞動 階級の 獨裁 政治に は 反 封で ある: カウ ツキ! か 勞勦階 

級の 獨裁攻 治に 反對 する ものの ごとくに いひな す 入々 は 力 

ゥ ツキ ー の 立場に 就て 何等の 理解 もない 人達で ある カウ 

ツキ一の、 3 の 立場 は 早くから 明らかにされて ゐる ところで 

あつたが 最近に 發 表した r 勞働 階級の 獨裁玫 治 J は 一 層よ 

くこの 立場 を 明確に して ゐ るので ある。 U 批評」 四月 號參 



iu 



照) 彼れ はボ ルシヱ ゲヰキ の 態度 を もって 社會 主義 を 進歩 

せしめる のでな くして 却って それ を 阻害す る ものであると 

攻 a. して ゐ るので ある。 

(三) 

カウ ツキ ー のこの 態度に 對 して レ 一一 ンは 全く 正 反 對の立 

場 をと る。 レ 二 ンは カウ ツキ ー を 罵って 『彼れ は社會 主義 

の墮落 者で ある」 となして ゐ るので ある。 レ 一一 ンに とって 

は、 マルクス の社會 主義 はかくの ごとき 「墮 落』 した もの 

ではない とされる。 彼れ に從 へば 『民主的 共和 國』 とは資 

本 主義に 最も 適當 した 政お 制度で あり、 また 普通 選 舉とは 

『資本家に よっての 征服の 手段』 であるに 過ぎない ので あ 

る。 彼れ は勞働 階級の 獨裁攻 治に おいて マルクス主義の 眞 

髓の 存在す る ものである こと を 主張す る。 そして レ 二 ン自 

らょ どこまでも マルク ス 門下で ある こと を 主張す る。 J 國家 

と 革命 は マルクスと、 そしてより 以上に エンゲルス から 

の 引用 を 中心として 書かれた ものである。 

(四) 

レ ュ ンに從 へば 國 家と は 徹頭徹尾 it 迫の 機關 である。 卽 

ち 一 階級の ために 他の 階 教を壓 迫す るの 機關 であろ とする 



ので ある C 彼れ に從 へば 國 家の 木質と は 11111. 隊と 警察と 官:^ 

攻 治で あろと。 そして ブル ジョァ の 民主主義 や 寡頭政治な 

ぞは SB| なる 飾り ものであるに 過ぎない と。 —— こ.' で 彼れ 

もまた 誤って ゐる。 圃 家の 本質が 地理 的で ある ことに 氣が 

ついて ゐ ないから である。 

しかし レ 二 ンを もって 無攻 "5 主義者で あろと なすこと は 

大 なる 誤りで ある。 彼れ は 無政府主義の 反對 者で あるから 

である J 

(五) 

レ 二 ンは國 家の 本質 を 以上の ごとく 解す るが ゆ ゑに、 勿 

論國 家に は反對 である。 そして 社會 主義の 先行 條件 は國家 

の破壞 であると なすので ある。 この 點 において 彼れ もまた 

無攻府 主義者と その 立場 を 同じく する。 しかし レ 二 ンは決 

して 無政府主義者 ではない。 彼れ はこの 國 家に 代 ゆるに 『勞 

働 階級の 國家』 を もって 置き 代える こと を 主張す るからで 

ある。 勞働 階級の 國 家と は r 支配階級 として 組織され たる 

勞働 階級』 である。 そして この 新 國家は 資本主義の 國 家と 

同 iJ! に隨 力み-使 ffi する であらう と。 だから レ 二 ンの 立場 は 

資本主義 國 家に 代 ゆるに 勞働 階級 専制の 國家を もってしよ 

うとい ふので ある 



しかし レ 二 ンに從 へば この 勞働 階級の 國 家と はた V 手段 

であって 的で はない。 卽ち この 國 家の 成立の 後に おいて 

階級 的區 別が 撤麼 された 後に おいて は、 この種の 國家も 次 

第に 消减 する であらう と j 然 らば 何もの. かこれ に 代る ベ き 

か。 レ 二 ンは 新制 度の 創造 を說 いて ゐる。 しかし そ は 如何 

なる 制度で あらう か? 

(六) 

レ 二 ンの國 家 論 は、 レ -ー ンの國 家 論と いふより は 『共 產黨 

宣 li 一一 II』 とそして ェ ンゲ ルスの 『空想的 及び 科 s?^ 的社會 主義 J 

の國家 論で ある。 この 二つの もの を 11?^ んでレ 二 ンの 『國家 

と ^.BM 叩』 を證む もの は 何人も レ 二 ンの說 か,^ 何に 獨 創に 乏 

しいかに 氣づ かすに は ゐられ ないで あら -フ。 

マルクスの 國家論 は、 ラッセル も 指 描して ゐる とほり 頗 

る 曖昧で ある. - マルクスの 曖昧 は * 彼れ の 門徒 をして 樣々 

の國 家へ 導く" レ チンと カウ ツキ ー と はと もに 夫々 マ ル 

キ ストで あると 主張す る。 そして 彼等の. N 場 は 正反對 であ 

る。 そ は マルクスの^ 昧 からき たる ものである" しかし わ 

れ 等に とって 重要な f ) と は マルク ス が.^ 何なる 國家觀 の 持 

主で あるかの 問^で はなく して、 われ 等.. か 如何なる 國家觀 

Z を もつべき かの 問題で ある。 



われ 等 は 軍隊と 警察と 官僚 攻 治と を 國 家の 本質で あると 

する の 說に對 して は 何^の 共鳴 をも感 する こと はでき な 

い。 われ 等 は 一 切の 應 迫の 機閼を 離れて 尙ほ闽 家の 存立す 

べき 理由の 存在す る こと を 主張す る。 ギルド • マ ンは國 家 

の 本質 を もって 『地理 的』 の點 であると 解して ゐ るからで 

ある。 (ギ ルド • マン) 



次 號吿豫 

民主 制 か 獨裁制 か 

力. カウ ツキ ィ 

ボルシェ ヴ井キ と ソヴ并 エツ ト 

ゥヰリ アム ス 

コ 1 ルと ホフ ソン 

室 伏 高 信 



主義 の 研究 n 



ナイ ッ • ォブ • レ I バァに 始まる 米國 の產業 的勞働 組合 主 

義は 第一 一 十 世 の 初めに 當 つて 一 大 飛躍 を 試みる の 時が 来 

たので ある。 勿論 千 八 百 八十 一 年に 設立され た米國 勞働聯 

盟か 設立 當時五 萬に 足らない 會員 から 千 九 百年に は 五十八 

萬、 同一 一年に 百 一 一 萬、 同 四 I 五 年に 百 五十 萬 人の 會員を 得 

るに 至った 如き 技工 組合主義の 勢力が 一 方に 厳然して ゐた 

時で あろ。 S 米 國勞働 聯盟 は その 第 一 回の 會議 において、 

「吾人 は 高き 賃銀の 獲得と 勞働 時間の 短縮と が勞働 者の 狀 

您を 改善す るの 第 一 歩で あると 信す る」 S と宣ー した 樣に 

極め. 飞 g§ 健な 技工 組合主義 を 奉す る ものであるが、 この 技 

ェ 組合主義に 飽き 足らす して 起った ものが 以下 其 成立 を 語 

らんと する 革命的 産業組合 主義 卽ち iww* 主義で ある。 

米國 におけ ろ 急進的 勞働 組合 または 其 指導者 は, 資本 主 

義の 存在 を 前提と して * 其 基礎の 上に 高い 賃銀と 短い 勞働 



時間と を 獲得し やうと する 米 國勞働 聯盟に 反 對の氣 勢 を 摩 

ける 樣に なった。 金屬 職工 聯盟- The united. IVletal worke- 

rs は 千 九 百 四 年 十二月 米 國努働 聯盟から 脫返 する. ことに 

なった。 當時 多くの 革命的 色彩 を 持って ゐた努 動 圍體は 今 

や 悲境に 立つ に 至った。 米 國勞働 組合 Airka- Labor- 

union は 其 「西部 坑夫 聯盟」 を 別にして は 正に 瓦解に 瀬し 

てるた。 また 坑夫 同盟 United Mine Workers は その 地方 

支部の 分裂 を來 さう として ゐた。 鑛山 坑夫の 勞働 組合 も 酒 

造 勞働者 同盟 も 其 產業勞 働 組合の 形態に ついて 非難の 的と 

されて ゐた。 そして 後者の 如き は 米 國勞働 聯盟から 其 特許 

狀の 取消 を以 つて 威嚇 さるる 形勢が 見えた ので ある。 社會 

主義 勞働 同盟 も其頌 勢に あった けれども, また 米國 勞働聯 

盟 に不满 足な 會員を 有して、 革命的な 組合の 組!! を 熱望し 

てるた、 西部 坑夫 聯盟 はまた 最も 熱心 に 革命 主義 を 奉じ • 

其 勢力に 匹敵す る 丈け の 熱心 を., 持って ゐた。 さう して 西 

部 坑夫 聯盟 は 其 組合の^ 式 を 產業勞 働 組合主義に 採り、 . 其 



經驗 から 全く、 戦闘的の ものであった。 彼等 は數 次の 罷ェ 

から 勞働 者の 關係 する 限りに おいて は 國家は 何等の 善 も 好 

意 も 彼等に 示して ゐな いことの 苦い 經驗 を. 得た。 さう して 

勞働 者の 攻治的 目的 を 達する に は, 其 背後に 經濟的 勢力の 

必要で あるの を 知った ので ある。 其の 最も 苦が ぃ經 驗はコ 

ロラド • ストライキの 場合であった。 新くて 彼等の 急務 は 社 

會卞: 義的 JH 的み 有する 產業 的勞働 組合主義 を 他の 業に も 普 

及櫬 張す る ことであった。 この 産業組合 主義に よっての み 

鑛 山に おけろ 熱 練 職工 並に 不熟練 職工の ン リ ダリ テが 完成 

せらる る 許りでなく、 すべての 工場、 すべての 產業 におけ 

ろ勞働 者の ソリ ダリ テが 完成せられ ると 考 へ たので ある。 

「 一 人に 對 する 損害 はすべ ての 關 する 所で ある。 I 彼等の モ 

ット ー はこの 貢 葉であった。 

(1) Amerlc- n Federation cf M-p_^o--- HLSt->r.y, K 一 icvclopedia, 

K"ferellce B >ok. 1919. i>. 6W. 米 國勞働 聯盟の 會 盈 数に 現 

在の 所では 三百 萬に 登る と稱 され 乂ゐ ろ。 現在の 食 長 はサ 

ミ H か ンバァ ス である。 

(2) Ansrlc-l 一 1 1 つ 2lcr-tl<m CI 】J:ll ミー.. p. 6. 



Tiw*w* は 千 九 百 五年シ 力 ゴ において 開催 せられた 「產 

業 的 努^ 組合 會議 J において 組截 された ので ある。 然し 乍 



ら この 第 一 回の 會議 以前に: の會議 の先驅 とも 稱 すべき も 

のがあった ノ 卽ち千 九 百 四 年の 終りに 當 つて 同じく シカ ゴ 

市に^ 催された 非公式の 會議 である。 其 會議に 出席し な 人 

人 は當時 社會主 i_ ^並に 勞働 運動に おいて 著名の 人物で あつ 

た。 ゥヰリ アム *ィ • トラウト マ ン S -ヂ 31.. チ • エステス S 

ダヴル ュ 1*ェ ル *ホ,|ル6 アイ. ザック • nl ゥ广ン S クラ 

レンス • ス ミス 5 トマス • ハガ 7 ティ g. ァ 1 ネスト • ゥンタ 

1 マ ン のが これであった。 けれども この 會議に は 出席し な 

かった か、 尙ほ 著名の 士 にして、 會議 外で 活動した もの か 

あった。 オイゲン • デ ブス g と チヤ I レ ス • シャ 1 マ ン S と 

が これで ある。 

これ 等の 人々 は 米 國の芬 働 組合が 努勳 者の 利福 を 確保し 

增進 すろ; に お い て 全く 無力で あると 云 ふ 信念 を 持って ゐ 

た。 米 國勞働 聯盟の.^ き 勞働界 に お け る 貴族で なくと も、 

例へば 米^ 勞動 組合、 西部 坑夫 聯盟、 社會 主義者 勞働 同盟 

の. S き 急進的な 園體 にしても • 日に,:^ B し 強大な 組織と なつ 

て 行く, 資本家の 圍 體に對 して 戰鬪は 愚か、 商議 も 行 ふこ 

とが 出來 ない の を 知って ゐて、 もっと 強大な 努働 者の 結合 

な 計 劃した ので ある。 

この 計剗を 充分に 考察、 實行 する めに、 一大 會議を 開 

催す る ことに 決定し、 十 一 月 一 一十 九日 當時 急進的 勞倒 並! 4 



00 社會 主義 運動に おける 著名な 人々 三十 名に 宛てて 招待 狀 がー 

發 せられた ので ある。 其 招待 狀の內 に は 次の 樣な 文章 を 私" 

達 は 見る ことが 出來 る。 

『私 建 はもし 勞働 階級が 政治 上に おいても 產業 上に おいても 正 一 

しく 組織され るなら に、 其國 の諸產 業, <5-〇〇〇〇〇、 適^.ぉ:.1運 

用す る 能力,^ 有する、、 と,^ 信す る。 

政治的 社會 主義に". - つて 勞働 階級の 政治的 代表.^ 逾?! 15 ならしめ 一 

ん に は社會 主義 的 社會の 組^と して^ 設 された 勞 働國體 _」 おけ" 

る 鸫濟的 勢力 va^ 持って ゐ なければ ならない。 而 して 其 麼業的 方; 

面に おいて は、 勞働 者が 其 協同 的國 家の 勞働 階級 的 行政 におい 一 

て定 むべき^ 體、 部門、 產 業の 別に 勞働 階敏 分たなければ な 一 

ら ない。 

私達 は 食 君 千 九 百 五 年 I 月 二日 月曜日に シカゴ 市 に おいて 開 

催せら るべき 祕 密會議 に 御 招待した いと 思 ふ。 さう して、 過去 一 

並 L1 現在の 一 般の勞 働圑體 度 外に 置いて 正しい 〇〇〇 原理 Li 

基いて、 ァメ. „ '力の 勞働者 結合せ しめる 手段 議 したいと 一 

思 ふ。 た V その 時 LU おって 私 建に 勞働 者の 利益の is; の 擁護 者と. 

して 完全 1.^ 確保 マ るが 如き 根本原理 1- ^念頭に 置く のみで ある。』! 

この 招待 狀は 多くの 人達から 熱心に 歡迎 された。 けれど 一 

もまた 不同意の もの もないで はなかった? ピ クタ ァ • バ 7 ガー 

ァと マックス • へ イスと. かこれ であった。 バて ガマ は 不同意 

に對 する 辯 明 をも與 へ なかった。 

a) Willi ミ n E. Tiaut ョ anv は 聯合 酒造 1^ 働 者 united ri.ewery" 



メ vcrkms の 機關, 成 Ika-el. Z 三 tiing の 主筆 

(2〕 Geoi おつ Estes は 鐵造從 業 員 聯盟 Unit5uh こ therhood cf 

(3) W. L. nan. は鐵 せ」 從業員 聯. 盟の 秘書 兼會計 

(4) Is.- cmvell は 大英榷 械ェ. ^合 協會 Asalg 一一 it -a,souicty 

:f Ki J, 二 【12- IS of (r\at 】i- itaill の アメリカ 表 者 

c-ro c^y~.c-r.o S ヨ ith ば 米 n 勞働 組合 Alirk-all L-bcr ulli:ll 

の 祕甞會 計 

(G) Th§l-S J. irgerty は 米 國勞働 組合の 機關紙 vok-e of 

Labor の 主筆 

(7) Kmst Uiiter ョ a-l は 社 會黨 中の 學者 である c プ リッセ ンデ 

ンの 記す る 所に よると I .w .W • の 指導者で 其 歴史 * 組緣、 

方法 に ついて^ 書,.^ 出して ゐる セント • ジョン はゥン タァ. 

マ ン 舉 げてゐ ない が、 赏 際に 出席した ので ある さ、 つで あ 

-0 (;B,l!i」Kien:.lcl;>. cit. p ひ 8. note 1.) 

(8) K」gs V. PF 

(9) Charles c. sher-iu は 聯合 金屬 職工 國際 同盟 united Metal 

wol.kel.M .nlt2.11ati<>lml ulllcll の铋書 

oc;! 、 、 の 招待 狀はト ラウト マン、 クラレンス • ス ミス、 エステ 

ス、 ホ ー か、 デッ プス、 シ十 ,マ ンに よって 署名され た。 

(.Bri8setuk-lu——ot>. (:it. pp ひ 9——r>0) 




右に 揭 けた 招待 狀 にある 通り、 祕密 會議は トラウト マ ン 

司會の 下に 一 § 一 曰から 開會 せられた。 S 出席者 は 一 不三 



人で 九つの 圑體を 代表した ものであった。 勿論 この 外に 社 

會 主義者 はあった けれども 社會 主義 勞働黨 を 公式に 代表し 

たもので はなかった ので ある。 さう して 其 出席者の 中には 

チヤ 1 レス • モ ィァ I め ヘイウッド g ォ ネイル 3 シ モンス" 

フランク • ボ 1 ン g ハガァ ティ ノン ャ 1 マ ン、 マリ —• ジョン 

スを數 へる ことが 出來 た。 ニー 日間に 渉る 會議 において 新提 

案の 努 働圃體 について 熱心 U.W 議を 行った。 さう して 宣言 

窨が 委員の 手に よって 作製され たので あろ。 其內の 重なる 

項目 を舉 けて 見ろ と 次の 三 項目 を 数へ る ことが 出來 る。 

1 、 勞働 組合 界の現 狀に對 する 非難。 

1 一、 勞働圑 體の新 組 II に對 する 指導 的^ 理と試 驗的計 劃 

三, 新 組合 組織の 爲 めの 會議の 要求。 

彼等 は 先 づ努働 迷 界 におけ ろ 趨勢 を 論じた、、 さう して 

勞働者 間にお ける 職業の 分岐と 資本家 間の 競 爭の减 少した 

こと を 見た ので ある。 工業 は 主として 機械に よって 遂行せ 

られ るに 至つ だ。 其 結果と して 嘗て は 重要な 意^ を 有して 

ゐた 熟練 勞 働と 不熟練 努働 者の 差 は 不明確と なり * 使用す 

る 機械の 種類に よって 區別 する 技工 組合主義が 無力と なつ 

たので ある。 資本家 は カルテル、 トラスト によって 産業 的 

に 組 織 される ときに 其 使用す る 機械 別によ る 技工 組合 は 全 

i_ く 無力で ある。 斯くて 勞働者 を 雇傭す ろ 資本家 は 其 戰鬪カ 



を 加す るに 對 して 勞働者 は 其 階級 的自 覺を缺 く、 1 とに よ 

つて 其ソリ ダリ テを失 ひ、 其 戦 11 力 を 亡 ほして しまう ので 

ある。 それの みならす 技工 組合 は罷ェ 破りの 制度 を 寬容し 

其 高き 入 會金を 課する ことによって、 其 技術の 獨占を 計り 

高 き 賃銀 と 短き 勞働 時間と を 得る ことによ つ て勞働 貴族 主 

義を 確立し、 かくして 掠奪 者た る 雇主と 被 掠奪 者た る勞働 

者の 和 互の 利害の 調和 を 信す るに 至り, 革命的 色彩 は 毫も 

見る ことか 出來 ない と 批評され るので ある。 

然 らば、 是に對 する 救 治 策 は 何で あるか. - I*w»w.i 

者 は 直ちに 產 業的努 働 組合主義の 確立で あると 答へ る。 地 

方 的に は 職業的に 自治 を國際 的に は 產業的 自治 を 許し, 一 

般の 勞働考 階級の 圍結を 促進し、 さう してす ベての 産業 を 

包括す る 一 大 產業勞 働 組合の 建設が- 〕 れ であると 答へ るの 

である ^ 大產業 的勞働 組合 は 階級 鬪爭の 基礎の 上に 樹立せ 

られ、 さう して 他の 政黨と 何等の 關係 なき、 勞働者 階教の 

經濟的 機 として 建設せられ るので ある。 の 其 他の 事項 は 

次の 四 項に 要約す る ことか 出來る C 

第一 、 すべての 橫カは 全 體の會 員の 有する ことたる こと 

第一 一、 すべての ラベ ル、 會 員證、 會費等 は 何處に 於ても 

均 1 なること、 

第三、 一般 行政 部 は 一定の 期間に 印刷物 を發 行す る こと 



ひ 第 四、 中央 防禦 基金 を 設定し * 之 を 維持す る こ,. 0、 

これ 等の 四 項を舉 け、 更に、 この 主義に 賛成なる すべて 

の勞働 者に、 「この 宣言書 中に 表 はされ た樣な 方法 を以 つて 

勞働者 階极の 經營的 團體を 組織す る 爲に千 九 百 五 年 六月 一 一 

十七 日 シカゴに おける 集 會に參 加 せんこと を」 要求し て 其 

宣言書 は 終って ゐろ。 この 宣言書 は 一 月 會議に 出席した す 

ベ ての 人 々によつ て 署名せられ、 さう し て アメリカ の全勞 

働 組合と ョ ォ ツバ の產^ 的勞働 組合と に發 送され たので 

ある。 

. この 一 月會議 において は 組織 さるべき 勞動者 圑體の 形態 

に ついて 非常に 急進的な 思想が 勝 を 占め、 委員 は勞 働圑體 

はすべ ての 職業 並に 産業に 對 して 勞働 階級の 直接の 利 <A を 

保護し、 之を增 進す る 手段 を 供す る のみでな く、 勞働 問題 

の 最後の 解決 11 勿論 社會 主義 的の 解決と 信じられて ゐた 

. 1 を 提供す る もので なければ ならない と 決し たので あ 

る。 斯樣な 見地から 見れば 技工 組合主義の 體現 としての 米 

國勞働 聯盟が 激烈な 非難の 的と なった の は 勿論で ある。 彼 

等の 意見に 從 へば 米 國勞働 聯盟 は 旣に其 效用を 終り 1 其 消 

^!は正に其終りを全ふするものでぁるとされたのでぁろ。 

乍然 六月 會議の 委員 は 米 國勞働 聯盟 を 外部から 彼壞 する こ 

と を 提議した ので はない。 彼等が 米 國勞働 聯盟 を以 つて 勞 



働 者 階級に 損害 を與 ふるものと 信じた の は事實 である。 然 

し 彼等の 意圖 はこの 聯?, ケ-乘 取り、 さ- して、 其 組織 を橫 

える、 } とに あつたの である リ 

シ モンス はこの, 3 とに ついて 次の 樣に 言って ゐ る o「<fs 議 

において 現 はれた 考は、 一の 新ら しい 中央 園體を 組織す る 

ことであった。 さう して 其 ぼ體の 中には 現存の 組合の 加ん 

を 許す、 J とが 出來 るが、 競爭的 組合 を 組織す る こと は 許さ 

れな いので ある。 更に デレ す ン は 新しく 組織すべき 組合 は 

現在 未だ 組織 さ れ ない 勞働 者で あ ろ こと を 指摘し て 次 の樣 

に 11111! つて ゐる。 

「將來 に お い 1 し 組織す ベ き圑體 は 現在 組 戡 を 持た な い も , 

の卽ち 一 國勞働 者の 絕對 多數を 構成すべき 人々 によるので 

ある, -J と。 而 して、 旣存の 組合に おいて は 其 内部より 破壞 

運動 を 起し, もし, 部 的破壤 運動の 成功せ ざる 場合に お 

いて は 外部よりの 戰 闘 を 開始すべき である。 これが 產業勞 

動 組合主義 者の 立場であった, - 

(1) 、、の 會まは 通常 一 月 八! 3fS| Jalmar.v Co 三 二 .e-l<;e として 知ら 

れ てゐ. ろ。 

(2) C ぎ rles H. Isr.v2. は 部 坑夫 聯盟の 會長 

(3) W. D. Ha.ywooa は 西部 坑夫 聯盟の 祕書 

(4) J. M. o*-eifl は Miners* Ma や nsim- の主攀 

r*5) A. M. Sinao 一 IS lllternoti-nal Hodalist 】ievipw の 主筆 



(6) ^< hcl ョ は 社會 主義 努繳黨 並に、 會 主義 勞働 同盟の 

扭絞者 

(7) 、も 政 $1- との 關係 なしと 言 ふ點が 後年 I.W -wi 二つ:. L 

分裂した 1^ 因で ある。 I .W .w • は政黨 に關 係がない と 云つ 

くゐ ろが、 其 罷業の 場合な ど LL は 社 < ^黨 Li 其资 金.^ 供 4g し 

て^て ゐる。 : の 點はス パル ゴゥが 其 著の 中で 指摘-^ てゐ 

る。 然し、 I w .W • が 社會黨 助けな いのは 事货 である。 

(Jcl-n spal.go: I Sy 一 Kllcalli, llldl-Htrlal uiim SUE 

-soclahi. p 112) 

四 

一 月會教 の宣: 一:::: 書に 記載され た 所に 從 つて 千 九 百 五 年 六 

S 一十 七日に 會議は シカゴに おいて Si 催された。 約 一 一 百 人 

の 人々 か 出席した。 この 會議は 産業 會? IS fi cc 一 ig 

ress または 產業 的勞働 組合 會議 hidustrial IJiiioii C21ve 

llticl 一 として 知られ、 iww*^l E 年次 會議 であった。 

さ.? J てこの 會議 こそ 米 國勞働 運動 史上 に おいて 特^す ベ 

き 事柄で あると 共に、 產業 的勞働 組合 史上にお いて 記憶す 

べき ことで あ, る。 今 その 會議の 內容を 知る 爲 めに、 會議に 

代表的に 出席した 人々 の 馬す る 圑體、 その 主要な 思想、 こ 

の 會議の 指導者 等 を 研究して 見よう。 

1 一 百 名の 出席者の 代表す る圍體 並に 職業の 多岐な, - 】 とに 

^ 對して先づ私達は^^-のでぁろ。 信任 狀を與 へ、 全 權を依 



託して • 其 代表 を 送った 圑體 の數は 二十 四に 登って ゐる。 

さ. フし て 信任 狀を與 へない 代表者 を 送った 圑體は 二十 一 一 を 

數 へる ことが 出來 る. - S 是れ 等の 團體の 形態 は 次の 七つに 

分つ ことが 出來 るので ある。 

一 、 簞純 產業勞 働 組合 11 この 形態の 組合 は 其 技能の 如 

何も 問 はす 特殊 産業に 從 事す るすべ ての 勞働 者が 同 一 の 組 

合に 加入す る ものである。 

一 一、 聯合 產業勞 働 組合 11 この種の 組合 は 産業 的 勞働組 

合の 聯盟した もの、 例へば 米 國勞働 組合の 如き もので、 其 

中には 鐵道從 業 員、 機 關士、 音樂師 組合 を 包含して ゐ る。 

三、 國際 組合 —— 名は國 際で あるが 通常 一 國 中の 地方 組 

合の 同盟で ある, - 例へば アメリカ 聯合へ 4- 屬ェ國 際 組 4 口の. B 

きもの. かこれ である。 

四、 非 聯盟 的 產業勞 働 組合 11 アメリカ 聯合 坑夫 組合の 

扣 きもので、 一 職業よりも 寧ろ 一 產紫を 其 組織の S 単位と し 

他の 產業 における 同種の 組合 または、 履 主と 聯盟 を綺 結せ 

ざる もので である。 

五、 普通の 非聯 的 職業 組合 11 これに は 一 一種 類 ある G 

广ィ) 職業 併合の 形に よる もの, 、 】G 種の もの は 組合の 聯盟 

であって * 其 組成 圑體は 勿論 その 特殊性 を 保持す る もので 

ある. か、 その 職業的 自治 は 失 はれる ので ある。 (口) 特殊 職 



2 業 例へば 鑄 鐵ェの 如き 職業の 全國的 組合であって、 其 構成 

分た る 組合 は 併合の 場合よりも、 全國祖 合への 隸屬の 度が 

烈しい ので ある。 

六、 一州 聯盟 I— ュ ー タ ー 州勞働 聯盟の 如き ものが 其の 

代表的の ものである。 

七、 特殊 組合 i 產業勞 働 者 俱樂部 並に 聯合 勞働 同盟が 

これで あろ。 

これ 等の 種々 な圑體 中に おいて 國際的 または 全國 の圑體 

を 代表して ゐる もの は 極めて 少數 であって、 其 多く は 一 つ 

もしくは 一 一つの 地方 組合 を 代表す る ものに 過ぎなかった。 

. さ うして 其內の ある もの は 米 國勞働 聯盟に 加入して rO たも 

ので あるが、 當時旣 に 聯盟の 政策に 不満 を 抱いて ゐた 所の 

ものであった。 然しながら 二の 會議 において 中心的 勢力 を 

振った 圑體は その 地方 支部 を 包含す る 中央 圑體を 代表す る 

ものであって • アメリカ 勞働 組合 並に 聯合 金屬ェ 組合が こ 

れ である 米 國勞働 聯盟に 加入して ゐた 圑體は その 會員數 

の 上から 言 へ ば 最も 多数であった けれども、 實 際の 會議に 

際して は 受動的の 活動 を 試みる に 止まって ゐた。 資格 審査 

委員の 承認 を 得た 四十 三の 圑體 S の 中で 十六 圑體 丈け 米 國 

努働 聯盟と 閼 係の ある ものであった. か、 その 中 十 一 圍體ま 

ではた > 1 つの 地方 園體を 代表す るに 過ぎな く、 その 勢力 



としても 振 はざる 有樣 であった。 こんな 有樣 で米國 努働聯 j 

盟所屬 の 祖合は 產業勞 働 組合主義 者 中の 五大 勢力の 中に 人 一 

る ことが 出來 なかった ので ある。 さう して 第 一 回 Tiw*w*i 

會議は 主として 五大 勢力に よって 左右され る樣 になった。 

今其會 名と 會員數 と 代表 數と を舉 ぐれば 次の 通りで ある。 

圑體名 會員數 代表者 數 , 

西部 坑夫 同盟 1 一七 •〇〇〇 五 】 

米 國勞働 組合 一 六 • 七 五 〇 1 一九 j 

聯合 金屬ェ 組合 ニー •〇〇〇 二 = 

聯合 鐵道從 業 員 組合 二 •〇 八 七 一 九 一 

社會 主義 勞働 同盟 1*四五〇 , 一 四 ^ 

合 計 五 〇•! 一八 七 六 九 ^ 

- ) の內で 最も 有力で あるの は 勿論 西部 坑夫 同盟で ある。 一 

西部 坑夫 同盟 は i» 組織に 要する 費用の 大部分 を 支! 

出した 。然し この 第 一 回 Tiww* 會議に 其 代表者.^ 送った 

圍體の 中には セ ン ト*ジ ョ ンが 言って る樣に 「殆ん ど 紙の 上! 

で 存在して るに 過ぎない」 もの もあった。 社 化 主義 勞働 同一 

盟、 聯合 41- 薦ェ 組合、 ァ メ リカ 努働 組合が セ ン ト* ジ ョ ン 一 

の 所謂 三つの 「紙上の 組合」 である。 彼等 は實に 危機に 存しー 

てゐ た。 彼等の 前途 は 威 亡が ある 許りであった。 ?ぅ して, 

彼等の 滅亡から 究れ樣 とすな 念を以 つて I*w*lw 會議に 一 



觀 せ恭 じたので ある。 

この 會議に 出席した 代表者に は 知識 的 指導者の 多かった 

, i と はまた, ) の 特色で ある。 彼^の 抱懊 する 思想 は 多岐で 

あった。 けれども それ は社會 主義 的で あると 言 へ るので あ 

る。 彼等の 多くの もの は 「社會 主義」 と 云 ふ 言葉 を 保守 主 

義で 反動主義者 であると 考 へて ゐる ものが 多かった。 故に 

彼等 を社會 主義者と 呼ぶ に は 革命的 社會 主義者と 呼ぶ のが 

適當 である。 けれども ある ものに は 「革命的」 に換 へる の 

に 「無政府主義 的」 と 言 ふの を以 つて 一 適當 である 「 然 

し 兎に角 彼等 は 賃銀 制度の 麼 止と 資本主義の 撤廢と 云ふ點 

において 一 致して ゐ た。 さう して、 彼等の 間に は努資 間の 

利害の 一 致 を 信す る 樣なゴ ン パァス の 意見 は 絕對に 之を容 

れろ餘 地がなかった ので あろ。 

然し 乍ら この 共同の 目的 11 賃銀 制度の 廢 止と 資本主義 

の撤廢 —に 到達す ろ 手段に 至って は, 各々 其抱懷 する 社 

會 思想の 如 :!: によって 其說を 異にして ゐる。 セント • ジョ 

ン は 其說を 次の 通りに 分類して ゐ るので ある。 

1 、政治的 社會 主義者、 これに は 二通 ある。 マルクス 正 

統 派の 非 妥協 派と 修正 派が、 J れ である。 

一 二、 無政府主義者。 

2 一 三 、産業 的 力 働 組合主義 者。 



四、 勞働 運動 星 (Labor union fakir) 

この 分類 は 少しく 明瞭 を缺 いて ゐる。 例へば 產業 的勞働 

組合主義 者と 云 ふの は 其 出席者 全部に も 適用され ろ 言葉で 

あって、 產業 的勞働 組合主義 者の 多くの ものが 社會 主義者 

であり、 その 中の ある もの は 無攻府 主義者で あるから であ 

る。 この 中 第一 回大會 において 最も 有力な 分子 は 攻治的 社 

會 主義者で あ つ た。 勿論 , ^ の 攻治 的社會 主義者の 內 に は妥 

協 的の 社 會黨と 非 妥協 的の 社會 主義 勞働黨 かあつた。 後年 

Tiww の 分裂の 禍根 は實 にこ. * にあった ので ある" 「勞 

働 運動 屋」 はこの 種の 新 運動に は 何時も 附 きもので あろ。 

彼等 は 一定の 思想 を 持って ゐる もので は^く、 た,. - 利益に 

あり 附く のが 唯 一 の 目的で ある。 

, J れ 等の 相異 つた 思想 は 會議に お い て 勢力の あ つた 少數 

者に よって 色彩 を 濃厚と し、 また その 生命が 與 へられた の 

であった。 多く str 力 働 團體の 中で ivw* 位に 其 指導者 

に 重き を 置く 圑體 はない。 けれども また I^w^w^ は 常に 

其宣傳 用の 文書に おいて あらゆる 勞働 運動 者の 指導者 は 誤 

つた 指導者で あると 云 ふ 非難 を續 けて ゐ るので ある" それ 

にも 拘らす Tiww* は 其 創 生 時代から 常に 其 指導者に よ 

つて 正當に 指導せられ、 また 誤 まれた ので ある。 

I^w*w* 第 一 回の 會議の 主動 者も數 人に 過ぎない。 デ 



レオン * ヘイ ゥプ ドノ 八 ^> ティ * デゾ ブス、 シ モンん" 

ス ミス、 デ? ン |,ュ1 ッ、 シャ I マン. かこれ である 。デッ 

ブス、 ヘイ ゥク ド、 シ モンス は當時 もまた 現在 も 社 會黨の 

黨 員で ある。 シ モンスと デレオンと は反對 側に 立って ゐる 

社 曾 主義 政黨の 指導者で ある。 シ モ ン ス は 社會黨 にあって 

「未 來の國 民」 の 主筆で あり、 デ レオン は 「民衆 日日」 の 

主肇 で社會 主義 勞働 黨の樞 要な 人物で ある。 ハガ T ティ は 

カソリック 敎の佾 侶で あつたが 彼はジ ー ムス • トムソンと 

共に iww 宣言書 前文 を 起した 人で ある。 

オイゲン *デ ,ブス は 最も 有名で ある。 彼 は その 雄 辯と 熱 

心を以 つて この 運動に 參 加した。 さう して 彼 はこの 新 運動 

の 前途 を樂觀 して 次の 樣に 言って ゐる。 

「私 は 西 都 坑夫 同盟の 髹な 圑體が 社會 主義 勞働 同盟と 調和 わる 

關係 Li 立つ: とが 出來 る: と 信す る。 :: さう して 私 はこれ 

等の 耍 素が、、 > Li 結合し 勞働 者の 解放の 爲め の 鬪爭に 必要な 勞 

働 階級の 一 大經濟 的なる また 〇〇 的の 词體 1-^ 組織す る 事 梁.^ 成 

L 遂げ る: と 信す る ものである。」 と" 

西部から はゥヰ リア N • へ ィゥ? ト. か參 加した。 被はコ 口 

ラド における 西部 坑夫 聯盟の 指導者と しての 永い 經驗の 持 

主であった.^ 彼 は經驗 ある 組合の 組織 者で あり、 さう. して 

西部 坑夫 聯盟 におけるが 如き 鬪爭的 精神に 充満した 人で あ 

つた。 彼 は 絕對に 妥協 を排 した。 第 一 回 會議に 彼が 西部 坑 



夫 同盟に ついて 語った 所 を 閒かラ 。「我々 は どの 篛 山の 取输 

役と も、 また 支配人、 技師と も 了解 を 求めた こと はな かつ 

た。 けれども 我々 は 最低 賃銀 を 獲得し、 八 時間 勞働制 を 確 

立した。 その 時に あ たづて 我々 は 何等の 法 部に おける 勢 

力 を も 有しなかった ので ある ビ彼は 今や、 鑛山業 のみでな 

く、 すべての 產 業に 對 して、 彼の 指導す るか 如き 組合 を樹 

立 せんとして シカゴ に來 たったの である。 

ダニ ヱ ル* デ レオ ン は 最も 顯 著な 人物であった〕 彼はコ 

口 ン ビヤ 大 學法攀 部の 卒業生で 千 八 百 九十 五 年に おける 社 

會 主義 勞働 同盟の 創立に おいて 華々 しい 活動 をした 人で あ 

る。 さう して 其 創立 時代から それが Tiw*w* に 加 人す る 

まで 其 指導者の 一 人であった。 彼 は 第 一 回の 會議 において 

は社會 主義 勞働 同盟の 代表と して 出席し、 各圍體 間にお け 

る調和3^可能でぁるのを へ ィ ウッド と 同じく 信じて ゐ たの 

である。 然し 彼 は 修正 派社會 主義者 によって 提案され た旣 

存勞働 組合の 内部よりの 切り崩しに 明かに 反對の 態度 を 採 

つた。 さう して、 その外 部に 必要な 經濟的 圑體を 組織し、 

そ の 團體は 最後 に は 勞働黨 の 砲火 の 援助 の 下に 活動す ベ き 

であると 主張した。 之に 反して、 社會 黨は內 部よりの 切り 

崩し 政策 を 信じ、 經 濟的圑 體か必 すし も 玫治關 係 を 有する 

必要の ない こと を 主張した。 



25 



斯 くの 如く 大勞働 組合 を組璇 すべ き 人 々 は 異れる 種類の 

ものであった。 けれども 彼等 は 共同の 敵に 對 して 皆 同一 の 

歩調 を 採ろ ことが 出來 たので ある。 資本主義と、 さう して 

この 資本主義 を 援助す ろ ものと 彼等の 考 へた 技工 組合、 こ 

の 一 一つの ものに 對 する 敵 怠 は 彼等 をして 共同の 歩調 を 採る 

- J と を 可能なら しめたの であるつ 

新く の 如き 背景の 下に 六月 一 一十 七日に シカゴに 開催され 

た ,iww* 創^!大會は十三ぉ間の會議を繼績して七月八 

日に 閉會 をした。 最初の 五日 間 は全權 委任 狀の 整理、 宣言 

Ifi の說明 及び 米 國勞働 聯盟の 攻擊に 費し、 六日 目に 創立 事 

項の 中心 事項で ある 宣言書 及び 規約 制度の 問題 か 委員の 手 

から 議事 日程に 上った。 五日 間 その 討議と 修正と に 費した 

ので ある。 さう して I*w*w* の宜 llgT か 議決され たの. か 

七月 三 曰の ことで ある。 だから iww* の 成立 は 七月 二 

日と 認めら るるに 至った ので ある。 そ の 宣言書 を譯 l^il す れ 

ば 次の 通りで あろ。 • 

r〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇c〇〇〇oo〇〇〇〇〇〇 

〇〇〇。 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇、 〇〇〇 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇.〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇、 〇 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇.- 

W ガ働 者が 攻治 上に おいても、 產業 上に おいて、 何等の 



政黨に 加入す る、 } となく、 

富の 急激な 集積と 產 業の 管理と が 益々 少数者の 掌中に 

置かる るの 事資 は勞働 組合 を し て 益 々 大 する 資本家 の 

勢力と Is^ls する こと を不 fs. 能な らしめ た。 何と なれば 

勞働 組合 は 同 一 種類の 產業 における 一 部の 努働 者と 他 部 

の 働 者と を相鬪 はさし める 樣な狀 態 を 醸成し、 之に よ 

つて 相互に 賃銀 fS において 敗北 を 促進 さすので ある。 ま 

た勞働 組合 は 資本家 階級 を 助けて、 勞働者 をして、 彼等 

が 其展 主と 共同 利害 を 有する か 如く 誤信せ しめる ので あ 

る。 - 」 

斯 くの. a き 根 木 思想に よって 成立され た l*w*w* の 組 

獄敎 f おは 如何。 以下 そのこと について 語たら う。 

(1) -、の會^^|に代表者.^$^った圃體及び代表者>^私はブ "ッ セ 

ンデン に?. ^つて-ほして E いたが 「新 組合主義」 の 著者 トリ 

ジ ドン は 團體数 三十 四 代^者 百 八十 六 人と 計算し ねる。 

ご-一一. e T-.i-rlK- NV\v u=r 一 lisl= ーモ 96〜,97.) 

(2) 資 港 s 委益の 承認.^ iJ: た勞 働團 體はプ リツ セ ン 一一 丁 ンは ra 

十三と してお るが- もる 人 は 四十 六と して おられる。 、、の 

^は". 取 初代 表 者 y^Jl^ つた 國體が ra: 十六で わった ので、 恭査 

の^ 果 三つ 丈け 不合挤 になった ので はない かと 思 はれる。 

、、れ は 勿 私の 位 說-」 過^ない。 au.il-Kien:l-J-. (.it. 

1-71.) (E- 野 哲ニ) 



秋 田 講演 旅行 

♦ 私 は 秋 田へ 短い 旅行.^ した。 四月 二十 

二日の 夜, 上野から 無名 會の 人達と 一 所に 

汽ポに 乗った。 秋 田の 数ケ 所で 講演す るた 

めに であった。 

命 堀江^ 1 博士 も 一 所に ゆかれた。 ; 4 は 

、、の 日 初めて 博士に 會 つた。 如何にも 若々 

しい、 持の い、、 率直な 學者 だ。 年の 頃 

は 四十 四、 五歲 であらう。 酒 も 少し は飮ま 

. れる i うだ 話 は 一 切開 放 的 だ。 どこの 部 

分に もい や だとい ふ 感じの すると こる ば 見 

つからない 人" 

n 

♦ 土 崎と いふ 町で 最初に 講演が あった。 

.、、 の 町で は 憲政 會の尾 崎 siNW が 大分 i ぉ焰 

舉 げられ たの ださう だ。 その後から 政友會 

• の 小川 平 吉が演 境に 立 つ て 大失败 1^ やった 

とい ふ。 その 同じ 演 境で 私 どもの!! S 演會 も 

あ 9 た。 堀江 博士が 先 さに 境に 立った。 別 

Li 堆 辯と い ふ 4:- ではない が 眞擎な 態度で 諄 

諄と^ くので Si 衆 は 誠意.^ もつ ズ Is 稳 して 

もた。 

♦ 何んでも 土地の人の 話^ 薛 くと、 もう 



田舍 でも 政治屋 連中の 出 腱目演 說は眞 面目 

に 鵜く ものが 少く なって 眞 摯な學 者の 講演 

が 却ってう けろ ようになった と。 

♦ 二十 三日の 日 は 秋 田 市で も演 境に 立つ 

た。 私 旅 3.^ 選舉の 意義に ついて 話した。 

そして 政友會 も 憲政 會 V;- もと も-」 攻擎し 

て 置いた。 それが 翌々 日の 新聞 (憲政 會系〕 

によると 私が 政 友人 I" の候贿 者の 田中隆 三と 

かいふ 人, <; ^攻擎 した i うに 出た ので 聊か 恐 

縮した が. 何んでも 秋田縣 tif:?- 波爭 ひの 盛 

ん なと: るら しく、 新聞 '政治 は 無論、 n 

業 も 11 料理屋、 旅館、 藝者 まで、 政友會 

と 憲政 會の 1 1 つ に 分れて ゐ ると か。 

♦ ^民黨 も 少し は殘 つて ゐる。 犬 養が 昔 

、 、 \ の 新聞に 主攀 して ゐた關 係から^ 民 

黨は 中々 盛んであった の だが, 何盘へ 行つ 

て》.>國:^?黨の運命ば凋ー5_」ぁろと見ぇて、 

秋 田 市で は 無名 會の 江畑顯 とも 一 人 辯護士 

が殘 つて ゐる だけ だと。 

♦ 秋 田で 私 は 堀江 博士 幷に 無名 會の高 根 

布 川 直 治の 雨 君と 別れて 私 は、 江畑顯 

利 部 一郎の 兩 君と 三人で 能 代へ と 向った。 

八 iwiwyj- 横に 見つ、、 雨 あがりの 能 代 に つ 

いてから、 私 はたった 一 人き リの 講演 1^ や 



つて 夜 は 土地の 勞働 組合の 書, m 長 して. a 

る 淺野吉 十 郎君 等と 一 所に 御 iw. ^食べた。 

酒 3^ の 主人で,、 勞勤 問題の 熱心 家 西 村莊右 

衞門君 も 席に 見えて 非常に 面白 い 一 夕で あ 

つた • 

♦ 次の 日 は 五條の 目と いふ 田舍 町で 一席 

辯 じた そして 橫 HI, ま C 引上げた。 汽車 中 

で 村 山 喜 一郎、 平 澤長吉 の 諸君に も會 ひ、 

また 政 友 汲の 辯護士 だと い ふ 某 君が 汽車で 

今-:!^ の 解散 位 ひ 立憲 的な 解散 はな いといつ 

て 氯焰. 3- 吐いて ゐ るの も いた。 : の 辯 護 

士は選 舉中は 普通 選舉 早 だが 選舉 後に!^ 

盛ん L! 普選 宣 it V?- やろ の. たと。 

♦ 横手の 夜ば 疲れても いたし、 塞く-.^ あ 

つた。 :、 で 村 田 光烈君 Li 食った。 この 地 

方で 先覺 者で ぁリ、 改革 {尔 でみ リ> 人物 も 

立 1^ な 人 だとい ふ 評判が 高かった。 湯澤で 

は 菊 江 政治 郎君に 會 つた。 矢張り 政治の 熱 

心 家 だ。 私 は 二十 六日 夜に 湯渾 v;^ 出發 した。 

命 福 c:^ へ 汽車が ついた の は 朝の 七 時、 そ 

れ から 溫 泉で 疲れ 1^ 安め V- から 歸 つた。 途 

中 宇都 宫の 古本屋で 矢 野 文难の 『新 社會. n 

. ^買った。 (室 伏 生) 



レバ ァ ハルム 卿 『六 時間 勞働』 



現 4 「反 資本主義 拉 に反勞 働 組合に 對 する 偏見と 不信任 は 

1 般に 且つ 深刻に 存在して る、 「共に 禍ひ あれ かし」 と 消費 

者 は 云って る,、 其の 消费者 は 不安 を 感じ 何れで も 充分に 且 

つ 眞實に 役立って 居ない と莫然 たる 疑 を 抱いて る、 然し 此 

の擴充 された 不安 は 生産、 利潤、 造 銀の 經濟 上の 根本す ら理 

解して 居ない ことに 侬 ろので ある、 社會 主義者 ゃ勞働 組合 

主教 者の 何れにせよ、 夫 等の 人 々が 論ぜむ とせし * 產業條 

件、 賃銀、 勞働 時間の 著書に 依り 吾人 は 注^して 詮索する 

が、 然し 經濟的 生産費 拉に 生産額 か實に 重要なる 要素で あ 

ろ こと や 或は 又 牛, 產 ゆの 九 割 以上 恐らく は. 割..^ 分 以上 は 

資本家に 依って > はなく 努働者 自身 に^り 消費 せられて 居 

ると 云 ふ 事 實に關 したる 事 を 認めむ とする も 無益な ので あ 

ろ。 夫れ 故生產 額の 制限 や 或は 又 力、 力 ン -ー ー 政策 は、 賃銀 

率の.^ 何 を 問 はす、 衣食住の 名に 依り 計量 せらる. -時は 一 

_ 歷貨 銀の 交換 憤 値ケ减 じて、 賃銀 を 有名 無實の ものたら し 

i_ むる に過ぎない。 



^在に 於け る 多くの 著者 拉に 識者の 精神の 中には、 所謂 

資本の 利益の 愛國心 及び 高率なる 勞銀引 上の 要求に 對 する 

愛國 心に 付 いて 甚だ 淺簿な 危險極 はまる 謬見が ある。 公衆 

拉に勞 働 者に 戦時中に 資本家 か 利益- ゲ棄 てた 事 は 全く 非 愛 

國的 であると 11 實際國 家 的 福祉に は 全く 相反して ろ —— 

認めさす 事 は 容易で はない ので ある。 又 公衆 拉に 資本家に 

勞勤 者が 戰時 中に 高率の 賃銀の 要求 を 抛棄す る 事 は 同じく 

非愛國 的で あろと 認めさし むる 事 は 困難で ある 經濟 上の 

眞理に 依れば、 戰時は 平時より 資本家に 合理的な、 より 多く 

の 利潤 を 得さし め 又勞動 者に も 戰時は 平時よりも 適當な * 

より" 率な 賃銀 を 得さし むに 非ら ざれば 國 家の 産業 を戰時 

中に 相 均整 さす 事が 出來 ないで あらう、 卽ち 利潤 は 資本家 

み-して 生産額 をー咼 め 且つ 戰 後の 事業 收縮拉 に 損失に 引當て 

させしめ又賃銀の-^?加は勞働者をして生活費の暴騰に應じ 

且つよ り 高き 生活の f 加した る 費 に應ぜ させし む るが 故 

である。 



2S 



Is する に 戦時中 は 資本家に は適當 にして 公平 且つ 充分な, 

利潤 を 得せし め、 が^;働者には適當、 寛大 且つ 充分な 賃銀 を 一 

得せし むる は、 國 家の S 革 固 を 保持し 國家竝 に.; S 業の 衰退 を: 

防ぐ 點に 於て 必要 缺 くべ からざる ものである. - 吾人. か產業 

を to 何に 管理して 行く か、 如何に 資本 K 力 働 を 取扱 ふ ベ きか、 一 

簡單に 云 へ ば 戦時中 國 家の 商業 を. e 何に 進めし むる か > 戰ー 

後の 問題と なる が软に 戦時 諸問題の 一 つで ある、 現 會計年 一 

度の 一 九 一八— 一 九 年の 終りに 於け る 吾 國愤は 大蔵大臣の 一 

告 ぐる 處に 侬れば 凡そ 八十 億 接に 達するなら むと、 現 會計ー 

年度に 於て 租税 力の^ 减 せし 額 は 凡そ 九 億碟に 及ぶ と 見 積 一 

られて 居る, 數十 萬の 青春の 人々 は戰に 或は 病に 死し 或は 一 

永久に 不具と なって 居る であらう、 實 際に 吾等 は國 家的飢 一 

餓 にあり 且つ あらむ 限りの 心身 を勞し 食物の 餓條を 防ぎ 夫 一 

れが爲 めに は 生命 財産 を 破壊せ むが 爲 め の 軍 需品 、商船 戦 一 

艦, 潜水 艇、 飛行船、 其 他 あらゆる 種類の 武器 を 備えて る、 一 

社 會攻策 ゃ社會 改造 ゃ敎 育の 普及の プロ ダラ ム は 長期に 且ー 

つ 期限の 過ぎた もの も ある" 

而 して 先 づ 始めに 吾 々 は 浪費 を 避けし むべ き 最も 重大な 

る 事を舉 ゆなければ ならぬ、 卽ち 子供の 生命の 浪費、 成人, - 

の 生命の 浪費、 精力の 浪費、 時の 浪費、 機會の 浪費 等 之 等" 

浪費の 中に 於て 最も 大 なる は 努動者 を 無能なら しめ 健康 を- 



破壊し、 時間 を 空費せ しめ 早老 夭折に 終らし むろ 過 tli^ の 恐 

るべき 浪費 を舉 けなければ ならぬ。 

而 して 吾々 は 過去 三 ケハ牛 間の 中に 疲勞, 過 剩の勞 働、 特 

に 長時間 力 働 等の 問^に 闢し 多く 舉ぶ處 があった、」 其の 結 

果吾々 は 過度に 疲穷を 伴 ふ勞働 時間 G 延長 は、 或ろ 點を超 

ゆれば 疲勞, 緊張、 過度 を 伴 はない より 短時間の 生產 より 

量、 質、 竝に憤 値の 點に 於て 逾 かに 齢な く生產 する もので 

あると 云 ふ 事 を實! ^し 得た: と は 云へ 幸に して 此の 繼續 的. 

勞働 時間の 長き に 失する 論理的 結: i は、 非常に 制限せられ ; 

たる 程度 を 除き 機械 拉に 機械 利用の 場合に は 適用す る 事が j 

出來 ない ので ある、 實際 機械で すら 掃除、 點檢、 修繕、 注 一 

油に 對 する 休息の 時間 を E おねば ならぬ ので ある。 然し 乍ら 

之 等の 停 ± は 大した 事で はない し 又 容易に 準備し 得る 僅か 

の 間隙 を 要するに 過ぎぬ いで ある、 夫れ 故、 內國 及び 輸出 

貿易の 爲め に、 流る、 儘に して ある 商品 を、 補 4i する 爲め 

に は 大に增 加した 生 產額を 要す、, へく 又 最近に 至る 迄 多くの 

產 業に 於て 一 週 四十 八 時間し か 働かされて 居らぬ 所のより 

多く 利用し 得る 機械 を 有して 居る、 されば 諸 困難 中の 此の 一 

1 つの 解決 は i 機械 をより 以上に 運轉し 男女の 勞働 時間 一 

を 短縮す る 事に 依り 最も 巧妙に 且つ 容易に 成就し 得る ので 一 

ある。 吾等 は 男女の 爲め六 時間 勞働 にしなければ ならない 一 



而 して 六 時間の 交替 努锄に 依り 機械 をば 一 日に 十一 一時間、 

十八 時 ST 或は 二十 四時 間 動かさなければ ならぬ。 

吾が 英國は 人類 中 最も 優秀な 勞働 者の 典型 を 有し 全世界 

に 於て 及ぶ もの はない。 若し 吾等が 此の 稀な 人性 を 利用し 

余の 喑 示せし 工夫 を、 より 以上に 用 ふるならば、 産業 組織 

に 於け ろ 勞働咭 問の 變化 は當然 なくて はならぬ。 吾等 は 一 

般 工場 生活の 不生産的 效果を 記憶せ ねばならぬ。 十八 歳よ 

り 七十 歳 迄で は寶に 長き 期間で ある、 而 して 諸 ^か 日々 八 

ゆ 間の 間、 同じ 自働 機械に 努 働し、 斷 ゑす 致命的な 勞苦を 

伴 ふ 仕事に 從 事す る狀能 を考 へ たなら ば, , ^何に 此 れが男 

女の 精!: に 苦痛 を 與へ腐 独せ しめ 勝ちなる 事 を 吾々 の 中、 

^化の 有る 仕 市 > を li? する 人々 は自覺 する であらう。 

其處に は- 生を滎 え あらしむ る 處の愛 化か 皆無で ある 口 

ン ド ン を 出で >r 平坦な ス ロウと ウィン.. ソ ァ— 道路 を 通って 

行く 爲 車の nil は、 同 距離の 小山 を 登り^ 上に 達し 頸 馬具 を 

緩めて ハ<1:問 を 早 oil で: 卜り ろ ハ ィゲ イド 通 ひの より は逾か 

に 疲れき つてし まひ 物にせね ばなら ぬので ある. - され 

ば 又 工場に 於て 疲努し 終る 迄で:,^ 變 Lis 単調に 働き、 5^ 立 日 も 

全く 同じ 物 懶ぃ日 を 過す 爲め に單に 休息と 睡眠との みに ^ 

る 人々 は當然 早老し 是 等の 狀 態の f に^ 弱になる の はまぬ 

2 .JL fO 貧、 



工場の 平安な 總 ての 仕事に 於て 時間の 適 當な割 宛 は晟も 

良好な 結果 を 裔すー つであって 又 最も 緊急 を 要する 問題で 

ある。 此の 例と して 口 ン ド ン と 人口 過剰に 闞 する 點 に付き 

考 へ て 見よう、 吾等 は 口 ン ド ン の 貧民窟と 口 ン ド ン の 人口 

過多 を 知って る、 然 かし 吾等 は 首都が 七 百 1 一十 五 萬の 人口 

で 四十 四 萬 ヱ! 力— の 廣大な 面積 を 覆 ふて 居る 事 を 知 つ て 

る-たら うか。 夫れ 故 若しも 首府の 總 面積に 對し 一 ヱ ー 力— 

毎に 理想的な 狀 態の 下に 十 軒の 家 を 建てたならば、 現在の 

如く 人口 稱密に 失せる 貧民窟の 地方 を 有し、 且つ 七 百 二十 

五 萬 人の 人 々 を惡く 住居せ しむる 事な しに、 吾 々 は 其の 面 

積の 中に 1 一千一 一 百 五十 萬卽ち 三搭の 人々 を 注 ま はしむ るに 

足ろ 理想的な 氣 持の 好い 住所 を 得る 事が 出來 る。 夫れ は S 卑 

に 人家 调密 の 場合に 過ぎ な い, 次に 余. か勞動 時 問に 付 き て 

も 相似て: ると する も 不公平で は あるまい と 信す る. 工場 

に 於て 機械 及び 一 般の 仕事に 從 事す る勞 働か 單 調で ある 場 

合 は 吾々 の 出來? はる あら ろ; hi 事 を 一 日 六 時問勞 働に 至ら 

しむる 一?V か出来る、 六 時問勞 働に 短縮す る 事に 依り 吾等の 

要求す る總 e る ものの みならす 疲勞 する; なしに 夫れ み-生 

產 する,. か H 來る。 (つ く」 (森 恪) 



堺 利彥論 

はしがき 

利 彥氏は 私が 六 年来 師事し 弋ゐる 

先眾 であつ 今-,.^ 猶 私の 生活 は 直接 間 

接に 其 人格 的 影 ir.^ 緊てゐ ろ。 その 六 

年の 短日月の 間 に 私が 審に氏 1^ 觀 察す 

る事に依て^^納したる槪念が必すしも 

正し さもので あると いふ 事..^ 斷言 すろ 

の勇氣 はない。 まして 私 は 自分が 堺利 

彥;, I の 筆者と して 絕對 無二の 適任者で 

あるな どと は 決して 信じ 無い。 然し 此 

!g ちム いちょい 種々 な雜誌 に顯 はれ、 

もしくは 私の 知れる 限りに 於 V 、人の 口 

端に 上リ つ、 あろ 彼に ついての 批評な 

ろ もの v^gl くと;; ^自身の 批判が ょリ正 

しい もので ぁリ 私の 觀察 がよ リ极抵 深 

いもので ある 事.^、:^々 感じ させられ 

ろ。 私 は be き 1! than の 意味に 於て、 

何れ かの 日更 Li 正確な ろ堺 論,^ 書く の 

機の ある 事 信じて 萬 年 筆 1^ 握る。 敢 

て 躡る迄 も 無く 批評家と しての 私の 態 

對" 結對 である。 



1 

先 づ社會 主義者と しての 彼 み 立場 から 始 

める。 I あらゆる 意味 に 於て 彼の 批, 評 は 

此虚 から 始められな けれに ならぬ e 彼が 日 

本の 社會述 動の. =§卷 の 中の 如何な ろ 流-,! 馬 

して ゐ るかと いふ 亊に吾 等の 全く 知ろ 能 は 

ざる 事で あろが (尠くとも 彼の. お 行;.^ 動が 

顯 はれざる 以上〕 彼が 其 si^ 极 :^,^ 純正 マ 

^キシ ズムに 置いて ゐる事 丈け は 事. !=; であ 

ろ。 忌憚 無く 一 百へば 口 本の 現在 Li 於て 純正 

マ^キ シ ストと しての 立場, 屮 固持して ゐる 

もの は 唯 一 人の 堺利彥 あるの みで あろ。 マ 

^ クス學 者 高 畠 素 之 氏 は I:. 取 近 迄 彼と 同じき 

立場 L! 立て 進んで 來た 人で あるが 大正 八 年 

三月 國家 社會 主義者 lEio 一 lal socialist た 

る 事,.^ 明 L! する Li 到ズ 一せ しい 相 不 して 

來た。 然し 此 相違 も 一 歩 退いて 考 ふる 時 決 

しズ 本質的の 相違 LL 非す して 形式の 相 1 ほ に 

す^ない 事が 解る。 高 畠 素 之 君 に 徒へば 無 

政府 主義者 は マヤ クス 汲社會 主義, 小 國家社 

會 主義者と 稱 して 輕 蔑し、 マヤ クス 派社會 

主義者 は社會 改良主義 國家社 I 主義と 呼 

んで 冷笑す る。 マ ^lクス主義も改良主義も 

共:i國家にたiる點Ll於て之>^無政府主義 



者から 見れ に 同じ 穴の 給で もろ。 然し 乍ら 

同じ 穴 LL 住む 絡と は 言へ、 彼等 は 決して 永 

久 Li 同じ 穴に 住む 能 はざる 運命 持て ゐる 

事,^ 知られに なら 卽 甲の 絡 に とって は 

社會 主義ば 穴の 爲 であり、 乙の 絡 に とって 

は 穴が 社會 主義の-お である。 而 して 高 畠 素 

之 氏の national socialism (註 I 素 之 氏の 意 

見に 最近に 到って 更に 進化し つ >- あるが 此 

處に 引用す る 者 は總て 彼が 國家 社會 主義, 屮 

標榜した 常 初の 宣言に 擦る) の 立場 は綞濟 

上に は マ か クス 主義,. 5^ 應 用し 政治 上に は 社 

, ^改, 义 主義の 精神 以て 行かん とする (國 

家社會 主義 第 一 卷 第一 號) ので あろから 赏 

時に 於る 氏に 國家 中心で あるか 社會 主義 中 

心で あるか 不明で ある。 此處 からさき の議 

ii は 一/ 國家 論』 の範 園で あるから 省略す るが 

尠くとも 其生虔 論と 分配 論 於て 彼が 最も 

鮮 かな マ かキシ ストで もる 事 丈け は 寸分の 

疑,^ 容れる 事が できない ほど 確. K である。 

然るに 堺利彥 氏 は 彼 自身の 分類に 徙 へ に 

正系 マヤ クス. ぬで ぁリ、 從て非 提携 派で も 

リ、 弗 入閣 派であった。 (近代 思想 廢刊猇 四 

頁 参照) 11 此際 吾々 が考 へざる ベから ざ 

る ことに、 高 畠 氏の 思想 的 妥協が 論理の 必 

然的 進化に 據ろ ものに もらす し i.- 官憲の 壓 



前提と したる 『猫 かぶ リ』 若しくは 『保 

^色』 11 更に 言換 ふれに 彼が 日本人と し 

て 日本と いふ 特殊な 國に行 はんとす る マ ^ 

ヰ シス ムの^ 際 運動 — と 見ら るべき 理由 

1< ^存分に 有し ズゐ ると いふ、、 とで ある。 

かくの 如 さ 見地から 堺 氏の 立場,^ 觀察す 

ると き 私は兩 者の 間に 非常 に 微細な 共通 點 

、の ある: と 發見 する ものである。 嘗て 彼 

は 近代 思想に 其 意見 發 表した: とが ある 

曰く 『僕が 若し 保護色 取る とすれ に 一 步 

右 隣 に 退却して 國 家社會 主義 Li 行く より ほ 

か は 無い。 然し 退却に 厭で ある。 そこで. d 

む 得す 沈默 して ゐる 次笫 である。』 と。 然 

し 乍ら 讓步 なかく の ご-とく 忌む 氏が 自ら 化; 1 

通選舉 運動 主唱し、 立候補 且言 する 氣 

持の 底に は國 家社會 主義.^ 是認 ぜんとす ろ 

耍求 が^んで ゐ るからで はもるまい か。 此 

^^味に於て|€も3君の國家批會主義は 一 個の 

完全な 生 航行^た ろ 事が 立證 される けれど 

も辨 氏の^?^ 選舉 運動 は 尠くとも 氏 自身に 

於て 一 個の 思 ^ ^的ィ タ ズ ラ であると 言 ふ 

事が 出来ろ。 然し K 際 的 效果の 上から 言へ 

ば 思恕的 イタ ズラ の飛沐 で姙娠 すろ ことの 

一 方が 多かっ^ と矛盾したぉ例^^-^|4達は多 

5 一 く 見せつ けられて もろ。 然も 取 近 に 至って 



高畠氏の立場が次第に4^ か シモゥ イズムに 

近 さつ V ある (彼ば 最初から 勞働階 欲の デ 

イク ティト-^ シ ク プ,^ 主張す る レ ニン 一派 

. ^國家 社會 主義と 呼んで ゐた) に對 し!^ 氏 

の 立場 か 漸次 勞働紐 合 主義 1^ 含みつ、 ある 

事に 而 ねさ 對 照と 言に ねばならぬ。 而 して 

それば ある 觀 方に 於て は兩 者が 次第 LL 近き 

つ、 ある 革 暗示す る ものである 0( 然し 私 

は此際 思想 的 LL 斯の ごとく 相迎 する もの 

有す ろ 彼等が 何が 故に 投携 しな い かな ど い 

ふ 愚問 發 する もので はない) 更 Li こ、 に 

は 高 畠 素 之と 堺利彥 の 比較 諭 する ので は 

無い から アウト. ライン 以外 LL は涉ら ない 

つもりで ある。 唯堺 とい ふ 輪 靡.^ うきあが 

ら せろ ため に それと 比較 すべさ 他の 人間 

持って 來^ とい ふに 過^ない" ——- 兩 者の 

關係 は大體 以上の 如くで あるが もっと 突 込 

んで 考察す る 時、 高 <»s 君に 勘^され た マ ャ 

ク ス の 庶子で ぁリ、 堺氏は その 養子で あろ 

とい ふ、、 とが 言へ る。 卽ち 11 一: や IS 君の 據 

て 立つ 所に マ レ, グス の^ 濟學說 であるが、 

1^ 氏の 主たる E、^ 想 的 根據. Li なって おる もの 

は その 唯 物史觀 である。 而 して 高 畠 君が 階 

級 關爭說 に 主 耍點. Hid いて ゐな いのに 對し 

堺氏は 之, 立論の 基 1^ として ゐる。 



2 

11 以上に 於て 堺利彥 の 思想 的 立脚地,^ 

^だ 不充分で は, あるが (そして 此處 では 其 

思想 的立 場 vc^ 評論 す る の で は な い か ら)、 大 

ざつば に說 明した つむりで ある。 以上 序 

tl? として 愈々 本 諭に 進む 事 に する。 吾 吾が 

堺 氏と いふ 渾然 -f^ ろ 一 つ の 人格 考 ふる 時 

其 處には 明 LL 三つの 形が ある: と, 知られ 

ばなら-ぬ その 一は 社會 運動家 11 (特別な 

意 味 の Agitator とし ズの) 氏 * その 二 

は 文人と しての 5^ 氏 mail of lelUiis その 三 

は敎師 としての 堺氏 tsl^her であろ。 此ほ 

か に 學者 としての 5^ 氏が あるし、 ? 53; 文 商人 

としての 1^ 氏が あろ けれども 大體に 於て 上 

記の 三方 面から 眺 むる 事 1.3^ 忘れて は 堺利彥 

とい ふ 人間 本質的 LL 知ろ. t は出來 ない。 

(A ) 社會 運動家と しての 裸 氏 

社會 運動家が 必ら すし も Agitator で 無け 

れ ばなら 5! とい ふ、、 と は 無い。 然し 乍ら 

>fs. である こと は 優, なる 肚會 運動家 

としての 重要な ろ耍 素で ある。 然 らば Agit- 

ator . るべ さ 條件は 何で あるか。 一 Ligccd 

speaker たる 事で ある。 二 L! g-.L writ 二 た 

る 事で ある。 三 に 一一 ying 8pi-.it 所^^者たる 



2 事で ある。 然ら bj^ 氏 は此條 件に 照 鹿して 

SI 動 家た ろ 素質 1^ si- して 充分に 備 へて ゐろ 

か 否か 彼 は Teaohr として は good 

speaker であるが Agitater に おける ^;021 

speaker では 無い。 彼 は 潮の ごとく 鳴リど 

よめく 群集.^ 統御し 支配 マろ 『善き しゃべ 

リ手』 では 無い C 彼 は 個人的 プ n パ がンダ 

に おいて は. 絡 妙の 呼吸,^ 心得て ゐ るが 

群集 的プ n バゲ ンダ LL おいて は 1" んど煩 動 

力, 備 へても ない といって 宜ぃ。 靜 かな 口 

調,^以て-說かれるその演說.<^閬ぃてゐると 

人生の 妙味.^ 體 得した る N キス タシ! が ilt 

々とし ズ 迫て 來 るが、 身體 中の 血潮が 煮え 

くリ 返る 樣な 強烈: 刺戟 は 何 慮から も受く 

る ことが 出來 ない。 ^の 條件は 繰返して 說 

く 迄 も 無へ。 其輕妙 LLL て耍 fs: たる 文章 

力 は 天下の 何人-.. -が認 むる ところで ある。 

然し そのう まさ は必 すし も 動的のう まさ 

ではない。 ^の 條件は 欺く とも 現在の 堺氏 

に は 絡 無で ある。 唯 吾々 は 日本の 社會 主義 

; iy 動史. ^ま リ擄げ ると さ、 その 数年 前の あ 

ら ゆる 頁 L! 彼の 飛躍的 精神 發見 する、 -と 

が 出来る。 然し 乍ら 苦 都 十数 年の 過程に 於 

て 官憲の 膿 迫と 同志の 爭 闘と 生活の 苦悶と 

V5> 前後に 控えて 妥協 もせす 逃避 もせす 静に 



其 立場,^ 守て 來た 彼の 現在が 漸く^ 滿常讒 

の^ 域 LL 人る とと LLi 数年 前 彼の 生活,^ 彩 

て ゐ た 飛躍的 精神が 影 VI- 沒 してし まった、 - 

と は 止む y^FI: な いこと 首 はれば ならな い 

以上の 三倏 件に あて 篏 めて 考察す ろ、 とき 

5^ 氏 は 終に Agitator として は 落第で ある 

とい ふ 結論に 到着せ ざる ない。 然ら- ば 

彼. J-L て社會 運動 者たら しめて ゐ ろと: ろ 

の 他の 要素 は そもそも 何で あるか。 それ は 

忌憚な く 言へ に 一 は 不斷に 彼 Q らの 中に 充 

張しっ、ぁろ5|^^カ。 二 は 彼が 十数 年の 長 

き社會 主義者と しての 生活 中に, U 然 に造リ 

上げた アトモスフィア (ある 場合に は 彼の 

人格が その アトモスフィアの 中 に 混 融合 化 

して ゐ ろが ご-^ くも 見 ゆるが) この 二つで 

ある。 その 具體 的な サン プヤ は 後韋に 於て 

くわしく 5^ 明す る。 n れん- 耍 約す るに 塌: i 

家と しての 堺氏は 本質的 一;;- 味に 於て 明^ Li 

赏大な 要素-^ 缺 いて ゐる。 

此處 において 最後に 残された る 問. 题は 

『煽動 家と して i^^ 第で ある 堺 氏が ^<Hitl 動 

者と して 如何なる 地! 3^,.^ 占む るか』 とい ふ 

-、 とで ある 

3 



動と 彼の 周圉の At 一 llosplK-re との » 係 

— われわれ はかう いふ こと.^ -考 へ なけれ 

にならない。 彼は演 境の 上の good speaker 

では 無い が、 しかし もっと 廣 いもつ と极抵 

的な 意味に 於て 常に 其 生活の 中に 煩 動的 事 

赏1^兒成してゐるのではなぃか。 《 つ 

と 端的に 言へば 官憲の 壓 迫,^ 前に 控えて 目 

ぼしい. K 際 運動 する、、 とがで きす、 從て 

形の 上の! S 動 遮られて ゐる 彼に とって は 

何事 か あらしむ ごとく 見せしめ てる 、、とそ 

れ自體 が 現在に おいて は 立派な 塌 動的 事實 

となって 顯 ばれて ゐ るので はない か。 、、れ 

がその 一 つの 場合、 それから 第二の 場合 は 

も つ と 本質的な 味 におい て 俗語で 言 へ ば 

1 種 の 人格 的 潜 力と も 言 ふ ベ きも の が彼 の 

行爲のカ强き背^!:!^とな つ て顯はれてゐ る : 

とでお る。 上の. ことき 場合に おいて 本質 

以上の ものであると 言て 差 支な い ほど カ强 

さ 背 E 一お で あると: るの シュ. 'パ, *ヒュ, 

マ ン • ビゴ ァが塌 動的 事 赏产ど 構成し つ、 あ 

る: と は 1 百 ふまで も あるまい。 如上の 意味 

もって 最後に 造り上げられた 命題 は 氏が 

『主動的 active な社會 運動 者に あらす し 

て、 受動的 psvlve な社會 運動 者で ある と 

いふ、、 とで ある。 (未完) (尾 峰 士郎) 



デ っテ, エッチ • コ ー ル との 會 《K 



(一) 

戰爭 前まで は、 勞働 者に よっての 產業 統制の 要求 は、 た 

だ 主として ギルド 社會 主義者に よって 叫ばれて ゐ たに 過ぎ 

なかった。 しかし 世界大戦 はこの 形勢に 革命的の 變化を も 

たらした" 英國 における 勞働 運動 は 今や この 産業 統制の 理 

想のう ちに 狂 熱 を 感じつ. - ある。 就中 ス マイリ I と ネッダ 

.V によって 率 ゐられ る 炭坑 夫 組合の 國有 法案 は ギルド • マ 

ン の 思想の 具現で あると いふ , J とがで きる であらう。 

如何にし てこの 變化 はきた か? 

若し この 變 化に 對 する 思想 的 指導者と しての 一 個人 を舉 

ゆると すれば; チ エッチ • コ ー ルが撰 まれなくて はなら 

ないで あらう。 

彼れ は ギル ド 思想 をブ 口 パ ガ ン NK スト から 救 ひ、 合理と 

そして 建設的 能力と を もって それ を 熱烈に 主張した。 そ は 

勞働 運動の 若い 諸 分子のう ちに 急速に 支持者 をうる に 至つ 



(二) 

それの みで はない、 コ! ルは 決して 單 なる 外部からの 忠 

告者 でもな く, 批評家で もなかった。 彼れ は 合同 機械工 組 

合の 仕事 を 引受ける ために ォッ ク ス フォ ー ド大學 の 椅子 を 

捨て. - 立った。 そして 後に は 勞働黨 の 諮問 委員 會の セクレ 

タリ I となった。 また 数年間 勞働 調査 局の セクレ タリ I で 

あった。 

過去 數 年間に 彼れ は 他の 何人も 及ぶ , 3 とので きない 仕事 

——. 幾多の 書物 を勞 作して 知識 あり 思慮 ある 若き 男女 を 社 

會 主義へ と 動かした。 

『レ ー バ 1*リー ダ I』 の 一 記者 は ある 一 日の 午後 を勞働 

調査 局に おいて コー ル とともに 費した。 そして 詳ら かに 社 

會主 理論の 發展に つ い て 論じ 合 つ た。 

勞働 調査 局 は ェ クレストン • スクェ ァ なる 勞働黨 の 本部 

と 隣り合って ゐる。 努働 組合 議會 委員 會は 三十! 一 番地に、 

勞動黨 は 三十 三番 地に、 勞働黨 出版 局と 勞働 調査 局と 54 三. 



ふ 十四 番地に 位 ひして ゐ るので ある。 そして 三十 三番 地. か嘗 

つて 勞働黨 の 正面の 敵と しての ゥヰン スト ン* チヤ ー チル 

の 邸宅で あつたの も 興味深い ことで ある。 

ルは. まだ 極く 年若い。 脊の 高い、 蒲柳の、 そして 黑. 

い 毛の、 銳ぃ、 智 的な 顔の、 かっきり とした 風貌で ある。 

(三) , 

『五 年 前に は、 勞働 組合 は產業 統制に ついては 殆んど 何 

ごと も考 へて はゐ なかった が、 4 「日で は勞働 組合 蓮 動のう 

. ちに おける 凡ての 活ける 力 はみ な ある 形式に おいての 勞働 

者の 統制 を 欲求す る ことに 一 致して ゐる。 明確に この 攻策 

を 採用す るに 至って ゐる 部分 は 少ないで あらう。 しかし 思 

想 それ 自身 は あらゆる 部分 を 捕捉した〕 

r この 方向への 進行 は 概して 二つの 原因から である," 第 

1 は戰 時の 經驗が これで ある。 凡ての 産業 特に 機械 製造業 

において は、 工場 や、 仕事場 や、 炭坑に おける 諸問題の 解 

決さ る ベ きも のが 甚だ 多 かった。 

『その 結果 は、 勞働 者. か 働きつ.' ある 場所 そのものが 彼 

等の 吸に 盆々 重要と なった。 そして 彼等 は、 彼等と その 仲 

問と が 社會の 一 單位 をな して ゐる こと を 感得した。 更に、 

國 家が、 彼等の 勞勸 者と しての 仕事に、 市民と しての 锦日 



の 生活に 對 してと 同じく 盆々 多く 干涉 する に 至った-と は、 

彼等 をして 甚だしく 國家 を嫌惡 する の 念 を 起す に 至らし め 

た。 かくして 力 働 者に よっての 產業 統制の 思想 を 進める 1 1 

つの 流れが ある" 一 つ は 經驗の 流れで ある" 他の 一 つ は 各 

派社會 主義 11 マルクス 派產業 組合主義、 ブ レツ ヴス • リ 

—グ、 ギルド 社會 主義者、 獨立勞 働黨の 有志、 勞働 組合 運 

動の 靑年 役員 等 並に 一 切の 左翼 黨の 宣傳が これで ある。』 

(四) 

コ 1 ル は產業 統制の 思 相 § の體現 者と して 炭坑 夫の 運動と 

そして 『マン チェ スタァ 建築 ギルド』 との 二つが 最も 注意 

すべき ものである となして ゐ る。 - 

『如何に して 炭坑 夫の 要求が 起 つてき たかを 知る こと は 

興味 あ る ことで ある. ^ 戰爭の 終局に おいて 統制 の 理論 を 適 

用す る こと は 必要と なった。 特に 炭礦 業に おいてさう であ 

つ.; r 炭坑 夫 は旣に 國有玫 策に 委せられ てるた。 しかし こ 

の國有 の 要求に お い て勞働 者に よって の 統制の 理^ は實際 

に 働いて ゐ なかつ.; r そして 產業 統制に 銳敏な マ ルクス 派 

產業 組合主義 者 は^ 有に 反 針し た。 戰爭の 後に 起つ た 新ら 

しい 狀態 は國 有と M 々勦 者の 統制と をと もに 必要と した。 坑 

夫 聯合 は 計 劃 を 形った。 その 計 劃は實 際に ギ ル ド社會 主義 



の 要求であった。 卽 ちそ は. ヘム 有と、 そして 炭雜 業に おける 

肉體 及び 精神 勞働 者に よっての 直接 統制 か, ) れ であ る (- 

…… 大產業 はやが て 炭坑 夫の 後 をお 二で あらう。 J 

(五) 

この 新 精神に 對 して 社 會 主義者 は. S 何なる 態度 をと つた 

か • コ I ルは 次の ごとくに 語りつ > ける? 

r この 新 精神の 發 達に ついては、 社會 主義者 は 『社 會主 

義勞働 黨』 の ほか は 直接な 働き をな して はゐ ない。 勿論 

勞働黨 の平黨 員の 可成り の 部分が、 】 の發 展を援 けたに し 

て も 一 圑 としての 獨立勞 働 黨は新 思想の 發展 のために 殆 

んど何 ご ともなして はゐ ない。 私 は それが 去年の 年會に 

おいて 努働者 統制の 攻策 についての 決議 を 可決した こと 

を 忘れる もので はない が、 それ は 獨立勞 働黨の 公け の 働 

きに 殆んど 影響して はゐ ないし • また その 玫策を 細目に 

亘 つて 働かせよう とする 企ても なかった。』 

『若し 獨立勞 働黨が この こと をな さなかったなら 彼れ は 

敗れる であらう。 私 は 彼れ が 他の 社き 黨に 敗れる とい ふ 

ので はない。 重力の 全 中心が 社會 主義 運動から 產業 運動 

へ と鸫 過す るで あらう とい ふ , J との 意味で ある」 



(六) 

コ I ル の 話 は滾々 として まきない、』 彼れ は 獨立努 働黨の 

機關 紙と しての r レ ヱ バァ *リー ダァ」 の 記者 (S.F.EO に 

對 して 遠慮なく その 獨立勞 働黨の 態度 を 批評した。 そして 

今日の ま >- であって は 獨立勞 働黨は 存在の 意義 を 有する や 

K 口 やと さ へ 極論した。 また 彼れ は國 家と 消費者との 闢係を 

論じ、 更に 將來 の社會 組織に ついても 彼れ 一 流の 明確 さ を 

もって 語りつ > けた。 

彼れ は議會 主義者で はない。 そして ソヴヰ ヱ チズ ムの主 

張 者で もない こと を 明らかにした。 彼れ は 新 組織の 生れる 

こと を 信ん じて ゐ るので あった。 (Labour Leader による) 

= ギルド. マン = 

書物の 寄贈者に 

「批評」 に 書物 雜誌等 VJ^ 御 寄贈の 方 は 直接に 左記へ 御 

送リ 下さい 

is- 京 府下 大森不 入.^ 四 七 一 

室 伏 高 信 



、、の 1 文 は H ス. ゲ.' • ホプ ソンの 最近の 著甞 「ナシ ョナ か-ギ^ 

ヅと國 家」 Li おいて 「戰 帶の勞 働に 及ぼした る 影 藜」 と 云 ふ 章 

の 中で 論じた 失業 間題觀 であろ。 ホプ ソン は 人 も 知る 如く、 コ 

i ^» メ ロアが "- ギ^ド • マ ン」 に 立籠って ゐ るのに 相對 して、 

H. ァ,. ^. すレ, デ と共に 「ニュ ,• H ィゲし LL 據 つて ゐろ ギ^ 

ド社會 主義者 中の 著名な 人で もる。 



通常の 狀態 において は 失業と は 一 部分 は 季節的の • 一部 

分 は 一時的の 勞 働の 餘剩を 言 ふので ある。 英國當 面の 失業 

は 全然 一時的であって、 そは數 年の 問 軍櫞の 勤務に 從 事し 

X 「新しく 他の 職業 を 求めん とする 人々 の 問題で ある。 だか 

ら其解 诀は勞 働 を 定着 せんとす る 一 大事 業と な るので あ 

る 

そこで 我々 に 取って は 失業 問題の 解決に 摘 用すべき 原則 

あり やの 問題が 自然に 起って 來 るので ある? 要約 すれば 一 1 

つの 原則. か ある。 すべての 人 は 失業 は罪惡 でない から 失業 

者 も 生活 維持の 權利 ありと する 點 において 一 致して ゐる。 

そこで 第一の 論者 は 失業者 維持の 費用 を社會 の負擔 たらし 



め やうと し、 第一 一の 論者 は 之 を その 產 業の 負 擔 たらしめ や 

うとす るつ 第 一 の 論者 は 賃銀 制度の: 止當な こと を 認め、 さ 

うしても し 雇主が 其餘 剩の勞 働に よる 商品に 對 する 市場 を 

發見 する ことが 出來 なければ、 彼 は餘剩 の勞働 者の 生活 を 

維持す る 義務 を 持たない と 主張す る。 かく 論す る ことによ 

つて 彼等 は 失業者の 維持が 當 然社會 の負擔 でなければ なら 

ない と 言 ふ 論理 を 案出す るので ある。 此 論者に 取て は 失業. 

は 神の 荆 意で あり、 社會的 災禍で あり、 社會的 責任で ある。 

第一 一の 論者 は 賃銀 制度の 正當を 否 定し、 失業 は 資本家 的經 

濟 組織に おける 缺く ベから ざる 現象で ある、 故に 其 解決の 

責任 は 資本家に ありと 論す るので ある。 資本家 は 餘剩の 原 

料 を 買 ふ し 、 さう して 勞働は 資本家に 取つ て 原料と 同じ 樣 

に 商品で あろから、 資本家 は 其 餘剩の 勞慟を 維持して 行か 

なければ ならない からで ある。 第一 の 論者 はさに 對 して、 

厘 主 か 其 餘剩の 勞働を 維持し なければ ならない と 云 ふ 根本 

の 主張 を 是認 するとしても、 それ は 非實際 的で あろ, 何と 

なれば 失業者の 大部分 は 一 時的勞 働から 成り立ち、 さう し 

て 失業者 中の 一 曆 大部分 は 無職者から 成り立つ からで ある 



と 答へ る。 そこで 第一 一の 論者 は 一 産業に おけろ すべての 一 

時 的 勞働を 定着させる こと. か 目下の き 務 であると 第 一 の 論 

者に 對し. て 反駭を 加へ る。 さう して 無職者に ついては 資本 

家 的 組織の 遣傳的 疾患で あり、 社會 S 負澹 である と 論す 

る. - 

私達 は 失業 問 超に ついて 努働 組合の 行 ふべき 機能 を 考案 

する ことなしに 是 等の 何の 原理 も 摘 用し 得ない と考 へ る も 

ので ある。 一 世紀 以上 も 失業 勞働 者の 生活 を 維持して 行く 

こと. か $w 働 組合の 主要な 機能であった からで ある。 この 機 

能 は勞働 組合. か 賃銀 の 値上に 關し て展 主と 交涉す る ことに 

なった 以前から 認められた 所の ものである。 然し 乍ら 勞働 

組合 は 其 初期に あ つ て に 高給 また 熟練 勞働 者に よ つ て充た 

されて ゐ たもので あるから、 失業の 社會的 結果 は、 その 事 

業の 恐慌の 場合に は 一 部の 階級 は 其 救助 を 組合に 求め、 他 

の 一 部 は 其 意に 反して 救貧 法の 保護 を 受けなければ ならな 

かった ので ある。 真正の 失業者 は 自動的に 公民 權を 剝鸾さ 

れ、 救 貪 法の 通常の 作用に よつ マ 被救恤 者と なった のが あ 

まり 古い f 1 とでな いのは 今日の 中老の 人が 記 億して ゐる所 

て ある。 然し、 今や 勞働 組合 は 法律 的に 失業者の 然の保 

護 者と して 認められ たので ある。 それ は勞働 組合. か 其 目的 

S の爲 に組截 された 許りでなく、 また 失業 か 種々 な 關 保に お 



いて 賃銀 率と 努働條 件に 關係を 持って ゐ るからで ある。 故 

に. 勞働 組合から 失業者 維持の 機能 を 取り去る の は、 其 目的 

が 產業的 困難の 單 純化 にある のに、 反って 之 を複維 に し て 

しまう からで あろ。 社 會か產 業 的で はなく 行政 的 機能 を 有 

する 機関に よって 失業者の 生活 を 維持す るの は 動 組合の 

範 Ml と 機能と に 相敵對 する もので あり、 勞働 組合から 最も 

其 會員を 惹き附 ける ものの 一 を 奪 ひ、 さう して 一 定の反 社 

會的 勢力 を 作用 さ す ことになるの である。 けれども 不思議 

のこと に はこん な 行政 的の 解 诀を勞 働 組合主義 者が 歡迎す 

るので ある。 

二 

努 働の 商品 的 評價を 斥け、 貸 銀 制度の 解剖の 結果 賃銀の 

廢止 はた.、 勞働 者に よる 勞 働の 獨 占に よっての み 達する こ 

と. か出来る と 信す る 私達 はまた 失業 は經 濟 的 解決の み をな 

し?.^ る經 濟的經 過で ある こと を 明かに 信す る ものである。 

, } の 經濟的 解決 は產 業的經 過の 中に 求められ * さう」 て、 

其 一 は勞 働の 餘剩の 賃銀の:^ 定者 としての、 また 或 時 は 市 

場維持^^^:としての:^用でぁる - 故に; f;I 理上 次の 樣に云 ふこ 

とが 出來 る" (ィ- 產業は それ 自らの 働の 餘剩々 維持し な 

ければ ならない I (口) 其 維持 は努働 組合 を 通じてで なけれ 



お . ばなら ない。 また 次の 樣な 推論 も 重要で ある。 もしも 失業 

*p が: K 生活の 維持 を 一 の產 業に 要求す るなら ば、 彼れ は 一 

定の 期間 及び 一 定^ 規定に よる 勤務に よって 其產 業に 所屬 

して ゐ なければ ならない ことで ある。 私 は 他に 勞働を 定着 

させる 方法 を 知らないから である。 國 家が. & 何なる 訓練 を 

失業者 または 無職者に 奥へ るに しても、 彼等が ある 一 定の 

組合に 所 馬し ない 間 は 彼等 は 産業 上の 放浪者で ある。 

軍隊の 員 は 明かに 行政 的 責任で ある。 何と なれば 兵士 

は 市民 的の 勤務者で あり、 産業 的で なく 國民 的の 業務に 從 

事して ゐ たからで ある。 然し、 どの場合にも、 〕 、 に 述べ た 原 

則 は 明かに 摅用 する ことが 出來 るので ある。 國 家が 兵士の 

厘 主で ある 以上 は 兵士が 一 定の產 業に 復歸 する まで 彼の 生 

活を 維持す るの は國 家の 義務で ある。 兵士 は 彼が 產 業に 馬 

する まで は 軍隊に 屬 して ゐる ものであるから である。 

私が 一九二 一年 並に 一 九 一 七年にぉぃて失業の費用^^社 

會の資 擔で なく、 產 業の 負 擔 でなければ ならぬ と 論じた の 

は 、 私が 勞働 組合が 賃銀 か ら 失業 費 を 支出す ると 云 ふ 歴史 

的事寶 によって 動かされた 許りでなく、 ギ ルド • マン は其疾 

病 時で も、 老年 時代で も、 失業 時で も 生活 維持に 對 する 權 

利が あると する ギ ル ド 思想に よって 動かされた ので あつ 

た。 勿論 これ 等 は將來 において は ナショナル • ギル ヅの 負, 



S たるべき ものである。 其; ft 擔は國 家でなくて、 產^ か 負 

擔 しなければ ならない ので ある。 、 】 の, ) と は 論理の 明白な 

結果で あり、 事實 よりの 歸綱 である。 一 九」 1 1 年に おいて 

は戰爭 の爲に a 年の 間に 1 一の 原則が 行 はれる と は 夢想 だに 

しなかった ことで ある。 一九 一 七 年に おいて 綿 調節 局 は 私 

の 理論 を實 行し つ. - あった。 繊維 業に おける 失業の 「口 ー 

ダ」 組織 は 戦爭の ti らした 高赏^ 產物 である。 だから 私 は 

將來の 爲に其 大體を 語りたい と 思 ふ。 



船舶の 顰 波と 戦 爭 によって 惹起 せられた 產 業の 混 亂 とに 

よる 原料 綿の 不足の 爲 めに 綿 工業の 履 主 並に 勞働 者の 指導 

者 は 失業 問題 を 新しい 見地から 見る 樣 になった ^ 綿 調節 局 

は 工場の 一 日 分の 仕事 を 定め、 さう して 一 週間 毎に 操業 紡 

鍾の 割合 を 持 許しなければ ならな か つた。 一 J の 割合 は戰時 

の 需要 並に 綿の 種類に よって 異 つて ゐた。 さう して ェ. デブ 

ト, シ —• アイ ラ ンド、 ス ラ ~ 卜の 綿 を 用 ふる 坊 は 一 i 間 

八十 パ アセント ノ五 十五 時間 半までの 操業 を 許された。 も 

しァメ リカ 產其 他の 綿の 場合に は 一 週間 五十 パ アセント、 

四十 時間の 操業 丈け しか 許されなかった。 この 變化は 自然 

的に 仕事に 影響した。 さう して 钫績ェ 並に 機 織工 は 其 事情 



39 



の 下に 不利 ^を 受ける ことにな つた。 數年 前にお いて は 失 

業者 は 其 補助金 を 其 組合から 受取った ので あるい 斯 樣な狀 

態 は 勿論 新規に 起った もので、 紡績工 や 機 織工が 其 失業 を 

順次に iiF^ 受ける 樣な 工夫から 生じた 狀態 である。 失業者 は 

操業 紡錘 並に 織機に 賦課され た徵 課金に よって 其 生活 を 維 

持した。 さう して、 其徵 課金 額 は 1 1 百 萬竊に 達し、 失業者 

の 問に 分配され た。 一 九 一 七 年 九月に おける 紡績工 中 失業 

手當の 割合 は 次の 通りで ある。 成年 男子 1 1 十五 志、 成年 女 

子 十五 志、 終日 勞 働の 幼年 十一 一志, 半日 勞 働の 幼年 六 志で 

あった。 機 織工の 失業 手 當の釗 合 も同樣 であった, 其 規定 

中の 幼年 者と 云 ふの は廣 義解釋 すべき ものである。 卽ち年 

^の 問^ は 之 を 決定す る 唯 一 の 要素で はない、 其 取 s:: する 

實際 賃銀と 仕事 並に 家族の 狀態を も 考量し なければ ならな 

い。 一 九 一 八 年に おいて 其 手當は 一 一十 五 志から 三十 志に 上 

つた。 其 他 も 同樣の 割合で^ 加した。 一 九 一 八 年 六月に お 

いて 交代 失業 制度 は勞働 組合 の 意志に 反 し て 撤回 さ れ た 、 

けれども 失業 手當は 輟績的 失業者に 支拂 はれた ので ある。 

、 J の 原則の 摘要 は 勿論 價 値の ある もので あるか、 M 力 働 者 

はこの 失業の 產業的 責任の 原則に 加 ふるに 同じく 根本的な 

勞働 者に よる 勞 働の 管理の 附 加され ない 以上 は 満足し ない 

ものである。 この 問 ii を 論す るに 當 つて コ ー ルは^ 明に も 



失業 手當が 組合 を 通じてで なければ ならない こと を 中 張し 

た。 この 點は 必要の ことで ある- 何と なれば もしも 組合 か 

失業 手當 支: fii の 仲介者で ないならば * それ は 失業 組合 組織 

における 重要な 要素 を逼 主の 管理に 任せる ことになるから 

である. - この こと はまた 綿 調節 局の 認めた 所で、 組合員 並 

に „ ^組合員に 對 する 失業 手當も 組合 事務所 を 通じて 支給す 

ベ く、 雇主 か 地方 組合の 存在 を 知らざる 場合に は 雇主 は最 

も 近い 所の 共 同 委員 會 、 雇主 協會 ま た は勞働 組合 の 秘書 と 

相談し なければ ならない し、 またもし、 其 仕事 を 司る 地方 

組合. か 全然ない ときには 調節 局 か 特別の 取り極め を 行 ふこ 

と を 命じた のでめ る。 かくの.^ く、 一部 4- で 限 局され て は 

あるが この 產業 的寳驗 において、 一 一つの 重要な 原則 を 吾々 

は 認める f 3 と. か出來 るので ある。 ( 一 ) 產業は その 失業者の 

生活に 對 して 責任 を f:a 、な こと, (一 一) さう して 失業 手 當の取 

扱 は勞働 組合の 機能で ある ことが、 J れ である。 

然し • この 原則 を輕々 しく 摘 用 すれば 危險 の存 する こと 

を 忘れて はならない。 もしも 勞働 組合 か 以前の 賃銀 率 を 維 

持す る 丈け 充分 有力でないなら ば 厘 主 は 失業 手當に 相當す 

る 丈け. S 費 を 賃銀の 低 一.^ によって る- 】 とになる、 また 

事赏ぁ る iM 主 は 旣に之 を 行 つ た の であ る: 然し 乍ら 私 は 力 

働 組合 か 不? :?3 に 神 I ぼ 過敏 に な る 必 要 はない と £,0 ふ、 何とな 



れば嫌 雉努働 組合 はた y 箪に、 失業者が 1 1 百竊を その 產業か 

ら 取った と 云 ふの みで, 四 割の 賃銀の 値上 ゆの 爲 めに^ 業 

する こと を禱 躍し なかった からで ある。 これよりも 一 歷大 

なる 危險 は資銀 制度 を 維持しながら 尙ほ 且つ 失業者の 生活 

維持 を勞 働と 資本との 充分なる 了解の 下に 慈善 化せん とす 

,る 試みで ある。 ナショナル • ギル ヅの! 批評家 は 云 ふ。 生 

活保證 の 原則の 組織的 摘 用 は 産業 組織に 對 して 何等の 革命 

的 變革を 潇らす もので はない。 それ はた > 賃銀 制度 中に 存 

する 社會 契約の 精 祌を實 行す るに 過ぎない ものである。 賃 

銀勞働 者が 濟 的に 保 證ネる 地位 を與 へらる るまで は、 賃 

銀 制度と して 純粹な ものと はならない ので ある。 遷主は 企 

業の 危業 を負擔 する、 其 報酬と して 利潤 を 得る、 勞働者 は 

企業の 危險を 貧 擔 しないと 思 はれる ので 利潤 を 得る ことな 

しに 一 定の 賃銀 を支拂 はれる。 これが 賃銀 制度の 根本 原則 

である。 賃銀 制度 を純粹 にす る爲 に、 また 雇主が 企業の 危 

險と 利潤と を 得る 爲 めに、 約言 すれば 資本主義が 繁榮 する 

爲 めに、 勞働は 其 生活の 保證 の代儻 として この 舊 制度 を 維 

持すべく 要求され るので ある。 私 はこの 生活の 保 證が國 家 

の 負 擔 となる かまた は 産業の 負擔 !| 多分 前者で あらう 

11 となる か. を 知らない, けれども 資本 主 J!^ の 指導者が 新 

賃銀 契約に 向 はんとしつ >• あるの は 明かな ことで ある。 資 



本家 はこの 賃銀 契約 を勞 働が 最も 弱點を 有する とき、 卽ち 

失業者の 最も 高い 時 及び 財政 的に 困難して 時に おいて 之 を 

承認す る こ CJ を 求める ので ある。 新樣な S 迫の 下に 舊李 t 

の努 働の 指導者 は其掛 引の 巧な こと を 誇った ものである。 

然し 乍ら、 吾々 は旣 にェ揚 代表 または それと 同種類の 若い 

人々 が 出て 来て、 產業 管理に 其 基礎 を 置く 新しい 生活の 保 

證に 向いつ あり、 さう して、 彼等 は 企業の 危險を 負擔す 

る 雇主に よって 保證 される 生活 保證 について 疑念 を 揷しは 

さむで 來 たこと を 知って ゐ るので ある C 

令ゥェ ッヴ 『勞働 組合主義の 歷史』 

の 新版 

ゥ H -ンゲ 夫妻の History :f Trade u-i--n ぶョ の 舊版は 山川 均, 

荒 畑 寒村の 兩 氏に よって 齦譯 された。 その 新版 は豫 てから ゥ エツ 

ゲ夫 の 蒲 手しても たと: る、 いよ/ \ 去る 三月 出版され た。 そ 

れには 最近の 勞働 運動に ついての 钗述が ぁリ、 就中 ギかド 社會主 

義 につ いての 批評が ある。 、、の 害 物に ついての ニュ, -.H ,ゲの 

批評 に 曰く、 -ては ギ,》 ド社會 主義 ys- 不 《そし 少 さく 香いた もので あ 

ると つ 



の 號別特 時? s tp 
く受 申に 別ば 價代 



靑蕪上 北大 東 

島 湖海 京 阪 京 



捌賣大 



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飽町區 丸ノ. 內、 ^京 海 t ビ V ディ ング 五一 1 六 



電話 丸の 內 



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两 江 戶 ^-北 一 丁目 十三 番地 

電 話 土 佐 堀 三 六 〇 番 



^交 民 桂 

電話 東 局 七 

江西路 H ヅ 

罨話 中央 四 



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大和 町 三番 地 公利 號內 



A 誌代に 總て 前金 ▲ 郵券 代 W 1 割せ 

▲ 送金に 可成 振替 ▲ 外國行 郵税 十 餞 



大正 九 年 六 月 一 日印 刷 納本 

大正 九 年 六月 一日 發 行 

東京 市 京 橋 區元ス キヤ 町三ノ 1 番地 

尾 崎士郞 

^a-京市小石川區久堅町百八番地 

^ ^ « £1 博 文 館 印刷所 

東京 市 京 橋區元 ス キヤ I 三 ノー 番地 

振替 東京 W 五三 四 六 

電話 銀座 一 三 七四番 



廣 

告 



半 頁 一 頁 



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1 等 

1 頁 



十 圓 二十 圓 三十 儺 五十 圓 



盍祌 田 東京 堂 

▲ 京 橋 東海 堂 

▲ 日本 橋 至誠 堂 



上 •: 田屋 —— 

北隆航 I 

▲ 本鄉 盛 春 堂 



毎月 一回 一 日發行 郵 役 

共 

稅 共 



室 伏 高 信 著 (侧聽 rr;fi 六月 十日 發 賣,, 





マルクス 派社會 主義 は 理想 を畫く カを缺 いたた め 

に 最早 や 感激の 力 を 失った。 新 社會の 建設と その 

哲學 とはギ ルド • マン の 創造的 才能に 殘 されて ゐ 

る I 本書 はこうい ふ 立場から 書かれた。 



發行所 



東京 市 京 橋 區元ス キヤ 町三ノ 一 

振替 東京 四 五三 四六番 



評 



J 一二 I h C I r- I tft o,9:T 



(號 七十 第) 號月七 




民主政治 乎 

裁 政治 乎 

丄 

第 1 章 民主主義と 社會 主義! 

第 二 章 民主主義と 無産階級の 成热ー 

第三 章 民主主義の 效. 果: 

第 四 章 プロレタリア ー ト 獨裁攻 治: 



全 

譯 



社評批 




休 三 阪大 *椅 京 vllX 、? T ふ 

m 鏺 大 Si 待: 



日 五十 月 六 





□^s- 白菱 ii? お 六; A 六十 頁 □K^fK 余&坡 

お 堅牢 凾入 nj 定憤 S せ 六 1^ 九 I 錢送 枓廿七 

本 八 王 集 最大の 特色 は マ 巾 クス學 研究 

の 世界的 斗た ろ 一 irairo 士 ^^^.^ を 

極めた る 校訂、、 - 周到 懇 W なる 校註 を 

附 した る に 有リ; 一 - 

今 M の 購讃ぉ に して 全 集 購請完 了 の に は 

帝^ 圖ま i 館 副^長 村 文學士 の 別お 

^x^^^^pv にて^ 呈 す是 "今回つ 

=: 購讀 者の みが 有せら るる 唯 一 の 待 ft 也 ==: 





□ 



Ern 



次 



民主政治 乎獨裁 政治 乎. 

篛屬 乎贫困 か 

六 時間 勞 働 



,力 ゥ ッ キ— 著 

高木 友 三 郞 譯 



…甲 野 哲 



レバ ァ ハルム 

森 恪 



s 



民主 制 乎 獨裁制 乎 p.; さ 



、 、 、 に揭 載す る は 力-.^ • 力 ゥクキ ー の 近著 Duu さ kratie cd r .. 

Jyc-alur の全譯 であろ。 社會 主義と 民主々 義 との 關係 LL ついて 一 

は 日本で も 最近 二、 三の 人々 LL M つて 論ん ぜられ たが 世界的! ii 

今日、 一の 問題の 對抗的 代表者 は II コ ライ .レ 11 ンとカ ー か. カウ 一 

-ンキ ー である。 レー 一 ンは獨 裁 政治 カウ クキ ー は 民主々 義 1^ 

主張す る。 レ 一一 ンの獨 裁 政治 論 (state and Revolution に 對しー 

て 過激 主義に 反對 する 代表的の もの は、、 の カウ- ソ キイの 小 册子ー 

である。 (一 記者) 一 

民主々 義 と社會 主義 一 

人 は 往々、 民主主義と 社會 主義 :.,| 卽 ち生產 手段 及び 生 一 

產の 社會化 11 とを區 別す るに 當り、 社會 主義 は 吾人の 究ー 

竞 m 的で あり, 吾人の 運動 目標で あるか、 民主 制 は。 psf に此ー 

目的に 達する 手段に 過ぎない とい ふこと を 以てする; 從っー 

て 民主 制 は 事情に より 社會 主義の 爲に 何等の 益な きのみな 一 

らす、 1- に は 寧ろ 妨害 をす るか も 知れない とする。 一 

併し乍ら 厳密に 言 へ ば、 14:! 々の 究竟 目的と いふ もの は 社 一 

會 主義 そのもの ではなく、 ある 階級, ある 攻 tlT 又は ある 一 

門閥、 ある 民族に 對し絞 取ゃ懇 制の 諸 万 法々 止せし むる 一 

にある。 一 



吾々 はこの 目的 を 達する 爲に. 無産者の 爲す 〇〇〇〇 を 

支柱たら しめんと する。 何と なれば 社 會の晟 下層階級 にあ 

る 無産者 は、 あらゆる 絞 取、 壓 制の 原因 を 除か ざれば 到底 

自由の 身と なること は出來 ない。 又 工業に 從事 する 無產者 

は 被 絞 取被壓 制の 階級 中に あって、 氣カ も鬪爭 能力 も亦鬪 

爭欲も 益々 旺盛と なり, 後の 勝利 は 不可 爭の 階級 だから 

である。 故に 今や 絞 取、 壓 制に 對し眞 の 相反 者 は 自己の 何 

れの 階級に 賜す る を 問 はす、 皋 けて 皆 無産者の 爲す 〇〇〇 

〇 に參 加し なければ ならぬ。 

社會主 お 的 生 產樣式 は 今 日 存 す る 技術的 及 び經濟 的條件 

にあり て は、 無産者 階級 を 解放す る 唯 一 の 手段な りと 思惟 

さる、 が 故に • 無 產 者の 爲す 階級 11 爭に 於け る 目標 は 此の 

制度で あらねば な、 りない。 此點 でかの ブ ル ウド ンが 認めた 

るが, 卯く、 無產者 階級 及び 人類の? 船 放なる もの は、 生產手 

段の 私有 制 を 基礎と しての み、 或 ひ は 最も 合目的に 達する 

を 得る とい ふこと. か 過てり と^ 明 せらる > 'ならば、 吾々 は、 

何時 にても 社會 £ 義を 抛棄す るに 瞎路 しない。 これ. か爲に 

吾々 は 一 f も 吾々 の 究竟 目的 を 見捨てない ばかりで はなく. 



却て その 究竟 目的に 利 Is なる が爲 に社會 主義 を 抛棄した も 

のでなければ ならぬ。 

民主 制と 社會 主義の 區別は 一 方が 手段であって 他方が 目 

的で あると いふ ことで はない。 雨 者 共に 同 一 の 目的に 對す 

る 手^で ある。 

兩 者の 區別點 は 他に あって 存 する。 無産者 階級の!:: 手 

段と しての 社會 主義 か、 民主 制 を 伴 はすと は 想像し えられ 

ない。 勿論 社會的 生産 は 又 民主主義 的 以外の 基礎 を も 必要 

とする。 幼 雅の狀 態に あって は 共康的 經濟制 も歴制 政治の 

1 -i; 礎と なること を 得た。 この 事はェ ン ゲル ズか旣 に 一 八 

七 五 年に シア 及び 西ィ ンドに 於て 今日 も 尙ほ存 する 村落 

共産主義に 關 して 述べた ところで ある。 

更に 社會 化的勞 働の 非民主 的 組織の 最好 適例 は 第 十八 世 

紀にパ ラグ ワイの ジェスイット 敎徒 國に存 して 居た つ 上流 

階級な ろジ エス ィ ット敎 徒 は 其の 地で 專制 的權 力に より 暴 

力 を 用 ひす 而も 隸屬 者の- 歸 依の 下に、 眞に 驚くべき 方法で 

かの 土着 ィ ンド 人の 勞働を 組 熾 化した。 

併し 現代の 人類 はか >- る 家長 的 支配に は堪 へられないで 

あらう。 只 それ は 支配者.. か 被 支配者より 智識 か j .1^ 高く 優 

れて 居り、 被 支配者 か絕對 的に 支配者と 同程度に 向上し え 

ない 境遇に ある 場合の み 可能で ある。 より 人類 解放 鬪ぁ 



をな す 民衆 又は 階級 は、 かくの.^ き 後 Et^ 的 制度 を 目標と し 

て はならぬ。 否 か. -る もの は斷然 排斥すべき である。 

吾 々 は 又 民主 制 を 伴 はな い 社會主 へ 我と いふ もの も 想像し. 

え られ ない 。吾々 は 現代 社會 主義 を 解して 單に 生産の 社會 

組織化な りと する のみならず、 又 社會の 民主 組織化な りと 

する ものである。 されば 吾々 にと つて は社會 主義と 民主 制 

と は 不可 離の ものである。 民主 制な き社會 主義 は存 しえ な 

いもの ある 

と 言って 直ちに 此の 命題 を鸫倒 t る こと は出來 ぬ。 民主 

制 は 社ね 義 なくして 尙ほ存 し 得る。 眞の 民主 制と 雖も社 

會 主義な くして 考へ 得る。 例へば 生産 手」 枚の 私有 制の 基礎 

上に、 各人の 完全なる 經 濟的條 件の 平等が 存立せ る 小農 民 

自治 圍體の 如き, J れ である。 

民主 制 は社會 主義 を 伴 はす 或 ひ は それ 以前に 存し 得る も 

のな りと は、 どんな 楊 合に も斷 言す る ことか 出 來る。 而し 

てこの 先社會 主義 的 民主 制 は、 明かに民主主^_我は社會主義 

に對 して 目的 對 手段の 閼係 にある こと を豫 想す る も、 その 

實, J れには 概ね 民主 制 は 本質 上 決して 對 目的の 手段で はな 

いと 附言 せざるをえないの である。 此の 後の 命題に 對 して 

は 手厳しく 抗言され なければ ならない。 若し 此の 命題に し 

て 一 般に 採納 されん か, 此の 命題 は 吾々 の 運動 を 不幸な 方 



へ 導く こと 、 なる だら う。 

何故 民主主義 は社會 主義の 發 生に^ 立たない 手段な のか 

それ は政權 奪取に、 關 する ことで ある。 從來の 資本家 的 支 

配の 一 民主 國 に 於て、 萬 一 社會 民主 黨か選 摩に 多數を 制せ 

ん とする 可能性 あらん か、 支配階級 は 民主主義の 支配 を妨 

けんが 爲に 自己の 自由になる、 あらゆる 强カ 手段 を 使用す 

る だら うと 言 はれて ゐる。 故に 無産者 階級 は 民主 制に 依ら 

す、 只 暴力革命に 依っての み 攻權を 奪取し 得ろ ので ある。 

民主國の中で無產者階級が勢カを5^?大せんとすると、 J ろ 

では、 この 昂 上 階級の 民主 制 利用 を官權 によって 破らん と 

する 支配階級の 誘惑 ある こと を诀 して 中;? れて はならぬ。 併 

しこれ を 以て、 無産者 階級に とり 民主 制が 無價 値な もの だ 

と は 言へ ない。 支配階級が 前述の やうな 豫相. P の 下に、 自己 

の 權カを 振 はふと するならば、 それ こそ 彼等が 民主 制の 結 

果を 恐れて 居る か爲 であ や。 彼等の 權カ 行使 は 民主 制の 轉 

覆に 外なら ないだら う。 

而も 民主 制 廢止を 目的と する 支配階級 のか る 試み は、 

無産者 階級に 對し 民主 制の 無 價値を 感ぜし めす、 寧ろ 却つ 

て 民主 制 を 是が非でも 擁護し なければ ならない 必要 さ を fel 

さしめ る。 勿論、 人あって 無產者 階級に 「民主 制 も 結局 役 

に 立たぬ 一 装飾 物に 過ぎない、」 と說 得したならば。 彼等が 



擁護の 爲 めの 力瘤 は揚ら なくなる であら. フ。 併し乍ら 一 般 

に無產 階級 圑は餘 りに 彼等の 有する 民主的の 權利を 固持す 

るが 故に、 彼等が 如上の 權利を 無意識的に 放棄 するとい ふ 

こと は 望むべく もない。 反對に 寧ろ 次の 樣な ことが 期待 さ 

れる 一 I 卽ら 無産者 階級 は、 彼等の 反對 者が 權カを 行使し 

て國 民の 權利を 無にせん と 試みるならば、 それに 對 する 決 

死 的 防衞は 終に 政治的 崩壞を 潇 ら さんと カ說 して、 彼等の 

權利を 擁護す るで あらう。 そして 無産者 階級が 民主 制 を 一 

靥强く 守護 せんと すれば する だけ、 又是に 一 翳 熱情 的に 固 

着せん とすれば する だけ、 上の こと は 盆々 明かに 期待 さ 

れ るべき である。 

固より 他方に 於いて は、 上記の 如き 徑路の 事件が 一般的 

に 必然的の ものであると は 信じ えられない。 而も 亦 吾々 は 

かく 信す るに ついて、 さう ビク くす るに も當ら ない。 國 

家 か 民主的で あれば ある 程 • 一 暦 國家權 力の 强カ 手段 及び 

軍事的 强カ 手段 は國 民の 贊否 如何に 懇 るので ある。 無産者 

階級が 未だ 數に 於いて 少く、 例へば 農 本國に 於け るが 如き 

場合、 或は 彼等が 組截 秩序 無く、 精神的に も 依 他 的になる 

爲 めに 政治的に 微力な 所に て は、 民主 國 であっても 亦、 

上の 權カ 機關は 無産者 階級の 運動 を强壓 する 爲の 機閼 とな 

り 得る ので ある。 併し 民主的 國 家に 於け る 無産者 階 殺が、 充 



5 



分多數 且つ 強力と なり、 旣 得の 自由 を 利用して 攻權を 奪取 

する 底の 固さと ならば、 「資本家 的獨 裁」 も 民主 制 を强行 

的に 廢 威すべく、 百方 應 急の 策な 講す るに 難くな り、 遂に 

は 崩壊す るに 至る。 

マルクス は實 際に、 英國に 於いても 米國 と同樣 に, 無産 

者 階級 は 平和 手段に よりて 攻權を 奪取す る 可能性 否 蓋然性 

が あると 言って ゐる。 一 八 七 二 年の ハ— ゲ萬 國會議 終了後 

アムステルダムの ある 國民 大會に 於て 彼 は演說 した。 その 

演說 中に 彼 は 次の 如く 述べて ゐる。 11 

『勞働 者は將 來政權 掌中に 占めて、 新し さ勞 働組縑 建設し な 

ければ なら 2。 勞働者 は、 かの 古の 基 管 敎 徒が 輕視し 蔑視し 去 

つた 如く、 地上 夭國, cs^ 斷念 しない ものと ゼば、 古さ 制度 維持 

する 古さ 政治 は勞働 者に 依って 〇〇 されな けれに なら s。 

さりながら 吾々 は、 此 目的: JL 到る 道が 何虚も 同じい と 主張し 

たこと はない。 

吾々 は 各々 異れる 地方の 制度、 習俗, 慣行,^ 顧慮し なけれ に 

ならない こと, ^知る。 而も 米國ゃ 英國と 相似た る國々 の ある こ 

と, 及び 予が 諸君の 制度 尙ほ 一層 良く 知 了す るなら に、 恐ら 

く 和 蘭 も 亦勞働 者が 平和 手段に よって 其 目的 1-^ 達し 得らる. * 

國の 一 つに 加へ るべ さ: と 1^、 吾々 は 否定 しないの である。 さ 

リ とて 親ての 國 LL 於て 昝然リ とい ふので はない。』 

尙 ほフリ ー ドリ ッヒ • エンゲルス も 亦 一八 九 一年に 次の 

樣な こと を 言って ゐる。 



『 一 般に國 民 議會が 凡ての 擢 力,.^ 掌握し 且つ、 國憲 に從ひ 各人 好 

むま、 LL 行動し 得る 國 では、 舊杜會 f* リ 新社會 への 推移 は* そ 

の 後に 國 民の 大多数,^ 控 へる に從ひ • 平和 に 行 はれる と考 へら 

れる。 例へば、 かの ブラ ノス、 ァ メ. - 力の 如 さ 民主 共和 國、 英 

國の如 さ 君主 國 など 是 である。 際、 英國 では 王家の 日常 品の 

買 上 すら 毎日 報ぜら る.^ 樣な 次第で、 王家 は國 民の 意志に 反し 

て は 無力な のでめ る。』 

, J れに對 して エンゲルス は、 口 シャ、 ドイツ、 ォ I ス タ 

リアの 如き 軍國 主義 的帝國 にあって は、 暴力革命 は 到底 避 

くべ から. さるもの であると して ゐ る。 

マルクスと エンゲルス と は 常に、 民主的 國 家と 非民主 的 

國 家との に 其の 政策に 就いて 大 なる 區^ をして ゐる。 

1 體、 民主的 國家 にも 無産者 階級に 對抗 する に、 鬼 角 暴 

力 を 用 ひたがる 資本家 階級の 連中の ある こと は 確かで ある 

併し乍ら 同時に 他の 一 圑には 無産者 階級の 伸長す る 勢力 を 

益々 顧慮し、 而 して それ を 許容して 協調 を 維持 せんとす ろ 

希望 を 抱く 者 も ある、 戰爭狀 態 は その 繼續中 u、 槪 して 民 

衆の 政治的 運動の 自由 を 甚だしく 制限した にも 拘 はらす. 

猶且 イギリスの 無産者 階級に は 著しき 選舉 權の擴 張み- II ら 

した。 今日で も、 民主 制が いろく 違って ゐる國 家で 無産 

者 階級が 政權を 奪取す ろ 形式に どう^ 響す るか、 又 民主 主 

義 が.、 其處 いら 此處 いらで 暴力 手段 を 避け 全く 平和 手段 を 



ひ 通用す る ことに、 如何なる 範 園まで 或 功す るか は 全く 解ら 

ない ことで ある。 しかし 其 際 民主 制の 存在 維持と いふ こと 

は、 どんな 場合に も 決して 無關 係で はない。 ある 民主 共和 

國 では、 其國 民が 革命に 依って 奪取し 主張し 擴 張した 國民 

權が、 數十 年も數 百年 も 根深く 培 はれて ゐ るので、 そんな 

國 では 支配階級が 民衆に 對 して 顧慮 を 拂ふ樣 になって 居る 

11 こんな 民主 國の 過渡期の 體樣 は、 武斷專 制で 無産者 階 

級を壓 する に從來 無制限に 極端な 權カ 手段 を 弄し、 且つ こ 

れ によって 彼等 を 抑制 し^た 國 家の 夫れ と はよ ほど 異 つた 

もので あらう。 

、 J は 無産者 階級 政治に 至る 過渡 體樣に 及 ほす 民主 制の 影 

響 如何の 問題 丈で は、 來 ん社會 主義 時代に ある 吾人に とつ 

て は 其 意義 は盡 されない。 斩る 時代に ある 吾々 にと つて は 

民主 制が 無產者 階級の 成熟に. & 何なる 影響 を與 ふる か 最 

も 重要と なって 來 るので ある。 

民主々 義,. 無産者 階級の 熟成 

社會 主義 は、 その 主義 を 可能 及び 必要なら しむろ に 特別 

な 歴史的 要件 を 必要と する。 この 事 は 一般に 承認 せられて 

ゐる。 併し乍ら 現代 社會 主義 を 可能なら しむる に は、 如何 

なる 條 件が 具備せられ なければ ならない か、 或は 一 國が社 



會 主義 を 受容す る 迄に 成熟す るの は、 . ^何なる 時で あるか 

等の 問題に 關 すると、 吾々 の 間に も 決して 一 致 を 見出しえ 

ない。 元来 こんな 重要な 問題に 不 一 致 は 珍しい 事で はない 

鬼 も 角 も、 吾々 が 今 この 問題 を 吟味し なければ ならない 場 

合に 立ちつ 人た こと は、 實に 愉快な ことで ある》 何と なれ 

ば、 此の 必然 は、 社會 主義と に 数百 年後 初めで 期待し えら 

る、 ものであると、 開戦 當 時に 尙ほ 多数の 耳 < ^者 輩が 吾々 

に保證 した 樣な ことが、 も 早 や 裏切られ たので 起った 次第 

だからで ある。 今や 社會 主義 は 現代の 議事 日程に 最も 重要 

なる Is 問題と して 提起せられ C 居る ので ある。 

然 らば 社會 主義 實 行の 豫備條 件 は 何で あるか、 _ 

人の 意識的 行爲 if 何れも ある 意志 を 其の 前提と する。 社 

會 主義に 向 ふの 意志 それ 自身 は 主義 實 行の 第 一 耍件 である 

此の 意志 は 大企業に 由て 生起 せられる。 小 企業の 盛んな 社 

會 では、 民衆の 大部分 は 企業の 所有者で あるから 無產 者の 

數は少 い。 而も 無産者 は 些少の 貨財 を收 得する こと を 以て 

其の 理想と する。 この 希望 は 場合によって は、 革命的 形式 

を 採って 現 はれる こと も あるが、 併し 社會 革命 は必 すし も 

社會 主義 的 革命で はない。 其の 革命 は 只 各人 をして 有產者 

たらしむ ろ樣 に、 現存 貨財 を 新しく 分配 せんとす るに 過ぎ 

ない。 小 企業 は 常に 勞 働に 要する 生產 手段の 私有 制の 維持 



7 



又は 獲得の 意志 を發 生せ しむる が、 私有財産の 社會 化、 卽 

ち 社 會主莪 を 行 はんとす るの 意志 は發 生せ しめない もので 

ある。 

此の 社會 主義 へ 意志 か 民衆の 間に 起る の は、 大企業が 

旣に 非常の 發 達を來 し、 小 企業に 對 しその 優勢 分明に して 

大企業の 解體は 困難 否 不可能で あり、 而も 大企業 從 事の 勞 

働 者 は 只社會 化の 形式の 他に は生產 手段 所有の 途 なく、 又 

辛うじて 維持 さる >-、 小 企業 は 益々 難^に 陷り、 は 

爲に其 企業に 依りて はも 早 や 何等の 安寧 を も 得られな くな 

る樣な 所に 起る ので ある。 

けれども 同時に、 大企業 あるが 爲に 主義 實行 上の 物質的 

可能性 も 亦 生す る。 一 國に 於て 企業の 数が 盆々 殖え、 其の 個 

個の 企業 間の 獨 立が 益々 激しくなる 程、 その 多数の 企業 を 

社會化 的に 組織す る ことが 一 匮 困難に なろ。 その 困難 は 企 

業 数が 减 少し、 その 企業 間の 關 係が 一 層 規則的に 密接に な 

ろ 程 減じて 來る。 是れ 大企業 發 達の 却て 社會 主義 實 行の 可 

能 性 を 生す る 所以で ある。 併し乍ら 最後に 意志 及び 物質的 

基礎の 外にい は >、 社會 主義の 原 科卽ち 主義 實 現の 力の 存 

在す る こと を 必要と する。 社會 主義 を 欲すろ 人々 は强 くな 

ければ ならぬ。 少 くと も社會 主義 を 欲しない 人々 よりも 一 

暦 カ强く あらねば ならぬ。 



此の 因子 も 亦 大企業の 發 達に つれて 生じて 来る。 卽ち社 

會 主義に 共鳴み-持つ 人々 の 增加を 意味し、 一 方に 於て は 無 

產者^ 加、 他面に 於て は 資本家 减少を 意味す る こと は、 無 

產者數 に 對し他 階級の 数の 相對的 减少を 意味す る。 無產者 

でない 謂 ゆる 中産階級 11 小農 民 小 商人との 關係 では, 資 

本家の 數は 一 時 は 殖えて 居る かもしれ ぬが、 無産者 階級の 

增 加の みは 獨り大 踏步を 以て 進む。 

上の 各 因子 は總て 直接、 經濟 の發展 から 生す る これ 等 

各 因子 は 固より 人の 行動な くして 自生す る もので はない が 

又必 すし も 無産者 階級の 行動 を 待つ に 及ばない。 た >大 企 

業發 達に 關與 する 資本家の 營爲 あらば 生す るので ある。 こ 

の 經濟の 發展と は 都會的 工業 的 發達か 何より 第一 であって 

農業 的 發達は 單に徴 弱な 反響 を 示す に過ぎない。 社會 主義 

は都會 から • 工業から 起り、 農業から 起らない。 社會 主義 

が實 現せら る 、 に は 前記の 因子の 外に 尙ほ第 四の 因子 を必 

要と する。 詳言 すれば 、無産者 階級が 社會 主義に 共鳴し、 

つ その物 質的 條件 を發 見し 之 を 獲得す る 力 を 有しなければ 

ならない ばかりで はなく。 彼等 無產者 階級 はこの 諸 要件 を 

固持し 且つ 正當に 適用す るの 能力 を も 持たなければ ならぬ 

然る 後 初めて 社會 主義 は永續 的の 生產樣 式と して 實 現せら 

れ るので ある。 



s 一 工業 的發 達の 必要な 狀態、 高さの 成 熱に は 無産者 階級の 

成 熱が 加 はらなければ ならない。 そこで 社會 主義が 實現可 

能と なる 害で ある。 此 因子 は、 もし 無産者 階級の 行動が な 

ければ、 經 濟的發 達の み にても 生じなければ。 又 利潤の 獲 

得に 努力す る 資本家の 營爲 によっても 生じない。 從 てこれ 

は 資本家に 對 して 無産者 階級の なす 行動に よつ て 獲得 せら 

れ なければ ならぬ。 

小 企業の 盛時に は 無産者 は 一 一つの 階級に 分離す る—! そ 

して 其 一 たる 職人の 徒弟 或は 若い 農民に とって は 無産 は單 

, に 過渡的 段階に 過ぎない。 彼等 は將 來有產 者た らんとの 希 

望 を 抱き 私有財産 制に 共鳴して ゐる。 此 他に 尙ほ 無産者と 

して 存 する ものに 貧民 無産者が ある。 それ は 修養な く自覺 

なく 園 結な く、 社會 にと つて は、 なく もがな の 寄生 的な 嫌 

な 民衆で ある。 彼等 はもし 出來 るなら 有産 者から 强請 しょ 

うと 欲して 居る。 けれども 新しき 經濟組 熾 を 建設し ようと 

欲しても 居なければ、 又 それが 出來 得る 人々 でもない。 

資本主義 的 生 產樣式 は、 その 初期に 著しく 增 大したる 無 

產 者の 群 を 我が 用に した。 資本主義 は、 あり 餘る 有害なる 

寄食 者を變 じて 生 產社會 に 不可 缺の 經濟的 基礎と した。 そ 

れ 故に 資本主義 は 無産者が 其 數を增 加す るに 伴うて, その 

力 を增大 する。 併し 資本主義 はこの 無産者 を 元の 儘に 無智 



無敎 養、 無能力の ものと して 匱く、 否、 一 步を 進めて 全努 

働 者 階級 をす ら無產 者と 同 一 水平線にまで 壓 下せし めんと 

試みる。 篾に 過勞、 勞 働の 單調 並に 無味 及び 婦人 勞働 小兒 

勞 働に 依り、 資本主義 は 勞働者 階級 を、 時として は 初期の 

貧民 無産者の 智的 標準よりも 更に 降下せ しめる こと すら あ 

る。 かくして 無產者 階級の 困窮 集積 は 恐ろしく 非道くなる 

ので ある。 

社會 主義への 最初の 原動力 は、 これ 等の 困窮 集積に 卜、、、 

メ を 刺す ベ き 努力と して 、無産者 階級の 中から 發 生した 。而 

も 断る 困窮 狀態 は, 永久に 無産者 階級 をして 自己 解放 を不, 

能なら しむる 樣に 見える。 有産 者の 同情が それ を 救 はねば 

ならなかった。 そこで 無産者 階級に 社會 主義 を 持ち 來 たさ 

れる 箸だった。 

と、 J ろが 間もなく 左樣な 同情に は 何ら 期待され ない こと 

が 判明した。 社會 主義 を 成就す るに 充分な 力 は、 た》 社會 

主義と 利害 を 共に する 無産者 階級の 人々 のみから 期待し え 

たのであった, 彼等 無産者 階級 は 果して 絕 望の 淵に 陷らな 

かったら うか。 否、 悉く さう ではなかった。 そこに 尙ほカ 

と 勇氣を 舉け竭 して 困窮 を 防戦した 一 隊 があった。 此の 一 

隊 こそ, 空想家 も 及ばざる こと を 企 圊 し、 突攀 以て 政權を 

奪取し、 それに 依って 無産者 階級に 社會 主義 ケ甯ら さんと 



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した。 是れ が卽ち ブラン キ I 及 ひ ワイト リンダの 抱懷 した 

見解で ある。 餘 りに 無智で 落 ぶれて 居た 自分 自ら を 組織 制 

御す る を 得ない 無産者 達 は、 彼等の 精粹 者から 成立せ る攻 

府 によって 上から 組織 指導 せらるべき であろ。 —— 恰も ジ 

ェ ス イット 敎 徒かパ ラゲ ワイに 於て 土着民 を 組 lg し 支配し 

た樣 に。 , 

この 點に ついて ワイトリング は、 利 を 得ろ 革命軍の 陴 

頭に あって 社會 主義 を 完成 せんとす る 人の 獨裁を 望んだ。 

彼 は その 人 を 呼ぶ に 救世主 を 以てした。 

『私 は 前の 救世主の 数へ,^ 货 現ぜん が^に、 新 救世主が 劍,^ かざ 

して 来る. 5- 見る。 この 救世主 は勇氣 充ち滿 てるが 故に、 革命軍 

の 陣頭に 立 V- させられ、 その 軍隊と 共に 舊社會 制度の 朽ちた る 

殿堂.^ 打ち 接 はし、 1^ の 泉 忘却の 海に 流し込んで、 、、の 世 

逸に 樂阅- > 化せん』 

何たる 崇高、 靈感 的の 期待よ! 遮莫、 この 期待 は 革命 

軍が 恰當の 人 を必す 見付けうる 確か さの ある 場合に のみ 成 

立つ。 若し 斯 くの. S き 救世 主義の 信仰 を 抱かす、 無産者 階 

級の 解放 は 無産者 階級の みが 之 を 解放し 得る ものと 確信し 

且又 無産者 階級 か 彼等. 自身 を强 める 總 ゆる 組織に 對 して、 

從 て亦國 家に 封しても 苟 くも 自治 能力 を 獲得せ ざる 限り は 

社會 主義 も 畢竟 空想 鄹に 過ぎない と 確信せば i 資本主義 

に 基く 無産者 階 扱の 困窮 集積 を 眼".^ にして、 果して 能く 社 



會 主義の 無 望が 宣言せられ ないで 濟 むだら うか 事 實濟ま 

ない 樣に思 はれる。 併し 實 際と 理^と は 直ぐに 一 つの 逃 5S 

を 示した。 イギリス では 工業 從 事の 無産者 階級が 先 づ集圑 

現象 をな し、 その後 民主的 法律の 若干 萠芽と 組 截、 宣傳の 

若干 可能性 を 見付け出された,、 そ、 ^ へ 有產者 階級.. か 貴族と 

の 選 舉權爭 ひに 、無産者 階級 を 煽 接せし めようと 呼號 した 

勞働者 運動 卽ち 困窮 集積 及び 無權 利に 對 する 無産者 階級 

の 抵抗の 發端 は產業 組合 及び 券狀黨 であって • 終に 同盟 罷 

業と なり 選舉權 及び 仕事日に 就いての 大鬪爭 か 始まった。 

マルクスと ェ ンゲ ルス は 早くに 此 運動の 意味 を 看取して 

居た。 かの 「貧困 集積 說」 が マ ルクスと ェ ンゲ ルスと を 著 

名に したので はない。 之は兩 人と も 他の 凡ての 社會 主義者 

並みに 持って 居た ものである。 その 兩 人が 他の 人々 を 凌駕 

した 所以 は、 兩 人が 困窮 集積に 閼し 資本家 側の!^ 勢 を I" ん識 

せし に 止まらす、 一 步を 進めて 無産者 側の 反對 趨勢 をも認 

識し、 且 この 中に 階級 鬪爭を 以て 無産者 階級 を 高め、 又災 

果の. g 何 を 問 はす 兎も角も 一 時 的に 政權を 奪取す るば かり 

でな く、 其 權カを 主張し 利用し 得べき 能力 を備 はらしむ る 

大 素因 を 認識した からであった。 併し乍ら 民衆の 戰 ひとし 

ての 無産者の 階級 鬪爭は 民主 制 を 前提と する 無 條件且 純 

梓の 民主 制で なくと も、 苟 くも 民衆 を 組織し 一 律に 啓 せ 



^ んには 兎に角 民主 制が 必要で ある。 この 事 は 決して 铋密主 

義 では 充分に 達する こと を 得ない。 僅かば かりの 張 札 は 到 

底 一 枚の 大きい 新聞紙に は 及ばぬ」 民衆 は 秘密 裡に 組織せ 

しむる ことが 出來 ない。 殊に 秘密 組織 は 民主的 組織た る 事 

を 得ぬ。 祕密 組織 は 常に 唯 一 人が 少數 首領の 獨裁 となる。 從 

つて 普通 部員 はたや 手先き 道具に 過ぎなくなる.^ 恁 んな狀 

態 は 民主 制 を 全然 欠缺せ る壓制 下の 民衆に は 、 そ の 必要 を 

餘儀 なから しめらる。 實に斯 る 場合 は 民衆の 自治 及び 獨立 

が 要求され るので はなくて、 首領の 救世お 的 意識, 獨 裁 的 

• 風習が 要求 せられて 居る ので ある。 

救世主 的 役割 を 高調した かの ワイトリング は 民主 制ケ非 

常に 侮蔑して 新く 述べた 11 

『共產 主義者 は 其 統治 形式の 選擇に 就いて、 尙ほ 可な リ暖昧 であ 

る フランスに 於け る共產 主義者の 大部分 は獨裁 政治に 傾いて 

居る。 何と なれ: e 共和 黨員或 ひ は 寧る 政治家の 謂 ふ 如く、 民主 

政治 は 古き 組^から 新しき 完全な 組織 へ の 過渡期に 適しな いこ 

と,^ 良く 知る からで ある カぺ ー は 民主政治の 原則に 關ぜ す、 共 

和 黨晟の 謂 ふと: るな 借 リズ 居な けれども、 贾 くも 過渡期 間 は 

給ん. ど 目につかぬ 程の 獨裁 政治 加味す る こと fj* 知って ゐた。 

イギリス 共康 主義の 唱道 者た るす ゥ H ンは 遂に、 丁年者 は 各自 

一定の 役目 果 さなければ ならす、 刺へ 行政の 最高指導者 は 亦 

同時 LL 最 年長の 部 具た る、、 と.^ 望んだ。 總 ての 社 會相锓 者 は I 

1: の 中 どんな 銃 治 形式 L1 も無闢 心なる フ ,リ H 一波 は 別で あ 



るが 民主政治と 言 はれる 统洽 形式 は 幼な さ 初めて 實 現ぜら ろ、 

社會 原理に とって は、 非常に 無益な ばか リか 危險 さへ ある 避難 

制で あると いふ、 、とに 一 致して ゐ, る。』 

ワイトリング は大天 .V か 統治す る こと を 望んで 居た。 し 

てこの 大 天才 は 科學 者の 會合 席上で 懸賞 課題の 解決に よつ 

て 認めら るべき もの だとす る。 予は ワイ 卜 リ ンゲを 援用し 

過ぎた が、 是に 由って 現今 吾々 に 最近の 智養 として 現 はれ 

てゐる 民主 制の 侮蔑 は 正しく 古き 時代の ものであって、 勞 

働 者 蓮 動の 全然 幼稚な 狀 態から 生じた ことが 判る だら う。 

ワイト リン グが 普通 選舉ゃ 出版の自由 等 を 侮蔑して 排斥し 

て ゐた其 頃に、 イギリスの 勞働者 はこれ 等の 權利を 得ん と 

して 戰 つて ゐた。 そして マ ルクスと ェ ンゲ ルスと は 彼等 勞 

働 者の 味方 をして 居た のであった。 

爾來全 歐の勞 働 者 階級 は 幾多の、 時には 流血の 戰 爭を經 

て 民主 制の 一 片又 一 片を楚 取して 來 たので ある。 而 して 民 

主 制の 獲得。 主張 及び 擴 張に 關 する 鬪爭 と共に、 組織、 宣 

俥 及び 社會 改造の 勵 行に 就いて、 旣得 民主 制の 不斷 の應用 

を 怠らす、 無産者 階級 は 年々 歳々 熟成の 域に 向った。 民衆 

は 最下 層から して 最高 翳に 入る 事に なった ので ある。 

かくて 果して 社會 主義の 要求す る 熱 成の 域に 達した ので 

あらう か 他の 諸條件 も亦充 たされた であらう か。 此問題 は 



現 <r なかく 論議 せられて 居る ところで あるが、 或 者は斷 

然 これ を 肯定し、 或者は斷然これを否定する惟ふに兩^!^共 

に 幾分 早まってる 樣に 見える。 社會 主義への 熱 成と は實際 

的に 事例で 證明 せざる 限り、 統計的に 確定し 計算す る 事 は 

出來 うる もので はない。 從來 々起った ことで あるが、 此 

問題 を 吟味す るに 當り、 社會 主義の 物質的 前提 條件 を餘り 

に 重要視す るが 爲に人 は 何つ も 過ち をす る。 無論 大企業. か 

ある 程度に 達しなければ 社會 主義 はありえない が、 資本 主 

義がも 早 やより 以上に 達し 得ざる 狀 態とな つて、 初めて 社 

會 主義 は實 現し 得る 樣に なると 主張しても * 何故に さう 成 

るべき ものな ろか 之に ついては 何等の 論據 もない。 た >大 

企業が 益々 發 達する に 從ひ. 社會 的に 組織 さるべき 企業が 

愈々 减じ、 社會 主義の 實現. か 容易く なるとい ふこと は か 

である。 併しお 上の こと は ある 一 國 家の 立場から 觀 察した 

問題に のみ あてはま るので ある。 且 この 範圍に 於ても、 大 

企業の 發展 は、 その 市 提の發 達、 國際 的勞働 分配の^ 進、 國 

際 貿易の 大 並に 之れ につれ て生產 組織の 社會化 問題の 擴 

大、 錯綜な ど 相伴うて 進む とい ふこと は 問^の Saf 純化と 相 

反する C 然 りと 雖も 現代 工業 國 では、 その 銀行 事業 及び 企 

業 家 組合と 共に、 大部分の 生產飢 II が社會 一 般の爲 めに 國 

i 家 自治 圍體、 消費 組合 等で は、 今日 も 決して 出來 ない もの 



だと 認 ひべき 何等の 理由 もない。 

诀定 的の もの は 物質的 原因で はなく して 人間的 原因で あ 

る。 本來 無産階級 は 此社會 的 整理 を 自己の 掌中に 納めうる 

程 充分 强く且 聰明で あらう か。 換言せば" 彼等 は 民主 制 を 

攻 治から 經 濟 に 移し 換 へる 氣 力と 能力と を 持って ゐる だら 

うか、 是に 就いては 確定 的に 解答が されない。 そ;; は國の 

異る每 に 頗る 異っ た經 路で發 達して 居り、 又國は 同じと し 

て も 時代の 異る 毎に 動 搖の甚 しい 因子で あるから である。 

蓋し 充分なる 氣カ とか 能力と か 言 ふ も、 全く 相 對的漑 念に 

他なら な い。 同强 度の 氣カも 相手. か强 いが 爲め 昨日 は 不足 

したの が、 若し 相手が 道 德上か 經濟上 か IPB^ 事 上の 失敗 をせ 

ば、 今日は 餘る亊 になる からで ある。 

同樣に 能力の 同 强度も 非常な 紛亂狀 慈で 權カを 得た 場合 

に は 今日は 斷念 せざるを得ない 事で も、 次の 日に 一 暦頭腦 

明瑩 なる か、 單 純なる か 或 ひ は 物質的 順境に 人った 時には 

凡ての 要求 を 取らす, ) とが 出來 る。 無產者 階級が 墓に 社 

會 主義に 向って 成 _ おして 居る か 否か は、 いつも 實際 のみ. か 

示し 居る。 た.、 無產 階級 は間斷 なく、 その 數 その 氣 力そ^ 

智能 を-お 大し, 熟成の 時期に 愈々 接近し つ、 ある 事 は斷言 

し て S: らな い。 何時 その 時が 來 る か は 今 之 を 豫斷す る こと 

は出來 ぬ。 たと へ 無產者 階級が 國民 中の 大多数 を 占め、 そ 



2 の多數 者が 社會 主義への 意志 を 表 はすと も、 その 時機 已に 

, 至れり と は斷雷 されない。 之に 對し、 民衆の 大多數 が社會 

主義 を 敵視し 毫も 社會 主義 を 知らん と 欲せざる 閒は、 國民 

は 未-た 社會 主義 的に 發 育して ゐ ない 事が 確認 出來 る。 

それ 故 玆に界 び 論 を 民主主義に 歸す。 これ 民主主義 無產 

階級の 成 熱み 逸早く 齎す のみなら す、 亦 その 熟成の 到來時 

機 を 逸早く 認めさす からで ある。 

民主政治の 效果 

近世の 國 家は强 固なる 中央 集權 的の 有機 體 である。 この 

組織 は 現代 社會の 内部に、 最强の 力 を 築き、 各個 人の 運命 

を强 制し、 殊に それ は 戦爭の 場合に は 著しい。 そこで 右 個 

人 は. S 何に 甚 しく 自己り 存在が 國家權 力に 依って 左右 せら 

れ るかと 云 ふこと を感 する 樣 になる。 

昔 は 個人に 對し 初めは 同族 圑結、 次に は 地方 圑結 かあつ 

たもの. か、 今 は 之に 代りて 國家 となった、 然るに 此の 中前 

1 1 者 は その 基礎が 民主的に 組織せられ しに、 近世の 國家權 

力 は 之に 反し、 官僚 及 軍閥が 國 民の 頭上 萵く 君臨し 彼等 は 

時に、 社會 的、 i 的 支配階級 を も 政治的に 凌駕し、 專制 

支配 をな すの 勢力 すら 獲得して 居る ので ある。 

然し 乍ら 斯る狀 態 は 決して 永續 すすべ もので はない。 官 



僚 は 其の 專制 支配の 結果と して、 頑迷と 無用 煩瑣の 形式 主 

義に 堕する。 丁度 この 時 産業資本 主義が 發 生し、 その 革命 

的 生 產樣式 11 現存して ゐる 11 は社會 的、 經 濟的條 件に 

不 斷の變 化を與 へ て 事業 生活 を急步 せしめ 其の 卽 急の 歸結 

を 要求す る。 

加 之、 官僚の 專制 支配 は專^ と 買收攻 治に 導く。 換言す 

れば 其の 社會的 生産の 形式 は 資本家 主義と 同じで ある、 そ 

、 J では 各 生産者 は 他の 無数の 生産者と 相關涉 して ゐ るのに 

自分の 利益 發展の 爲には 社會的 il 係の 安寧と 秩序と を 要求 

する 有樣 である。 

この結果 專制國 家 は 此の 生產條 件と 々齟齬す るに 至り 

遂に はこの 生 產條件 を 縛りつ ける 鎮 となる。 されば、 國家 

權カを 行使す る 機關を 輿論の 下に 立た しめ、 國家的 組織と 

共に、 國 民の 自由の 機關 組織 を 置きい 町村 州縣の 地方自治 

を 確立し、 官僚 閥より その 立法 權を奪 ひ、 之を國 民の 選舉 

よりなる 中央の 委員た る 議會の 掌裡に 置く, 〕 と は 極めて 緊 

要で ある。 行政の 監視 は 議會の 重要 任務で ある。 

, J の點は 他の 如何る 設備 を 以てする も 議會に 代 へ られな 

い。 なるほど、 實行 • 的 可能 力 は餘り 無い が、 官僚の 立法 權 

を 其の 手より り 奪 ふに 當り. 法律の 作製な 先 づ專門 家の 委 

員會 にて 脫槁 せしめ、 その後 之 れを國 民の 直接の 裁決に 任 



すと 云 ふ 方法 は考 へられる。 但し. g 何に 國 民の 直接 立法 を 

カ說 する 人で も, 國民か 行攻を 直接に 監視す る こと は 之れ 

を 主張し ない。 何と なれば、 國家 組織 を 導く 中央政府の 活 

動 は 他の 中央 組織に- 6 りての み 監視し- フ る もので、 诀 して 

組 Si なき 無形の 國 民と 云 ふかお き集圍 では 監視され 得ない 

からで あろ。 

上述の 如く, 國家權 力の 専制 的 勢力 を 打破せ むと すろ 努 

力 は 近世 國冢の 全 階級に 通じ、 た,. '例外と 認 むべき はこの 

専制 的 勢力に よりて 利 化を莩 くる 階級 を 見る のみで ある。 

卽ち 官僚 や、 軍人 や、 貴族 や、 帝室 敎會 や, 並に 國家 と金 錢取 

引 をして 利す る 銀行家の 輩で ある。 此 他の 階級 は 其の 地方 

貴族た ると、 下級 憎 侶た ると、 資本 11^ たると を 問 はす, 總 

ての 階級 舉っ てこの 運動の 爲に 與ら. さろ なく, 爲 にこの 階 

級 的 一 致の 肉迫に は 流石の 專制攻 府を讓 歩せ ざる を 得す、 

多少 乍ら、 出版、 集會、 圑 結の 自由 及議會 制度 を與 へざる 

を 得なかった。 か、 る 進展 か 全歐に I 旦り 勝利 を 得て 遂行せ 

られた J 

され どこの 際、 各階 級 は. a 上^ 家 3 新形式 を 各自 階級の 

特殊 利益に 最も 恰好なる 組成に 裸. りんと した。 この 努力の 

著しく 看取せられ るの は、 議會の 組 IS 謂 ゆろ^ 舉權の 獲得 

2 問 j ^である。 



國民 中の 下歷 階級の 時代 語 は 「普通 選 舉權」 と 云 ふ 事で 

あった。 是れ 啻に、 賃銀 勞働 者の みならす、 亦 小農、 小賫 

商人 も 利害 關係を 持った ので ある。 從て是 等の 階級に して 

1 度 相 合せん か、 如何なる 場合に も, 國 民の 大多数 を 占む 

る ものであるが、 無産階級 か 果して 國 民の 中に あって 優越 

なる 地位 を 占む る や 否や は、 經 濟的發 達の 程度 如何と 相闢 

聯し、 必す しも 其の 數の 多少に は よらない C そ は 絞 取 者た 

る 資本家. か 常に 國民 中の 少數 部分 を 占む ろに 徵 して 明かで 

ある。 

か >- る集圍 の篛擊 は、 如何な ろ 國家も 久しき に 豆り 之れ 

を 返 治 終らせる もので ない。 そこで 今日め 社會 では、 普通 

選舉權 以外の 選舉權 は、 すべて 不合理な ものであると 云 ふ 

ことにな つた。 資本家 主義 經濟 組織の 社會に 於て は、 社會 

事情 は絕 えす 變轉 する からして、 階級 は それ 自體 固定 的な 

ものと は 云 はれない。 制限 選 擧制は 此の 理由から しても、 斥 

けられる、 身分 的に、 組織せられ な:, 階級なる もの は 無形 

にして 且つ 流動す る集圑 であって • 厳密に は 其の 限界 を定 

める ことが 出來 ない ものである。 階級 は經濟 的範嗜 であつ 

て 法律 的範嗜 ではない。 階級の 所 屠 者は絕 えす 變勤 的で あ 

る。 多くの 小 工業 者 は 自己 か 勝れる 小規模 經營に は、 自己 

を 資産家と 思惟し、 大規模の 事業の 下に 於て は、 自己 を 無 



4 產 階級と 觀 念す るが、 よし 統計 上資產 あり 且つ 獨 立の 生計 

を營む 企業家と して 取扱 はる.' とも、 正真正銘の 所實際 は 

無產 階級な W である。 また 租稅的 制限^ 舉 制も存 しない。 是 

れ 資産家 をして、 議會 の永續 的壟斷 をな さしむ る もので あ 

るが • 金 錢憤値 降 威の 時代に 於て は、 忽ち 頭 覆す るからで 

ある。 更に 敎育 標準 選 舉制も 國民敎 育の 進步 によりて、 漸 

次に 無對 象なる ものと なって 仕舞 ふ。 

右の. S く、 種々 なる 因子が 相 合して 普通、 平等 選舉 制が 

今日の 社會 では 唯 一 の 合 it: 制の ものと して 見える 樣に 働き 

且つ その 制度 を 愈々 押し進めて ゐる。 

若 夫れ、 國民 中の 最下 層 階級た る 無産者 階級の 立場より 

せんか、 化. 「-通 選 摩 制 は 殊に 唯 一 の 合理的 選舉 制で ある。 直 

に 彼等のお 效 なろ 武器 は數 であって、. 彼等 無産階級 は その 

. 敷に 於て、 國 民の 大半 を 占め、 進んで 資本家 主義 的 社會が 

その 發 達の 結果、 農夫 も 小 商人 も 凡て は勞働 階級に 勝るな 

きの 狀に 至りて • 初めて 自由にな りうる ので ある。 

然し 乍ら、 無産者 階級 は、 箪に 普通 平等 選舉 制の みなら 

す、 又 その 制度が 無差別 的に して、 その 男女た ると、 質 銀 

努働者 及 資本家た ると を 問 はす、 異 つた 選舉 席に 依って 投 

駟 しないと 云 ふこと に 關 心して ゐ る。 然ら すして、 依然と 

して 以上の 差別 を殘 すなら ば、 その 全社 會的 地位より せば 



無產者 階級に 屬 する も, 形式 上 賃銀 勞働 者なら ざる 特殊 階 

級が 银 一 產者 階級と 離別せられ、 それ 自身 危險 を潇 すの みな 

らす、 無產者 階級の 心意 を狹 くす ると 云 ふ 一 層 大きな 危險 

を窗ら すからで ある" 無産者 階級の 歴史的 問題 は、 多く 社 

會全體 の 利害と 無産者 階級の 永績的 利害と は 一 致す るが、 

その 一 時 的 特殊 利害 は必 すし も 全社 會の 其れと 一 致しない 

と 云 ふ 事から 起る。 

無産者 階級が 社 會的關 保と 目的と を 理解して その 階級 意 

識の高 頂に 達する と 云 ふこと は、 彼等の 成熟期に 屬 する" 這 

の 理^ こそ 實 に 社會 主義の 閩 明した 所で あるが、 そ-の 理解 

に ひとり 理論の みに よらす、 又もし 無産.!! 級に して 自己の 

特殊 利害 11 係に のみ 没頭せ す、 遍く 全社 會の 利害 II 係 を も 

考慮し て 政治に 立 人るならば その 實行 によりて 更に 之 を 促 

進推擴 せられる ので ある。 單に、 職業的 利害に のみ 跟蹐す 

る は、 その 心境 を狹 める ものであって、 所謂 純 産業組合 主 

義 の!? 黑 面は玆 に; 5- づき、 社會 民主 黨 組織の 優秀な ろ故以 

て 亦 此に存 する。 加 之 かの 型に より 選 舉人を 別つ 差別 選舉 

制に 對 する 無差別 選搫 制の 優秀 も 實に這 裡に存 する。 か 、 

る 分類 的 選舉權 は、 勞働 者" 兵士、 農夫と 云 ふが 如き 範嗜 

の 中に 選舉 人の 朋黨を 作り、 それから 吾々 が 同 臭味の 代表 

者 を 選ぶ に 至る ので ある。 



上 政治 上の 權利 獲得 li 爭の裡 から 近世 民主主義 は 生れ 

無産者 階級 は 斯くて 熟成す る。 

而も 固 時に 新 因子 か 起き 上る。 ノ數の 保護 是 である," 反 

封黨の 保護 是 である。 民主 制 は 多数の 支配 を 意味す る も そ 

の實 多分に 少数 保護 を も 意味す ろ。 

官僚の 專制 支配 は 永績に 適する 樣 Ltei つて ゐる。 反對黨 

に對 する 暴力 的應: 近 は 彼等 S. 生活 5f 則で ある。 彼等 は * ど 

の國 で, へ も、 た > 彼等の 暴力 的に 打破せられ たろ 場合に の 

み 壊 威せ しめられ るので あろ。 

民主 制度の 場合に は 此れと 大いに 遠 ふ。 民主 制 は 前述の 

如く 多数の 支配 を 意味す る もた > 多數黨 常に 多數黨 ではな 

く、 爲に 民主 制の 下に 於て は.^ 何なる 支配 も 常住の ものと 

は 決められな いので ある。 

旣に 階級の 勢力 狀態は 固定 的の もので はない。 少く とも 

資本主義の 時代に 於て は然 りで ある。 され ど 更に この 階級 

の 勢力に 比して、 尙變り 易き は政黨 の 勢力で ある。 そして 

斯る黨 派の 勢力 こそ、 民主 制の 下に 支配 權を 相爭ふ もので 

ある。 

こ 、で 厘々 起る 事で 忘れて はなら な いのは 理論の 抽象 單 

純化 は、 最理を 明確に 認識す るに は 不可 缺の 事で は あるか 

J こ は 最^の 場合に 適用され る ことで、 實 際は單 純化され た 



理論と 現實 との 間に 尙 幾多の 連 環の 潢 たはって ゐる ことで 

あるで 

階級 は 支配す る 事が 出來る も、 統治す る 事が 出来ない。 何 

となれば 階級なる もの は、 無形の 集 園なる に 純 治の 出來る 

もの は 一 つの 組織 體に 限る からで ある。 そこで 民主 制の 下 

に 於て 統治し うる もの は政黨 でなければ ならぬ。 然るに 黨 

派と 階級と は、 縱し 何れも 第 一 段で は 階級 的 利害 を 代表し 

てゐる もの 、 、黨派 は 畢竟 階級で はない。 同 一 の 階級 的 利害 

も樣々 の異 つた 攻略 的 方法の 爲に 主張せられ、 この 方法の 

異なる に 從ひ同 一 階級の 利害 を 代表す る ものの 間に、 樣々 

の黨 派が 分裂、 派生す る ことになる。 就中 この場合、 問 鼯 

は 仲】 の 階級 及黨 派に 對 する 地位の. S 何に よりて 決せられる 

1 階級 か 自分 丈で 國家を 支配す るの 勢力 を 持つ と 云 ふ樣な 

事は極めて少き"^_|-例に屬する。 一 々階級. か 政權を 掌握す る 

も、 自分 達 丈で 之れ を 主張 行使し 得ない から 同盟 者 を 求む 

る ことになる。 新る 際に 種々 異 つた 同盟 者が ありうる 故に 

支配階級の 代表者の 間に も 種々 の 意見 及黨派 か出来る 譯で 

ある。 

例へば イギリス では 十八 世紀に 同 一 地主 階級の 利益 を、 

ホイ ッグ、 ト I リ ー の 兩黨に 別れて 主張した。 蓋し 前者 は 

皇室 並に 其の 强カ 手段 を 犧牲に 供す る も 都會の 資本家 階級 



^ と 結合して、 この 地主の 利 盆 を 主張せ むとし、 反 之 後者 は 

王權は 地主の 利益の 最強の 保護者な りと 信じた ので ある。 

同樣に 現兮に 於ても、 イギリス 其の 他の 國に ありて、 同 一 

資本家の 利 盆 を 保護す るに も關ら す, 保守、 自由の 兩黨か 

對^^-する。 これ 一 方 は 土地 私有の 助力 をえ、 努働 階級の 壓 

迫に. e て 始めて よく 資本家の 利 化 を 保護し 得る と 信じ、 他 

方 は 新る 攻 策より 生す ろ惡 結果 を 恐れ、 幾何 かの 譲歩、 特 

に 地主 を 犠牲に 供して 勞働 階級 を靜 めんと する からで ある 

經濟的 及 社會的 支配階級と 其 の黨 派に 於け ると; P じこ 

■ とが, 勗 上 的 階級 及黨 派の. 間に も 認められる。 

階 紘と黨 派と は それ 此の. S く必 すし も 一 致す る を 要しな 

い。 一 階級 も數黨 派に 分れる し, 又 一 戴 派か數 多の 階級 所 

有 者から 成立す る。 支配階級の 多數 か從來 統治し 來 れる黨 

派の 攻策 繼續を 不可と し, 反 對黨の 玫策を 可とせば、 統治 

すろ 黨派は 交代す る ことになるが、 その 階級 は 依然、 支配 

階級と して 存續 する。 故に 民主 制の 下で は、 階級の 支配と 

云 ふ 事よりも、 黨 派の 統治と 云 ふことの 方が 變 化の 頗る 早 

いもので ある。 

從 つて 民主 制の 下に 於て は、 政權の 保持と 云 ふ 事が 安定 

でない から、 今日の 多 數黛も 明日の 少数 黨 なること を覺悟 

して 居なければ ならぬ, - 是れ 固より 已むを 得ざる 事で あつ 



て、 苟も 真の 民主 制の 國 家なら ば • その 國 家の 性質 上 • 攻 

權ゃ多 數黨の 地位 を 永く 保持す る, 一と は 初め かち 決めて お 

けない。 

か、 る關 係から して、 民主 制の 下で は, 少數黨 の 保護と 

云 ふこと が 生す る" この 少数 黨の 保護と 云 ふこと は、 民主 

制の 根深い ほど、 且つ その 由來 並に 攻治的 道德の 感化の 永 

いほ ど 一 層 強く 働き、 手 1^ を盡 して 權カ 維持に 努 むる 黨派 

の 野心に 對し、 一層 效杲 ある 抵抗 をす る。 

少數黨 の 保護と 云 ふこと が, 社會黨 成立の 初めに、 11 

社 會黨は 何 所でで も 極 少數黨 として 起る の だが 11 如何な 

る 意義 を 持ち, 又 無産階級の 成熟 道程に 對 し.^ 何に 影響す 

るか は 明かで ある" 元來少 數黨の 保護と 云 ふこと は 其れ 自 

身が 極めて 重要な ものである。 總 ての 新しい 說は、 其れが 

舉理 的の もので も、 政策 的の もので も, その 出世に 際して 

は、 必すゃ 少数者に よりて 主張 せられる ものである。 若し 

何人も 彼等と 討議す る 代りに、 直に 之れ を壓 服し 去るなら 

ば數 多の 者 はこれ で 多くの 困難と 不便と から 免 かれ, 場合 

によって は、, 無駄骨 を 折らす に 助かる 譯 である。 何と なれ 

ばす ベて 說と云 ふ もの は 、それが 新しい からと て. 又 少數の 

者に よって 主張せられ たからと て、 それが 生長すべき もの 

だと は 云へ ない。 新 思想. たと 銘打って 出る 過半 は、 旣に業 



に 以前に 發 表せられ 且 論議せられ 實 行せられ て 其の 保持す 

ベから ざる こと を 認められた ものが 多い。 た > 馬鹿な 奴 ど 

もが 古い 小間物 店 を 今更の 樣に 開店す る 丈の、 J とで ある。 

ほかの 思想が 根本的な ので あろが、 この 際に は是が 全然 燒 

直されて ゐろ 丈で ある。 新しい 思想 及び 理想に して, * に 

進步し 生長すべき ものの 極めて 少きは 新の 通りなる も而か 

も 凡て眞 正の 進歩 は 唯 新なる 理想 ありての み 可能であって 

この 新 理想 を 主張す る もの は先づ 少数者た る を 常と する。 

從 つて 少數黨 の 主張す る總 ての 思想 を盡 く壓 服し 去る と 云 

ふこと は, 無産者 階級 戰爭に 於け ろ 一 の 損害で あり、 勞働 

階級の 成 熱 行程に 對 する 一 の 障碍で ある 。世界 は 吾々 に、 今 

までの 方法 を 以てして は? 牡く ことので きない、 新なる 未知 

の 問題 を 提出す る。 

提出され たる 新 事物の 混沌から、 眞に惯 値 ある もの を抽 

出す と 云 ふ 事 は.^ 何にも 困難な 仕事で ある。 仕事 は 困難 だ 

が、 是れは 吾々 の 運動 か 凝滞す ろ ことなしに、 問題の 高峯 

に絕 えす 進んで 行く に は 絕對に 必要な ことで ある。 そして 

黨 派に 適用で きる もの は、 その ま >r國 家に 適用で きる。 少 

數黨の 保護 は 民主的 發展 にと りて 缺 くべ からざる 條件 であ 

つて、 多數 e 統治と 共に 非常に 主要な ことで あると。 

1 尙ほ 一 つ 民主 制の 特徵を 視察して おきたい。 それ は 外で 



もない、 民主 制が 攻治 的鬪爭 にどん な 形式 を與 へた かと 云 

ふこと である。 私 は 千 八 百 九十 三年、 旣に雜 誌 「新時代」 で、 

「社會 民主主義 問答」 なる 題の 下に 此の 事 を 論じ • 又 千 九 百 

九 年 「權 力への 路」 の 中で 之れ を 繰り返した。 從 つて 其の 

1 一三 を此に 援用して 見よう。 

『國 結の 自由、 出版の自由、 普通 i 權 〔場合に 依って は 苦 通 選 

舉 義務) なる もの は、 現代 國 家の 無產者 階级 が、 かの 资 本家 階 

级の革 45 戰に戰 つた 階級に 勝 さった 武器た るの みならす、 本 

制度 はまた 各黨 派、 各階 级の 勢力 關係, <^ 擴げ、 是 等の 黨 や 

階級 1^ 激勵 する 精神に 對し專 制 時代 に は 見る^ はざる • ある 

光明,^ 與 へ る。 換言 すれ 支配階級 も 革命 階級 も俱に 暗中に 

舞踏して 居た のであって、 反對が 表む きに 出て 來 なかった 爲 

lT 支配階級 も 革命 階級 も 各々 自己の 勢力 知る、、 とが 出來 

なかった。 双方 何れも 自已の 勢力 過信し、 敲と戈 交へ て 

初て 自己の 實カ, ^知る-」 止まる。 爲に唯 一 回の 打學 1^ 被む る 

や、 直に 自己の 貧 力,^ 悲觀 し、 意氣 阻喪す るの 危^に 暴露 さ 

れてゐ たので ある。 是れ 資本 階級の 革命 當時 LL 何故 多くの 暴 

動が 唯の 一 舉で 以て 一 敗 地に 塗れた か、 何故 多くの 統治者が 

唯の 一 華で 韓 覆の 憂目に 會っ たか、 又從 つて 革命と 反革命と 

が 接 緩して 起った かの 主耍 因の 一 つで ある。 

今日 幾分で も 民主 制の 存 する 國 では 是れと 全く 事情, ^異に 

する。 人 は、、 の 制度, して 社會の 安全 辨と 呼ぶ。 若し、、 の 

命名 に よって 無産階級が、 民主 國 では 最早 その 革命的 なるこ 

と 中止す る. とか、 その不滿足とその苦痛と1<^、の安全辨に 

ょリて發表する1^:^て滿足するとか、 或は 政治的 及び 社會的 



革命 1^ 新 念す ると か 窓 味 ぜんとす ろなら 安全 辨 なる 言 

Is- は リ. P ある。 民主 制 は 決してな, 本家 主義 的 社 會と云 ふ 階 

級 的對立 1 ^取り除く もめで はない U その 必然の 結果と して、 

资本 主義 的 社會の gi- 滅と云 ふ、 -と 麼す もので はない" 民主 

制 l: 期待し うろ は 寧る 此 LL 存 せ T C , 寧ろ 多くの 未熟な、 

無謀な、 本命 的^ 謀ん^ 止し、 革命的 反抗 不用 LL する こと 

に存 V 'る。 

民主 制 は 各 神 (=8- 波 並 . 階級 の 铲ノ カ狀態 ,„ ^明か に マろ。 民主 

制 ば 、、れ 等^ 派 及び 階級の 對立 > ^取 除かない、 又 その 終局 目. 

的,^ も 押し flw リ はしない 诅だ ある 階級が、 まだ 機 の し 

てゐ な:, 間 題 .5- 解決せ むと すると、 一ての 漪望的 階級 妨げ、 他 

方义 支配階級 にも 譲歩 拒む 事 rcj^ 止めむ とする。 然し 一 旦支 

配 階級が 拒絶し: Ji^ ら せに、 民主 制 は 之. 如何と もす る 力 ^持 

たない ものである 。此故 Li その 發展の 方向 は 變ビら る V も、 そ 

の 歩調 は 確. la; 且つ 穏健と なる。 若干 民主的 臭昧 もる 國 にあり 

て は、 無産者 階級の 突^ は、 革命 時代-. L 於け る 有産 者 階級の 

樣に 決定的 勝利 得ろ: とに 出來 ない。 同時に 又 有産 者 階 場 

の樣」 大敗な 受ける、、 とも;, A い。 近世 社會 民主的 勞働 運: g が 

十七世紀に發生しズ以來歐の無^^者階,说ば、 千 八 百 七十 一 年 

のパ 5-1 づ ンミュ ー ンの亂 に 於け る 大敗 北 1.^ 除いて 一 回の 大 

敗北 も 受けた、、 と 1- ない (:s 時の フラ ン スは 帝政の 後.^ うけ 

て、 國民 LL は S 煤の 民主 制 與へ す、 僅少 乍ら 自覺ぜ る 無產者 

階級 は 勢 ひ 暴動 1^ 餘镊 なくされ たので ある。 

、 一 の R 主 的 無産者 階級 戰ゅ法 は、、 如何に ^$^0 の 其れ 

に 比し, 退 :5 に 見える。 こり 戰法 確に 劇的 氣 分.^ 缺き、 有 

効 性に 於ズも 劣る a それ 丈ま^ 權 牲も少 い。 此事は 社會 主義 



者に,. くもる- 文學 好きの 著作家に とりて、 面白い ti^ 演 及び 

材料,^ 深す 爲 LL は 興味な きこと かも 知れ! 3 が、 ,K 戰 者に 取り 

て は 決して 爾ぅ ではない。 

これ 等の 謂 ゆろ: 半 和 的 s^, 級 戰鬪法 卽ち非 軍隊 的 方法、 議會 

政策、 同? ;』 んェ、 示 成?^: ir 出版 及び 出版 類似 等の 方法 は、 民 

主 制が 有效 LL 行 はれ、 國 民の 政治、 經濟的 識見と 自治と が 行 

き 里って ゐる ほど、 何 逸の 國 でも 之^ 保持 せらる.. - 望みが 多 

いので ある。 

斯る瑰 由 して 予に 無. 者 階級の 社會 革命 は 資本家 階級 

の 其れと ほ 全然 異 つた 形式,^ 取る と 思惟す る。 無產者 階級の 

革命 は、 民主 制の 极が 下されて ゐる國 に 於て! T I- 濟的 • 合 

理的 • 人 *3 的, 約言 すれに 平和的 方法に よ リて戰 はれ、 此點 

に 於て 有麼^ 級の 其れと 對 照.. なす ものと 豫 想す るので ある、 

(一- 權カ へ の路』 卅五 頁) 

如上の 見解 は 今尙ほ 毫も 之を變 する 必要 を 見ない。 勿論 

.g 何なる 制度 も 光明の み を 持たざる 如く. 民 中 制に 於ても 

亦た 喑 If m を 持つ ので ある。 

無產者 階級 か權 利な き國に 於て は、 集團 組織 か 些の發 達 

を蕭ら されす、 集 圓戦は 平時に 行 はれない。 從 つて 決死 的 

勇 土の 選手の みが、 支配者に 對 する 繼績的 反抗の 裡に獨 り 

現 はれる" . 

然し 乍ら 此の 透 手 は 日々 全 組織に 根本的 終結 を與 へ る必 

要 を 感じて 居る。 否、 正しく 其の 必要に ブチ つけられて ゐ 

るので ある。 日常の 政治的 小 問題の 爲に迷 はされ す、 全 精 



19 



称が 最大 問 超に けられ、 常に 全社 會的、 攻治 的^ 係 を 

考慮す る 樣に舉 ぶ。 

戰 爭に參 加す ろ もの は 新くて 無産者 階級の 一 少 部分なる 

も 彼等 は 最.; ::! の 理論的 興味に 充 たされ、 高き s 的,.:. 51 求の 感 

激 によって Si たされて るる〕 

反 之、 民主 制 は 全然 異 つた 働 を 無産者 階級に 及 ほす。 現 

今の 生產 方法 を isj てして は、 無産者 級 か 一 日の 中、 自由 

に 使用し うろ 時 問 は 僅少に 過ぎない。 民主 制 は多數 の行攻 

事務に よって 其の 集闺 組織 を 發達ゼ しむる。 民主 制 は國民 

に 多数の 日常 問 超、 往々 極く 小さな 種 額の 問題の 討議と 解 

答と を耍 求す る。 故に 無産者 階級の 自由なる 折角の 時間 も 

所謂 「些事」 の爲に 費され、 小さな 一 時 的 利害の みが 彼等 

を烦 はし 狹き範 園に 彼等の 心境 を 閉じ込めん とすろ" 從っ 

て 理論に 對 する 無理解 、否 全然 その 誤解、 大 原則の 代りに 

御都合主義 か、 ますく 蔓 つてく る。 マ ルクス、 ヱンゲ ルス 

が當 時の 西歐 及び 亞米利 加の 勞働 者に 比し、 獨逸勞 働 者の 

摹理 的精祌 を稱譜 しえ たるが 如く、 彼等に して 現存せば 恐 

らく 今日 獨 逸の 努働 者に 比し 露 匹 亞の勞 働 者の 理論的 興味 

に關 する 同じ 優越 を稱證 する だら う。 

而も 至る所, 階敏意 誠に 目^めた る 無産者 階級 並に その 

代表者 は、 民主 制 獲得の 戰ひ をな し 彼等の 多く は 流血の 慘 



も 厭 はないで はない か, - 

彼等 は 民主 制な き 所, 萬 事 休す る を 轨€ する、. - 寨 航主麥 

. に對 する 戰は、 その 高揚 的效果 全集 團 に 及ばす して、 唯 そ 

の 選手に 止まる。 他方吾人は民主制が無產^|9階級に及ほす 

俗化 的 作用 を 見積りす ぎて はならない。 この 作用 は 民主 制 

其れ 自身に 存せ すして ノ無產 者 階級 か 現に 惱ん でゐる 夫の 

一- 自由時間の 缺乏と 云 ふこと に存 する d 自由 を 持つ ことが 不 

自由なる ことよりも 必然的に 人 を 小さく し, 狭く する もの 

一 なりと せば 實に 妙なる ことで ある。 民主 制の 效果 として、 ま 

; すく 勞働 時閒を 短縮す る に從 つて * 勞働 者の 自由 使用の 

時間 •% 加し、 是に 伴れ て 1 力 働 者 は、 己む を 得さる 雜事 以外 

に、 大きな, 包括的 問題に も 耽ろ こと. かで きる。 • 

斯くて 激動 か必す ゃ來ら ざる を 得ない。 何ん となれば 民 

主 制が 何を爲 しう ろに せよ、 資本家 主義 的 生產樣 式の 生め 

る對立 は、 この 樣式 自體を 克服せ ざる 限り、 民主 制 を 以て 

之れ を 克服す る を 得ない。 苟.. 資本家 主義 的社會 なる 限り 

この 對立は 成長して、 ますく 大きな 混亂を 生み、 無産者 

階級 をして 其 精 祌を絕 えす 向上せ しむる 底. S 大 問題に 向 は 

しむる。 その 結果 民主 制の 下に ありて は、 新く 如き 向上 は 

一 啻に 國 民の 選手に 止まらす、 遍く國 民の 全部に 及び、 國中 

に 日常 自活の 實地を 習練せ しめる からで ある C 



^ 獨裁 政治 

民主 制 は社會 主義 的 生產樣 式の 樹立に 不可 缺の 基礎 をな 

す。 民主 制が 侵 勢に して 初めて 無産者 階級 は 克く熱 成を遂 

ゆ、 社會 主義 を實 現す るに 至らし め も。 民主 制 は 結局 この 

熟成の 最も 確實な 分度器に 他なら ない。 社會 主義に 對 する 

準備と 實 行せられ たる 社會 主義と、 この 兩者 は俱に 民主 制 

を 必要と する ものなる. か、 この 兩 段階の 間に 尙ほ 第三の 段 

階が ある。 其 は 無産者 階級が、 政治的 勢力 を 占めたる も 社 

會 主義 を 未だ 經濟 的に 實 現せざる 過渡期で ある。 この 中間 

段階に 在って は 民主々 義は 不必要なる のみなら す 有害で あ 

る 

この 見解 は 何等 新奇な もので はない。 吾々 は ワイト リン 

ゲ.^5^かく解釋して居るのを旣に述べ た。、 J れ實は 力 I ル • マ 

ルクス の 言葉 に^って 居る ので ある。 彼はゴ タ 綱領 を 批評 

して、 千 八 百 七十 五 年 五月に 書いた 手紙の 中に 次の 如く 云 

つて 居る。 

资本 主義 的 社會と 共産主義 的社會 えの 間 Li は 前者から 後者に 

移る 革命的 棘 化の 時代が ある、 是 に對應 して、 亦た 政治的 過渡 

時代 現出す る、 その 國家體 制 は 無産者 階級の 革命的 親裁よ リ 

他なる もので はな:; •。 



惜しい 哉、 マルクス は 這般の r 獨裁攻 治』 を 如何に 觀察 

せし か 詳細の 說 明を敢 てし なかった 事で ある。 文字通りに 

解 すれば、 この 語 は 民主 制の 廢棄を 意味す る。 併し 自由に 

文字 を 解 すれば、 何ら 法規に 束縛され ない 一 人の 獨裁攻 治 

を も 意味す るので ある。 乃ち 專制 主義と は異る 一 人の 獨裁 

攻治を 意味す るので あって、 前者 は 固定^なる 國家 制度で 

あり 後者 は, ある 一 時 的の 必要 手段で ある。 

『無産者 階級の 獨裁 政治 J と 云 ふ、 いひ 表 はし は. 一人の 

獨裁攻 治で はなく、 一 階級の 獨裁 政治 を 意味し * 從 つて マ 

ル クス がその いひ 表 はしの 文字通りの 意味で 考 へ て ゐた事 

を旣に 打消して ゐる。 

彼 は此で 政治の 形式に 就て 云った ので はない。 た > 無産 

者 階級が 攻權を 奪取した 場合に 常に 必死 的に 起る 狀 態に 就 

て 論じた ので ある、 彼れ が攻 治の 形式 を 眼中に 置いて 居な 

い 事 は、 英國ゃ 米國に 於て 資本主義 的社會 から 社會 主義へ 

の 行程が 民主 制の 大道に 由って 坦々 と 行 はれ 得る て ふ 彼の 

意見に 徵 して 明かで ある。 

いかにも 民主 制 は 未だ 平 種な 行程 を保證 して ゐな いが、 

民主 制な くして 社會 主義への 平穩な 行程が 不可能な 事 は 保 

證 して 宜ぃ。 

マルクスが 無産者 階級 的 獨裁を 如何に 考 へて 居た か、 是 



に 就て 吾々 は 頭 をな やます 程に 議論す る 必要 は 毫もない、 

千 八 百 七十 五 年 五月に は マルクス は、 もはや 無産者 階級 的 

獨裁を 如何に 解釋 する か を敢て 問はなかった、 蓋し 彼 は 之 

を 數年前 その 著 『フランスに 於け る 內亂』 (一八 七 一 年) 中 

に發 表して 居た からで ある。 その 一 節に 曰く 

この コ ンミ ュ .1 ンは、 主として 勞働者 階級の 政府であった。 何 

でも かで も 我物と する 階級に 反對 して 生れた 戰 ひの 結果で ある 

多年 摸索の 後、 發 見され た 政治の 形式であって、 この 形式の 下 

に 於て、; そ勞働 者の 的 解放が 行 はる V 事.^ 得る のであった 

其 故に パリの コ ンミュ 1 ンは ェ ンゲ ルスが マルクスの 著 

書 第三 版の 緒言に 於て 明言す る 如く 無產者 階級の 獨裁 政治 

であった。 

獨裁攻 治で は あるが、 之 を 以て コン ミュ— ン は 決して 民 

主 制の 廢止 ではなかった。 否 民主 制 を 出来るだけ 廣く 行つ 

た。 換言すれば 普通 選 舉權を 基礎と して 立って 居た ので あ 

る、 該攻府 は 普通 選舉權 に服從 せざる を 得なかった。 

コンミ ー ン は 普通 選舉に 依リ, パリの 種々 の 地域で 選出され 

た 市 會議晨 から 成立った ので ある。 普通 選舉權 が、 づンミ HI 

ン 組織の 人民に 役立った 事に、 丁度 雇主が 勞働者 その他の 者 1^ 

採し 出す 雇主の 選擇 權の樣 な ものであった。 (四 六 頁 四 七 頁) 

此 場合 も、 やはり マルクス は 全人 民の 普通 選 舉權を 諂 じ 

^ て 居る のであって 特別の 特權 階級の 選 擧權を 論じて 居る の 



ではない。 無産者 階級の 獨裁は 彼に 云 はせ ると、 優勢なる 

無産者 階級が 存在す る „si 合、 純粹 なる 民主 制から 必然 生れ 

る狀 態で ある。 

同じ 意味で フリ I ドリ ッヒ、 エンゲルス も 彼の 前顯 論文 

( j 八 九 一 年) 中に、 社會 民主 黨の プログラム 草案に 闢 して 

次の 如く 云って 居る。 

民主々 義的 共和政 體は 無產者 階級が 專制 1^ なす 特殊の 形式で 

ある、 (二 頁) 

故に 民主 制と 相容れ ざる 獨裁 政治に 味方 せんとす る 人 々 

は、 マルクス 又は エンゲルス を 援用す る 事. は出來 ない。 勿 

; Si かく 言へば とて その 人々 が 誤って 居る と は 言へ ない。 た 

•t- その 人々 は 他の 舉證 をし なければ ならない、 と 云 ふので 

ある。 

この 問題 を 考究す るに 當 つて 用心すべき は、 狀您 として 

の li 裁攻 治と 政府の、 形式と しての 獨裁制 政治と を 混同し 

ない 事で ある。 我等の 爭議の 種子 は 後者の 非望で ある。 政 

府の 形式た る 獨裁攻 治 は反對 者の 權利剝 股と 同意義で あつ 

て、 反 對者は 選 舉權を 奪 はれ、 出版の自由 を 奪 はれ、 園 結 

の 自由 を 奪 はれる 事になる。 問題 は 優越なる 無産者 階敏か 

この 方法 を 要求す ろか 否 か、 この 獨裁攻 治 を 以てする のが 

霞 もよ く 或は 全く、 これの みに 由て 社會 主義に 到達し 得る 



お か 否 かで ある。 

兹に 於て 第 一 に先づ 注意すべき は 攻府の 形式と しての 獨 

-裁攻 治と I 階級の 獨裁攻 治との 別で ある。 何と なれば 一 

i! 級 は 旣に說 明した るが 如く、 單に 支配し 得る のみに して 

铳治 する 事 を 得ない。 獨裁 政治なる 語 を 支配の 狀 態とせ す 

政府の 形式と 解 するならば 一 個人の 獨裁攻 治 かさ もな くば 

組織 體の獨 裁攻治 11 從て 無産者 階級 全 體の獨 裁 政治で は 

なく 無產者 階,^ の ある 黨 派の 獨裁攻 治 —— かに 就て 用ゐる 

事が 出来る。 但し この 問題 は 無産者 階級が 種々 の異 つた 黨 

浪に 分れろ に從 て複雜 になる、 こ.' に 謂 ふ、 ある 黨 派と は、 

もはや 無産者 階級 全 體の獨 裁 政治で はなく 無産者 階級の 一 

部分が 他の 部分に 對 する 獨裁 政治で ある、 社會 主義の 黨派 

が 弗 無産者 階級に 對 する 態度の 爲 めに 分立せ る 時に、 その 

1 黨 派が 都市の i 者 階級と 農民との 結合に よって 權カを 

得し 場合に は 、事情 は 一 歷複雜 に なる。 こ の 場合 に は無產 

者 階級の 獨裁攻 治 は、 箪に 無産者 階級 者に 對 すろ 無産階級 

者の 獨裁攻 治で はなく、 無産階級 者に 對 する 無産階級 者 及 

び 農民の 獨裁攻 治で ある。 

然 らば 何故に 無産者 階級の 支配 は 民主 制と 相容れ ざる 形 

式 を 採り 且つ 採らざる を 得ない の 乎 T 無産者 階級の 獨裁攻 

B. と 一 }H マルクス の 語 を引證 する 者 、それに. a つて、 



別の 事情の 下に 發生 すろ 狀態を 指せる もので はなく、 如何 

なる 事情の 下に も 生すべき 狀態を 指せろ を 無視して はなら 

ない。 無産者 階級 は 通例、 それが 民衆の 多數を 占む るか、 

若く は少 くと も 多數を 背後に 有すろ 場 <3c にの み 支配者と な 

るの は 自明の理 である。 政治 上の 鬪爭に 於け る 無産者 階級 

の 武器 は經濟 的に 不可 缺要 素の それと 齊 しく 矢張り 數 であ 

る。 彼等 は集圑 であり、 國民 多數を 背後に 持つ 場合に のみ 

支配階級の 强壓 手段に 打 勝つ 望みが ある。 

マルクス もェ ンゲ ルス も かく 考 へ て 居た。 彼等. か 共產者 

宣言 中で 次の 樣に 云って 居ろ の も 是が爲 であろ。 

これ 迄の 勤 は總て 少数の 運動であった、 且つ 少数の 利益の 

爲 であった。 無^^者階級の運動は最大多數の利益とする最大多 

数の 獨立 運動で ある。 

如上の 事 實はパ リのコ ンミュ ー ン にも あて 篏 る。 革命 新 

政府 第 一 着の 事件 は 普通 選 舉權の 試行であった。 頗る 自由 

に 行 はれた る選舉 は、 パリの 殆ど 全區 域に 百 一り、 コ ンミュ 

1 ン 側に 大多數 を 選出した。 當 選者 八十 六 人中 革命 派 六十 

f.d 人に 對し反 對者は 僅に 廿 一 人、 その 廿 一 人 も 直接 反革命 

派 は 十五 人と して、 六 人はガ ン べッタ 派の 急進 共和 黨 員で 

あった。 六十、 九 人の 革命 派に よって 當 時の フランス 社會主 

義の 各方 面が^ 表されて 居 4-。 て是等 は、 その 內 部で 互 



に爭 ひ、 勢 ひ 獨裁攻 治 は 行 はれなかった。 

多数に 根深き 攻府は 民主 制 を 侵さん とする 毫末の 動機 も 

持たない。 但し 民主 制 抑 壓の强 カ行 爲の加 へられん か 件の 

政府と 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇、 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 

以ての み對し 得る からで ある。 

固より 多数 を 背後に する 玫府は 民主 制 を 保護 せんが 爲に 

强カを 用る るので あって、 之 を撤廢 せんが 爲で い。 若 

しこの 政府に して その 柱礎た る 普通 選舉權 11 權カ 的道德 

權 威の 淵源 を 除去 せんと 望まば、 是れ 恐らく 自殺 を圖 るに 

伴し いと 云って 宜ぃ。 

獨裁攻 治に して 民主 制 撤廢が 問題と なる は 全く 除外例の 

鴣 合に 限る。 例へば 萬 事 好都合が 副湊 して、 爲 に多數 民衆 

の 味方が なく 或は 全然 敬對 する も尙ほ 能く 攻權を 一 ^無產 

者腊 級が 奪取し 得る が 如き 是 である。 

幾 十 年 政治的に 訓練せられ 黨 派の 確立せ る國 民に は、 上 

述の 如き 僥倖 は 困難で ある。 か. r る 僥倖 は 正しく 周 園の 事 

情の 未 發達を 表 はす。 普通 選皋權 者が この場合、 その 社會 

主義 的 政府に 次の 如く 叫 は, 奈何 『當 政府 は 人民の 叫に 從 

ひ、 猛志を 以て 民主 制に て國 家の 權カ 競爭を 更に 續 けんが 

爲に、 吾等が 從來, 常に 各 政府に 待望せ し 事を果 すべき 乎 

お 抑々 又 自己 自身 を 維持 せんが 爲に 民主 制 を破壞 すべき 乎』 



1 體 如何にして 獨裁攻 治 は 多数の 意志に 反しても 權カを 

掌握し 得る か、 案す るに 二つの 方法の ある を 見る。 ジヱス 

ヰ ット流 は 其 一 にして ボナ バルト 流 は 其 一 1 である。 

吾々 は 旣にバ ラガイに 於る ジ ェ ス ヰット 派の 國家を 摘 示 

した。 ジ エス ヰット 派が パラ ガイに 於て 獨裁制 を 執った の 

は 彼等が 彼等に よって 組織され たる 土着 住民より 精神的に 

遙に 卓越し、 土着 は 彼等 無くん ば 全く 適歸 する 所 を 失ふ狀 

だった からで ある。 

我が 欧洲の 各 國家內 にて 一 社會黨 派が 果して か 、 る 卓越 

の 地位 を 羸ち 得られ やう か。 否 、そ は 到底 不可能で ある。 な 

る ほど 無産者 階級 は その 階級 鬪爭に 於て 精神的に は 他の 勞 

働 階級、 小 商人 又は 小農 民よりも 卓越して 居る けれ-ごも 三 

者 は 相互に 政治的 利益 並に 諒解 を 4? 加し ない 譯で 1- なく、 

此等 階級の 間の 距離 は 決して、 さう かけ 違った もので はな 

ヽ 

IW 

筋肉 勞働 階級と 相 並んで 知識 を 以て 働く 一 社會 階級 か あ 

る。 その 數 は^々 增加 せんとし 生產 行程に は 益々 必要なら 

ん とする ものであって、 その 職務 は 才能の 獲得 知識の 鍊磨 

發 達に 存 する。 

この 知識階級 は 無產者 階級と 資本家 階級との 中間に 伍し 

只管に 資本主義 を 謳歌せ す、 されば とて 無産者 階級に 對し 



お て も * 無產者 階級 自身が その 運命 を 開拓す るに 充分な りと 

信認し ない 一 圑 である。 無産者 階級 解 故に 熱烈なる 味方た 

る 知識階級の 人々 —— 例へば 空想 社會 主義者の 一 派の 如き 

— . も 階級 鬪爭 の當 初に は勞働 運動に 對 して 否定的の 態度 

を 採った。 この 態度 は 無産者 階級が その 鬪爭に 逐次 成果 を 

現 はすに 至り 漸く 變る。 社會 主義に 味方す る 知識階級が 無 

產者 階級に 對 して 持つ 信認 は 一 九 一 四 年 八月 四日 以来、 自 

由黨、 並に 獨 逸の 攻府 すら も 同じく 持つ 信認と 混 同視して 

はならない。 前者の 信認 は 無産者 階級が 自己 自身 を 解放す 

. る實 力と 能力と を 取得した と 云 ふ 確信に 發し、 後者の それ 

は當該 社會黨 は、 もはや 無産者 階級の 解放 鬪爭 を眞 面目に 

しないだ らうとの 期待に 發 して 居る ので ある。 

要するに 知識階級 無くして、 若く はこれ に反對 して 社會 

主義 的 生産 は所設 できない。 多数 國 民が 一 無産者 階級に 對 

し 不信の 態度 若く は 排斥 的 態度に 立つ 樣 では 知識階級の 多 

數も亦 同樣の 態度に 出る であらう。 すると 勝者た る 無産者 

階級 も 他の 國 民に 對 して、 もはや 知識 的 凌駕 を 望めない も 

ので ある。 たと ひ 一 般 の社會 事件に 於て 彼等の 理論的 地位 

はもつ と 高 かるべき 害で も 反て 退步 する。 

パラ ガイで やった やうな 遣 口 は、 歐洲 では 駄目で ある。 然 

らば 殘る所 は 他の 一 法で ある。 卽ち、 ナ. ネ レオン 第 一 世が 



一 七 九九 年の 霧 月 十八 日 十 一 月 十 一 日に 嬢 じた 所の 遣 口 及 

び 彼の 甥ナボ レ ォ ン 三世が 千 八 百 五十一 一年 十一 一月 1 1 日に 構 

じた 所の 遣 口で ある。 他で もない.、 そ は 無秩序なる 民衆に 

對し、 中央 集 權の擎 固 優越と 强 勢なる 武力と を 以てする 所 

の 政治であって、 これ 全く 政府の 武装せ る 力と 武装な き 若 

く は 軍に 疲れたる 民衆と が對 峠す るから 起る ので ある。 

か る 基礎の 上に 社會 主義 的 生産 樣式か 能く 樹立 さ れゃ 

うか。 社會 主義 的 生產樣 式と は社會 による 生産の 組織化 を 

意味し • 全人 民に よろ 經濟的 自治 を 要求す る ものである。 

官僚 若く は 一 階級の 獨裁攻 治に よる 生産の 國家的 組織化 は 

社會 主義で はない。 社會 主義 的 生 產樣式 は廣く 民衆に 組織 

的の 敎養を 要し、 無數の 經濟的 自由 圑體の 存在 を 前提し 且 

つ 完全な ろ圍 結の 自由 を 必要と する。 勞 働の 社會 主義 的 組 

織 は 兵營的 組織であって はならない * 

少数の 11 裁 政治が 人民に 完全なる 圍 結の 自由 を與 へ んと 

望まば 之と 共に 自己の 勢力 を 凋落せ しむる だら ラ。 故に 之 

に對し 自由 を抑壓 して 自已を 主張せば 玆に 彼等 は社會 主義 

へ の 發達を 促進せ すして 妨る ものである。 

少數 の獨裁 政治に とって は、 從 順なる 軍隊に 何よりも 力 

强き 支柱 を發 見す ろ。 新く して 彼等が 民衆の 代りに 武器に 

依る ほど、 反 對黨の 秩序 を 投票 —— それ は 反 對黨に 用 をな 



S5 



さない ので あるが I に訴 ふる 代りに 统劍に IS へ ん として 

之 を <处 々壓 迫す る。 そこで 內亂は 政治的、 社會 的反對 者の 

謀叛の 形 をと つて 現 はれる。 政治 上、 社會上 全く 無 感覺、 無 

氣 力ならざる 限り 少數の 獨裁攻 治 は 常に 猛烈なる 一 揆 又は 

間斷 なき 小鬪 によって 脅かされる ものである。 この結果 は 

纏て 一 暦 多數の 武装した る 永績的 叛亂に 移り、 獨裁 者の 有 

する 總 ての 軍隊 力が 之と 戰ふ 必要に 迫らる。 實に獨 裁 政治 

は內亂 によ つて 生れす して 內亂に よ つ て 常に 倒されん とす 

る危險 に出會 ふ。 

社會 主義 的 社會の 建設に は內亂 ほど 祟る もの は 無い。 勞 

働の 分業が 地理 的に 廣 まる 現狀に あって は、 工業 上の 大事 

業 は、 何虚 も、 交易 並に 契約の 確 實に大 關係を 持つ 一 般に 

戰爭 はたと ひ 畝が 國內 に佼 入せ ざる も、 社會 主義 的 建設に 

大いに 祟る ものである。 观時 シァ 革命の 各方 面に 於る 口 

シァ社 會モ義 者 間に、 社會 改造の 爲に 平和の 必要が 高調 力 

說 せられつ >. ある は 尤もな 事 だ。 內亂は 社 會的經 濟に對 し 

對外 戦よりも 尙ほ遙 かに 破壊的で ある。 それ は 必然的に 國 

內で 演ぜられ 國土 を荒廢 せしめ、 衰微せ しめる 點は 敵の 侵 

入と 選ぶ 所 はない。 否、 もっと 大 である。 

國家 間の 戦爭は 通例 單に 一 國 若く は 他 國攻府 の 勢力 得 喪 

を 目的と し、 直に その 生存に は關 しない。 戰爭 終了後 は 戦 



爭參加 國の各 攻府、 國民 はよ し 厚誼で ない にしても、 鬼に 

角 平和に 生存 せんと 欲し • 又し なければ ならない。 

內亂に 於る 黨 派の 相互 閼係 は、 是とは 全然 赴き を 異にす 

る。 彼等 は 反對派 を讓步 せしめ 共に 平和に 生存 せんとして 

戰 ふので はない。 又內亂 では 民主 制の 樣には 行かない。 民 

主 制に あって は 少数が 保護せられ、 少数に なって 攻 府組截 

の 望みな き 黨派も 之 か爲 に、 诀 して その 攻治的 活動 を 放棄 

する を 要しない 。また 制限す る だけの 必要 すら 認めない。 且 

つ 各黨派 は少數 となる も 多数た らんと 努め、 それによ つて 

政府 組織 權を 常に 保持して: i5 ろの を 常と する。 内亂に 於て 

は、 各 黨派は その 生存の 爲に戰 ひ 爲に服 從者を 脅す に 根 

からの 破壞を 以てする.^ この 意識が 內亂 み-わけもなく 慘酷 

にす るので ある. - 卽ち 軍隊の 力に よっての み 權カを 維持す 

る 少數者 は、 彼等の 反 對者を 血腥き 手段で 抑應 し、 また 彼 

等內亂 によって 脅かされ 而も 之を鎭 K する 事が 出來る 

に は、 反對者 を野蠻 なる 虐殺に 陷れる 事 も 有り 勝で ある。 パ 

リに 於る 千 八 百 四十 八 年 六月の その 日 及び 千 八 百 七十 一 年 

の 血腥き 五月の その 週 は、 この 事 を 最も 明確に 語る。 

- 慢性 內亂的 組織 並に 獨裁 者の 交替, 換言すれば 民衆の 無 

感覺 と無氣 力と は社會 主義 的 生產體 系の 建立 を 殆ど 不可能 

とする。 それ 故內^ か、 然ら すん ば 無 感覺を 必然的に 生む 



5 獨裁攻 治 は、 資本主義から 社會 主義に 至る 過渡 明 を 遣ろ に 

神聖なる 手段た るべき であると は 何たる 奇なる 論法よ、 呵 

气 

多く は內亂 と社會 革命と を 混同して、 內亂 を社會 革命の 

形式と 看 倣して 居る。 內亂に 於て 已む なく 行 ふ 暴行 を 目し 

て、 これ 無くして は 革命 は 成就せ すと 辯硫 する 傾向が ある 

從來の 革命 は 總て爾 うで 在った。 今後の 革命 も 或は 爾 うで 

あるか も 知れん。 

され ど 吾々 社會 民主 黨は 常に 爾 うであった とて 必す 爾、 フ 

であらね ばなら ぬと は 思 はない。 吾々 は 革命 を 描く に當っ 

て 今迄の 內亂 による 革命 を實 例に とって 描いた。 惟 ふに 無 

產者 階級の 革命 は、 これ 等と は 全然 異れ る條 件の 下に 行 は 

れる であら 、フ0 

內亂 による 革命 は 如何なる 國 に勃發 する か。 之 を實際 Li 

徵す るに、 _g ね國 民に 緣 のない 軍隊に 保護 せらる、 fi 裁攻 

治が, 總 ての 刺戟 を 抑へ 出版、 集會、 圑 結の 自由 もな けれ 

ば、 #5^ 選權 もな く、 * の國民 代表が 行 はれて 居ない 國家 

である。 政 麻に 對 する 鬪爭 が、 この場合 內亂の 形 を 採る の 

は 必然で ある。 今日の 無産者 階級 は、 少なくとも、 西歐諸 

國 では、 國 家に 於け る攻治 上の 勢力 を 持って 居る。 それら 

の國 家に 於て は 数十 年來 民主 制、 否、 よし、 純なる 民主 制 



ならす とも、 あろ 意味に 於け る 民主 制が 深く 張り、 且つ 軍 

隊も 今日で は 前のお く國 民と 沒 交渉で はない ので あろ。 從 

て 吾々 は、 もはや 西 歐譜國 に 於て * 決して フランス 大 革命 

の 前例が 橾 返される と 思惟す る必耍 はない. - キ 日の ロシア 

が 一 七 九 三年の フランスに 克く 類似せ る 事 を 示す の も- そ 

は單に 內亂的 革命の 狀能? にどれ だけ 接近せ るか を 示す に 止 

る" 

社會的 革命 攻治的 革命と 內亂と は 判然 區 別し なけれ ばな 

らぬ, - 

社會 革命 は 社 會と云 ふ 建物 全體を 根本から 變 化させる 事 

であって、 新生 產樣 式の 樹立に よって 齎らされる。 全く 長 

き 行程であって、 こ > '數十 年は續 き、 その 終末 も 分明に 區 

切る 事 は出來 ない、」 この 行程 は 進行形 式が 平和なる ほど 益 

々進涉 し、 內亂と 戰爭は 不倶戴天の 敵で ある。 社會 革命 は 

通例 攻治的 革命に 由る か、 又は 國內に 於る 階級 的權 力^係 

を 卒然 除去す る 事に 由て 行 はれ。 之が 爲に從 來攻權 から 除 

外された る 階級が 攻治 機關を 占領す る、 攻治的 革命 は 殺 急 

な 行動で あ ひて、 非常に 迅速に 行 はれて、 その 目的 を 達し 

得る ものである。 政治的 革命の 形式 は、 その 行 はれる 

により iS つて 來る、 民主 制が 形式的の みならす 事實 上、 多 

數勞働 者の 力の 上に 立てる 程、 政治的 革命 は 平和に 行 はれ 



ろ漑然 性が 一 H9 確かで ある。 これに 反して 現行 制度の 存立 

が 民^の 多数に よらす 少数者 を 表現し、 罩に 軍隊 力に 據て 

權カを 支持す る 者 ほど 政治的 革命が 內亂の 形式 を 採る 慨然 

性 は 《众 々强 い。 

後の 接合に 於ても、 社會 革命の 援護 者 は、 內亂 が單に 一 

時 的であって、 迅速に 演ぜられた 挿話と して 殘 るに 過ぎな 

い 事。 單に民 i を窗 らし 確定す るに 役立つ 事。 社會 革命 

は 內亂の 作用に 委ねられる 事、 卽 ち社會 革命 は その 際 民衆 

が 進まん と 欲する より 以上に 遠く は 進まない 事に 重大な Si 

係 を 持って 居る。 社會 革命の 終局 目的 を現實 化する 事 は 遠 

識者に とって は 頗る 望ましき 事なる も、 その 可能なる は 民 

衆の 期 望 以上に 繼續 せし むる 必耍條 件が 發見 せられな いか 

ら である。 

而も、 パリの 無産者 及 小 商人の 恐怖 攻治、 少數獨 裁攻治 

は、 フランス 大 革命に 於て、 歴史的に 最も 重大な ろ 意味 を 

持った 偉大なる 作用 を 引 起した ではない か。 

• 然り、 確に! たが 其 は。 どんな 種類の もので あつたか 

その 獨裁攻 治 は 歐洲の 諸君 主國 聯合 軍が 革命し つ 、ある フ 

ランスに 對 して 行った 戰爭の 産んだ 兒 であった。 この 攻擊 

を破碎 して gS¥ を 得た の は 恐怖 攻 治の 史的 事業で ある。 恐 

^ 怖 政治 は 戰爭に は 民主 制よりも 獨裁 政治が^に 勝る との. P 



き眞理 を 今更に 明證 した。 か.' る眞理 は明證 せし も、 M を 

「以て 獨裁攻 治が 無産者 階級の 爲に 彼等の 意味に 於る 社會改 

造 を 導き 又は 玫權を 振 はしめ ると 云 ふ 事 は明證 しなかった 

千 七 百 九十 三年の 恐怖 攻治は 互に 勢力 爭ひ をし なかった 

それに も 拘らす 彼等 無産者 は 勢力 を 維持す る 事が 出來 なか 

つた。 この 獨裁 政治 は 各部 類の 無 產者ゃ 小 商人の 政策の 互 

に爭ふ 手段と なり • 到頭 總 ての 無產者 及び 小 商人の 攻 策に 

終を告 けしむ る 手段と なった。 

下層階級の 獨裁 政治 はサ .ー ベ ル專 制の 爲に道 を 開く もの 

である。 

內亂 による 革命 を 前例と して 說 かう と 欲すろ ならば、 革 

命 は 内亂ゃ 獨裁攻 治と 同意義で ある, 由て 又お 結果 を引證 

して 革命 は 必然的に、 クロム ェ ル i 右く はナ. ホ レオン の 政治 

を歸 結と すと 云 はねば ならぬ。 

是れ果して無產^!?:階級の革命の必然的歸趣でぁらぅか, 

ズロ、 若しも 無產者 階級. ..s 民の 多數を 占め、 その 國 民が 民 

主 制に 據 つて 組織 せらる 、場合に は 決して さう ではない。 

この場合に は • た, > '针會 主義 的 生產の 種々 なろ 條 件が 問題 

となる 丈で ある。 

吾々 は 無産者 階級の 獨裁攻 治と 云 ふ 事 を 民主 制 を 基礎と 

する 無 產# 階級の 玫 治と 云 ふより 他に 解され ないだら う。 

. (在 大學 |g 法蔡士 高木 友 II 一 郞霹) 



i8 



隸屬. か. 貧困-か 

= 社會 問題に 對 する 二つの 觀 方- = 

事赏! i おいて 無産者と 有產 者と は對立 1^ して ゐる。 有產 者.. 3 は 財產. 5* 持てる 階級で あ リ, 無 直 者と は その 勞働 以外に 財產 のな 

い 階級で あるの は 言 ふまで もない。 現代 社會の 經濟的 基礎が: の兩 階級の 教 立に 置かれて ゐ ろと はすべ ての 進歩した 社會 思想家 

の 認める 所で ある。 拉 てこれ 等 二つの 喈 扱が 浙 樣に對 立の 狀 態に,^ リ、 有產者 階級 は 無產者 階級に 優越して、 經濟 組織 左右. -、 

社^的 生產 によって 產 出せら るる 富の 大部分 其 階級 自身 lifi つ 占有す る ことの 原因 は 何で あるか。 或る人 は 之 ya- 無産者 階 扱 

の有產 者陪教 に 封す る 『臻 屬』 の爲 であると し、 他の 論者 は 無産者 階級の 『貧困』 の爲 であると する。 その 結果 甲 は社會 改造の 

极本 問題 1-^ 隸屬 の關 係に 置き、 乙 は 之 貧困の 問題に 置く。 從 つて、 一 の 叫び は 『自由』 であ リ- 他の 聲は 『パ ン』 ,<5^ 求む ろの 

叫で ある。 

二 

人 は パンな くして 生きる ことが 出來 ない。 社會 問題 を 胃腑の 問題と する 人 はこの 前提から 出發 する。 さう して 經濟 

生活の 實 相を觀 察する。 第 十八 世紀の 終りから 第 十九 世紀の 初 駔に當 つて 多くの 機械 は發 明され た。 ケィ、 ハ ァグリ 

1 ブス、 ァ 1 クラ イト、 クロンプトン、 力 アト ライト、 ネ イット ネィ、 ワット、 フルトン、 スチ フェン ソン 等の 有力 

な發明 家を數 へる ことが 出来る。 この 內で グイから ホイット ネィ までの 六 人 は 各々 有力な 钫績 機械 を發明 考案した 人 

で、 ワット は 蒸 汽機閼 を、 フルトン ハ蒸 汽船 を、 更に スチ フェン ソン は 汽車 を發 明した。 この 生產 用具の 進歩と 交通 

機 關の發 達と は、 經濟 生活の 大進步 を 齎らした。 産業革命が これで ある。 けれども 産業革命の 齎らした 結果 は 多数の 

人々 に對 して は 不幸であった。 生産額 は增 加し に。 生産物の 品質 は 均一と なり、 さう して 向上した。 廣大な 工場と 美事 

な 機械 は 未曾有の 勢力 を以 つて 働いた。 けれども その 結果 は 勞働者 階級の 幸福ではなかった ので ある。 當 時の 英國ェ 



29 



場監 5^ 官は六 七 歳の 幼年 ェが鑛 山の 坑道の 濕め ほい 所 を 重い とろつ こ を 押して ゐる こと を 報告した。 婦人 は 家庭と 夫 

の 愛 を 捨てて 僅かな 賃銀の 爲 めに 工場の 機械に 追 ひっか はれた。 「婦人 は 丸裸 同樣 になって 炭鑛の 中に 働いた。 :… - 

…… さう して 努働 時間 は 老幼 を 問 はす、 肉體の 勢力の あらん 限り は繼續 せられ、 然も 人口の 增 加に 必要な 衛生設備の 

き 何物 をも發 見す る こと は 出来なかった。」 (ゥ H - ソ ブ社會 主義の 歷 史的 基礎) 

こんな 狀 態に 對 しても 社 會の權 力 階級 は 知らん顔 をして ゐた。 r 旣に 占有され た 世界に 生れた 者 は、 もし 彼が その 正 

當な耍 求の 權利を 持って ゐる 彼の 親から 生活 資料 を 得る ことが 出来ないならば、 さう して またもし 社會か 彼の 勞働を 

必要と しないならば * 彼 は 一 片の 食物 を も 要求す る權利 はなく、 事實 彼の 生存して ゐる 所に 何の 用 もない ので ある 。自 

然の 偉大な 饗宴に おいて、 彼の 爲 めの 空席 はない。 自然 は 彼れ に 去れと 命じ、 さう して 直ちに 其の 命令 を 施行す るで 

あらう。」 (マルサス 「人口 論」 第一 一版) これが 權カ 階級の 社 會哲學 であった。 貧困 は 自然で あると 彼等 は觀 じたので あ 

る。 けれども リカルドの 經濟學 から 生れた リカルド 派社會 主義者の 一派 や ロバ アト • ォ ー ェ ンゃ チヤ ー チ スト 運動の 

人々 はか * る 社 會哲畢 に 服す る こと は 出来なかった。 「自然の 偉大な 饗宴」 に 何人 をも參 加せ しめんと したの は 彼等で 

あった。 彼等 は 貧困 を以 つて 社會 問題の 根本的の ことで あると 考へ、 さう して、 この 貧困 を 除去す る ことによって 其 

理想 社會を 建設しょう としたので ある。 けれども 彼等の 運動 は 失敗に 終った。 

三 

價 値は努 働に よっての み 創造 せらる ると 云 ふ 出發點 から、 勞働 力の 賫買 によって、 勞 働の 産出した 餘剩價 値 か 資本 

家の 占有す る 所と なると 說 いのは 力 アル • マルクス である。 マルクス は 其 餘剩價 値 論 を詳說 した 其の 「資本論」 の 中 

では その 所謂 勞働者 絞 取 制度に ついて 倫理的 批判 をして ゐる もので はない。 マルクス は 生産が 社會 化されて 行く のに 

富の分配 か 依然として 社會 化されな いその 矛盾の 上に 資本主義の 崩壞 原因 を 求めて、 其 唯 物 史觀的 經濟擧 說を說 いて 

ゐる。 然し 乍ら 同じく 唯 物 史觀の 色彩. S 濃 &t な 「共 產黨 宣言」 では 資本主義 經濟 組織の, i 然的崩 壞と其 際にお ける 無 

產者 階級の 革命と をカ說 する ものであるが、 マルクス はこの 無産者 階級の 革命に よる 生產組 n の社會 化に よって 新 社 

會は 出^す ると 觀てゐ る。 マルクス は 新 社會の 組織に 就いて 多く を 語らない が、 其考 へて ゐる所 は 富の分配 によって 



社會 問題 を 解決しょう とする ので ある。 こ 、から 出發 して 實際: &の案 を 立てた のが 社會 民主主義 である。 だから 1- ル 

タスの 本 糞を容 るる 社會 民主主義の 伽藍に よって 吾々 は その 將來 の社會 組織 を 見る £ か出来る ので ある。 兎に角、 マ 

ルクスの 社會 超に 對 する 見方. か 「パ ン」 の 問 超で あるの は-, 人 は 其の 食 ふ 所の パ ン なり」 と 云った ホ イエ ル バッハの 唯 

物 論に マルクスが 多くの 影響 を 受けて ゐる ことと I— 勿論 後に 至って、 マルクス は ネィヱ ル バッハの 影響 を究れ たと 

言 はれて ゐ るが 11 社 會組獄 か 人間の 意識 を 決定す ろと した 其の 唯 史物觀 を 見.; しも 解す る ことが 出來 ると 私 は 思 ふ。 

だから マ ルクスの i 運動であった 社會 民主主義の 根本的 要素の 一 は 貧困の 絕减 にある と 云 ふ MJ. か出來 るので ある。 

四 

社會 問題の 根抵が 貧困の 問題で あり. 從 つて 社會 運動の 目的 も 貧困の 絕威 であるの は 旣に說 いた。 (我國 では 河上肇 

博士が この 立場 を 取って をら れる ) 

然 らば 其 貧富の 差 は どの位の 程度に あるの か。 こ. -に之 を 詳論す るの 餘 白がない から 私 は 其の 一例と して ロバ アト 

ハ ンタ I の 「貧困」 に 引用され た スパァ と 「社會 的 不安」 の 著者 ジョ ン, グラハ ム, ブル I タスの 研究 を揚 けたいと 

思 ふ。 

ス バ ァ. は 富豪 階級 (五 萬 弗 及 それ 以上) 富祐 階級 (五 千 弗ぶ リ. -萬 弗まで) 中産階級 〔五 百 弗ぶ リ五千 弗まで) f 階級 (五 百 弗 

以 t; の) 四 階級に 分って ゐ る。 統計 は米國 合衆國 における 一 八 九 〇 年の ものであるから 今日で 所有 財^の 率が 上進した ものと 見 

れば 大した 差 問 はない と 思 ふ。 

階級 別 人 員 合計 財産 平均 財產 

千 人 千 萬 弗 弗 

■ ii 一二 五. 三-一: 〇〇• 二 六 四、 〇〇〇 

富 祐階欲 一三 七 五 • 二三 〇〇• 一 六、 o〇〇 . 

中産階級 五 五 〇〇• 八 二 〇• 一.-五〇〇 

貧民 階級 五 五 〇〇• 八 〇• 一 五 〇 

、、の 表から ス パ、 ァは合 衆國內 S 家族 "半数に 無産者 であるとの 結論に 達し、 さう して、 總 家族 數み八 分の 七が 全國の 富の 八 分 

の 一 ,1- 所.. めし、 總 家族 數の百 分の 1 の 家族が 其 殘餘の 九分九厘までの 富 1^ 所有せ る こと.^ 發 見した ので ある。 



更に プ グスの w 究: .1 よると 總 家族 数の 1 パ アセント に當 る 富豪 階級 は國民 全體の 富の 五 四. 八パ アセント • ^ 1 九バァ 

• セ ントの 中等 陪 おは 三 二 • 二 バァセ ント 1.5*、 三 八 • I バァセ ント LU=a る 貧困 階敏は 一 三 パァセ 、shy^ 所有し、 五 〇 パ アセント に<3 

る 極贫階 a は 何物, _5 ^も 所有し な いので ある- 

扨て 斯樣な 貧富の 差 は 如何なる 現象 を 起す ので あるか。 其の 財に よって 衣食し 得る 階級に 屠す る 者 は 何等 勞 働に 從 

事す る ことが なくと も, 其の 日常の 生活に 困難す る こと はない。 彼等 は 食すべき (あ 物 を 貯える こと も出來 る。 着る ベ 

き 衣服 も氣 候に 先き 立って 作る こと. か出來 る。 寢 ろに 柔 かい 床と. 住 ふに 心地よ い 室と を 持つ ことが 出來 る。 けれど 

も 其の 手に 衣食住に 足る 丈け の財產 のない 人々 は 着る 爲め、 食 ふ爲め 住ふ爲 めに 働かなければ ならない。 自己の 欲す 

る 所の もの を 得ろ 爲 めに 貸 幣.^ 得な!; れ ばなら ない。 資本主義の 世の中で は 黄金 は 萬 能で ある。 無產者 はこの 萬 能の 

黄金の 前に 一 日の 勞働 を祷 けなければ ならない。 勞 働と は 在外 目的 (貸幣 獲得) の爲 めに する 苦しい 力作で ある。 こ 

の 定義 は 資本主義 制度の 下にお けろ 努 働の 定義と して 最も 巧妙な ものである,、 

五 

银通者 は 食ふ爲 めに 働かなければ ならない。 更に 働く 爲 めに は 職 を 得なければ ならない。 こ. -で勞 働の 需要と 供 

袷の 問 超 か &! つて 來る。 勞 働の 意志と これに 耐え 得る 丈け の 體カを 持ち 乍ら 尙ほ 且つ、 勞 働の 需: かない 爲 めに 働く 

ことの 出來 ない 人々 が ある。 所謂 失業者の 群れ. かこれ である ^ 無産の 失業 荐は 其の 失業の 瞬間から 生活の 不安 を增し 

て 行く。 手より 口への 生活の 「手」 が 働 を 止める に 至った、 精祌 的の 不安 は 無産 有職の 當 時に 必す 倍加す る ものが あ 

るで あら、 rso 而 して か >. る 失業 は 個人的 原因に よる もので なくして. 社會的 原因に よる ものである。 この 社會的 原因 

によろ 生活 不安 は 現代の 無産階級が 何人も 感 する 所で あろ。 

よし また 幸に して、 一 の 職に あり 附 いたと しても、 其貨 銀の 頗 ぶる 低 旅な ことか ある。 殊に 不 練勞 働に して 競爭 

の 激甚な 所に おいて 然り である。 一 國の 富の 內の 一 部分 か 賃銀 基金と して 取り除かれて ある ことみ-承認し、 勞働者 数 

の 4= 加に 從 つて 賃銀 は 低落す る ものであると 云 ふ 賃銀 基金 說を 採らない 人で も 現代に おける 賃銀 か 生活 賃銀 以下 ある 

ものの ある t と を 認める であら- フ-- こ- - に 生活貨 銀と 云 ふの は單に 人間の 牛- 存を 保說し 得る 丈け の 賃銀 .2、^ 味す る 



ので はない。 それ は單に 人間の 生存 を保證 する のみでな く、 其の 仕事に 相當 した 勢力 を 回復す る爲 めに 必要な 適當な 

盒 物と 住居と 衣服と を 得る 許りでなく、 その 家族に 對 しても 相當の 衣食住 を 供給す る餘 力. かなければ ならない ので あ 

る。 然るに 斩樣な 生活 賃銀 を 得る もの は 相當に 熟練 あり、 特殊性 ある 勞 働に 限る が.^ き觀が ある。 然し 機械の 發明は 

この 熟練 特殊 的 勞働を も 普通の 勞 働に 引き下ろ してし まふ 樣な 傾向の ある こと は 勿論で ある。 だから 勞働者 は 一 機 

械が勞 働 絞 取の 爲 めに 用 ひられる 所では 11 新しい 機械に 對 して 反感 を 持って ゐ ると 云 ふの は ウエッブの 云 ふ 通りで 

ある。 さう 云 ふ 風に 觀 察して 來 ろと 勞働者 階級の 中で 充分な 賃銀 を 得て ゐる もの は 極めて 少數 だと 云 ふこと になる。 

かくて 勞働 によって 生産され た 價値は 益々 富者 階級に 集中して、 富者 は 益々 其 富 を增大 し、 勞働 階級 は —— 比較的 

に 言って 益々 貧困に 陷 つて 行く ので ある。 こ. -で 問題が 起る ので ある, - 斯樣 に國民 中の 大多数の 勞働者 階級が 貧困 狀 

態に 置かる ると 云 ふこと に對 する 批判で ある。 其の 批判 は 其の 基礎 を 唯物史観 的 論據の 上に 置く。 人間 は 境遇の 産物 

であろ と 云ふ點 をカ說 する ので ある。 故に 斯 くの. g き 論者が 貧困 は罪惡 であり、 その 貧困 を 取り除く ことが 社會 改造 

の 主要 目的で あると 見る の は 極めて 自然で ある。 何故に 然る かと 云 ふと 彼等の 最も 重要視す る 所 は 人間 日常の 生活で, 

ある。 人間 日常の 生活 を 豊富に しないならば、 何等の 文化 も、 何等の 進步 も出來 得ない と 見る からで ある。 新樣な 見. 

方 をす る 人 は 舊來の 個人主義の 社 會舉說 と 同じ 樣に 人間 は 何等かの 强制 なくして は 働かない と 見る ことに 於て 一 致す 

る もので あろが、 彼等 (國 家社會 主義 卽ち 集產 主義者に この種の 見解 を 懐く 人が 多い) は 個人主義者の 如く 自由 競爭 

による 飢餓の 强制を 信じないで、 協同 的社會 組織に おける 强制を 信す るの が ある。 而 して か >- る社會 制度に よって 貧 

困 を 救 ふこと によって 社會 問題 を解诀 せんとす るので ある。 

この種の 論者の 云 ふ 所が 「貧困」 の 問題で あり, 社會 問題 はバ ンの 問題で あると 云 ふ 意味が こ、 に 至って 判然とした 

と 思 ふ。 從 つて 主 隠 は 一 一の 「パ ン」 の 問題と する 說に對 する 批評と 其の 主張と に 移られなければ ならない。 (つ > く) 

(甲 野哲 二) . . 1 

「批評」 六月 號五頁 砂の 1 粒 も 重くなる 云々 は 『砂の 一 粒 ほどに もなら なかった』 の 誤リ、 また 同 八 頁 中 『需耍 された 場合に』 は 『需 

耍の 見込で』 の誤リ にっき 訂正 



六 時間 勞働論 (レバ I ハルム) 3 



加うるに 總 ての 者が 勞働 者で あり、 生産され た 富の 上に 

租稅 か廣く 賦課 せらる. -が 故に 租税の 負 擔は何 を も 貧困に 

陷れ 或は 壓 迫す るが 如き 事 は 無い。 聰明に して 眞 面目な 課 

税の唯 一 の 基礎 は 奢侈 品 以外の あらゆる S 物の 課稅を 避け 

且つ 專ら^ 人の 爲め とし 主として 累進 所得税 拉に遺 產相續 

税に 依り 一 歷^^^入を堦加せしむる事でぁる。 あらゆる 階級 

の 人々 が 個人的 過疲と ヲ I バ I ゥォ I クの 無き 適當な 時間 

の 問 一 致 協同して 勞働 すろ こそ 富 を生產 する 唯 一 の 方法で 

ある. 其 虚には 怠惰な 飽衣 飽食の 不勞磡 男女 もまた 祖衣祖 

食の 過勞働 男女 もあって はならない。 吾が 英國に 於け る 全 

人口の 半分 は 3 典實に 富の 生産者で あると 見 積ら れて 居る、 

然 かし 若し 一 國民 として 吾 かが 此の 大戦の 損失 を 償 ひ、 且 

っ光榮 ある 勝利と 敵國の 無條件 降伏 を 得た る 後 は 界列强 中 

に 吾が 國の 地位 を發拔 せむ と 欲する なれば、 學校 生活せ る 

^}<?ょり老年に至る者まで、 あらゆる 階級 拉に 地位の 有力な 

肉體を有するs^^は、 一 週 六日の 閬 六 時間 勞働 者た る 事 を 

必要と すろ であらう、 全英國 中に ^4 忘 惰な金 持 や 忘け 者 や 

S 或は 力 カン 二! の 貧乏人 を容 るべき 餘地は 無い。 一 國 民と 



して 吾々 は ノラ クラ 者の 存在 や、 若しも 存績 する ものと し. 

たらば 英帝國 か ノラ ク ラ 者の 樂 31 となる 事 を 認容す る、 J と 

は 出来ない ので ある。 

然 かし 英帝 國の總 ての 產 業に 同時に 六 時間 勞働を 施行す 

る こと は 絕對に 不可能で あり, 非實行 的で ある、 六 時間 勞 

働 制の 發達 は英 國に產 する 樫の- 實の 如く 遲々 たる もので あ 

らう、 けれども 夫れ は確實 である。 而 して 其れ は 機械 を 長 

時間 使用し、 人間 は 1 一回 又は 夫れ 以上の 交番 勞働 制に 依り 

短時間の 間勞 働せ しめ 生産費 を减じ 得ろ が. S き 産業に のみ 

適用が 出來 るので ある。 例へば 六 時間 制 は 直 t ュに 農業に 適 

用 出來な いと 云 ふの は 現在に 於て は 農業に は 補助 勞働 機械 

が 殆ど 無い からで あろ。 然 かし 旣に 蒸汽ゃ 石油 索引 機が 耕 

耘 耕作 種蒔き や 收穫, 運徽 等に 年々 成功し 益々 多く 使用せ 

ら る.'、 さう したなら 六 時間 勞働 制と I 一番 交代制の 時が 農. 

業に 於て 人道 上 最も 適 當な又 最も 經濟的 使用法で あると 云 

ふ 時代が 來る こと は 明かで ある。 ヲ I バ I ヘッド チヤ ー.、 チ 

の生產 費の 總 高が 賃銀の 緩和と 等しい、 あらゆる 產 業に 於 

て 六 時間 努働制 は 損失す る 事な く 適用 出來 ろので あろ、 然 



^ し 多くの 工場に て はヲバ ー へ ッド チア—.、 チの 形式に 於け る- 

生 產費は 賃銀の 1 一倍 若しくは 夫れ 以上で ある。 之 等 後者の 

場合に 於て は、 若し 原料 品 拉に勞 働 者の 供給が 有效 にされ 

生產 品に 11 要 か ありさへ すれば 六 時間 勞働制 は 多大の 利益 

. を^ら して 直ちに 適用す る ことが 出來 るつ 六 時間 勞働制 は 

婦人 * 少女が 雁 傭せられ て 25 る總 ての 產 業に 最も 緊急に し 

て 必要な 勞働條 件で ある。 旣婚 婦人た ると 未婚 儘 人た ると. 

を 問 はす、 產 業に 從 事せ る 婦人の 大部分 は 父 や 兄弟と は異 

り產業 上の 仕事と I? じく 幾分 かの 家事 をせ ねばなら ぬと 云 

. ふ^を 記憶せ ねばならぬ。 而 して 之 等の 家事の 時? i と 夫れ 

に 依る 疲勞は • t0, 商店, 役所に 於け る 彼等の 仕 に 影 

する 所を考 へ なければ ならぬ。 

1^ 本の 利子、 組合員 及び 支配人の^ 料、 修繕 拉に 更新 費 

00. 諸 稅-收 入 利益の 課稅を 除き) の 如き ヲバ ー へ ッド 

チ ャ I デ の 額が 毎週の 賃銀 額に 略々 等しき 織物 I- 業 や 其の 

他の 工業に 於て は、 一週 四十 八 時間 勞働 を變 じ」 三十 六 時 

間 1 一 交代制なる 七十 1 1 時間に する 時 は、 :if^ 鹿-. れ,: は 略々 次 

の 如き^ 饗 を 及 ほす ので ある。 一週 四十 八 時間 勞働 にて 一 

週 一 千膀 のヲパ I へ ッド チヤ I, チと 一 千碟の 賃銀の 割合で 

一 週 一 千 品目 を 生産し 得る とするとき は、 I 品目の 總生產 

費 は 原料 其 他生 産額に 密接の 閼係 ある 相當の 費用 を 除き 四 



七 志 となる j 若し 靳 くの 扣き 織物 工場 や 其 他の 工場に 於 

て 六 時間 勞働制 を 採用したならば 彼等 は 毎週 交代の 三十 六 

時間 一 一 交代制で 一 週 七十 一 一時間 働き 且つ又 時の 努働功 程が 

增加 せざる ものと し、 (之 は必 すし も增 加せ ざる ものと する 

• 必要なし) 一 週 三十 六 時間に 支拂 はる、 賃銀が 四十 八 時間 

と问樣 なりと する も (之 は. 必すさ 3 せねば ならぬ) 其の 结 

果の 生産額 は 千 五 百 品目と なる: ヲバ I ベ ッド チヤ I、 デに 

對 する 生産費 は餘 りに 影響す る處が 無い- 何故ならば 機械 

は 使用し 盡す 迄で に は 殆どき まって 舊式 となり、 且つ 建 ijpf 

物 機械の 固定 資本 も 前同樣 であれば ヲバ ー へ ッド チヤ—. デ 

は 同じく 一 千碟 である。 然し 賃銀の 額 は 今度 は 1 一千 竊で^ 

る 然し 賃銀の 額 は 今度 は 一 一千 碟 となる 卽ち千 五 百 品目に 付 

き 合計 三千 碟 となり 原料 品 を 除けば び 元との 如く 一 品目 

に 付れ 四十 士 ^ となる ので ある。 

而 しながら 人々 が 過去 拉に 現在の 經驗に 依り 正しき を 511^ 

明した.^ く疲勞 せざる 勞働者 は 六 時間 內に 以前 八 時間に 生. 

產せ しと 同額 を 生産し 得る、 — 此の 事 は 後に 研究すべし 

11 を 想像. するならば、 生産費に 關 する 数字 は 次の 如くな 

り 經濟的 生產に 於て.^ 何に 利益 あるか を. 示す ので ある。 卽 

ち 三十 六 時間 一 一 交代制 一 週 七十 一 一時間に てヲバ ー へ ッドチ 

ャにチ 一 千務 賃銀の 1 一千 務、 合計 三千 竊で 1 一千 品目 を生產 



する 事が 出 來る之 は j 品目に 付き 三十 士心 となり 而 かも 一 

週 四十 八 時間 勞働 制の 生産費に 比 校し 1 一割 五分 减し 得る 

こと、 なって 居る。 之の 經濟は I 方に 於て は 以前 四十 八 時 

間に 封す と 同額の 賃銀が 三 十六 時間に 封して 支拂 はれ、 加 

ふるに 赏與の 方法に 依り 努働 者の 收人を 45? 加せ しめ 夫れ と 

共に 消費者に は 生産 品の 價格を 引下け で 均衡 を 取る とき は 

巧みに 運用す る ことが 出來 る、 か > 'る 故 實際生 產經濟 の 全 

利益 は 先づ第 一 ; i 直接 勞働 者に は 僅少の 勞働 時間で 賃銀と 

賞與 としての 總收入 を.: 加せ しむる、 ) と > なり 第一 一に は 消 

費 者の: iH 產费を 低下す る ことか 出來 乙ので ある." 

资 本家 も 又 之の 生 產經濟 に 依り 利益 を受 くる、 と 云 ふの 

は 生産額の. 坩 加と 資本 運 縛の 迅速 は 其の 配當の 割合 を增加 

なさし むろた めで ある ヲバ I へ ッド チヤ ー., チが 賃銀と して 

努働 者に 支拂 はる. - 生産費の 割合 を 超過す る、 あらゆる 產 

業に 於ても. 其の 收益 はヲバ I ヘッド チヤ |., チ の- %加 額の 

割合に 比例して 多くな ろ、 と 云 ふ jaf は 粗雜な 容易な 計算よ 

りする も w かで あろ また 夫れ と!^ じく ヲバ I へ ッド チヤ 

1.、 チ. か 赁銀 として 支拂 はろ 、 產 費の 割合より 少ない 所の 

產業 にあって は、 ヲ、、 ハ I へ ッド チヤ I. チ. か 僅少 なれば 其れ 

だけ i に對 して 持つ 率に 比例し 生産費に •% 加 を 来たす 事 

は 明かな isf であり、 且つ 遂に 三ト 六^ 問 一 一 交代 一- 週 七十 I 1 



時間 制 を 直ちに 適用す る は 不可能に して 非實行 的で あろ 點 

に 達する 事 も 明白で ある.' 

次に 疲勞 せざる 勞働 者が 一 週 三十 六 時間に 於て 四十 八 時 

間と 同 一 量の 生產 をす る 可能性に 閼 して は、 吾々 は 吾等 驵 

先が 十 時間 努働法 竝に其 他の 成案 討議 中に 於け る議 會の演 

說記 錄を參 照し やうと 思 ふ。 而し てまた 現今に 於て は 多少 

自動 機械に 依 つ て 居る が勞働 者の 每 時の 生産の 增加は 次の 

1 1 個の 方法に 依り 遂行 せられて 居る の だと 云 ふ 事 を 記憶す 

る 必要 か ある。 卽ち第 一 は疲勞 せざる 勞働 者の 能率 增 進に 

侬り 第一 一 は疲勞 せざる 敏捷 勞働者 はより 多くの 機械に 付く 

事 か出來 ると 云 ふこと 之れ である。 此處に 於て 或る人 は 何 

故 四十 八 時間 1 一 交代制で 九十 六 時間 働かぬ の だと 自問す る 

であらう" 吾々 は 此の 答に 封して 一 八 七 四 年 工場 法 修正案 

に關し 下院に て演說 せる ロメイン、 カレン ダ ー 氏の 露國の 

經驗の 引用 を 適用す る 事が 出来る。 彼れ は 『露 國に 於け る- 

勞勸 時間 は 常に 長い、 一 例 を 引けば 勞働者 二 交代に 依り 

1 週 一 コ 一 一 一時間 働か ゼる, 夫れ にも 拘 はらす 猶ほ 一 紡錘 毎 

の 生 產は六 〇 時間 働く 英國の ェ榻の 生産す るより 少し 多い 

に過ぎない」 と 云って 居る。 

(つ >く) (森 恪) 



錢十 FTliR! 二 m 

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室 伏 高 信 著 一 第 十七 版. 



^京 一:: 〈ls^lEi 元 スキ十 町三ノ 一 

振替.— 木 京 四 五 三 . 四 六 ^ 



評 



n ラ) 修正 派 社會主 義 (ilp. 



サン チカ リズム 



「.££>^3.1.5^1,『1^±き.£8へ國家社會主義の起原—社會民主黨と國家社會主義,ー共5£旦言,|曰本の國家社な"主義,|社會主#に^本 

ktt1f2.p\iili.K ノ Jlif 示 f .3 義 主義— デ モク ラシ.' と社會 主義!. 封建主義、 商業. 義、 社會 主義— 政治的 社會 主義と 1- 濟的 民主主義— 

社會 主 主義— 勞働 者と 國 家— 『國家 は 死滅す る』— プ レズ ジ ョ ァの國 家— H ンゲか ス國 家觀の 意義— 『共 宣言 jl と國家 1 ベ ー • へ レ, の 5^ 議ゴ ー ダ會 

議— 力 ゥ-ン キ. - の 主張— マ インク の 會議— 獨立勞 働黨の 決議— ゲ ー ド 派の 態度— ギ レ, ド社會 主義— 國家社 主義と デ モ クラ シ- ! ソ ー シャ レ,. デ 

ベ クン シ ユタ イン— 『マヤ グ ス 主義の 危機』— マ か ク ス 主義の 原則— 唯 物觀— 唯物主義と 唯物史観— マ かクス と 非. 經 

V グス 主義者の 態度— 餘剰價 値說— マ か クス慣 値 論 IH ン ゲレ, スの 解說— 勞働慣 値 —マ ルクス 抽象論 

—マ かク ス.惯値說と餘刹勞働—资本築績說—资本主義と富の分配—恐慌!^^—階級鬪爭說—革命說—『共.1黨宣言』の批評—政治的民主主義—デ モ Y 

ケ ラシ 1 社會 主義と 自由主義— 勞働 者と 祖國— 醫 通選舉 —『共産 黨 宣言 jT 修正 社會 主義と 理想主義— 『力 ン ト に 1?^ れ J-I 『力 ン ト に 還れ J1 の 意義 

,サ ン, チが リズ:, 1 の 起原 1 サ ンヂ がす ズムの 特質—. 『國際 勞働黨 者 協 食』 —ゲ ー ド派— プ レ, せ. '派— — フラ ン ス勞 働?^ J 勤の 狀況 

-勞働 組合の 公認— 『勞勵 招 介 所 聯合』— 『勞 働總 同盟』— C.G.T の赏 力— 總 同盟 罷ェ— サ 45 タ, -デュ 及び: f- ィづ -ソト I ぺ 

ル ゥチ H 1 と勞働 組合と サシゲ 力 リズム— 政治的 社會 主義の 不信用— サン ゲカ リズムと 無政府主義— 實際的 指導者— 理論的 指導者 ——ソ I ノレ,— 

マ レ, ク ス— プ か, 'ドン— 直接行動— サ ンヂカ リズムと 無政府主義—— サン. ナカ" ズ ムと國 家— バ ク, ,1 ン 組^的 無政府主義— 社 愈 主義の 目的 lli 

濟的 聯立 主義! サ ンゲカ リズムと 勞働 組合主義 1 w w ^產業 勞動 組合 及 職業 別勞働 組合 I コ ン クチ ゲヰズ ムとサ ンヂカ リズム —生産者 專 

制ン ギレ ド ぼき £8 へギか ド社會 主義の 起原— 英國勞 働 組合の 歷史— 『新组 合 主義』 I 勞働黨 の 成立— 勞働黨 の 不信用,.— トム 二、 ン— 『サ ンゲカ 

^4 ih-sis ^} ムの波 J, —中央 勞働 大學— ギ ド社余 I 主義の 誕生 1 ギ か ド社會 主義と 國 家社會 主義— 直接 ISK— 國家资 本 主義 

費 者— 産業 民主主義— サ ンデ. リズムと ギヤ ド社會 主義— 生產 者に r つての 较取— ギゃ ド社會 主義 の 目的— 賃銀 制^ 撒廢, I 國家社 食 主義と 

制度—资本主義の精髓—貧乏と奴議制度—產|^11^自治論—サ ンデカ V ズ ム の 立場— 生產 者の 自由 及 消費者の 自由 —產業 統制の 意味 ー ギか ド社會 主 

義と國 家— 勞勤親 合と 國家ノ *Ib&aM コ tfe 化、 勞働組 <1 口の te/ 原— ブ レン タノと ゥ H ゲン, ギ か ドの性質1^^業革ん§と勞働組合—-各國の-》"例1契 

—ギルド 社會 も義の 特質 ) *1^-僮站<~ロ.3義1約の自由.—;^今な主義と勞働钽合主義——ォ,'ゥ H ン 主義— チヤ,' チ スト— 『ナイク. ォゲ 」ゥ オア』 勞 

働 組合主義と 社會 主義との ts- 離— 一 八 五 二 年の 職業^ 組合主義— 勞働組 < 主義の 定義 I. 國 家社會 主義 的勞動 組合主義— 職業 別 組合主義の 性質 —- 

1 八 八 九 年 新 組合主義の 性質— H 現代の 新 組合 主ン ぉレ \u プキ JVE 妻へ 口 シ ァ瓧會 5^ 動史 ー お ャ シゲ キキの 起原-! プ レ ファノ 7 とレ ー n 

義— 産業別組合 主義の 勃興-— その 性質 —その 現勢 j 汁=^ ミ H ゥ. tt-wr+fls 1ン—三月革.^5と九月革ん叩—『人51ロ ッ スの 書物— 妥 的 態度—^ 

^ V H ゲヰキ の 本質— 勞兵會 憲法— ト ロッキ I の! 15 かシ H ゲヰキ 論— レ.' 二 ンの 所論— 勞働 階级と 執政 權, I 『共 產黨 宣言 i- とおか シ H ゲヰキ I- 手 

段と 本質— マ や ク ス 主義と が レ, シ H ゲキキ —が ^ シ H ゲキキ と 無 政 殳守!!.! 蹇へ 無政府主義の 起原— ま會 主義と 無 政, 时 主義— #勖 派と 平和^ 

符 主義——^ かシ H ゲヰキ と サン デカ リズ ヤシ H ゥヰキ と國家 j-wlsttttli^ ^—モ スト,' マ.^ クスと バグ. 1 一一 ン— クロ 4- ト キン の 定義, I 個 

人主義的無政府主義—第^^的無^府主義の性質_—鬩體主義と灌カ1グ n WW トキ シの 無政府主義 謐 1 相互扶助と 共產 主義 —自, .2 なろ 共產 主義— 政 

府と 所有 —共産主義と 無 政」 む. H,〉 教— スチネ 4 の. 無政府 ホ; 義— 個人主義と 無 政 脚 主義 



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盍送 金ば 可成 振替 ▲ 外國行 郵^ 十錢 



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大正 九 年 七月 一 n 發 ! 汀 一 

^京 市 京 twMl 元ス キヤ 町三ノ S 地 一 

S ョ 尾 崎士郞 一 

^SHO-市小石川區久堅町百八^地 

^ m 所 S 博 文 館 印刷所 一 

iB- 京 市 京 橋 區元ス キヤ 町三ノ 一 番地- 

? 批 評 社; 

振替 束 京 四 五三 四 六 

電話^!座 一 三 七四番 一 



盍祌 田 

▲ 京 橋 

▲ 日本 橋 



上田 屋 11 

北隆節 11 

▲ 本鄕 盛 堂 




マ ルクス 派社會 主義 は哩 想を缺 いたが ために 最早 や 感激の 

力 を 失った J 新 社會の 建設と その 哲學と は ギルド • マ ンの創 

造的ォ 能に 殘さ れてゐ る,, ー 著者 はかう した 考へ の もとに 

ギルド 社會 主義の 研究に 志した" その 研究の 結果 はこ \ に 

「ギルド 社會 主義」 となった。 全部 四卷 から、 そして ポイント 

組 一 千餘 頁から 成る。 第 一 卷は旣 に 市に 出た- その 第一 一、 三、 

四 卷も續 々出る であらう。 皆な 著者 努力の 結晶で ある; 



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俸給生活者 勞働 組合 論 一 



Z0 1 篇 は ギ少ヅ マンの 立 5» から i8t 給 生活 者の 勞働 組合主義に 

ついて 書かれた る n»r ド、 ス カウラ ァ兩 氏の 新著 『書^ 勞働組 

合 主義」 (Lloyd and Scouller, T2& uaionii) の大 

L< ^もので もる o (室 伏 高 信) 

I クラ ー ク, と 勞働者 

クラ ー ク (書記 または 事務員) の 今? a の狀 態に ついて 考へ 

ろ 時に Is 者 か 面すろ 最初の 問題 は 多くの クラ I クが答 辯 

に 困難 を感 する であらう と 思 はれる 問題で ある T クラ ー ク 

は勞働 者で あるかと いふ 時に われ 等 は勞働 者と は 體カ勞 働 

者の 意味で いふので ある。 經濟舉 者と 攻治 理論家 は 一 般に 

疑 もな く輕蔑 的な 斷 言で これ を 斥ける ので あろ。 しかし 賃 

銀 制度 その他に ついっての 最近の 快定. によって 判斷 する に 

攻府 の官衙 では 全く 彼等に j 致す るよう に 見えない。 そし 

てあら ゆろ 種類の 事務所 勞働 者と 親密な 接近に 入って ゐる 

われ 等 は 少し 別の 考 へ で この 問 超 を 取扱 ふ考 へ である。 



われ 等 は 最初に 自由 敎 育の 採用され るに 至る まで は * 諼 

み 且つ 書く ことの 能力 は、 社會の 比較的小 部分に 限られて 

ゐ たこと を 記憶し くて はならない。 その 結果と して クラ I 

クは 人員 不足で- 非常に 尊敬され い そして 立派な 待, 遇 をう 

けて るた。 過去 五、 六十 年の 間に 變化は 非 《£ な もので あつ 

た。 前き の 1 人の 有力な クラ." クに對 して 今日で は 數十人 

も あろし、 そして<^^-際の事寳としてこの國に殆んど百禹人 

の クラ I クが 存在す る。 このうへ に. 種々 な實業 # 問學 校が 

各週 侮に * 野心 を もった、 速記と タ 4 ブライ タァの 少しで 

きる、 簿記に ついて 間違った 觀 念と 國詰 並に その 使 ffl につ 

いて 舊 式な 思想 を もって ゐる數 打の 青年 を 吐き 出して ゐ 

る。 人々 は大低 これ 等の 志願者 か、 恐らく 商業 上の 偕 子 ー 

I それ は 彼れ にと つて 屡々 踏車で ある こと を證據 立てる! 

11 の 段^ を 上る ために 滑稽に 不適 常な 俸給 を 受取る こと 

を 承諾す るが ゆえに. 伎 持ちの 息子で あると 推測す るで あら 

う。 この クラ.. -クの 供給 增加は 現存の 標準 を 引下け る 効果 



f を もった Q 近 ^^状^ はまた! i 人の 多数が 產 紫に 參加 する 

- - ことの 結果と な^、 そして クラ ー. クの 仕事 は^ 等の 多數に 

とって は それの aSS も 誘惑 的な 門戸で あると w、u はれて るる、 

人々 はこの 入來を 歡迎す もと 嫌惡 するとに か. - わらす、 そ 

れが 男子の 多數の 流入よりも クラ ー クの 狀能吖 により 以上の 

惡 結果 を 及 ほした こと を 承認し なくて はならない。 何故で 

あら、 フか? 普通の 議論 は、 凡ての 男子 は遲 かれ 早 かれ 家族 

を 支へ る亊の 責任 ある ことの 合理的な 期待 を もつ に對 し、 

は それ を も, U ない とい ふに ある。 この 事實を 利用して 多 

くの 雇主お 男子よりも 以下に 婦人に 支 拂ふ。 その 結果 は 失 

業の 男子 クラ ー クは 彼等の 從屬 者と 彼等 自身と がた y 生存 

する ために 婦人の 賃銀と されて ゐる もの を 自暴自棄で 受取 

る こと を餘 儀な くされる。 かくして 人々 は 何故に 普通の ク 

ラ ー クの 生活 標準が 過去 數十 年の 間にし かく 决定 的に 引下 

けられて きた かの 理由 を 了解す る ことので きる 點が ある a 

この 低落 は、 その 標準が 同一 時代 中に ある 種の 場合に は 事 

賓上僅 小の 改善に 遭遇した 體カ勞 働 者と 略々 同 一 程度に 明 

白で はない。 この クラ I クと體 カ勞働 者との 間にお ける 關 

係 的 地位の 漸次 的の 變 化 は 主として 後者が 有力なる 勞働組 

合に糾^2されてゐることの事1|11に《2ふものでぁることは半 



窗的 クラ I ク でさへ 否認 はしないで あらう. - しかし この 二 

と を もってしても クラ ー クが、 產業 上の 事柄に おける 彼れ 

の弱點 とそして それ を 救 治す る 方: 法と を 知る に 充分で はな 

い。 クラ I クは 事物 を 別の 方法で 考 へる。 過去 は 依然と し 

て 彼れ の 面前に それの 美しい 外被 を曳 ひて るる。 そして 彼 

れは、 給料日に は その 俸給が か- -る 精神的 價臉に 逆比例な 

示す こと を 哀れに も 認める のを餘 儀な くされて るるに も か 

、わらす、 も 一 度王樣 のうよ に澗 歩す る & ンゲ フエ 口 ゥのー 

奴隸 のように、 彼れ 自身 を 想像す る 傾向 を もってる ろ。 わ 

れ等 をして この こと を 悉く 吟味せ しめよ — われ 等の 氣分 

が 許す かぎり 同情 的に。 

1 1 クラ ー ク 組合 反對論 につ 

いて 

普通の クラ ー クは 論す る、 彼れ はブ 口 フェツ シ a, ン (學藝 

的 職業) であるが トレ —ド (職業) でない、 彼れ は病氣 または 

休日で 休業の 時で も 俸給 を 受取る が 故に 彼れ は 他の 勞働^ 

のよ、 フに覃 なる 動產 ではない、 彼れ は 莨 際に 重役 室と H 場 

との 間にお けろ 媒介 者で あり、 そして 最後に、 彼れ は 體 カ勞 



働 者が 脂 だらけの 稳ぃ 着物で 出て くろのと は 達って 殆ど 

「監督』 のよう な 立派な 服装で 彼れ の 仕事に くる こと を 許さ 

れてゐ ろと。 r 力 働 組合主義と 產業史 と を 學んだ S£ 力 勞働者 

は氣性 次第で、 これ を 冷笑す ろか または 全然 吮咀 すろ であ 

らう。 しかし われ 等 はもつ と 寛大に する 覺 悟で ある。 

クラ I クの 仕事が ト レ I ド とは區 別され たブ 口 フェツ シ 

ョ ン であろ とする 最初の 點は 議論の 餘 地が あるよう に 見え 

る。 しかし 議論す ろ 事 は 1 1* 見當遠 ひで あるが ゆえに われ 

等 は それ を 論す る考, へ はない。 クラ ー クの 議論が 正しい も 

のと 暫 らく 假定 しても、 彼れば 祖 截に對 する 反 對論を 述べ 

てゐ るので はない。 法律家と 醫颌 とはブ 口 フェツ シ ョナル 

な 人で あるが 尙ほ 彼等 はこの 國 にお:^ て 恐らく 最も 有力な 

勞働 組合 を もって ゐ る。 デ モッセ ネスの 雄 辯と nl クの馎 

とは獨 立で は その 持主 をして 辯 論す る 事 をえ せしめない 

であらう 。何とな れぱ 護士 組合 は 『ディリ Itl シ ョ ン』 に 

ついて 強硬な 意見 を 以てる るか, ら である。 英 國醫師 組合 は 

1^ 樣に その 會員の 人會と 行動と について は 注意 深く、 そし 

て ブラック レ ッグ (潜り) について は最ん 破な 反對 をす る 

畢校 敎師 は、 々や 强 固な 紐 合 を もち、 製^家 もそう である 

. にこの 1 1 組合 は勞 srsi の ごとき 勞働^ 體に參 加す る 支 



部 を もって ゐ ろ。 そして 製 S1 家 は 勞働組 合議 會に加 は て 

ゐる。 また 最後に 若.,^ 働 組合 被 蒲 者の 利 を 求める ごと 

くに、 廣 主が 彼等の 利 ん 求めない と^れば どうして 底 主 

圍體が 存在す るで あらう か?. これ 等の 組織され た 人々 1 

I 法律家、 醫師、 敎師、 製 圖 冢 及び 雇主 1! は 原 W として 

クラ ー ク よりも 高き 地位で あると 見られて ゐる。 そこで 確 

實に クラ ー クは 彼れ 等の 『學藝 的 職業 主義』 を 組合 反對 il 

として 主張す る こと を持續 する こと はでき ない。 第一 一の 謹 

論 は 週給 賃銀 または 時間給 貨 銀と 區 別され た 年俸が ク ラ. I 

クを體 カ勞働 者よりも 高き 階級に 置く よ ラに思 はれる 限り 

多少の 根據を もって ゐる。 しかし" てれ は 彼れ を 組 IS された 

聲藝的 職人 以上に 匿く もので はない。 更に この クラ ー クの 

僅 小の 利益が、 i 險條例 JS 近時の 立: w』 や、 または 『今 

日 節約す る ことの 急切た 要』 とい ふよ うな 英然 U る槪念 

を 基礎と する つまらぬ 口 ® のために 雇主に よって クラ ー ク 

から 次第に {It ひ とられて ゐ る。 われ 等な クラ. I クに その 病 

氣缺 席の 時に 俸へ を拂 はない 多くの 商會 存在す る こと を 

知り、 そし その 數の增 加すべき こと を 恐れて ゐ *,0。 また 體 

カ勞働 者の 間に、 曰に 赁銀 を與 へれなくて は、 それ は 休 

日でなくて 『鎮め 出し』 であると いふ 理 山で、 元ての 休日 



にも jSy 銀 を isg ふべき ものであると いふ 要求が 高まりつ、 

ある? か-" る支拂 ひに 對 する 彼等の 權利は 彼等の 組合の 間 

に その 採用 を强 制する に 足ろ だけの 強大な 意見 を もつ に 至 

, る とともに 承認せられ るで あらう。 この ことが 完成され た 

時に、 そして クラ ー クに對 する 病中の 支 拂が; ^むだ 時に、 

クラ ー クと罎 カ勞働 者との 間に どの 點に區 別が あるで あら 

うか? 現在に おいて は 普通の^ 練 勞働者 は 普通の クラ ー 

ク よりも 少 くと も十パ ァセ ン ト餘 分に 支給され てゐる こと 

を 確言す る ことができる。 それからして、 クラ ー クが 休日 

にも 受取って ゐ る:^ は、 た 5- 据 置支拂 ひに 過ぎない こと 

が 分る であらう。 一度 體カ勞 働 者が 休日 袷 をう くると、 彼 

等 は クラ ー クに 比して 今日よりも 1 暦 利益 ある 地位に. ある 

であらう。 何と なれば 彼等 は それが 週給の 低落と なること 

を妨 ける に 充分なる. 組織 を もって ゐ るからで ある。 彼れ の 

f 番に 尤もらしい、 この 議論に おいてさへ、 クラ ー ク? i 組 

織に 14 對 すべき 立場 ももた な. い。 第三 第 四の 反對論 は 一 所 

に 取扱って もい- "であらう。 そして 展主か クラ-' クに 信用 

を 許る してる もとい ふこと は. た^ 彼等の 仕事の 商業 的 方面 

であり、 また 勞働 者に 用命 を傳 へる (これ か 媒介の 眞の意 

味で あち) とい ふこと に關 して は 11 これ は舉 藝的識 人の 



Jtt 事で はな くんて た J-^Ji 倭 または^ 仕の 仕事で あろ こと を 

指摘して 片付ける 事が できる。 クラ ー クは 嵌して 實 業の專 

問 的 方面に ついては 殆んど 知識 を もって ゐ ない。 體カ勞 働 

者よ- 『祌』 の 信用 をう け、 そして 指圖は クラ トクに よってに 

はなしに、 細工 臺 または 機械から とられた 職 1 長に よって 

行 はれる。 自薦の 優越性 は 勿論 クラ ー ク にだけ 限られて ゐ 

るので はない。 それ は勞働 者の 各階 級の 差 出か ましい 人達 

の 間で は 普通の ことで あり、 そして 時々 面白い ことで ある 

1 寸 以前に、 ある 地方 新聞に クラ ー クの狀 態に ついての 通 

信が 載った ことがある。 その 通信のう ちで、 他よ め も 性急 

な 男が クラ ー クは體 カ勞働 者の クラフト *ュ 二 ォ ン (熟練 勞 

働 者 組合) に 加入すべき である こと を 提唱した。 ところが 

高慢な 勞働 者が 輕 蔑し て クラ ー ク は 不熟練 勞働 者で あるか 

ら 彼等 はた r 『勞働 者全國 合同 組合』 のよう な 人足 卽ち不 

熱 練勞働 者の 組合に 加 人す る ことが 許される に過ぎないの 

だと 答へ た。 われ 等 か 遭遇して るる 後の 反對論 1 . そ は 

主として 裁縫 所 または 洗濯 所に おける 體カ勞 働 者の エネ ル 

ギィの 問 11 である. ! は眞 面目に 論す るに は あまりに 哀れ 

である。 そして われ 等 は そ はた r 「ギッシング によって ィ 

グノ ー ブ リイ、 デ セント J (不 名卷な 上品) と 俗 印され た 階 



极 または もっと 一般に 「落 ぶれ. J として 知られて ゐ る階极 

に范 遇して ゐ るの だとい ふこと を 窖んで 承諾す る。 悲哀と 

これ 等の 潔白な 衣食 不充分の 愚 純との 混合して ゐる こと は、 

彼等の 仲 間 か醫 者の ほかに は 誰れ も 知らない! それが 心 

の 健全な ろ 凡ての 人に 侮辱で ない とすれば 彼等の 外面の 衣 

服の 狀態 によって、 これ 等の 人々 の 位 は、 非常に^ 稽で 

あら、 rso 

われ 等-か 旣に 示した とほり、 われ 等 は クラ ー クを 他の 

勞働者 を 見ろ と 全然 同 一 に考 へる。 そして われ 等の 胃 頭の 

問 超に 對 して 充分の 货定 によ つて 答へ る, 〕 と を 晴^しな い 

ので ある。 更に それが クラ I ク または 『熱 練』 勞 働^に とつ 

て 不面目で あるに せよ、 彼等 は 謂 ふところの 『不 執": 練』 勞 

働 者の 援助な くして は 彼等 は產業 または 勞務を 運 ¥ る こ 

とので きない こと を 承認し なくて はならない。 この 點 にお 

いて、 他の ものに おいて は 鬼 も 角、 神の^に おいて は 凡て 

1^ 等で ある。 眞に. 重! §x な點 は、 彼等 かみな 同一 標準、 然り 

それ 自身に 非人間的 であり 非 fFJi!;- 的で ある 標準に よって 定 

めら れた 報酬 をと つて ゐる とい ふこと である。 これが 謂 ふ 

ところの 霈耍 供給の r 法^」 であろ。 この 法^の 假定的 適 

B によって、 例へば 綿 または 石炭 は、 供給 か 多い 時には 安 



惯 であり, , 供給が 惡ら ifeLi は joil^ でめろ, 全く ot^ な 力 

法で クラ I ク または 瞪カ勞 働 者の 惜格 (それ を 賃銀 ま; 一は 

俸給と 稱 する) が 決定され る。 卽ち 若し 一 つの it 職に 對し 

て 1 一人の 志望者が あると すれば 二つの 仕事の 撰 擇に對 する 

一人の 場合よりも. & 込まれる 赁銀 はより 低廉で ある。 この 

法!; は勞 働に おいての 人 問 性 を 全然 無視す ろ。 クラ ー クは 

他の 貨物と 同樣に 購買 せらる ベ き 商品で ある。 最後に や.^ 

しもつ と 立 入って 論 すれば、 多数の クラ 1" クは髏 力 勞働化 や 

階級の 家 庭 から 出て- -ゐろ ことが 事 富で あり, そして 何れ 

かの 大勞働 組合に 屬 して ゐる 親族 を もって ゐる ことが 事實 

である。 クラ ー クの 孤立 を 止し、 そして これ 等の 家庭 か 

最早 ゃ產 業の 爭議が 起った 時に 自ら 分裂して はならない と 

いふ こと を 主張す る ことが 不合理な こと または 不德な こと 

であら か? 實に戰 時に おける 經驗は 凡ての 思慮 ある 勞働 

者の 學ん だと ころで ある。 これ 等の 敎訓の 第一 はた C 古る 

ひ 通り言葉、 『組合 は 力で あろ』 とい ふこと である 



クラ I クは 最近に 多少 光榮 あろ 孤立の 地位に 分離し 一 -ゐ 

る ことの &を 悟り、 そして 組 接に 封す る W 意の^ 候 を 示し 



一 つ >- ある 二と を 知る たけで 充分で ある 。赏に 今日で は 多数 

の クラ ー クが 各種の 努働 組合の 會員 である。 われ 等 は旣に 

クラ 1- ク とその 雇主との 闞 係に 觸れ た。 そして 更に. ui- 附 

け 加へ べき こと は、 如何な ろ勞働 組合 も、 クラ ー ク がその 

雇 はれて るる 商館に おける 彼れ の 地位から しても つて ゐる 

商業. 上の 秘密 を 漏洩す & こと を 期待し いで あらう (われ 

. 等の 知って ゐも範 園で はしない) とい ふこと である。 職業 

• 的 體儀は 彼れ の 同僚 勞働 者との 交際に おいて 嚴 格に 主張 さ 

れ べきで ある。 しかし彼れが彼れの展主に對するsls^^しづ 

て 働く ものと 期待され とい ふこと は 彼れ 自身の 德該 に歸す 

べき ことで ある。 この 規律の 違 奉に 從ふ時 は、 如何なる 雇 . 

主と 雖も 彼れ の 幕僚が 組合 を 組織 せんとす る 希望に 反對す 

べき, 何等の 理由 もない。 雇主 階級の 間にお ける ある 改革 反 

對者 (die hards), 並に 未成 カイゼル は 疑 もな く戰を 希告す 

るで あらう。 しかし 他の 勞働^ は. 旣に產 業 的 自由の 第 一 戰 

を戰 ひ、 そして勝った<^ラークも支配人の箪め顔を見込ん 

で 恐怖す るに は 及ばない ので ある。 

三 クラ ー クの 間にお ける 勞 

、 働 組合主義 



われ 等 は クラ.. -ク 勞働 組合 の の增加 を 喜ぶ もの であ 

るが, しかし われ 等 は それが 在 以上に 出で なかつ ねこと 

に大 なる 失望 を白狀 する ものである。 何と なれば われ 等 は 

われ 等の 經驗 から ソ "ダリ テ 及び 共同 的 精神が 他の 階級に 

おける と 同じく クラ ー ク 及び 管理 的勞働 の 間に 非常に 發 

達した こと を 知って ゐ るからで ある。 われ 等 は 何故に 組合 

員の 增 加が 精神の 擴大と 一 致 を 保た なかつ たかを 自問した 

われ 等の 信す る 一 つの 理由 は單に 彼等が 現存の どの 組合に 

加 はるべき か、 または 全く 新ら しい 他の 組合 を 組 熾すべき 

か を S らな いとい ふこと である。 クラ.. -クは 各種の 產 業の 

1 しく は勞 務に從 事して ゐる。 そして こ. -に 彼等の 入會を 

許容す る 1 1^ 有力な 組合 を 指名す る は 無 ffl な ことで はない 

であらう 、われ 等 は スコット ラン ド* クラ ー ク協會 のよ、 フな 

用心深い 園 體を考 へる 必要 はない。 何と なれば 彼等 は、 彼 

等と して は 充分 有 i ぬで あらう が、 不思議な ほどに 制限され 

た 會員を もって ゐろ單 なる 共濟會 であるに 過ぎない からで 

ある。 また われ 等 は全國 合同 勞働者 組合の ような、 または 

主として 半 §w 練 或は 不熟練 勞働 者に 備へ、 そして クラ ー ク 

をた^ 附馬 として 許容す る 凡ての 他の 組合の ごとき 純お な 

勞働 組合に 停帶 して はるない であらう。 今日 この 國 におけ 



る 組合の 二つの 主要な 樣式は クラフト *ュ ュォ ン と 産業 的 

組 4n とで あり、 そして クラ ー クが考 へなくて はならない の 

はこの 種の 組合で ある。 

、. 敏道 クラ ー ク協會 は 特定 産業 C における 古る く 且つ 立派 

に 設立され てるる 職 匠と しての クラ ー クの 組合で ある。 そ 

. して <fr 日で は 凡そ 八 iC 五 千の 會員を もって ゐ る。 店員, 倉 

庫 業者 及 ひ クラ !• ク全國 合同 組合 は その 名の 示す がごと く 

分配 的 職 まに 限られ、 そして 立派に 産業 的 組合と して 見る 

ことができ るので ある。 

それの 純 粹に分 的產 業に 從事 する クラ ー クを組 せん 

とする 要求 は、 他の クラ I ク勞働 組合に よって 承認せられ 

そして これにつ いての 唯一 つの 解決 を 要すろ 問 超 は 等しく 

生産^で あり、 そして 會計員 を 雇って ゐろ 大分 配 的 商館に 

おけろ 境界線で あるよ 5 に 見える。 郵便 事務 クラ I クは立 

彼に 組織され、 そして やがて 彼等の た ,¥に 各種の 圍體 やそ 

の 他の 郵便 勞働 者が 合同され て 非常に 有力なる 產業的 組合 

を 組織す るで あらう。 その他の 官廳 吏員の 部 s;: においても 

園體は 存在す るが それ 等 は 殆んど 真の 勞働 組合で はなく、 

今日まで 彼等 は 彼等の 會員の 待遇に 何等の 重要な 改善 を も 

T_ 起させる こと はでき ない。 同じ ことが 地方 宫 吏 全 國協會 に 



ついても いふ ことができよ ラ。 そ は 約 三 萬の 會員を もって 

ゐ るが 今日まで は 主として その 會 員の 老朽 淘汰の 計 割を遂 

行す る ことに 掌 はって きた。 そ は勞働 組合で はなく、 そし 

て 一九 1 九 年の ネ ワイト サン タイ ド の會議 において そは勞 

働 組合と なるべし とすろ 動議 を 否決した。 都市 雇人 協會は 

會員 として 多数の 地方自治 體の クラ...' クを もって ゐ る。 し 

かし 主として 半 熱 練 及び 不熟練 S3 カ勞働 者から 成立して ゐ 

る。 消費 組合 運動に おいて は 1 八 九 一 年 消費 組合 厘 人 合同 

組合と して 知らる る 圍體が 組織され た e それに は 凡ての 種 

類の 勞働 者が 加入 を 許され、 唯 1 つの 制限 は 消費 組合の 雇 

人で あると いふ ことで ある。 そ は 產業的 胡 合で あると いふ 

基礎のう へに 立って 消費 組合 運動に 從事 する 全勞働 者に 

それの 主張 を 置いて ゐる。 しかし 消費 組合 運動 か生產 的と 

分配 的の 多數の 別個の 產 業に、 そして 充分で なく、 互って る 

る 限り、 この こと は 重大に 考 へる こと はでき ない。 同一 產 

業に おいて 消費 組合の 雇人 を 他 雇人から 分離 1- る こと は勞 

働 組合 運動に おいて は 受け入れら るべき ことで はなく、 そ 

し て 、 J の 組合の 勞働 組合 議會 からの 脫返を 導く に 至 つ た。 

それの^ 退の 後に、 fss 組合 厘 人 合同 組 4a. は 一益 際に モの階 

殺 を勞働 者に 開放し、 何ものに よって M 備 される を 問ね な 



I いこと となり、 その 名 を 消費 組 4" 及び 商業 厘 人並に 類似 勞 

I 働 者 合同 組合に 變更 した。 しかし 一 九 一 八 年 十一 一月 三十 一 

日の 報告に 從 へば 消費 組合 以外の 會員は 僅に 五 千 三百 七十 

五 人で 而 かも その 全部が クラ ー ク でない から それの 最初の 

制限の 範圍 以外の 點 について 注意 を拂 ふこと はわれ 等の 目 

的 ことって 必要な ことでば な. い。 店員 組合と 全國倉 庫勞衝 

組合との 合同 eLB 的 を もって 今日 進行し つ A あろ 交渉 は 消 

费 組合 藤 人 合同 組合が それの 産業 的 組合と して 考 へらる ベ 

き 要求の 受取りが たきもの であろ こと を 承認した こと を 示 

す ものである。 そして 交渉の 結果 は 分配 的勞務 においての 

有力な 結合と なる であらう。 躕業 において は屢々 クラ ー ク 

のた めの 各種の 協 書か 生れた。 しかし 彼等の 常に 短命な 且 

つ 不名鏖 な 經歷は 一 九 1 七 年に スコット ラン ド で 設立 さ-^ 

ヒ スコット ラン ド 炭坑 ク ラ ー ク 協 會の幸 ひな 前兆 をな すに 

は 至って ゐ ない。 それの 會員 は多數 ではなく、 また 公認 さ 

れた 組合で はない。 尙 ほこの ほかに 法律、 船舶、 または 銀 

行 等の ごとき 各種の 事務に おける 從 順な 協會 または 所謂 ク 

ラ ーク* ギルドなる.., のが 存在, する しかし 凡て.^ はない に 

しても これ 等 は クラ ー ク 組合と して 眞 面目に 考 へる ほどに 

强 固な もの は殆ん どない。 



これ 等の 部分的 及 ひ 1 般的勞 働圑體 のう へ に 純粹の ク ラ 

フト圑 としての 全國 クラ ~ ク 組合が あり * そ は 急速に 發達 

して 一 九 一 九 年 六月に 會員. !;. 萬 を 有って ゐろ。 この 圑體は 

鐵道 及び 分配 的產業 並に 吏員の 公認 組合に 明示的 または^ 

默 的の 約定に よって 指示され てゐ るよ ぐ-外の あら ゆろ 種類 

の クラ {ク 及び 管理 的勞働 者に 備 へて ゐる。 反 對を排 して 

そ は その 會員 並に クラ ー ク全體 のために 多くの 正しき 仕事 

を爲 しとけ た。 それの 主要な 弱點と 今日まで 普通の クラ I 

クに對 する 訴へ の 欠乏 は、 待遇の 非常に 相違して ゐる、 殆ん 

ど 凡ての 職業、 産業 及び 勞務 における クラ ー クを 包含して 

%0 ろ その 會 員の 聚合 物的 性質であった。 そ は數年 前に この 

缺點を 承認し、 その 內 部に 公然 産業 的 または 勞 務の區 別に 

從 つての クラ ー クの ギルドの 制度 を もって 救 治しようと 企 

てた。 しかし これ 等の 成功 は 二つの 要因に よって 非常に 制 

限され た。 1 つ は、 クラ ー ク は相當 ギルドの 會員 である 前 

に 地方 支部の 會員 でなければ ならな つたこと である。 第二 

にこの ギルドの ある もの は 便宜と いふ ことのほかに は 何等 

確 手た る 基礎 を もって 組織され てるない ょラに 見えた。 例 

へば、 われ 等 は全國 クラ ー ク 組合が 消費 組合 雇人 組合に お 

、ヒ 非難した 誤り を 繰返しつ,. "ある こと を 示して るふと 見 



ら る-消費 組合 クラ |ミ ギルド を發 見す る。 第 一 の缺點 

は豫 期された とほり の. 結果 を も i.1 もした。 卽ち 望み あろ 會 

員が 何故に 同時に 一 組合の 二つの 部分の 會 員で なけれ ばな 

ら ないか を 問 ひ 合せる の勞 をと る 事 を 避けた。 ギルドが 赏 

際 一 レブ 口 パ ガ ン ダ の ヰ 心と I て も、 または この 組合が ギ ル 

ドを 設ける 時に 考 へた 目的であった 特定 產業 または 勞務に 

おける クラ一 クの 意見の 表明の 媒介と しても ともに 實 際に 

成功であった とい ふこと は 正直に いふ こと はでき ない。 そ 

れ にも かく わらす、 われ 等 は r 部分的』 組織の 思想が 一般的 

または クラ フト圑 の、 フら にあって 善き 思想で あると 信す る 

また 後に この 問 超に 立歸 るで あらう。 全國 クラ I ク 組合の 

1 &の 完全な 成功 を妨 けた 第一 一 の 要因 は 不幸に して その 經 

管 基金と して iH3 穣 される こと を 許されて ゐ たもの の 不定で 

あつた。 多くの 潜 力 ある 會 員が 疑惑 を もって これ を 見た。 

そして そ は 普通の 赏務 能力の 欠乏 を 示す ものである こと を 

恐れる ように 見えろ 0. われ 等 は 更に クラ ー クの 間に 全国 ダ 

ラ I ク 組合が 產業問 超に よりも 政, 治 問 超に より 多く 關與し 

たとい ふ 思想の 存在す るの を 知った。 この 組合が 他の 勞働 

圍體の 多くと ともに 願 はしい 程度 以上に 攻 治に 貢献した こ 

と は事實 であるが、 われ 等 はこの 救 治 は その 會員の 拿 中に 



ある こと を 指摘す る。 若し 會 員が 組合の 如何なる 意 で..^ 

まない とすれば 彼等 は 集 曾に 出席し、 そして 彼等 自身の 

意見 を 表明すべき である。 そ は 民主的 圍體 であり、 そして 

それの 事件に 興味 を 有する 人々 によって 支配され てゐ る。 

攻治的 基金 醵出の 點 において は、 組合に よっての 政治的 行 

動に 反對 する 會員に 利用 せらる ベ き 免除 をうる の 全く 簡單 

な 方法が 存在す ろので ある。 また 男女の 柯 人に よって 爲さ 

れるを 問 はす 同樣の 仕事に 對 して は 平等の 支拂 をな すべ し 

とする 組合の 主張に 對し 若干の クラ ー クが屢 々反對 する こ 

とが ある。 しかし 政治的 行動に 對 する 攻 紫と 同じく この 攻 

擊 もまた 問題 を 研究す るの 勞を とらない 人達に よって 起さ 

れる のが 常で ある。 われ 等 は旣に 婦人の 『浸入』 によって ク 

ラ ー クの 標準の 低下す る ことの 危險 に說き 及んだ。 そして 

われ 等 は 組合の これに 對 する 唯 一 つの 道が 男女 をと もに 組 

し、 そして 雇主が 彼れ の 厘 人の 性に ついては 阁藝術 また 

は フット *ボー ル について 考を もつ 以上に 閱與 しない こと 

を 主張す る 組合の 意見と 一 致す る もので あろ.、、 市民と して 

男子 は產 業に 對 する 婦人の 流入に Si して 議論が あるで あら 

う、 しかし 賃 §^ または 俸給 勞働 者と しての 彼等の 唯一 〔正 

當 な 不平 は それが 現在の 報酬の 標準な 脅かす. V いふ 點 であ 



る。 これに 對 して は、 救 治 は 彼等の 掌中に ある。 一 

われ 等 は 今や クラ. f ク のために 用 された 圑體の 各種の 

樣式を 示した。 勞働 組合で ない ものに ついては 關與 しな か 

つた。 そして 消費 組合 雇人 合同 組合 並に 『一般的 勞働 組合』 一 

について はわれ 等 は それが 絶望的の ものであると 見た。 何- 

と なれば クラ ー クが 若し ク. ラ ー ク として または 特定 產 業に 

おけろ 勞働 者と して 組 熾される ことができな いとすれ ぱ彼ー 

等が 『 一 般的勞 働 者』 として 組織され る こと はあり えられ , 

な. いと 思 はれる からで ある。 階級 的 自覺に 富む ネオ • マ ルク: 

ス派は 勝手に これ を 嘲笑す るか も 知れない。 I かし 『無産 一 

階 极の絞 取 者』 に 反 封す る または 『世界の 勞働 者』 の 結合 

する こと を 高調す る 經濟的 熟語の 蝶 舌に よつ て 嘲弄され な 一 

ぃ事資 である。 

. . 一 

四 クラフト £產 業 ^ 

截道 クラ.. -ク または 純粹 官公吏 を 別にして は全國 クラ >• 

ク 組合 は 支持す るの 1^ 値 ある 唯 1 の クラフト • ュ 一一 ォ ンで一 

あるよう に、. 思 はれる。 最近に、 主として 產業 線のう へに, 

立つ. K 組合 li /トツ ク勞慟 者, 坑夫、 鐧鐵勞 働 者の ごとき 一 

^ I クラ, ー ク を祖截 する ことの 希望 を 表明して きた。 そ 一 



して 前 1 1 者 は全國 クラ一 ク組 <113の 抗議の 面前に おいて 

に その 試み もな した。 世界 大戰 中数 種の クラフト • ュ -ーォ 

ンの 聯合に よって 成立す ろに 至つ;;.! 鐵、 鐧鐵 同盟 は、 この 

國に おける 最も 强大な 職工 等 圑體の 一 つで ある C それとの 

協約に よって 全國 クラ ー ク 組合 はこの 產業內 における クラ 

1 クに對 して 責任 を 負 ふて ゐ る。 これに 對 して 一 定の 財政 

上の 取 極めが なされ Hfe る。 それの 詳細 はこ- -に說 明す る 

必要 はないで あら 、フ。 注意す ベ き 主要な 點 はこの 組合の 最 

も强 固な のが この 産業 內 において r ある ことで ある (一部 

は 同盟から うくる 組織的 援助の 結果で ある)。 そして 第二 

に 同盟の 5i 法の 條 頂のう ちに は 一 定時の 満期に おいて はこ 

れ 等の クラ- 1 クが 現存 協約の 機 續 を 希望す るか 否か または 

彼等が 同盟の 普通の 會 員と なること を 欲する か 否か を 自ら 

決定す ことの 規定が 設けられて ゐ ろ。 後者の 點は 投票に よ. 

つて クラ ー クの 間に クラフト • ュニォ 一一 ズ ム に反對 しての 

產業 的の 思想の 發 達して ゐる ことが 示されて ゐる ゆえに • 

$ に 興味 あ る ことで ある。 全國 クラ 1- ク 組合 は 鋼 鐵勞働 

者の 間にお ける とは異 つて、 ドック 势働者 及び 坑夫の 問で 

は 成功して ゐ ない。 何と なれば 後者 S 組合 は その 產業內 に 

おける クラ ー クが 他の 凡ての 勞働 者と 全然 同 一條 件で 直に 



加入すべき こと を 主張した からで ある。 しかし 今のところ 

では クラ ー ク 自身が 賓 際に 彼等の 指 圓に從 つて ゆく 傾向 を 

示さない。 そして われ 等が 組合と 1 致す るに せよ また クラ. 

?クと 1 致す るに せよ この 事實を 承認し なくて はならない 

こ 5 點に 遡って 少し 考 へて 見よ ラ。 凡ての 需 類の クラ 1 

ク は?^ 合の 用意 を もって ゐ るよう に 見える。 そして 全國ク 

,ラ1 ク 組合 は • それの 明白な 弱點の あるに も か i わらす、 

明らかに クラ f クが 最も 心 を 引かれて ゐ る。 国體 である。 

多數の 人々 が旣に 加入した、 そして 近き 將來 において 著る 

く增大 すべき 兆候が ある。 これ クラ ー クが勞 働 者の 目的 

に對 して 今日まで とった 偉大なる 第 一 步て ある。 彼等の 第 

二 歩 は 如何? 

彼等の 第 1 1 歩が 何んで あるべ きか を 決定す る ことので き 

る 前に、 われ 等は數 種の f 明嘹 にしておく 必要が ある。 

われ 等 は どの 點に 産業 的 組合. か クラフト • ュ 一 一 オンと 相違 

すろ か、 それの 力, それの 目的の 如何につ いて 知らなくて 

はならない。 われ 等 はこの 目的が われ 等の 戰 時の l^s によ 

つて 養 はれた と 信ん せられる 精神と 偕 調す るか 否か を發見 

する に 努めなくて はならぬ。 そして 最後に クラ ー ク がそれ 

^ に反應 して ゐる かど 3 か を斷定 する に 努めな く て はなら 



ぬ 

産業 的 組合 は 一 產 業の 全 體に亘 つての 組合で ある。 また 

それゆえに その 圑體内 または 直接的 勢力のう ちに、 その 產 

業內 における 凡ての 勞働者 ! 管理 的 及び 事務的 技—;. 及び 

人夫 —— を 包含す る。 今日までのと: ろで はこの 國に 完全 

な る 產業的 組合 は 存在し な い。 しかし 數 種の 組合 はか i る 

組合に 近づいて ゐる。 一 倒 を 奉け ると. -鐵道 勞働者 は數年 

前まで は 各種の 部分的 組合に 組 織 された ゐた。 II クラ, - 

ク、 信號 手、 線路 工夫、 機 關師、 火夫、 車庫 勞働 者、 機械 

ェ、 なぞが みな 別々 に 組織され てゐ た。 それ. か 今日で は 全 

國鍵 道^ 業者 組合が 凡ての 從業 員に 備え る こと を 目的と し 

てゐ る。 今日に おいても この 外に 尙ほ 多くの 鐵道勞 働 者の 

組合の 存在す る こと は事實 である。 凡ての クラ ー ク、 機關 

師 及び 火夫の 可な りの 多數 並に 工場に おける 熟練工の 多數 

の ごとき はこれ であろ。 しかし 鐵道勞 働 者の 大部分 は 今や 

全 國鎮道 從紫員 組合の 會員 であり、 そして 間もなく 他の 勞 

働 者 もこれ に參 加す るか 若しくは 彼等の 組合 を 通して、 そ 

れと 非常 に{ 巧 接な 行動 協約 を もつ に 至る であらう。 それ ゆ 

えに 全 國鐵道 從業員 組合 は 立派に 產業的 組合と しての 資格 

を與へ る ことができる。 これに 反して クラフト • ユー 一 オン 



は 各種の 産業に 亘 つても い、 ひ 例へば 全 匿 クラ,. -ク組 4n の 

會員は 金屬、 S. i. 運 輪 並に 殆んど あら ゆろ 產 業に 

亘 つてる る。 產業的 組合が クラフト • ユニオン よりも 有力 

である こと は 明白で ある 。それの 會員 はより 多く 集中され、 

もぐりの 機會が 非常に 減 小され、 ソ リダ リテ によ つ て釀さ 

れ た信賴 のより 強烈な 感情が 會 員のう ちに 存在し、 多数の 

行政 部で なくして 一 つの 行攻 部が その 產業內 におけ ろ勞働 

者の ために 行動の 方, 針 を 決定す る 方が その 産業 全體 のた め 

により 容 く 53- 議に 達する ことができろ。 (っゾ く) 

小 泉 信 三 君に 

s 大敎授 小 泉 信 三 君が r 坎造』 五月 號で 私に 對 して 書かれれ こ 

ミは 同氏が r 坎造」 六月 號で 取消され てね るから 私の 答 辯に 無用 

であるが 尙ほ 私の 說が ccle. Chaos and Order in Industry. 

1930(pp. 49164) で 裏書き されて ゐるこ ミを附 け 加へ て 私の 最切 

の 批評の 溪 リ でな かつ;: 二ミ な、 r に 簡単に 接 返して 置きます。 

(室 伏 4a) 



社會 主義 社會學 

(高 畠 素 之譯) 

、、の *1 物に ァ I サ Ir レゥ并 スの 『瓧 食學 への 手引』 ^_JS 譯 し;: 

ものて コ ムトめ 人類 發達 說ス ぺ ンサァ の靜的 社會學 以下 十五 章に 

一 且つて ねる この 書の 特色 は マ か クスを 社會學 の貫献 した、、 

ざで ある 社會 主義 的 社會學 の-知 譏.^ うるれ めに け 最も 格好の 書 

物ても る 譯者其 人.^ 得ズ f 二 € は 勿論で あ る (芝區 三 田 害 房 襞 

行定價 Is- 圓五 拾錢) 

クロポトキン の經 濟學說 (中 山 啓? 

クロポトキンの 『田園、 工場、 仕事場」 の職譯 て、 無政府主義の 

W 究者 のみなら す 凡ての 社會 問題 經濟間 短の 研究者 必讀の 書で あ 

る こミは 言 ふ 俟;: ない Oil 田 軎房發 行定價 參圆八 拾錢) 



13 



ゴッド 井 ンの社 會田心 想 



♦ ,ァ A *ゴ タ *r ヰン (William Godwin) の 名 は 婦人運動の 先 

H レ者 マ, ィ* ウォ^ストン クラフト (Mary wollstonecraa) 

ミ 詩人 シ H レ.' の 名 V 共に 有名で あろ 然し,: に 論じ やう ミ 

する の は マ" ィ* ウナ^ ス トン クラフトの g| 人- しての ゴ クド 

ヰン ではない C ま;^ 詩人 シ H レ !に影 1» を 及ぼした 人- W しての 

ゴク ド并ン でもない > 社 家 W しての ゴクド 井 ンの思 

想^ Si 介批 s: する に 止まろ ので もる。 

IS 國 の少數 jffi 、マ かキ ストで わる ク n-^ • ブレ ノフが 其の 

名著 「無政府主義 >J 肚會 主義」 において 無政府主義の 史的 资展 

じて ゐる 中に ヰ-' ァ A . ゴ クト ヰンの 名. を 我 見し ない: W 

は甚だ^^^得な いこ や J である。 (Georg Plechanoff, Anjlrch- 

i§ and scclalisto 無政府主義の 瓧會的 秩序の 理想 は 人間の 

人間に 對 する 支配 fi- 珠し、 すべての 人が 支配者に 對 する 從餍か 

ら 免れろ 時に おいて 資 現される C 從 つて 少,, 者に 對 する 多數者 

の 強制 も 多数に 對 する 少数の 强 制の 如く- 之れ は 人格 LL 對 する 

S 迫で わろ。 すべての 人の 自由意志が 社會の 法則で なければ な 

ら ない C すべての 人 は 其の 必耍 W する: W^J-st^ すの 自由.^ 有;^ 

なけれ * れ ならな: .o さう して 共同の 目的^ 遂行す る爲 にれ 各個 



人の自由な合意にiらなけれb^ならなぃc 、、れ が 近世 無政府 主 

義の 根本 思想で もろ C さう して: の 意味の 無政府主義者 さして 

其の 社會 組織な 共 主義に 置く 第 一 人 者 は、 ッ ダン • バラノフ ス 

キイに よれ^、 ヰ s» アム *ゴク ドヰン である。 (T=gan Barano- 

\vsky"H" ! S21ern Social isiii =1 ita 】-istori(-al Dev elcplBent. 

一-. § 以下 ゴク ド并ン のこさ lL 就いては 大體 】T, N, Brailsf- 

ir; Slielley, Godwin tsT. ,rl-eir Circle に ふり、 傍ら sir 

Leslee stephcnll :Kiiglisli Thought in Is, th century .VOJ 

II. 其の 他の 二三の 書 ^参照 L れ o) 

II 

英國 における 佛蘭西 革命の 影響 は 說敎に 始まって 詩に 終 

つたと 言って いい。 恰度 バ ス ティ I ュの陷 ちた 興奮の 最中 

に 行つ ヒド クト ル • リチ アド ,ブライ ス (Drliichard -pnce) の 

愛國 についての 說敎 から シ" レ— の I へ ラス」 の 刊行までに 

は 111 十 一 一年の 星霜 を 積ね てるる。 それ は 希望 S 誕生と 其の 

不幸な 死まで を 覆って ゐ るので あ 「0。 さう して ゴ 了 ト并ン 

はこの 革命的の 時代に あって、 佛國 革命の 根本 精神に 深い 

洞察 を 行って、 英國に 一 時 は 1^ 甚な^ 響を與 へた 人で ある 



ゴ ドヰ, ン は 千 七 百 五 + 六 年フ, ン 地方の ヰ ス ベ プチに 生れ 

た 0. 彼の 父と 祖父 は. 牧師 を 業と して、 極めて 道德 的の 家庭 

を 作った。 ヰリ アム はこの 周 園に あって カルビ ン 派の 傳說 

に 深い 影 il を 受けた のであった.^ 彼 は 幼に して 頗 ぶる 額 悟、 

早 熱に して、 功名心に 富んで るた。 年 十七に して 父の 業 を 

繼ぐ爲 めに ネ/ ス ト ン の祌學 校に 入った が、 彼の 舉 業は顯 

著な 進步 をした。 せ 七のと き 彼はビ ー コ ン スフ. - ルドに 

牧師と なった。 其の 少年 時代と 青年時代の 初期に, 抱懐して 

るた 攻治、 宗教家 思想な 此の 時代に 到って 變 化した。 今や 

彼 は攻治 的に は 進歩主義 を 採り、 宗敎 上で はュ -1 テリアン 

として ド ル トル • ブライ スト レ ー を 其の 師と仰ぐ ことと な 

つた。 彼 はこの 時代に おいて 佛蔺 西の 諸 哲學者 を 研究し 出 

じた。 彼 は 斯くて 若き 牧師と なった ので あるが、 それ は 成 

功せ る ものではなかった。 さ、? J て 彼 は 其の 生活 を 支持し 

て 行く 爲 めに 文筆の 生活 を 送る ことと なった。 彼の 永い 文 

筆の 生活 は 千 七 百 八十 一 二 年から 始まる ので ある 。ゴ? ト井ン 

は 先 づ攻黨 聯盟に 關 する 小冊子 を 書いて 成功し、 其の 爲め 

に 進歩 黨の 領袖から il めら れ た。 けれども 若く して 文筆 生 

活を する ものの 常で ある ごとく ゴ t ト并ン は 放浪の 生活 を 

綾け. U ので ある。 けれども * 世の常の 文筆 靑 年と 異る所 は 



彼が 放浪 生活の 間にあって も 常によ く 勉強し, 節龃し i 

IS 的 研究 を 凝け たこと であった。 彼 は 早朝に 起きて、 朝食 

以前に ギリシャ、 ラン テの 古典 を讀 み、 かくして 後の 彼の 

論文に .DI5 自在に 其の 智識 を應 したの は學 者の 均しく 羡 

望に 掛 えない 所で ある。 彼 は 午前中 1 二 四時 間の 間 熱心に 埶 

筆し 午後 は 其の 友人と 談論に 耽り、 または 英、 佛、 伊の 著 

書を讀 むこと に勉 め、 度々 でなない が 芝居 を訪 ふた 二と も 

あった。 當時^ 進歩 黨の 文窨掛 りであった シ ,リ ダン は 一 

定の 給料で ゴ 了 ト并ン を定 雇の 文書 掛り にと 望んだ ので あ 

つたが、 彼はフ * タスの 崇拜 家であった にも 拘らす これ を 拒 

箱した。 ゴ サド 并ン がまお 安 下宿から 安 下宿へ と 治り ある 

いて ゐた 下っ端の 寶文 生活の 時代に、 彼 は 遠い 親類に 當る 

ト マ ス • ク ー パァと 云 ふ 孤兒の 面倒 を 見なければ ならない 

ことにな つた 0- ク ー バ ァは十 一 1 歳のと きに ゴ " ド并 ン の 下 

に來て 十七 歳に して 彼が 役者になる. までの 間ゴ, ド并ン の 

所に 止まって ゐた。 ゴ ウド ヰ ンはル ー ソ.. 》 の 「エミ.. 'ル」 

を證ん だ > 彼 は 屡々 ル f ソ ー の說に 服す る ことが 出來 なか 

つた けれども * 彼の 一生 を 通じて 敎 育に は 多くの 興味 を 持 

つて みた。 さう して ゴヴド ヰンの 「研究者」 「人間 論」 中に 優 

秀な敎 育 論 を 提供して ちろ。 其の 赏驗に 使 はれた もの は 勿 



iSI ト マ ス*クー パ である 。ク, パ ァは氣 のむ づ かしい 高慢な 

子であって、 敎育も 思った 程に 涉ら ない さし かつ. UO ゴ サド 

并ン の敎育 思想 は兒 童に 對 して 多大な 尊敬 を拂 ふこと にあ 

る。 彼 は智的 好奇心と 趣 立 自尊の 心 を 養 ふに 注意し 敎師と 

生徒との 間の 關保は 誠お を 主と しなければ ならない と 主張 

したので ある。 

ゴ, ドヰン は 倨傲で 熱情 家で ありた けれども、 友 を 作って 

彼等と 附き 合って 行った。 千 七 百 八十 六 年に はゴ, ド并ン 

は トマス • ネル クロ フトと 知り合 ひに なつ. UO ネ ル クロ プト 

は 確かり した 精神と、 獨 立の 思想の 持主であった。 彼は自 

らの 爲に考 へさう して、 また 彼 は 他人の 思想 を 征服す ろ こ 

とが 出來 たので ある。 彼 は 理性に 富んで ゐて舉 者であった 

と共に、 彼 はまた 冷靜の 中に 熱 をも抒 つて ゐた。 彼 は 人 

問の 精神の 力 を 無限に 信じ-てるた。 正直、. 勇氣、 眞理 これ 

が ネル クロフトの 理 相-であった。 彼 は 理性に よって 導かれ 

た 意志 は 人 問の 粘 神 を 護へ 得る 丈け でな く、 其の 身 體をも 

變更し 得ろ もので あろと 考 へ たので ある? n ,ド ヰン が 三十 

歳のと きに 會 つた ネル フ 口 フトは 五十 歳で あ. つた。 さう し 

て 彼等 は 一 曰も缺 さす、 互に 會 つた、 其の 間にある 戀 愛に 

ついての 為一 t かあつた に. ^拘 らす^ の 交 iS は 千 八 百 九 年の 



ネル-クロフトの 死まで 1S3 いた。 彼等 二人の 中, 誰れ か 他に 

影響 を 及 ほして るる か を 決定す るの は 極めて 困雖 である。 

^ウド 并ンは 洗練され た、 組織的な、 學究 的な 精神の 持主で 

ある、 然るに ネル クロフト は豐 富な 生活の 經驗に 加 ふるに 

幾分 かの 獨 創と 廣 汎な讀 書と 音樂、 藝 術に 對 すろ 並に なら 

ぬ、 趣味と を もって ゐる 人で ある。 然し、 ゴ, ド并ン をして 

ュ 二 テリアン を脫 しさした の は. 1^ ルク& フト であった。 

佛藺西 革命の 近づく に從 つて ゴ サド 并ンと ホル ク& アト 

と 一 一人 は 世間 一 般と 同じく 興奮して 來た。 ゴ, ド ヰ ン は 革 

命協會 の 晚餐會 へ 出席した。 さう して ネ ル クロフト は 其の 

協會の 指導 的會 員の 一人であった。 この 二人の 友達 の^に 

共通の 思想の あった こと は 勿論で ある。 その 共通の 思 和 ゆが 

ゴ サド 井ンの 政治的 正義の 中に 表 はれ、 さう して 其の 中の 

ある 思想 は 其の 圍體の 人々 に A 蓮の もので あつたし、 また 

他の 部分 はェ ン サイ リロ べデ. - ストの 著作 中に 其の 萠芽 を 

發 見し 得る のであった。 クロぶ ト キンが 其の r 佛蘭 西大革 

命」 の 中に 記す る 所に よると 共産主義 でさへ 旣に マブゅ I 

に つて 豫 f ぶ」 れてゐ * さラ して 革命の 指 一 t# の 多ぐ は^ 



16 



験:&に其の思%^^^ってゐた0ゴ?ト并ンの|?創とも見るべ 

きもの は 其の 無, 政府 主義 的の 傾向で ある。 その 思想 はすべ 

ての 國 家の 權 カ行 爲に對 する 反抗で ある 許りでなく、 また 

市民の 共同 行動に 對 すろ 反 對 である。 ゴ ウド ヰンが 其の 「攻 

治 正 鼓」 を 著 はした の は 斯檨な 思想 的 背景の あるとき にお 

いてであった。 

ゴ サド 井 ン 1 生の 大事 業 は 千 七 百 九十 1 年 七月に 始めら 

れ たので ある。 ゴ, ヰ シは 幸に も 書店 ロビ ンソプ と 有利 

な 契約 を 結び * 其の 稿 科と して 千ギ 一 1 ァ. の 金 を 得る ことが 

出 來た。 

ゴ? ト井ン の 「政治的 正義」 は 通常 バァ クに對 する 反駭の 

如く 思 はれて ゐ るが、 ゴッド 并ンの 意 圖は遙 かに 大 なろ もの 

であった。 其の 著述 は 細心の 注意 を^って 執筆され たので 

千 七 百 九十 三年 一月に 至る まて は 出来しなかった さう し 

てこの 窨は 革命 思想 を 有力に 主張して 止まな く、 其の 未 尾 

に は 「何ものに も 恐怖せ す、 すべ ての 反對 論に 打 勝つ は眞理 

の 本質で あろ」 と 結んで ゐ る。 けれども コ サド ヰン のこの 著 

作 は、 そが 研究 的の 蒈物 であり、 敎養 ある 讀者 向と して 出版 

せられ、 且つ 三ギ 二 ァと云 ふ高價 であった ので 當局 は處分 

に 及ばなかった。 ブライ ビィ n ン シ ルで はこの 書に によつ 



てゴ, ド并 ンを處 分す ベ こと を考 へたので あるか、 ビ, トは 

「三 ギニ ァの本 は三シ リンゲの 余裕の ない 人々 に 多大の 害 

惡を らす ことが 出來 ない」 と 言つ 其の 提案 を 斥けた。 け 

れど もこの 害 は三ギ -1 ァと云 ふ高惯 にも 拘ら す、 四千 部 も 

寶れ た。 そ はこの 書が 生氣 あるから 許りでなく, 當 時の 中 

產 階級が 新 哲學を 閒くを 欲する、 J と颇ぶ る 急で あ つたから 

である。 千 七 百 九十 六 年に は 再 後 をした。 さう して この 再 

版 は 著作 全般に. 渉って 改訂せられ、 コンドル セ ー の 影 饗 

として 見るべき ものが あるので ある。 其の 第三 版 は 千 七 百 

九十 九 年に 出た が、 この 版 ほ 其の 內の 調子 をづ つと 下 ゆて 

るる 。「攻 治 的 正義」 は 一 時 英國を 風靡した ものである. か、 

其の 直接の 影響 はゴ ウド 井 .ン G 死去 前旣に 見る 影 もな くな 

つてし まった。 今 この 著の 內容を 語る に 先立って その 直接 

の先驢 者で ある トマス • ベイン の 思想に 就いて 少しく 語る 

必要 か あらう と 思 ふ。 

四 

英國 における 佛 蘭 西 革命の 思想 的 代表者 はト マ f ペイ 

ン であった。 勿論 ベ ィ ン 以前にお いても 革命の 精神 を傳 へ 

たもの はあった 。ドリ ト ル* ブライ ス 及び ブ ライス トレ ィガ 



これで あろ。 けれども 私 はこ X にト マス • ベイン の 思想 を 

語ろ ことによって 满 足しなければ ならない 。ト マ ス* ベ ィ ン 

は 佛蘭西 革命の 思想 を 大膽に 主張した 人であった。 さ 5 し 

てゴ ッ ド井ン はこの ベインに よって 主張され た 革命の 精神 

を哲舉 化しす る ことに 努めた ので ある。 

トマス • ベ. r ン はクェ ー 力 ー 宗徒で あろ コ ル セット 製?, 3! 

業者の 子と して メ. I ァフ * ル クの セット フォ I ドに千 七 百 三 

十七 年に 生れた。 彼の 兩親は 貧困であった, けれども • 彼 

は 其の 敎育 に おいて 彼等に 負 ふ 所が 頗 ぶる 多かった ので あ 

ろ 長す に 及んで 彼 は C! ンド ンに 移住し、 こ- -に暫 らく 生ま. 

つて 天文 學の 研?. -に 其が 閑暇 を 費した のであった。 彼 はま 

た收稅 吏の 格 を 得て、 この間に おいて 經濟 財政の 學を學 

んだ 更に 彼は收 税吏から 舉 校長に 轉 じたので あるが、 收 

税吏の 銀增: 油" 1= い 1 求 を 辯 護す ろ 小冊子 を發 行した 爲 めに 

其の 職 を 失った。 被 は 一 1 度 結婚した" 其の 第 一 の 妻 は 結婚 

後 一 年定ら すして この 世 を 去り、 第一 一の 妻と は タパ n 工場 

を 起した が、 失敗の 後お 互に 夫胬 別れと なった Q 三十 七才 

の ペイン は 令 > も なく 孤 獨 で舊 世界に 望み を斷 つて 新 大陸の 

合衆國 へと 移住した。 このと き 彼 は 通過 證 として、 ぺ ンジャ 

d ン , 7 ラ お- クリ 、v の 手翰 を携 へて 行った。 



機會 は來. UO ベ ィ ン は 直ちに フィ ラデル フ "ャに 一 フ< < 

ラ デルフィ ャ; i^i IS 編輯 長と なった。 彼 はこの 雜誌 によって 

國際的 協調 を 主張し > 戰爭 を攻擎 し, 結婚、 離婚に 閱して 

急進的の 議: f:l を發 表し、 4^ 子の 爲 めに 正義 を 主張した。 就 

中 彼 は 奴餘判 度 に對 して 大 なる 反感 を壞 き、 其 の 撤 廢の爲 

めに 多くの 努力 をした。 彼の 小冊子 「コ ン モン • セン ス」 ( 一 

七 七 六 年) は 廣く證 まれた。 彼 はこの 書の 中に おいて 合 衆 

國の獨 立す ベ きこと を 主張した。 さう して 《お 時 未た 確!^ し 

なかった へ §.2,5 想 を 民衆の 前に 印象 深く 表 はし たので あ 

る。 lif^-lr ,か 起る と 彼はヮ シ ン ト ン の 下に 走.^ 參じ, グ 

リ! ン將 の 一 :4 僚と なった。, 更に 彼 は 外交に、 財政に 其の 

手腕 を报 つた" 戰爭が 終って 千 七 百 八十 七 年に 彼 は 英國に 

歸 つて、 文^ S 生活. ご 械 8i 明と に 志した。 斯くて 幾多 

の 著作 をした 後 千 八 百 九 年、 老齢に して 其の 一生 を 靜 かに 

終った.。 彼の 文^ 生活に おける 最大 Gt^ 作 は バァク 「佛檗 

西 革命; el」 に 答へ た その 「人 檣 論」 であった。 

ペイ ンの 思想 は バァク の それと 正 反 對の ものであった 

ペイン も バァク も 共に 舊 時の 社會的 秩序が 其 a 基礎 を惯習 



8, の 上に^ くこと を 露-^ た, 

パァク は 其の 社會的 秩序が 慣習の 上に 基礎 を 匿く が 故に 

«^ 習 を 認めた ので ある。 然るに ぺ ィ ン にあって は 慣習 は單 

に 不合理な 偏見なる が 故に 舊 時の 社 會的秩 は 一 掃して しま 

はなければ ならなかった ので ある。 ペイ シは 政治の 樣式を 

二通と 考 へ.;:。 代議政治と 世 醒 攻 治が これで ある。 さう し 

て 世 馥 的 治者 は 世獎的 數學者 または 世襲 的 詩人と 云 ふが 如 

く 〇〇〇 である。 代議制 は 最も 賢明なる もの をして 政治せ 

しめる ことが 出來 るのに、 世 盤 政治 は 〇〇〇 な ものの 攻治 

である。 

パァリ は 其の 保守的 見地から 民衆 を以 つて 愚な ものと 見 

た。 然るに ペイン は 人間 を以 つて 理性的の ものと 見た ので 

ある。 さう して 純粹な 理性の 原則に よって 打ち 建てられた 

が 理性的 精 紳を以 つて 行 はれる と 思った。 一 言に して 

言 へば ペイン は 黄金世界 を 信じた ものである。 アメリカの 

革命 はこの 黃奮 世界の 思想の 一 大暴發 である、 さう して 米 

國憲 法の 基礎 は 純粹な 理性の 原理の 上に 礎 かれた 政治の 最 

初の 一例で あると 彼は考 へた。 

ベ ィ ン の攻治 哲舉は 極めて 簡明で ある。、 人は祌 によ つ て 

自由に、 ギ 等に 生. れた。 さ、.' して 人 か 生存して 子と 云ふ理 



由から 彼に は 自然 的 權利卽 ち 天賦の 權 利が ある。 政治 權科 

はこの 自然 的權 利の 上に 其の 基礎 を 匿き、 さう して この 自 

然的權 利 を 確保 せんとす る ものである。 画家 は斯 くの 如き 

自然 的 權利を 確保す る もので なければ ならない。 然るに あ 

る 國家は 國民か 其の 自然 的 權利を 確保す る爲 めに のみ 契約 

によって 出來 たもので な, 征 ,伥 によって 形成され たも ゆ 

が ある。 然し 〇〇 は 《:e にノ: k 化に 對 する 一 ^^の制隈でぁる。 

そ は 吾等の 眞の 必要から 生じた もので はなく、 た-に 罪悪 を 

防止す ろの 任務 をのみ 有する ものである。 「人 をして 幸福な 

らしめ ろ もの は社會 であって 〇〇 ではない。 〇〇 は 單に社 

會各員 問の 中に 罪惡を 防止す るの みで あろ。 社會は 吾々 の 

交通 を醚^ する、 けれども 〇〇 は 吾々 の 間に 區別を 設ける 

社會は それ 自體 福す、、 へき ものである、 けれども 〇〇 は 其 

の 曰 良の 〇〇 にあっても 必耍 なる 害惡 である。」 これが ぺ ィ 

ンの 國家觀 であった 斯樣な 國家觀 が實際 政治に 應 用され 

ると き 自由放任 主義と なり、 之 か 思索的に 徹底 せらる ると 

きに おいて ゴ. ッ* ト并ン の 無.^ IS 主義に 至る ので ある。 ペイ 

ン は 「文明 か 完成 されれば される 程 〇〇 の 〇〇〇〇〇〇〇」 

と 云った 程 無攻府 主義 的 思想 を 懐いて.^ た 人であった 彼 

ば ゴ づ ド 井 ン pi^ に 徹底す る f 〕 とが 出來な かった。 ペイン は 其 



の^ 際 的 児 地に 立って^ 家の 効用 を 認めた ので ある" 彼 は 

國 家 を社會 をより よく 組織す ろ爲 めの 手投 として 利用し や 

うと 考 へたので あった e 

叙述 は 再び ゴ T ト井ン の 「政治的 正義」 に歸る 。この r 攻治 

的 正義」 の內. お を 語る ことが ゴ ド井ン の 社 會思相 ゆ を 語る こ 

になる ので ある。 

ゴ ,ド 井ンに 取って は 全人 類の 生活 は、 改革に よって その 

完成に 運し や. シ とする 努力で あろ * 】 とを說 明す る爲 めに 彼 

は 過去の あらゆる 偏見と 傳統と 束縛と 戦 はなければ ならな 

かった。 もし、 人あって ゴッド 并ンの 大著 を 一 言に して 表現 

し 得る 首^ を 求めるなら ぱ、 そ は 「すべての";, 对來の 進歩に 

對 すろ 序說 である。 

ゴ, ド并ン は 人間の 進歩の 可能 を 論す る 以前に 先づ 其の 

現狀を 見た。 彼 は 從來の 歴史が 罪惡の 歴史で あろ こと を 主 

張した。 戰爭は 其の 慘愤 さと 其の 數を 減じない。 專制 政治 

は 人類の 大部分の ものの 運命で ある。 盗みと 虛 促と は 絕: a 

されす、 贫困者 は裕富 階級に 對 して 暴力 を以 つて 向って 行 

I Co 英國 における 人口の. K 部分 は貧凼 である。 か i る狀想 



において 貧 者が 社 會を以 つて 各人の 權利を 保護し > 其の 

生活 資料 を保證 すろ ものと 考へ るで あら. > か。 貧困 者に 取 

つて は 社會 は 罩 に持權 あろ 少數 4? の 利益 を 增 進す る爲 めの 

陰謀と 考へ はしない か。 奢侈 は 彼 を ひ 享樂は 富者の li 占 

であり、 貧困 は 常に 彼等の 伴侶で ある。 また 人 は 常に 其の 

ありの ま-の 價値 を與 へられる ことがない。 法制 は 常に 人 

の 自然 的 不ギ等 を 深めて 行く。 さう して、 英國 政治の 方針 

は 貧民の 負嬉 たるべき 消費税の 增加 によって、 富者の 負擔 

たるべき 地租の 輕減を 計る ので ある。 さう してす ベての 結 

社 は 貧民 階級の 間にの み 禁^さ れ てるろ。 人類 は 希望な き 

かに 見えろ。 然 かも ゴ了ト 丼 ン は 其 完成 を證 明し やうと 

したので ある。 

ゴ? ト并ン は 人間が 必 おの 産物で ある ことから 其の 解答 

を與 へる。 人間 は 外界の 自然と 同じく 因粱 律に 支配せられ 

る。 さう して 人間の 道 德 もまた 因果律の 產 物で ある。 吾々 

は 吾々 の 境遇の 產物 である。 この 吾々 の 境遇の 中氣 候の 如 

き は 吾々 の 意思 を以 つてして は 之 を 變 更 する こと は 出来な 

いもので あるが、 敎育 ニ示敎 、社會 的 偏見 及びす ベ ての 攻治 

等 は 之 を 人間の 意志に よって 改變 する こと は 可能で ある 而 

し て 是 等の 社^的 境遇の 改變の 可能で あ ると 云 ふこと から 



^ L て 吾々 は 人 問の 完成に ふ^を 迹ろ ことが 出来る ので あ 

, ろ。 

人 は 其の 境-ほの 產物 であると 共に 人 はまた 其の 境遇 を 支 

W すべき 力で ある。 卽ちゴ ウド 并 ンは人 問の 性格が 其の 外 

的 事情に よって 诀定 せらる る こと をカ說 する ので ある。 其 

の 生れが 貴族で ある 子弟の 地位 を f^g 失の 子弟の 地位と 換え 

たなら ば- その 名と は 其の 新しい 境遇に 從 つて 發 達する で 

あら 5。 運動が 筋肉 を .16 練す る 如く、 敎育は 思想 を 形成し、 

思想の 交換 は その 人の 精神 を 作る ので ある。. この 點 におい 

て ヘルべ チウ スはゴ サド 并ンの 先 願 者で ある。 へ ルべチ ウス 

は 人 は 生れながら にして 平等で あるが、 た r 其の後 年の 敎 

育に よって 其の 能力 感情に 差異が 生じて 來 ると 主張した。 

ゴ サド 井ン は敎育 重視の 思想から 更 に 社會的 並に 政治的の 

制度が 人間め 精神 を 形成す る 上に おいて 重大な 耍素 でめる 

こと を 認めて るた。 社會的 並に 政治的 制度 は 吾々 の 性格 を 

作る 上に おいて 决 して 等閑に 附し. 難い ものである。 この 點 

において ゴッド 井ンば ロクク からべ ィ ンに 至る までの 英國政 

治哲學 者と 其の 見ろ 所 を 異にして ゐる。 彼等 は 政治の 作用 

を 甚だしく 消極的の ものと 見た。 た 人が 其の 財產の 侵害 

される ときに おいての み 政治と 交涉を 有すと した。 けれど 



も ゴ*" ト并ン は 其の 影 鑒 を 何 虔にも 見た. ので ある。 攻治 制度 

が 人々 の 性格に 及 ほす, aw 饗を 明確に 認めた ので あろ。 この 

點 において;^ は 獨自な 地位 を 占める ものである リ 

人 問 完成の 第一 の 前提 は 人 問の 性格 か、 外的 事情に よつ 

て 左右せ . れらと 云 ふこと である。 この 第二の 前提 は 人 間 

の -む おは その 起源 を 其の 人の 思想に 求める ことの 

出來 乙 と 4 r ふこと である。 彼 はこの 前提 を^ 識 的宣傳 によ 

る 如何なる 改革に も 必要な ものと した。 行爲 が自發 的で あ 

る 限り は それ は 一 の 豫想を 伴 ふ もので あろ。 さう して 其の 

1 定の 効果に 關 する 考か 何時も 其の 動機と なって るる。 卽 

ち 「これ は 善で ある」 「こわ は 望ましい ものである」 と 云 

ふ樣な 判斷は 行爲に 先き 立って 存 する ものである。 故に 行 

爲は 常に 思想に 發 する ものである。 然るに 罪惡は 常に 誤謬 

である。 さう しても し 人が 最も 理由の ある, 最も 明確な 行 

爲の 方法 を 示す ことが 出來 るなら ば、 人 は 其の 思想に 從っ 

て 行動す る ものであるから、 彼 は 其の 方法に 從 つて そ S 

侵して ゐた 誤謬 を?^ れる であらつ。 故に赏 際の 問題 は 吾々 

が 共に 吾々 の 動機 を自 し. おに 吾 力の 一打 爲に對 して" え 確 



なる 甲 J 想 を 提供す る こ. とに 存 する。 斯 くの 如くに して 人間 

の 性格 を 完成す る ことによって 絕對自 由 の 〇〇 に 近づく こ 

とが 出來 ると 主張す る。 この 目的の 爲 めに Vi ウド 井 ンは言 

; S の 自由と 敎 育の 自由と を 要求す る。 さう して 敎 育に 闢し 

ては國 家の 千涉を 否定す る。 何と なれば 敎育 にある 權威を 

認; こと は 人間の 心から 其の 虞 純 さ を 奪 ふこと であり、 

さう して 其の 結槊は 人, の 精神に 何等の 獨立 も、 n 立から 

生す る 自己 是認 を も炔 くこと であるから である。 

八 

すべ ての 政治 は 必要な 害惡 であろ としたの は 第 十八 世紀 

の 個人主義 思潮の 特色であった。 然し ゴ 了 ト并ン の 思想 は 

こ 2S の 自由主義 的 思想に 満足し なかった ので ある。 彼の 

個人主義 はもつ と 進んで ゐた。 彼 は 政治から 何等の 善 を 期 

待し なかった 許りでなく、 反って te 極 的の 害惡 か窗ら され 

と考 へたので ある。 攻 治の 根底 は 理性に 對 する 侵害の 力で 

ある。 さう して 其の 侵害 は、 もしも 人 問が 思想に よって 導 

かれ 議論に 服 すら こと をす るなら ば、 そ は 無用な 侵害で あ 

. る。 かくて 欧治は 其の 人民の 無制限な 信賴の 上に 其の 基礎 

ズ を 蟹いて ゐ るが, 其の 信 SB はまた 人民の 無智に よって 唐ら 



される ので あろ C だから 政治なる もの は 無智と 意志の 簿《^ 

とか 除かれる ときに おいて は 其の 基礎 を 失 ふ もので あろ。 

かくて 其は攻 治の 當然な 末路で ある" かく 〇〇〇〇〇 であ 

る、 だ がら 人類 進歩の 任務 は 政治 を 出來る 丈び 早く 〇〇〇 

ことに ある 

然ら ばかく 〇〇 を廢 するとき において 暴力 を 是認す ぺ き 

であるか。 暴力 は 倫理 上 果たして 確固たる 基礎 を 有する か 

更に また 斯の 種の 〇〇 と多數 民衆との 關係 如何。 ゴ, ド并ン 

は 暴力 を 絕對に 否 定 する。 其の 〇〇 の 目的が 合理的で あれ 

ば 何に 、暴力に 訴 つて 其の 〇〇 を 成就す る 必要 を 見な い 

た 保證 された 言論 思想の 自由によ つてす, ベ ての 人に 封し 

て說 けば それでよ い。 すべての 人 かその 說に服 するとき に 

おいて 其の 社會 的- t 革に 成就され ろので あろ。 暴力 は强制 

である さう して 强制を 行 ふこと は 人格に 對 する 侵害で ある 

吾々 は 飽くまで 理性の 力に よって 人々 を說 くより 外 レ致方 

がな い。 さう しても し多數 者に して 眞に 其の 變革を 希望し 

な いならば その 變 革の 事業 は 無意義で ある。 多 數の人 力 が 

その 社^に 封して 變革を 希望す るまで 吾々 ば俟 たなければ 

ならない。 かラ ゴ-' フド 并ンは 主張した けれども 彼 は 熱心 

に 力 を 否定しながら、 一 定の 5* 合に おいて は 暴力 を 是認 



した そ は 其の 當事 者が 暴力 を 用 ひて ゐる ときで ある も 斯く 

の如きときにぉぃては}^^和的の說服は何等の効es-を齋らす 

ことが 出来ない。 こ- -に 始めて ゴ サド 并 ン は^ 路 しながら 

も 暴力 を 用 るる こと を 肯定せ ざる を 得なかった ので ある P 

九 

斯樣に 理性の 力に よって 樹立され た 將來の 1 曰の 形態 は 

如何。 ゴ サド 并ン はこの 問題に 對 して 解答 を與 へなければ 

ならない。 

理性的 動物と して 吾々 の 第一 の 事業 は 正義 ーを實 現す る こ 

と である。 さう して 社會は 卽ち實 現された 正義に 過ぎな 

い。 正義 は 快樂と 苦痛と を感 すろ ことの 出來ろ 人間の 問 超 

である。 だから 正義の 閼 する 範圍に おいて は 吾 々 は 

苦痛と 享樂と を 享受し 得る 共同の 性質 を 有する 人間で あ 

る 。故に: 止義は 人間の 幸福に 關 してす ベ ての 人 を 公平に 取 

扱 ふこと である。 さう して 正義 は 人類に 對 して 最大な 利益 

を 生ぜし めろ 目的 を以 つて 吾々 の 才能、 時間、 資力 等を耍 

求す る。 吾々 の 一 般的 幸福に 對 する 費 務は 無制限で ある。 

個人 は 其の 人格 * 財產 をた 人類の 爲 めに のみ 保持して る 

•00 もしも, 人. あって 百 圓の金 を 必要と するならば、 さう 



して 其の 金 を 余が 所有し, 更に 有利に 使 《6 す 事 こと を證明 

する のでなければ、 彼 は 余に 對 して 其の 舍を 要求し 得る の 

である。 すべての 直 は 其の 人の 手に あって 最も 利益 多く 

最大な 幸福 を 生む 手段と なる 人に^ する ので ある。 

然し こ i に 問 超と なる の は 奢侈で ある。 認識 されん とす 

る 欲望 は 人間に とって 可成 强烈な 欲望で ある。 其の 必要と 

する 所の 所の もの を 自由に 取得し 得る 理想 社會 において こ 

の 問 题 は 如何に 解決され るので あるか。 ゴ ウド 井ン は 答 へ て 

曰 ふ。 「すべての 人 は 其の 1 杯の 美酒 を 口にする 毎に 其の 美 

しい 装飾品 を 其の 身に 附 ける 银に * 彼 はこの 種の 奢侈 品 を 

彼に 供給す る爲 めに、 如何に 多くの 個人が 常に 隸 J?^ と 苦 汗 

と斷 えざる 苦役と、 不衞 生な t 物と 悲しむ ベ き 無智と 獸の 

如き 無情に 惱 むで 行く かと 考 へる であら、 フ。」 と。 さう して 

彼 は 財 產〇〇 の不 合性に 目覺 めて 惱侈を 欲する が 如き こと 

がなくなる であらう と 主張して るる。 

然しながら 吾々 は絕對 無一物の 境涯に おいて 生活し 得る 

もので はない。 だから 道德は 二種の 財產 所有 を 許す。 卽ち 

其の 一 は 個人の 所有と なって 始めて 最大の 便 盆を發 生す る 

もの、 換言れば 生活 必要品 卽ち 食物、 衣服、 家具、 室の 如 

きもので ある。 第 I 一の 問 超 はすべ ての 人が 其の 勞 働の 生 直 



物に づ いて 要求 權を 有する 其の 範圍 である。 ゴ, ド并ン の理 

想 は 平等で ある。 故に 彼 は ある 同種の ものが すべ ての 人に 

供給され ない ときに おいて、 個人が 特殊の もの を享樂 する 

こと は罪惡 であり、 すべての 人の 普通の 欲望が 充足せられ 

ない ときに お いて 奢侈 品 を 生産す るの は 罪惡で あると し 

た。 然し、 强制を ひて; 牛 等 化 を 計る こと は 無 《化で ある、 た 

^-理性に訴へてのみこの^8^.業を遂行すべしとするのが彼の 

主張で ある。 

ゴ サド 井 ンは當 時の 社會 において は隨分 無駄な ことに そ 

の勞 働が 費され てゐ もこと を 見て、 其の 理想 社會 にあって 

はすべ ての 人の i B 半時 間の 勞働 によって 充分 生活の 必要 

品 を 生産す る ことが 出来る と考 へ たので ある o( 彼 はこの 計 

算を 其の後の 諂 文集 「研究者」 の 中に おいて は 二 時間に 增 

加して ゐ る。)、 ゴ" ド井ン は 人間の 利己心と 怠惰と に 其の 基 

礎 を 置く 反對 論に 對 して は、 もの 理想 社會が 人性の 改善 さ 

れた 後に おいて 實 現れれ ろので あると 云って、 答へ てゐ ろ。 

斯樣な 制度に よって 個人 は 苦痛 を感 する であらう か 。ゴ サド 

4^ ンは否 ど 答へ てゐ る。 その 勞働 は强 制でなくて、 渝 快で 



ある。 現在の 勞 働の 如く 不公正で はなく, そ は 公正な 

である。 

ゴ ト并 ン は斯 くの 如く 考 へ たので あるが、 彼は國 家社會 

主 賴の樣 に 劃一 的の 勞 働と 共同 的 生活と を考 たので はない 

彼 はすべ この =9 ハ 同と 云 ふこと な惡と 見た。 さラ して 音樂に 

おいて 合奏す る こと さへ も 彼 は 不可思議の 眼 を 見張った の 

である。 勿; Si 彼ん 航海 をしたり、 運河を堀ったり^^る樣な 

ことに 共同の 必要 を 認めて ゐる。 けれども 機械の 發明 はこ 

の 種の 共同 を さへ 不用に 歸 せしめる だら うと 彼は考 へたの 

である。 

ゴ T ト井ン の 共産主義^ ュ," ト ビアの^ 述は 家庭の 〇0 

を 描く ことによって 終って るる。 彼 は: i じて 曰 ふ。 共 住 は 

害惡 である。 何と なれば 人 は 共 住する ことによって、 其 ゆ 

思想が 簞 一 となり、 從 つて 個人の 獨立性 を 失 ふ 慮れが ある 

からで ある。 さう して 眞の 人格者の 希望 は 常に 相 合致す ろ 

もので はない。 斯樣な 合致し ない 意志 を 以て 共 住 を 行 ふと 

きに、 そこに 必然の 結果と して 妥協が 生じ、 其の 意志の 放 

棄か 生す るので あろ。 さう して 結婚 は 共 住の 最も 代表的の 

ものであるが 故に それ は 1 の害惡 である。 

ゴプ • ト并ン は 其の 理想 社會 にお い て 結婚 を 存在せ しめな 



41 いこと によって" 放縱な 性的 生活が 行 はるる ものと は 見な 

•I いので ある。 彼 はこ. - においても 理性の 力 を 信じて ゐ る。 

さう して 性的 生活が 51! 性の 力に よって 洗鍊 される こと を 期 

してる るので ある。 彼 は 理性的 判斷を 父子の 閼 係に 下して 

iM つて ゐ る。 子が 父 を 知る と 否 と は 重大な 問 超で はない。 

何と なれば、 自分の 子が 人の子 かによ つて 其の S1 に輕 重の 

差 を 設けろ 理由が ぶいから であると、 さう して 母 は 彼女の 

B 人の 好意に よって 其の 子 を 養育し 行け はいいの である。 

斯くて ゴクド 并ンは 理性の 力に よって 人間の 性欲が 終息す 

ると きが 來り、 さう して 社會は 子供な く、 經驗 あり、 知識 

ある 人. ^み を以 つて 充 たされる ときが 來る であらう こと 

を 空想して 其の ュ ー トビ ァを 終って ゐ る。 

私 は 一 通り ゴ ッ ド井ン の 〇〇〇〇〇〇〇〇 理想郷の 輪廓 

を 描が いて 見た。 &は それに 對 して 極めて 1^ 凡な、 何時も 

無攻府 共産主義に 對 して 行 はれる 樣な 批評 を 懐かない 譯に 

は 行かない ので ある。 

ゴ? ト井ン は あまり 人間の 理性と 云 ふ もの を 重視して ゐ 

る。 吾々 の 行動が 理性から のみ 起る 樣に 彼は考 へて ゐ るが 

私 はべ ルト. ランド • ラッセ ル と共に 人間に は 理性の 如何と 



もすべからざる 衝動が 多く 人間 S- 行お を 支 S ^てるら こと 

を 主張した いので ある。 從 つて ゴづド 并 ン の 理性に 訴 へ ての 

み社會 改造 を 行 はんとす るのに は 俄かに S 意 を 表し 得ない 

ので ある。 

次に ゴ プド 井 ン は あまり 人性 を樂覼 し 過ぎ はしな いだら 

ラか。 この 疑問 はク 0. ネト キン 等に 對 して 當然 起る 問 超で 

あるが,^ 全く 彼等が 人間の i しい I 面の み を 見て ゐる 結染 

に 外なら ないだら 、フ。 

社會 改造の 基調が 自由と 平等に ある こと は 何人も 疑 はな 

、1}^ である。 さ、 フ して 自由 を 求む る ことの 極致 か 無 攻府主 

義 であり、 平等 を 求める ことの 窮極が 共産主義 である。 け 

れ ども 私共の 疑問と すろ 所 は 無政府主義と 共産主義 とが 兩 

立し得ろかの點でぁ,^?。 ク". ネト キンの 無政府 共産主義 か 

ら 多大の 1" 示 を 得て ゐる 如く-思 はれる ベ ル トラ ン フ-セ 

ルが、 其の 窮極の 理想と して 無政府 共産主義 を 目指しな が 

ら、 直ちに クロ. ネト キンに 窮 かすして ギルド . マ ンと 共に 

步ん でる るの は 這般の 消息 を 語る もので はないだら うか。 

この 疑問 は 無政府 共産主義者が 解答し なければ ならない 重 

大の 問題の 一 つで ある" この種の 疑問が 無政府 共産主義に 

對 して 發 せられ、 然も 其の 平凡な のに も拘ら す、 吾々 に敎 



ふる 所が^い ことが また 無攻 府共產 主義 か社會 運動と して 

其の 勢力 を 增大し 得ない is- 因で はない かと 私は考 ふるので 

あるひ 

ゴタ 》• 井 V は 其の 「政治的 正義」 の 外に 幾多の 著書 論文 yS? 公 

LLL て. Qio 彼 は i;: 同時に 創作の 人で も あつれ。 けれ. W も^ 

め! S 文、 其の 創作 は 「政 冶 的 正菽」 が ゴッド ヰンの 名,;^ 重から 

めれ、 7 ミ に は 到 及ばない のであった 「政治的 正義」 は 前に 

も 述べれ 樣に 一時 非常の 名お^ ゴクド ヰン, に與 へれ。 けれども 

荦 命 思想に 對 する 反動的; &: 力 は 勃然まして &1 つて 來 た。 さう し 

て 眷て英 國本國 は 勿 の: や、 耽 2< 陸の 到る 所に おいて 其の 盛 

名^ 唱 はれれ ザ サド ヰン の-博 學な 以 つてす る も 如何 ミも する.、 

がお 來 なくな つれ 彼 は 窮乏に 陷 つた さう して ゴクド ヰン 

の 名.. 避けて 袋 名.^ おって 眷 fHja いた。 けれども|§顆.しれ勢カ 

は^«にゴタ?*'并ン.,ど世の中の表面から葬ってしまっぉ。 ゴク ド 

舞 > 'の 展.^ 其の 妻ミし 彼.^ 心の 親ミ した 詩人 シ H レ, でさへ 其 

の 千 八 百 十 一 年の 害 翰に おいて h タド 并ンの 生存せ る事實 *^閗 

いて 驚いた 程で あつお 斯くズ 「人間の 心^ 其の の 狀態か 

ら 自由 Li しゃう」 ミ しだ 革命 思想家 は 窮乏の 中 に、/ の 世 f5< 去つ 

^0 時 は 千 八 百 H 十六 年 四月の こ W でめる。 

a 九 二 9 七 •gs 了) (甲 野哲 二) 



吉野 博士に 答へ て 

▲ 『批評 J の 六月 號 出;^ 中^ 士の 剽 窃 云 ぐの 記事 は、 ^0nf 

、して は あ、 した, 記事," あ リまリ iPlj! まし い 、、ミ W は 思 はない。 た. や 

折角の 寄稿 故に 揭載 したんの である しかし I 且 褐^した 以上. は 

無論, 寅 任 >^ 負 ふ考 へで ある。 

▲ 、、れ に 對し吉 野 作 造 君が 中央 公論 七月 號で 『お G の該記 31. が 誤 

リ のように 11 即ち 田 中 博士が 豫め言 ひ S さしてめ の 論文. 2<!1 い 

た i うに 辯 護され てね るが この 吉野 君の 辯 護: そ 何等の 根據 のな 

い 奇怪 至:!!! な ものである。 若し 吉野 君の いふ ご.、. -さ: 単 あつれ 

ら 恐縮な. がら 指摘. しズ莨 い;^ いもの だ あま リぉ £ 任 なお 言 藥は御 

免 蒙りたい 如 so 

▲ 序ながら も. リ瘕 _1L さ.^ るので 一 言 マ るが 4S 野 君 i ベ テロの 

『十字街に 立てる I. ァ モ ク ラシィ』 はク マ ラヌ本 だ-か、 ハ アン ショウ 

の 『十字路に なて るデ モク ラシィ』 は 立、 派な 本た、、 - 評された の l^ssi 

憶す る。 しかし われ, の 讚んだ 11 熟證の 値打ち はない -1 

図で はこれ も 下らぬ、、 W 夥しい 害 物た。 ギル ヅ マン しての コー 

なら づ 者の 如く 評して ゐ るのに 見ても 分る こんな 下ら «書 

物: U から 後藤 男忡 小路 STPl 感心す る わけ, た。 彼等が 感心 すれば す 

る ほど その 下らな さが 解る ではない か。 吉野君 も あらう ものが 

その 下ら わ 後藤 仲 小路 感 f ^同じう して 得々 れる V は 聊か ti か 

ざる-^ 丈ない e 




六 時間 勞働論 つ? つな) (三) 



ハ I モン 氏 は 同 論 中に 次の, く 述べ て 居る。 

「六 〇 時間 勞働 法案に は 可な リ强敏 な 反對が あつれ、 然し 今 B 

に 於て 該 法案の 薛止 fJ* 望む やうな 製造業 者 は 一 人 も 無い ミ 容易 

に 1H ふ 事が W 來 る。 委 ft 等が 職工 達に 夜間よ リ 多くの 時間^ 與 

ふ る 事 は 放 笛,^ 壤 さしめ る 事で もらう ミ 述べ たと き 彼れ は 極力 

其れに 反對 しれ、 十 時間 勞働 制,^ らは斯 くの 如き 結果 は 生れな 

かつれ 反って 夫れ W 反 對に該 法案が 通過す る や、 磯 H 達 は瓧會 

上に 情祌 上に 教育 上に 彼等の 地位^ 攻 善しれ、 そして 其の 事 は 

H 民 産業 上の 最も 重要な 部門ん-向 上さし 4^ ので ある 

猫い 仕事が 一 B 中で 最後の 111 十分 乃至 一 時, 間に 於て 餘 計に 增加 

す.oとlKふ事は資業界では解リきったa^箕でぁる、 此の間に 居 

睡りは 職工 を aai. して 來る から 彼等 自身 は 機械の やうに なって 

し ぅ而 して B 中の 間に 起る 爭^、 不快 は 此の 現在 延 5; If- られ 

れる勞 働 蒔 間に 其の 1^ を ほして 居る」 

, ンデラ 氏 は餘の 終りに 當 つて 次の やうに 述べ て 居ろ。 

「*, セクト 痛 は 若し 勞働 時間が 六 パ I セン ト少 くな つ {^w 

す るなら ^® 拭が 又は 其の 速度が 加せ ざる 限リ 仕事の 結 は 

IS じ 割合な 以て 减退 する でもら ぅミ 主張して 居る、 然し 此 ばお 

I メ l*- ン \«q ^答へ ぉ链餘 であって * 氏 は 原動力に 何等の 攻善 



も 施さず、 勞働 sisv^ 短縮して 後 に 其の 坎革を 行つ; i 同年 や』 前 

年の 生產品 vJ- 比較し- f-5f 合に、 少しも 其の 割合. 5- 诚じ なか つれ 

と 公言して 居る」 

工場 法と 題す ろ コ ブデ ン 組樂 部の 憑 賞 論文に 於て グイ ク ト 

リン、 ジ ヤン 孃は實 際 並に 想像 上より して 產業 並に 商業 上 

の 影響 を 述べて 居る。 

「若しも 晋々 が II 物 工業 に 於 はる 工場 法 の 一 般的 影響 1 

に盡 さなければ ならむ >J するならば、 吾々 は該 法に 最も 適切な 

選捧の 原理 赏行ぜ む W マ wiK ふ、、 ミ がで. きろので ある、 換言 

すれば 該 法案 は 資本お 明 人 短の 熟練 及び ビ.! 力 ^最も 適切に 運用 

ぜ しむる ものて わ リ^って. f 、れ. :- 生 產っ賈 銀 诚すろ iJr> なく 利 

潤^ く ,したり 或は 外國 貿易に 永久 的 一 2 失.^ 與^る やうな 事ば 

しない 如何なる 國に 於ても 勞働 階級が 健全に しで 智譏 的なら ざ 

る 限り 商業 上の 優越^ 長く 保持す る 事 は 出來な い。 

英 國紡捿 業の 勁 数 は 露 國ゃ印 1- の 如き 勞働& 間の 最も 長き. 防 

では II く、 マサチゥセクトの如き最も1^?.働時1!の短 ぃ所でも 

る、 <>」 云 ふ 事 ゥ H クブ 氏の 如く SJMr 斷定 すろ 者 t.- もろ。 確か 

に 最も 完全な 械大规 織の 生牵 最少 限の^ 間の 空費 は 此等產 業 

竝 に 最少 勞働 時間 ふ 得 居る 此 等の 國め 最も 大切 な 特長で わ 



«7 



然し 吾々^ 最も 勇氣 付けられ 鈹舞 しせ しめらる >i は 故シャ 

プッペ "3. 卿 (當 時の ァ, シ ユレ ー 卿) が 十 時間 勞働 法案に 關 

て 議 會 で演說 した 種々 の もの を讀 むだと きで ある。 當時 

§ 政府 は 彼れ が經 的 損失な く勞働 時間 を 減す る 事が 出來 

ると 云 ふ 事 を 示さむ 爲め 呈出した 證據 に反對 したので あつ 

お、 一八 四 四 年^ 月 十日 彼れば 議會で 次の 如く 述べて 居る 

「© て *s に 此の 錢 食が 解決す ベ. t 、不 思錢な 重要な 問題が 起 

つて 來も — 否な 此の 艤會に 依て ではない、 彼等 は 段 々解決し 

お— 解決すべき は 吾! > の 結論 を 否定. し 英帝國 の 三度 記錄 した 願 

ひに 反 對 して 居る 處 の 政府で もる、 多くの 人々 が 無智で もる か、 

或は 等閑に 附.. - てる 次の やうな 義務 行し 且つ 引受く る W す 

る、 卽ち假 令 痺くミ t 必要ても る 家庭生活の ォ藝 > ^成就. し 其の 

髙尙な 愛情 陶冶す るに 當 つて 次の 如き 場合に 人々 は 何れ,^ 選 

ぶで あらう か? 卽ち智 ^4- 得る の 手段、 德 yH 仃 ふの 機 會 無く 

? > て る 貨銀ふ 家庭 Is に 無智なる が爲め 費し 且つ 道德 

的 又は 肉體的 31 化の 状態に かれ、 瓧會、 拉に 家庭的な 亭樂 

玦か しめられる やうに して 得た る 高い 貨銀 W 之れ に 反し 蜻祌的 

向上 さ 健康と. 進す る 事が 33 来る やう LL して 5:^ たる 低い 置 銀 

ミの 二者の 中に 於 C 何れが 親 はしい ものである か (?) 多くの 

實は 之れ を 明して 居る * 即ら各 の 僧侶 牧師、 © 者、 00 

業者 職工 は旣 LL 確固たる 擄な與 ゑ または 與 ゑむ W して 居る, 

而かも»大臣!!ぁっては耳.<^接く事4-拒み吾人の提&ぜる、 改 



ま 案 採用 ぜず尙 ほ 又 彼等 自身の 教濟 案に 依リ 吾々^ 助けむ ミ 

さへ しないの でもる」 

夫れ より 十六 年後 一 八 六 六 年 十月 六日 マ ン チェス タ ー 市 公 

會 堂に 於て シャ フッべ リ卿 としての 演說 中に、 十 時 問 勞働案 

の 運動 並に 勞働 者が 彼等の 目的 を粜 したる 成功、 其の 結 ei- 

生じた ろ國 家並び に努働 者に 及 ほしたら 影礬に 言及して 居 

る 彼れ は該 運動 中に 起った 勞働 者の 態度 を 回想した、 そし 

て 勞働者 は 次の 如く 云 つたと 述た 

「吾等 は 吾等の 大 なる 權利 として 自由の 特び おして 勞働 時間 

の 制限に 相對 して る、 吾等に た > 夫れ のみん、 與ゑ i、 然 から 

人々 は ラン 力 シャイ ャ I の擾 亂,^ .冉 び 耳に する 事ないで あら 

う 再び 不滿の な 聞く 亊 はないで あらう、 また 陛下の 臣民の 中 

最も 忠: K なろ もの々. 'なる ベ くま^ 市民 Li 應 はしき あら ゆろ 勞務 

^喜 こむ で la 擔 すろ- W 共に. S ら 欲して 居ろ;^ K な 知 る!.. 1 至る 

であらう、 一 度權 利が 承? „i せらる、 ならば 又た 1$ び (彼等 は 至 

つた) ラン 力 シャイ ャ, に揉亂 り聲. ^聞く 事ばない であらう、 

若しもれ > 1 度 吾等の 正 當 なる 接 利 さへ- m 認 せら-る 、なら. は」 

V ヤス ク ぺ". '鄹 は尙ほ 語^ 緩け て 進 步乜ろ 時代-し 付きて 云 

つれ 

「余 は 心ムリ 諸君に 成 i せざる ん、 得ない、 又 IS 君 は斯 かる 有利 

なる 保& 3 の 下に 吾々 が 互に 相會 する 事^ 得た るな 祝福す るミ 

する ので もる、 吾等が 互に 此の 一 堂に 會 したる は 不平 語る 爲 



«8 



め p~ は 無い 彼等,^ 除かむ 爲 めの 方法 VHH する 爲 では 無い、 卽ら 

吾々 は 何 vj- 爲 なければ なら W か,^ 話 マ めで も 無ければ えた^ 

々は 3:^ 恐る か 語み 爲めマ も 無い、 唯々 神の 靦福 に依リ 吾々 

が萬審現在の状態に逢し得ぉる-^^1:々の喜悅,^交換ぜむ爲めでぁ 

リ 且つ V 雇人 は 主人 W 主人 は 雇人 ミ全國 が 完全な 調和に 働いて 

居る ミ云ふ ii- ん交歡 ゼむ爲 めに 来った ものである、 彼等の 內に 

は 苦しい ゆ^ 情. 怒り も 困難 も 存在して は 居ない、 さらば 如何に 

し れは爲 し 遂げられた もので あらう か? 此の 事 は 暴力 に 依 

らず 威嚇に 依らす、 ストライキ に 依らず 如何な ろ 種類の 非常な 

窓 竦^ 手段 LL 依る 事な く 1^ けられお 事,^ 囘 想して 耽き 度い …… 

云々」 

吾等の 經 驚に 依れば 來 るべき 黎明の 時代に は 疲勞の 伴 は ざ 

る 短時間 勞働は 生産 を 減少すべき ものに 非す、 殆ど 例外 無 

く 生産額 を增加 する 傾向が ある。 

軍 歸 品 職工の 健康に 關 する ベ一ノン 博士の 報告に 依れば 

何人も 六 時間 Js;^ 制に 關 する 疑惑 を 除去す ベ き 事實を 見出 

すので ある。 該 報告に 曰く 氏が 十三 ヶ月 半. 敵 導火線 職工の 

生産額に 對 する 研究に 徵す るに 勞働畔 間の 減少 は關係 日に 

且つ 絕對 的に 生産額の 增加を 示して 居る • 最初 勞働 時間 は 

日曜 を 除き 十二時 間より 十峙 問に 變更 せられた、 アルミ 二 

ュ I ム I* 火線 IS 製造の 婦人 勞働, 剽體 は 次の 結果 を 示して 

居る、 名義上の^^ニ時間勞働ょり浪費時閒を除きたる正味 



十 一 時間 勞働は 毎時 百 品目 を產 出し 悔週 kn 箱を產 33 すろ も 

のとす る、 而 じて 名義 上の 十 時間 勞 働より 浪費 時間 を 除去 

し、 正味 九 時問勞 働と して 一 時間に 百 三十 四 品目 卽ち 一 週 

に 百 十 一 箱を產 出す., る。 名義 上の A 待間勞 働より 浪費 時間 

を 除去し 正味 七 時間 半勞 働と すれば 一 時間 百 五十八 品目 卽 

ち 一 週に 百 〇 九 箱 を產出 する、 斜 くの 如く 八 時間 卽ち 1 週 

五十 1 一時間 勞働は 毎時 並に 银 週に 於け ろ生產 額に 於て 十 1 1 

時間 卽ち 一 週 七 十二時 間勞 働より (時間 上より 又 週の 何れ 

より 計算す る も) より 多くの 生産額 を產 出す るので ある、 

又 戦後の 軍需品 職工の 疲 勞に關 する 他の 諸 報告に 徴 すると 

き 吾々 は 次の 驚く 可き 事 實を發 見す る、 ■ 卽ち大 なる 生產額 

は單に 毎時 間の みならす 毎週に 於て.,、 勞働時 問 の 妙き 場合 

に爲 される と、 最近 一望 本家の "f^j ぶる 所 :4 依れば、 戰爭の 

當初は 彼れ の 工場に 於け る 女工の 名義 上の 勞働 時間 は 五十 

三時 間であった、 然る 所 彼等 は 1 舟 週 平均 十四 時間 を 浪費せ 

る 事實を 知って 驚いた。 各 女工 は 一週 平均 十四 時 を 浪費し 

たろ を 以て LS 際 上の 平均 勞働 時間 は 各自 三十 九 時間に 减じ 

て 居た ので ある、 資本家 曰く r 斯 くの 如き は 不可で ある。 

吾等 は 女工 も 朝 1 時間 遲く 就職せ しめ 夜 は 一 時間 早く 終業 

せしめなければ ならむ」 卽ち 一 週に 十 1 1 時間 を滅 じた、 而 



29 



して 彼れ は 一 週 四十 一 努働 する 事に 成り 各 女工が 每迴僅 

かに 平均 一 時間 を 消費す ろに 過ぎざる 事を發 見した、 卽ち 

彼等 は 以前の 如く 三十 九 時間に 非す して 四十 時間 勞働 する 

事に なった ので ある。 加うるに 彼れ は 女工 等が 浪費 時 問 を 

除き 四十 時問勞 働す る 事に 成り 一 迴四割 四 分の 出產) 油に^ 

加を來 した 事を發 見した。 

政府が 確固たる 經驗に 依り 得た る 度の 報告に 依れば 適 

當の努 働 時間に 於て 人間 は 最高 生産 S も產 ^arb- る もので あ 

ると 述べて 居る。 

人間の 1 日. に 於け る疲 $sf^ は 男女 を 問 はす の勞 働に^ 

UJ し、 斯くて 數 日なら すして 生產は 漸次に 且つ 永久に 低下 

して 行く ものである • 若し 人間と して ±< の 肉 體 が疲勞 無く 

生產 する 事が 出來 るより 以上に 日勞 働せ しめなかった な 

らば 彼等 は 翌 日に は 氣カも 恢復して 生產は 一 歷增 加す るに 

到る であら 50 而し てまた 次の 如き 事も發 見した、 卽ち適 

當な勞 働 時間に 依り 增 加した る 生 產額は 其の 産業に 依りて 

は 五 割より 十二 割に 變 化する、 而 して 其の 五 割 は 上記の 紀 

錄に 示した る數 字と 殆ど 一致す る 事が わかる ので ある、 さ 

らば 一 交代 六 時間 努 働の 二 交代制に 於て は 毎時 其の 生産額 

は三釗 三分の 割合に 增 加し: 35 前に 一 週 四十 八 時間に 得た る 



額と 等しき 生産額 も 一 週 三十 六時閱 にて 生産し 得る 拳が^ 

來る、 (つ く) 

煽 風 器 

▲ 所?,? 勞働 物の 出版物 を 下.^、、 なった。 雨後の 1^ の橒に »33 した 

際物が 出 なくなった。 ^濟 界の不 贵氣の 結果で ももら う。 けれど 

もほん W の もの はこれ からだ。 經濟界 も大阪 では 三十 萬の 失業者 

が ある ミ報 ビられ てね ろ 眞險 な社會 問題 は.、、 れ からだ。 面白く 

なろ も此 から. た。 出版界 も眞 面目な ものが 出ち 機に なろ だら う。 

▲ ^學 J ^ごして 合 名の あつれ 米 田 博士の 『革命的 サ ン ディ カサズ 

ム』 が 最近 大杉君 や 佐 野!! V し i つて 問盟 にされ た 博士 も 辯 解 さ 

れ;: IX だが、 レゲァ インのお 文さ對 照の 面倒 か 取らなかった Ht !々 

に は どっちの 言 ひ 分が 正しい か は ら ない がた あの 本ん 讃ん 

で 惑す るの は その 文章 だ。 『夭れ』 r 卸說』 『今』 マ」 云 ふ 言葉が 一 册の 

本に なろ 程め る。 甚だ 文窣 について 氣 愁リ: UC 文 隼の 難 かしい の 

は勿謫 だが、 博士のに あま リ-」 ひどす ざる 少,」 tig ?々 出版され 

ろ 手前 滑 即ち 讀 るの 立 3!p も考 へて 貰ね たい。 博士 も文畢 博士 

なん;: から 特に 注文す る 



3。 



ナショナル • ギルド 同盟の 原 狸 及 目的 

こ 述 はチシ B ナ^ 盟 から 出版され た,.'. 'フ レクト 穴 glsrt Statement of the Principies I Objects 

of the National Guilda League の全譯 である (室 生) 

- 大英國 を 自由の 國 土と 呼ぶ の は 物 笑 ひの 種で ある。 た^-に勞働者が、 彼等 自身の 活動から 流れ出る 富な 拒絕 されて 

るるの みで はなしに、 彼等 は、 法律と 習慣と によって、 彼等の 勞働 なくして は I 日 も 存在す る ことので きない 產業組 

^にお レ ての 如何なる 統制 を も禁ん ぜられ てるる ので ある。 雇主 は、 今や 彼等の 雇人から 非常な 距離 11 肉體 的に も 

道德 的に も、 經濟 的に も 11 に 生活す る。 われ 等 は 急速に、 た r 奴 隸國』 一 I 事實 においての 奴隸、 またもつ と^ 

險な もの 法律に おいての 奴隸 としてのみ言ひぁ^£^す、 1 とので きる 社 會狀態 へ と 歩み つ i ある。 何ん となれば 

そこに は、 彼等の 貢 銀 奴隸を 全くの^ 屬 とする かそれ でなければ 飢餓に 服せ しめ、 凡ての 利益 を收獲 する、 今 法的 特 

權階 m の 指導と 統治との もとに、 人々 が 彼等の 生活 を營 むこと を餘 儀な くされて ゐ るのに ほかなら ないから である。 

賃銀が 高い 時であって さへ、 われ 等 は 生活費が それに 伴って 高まる こと を 知って るる。 賃銀 勞働 者が もっと 高べ 且つ 

安全な 地位に 上る のでな くして は、 自 せが、 雇主と 通人と がと もに 絕望 的な 道德的 沼 池へ 沈む の 結果 を も. つて、 隸屬 

へと 墮 落しなくて はならない こと は、 疑 を 容れる ことができない 今日まで、 活動への 叫び は 決して 强執 でもな くま 

た 熱烈で もなかった。 今や? a.^ つけて 正義と 自由との ために 戰 ふの は 凡ての 市民の 責任で ある。 

ナショナル • ギル ド 同盟 は、 賃銀 制度が、 勞働 者を經 濟的隸 屬の狀 態の もとに 繋 いでお く 資本主義の 最强の 武器で あ 

ると 信ん する 凡ての 人々 の 援助と 協同と を 希 ふ ものである。 賃銀 制度なる 言葉に よって、 丁度 凡ての 商品が 買 はれて 

ゐ ると 同じく、 八 i 市猖 における 勞 働の 購買が 意味され てゐ る。 卽ち 雇主に よって 需要供給 によって 變 化する 馆 箱で 



意 

5 



買 はれ、 そして 勞齒の 費用 は 原料の 費用と 同様に、 仕上け 生産物の 見 tB 價 格に 箕 入され るので ある。 これが われ 等が 

勞 働の 商品 的 評 憤と いふ ことの 意味で ある。 

この こと は勞働 者の 生活に どう 影 ii する であらう か? 

雇主 はいふ、 若し 相當な 仕事に 對 して 相當な 賃銀な 支拂 ひさへ すれば 彼等 は 彼等の 義務 を 行 ひ, そして 彼等の 費 任 

を果 しつ- 1 あると。 この こと は、 若し 彼等. か勞 働に 對 して 市場 惜格 を支拂 ひさへ すれば 勞働者 は 彼れ の勞 働の 生産物 

に對 して それ以上の 耍求權 を もつ もので ない とい ふこと を 意味す る。 雇主 は 賃銀と いふ 市場 税を拂 つてから、 仕上 ゆ 

生産物、 物品 または 勞 務を經 費の 過剩 額、 そして 往々 非常な 過剩 額で 赍却 する ことにと りか. -る。 最終 經 費と 賫却價 

格との 相 達 は * 一般に 利潤と して 知られて るろ。 しかし 餘剩價 値 11 卽ち實 際の 經 費に 封す る 商業 的 または 自分勝手 

な 附加物 一 . としても つつと 正確に 說述 されて ゐ る ものである リ 勞働者 は 貸 銀の ために 彼れ の努働 を賣る ことによ つ 

て、 餘剩憤 値に ついての 要求 を しないと いふ 默示的 契約 (それ はだ 默 示されて るる だけであって 確然と 說述 されて 

ゐ ない にか- - わらす 拘谏 して ゐろ) に 入ろ。 餘 剩惯爐 S 全部 は、 別々 の 比例て 地主と • 眠りつ- - ある 組合員 (株主) 

と、 そして 重役に よって 獲得され るので ある 。この 國の 多數 の 勞 働が 貸 銀 を 受取る ことが 資本主義 制度 を 受取る ことで 

あ &'、 そして 餘剩價 直 または 利潤の 全部 を、 一部 は 活動的 重役に、 !部は 骨折り もしない 紡ぎ もない 人達に 分割す る 

ことの 默契を 受取る ことで ある こと を 記憶す る ことが 非常に 重要で ある。 かくして われ 等 は 賃銀 制度が 富と 賛澤と を 

貧困と 窮乏と から 隔離す ろ 壁で ある こと を 知る。 この 壁 は 勞慟 者が それ 自身 を 商品 的 評 惜卽ち 賃銀で 賣る こと を拒絕 

すろ ことによって のみ 倒壊す ろ ことができる であらう 

それゆえに 勞働 者の 直前の 仕事 は、 このうへ 資本家に 餘剩惜 値を赛 用す る ことの 許容 を拒絕 する ことで ある。 か i 

る拒賴 によって それが 賃銀 制度 を破壞 すろ こと を、 われ 等 をして 永久に 希望せ しめよ。 しかし 勞働 者が それ 自身 を 商 

品と して 資ろ ことの 担絕 (また その 結 梁と して 餘剩憒 値の 消减) は、 また 生産 及び 分配の 統制 を 包含す る。 

それ は货^ 势約が 資本と 勞 働の 問に おける 自由にして g ぶ J5 的な 取引で ある こと を 主張す る。 そうだら うか? 



公正な 取引と は そ G 取引の ^5 亊 者が 平等の 礎に おいて 相 S; し、 そして^ 方が、 平等に 自. a である. かために, 締結 

された 條 件に 對 して 殆んど 平等に 満足して ゐる こと を 意味す る。 しかし この こと は 賃銀 取引の 場合から は 4^ 常に 距っ 

てゐる ことで ある 

1 つの 簡 S 準な 例を舉 けよう。 勞働者 は 二週間 以上 飢えす にる られる こと は减 多に ない。 そして それゆえに 資本家が 

主張す る 如何なる 條件を も 承諾す る こと を餘 儀な くされる" れ^に 勞働 者が、 資本家の 條件を 受取らない 代りの 唯一 

つもの が 組織で あるが ゆえに、 資本家に 對立 する ことが 無? お 力で あるの みで はなしに、 その ゆえに それ は 未だ それ 自 

身の 勞働 力に ついての み II 占また は存 効な 統制 を 所持す るに 至って ゐ ない。 外 觀とは 遠って、 この こと は 最も 高 変に 

組織され た 職業に お いてさ へ 眞理 である。 何と なれば 資本家 は 最後の 手段と して 自働 的の 機械 を 持み 込み, ,てして 不 

熱 練 勞働荐 を、 あろ 程度まで 熟練者と なる に 至る まで、 そして 熟練 且つ 組織的 職業に 對 する:, 4, g の 脅威と なる に 至る 

まで、 特種の 仕事に 訓練す る。 賃銀 制度が 搔麼 される ことので きる 前に * クラフト *ュ 一 I オン (si 練お:^ 働 Tisg 合) は 彼 

等の 利害が 凡ての 他の 階級の 勞働 者の それと 絕對に 同 1 である こと を 認めなくて はなら な い、 、れ ゆえに クラフト *ュ 

一一 ォ ン は 彼等の 城壁 を 撤去して 產業的 組合に 發展 しなくて はならない。 勞 働^. か 最後に 勞働 占 を 獲得す る ことので 

きる 唯一 つの 道て あろ。 

この間に 資本家 は 賃銀 勞働者 を 支配し、 且つ 全く 隔離され た そして 殆んど 昔の 奴隸階 執の ように 墮 落した 階級に 止 

めて おくので ある。 それ は 政治的に 權 利を與 へられた 農奴 國 である。 所謂 貸鈕 契約のう ちに は * 取引の 自 ぬ<, なく。 

ま. た 神聖な 生活 もな く、 た r 却って 墮 落が あるの みで ある。 資本家 は 『承諾す るか、 それでなければ 捨てよ』 とはい 

はない。 『承認せ よ、 それでなければ 飢えよ』 とい ふ。 ナショナル • ギルド 同盟の 會員 はこれ を もって 耐え忍ぶ に は あ 

まりに 恐るべき ことで あると 考 へる 何と なれば 人間の 勞働、 彼れ の 唯 一 つの 生活 手段が::^ 料と 全く 同 樣に評 憤され る 

ことが 忌 はしい ことで あるの みで はなしに、 また 資本主義が 常に 飢餓の 妖怪 を もって 脅威す る 權カを 所持す る こと は 

等しく 忌 はしい ことで ある。 賁業 外にお いて は、 如何なる 紳. H も かような こと はしない であらう。 何故に 實業 は: Jit 鄭 



士的及 方針で 行 はれなくて はならないで あらう か? 

資本家が 勞 働のう へに 與へ • そして 勞 働のう へに 强 制して ゐる 商品 的評價 は、 飢娥が 唯一 つの 代 t: 物で あると いふ 

ことの 知識に よって 行 はれて ゐ るので ある。 資本家は勞働^!^の住宅及び食物の費^を保障し、 そして こ S うへ に、 將 

來の勞 働の 供給 を保險 する ために 兒 童の 扶養と 訓練との 手 常 を供與 する、 自. S 敎育は 地代の 直接 完全な 騰貴の 信號で 

あった 。または 他の 言葉で いへば 賃銀の 購買力 減 返の 信號 であった。 彼れ の兒 童の 敎育費 は 最早 ゃ勞働 者から 生じな く 

なり、 資本家 は それ を 許容す る こと を廢 止した。 それ は 丁度 以前に 奴隸 所有者が なした 計 其と 同じで ある。 しかし それ 

に は努働 者の 攻治 上に おける 參攻權 許與を 外にしても 次の ごとき 相違が ある。 即ち 奴隸 制度 は 凡てが 一 樣な 給養 標準 

に 向って るた のに 對し、 近世 資本主義 は遙に 多くの 勞働熱 練の 種々 な 等級 を耍 求す る。 それゆえに、 そ は 最初に 生き 

て ゆく とい ふだけ の 生活費 を發兒 し、 モ して 場合に 從 つて、 そのうへ にある 特種 S. 目的の ための 勞働 訓練の-お 別 費 を 

支出す ろつ 多くの 人々 を混雜 させる の はこの 賃銀 率に おける 相違で ある。 彼等 は 若. し 賃銀が 赏 際に 給養 費 だけた とす 

れば 何故に 赁銀 率に 多くの 種別が あるかの 理由 を 解す る こと はでき ない。 眞實の 公式 は貨銀 は 一 に闢係 職業に 必耍 

な 給養 費に よって 決定され ると いふ ことで ある。 この 方法で われ 等 は. W 銀 制度が 高 取りの 技術 (ベ" にと つても、 また 

3. 取 も 低い 1^ 銀を拂 はれて ゐる勞 働: にと つても、 同樣に 人格 を 臆 i?^ さ 一る ものである こと を發 見す るので ある。 自由 

人の 性質に 合致 しないの は 制度と しての 貨銀 制度で あり、 そして それゆえに 麼. されなくて はなら な い。 

厘 主が 斯樣 な勞働 商品の 性質の 改善な 理解し 且つ それによ つて 利 を うけてる るのに、 彼等に この 敎訓 を敎ぇ 且つ 

敎 える こと を經續 して ゐ る もの. か勞働 組合で あろ こと は 記憶し なくて はならない。 彼等 は クラフト • ュ 一一 オンに 組截 

すろ こ, とに よって、 彼等 は 貸 鈕を引 上 ゆ • そして、 かくして 羸ち えたろ 僅かば かり 高い 生活 標準 を もって、 彼等の 勞 

働は絕 えす 質に おいて 改良され てるる ので ある 。然り 雇主に よって 敏捷に 絞 取され た 改良で あろ。 クラフト *ュ 一一 ォ ン 

が 產業的 組合に 變 じた 時には、 旣に坑夫の全體に彼等の產業的組合を通し^-^加はったょぅに、 や: 體 としての 貴 銀勞勒 

者に 同樣の 結果が 生す るで あらう 。しかし 組娥 はこの 合に は產業 自治の 段取り を强 制する に 足る だけの 力で あらう。 



それが * ギルド 組^の 第 一 歩で ある U 產業的組合主^^我とともに產業:^^自治を正當なりとする植カと资仟とが必然的に來 

るので ある。 

簠際家 は货^ 制度 を 非難す る は 容易で あろが その代り にわれ 等 は 何 ごと を 提唱す るかと いふで あら 5。 われ 等 は 次 

のように 答へ るて いで あらう、 結染の 如何に か- 1 わらす、 赁銀 制度 は廢 止しなくて はならない 忌むべき ものであると。 

しかし われ 等 はもつ と 合理的で あろ。 われ 等 は 答へ ろで あらう、 凡ての 種類 及び 階, 級 S 努働君 は 純!^ S 勞働 者で あり、 

そしてゥ^^^^でなぃがゅぇに, また 彼等 は 一 定職 分 を 遂行す るが ゆえに、 彼等 自身 を、 彼等が 産業 を 統制し、 そして 

生 麼に對 する 完全な 资任 を擔當 する ことので きる ように 織すべき の 時 かきたと。 彼 $..-s 組^ は區 域に お いて 國民的 

で、 各 産^に 一 つでなくて はならない。 われ 等 はこれ を ナショナル • ギル ヅと稱 する こと を提識 する。 

ナショナル • ギル ヅは 現存の 資本家 組織に とって 代る 資本家 圍體 でない こと を 心得て おく こと は 肝要で ある。 それ は 

た^ 1 方 を願逐 する 惡魔 であるに 過ぎない であらう。 若し 資本 主穀か 根本的に 害惡 であり 且つ 不道德 であると すれば 

勞働 者が 資本家 圃に變 すろ にしても、 それ を正當 とする に は 至らない であら、 フ。 しかし 赏本主 殺 は赁銀 制度 5消 減と 

ともに 必然的に 消! g しなくて はならない。 何と なれば 賃銀 制度な くしてば 餘剩惜 値 は 存在す る ことができない、 從っ 

て 地代 も 利息 も 利潤 も 存在す る ことができ ないから である。 ナショナル • ギル ヅは 資本の 所有のう へに 匿 かれる ので は 

なくして 勞 働の 鑼 占のう へに 匿 かれる ので あらう。 

それゆえに 勞 働の 11 占 は 二つの 結果 を もって ゐる、 一 つ は 破 壌 的で 他 は 建設的で ある。 そ は 賃銀 制度 を破壞 する ひ 

そ は ナショナル • ギル ヅを 創造 する。 

次に 起って くる 問題 は ナショナル • ギル ヅに 組織され た勞 働が 資本な くして 如何に し て 產業を 遂行す るか, こい ふこ 

とで ある。 資本 は 原料から 成立す る ものであって 貨 弊から 成立す る ものて ない こと は殆ん だいふ 必要 もない。 それ は 

til 物 や * 機械 や、 鑛物 や、 鐵道 や, 塍5| によって 代表され てるる。 これ 等の もの を 統制す る ものが 货木を 統制す る。 

そして かように された 1^ 本は勞 働が そ if 一川され るに 至る まで は 眠って おり、 且つ 不生産的 である。 それ 〈ゾん に: せし 



^働^;^がその^働獨占を通して生產手段を統制するとすれば、 次に は それが, 贫本を "机 制する、 r」 となり、 そして 丁 S 

燹 本家が 彼等の 財産の 惜磁 において 銀行から 信用 を 得る と同樣 に、 それの 凡ての 財 的の 働きの ための 信 ^ を隨 意に 要 

求す る ことができ るので ある。 しかし 資本が 民主的に 統制され る —— それが 經濟的 解放 を 行 ひうる 唯一 つの 方法で あ 

る — 4lt. にの み ft しい ことで ある。 ナシ ョナル • ギル ヅ 同盟 は生產 手段 は國 家に 歸屬 し、 そして 各種の ギルドに よって 

管 ©1 されく きもので あろと 信じて ゐ る。 國 家と ギルドと は シヴ井 ル* ギルド 及び 國 家の宫 衞を 維持す る こと に 1 致す 

るで あら ラ それが 課税に ついての ギルドの 解決で ある。 

攻治的 方法で 貸-ほ 制度 を麼 止し 且つ ナシ ョナル • ギル ヅを組 Si する ことが でしる とい ふ ものが ある。 ナシ ョナル *ギ 

ルド 盟は 政治的 努力 を IS 絕 する もので はない。 しかし 眞實 の爭! i は 主として 經濟的 領域に おいて 鬪 はれなければ な 

ら ない 。こと を 信す る。 そして 更に 經濟 的權 力が 政治力の 現在の 源泉で ある こと を 確然と 斷言 する ものである。 それ 

ゆえに そ は勞働 者が クラフト ュ -1 オンの 代りに 產業的 組合に 組織す る ことによって、 そして それの 產業的 組織 をェ 5« 

及び その他の あらゆる 活動のう へに 最上 榴を 攄大 する ように 使用す る ことによって、 且つ それが 必要な 力 を 得た 時に 

經濟的 11 爭 のために 用意す る こと を獎勵 する。 しかし 就中 そ は 凡ての 勞働 者が、 赁銀 制度 は 人類み- 墮 落させる もので 

あり, そして われ 等が 自由にして 自糞的 人民でなくて はならない とすれば 廢 止されなくて はならない ものである こ- 

を記惊 すろ こと を 熱烈に 希 ふ ものである。 



コ オルの 『ソ 1 シャ ルセ 才 リイ』 を Igu 



ギル ヅ マン は 初めから 産業 的 または 經濟 的の 範 園よりも 

も <fN と 廣大な 理論 を 要求して きた。 しかし そ は 今日までた 

要求に とどまつ てきた。 この 要求に 答を與 へた もの はべ 

ン ティに よって 書かれた 『歴 3:^ 觀』 と n オルに よつ い 書か 

れた 『ソ 1 シ ャル、 セォ リイ』 の 二つで, ある。 ベ ン ティの 

赝史觀 は その 一部分 を 『二 ュ. |*ェー.、 チ」 で讀ん だが 彼お は 

そのうへ に 幾多の 壻補 をな して 可成り の大 著述と なした。 

そして 彼れ 自ら 歴史の 書き直し であると いって ゐ る。 マル 

クスの 唯物史 觀に對 してべ ン ティの 『ギル ヅマ ンス、 ィ ン 

タブ リテ ー シ ョ ン、 ォブ、 セ スト リイが 書かれた ので ある。 

私 は 二 ュ ー,ェ ー, チ のうちから 旣に 飜譯し て あるので 更に 

附 加して 譯窨を 近く 出版す る考 へで ある。 

n オルの r ソ.. I シ ャル、 セォ リイ』 は 私が 最初に 期待し 

た ほどに 善き 書物でなかった ことに 私 は 稍 や 失望した もの 

である。 恐らく 皮れ の 『產 業の 自治』 『勞 働の 世界」 等を讀 

^vf^ この 番に 接した もの はみ